2021年4月18日 (日)

滴り落ちる時計たちの波紋

滴り落ちる時計たちの波紋/平野啓一郎(文春文庫,2007)
 2004年刊の単行本の文庫化。
 この著者は1999年の芥川賞受賞当時、かなり話題になったので名前だけは知っていたが、2年ほど前にこの本を読むまで、全然読んだことはなかった。
 芥川賞受賞作の評判から、なんだか難解な作品を書く作家という印象があったが、読んで見るとそうでもない。ただ、実験的、とは言えるかもしれない。それにしても、収録作の作風がバラバラすぎて、どれが本来の姿なのかよくわからない。
 収録作は掌編から中編まで長短8編。

「白昼」
 白昼、一人の男が幻影の中に消え去る。途中から詩みたいなものになる実験的作品。本のタイトル「滴り落ちる時計たちの波紋」は、この作品の詩の部分に出てくる言葉。
「初七日」
 一転して、きわめてリアルな小説。一人の老人の葬式に集まった家族の様子や、息子である兄弟の思いを丹念に描いていく。文章も実に、普通の意味で文学的。
「珍事」
 わずか6ページの小品。大阪に出張したサラリーマンが体験した、実にどうでもいいような出来事と、それが心中にもたらした波紋を描く。
「閉じ込められた少年」
 これも6ページの小品。少年のいじめの記憶と、それがもたらした突発的な行動の瞬間を切り取る。
「瀕死の午後と波打つ磯の幼い兄弟」
 二つのパートからなる作品。ひったくり常習犯の男が交通事故で死にかける「瀕死の午後」と、幼い兄弟が潮の満ちてくる岩場に取り残される「磯の幼い兄弟」。一見何の関係もなさそうな二つだが、実は最後の文章で相互に結びついている(ということが解説を読んでわかった)。
「Les pepites passions」
 2ページのスケッチが5編。「彼方」、「数」、「性」、「記憶」、「自己」。どれも少年が主人公で、どれも最後には死ぬか消えるかする。
「くしゃみ」
 わずか2ページ。ひよわな男がくしゃみをして死んでしまうというだけの話。
「最後の変身」
 150ページ近くの長い作品。この作品だけ文章が横組み。それでいてページは普通に右から左に進んでいて、相当な違和感がある。
 内容は、ネットに入れ込んだあまり人生に行き詰まった男の、いつ果てるともしれない愚痴。読んでいていやになるような内容だが、ところどころ、ネットの世界への鋭い指摘がある。
「バベルのコンピューター」
 この作品だけ、これまでの収録作ときわだって作風が違う。クロアチア出身の芸術家イーゴル・オリッチの作った電子芸術「バベルのコンピュータ」に対する長文の批評。その作品は、ボルヘスの「バベルの図書館」をコンピュータにより再現しようという試みなのだった。
 実はこれは批評の形をとったフィクション。それらしい注もついているが、作者も作品もすべて架空である。架空作品の批評というと、レムの『完全な真空』が連想されるが、この作品はボルヘスに言及しているので、ボルヘス&ビオイ=カサーレスの架空評論集『ブストス・ドメックのクロニクル』へのオマージュなのだろう。
 収録作中ベストはこの作品。

Shitatariochirutokeitachi

| | コメント (0)

2021年4月14日 (水)

豪華客船の文化史

豪華客船の文化史/野間恒(NTT出版,1993)
 かつて世界の海を駆け巡っていた豪華客船の歴史。ここで言う豪華客船は、クルーズ船のことではなく、あくまで輸送のため――娯楽ではなく、旅行手段としての船のことである。
 19世紀中頃から20世紀末まで、「一五〇年にわたる客船の転変を、世界史との関わりで捉えたい」というのが、まえがきに書いてある趣旨。確かにそのとおりの内容だが、これならタイトルは「文化史」ではなく、「世界史」の方がふさわしかったのでは。
 内容は9章構成。

 第1章「旧大陸から新世界へ」は、大西洋航路の誕生と発展を語る。19世紀、蒸気船の発達とともに、大西洋をわたる定期郵船が誕生。初期の船は郵便が主で、客室施設は粗末なものだった。しかし船内施設は次第に豪華なものになっていく。
 第2章「極東に注がれる欧州列強の目」は、舞台をアジアに移す。アジア-ヨーロッパ航路の歴史。そして新興勢力としての日本で、海運会社が誕生する。
 第3章「浮かぶ宮殿―豪華巨船時代へ」。19世紀末から20世紀初頭の大西洋航路について。ドイツ海運会社の台頭と、イギリス・アメリカとの競争。客船史を語る上では避けて通れない、巨船「ルーシタニア」と「タイタニック」の悲劇についても。
 第4章「二十世紀の日本海運」は、日露戦争から第一次世界大戦までの日本海運の歩み。
 第5章「第一次世界大戦と客船」は、戦時輸送に駆り出される客船たちの運命について語る。
 第6章「活気溢れる一九二〇年代[ローリング・トウエンティーズ]」。第一次大戦が終わり、続々と登場する豪華客船。日本も健闘しているが、いかんせん欧米諸国に比べると船が小さい。
 第7章「世界恐慌から客船黄金時代へ」。1930年代に入り、各国を代表する巨大客船がデビューする。日本の「浅間丸」、フランスの「ノルマンディ」、イギリスの「クイーン・メリー」。クルーズ客船が誕生したのもこの頃だが、まだ主流は輸送手段としての客船だった。前章とこの章、つまり大戦間の時期が豪華客船の最盛期。
 第8章「第二次世界大戦と客船」。第二次世界大戦が始まり、客船の黄金時代は悲劇的な終末を迎える。この大戦は各国の客船にとって最大の悲劇の舞台となる。特に日本の客船は壊滅的被害を受けた。
 第9章「平和の再来と客船サービス」。第二次大戦後、大型豪華客船の時代がふたたびやってくる。イギリスの「クイーン・エリザベス」・「クイーン・エリザベス2」、アメリカの「ユナイテッド・ステーツ」、フランスの「フランス」など、国の威信をかけた巨船がデビューする。
 だが、客船の時代は長くは続かない。1960年代からジェット機に客を奪われ、定期客船の繁栄は急速に終わりを迎える。旅客輸送という仕事で生きていけなくなった客船は、クルーズに活路を求めるようになっている――というところで本書は終わり。クルーズそのものについてはごく簡単にしか触れてない。

 2008年に刊行された本書の増補版では、第10章「クルーズの世紀」が追加されている。現代ではクルーズ客船こそが「豪華客船」で、輸送のための船は「フェリー」や「連絡船」でしかなくなっている。その実態を反映した増補である。とはいえ、クルーズ以前の客船本来の姿を伝えてることが本書の本来の役割なのだから、旧版でもその価値は失われてはいない。

Goukakyakusennobunkashi

| | コメント (0)

2021年4月10日 (土)

もらい泣き

もらい泣き/冲方丁(集英社,2012)
 実話をベースにした33編のエピソードを収める。『小説すばる』の連載をまとめたもの。2015年に文庫になっている。
 内容については、「泣ける話」、「実話」という条件があり、さらに「原稿用紙5枚半」という制限、「書く方が辛さで泣けてくるような縛り」だったという。
 ただ、実話とはいえ、個人が特定できることを防ぐため、複数の話を合体させたり、男女の性別と変えたりと言ったアレンジは施したという。その意味では、半分創作と言えなくもない。しかし、語り口は小説ではなく、やはり実話のタッチなのである。
 泣ける話といっても、そのポイントは人さまざま。すぐに連想するのは、いわゆる人情話。本書でも、「金庫と花丸」や、「心霊写真」といった最初の方の話は、親族の死を巡る感動エピソードが目立つ。
 しかし後半になると、しみじみ泣ける話より、むしろ人間の能力に感嘆するような話が増えてくる。そして、著者が取材したというより、自ら体験した話も多くなる。特に自分がかかわったアニメ制作関係の話で、「音楽と十円ハゲ」や「鬼と穴あきジーンズ」などは、プロの凄みを語っている。
 連載中に東日本大震災が起きて以後は、災害関係のエピソードも含め、バラエティが増えてきたようだ。全体として「泣ける話」というより、「いい話」に傾斜しているような気はするが。
 ベスト・エピソードに挙げたいのは、駅の掲示板を巡る、自殺志願者の書き込みとそれを続いた無名の人々のメッセージの物語「先にいきます」。ただ、実話と言うより小説の面白さに近い。

Morainaki

| | コメント (0)

2021年4月 5日 (月)

空想軍艦物語

空想軍艦物語 冒険小説に登場した最強を夢見た未来兵器/瀬名堯彦(光人社NF文庫,2017)
 戦前・戦中の冒険小説や未来戦記に登場する架空の軍艦、超兵器を紹介する本。『丸』の連載をまとめたもの。
 この本、コンセプトはなかなか面白そうである。登場する架空の軍艦や兵器の多くは荒唐無稽なスペックで、そこがむしろ面白いというか、楽しみどころなのである。
 だがいかんせん、著者が軍事の専門家で、基本的に空想物語に関心がないため、今一つノリが悪い。
 なにしろ、現代の架空戦記の類はほとんど読んでないと言っている。「今日では未来戦記がまったく書かれていない」なんて書いているのを見ても、著者がこの分野に無関心なことがわかる。未来戦記なんていくらでも出てる。著者が興味がないだけなのだ。
 それはともかく、題材そのものは、上にも書いたように興味深いものではある。
 最初にいきなり出てくるのが、日本海軍の中佐が考え出したという驚異の「50万トン級戦艦」。大きければいいってもんじゃないぞと言いたくなる。しかもこの超巨大戦艦、主砲もサイズに合わせて超巨大になっているかというとそうでもなく、大和の主砲よりも小さい40センチ砲。それをただやたらと大量に搭載しているだけ。ちょっと発想が貧困としか言いようがない。
 この後も、飛行潜水艦とか空中戦艦とか、浮かぶ飛行島とか潜水空母とか、未来兵器というより珍兵器と呼びたいような変なシロモノが次々と登場する。
 オタク心を持ったライターが紹介すれば、さぞ面白い読みものになったと思うのだが、上にも書いたように、この著者の反応は今ひとつなのである。オタク的基礎教養とツッコミ力が足りない。
 しかし、著者は昭和9年生まれ、本書の元となった「『仰天軍艦』夢ものがたり」連載時は70過ぎてたのだから、そんなオタク心を求めるのは無理なのだろう。読者の方が適宜ツッコミを入れながら読むしかないのである。

Kuusougunkanmonogatari

| | コメント (0)

2021年4月 1日 (木)

新・幻想と怪奇

新・幻想と怪奇/仁賀克雄編訳(ハヤカワ・ミステリ,2009)
 タイトルに「新」とついているのは、同じハヤカワ・ミステリから1956年に『幻想と怪奇』という2冊ものアンソロジーが出ていたため。そちらの方はレ・ファニュ、ブラックウッド、ラヴクラフト、M・R・ジェイムズなど、いかにも正統派の怪奇幻想小説の作家たちが収録されている。
 本書はその続きとなる怪奇幻想小説のアンソロジーということになるのだが、作者名を見ると、ヘンダースン、シェクリイ、ナース、ファーマー、テン、ウェルマン、マシスンなど、半分くらいSF作家。SFファンタジーのアンソロジーと言うべきかもしれない。
 内容は17編を収録。

「マーサの夕食」(ローズマリー・ティンパリー)
 これはサイコホラー。旦那の浮気相手を奥さんが料理してしまう。
「闇が遊びにやってきた」(ゼナ・ヘンダースン)
 五歳の少年スティーヴィは川の土手で「闇」を見つけ、それを封じ込める。だがロバのエディが封印を破ってしまう。「闇」に取り憑かれたロバの描写が鬼気迫る。
「思考の匂い」(ロバート・シェクリイ)
 未知の惑星に不時着した宇宙郵便配達人が、思考感知能力を持つ現住生物に襲われるという、完全なSF。
「不眠の一夜」(チャールズ・ボーモント)
 炉端怪談形式のショートショート。ある館での一夜の怪異を語って、単純だがよくできている。
「銅の器」(ジョージ・フィールディング・エリオット)
 ベトナムでフランス軍人が中国人ギャングに捕らえられる。部隊の配置を聞き出すため、フランス人の目の前で恋人が拷問されるというグラン・ギニョール的残酷物語。
「こまどり」(ゴア・ヴィダール)
 少年時代の残酷さと後悔を描くショートショート。怪談でも幻想小説でもなく、文学に近い。
「ジェリー・マロイの供述」(アンソニイ・バウチャー)
 ジーンとジェリーは芸人コンビだったが、ジーンが殺人を犯す。その犯行の経緯について証言するジェリー。だがジェリーは実は腹話術の人形なのだった。これも一種のサイコホラーか。
「虎の尾」(アラン・E・ナース)
 無限にものを吸い込む謎のハンドバッグ。それを研究する科学者たちは、向こうにいる「何ものか」を無理やり引っ張り出そうとする。ラストの不気味な展開が星新一の「おーい、出てこーい」を思わせるSF。
「切り裂きジャックはわたしの父」(フィリップ・ホセ・ファーマー)
 語り手の貴族の母は凶悪犯罪者である義理の弟に犯され、アフリカに渡航した後で語り手を出産する。この語り手が、実のところあのターザンとしか思えない。本編はFeast Unknownという長編の抜粋ということなので、この作品についての英語版Wiki記事を見てみると、やはりターザンをモデルにしたキャラクター(名前は違うが)らしい。
「ひとけのない道路」(リチャード・ウィルスン)
 アメリカの田舎を車で走っていた男は、いつのまにか他の人間が誰もいなくなっていることに気づく。二日後にすべて何事もなかったかのように元に戻るのだが、その間何が起きていたのか。男の推測はこの作品を完全なSFにしている。
「奇妙なテナント」(ウィリアム・テン)
 存在しないはずの13階を借りる奇妙なテナント。その階に用事のある人間は簡単にそこに行けるが、ビルの管理人だけはどうしても行くことができない。軽妙でシニカル。いかにもテンらしい作品。これもSF。
「悪魔を侮るな」(マンリー・ウェイド・ウェルマン)
 第二次世界大戦中、ナチスドイツの一部隊がトランシルヴァニアらしき地方のとある城に駐屯する。そこはドラキュラの城だった。
「暗闇のかくれんぼ」(A・M・バレイジ)
 スミーというかくれんぼゲームに、知らない人間が混じっていたという、典型的ゴーストストーリー。
「万能人形」(リチャード・マシスン)
 どうしようもない暴れ者の息子をおとなしくさせるため、万能人形を友達として与える両親。しかし息子に影響されて万能人形も暴れ出す。困り果てた両親は、人形を息子の代わりにしてしまう。最後のオチが傑作。
「スクリーンの陰に」(ロバート・ブロック)
 映画ファンタジー。エキストラに生涯を捧げてきた老人が、スクリーンの中の恋人と一緒になるため、映画の中に入ってしまう。よくある話である。
「射手座」(レイ・ラッセル)
 収録作中一番長い中編。ニューヨークを訪問中のイギリス貴族テリー郷が、フランスで知り合った二人の俳優を巡る奇怪な物語を語る。ジキルとハイド、切り裂きジャック、グラン・ギニョール、二十世紀初頭のパリといった道具立ての中で展開するゴシック的怪奇譚。収録作中で一番クラシックな「怪奇幻想」小説。他の作品とテンポが違うのでやや冗長に感じてしまうが。
「レイチェルとサイモン」(ローズマリー・ティンパリー)
 本書2作目のティンパリー。日本では無名のこの作家を編者はよほど気に入ったらしい。死んだ子どもたちが実在するかのようにふるまう女の話で、やはりサイコホラーみたいなもの。

 マイベスト3は、「不眠の一夜」、「奇妙なテナント」、「万能人形」。

Shingensoutokaiki

| | コメント (0)

2021年3月27日 (土)

ほんほん本の旅あるき

ほんほん本の旅あるき/南陀楼綾繁(産業編集センター,2015)
 この著者については、以前(といってももう10年以上前になるが)、本ブログで『一箱古本市の歩き方』という本を紹介したことがある(2010年1月18日のエントリー)。
 そこでは、著者が始めた一箱古本市というユニークな活動や、日本各地のブックイベントのことが、情熱と遊び心たっぷりに語られていた。
 本書はその続きみたいな本。日本各地で開催されるブックイベント、一箱古本市、さらには地方でユニークな文化活動を続ける人々を訪ね歩いた現地ルポが集められている。北は盛岡から南は鹿児島まで。最後に地元である東京で締めくくる14編。
 鹿児島編の最後に書いているとおり、「箱に先導されて各地を回る」旅の記録である。
 各編とも冒頭に「旅あるきMAP」がついている。ただし基本的に著者が訪ね歩いたところが書いてあるだけなので、一般的には参考にならない。本文を読む時には便利。さらに本文中にも写真とイラストが豊富に入っている。イラストを描いているのは、イラストレーターの佐藤純子。緩いタッチが本の雰囲気によく合っている。
 著者が訪ねるのは、ユニークな本屋に古書店、昭和っぽい市場や商店街、昔ながらの喫茶店に食堂――といったところ。そこにブックイベントや地域おこしに関わる人々が登場する。出会う人々は、みんな活動的で個性的。著者自身も含め、本や文化や地域への熱い思いがすべてのページにあふれている。
 ただ、どこへ行っても同じようなところへ行って同じようなことをして、同じような種類の人々とばかり会っているような気もする…。ブックイベントという「仕事」で行く時は仕方ないとして、私的な旅で行く時くらいは、ちょっと違うことをしてもいいんじゃないだろうか。
 まあ、これはそういう場所や人々からなる「世界」について書いた本なのだから、仕方ないのだろう。ブログ主もそういう「世界」が嫌いではないのだし…。

 本書で著者が旅した場所は以下のとおり。

盛岡(岩手県)―朝市と三人の木村さん
秋田(秋田県)―川反中央ビルにはブク坊がいる
石巻・仙台(宮城県)―“まちの本棚”が生まれた
新潟(新潟県)―旅は不器用
富山・高岡(富山県)―『まんが道』と鱒寿司
津(三重県)―カラスの目で町を見る
鳥取・松崎(鳥取県)―横に長い県をゆく
松江・隠岐(島根県)―水の町から海のある町へ
呉・江田島(広島県)―コミさんに導かれて
高知・阿波池田(高知県・徳島県)―うだつのある町で
北九州(福岡県)―洞海湾を渡って
別府(大分県)―温泉から奇想が湧き出る
鹿児島(鹿児島県)―ぼっけもんのいる国
都電荒川線(東京都)―東京の町を旅あるきして

Honhonhonnotabiaruki

| | コメント (0)

2021年3月23日 (火)

乱世に生きる

乱世に生きる 歴史の群像/中村彰彦(中公文庫,2001)
 この著者の本は、2年ほど前に本ブログで『武士たちの作法』という歴史エッセイをまとめた本を紹介したことがある(2019年3月25日のエントリー)。
 そちらの本は、戦国時代と幕末をテーマにしたエッセイが中心だったが、本書の場合は、平安時代から昭和初期まで、扱う時代は幅広い。「群像」というサブタイトルが示すとおり、大半が歴史上の有名無名の人物をテーマとするエッセイ。『武士たちの作法』を読んだ時は、この著者の本領は人物エッセイにあると思ったが、その印象を裏づける内容だった。

 時代別に4部構成になっている。
 Ⅰ「武将たちの時代へ」は、平安末から戦国時代までの人物を取り上げている。タイトルはすべて人物名で、待賢門院璋子、藤原秀衡、足利尊氏、板垣信方、武田勝頼、毛利元就、長宗我部盛親、直江兼続。
 Ⅱ「江戸を生きる」は、江戸時代初期から中期。「北政所・淀殿」、「徳川家康」、「真田幸村」など、やはり人物エッセイが中心だが、それ以外の、関ヶ原合戦史や尾張藩の忍者集団についての珍しい記録もある。
 Ⅲ「幕末の人と事件」は、人物というより出来事を中心とした文章が多い。。「ドキュメント攘夷決行」、「ドキュメント長州征討」、「薩長同盟と王政復古」、「徳川慶喜」、「新撰組隊士・斎藤一のこと」、「沖田総司は黒猫を見たか」、「幕末受難の家老たち」。
 Ⅳ「明治の気骨・大正の夢」は、明治以降の人物を扱っている。後の方になると政治家や軍人ではない民間人が主役になるのだが、歴史上の有名人物よりも、こっちの方が面白い。知らないからこそだろう。「佐川官兵衛討死の光景」、「明治顕官たちの「那須野ヶ原」開拓物語」、「榎本武揚と福島安正」、「島村速雄」、「秋山真之」、「松江春次」(サイパン島の砂糖王)、「松旭斎天勝」(一世を風靡した女性マジシャン)、「ラグーザお玉」(イタリアで活躍した女性画家)。

 歴史上の人物や出来事についての見解は実にオーソドックスで、伝統的な説を出るものではない。本業の歴史学者ではないのだから、それでいいのだろう。独創性はあまり感じないが、題材の選び方や、限られた文字数で容量よくまとめる腕は職人の業というべきである。

Ranseniikiru

| | コメント (0)

2021年3月19日 (金)

廃止駅の不思議と謎

国鉄・私鉄・JR 廃止駅の不思議と謎/伊原薫、栗原景(じっぴコンパクト新書,2019)
 鉄道系雑学本。テーマが「廃止駅」とかなり狭い範囲に絞られているが、それだけでも本が1冊できるのだから、この世界はまだまだネタが尽きないらしい。
 本書に登場する廃止駅は100近くある。地域的には、北海道や関東、関西に多く、四国にはなぜかひとつだけ。それも臨時駅の津島ノ宮なので、正確には廃止駅ではない。以外にも、登場する廃止駅の数では東京が一番多い。

 ところで廃止駅といっても、廃止の理由も現状も実にさまざま。
 理由で一番多いのは、路線自体が廃止されたもの。
 続いて、駅の利用があまりに少なく、廃止されたもの。北海道に多い。信号場に格下げされたケースもある。
 線路のつけ替えにより、旧線の駅が廃止されたもの。この場合、駅自体は移転して存続していることが多い。
 他には、設備更新費用がかかりすぎるため廃止されたとか(阪堺電車上町線)、車両の重要過多で運行休止になったとか(ドリーム交通ドリーム線)、変わったパターンもある。
 また、廃駅後の状況についても、跡形もなくなった駅もあれば、観光名所として再生されたところもある。
 北海道など過疎地の駅では、森に埋もれて形跡もわからないところがある。自然消滅パターンとでも言えるだろうか。また、町中の駅でも、大阪の片町駅、湊町駅などは跡地が再開発されて場所もほとんどわからなくなっている。これは「上書き」されて消滅したパターンである。
 一方では、駅舎などを生かして廃駅を観光地にしたところもある。北海道の増毛駅や幸福駅、広島の三段峡駅、宮崎の高千穂駅など。北海道の北見相生駅、中湧別駅、石川の輪島駅などは、駅は駅でも「道の駅」に生まれ変わっている。青森の大畑駅、福島の熱塩駅なども、地味だが地元の人によって保存、活用されている。
 ――などと、知らない「廃駅の世界」が展開されている。思ったより興味深い内容だった。
 ただ、内容に体系性がなく、全体的に雑駁な印象はある。雑学本だから仕方がないか。せめて駅名の50音順インデックスくらいは欲しかったところ。

Haishieki

| | コメント (0)

2021年3月15日 (月)

上杉謙信

上杉謙信/井上鋭夫(講談社学術文庫,2020)
 原著は1966年の出版。今から半世紀以上前に出版された上杉謙信の伝記である。
 解説によると、内容には今の最新の研究成果から見ると古い部分もあるらしい。だが、上杉謙信という人物について、その祖先も含めた出自や事績がよくわかる1冊になっている。実のところ、謙信というのは川中島で武田信玄と戦った以外、何をした人物なのか、今ひとつイメージがわかない気がするのだ。その意味では手頃な「謙信入門」本と言える。
 内容は全10章だが、実はそのうち前半の5章が、上杉謙信登場以前の越後の情勢を語ることに当てられている。
 この時代の越後は関東と深く結びついていた。関東を実質支配するのが(名目上は関東公方がトップ)関東管領上杉家、その下で家宰を務めるのが関東長尾家。そして、越後も守護を上杉家、守護代を長尾家が代々務めていた。関東も越後も、上杉家-長尾家というラインで統治されていたわけである。実際には内輪もめが絶えなかったのだが。
 この越後上杉家を打倒して越後の実質支配者となったのが、上杉謙信の父親である長尾為景。守護上杉房能、関東管領上杉顕定と、主筋に当たる上杉家当主を二人まで敗死させた梟雄。本書はこの下克上の見本みたいな為景の活躍にもかなりのページを割いている。
 上杉謙信本人は、第6章の120ページ、全体の4割くらい過ぎたところで、やっと表舞台に登場する。そこからの本書後半は、謙信の戦いに明け暮れた生涯を語る。
 最初の頃は越後国内の抵抗勢力と戦い、国をまとめてからは、関東方面で北条家と戦い、信濃で武田信玄と戦い、越中・加賀方面で一向一揆や土着勢力と戦う。よくこれだけ戦争ばかりやっていたものである。
 上杉謙信と言えば、戦えば無敵みたいなイメージが一般的にはあるようだが、実のところ武田も北条も、強大すぎる敵だった。「武田信玄といい北条氏康といい、どのひとつをとってみても景虎の手に余る相手であった」と、著者の目はきびしい。
 謙信は確かに戦場では強かったかもしれない。だが戦国大名としての総合力については、著者はあまり高く評価してないようだ。本書から浮かび上がってくる謙信像は、どちらかというとただの戦争マニアに近い。理想化された謙信像を求める人には、本書は不満の残る内容かもしれない。
 ブログ主にとっては、正直言ってむしろ父親の長尾為景の人生の方が、波瀾万丈で面白い気がする。何より、為景には強烈な悪の魅力みたいなものがある。

Uesugikenshin

 

| | コメント (0)

2021年3月11日 (木)

カラ・ブラン

カラ・ブラン 黒い嵐/鈴木了三(皆美社,1977)
 前回に続いて、珍品と言っていいだろう。というか、この本の存在を知っている人はほとんどいないのではないかと思われる。
 著者鈴木了三は、他に『中国怪異集』とか『中国奇談集』という本を出しているので、中国が専門の人らしいが、経歴とか一切不明。出版社も聞いたことがない(今でも存在はしているらしい)。
 そんな得体の知れない本だが、何十年も前から持っていたのが不思議である。どこで買ったのか全然覚えてない。
 内容は、紀元前2世紀の匈奴の王、冒頓単于を主人公にした歴史小説。古代の話なのでやや神秘がかってはいるが、そんなに突飛な内容ではない。

 物語は匈奴と対抗する国家「月氏」の都城から始まる。
 匈奴の頭曼単于の長男冒頓は、継母の邪壱に疎まれ、月氏への人質に差し出されていた。そんな逆境の中でも、冒頓は月氏の王女阿美奈(可汗・姑利泥の娘)と親しくなったり、祭りの武術比べで優勝して可汗から名馬をもらったりする。
 やがて匈奴の兵が月氏に攻めて来る。人質の冒頓が殺されてもかまわないという、邪壱の差し金だった。しかし冒頓は阿美奈の助けを借り、戦の混乱にまぎれて名馬とともに都城を脱出する。
 匈奴に帰国した冒頓の人気は大いに上がった。自分の子の布安を跡継ぎにしたい邪壱は、ついに冒頓の暗殺をたくらむ。冒頓は毒に倒れるが、侍女の野うさぎに助けられてかろうじて命をとりとめる。生きるためには頭曼を殺すしかないと腹を決める冒頓。策をさずけるのは野うさぎ。実は野うさぎは匈奴のライバル部族「東胡」の娘。頭曼を親の仇と狙っていたのだった。
 狩りに誘い出された頭曼は、冒頓とその部下の矢で殺される。しかし野うさぎも流れ矢で死んでしまう。
 頭曼に続いて邪壱と布安も殺される。血を血で洗うような争いの果てに、冒頓はついに単于になる。――と、ここまでが約半分。
 後半は、匈奴を大帝国に成長させた冒頓単于の事績そのままの、戦いに次ぐ戦いの物語である。東胡を破って東に追い、月氏の都城を襲って激戦の末にこれを陥落させる。
 かつて冒頓を助けた阿美奈は、月氏の都から脱出し、祁蓮山を根拠地として匈奴と対抗するという道を選ぶ。冒頓は、「祁蓮山にこもっておれを狙うのが姫の願いなら、甘んじてそれを受けよう」と、阿美奈の侍女丹羅に語る。
 ここからまたドラマが始まりそうなのだが、この物語はここまで。
 月氏への遠征から帰路につく冒頓の一行を、砂嵐カラ・ブランが襲う。カラ・ブランとはゴビ砂漠に吹きすさぶ嵐のことなのだ。
 そして、カラ・ブランが去った後には、死の沈黙だけが残っていた――というところで終わり。冒頓は砂嵐の中で死んでしまったような書き方である。
 実際には、冒頓単于の活動はこの後も続く。このラストだけがなぜか現実離れしているのである。歴史の虚しさみたいなものを象徴しているのかもしれない。

 

 

| | コメント (0)

«太陽が消えちゃう