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2008年3月16日 (日)

日本語の相場

日本語は生き残れるか 経済言語学の視点から/井上史雄(PHP新書,2001)
 「経済言語学」というのは聞き慣れない言葉だが、まだ新しい学問で、この本が出た時点では「名前もまだ確立していない」段階だっととのこと。今はどうかというと、Googleで「経済言語学」を検索しても1300件くらいしかヒットしないので、やっぱりまだ一般的にはなってないようだ。
 その経済言語学だが、「言語市場」、「言語の市場価値」、「言語産業」などを論じるのだそうだ。伝統的な言語学の世界では、「言語に上下の区別はない」、「すべての言語は平等である」ということになっている。が、それは建前、実際には世界の諸言語には上下の序列があり、市場価値の差があり、もっと言ってしまうと弱肉強食の現実がある、その現実を認めるところから始まる学問ということらしい。
 市場価値という点からいうと、現在の世界では英語が圧倒的な優勢を占めている。日本は今のところほとんど日本語だけでやっていけるが、それでも場面によっては英語に頼らざると得なくなっている。航空管制はすべて英語だし、国際会議ではどこの国の人間も英語を使う。理系の学問分野では、研究業績として認められようと思ったら英語で論文を書かなければいけない。
 著者によれば、英語帝国主義の勢いは止めようがないが、かといって英語を第二公用語にしたりするのは、日本語を守るためにはやめた方がいいそうだ。「第二」であっても、もし英語を公用語にすると、市場価値の高い英語がどんどん日本語を浸食することになるらしい。何もせずにほっておくと日本語の地位は低下していくのだが、ではどうすればいいかというと、結局著者は日本語を大切にするというありきたりのことしか言ってない。このへんはややはぐらかされた感じである。

 それよりおもしろかったのは、言語の難易度や外来語の影響度を客観的に分析している第四章「日本語の難しさ」。
 同じ時間を言語学習に費やしても、初級にしか到達できない言語と上級まで到達できる言語がある。つまり学習時間の投資効率が違う。投資効率が高いほど、難易度が低い=経済的なのだ。これはいかにも「経済言語学」の名にふさわしい考え方である。
 もちろん、学習の難易度といっても絶対的なものではなく、英語やドイツ語やフランス語を学習するのは、同じヨーロッパ系言語を母語とする人間にっとては難易度が低く、アジア系にとっては難易度が高い。韓国人にとっては文法が似ている日本語は相対的に難易度が低い。一方で、ヨーロッパ系にもアジア系にも難易度が高い、「絶対的難易度」の高い言語、逆に低い言語もあるのだそうだ。絶対的難易度の高いのはアラビア語、低いのはスワヒリ語やインドネシア語だとか。
 日本語の絶対的難易度は、発音は簡単、文法は中位(文法の難易度は教科書の厚さで判断できるのだそうだ)。ただ、語彙の面では難易度が高い。日本語では使用頻度上位千位までの単語を覚えても、新聞や雑誌で使われる語彙の6割しかカバーできないが、フランス語やスペイン語では千語で8割までカバーできる。つまり語彙の効率が悪い。その理由は類義語の多さにある。同じような意味を表現するのに、和語、漢語、外来語と系統の違う言葉を微妙に使い分けているため、他の言語の2倍、3倍の語彙が必要になるのだ。
 確かに、考えてみれば、「数」というもっとも基礎的な語彙でさえ、「ひとつ、ふたつ、みっつ…」という和語、「いち、に、さん…」という漢語、「ワン、ツー、スリー…」という外来語を場面によって使い分けている。こんな言語は日本語くらいだろう。逆に言えば、それだけ表現力が高いともいえるのだが。
 結論として、日本語の絶対的難易度は、「決して低くはない」というところだろうか。相対的難易度も、欧米人にとっては高い。一方で、世界有数の言語人口を持ち、経済力や大衆文化での影響力はけっこう高い日本語。
 で、結局、日本語は「買い」だろうか? 今後の相場の行方が気になってくる。

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