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2008年8月18日 (月)

漢字三昧

漢字三昧/阿辻哲次(光文社新書,2003)
  「柿」(かき)という漢字はまあ、誰でも知っている。でも「こけら落とし」の「こけら」を漢字で「柿」と書くことは、知らない人が多いかもしれない。実はこの二つの漢字は、一見似ているようで実は違うということは、もっと知らない人が多いだろう。もっとも、上の字は、「こけら」がJISにないので、両方とも「かき」だが。
 「かき」の旁(つくり)は、上の飛び出してる部分が「点」、その下が縦棒。一方「こけら」の旁の縦棒の部分は、上から下まで一本線である。ゴシック体のフォントだと、まったく同じだが。
 この二つの文字の微妙な違いの話は、本書の「まえがき」に出てくる。この漢字の専門家は、そのことについて蘊蓄を述べているのではない。そんな細かい知識を自慢そうに語る漢字マニアたち、あるいは漢字崇拝者たちを批判しているのだ。「漢字の知識が豊富であればあるほど、それだけ他人から敬意をもって眺められるという傾向」について、実に困ったことだと言っている。「かき」と「こけら」の違いを知っているかどうか人に聞くのは、ケプラーの法則を知ってるかどうか聞くのと同じくらい、「現実生活からかけ離れている」と。「私はそのことを訴えたくて、この本を書いた。
 ところが、この後に続く六章からなる本文のうち、「そのこと」について書いているのは、第一章「知っててエラいか? 難字・奇字」だけである。 

 現実にはほとんど使われなかった奇妙な漢字に関して、知ったかぶりのムダな知識をひけらかし、それで他人を煙に巻いて溜飲を下げるというのは、まわりの人間にとっては迷惑以外のなにものでもない、と私は考える。

 と、さすがにこの章では、誰も知らないような漢字トリビアや、難字奇字に関する知識をひけらかしてうれしがってるマニアたちへの批判が手厳しい。
 が、この第一章の最後で作者は、そんな迷惑な漢字マニアたちに材料を提供している難字・奇字がなぜ作られてきたか、「そのメカニズムと背景を分析する」と宣言して第二章以下に突入する。何のことはない、マニア批判は枕に使われているだけなのだ。
 後は、第二章「誰知るや、漢字の総数」、第三章「『中華字海』――八万五千五百六十八字の"海"を泳ぐ」は、漢字というのは全部でどれくらい数があるのか、という話。特に第三章のテーマである、収録語数史上最高の漢字辞書『中華字海』についての話は、総ページ数の3分の1を占め、本書の中心的話題をなしている。実のところ、『中華字海』がネタとしてなければ、この本は成立しないとと言っていい。
 第四章「漢字が生まれるメカニズム」は漢字の起源、第五章「部首法、痛し痒し」は、部首検索法の発展とその限界、第六章「異体字――混乱の"張本人"」は異体字を巡る問題の数々について書かれている。「まえがき」に書いてある「そのこと」は、もうどこかに忘れ去られているようだ。「あとがき」にも出てこないし。
 そのかわりに、「あとがき」を読むと、辞書には載っているけれど実際には使われたことのない大量の難字・奇字について、「それを漢字文化の鬼子、と私は呼びたい。」と書いてある。そんな難字・奇字についていくら知識を集めても、何の役にも立たない、と言いたいようだ。
 結局この本は、漢字がいかに多いか、なぜそんなに増えたのか、を紹介する内容である。だがそれは、漢字マニアたちにトリビアの材料を提供しているだけのような気がする。「かき」と「こけら」の違いだって、知ればひけらかしたがるに決まってるではないか(このブログを見ればわかるとおり)。だいたい、『漢字三昧』という、いかにもなタイトルに釣られて本を買うような読者に、何を期待するというのだろう。
 まあ、作者の意図はともかく、釣られて買った読者たちは、自分のことを批判されているようで不愉快に感じる、というのでなければ、楽しめるはずである。

漢字三昧 (光文社新書)

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