捕虜たちの日露戦争
捕虜たちの日露戦争/吹浦忠正(NHKブックス,2005)
戦争になれば当然捕虜という存在が生まれる。日露戦争でも、敗れたロシア側に7万人を超える膨大な数の捕虜が出たのはもちろんのことだが、日本からも約2000人の捕虜が出て、ロシアのメドヴェージ村に収容されていた。
著者は公文書や日記などの資料や現地取材により、捕虜たちの経歴、収容所での生活、帰国とその後の状況などを丹念に調べている。労作である。特に前半部分の、メドヴェージ村の日本人捕虜たちについての記述は、これまでほとんど知らなかった部分で、目新しかった。
一方、日本が捕虜にした外国将兵については、この後の第一次世界大戦でのドイツ人捕虜を、徳島県の板東収容所で厚遇したことが、映画にもなったくらい有名である。が、この本によれば、ロシア人捕虜も自由散歩や観劇を許されたり、大量の慰問品が送られたりして、結構寛大に扱われていたという。大阪の浜寺(今の浜寺公園のあたり)に、2万人以上を収容する最大の収容所(テント村だったらしい)があったというのも、この本で初めて知った。だいたい、第一次大戦の時のドイツ人捕虜より、日露戦争の時のロシア人捕虜の方がはるかに数が多いのに(というか、日本が歴史上抱えた最大の捕虜集団だろう)、知られてなさ過ぎるのではないか。(私が知らないだけかもしれないが...)
日本の捕虜生活についても、個人の記録を元にきわめて具体的に書かれているが、労役もなく待遇はよかったようだ。食料は肉も含めて不足なく供給されており、紅茶は飲み放題、時々は酒も支給され(将校はいつでもビールが飲めたそうだ)、時間を決めて市中に買い出しに行くことも認められていた。日本人捕虜の一人は、収容所の周辺をかなり自由に歩き回って大量の写真を撮っており、この本の貴重な資料になっている。ちなみに、ロシアでの捕虜収容所というと、第二次大戦の印象ですぐシベリアを連想するが、メドヴェージはロシア本土、モスクワとサンクトペテルブルクの中間くらい、古都ノヴゴロドの近くにある。もちろんロシアだから冬は厳しいが、シベリアほど過酷な環境ではなかったわけだ。まあ、別に捕虜たちの健康のためにメドヴェージに収容したわけではないのだが。(なぜ遠く離れたロシア本土に捕虜たちを連れてきたかについては、ちゃんと理由が説明してある。)
両国ともに後の第二次大戦の時とはえらい違いである。
ただ、日本に帰国した捕虜が冷たい目で見られたり、サハリンでロシア人捕虜の殺害事件があったりという暗い面も、著者は忘れることなく書いている。とはいえ、この時代は全般的に日本もロシアも捕虜に対してかなり人道的な扱いをしていたことは間違いないようだ。日本での、捕虜になったことを恥辱とするという観念も、後の時代ほどはきびしくなかったらしい。
この頃はまだ余裕があったということなのだろうか。捕虜の扱いについて、第二次大戦やその後の歴史で起きたことを思うと、人類は歴史に学んでないとしか思えない。
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