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2009年2月22日 (日)

山田風太郎の八犬伝

 本ブログ初登場、山田風太郎。山田風太郎といえば、忍法帖シリーズだが、ここではあえてそれ以外の作品から取り上げる。
 自分で言うのも変だが、このブログで取り上げる本は、どちらかといえばマイナーな、他の人があまり感想など書かないような本が多い傾向がある。それほど意図しているわけではなく、なんとなくそうなってしまってるだけだが。

八犬伝(上・下)/山田風太郎(朝日文庫, 1986)
 単行本は1983年。元は朝日新聞の連載小説で、そのせいか忍法帖シリーズほどの破天荒さはなく、山田風太郎の小説にしては穏健。
 だが、構想は凝っていて、戯作者・滝沢馬琴の生きる江戸時代の市井の世界を描く「実の世界」と、馬琴の創造する八犬伝の物語世界を描く「虚の世界」という入れ子構造からなる、メタフィクション的構造になっている。
 実は、その上にさらに、作者・山田風太郎が解説や感想を書く「作者の世界」というレベルがあって、ますますややこしくなっている。
 1990年代初めに、筒井康隆が同じ朝日新聞に『朝のガスパール』を連載し、読者まで巻き込んだメタフィクション性が話題になったが、本作は新聞連載メタフィクションの走りと言えるかもしれない。
 が、別に読む上ではそんなことを考える必要はなくて、実質的にメインになっているのは、『八犬伝』という前代未聞の大長編を書こうとする滝沢馬琴の苦闘の物語である。だから、「ところどころ『八犬伝』のダイジェストが出てくる、滝沢馬琴を主人公にした歴史小説」と考えてそう間違いではない。
 とはいえ、この作品で語られる『八犬伝』前半のストーリーダイジェスト版は、まとめ方の巧みさもあって、なかなかにおもしろい。これだけ読みやすい『八犬伝』は他にないのではないか。本筋である作者馬琴の言動、その偏屈ぶりも、『八犬伝』の物語に輪をかけるくらいおもしろいのだが。
 上巻では『八犬伝』物語も、馬琴の執筆も順調に進む。が、下巻に至って、滝沢馬琴の人生は次第に破綻していく。それでも、もはや人生そのものとなった、文字通りのライフワーク『八犬伝』だけは執念で書き続けるのだが、その八犬伝の物語世界も、年老いた馬琴の脳の衰えに従って破綻していくのだった―というのが作者の解釈。
 ただ、その証拠として、里見家のものになっているはずの館山が他の領主のものになっている矛盾をあげるのだが、八犬伝関係のウェブサイトなどを見たところ、物語後半に出てくるのは上総館山で、物語の最初に出てくる安房館山とは別だという。そういえば、本文中にも「上総の館山」と書いてある。細かいことではあるが、山田風太郎ほどの人にして、綻びを見せることもあるのか。この作品を書いた時山田風太郎は60代半ば。どこかで馬琴と自分とを重ねていたのかもしれない。
 それはともかく、八犬伝の物語そのものが、後半は作者も根をあげるほど冗長きわまりないのは事実らしい。ダイジェスト版も途中でいやになったのか、中途半端である。よほど読みにくかったのだろう。
 ともあれ、本書は「馬琴とその時代」を描く小説であるとともに、八犬伝入門でもあり、二つの物語が同時に読めてお得な作品であることには間違いない。

 なお、山田風太郎には『忍法八犬伝』という作品もあるが、本作とは全然関係ない(らしい―読んだことないので)。

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