« イニシエーション・ラブ | トップページ | 7月に読んだ本から »

2010年8月10日 (火)

日本語は天才である

日本語は天才である/柳瀬尚紀(新潮文庫,2009)
 『フィネガンズ・ウェイク』の訳者、柳瀬尚紀の日本語をテーマにしたエッセイ集。
 ところで、日本語が天才というのは、どういう意味なのか。まえがきを読んでもよくわからない。「実をいえば、ぼくには天才を定義できません」なんて書いてあるし。ただ、その少し前に書いてある「最大の奇跡は日本語である――少なくとも、日本人にとって」というあたりに、著者の本音が一番よく出ているのだろう。
 翻訳者である著者に、数々の奇跡をもたらした日本語について、何かを書きたかったのである。前に紹介した『辞書はジョイスフル』(2008年7月17日のエントリー)で、辞書について、どうしても何か書きたかったように。
 とはいえ、著者は言語学者ではないので、そんなに系統だったことは書いてない。翻訳をしながら、あるいは日常の中で気づいた日本語のあれこれについて、一見とりとめもなく書きつづっている。
 第一章「お月さんはなぜ怒ったのか?」は、著者の本業である翻訳に関した話題。著者がある本(多分、童話)を訳していた時、太陽が月に語りかけ、それを月が聞き違えて怒るというシーンがあった。
 太陽が"You are a full Moon"と言ったのを、月は"You are a fool Moon"と聞き違えたのだ。この"full Moon"(満月)と"fool Moon"(バカの月)を単に訳するのは簡単。だが、著者はこのよく似た発音の英語を、日本語でも聞き違えるような言葉に訳しようと、毎日考え続けた。
 そのあげく、たどり着いたのが、文語。「されば、かの満月か」。月がどう聞き違えたのかは、わかると思う。(わからなければ本書の17ページを読むこと。)
 「この翻訳ができあがったとき、ぼくは何よりもまず、日本語に感謝しました」と、著者は言う。自分のひらめきを誇るのではなく、日本語そのものの功績にするところがいい。そういえば、『辞書はジョイスフル』でも、ずいぶん辞書に感謝してたような。
 この第一章には、著者の日本語と翻訳に関する姿勢が濃縮されている。
 第二章以降、話題は次々と飛ぶ。第二章「天才と漢字の間柄」は、日本語と切っても切れない漢字について。第三章「平和なことば・日本語」では、日本語に罵倒語が貧弱な件について。天才でも苦手な分野はあるのだそうだ。
 第四章「「お」の変幻自在」は、敬語・丁寧語表現について。第五章「「かん字のよこにはひらがなを!」は、ルビについて、というかルビ礼賛の話で、この章だけがオールルビつき。
 第六章「あずましい根室の私」は、方言の話で、最初の方は根室弁で書いてあり、よくわからない。
 第七章「シチ派VSナナ派 真昼の決闘」は、「七」の読みについて。昔、「七」はシチと読むのが普通だったが、だんだんとナナに取って代わられているのだそうだ。漢語で使われる「七」の正統な読みは、あくまで「シチ」だというのが著者の立場。
 最後の第八章「四十八文字の奇跡」は、アナグラムについて。言葉使いとしての著者の超絶技巧が炸裂している。
 読み物としておもしろかったのは、第五章や第七章だが、言葉遊びの粋を尽くした第八章も読みごたえがある。
 日本語は天才かもしれないが、それを使いこなすのも、また天才の技が必要だ、ということがわかる。

日本語は天才である (新潮文庫)

|

« イニシエーション・ラブ | トップページ | 7月に読んだ本から »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« イニシエーション・ラブ | トップページ | 7月に読んだ本から »