« 武士の紋章 | トップページ | せどり男爵数奇譚 »

2012年7月31日 (火)

日本語という外国語

日本語という外国語/荒川洋平(講談社現代新書,2009)

 日本語教育の現場から生まれた作品というと、ベストセラーになったコミックエッセイ『日本人が知らない日本語』がすぐに思い浮かぶ。本書もまた、著者の長年にわたる日本語教育の経験から生まれた本には違いないのだが、そういった現場でのエピソードはほとんど出てこない。基本的には言語学に日本語の特性を分析する、かなり専門的な内容の本である。
 それもそのはずで、著者は20年以上外国人に日本語を教えてきた「日本語教育のプロ」であると同時に、認知言語学を専門とする言語学者でもある。
 だが、そこは新書なので、基本的にそんな難しいことは書いてない。なかなか奥は深いが。

 第1章「日本語はどんな外国語か?」では、序説として、世界の中での日本語の言語としての特徴を説明する。難しい点として、単語の数が多い、敬語などの待遇表現が発達、表記が複雑。簡単な点は、発音、動詞の活用など――といった話。このへんは、言語としての日本語についてある程度興味を持っている人なら、すでに知っていることが多いだろう。
 第2章「日本語の読み書きは難しい?」から、「外国人にとっての日本語」というテーマが本格的に入ってくる。外国語教育と、著者の専門である認知言語学が融合して、日本語の特性を描き出していく。この章は、世界的に見てユニークな日本語の表記について。
 個人的に一番おもしろかったのが、次の第3章「日本語の音はこう聞こえる」。日本語というのは、カナの1文字が1音節だと、これまでなんとなく思っていたのが、くつがえされる。いや、1文字1音節でも発音できるのだが、それでは日本語らしく聞こえない。本書の説明によると、日本語は「単音節」と「長音節」の組み合わせで発音することにより、「いかにも日本語らしいと感じられる、独特の響きを生み出し」ているのだという。
 言われてみれば確かに、「1文字1音節」で発音した日本語は、まるでロボットがしゃべっているみたいに感じられる。この章はけっこう目からウロコが何枚も落ちる。
 第4章「外国語として日本語文法を眺めてみると」は、日本語の基本文型を中心とした文法論。「これはペンです」という文章が外国人(といっても、欧米人だが)にいかに異様に感じられるか、という話から始まる。
 第5章「日本語表現のゆたかさを考える」。タイトルは「表現」だが、内容は文法論の続きみたいなもの。
 テンス、アスペクト、ムード、ボイスといった文法カテゴリーを駆使しながら、「練習させられていたらしいよ」という言い回しを例に、そこにいかに複雑な内容が含まれているかを解析する。
 ちなみに、「させられていたらしいよ」は六つの要素からなり、その中にはボイスに関する表現が二つ、アスペクトとテンスの表現が一つずつ、ムードに関する表現が二つ含まれているのだとか。
 第6章「日本語教育の世界へ」は、それまでの日本語論とは一変して、日本語教育入門。外国人に日本語を教える教師になる道を、親切に案内してくれる。著者は日本語教師の養成にもかかわっているのだそうだ。

 日本語論の本は数多く出ているが、大半は日本語学者、文学者、翻訳家など、日本語の専門家である日本人によるもの。たまに、外国人の目から見た日本語論がある。
 本書のユニークなところは、日本人の書いたものでありながら、外国人の視点を取り入れているところだろう。
 ただ、もっと多くの人に日本語教育の道に進んでほしい、という意図も著者にはあったのだろうが…。本書を読んで、日本語の奥深い性質が次々と明かされるのに興味は持っても、こんなややこしいものをとても外国人には教えられないよなあ――としか思えないのだった。著者には日本語教育についての著書がすでに何冊もあるので、本書は完全に日本語論だけに徹してもよかった気がする。

|

« 武士の紋章 | トップページ | せどり男爵数奇譚 »

コメント

拙著のご紹介とご批評、ありがとうございました。ご指摘のとおり、文法のあとは意味論・語用論を入れて日本語学全般にふれたかったのですが、読者層を広げたい編集部の意向もあり、このような形になりました。慧眼に驚くとともに、御礼申し上げます。

投稿: 荒川洋平 | 2012年12月31日 (月) 16時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 武士の紋章 | トップページ | せどり男爵数奇譚 »