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2013年5月 4日 (土)

翻訳語成立事情

翻訳語成立事情/柳父章(岩波新書,1982)
 幕末から明治にかけて、西洋文化が急激な勢いで流入してきた時、新しい事物に対応するため、日本人は漢字による新造語を作り上げていった。「物理学」とか「哲学」とか「民主主義」とか「憲法」とかいった学問や政治の世界で使われている用語の多くがそういった翻訳語であることはよく知られている。
 そうした漢字による翻訳語を大量に作成した結果、日本は非西洋諸国としては珍しい、自国語だけでの高等教育を可能にした。そのことは当時の日本人の偉業として讃えられることが多いし、確かにそういう側面を忘れることはできない。本書もタイトルからは、そういう翻訳語を生み出した祖先の叡智のすばらしさを語る本のように見える。
 だが、本書はそんな翻訳語一般についての解説書ではないし、翻訳語のすばらしさを讃える内容でもないのだった。本書は、今日では誰でも知っているような10の翻訳語を取り上げて、その成立事情や使用の歴史を探っている。対象を絞ることによって、一つ一つの言葉を深く掘り下げていくという方針である。そして、タイトルからはなかなか予想できないのだが、日本人と翻訳語との関係に向ける著者の視点は相当批判的なものである。

 本書で取り上げられた10の言葉のうち、初めの六つ「社会」「個人」「近代」「美」「存在」は、翻訳のために作られたまったくの新造語。残り四つ「自然」「権利」「自由」「彼、彼女」は元々日本で使われていた言葉に、翻訳語として新しい意味が与えられたものである(ただし「彼女」は新造語だそうだ)。後の四つも、今では翻訳語としての意味が普通になっている。
「社会」や「個人」が新造語として作られなければならなかった理由は、当然ながらそれに当たる概念が日本語になかったからである。福沢諭吉もこの二つの言葉「society」「individual」には苦労したそうで、「社会」は「人間交際」と訳していたし、「個人」は「人」「人各々」「一人の民」「人々」「人民」などと文脈に応じて訳し分けていたそうだ。
 それが現在ではすっかり定着しているわけだが、果たして今の日本人はその本当の意味をわかって使っているのだろうか、と著者は問いかける。例えば「個人」が「individual」を意味するというのは翻訳者の作った約束事であって、多数の読者にはわからない。「分らないのだが、長い間の私たちの伝統で、むずかしそうな漢字には、よくは分らないが、何か重要な意味があるのだ、と読者の側でもまた受け取ってくれるのである」と著者は言い、これを「カセット効果」と呼んでいる。そして結局、多くの読者は、西洋の伝統が生み出した「individual」の語が本当に意味するところはわかってないのだ。
 本書で取り上げられた言葉の多くが、こうした「カセット効果」を生み出すことによって使用されている。現在では漢字ではなくカタカナ言葉が「カセット効果」を持っているようだが。
 また、「自然」など後半の四つの言葉になるとまた話はややこしくなる。本来の日本語として使われていた意味と、翻訳語としての意味が混在し、独特のニュアンスを生み出す。今でも「自然に」という副詞の形は「おのずからそうなる」という本来の意味で使われていて、「nature」とは関係がない。しかし「nature」の訳語であるはずの「自然」にも、そんな本来の意味がいくぶんか紛れこんでいる。さらに上述の「カセット効果」も作用して、元の外国語が持っていたはずの意味に複雑な歪みや矛盾を生じさせているのだ。
 今の日本人がカタカナ語を使ってわかったつもりになっているのと同じような現象が、漢字の翻訳語についても起きていた。いや、漢字である程度意味が想像できるだけに、さらに余計な先入観がまぎれこんで問題をややこしくさせていたとも言える。
 そういった翻訳語のはらむ問題点、というか、その言葉を使用する日本人の思考や態度にひそむ問題点を、著者は10の言葉をサンプルとして、一つ一つ丁寧に解析していく。タイトルを『翻訳語解体新書』とでもした方がよかったかもしれない。
 だからといって今更翻訳語を使わないわけにはいかないのだが、それだけに、本書が提示しているような翻訳語にからむ問題点を知っておくことは重要なのだろう。30年以上も前に出た本だが、翻訳語を通じた卓抜な日本語論、日本人論でもある本書の議論は、今でも十分通用する。

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