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2013年5月21日 (火)

筆順のはなし

筆順のはなし/松本仁志(中公新書ラクレ,2012)

 筆順というのは何のためにあるのか、という疑問は誰もが持って当然だと思う。
 手書きで漢字を書くことも滅多になくなり、筆順を気にする機会は減る一方。たまに文字を手書きする場合でも、書く側も読む側も読めさえすればいいのであって、筆順を間違えたからといって、困る事態もそんなにあるとは思えない。ただ、自分で書いた手書きメモが後で解読できないくらい字が汚いのは、ひょっとして筆順がデタラメなせいなのだろうか、なんてことをちらっと思ったりはするが。

 筆順が重要な意味を持つのは、小学校の教室を除いては、書道の世界くらいではないだろうか。確かに、書道で筆順を間違えるというのはとんでもないことである(と思う、多分)。
  時には、筆順の間違いがとんでもない窮地を招くこともある(マンガの話だが)。
      

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   河合克敏『とめはねっ!』2巻(小学館,2007) p.20

 逆にいうと、現代社会で筆順が問題になるのは、書道をやっている人くらい、ということである。他には、クイズとかそういうものしか思い浮かばない。
 にもかかわらず、学校では「正しい筆順」なるものが、国語教育の重要な要素の一つとして教育されている。それは何のためなのか。だいたい、筆順というのはいつ頃誰が決めたものなのか。
 考えてみれば、身近でありながら縁が遠く、わかっているようで謎の多い筆順である。筆順とはそもそもどういう意味があり、どのようにして成立したのかという基本から、国際比較、日本での教育史、そして正しい知識に基づく筆順の教え方――などを説明したのが本書。

 内容は4章構成。

 第1章「そもそも筆順とは」
 第2章「筆順の歴史」
 第3章「筆順をどのように教えてきたか」
 第4章「筆順はこのように教えよう」

 第1章、第2章は、筆順というものにこれまで特に興味がなかった自分にとっても、けっこう面白い内容。特に筆順の意義や、その成立の歴史は初めて知ることだらけだった。例えば、見ただけで筆順がわかる草書や行書に「筆順」を定める必要はなく、「楷書」の誕生が筆順の必要を生んだ――とかいう話とか。筆順は自然発生したものではなく、試行錯誤を繰り返しながら、「あとづけ」で作られてきたという歴史とか。
 海外(といっても、漢字を日常的に使っている中国、台湾くらいだが)との比較も興味深い。日本での基準と、中国、台湾での基準が違っていることが結構あるのだ。筆順が絶対のものでないことがよくわかる。「必」の筆順など、日本・中国・台湾でそれぞれ違う。(余談だが、日本で基準とされている「必」の筆順を知らなかった。)
 また、日本では「右」と「左」の「ナ」の部分の筆順は違うと教えているが、中国と台湾では両方とも一緒である(「一」「ノ」の順番で書く)。これは日本の方が、古代から伝わる漢字の成り立ちに忠実なためなのだとか。
  ところが、第3章以下はどちらかというと、文字教育の現場にいる人向けである。特に第4章は完全に教育技術論で、教員に向けて書かれていることが明らか。著者は国語教育の専門家なので、この後半こそが本当に書きたかったことなのかもしれないが。
 結局、半分が筆順概説、半分は先生向けのガイドブック――という折衷的な内容の本になっている。一般の読者にとっては、前半だけでも読む価値はある。

 それにしても、本書の「筆順」に限らず、「横書き」(1)とか「振り仮名」(2)とか「濁点」(3)とか、日本語の表記には、それだけで本一冊になるようなテーマが多いと、つくづく思う。それだけ、日本語の表記が世界にもまれなほど複雑だということなのだろうが。

 (1)『横書き登場』(2007年9月3日のエントリー)
 (2)『振仮名の歴史』(2009年8月11日のエントリー)
 (3)『てんてん 日本語究極の謎に迫る』(2012年8月27日のエントリー)

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