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2013年12月 9日 (月)

外国語の水曜日

外国語の水曜日 学習法としての言語学入門/黒田龍之助(現代書館,2000)
 現在はフリーの言語学評論家・ライターとして知られる著者だが、この本を書いた当時は東京工業大学でロシア語を教えていた。その頃は30代前半、少壮の言語学者にして語学教師だったわけである。
 本書は、そんな大学での語学教育の経験をベースにした、外国語にまつわるエッセイ集。サブタイトルには「言語学」とあるが、そんな固いものではない。

 内容は4章構成で、章ごとにかなり性質の違う文章が収められている。

第一章「水曜日の外国語研究室」
 著者の研究室に集まってくるユニークな学生たちとの交流を軸にしたエッセイ。集まる時間がだいたい水曜日の午後だったのが、本書のタイトルの由来になっている。著者の身辺を題材にしながら、外国語学習の本質を巧みに語っている。
 工業大学なので、研究室に集まる中に、言語を専攻する学生はもちろん一人もいない。だから利害関係がないというか、純粋に外国語に興味のある学生だけが集まってくる。完全に趣味のサークルである。外国語サロンと言ってもいい。ただ、工業大学のため学生が男ばかりで、光景を想像するとややむさ苦しいが。

第二章「外国語幻想」
 外国語についての様々な思い込みや幻想を次々と斬って捨てるエッセイ。
 例えば、「難しい言語、易しい言語というのはあるのか?」、「語学の才能のある民族はいるのか?」、「外国語は幼いうちに始めないとダメか?」、「現地に行けばなんとかなるのか?」、「どうして道を教えたがるのか?」――など。しかし文章のタッチが柔らかいので、そんなに辛口には感じない。
 中でも、「「日常会話」という幻想」での指摘は鋭い。

 日常会話をナメてはいけない。日常会話はある意味では会話能力の総決算、最高段階なのである。知識がしっかりあれば、語彙が限定されている専門分野での会話の方がむしろ楽なのだ。(p.147)

第三章「学習法としての言語学入門」
 言語学教育の実践編。いくつかのキーワードをテーマに、学生たちに教えていくようなスタイルで、言語学の基礎を述べている。
 言語学とは何をする学問か、という「序論」に始まり、世界の言語、記号論、音声学、音韻論、文字論、語彙論、文法論、等々。各項目の後に、学生たちに出したテストと、その回答例つき。「学習法としての言語学入門」というサブタイトルは、この章に一番ふさわしい。

第四章「本と映像に見る外国語」
 言語を巡る図書と映画のレビュー。図書は、『フィンランド語は猫の言葉』(稲垣美晴)、『ケナリも花、サクラも花』(鷺沢萌)など、いかにも言語に関係ありそうな本から、『残像に口紅を』(筒井康隆)みたいな意外な選択まで。『残像に口紅を』のレビューでは、この本に敬意を表して、ある母音を文章中で一回も使ってないという芸当まで見せている。
 映画では、『オリエント急行殺人事件』や『ブリキの太鼓』など、一件言語学とは関係なさそうな普通の映画が取り上げれらている。その目のつけどころが、さすが言語学者というか。

 本書のハイライトはなんといっても第一章。ここには書かれているのは、ある意味、外国語ファンのための理想郷。外国語がこんなに好きな人間が、この世にはいるものなのだ。そのことがよくわかる。
 著者自身が新しい外国語を勉強するエピソードも入っていて、学生だろうと言語学の専門家だろうと、外国語学習に王道はないことがわかる。地味な努力あるのみ――いや、それ以前に「外国語好き」であることが肝心なのだが。これが一番難しいかもしれない。

Gaikokugo

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