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2015年2月21日 (土)

1月に読んだ本から

 1月に読んだ本から、新旧の2冊。1冊は去年出た文庫。もう1冊は40年近く前に出た本。
 まずは新しい方から。

いとしいたべもの/森下典子(文春文庫,2014)
 文庫本が出たのは2014年だが、単行本は2006年。実はそんなに新しくない…。
 森下典子と言えば、その昔『週刊朝日』の人気連載「デキゴトロジー」の担当だった人。それが機になってエッセイを書き始め、初のエッセイ集『典奴どすえ』を1987年に出版、これは読んだ覚えがある。その後<典奴>シリーズを何冊か出していたが、さすがにいい年をして典奴でもないと思ったのか、21世紀に入ってからは、典奴のタイトルは封印しているようだ。
 本書は、著者の「思い出の食べ物」を主なテーマとする食べ物エッセイ、全22編。タイトルと登場する食べ物について前半だけ挙げてみると、以下のようなもの。

「オムライス世代」(自家製オムライス)
「くさやとバンデラス」(くさや)
「わが人生のサッポロ一番みそラーメン」(タイトルのとおり)
「カステラに溺れて」(松翁軒のカステラ)
「ブルドックソース、ちょうだい!」(タイトルのとおり)
「端っこの恍惚」(塩ジャケ)
「水羊羹のエロス」(たねやの水羊羹)
「カレー進化論」(ハウスバーモントカレー)
「父と舟和の芋ようかん」(タイトルのとおり)
「今年もやっぱり、秋がきた」(鶴屋吉信の「栗まろ」)
「それは日曜の朝、やってきた」(丹波産マツタケ)
「夜更けのどん兵衛」(どん兵衛きつねうどん)
 …等々。

 自分で作る家庭料理というより、どこかで買ってくる既製品の食べ物がほとんどである。たまに自分で作るそれも、カレールーだったり、インスタントラーメンだったりする。
 それも、どこのものでもいいのではなく、それなりのこだわりがあって、メーカーや銘柄を特定しているのがほとんど。後半では、「中村屋のカレーパン」、「崎陽軒のシウマイ弁当」なども出てくる。そんなに高級なものではなく、ごく日常的な食べものが並んでいる。たまにマツタケとかもあるが。
 全編に生活感と郷愁と、そしてもちろん、あふれんばかりの食べ物愛が漂っている、癒し系エッセイである。
 それはいいのだが、しかしこの本の文章、オノマトペが妙に多い気がする。
 例えば、こんなところ。 

 炊飯器の蓋を開けたら、ふぁーっと湯気が上がり、炊きたての匂いがした。ごはんの上で騒がしく泡だっていたものが、さわさわさわーと音をたてて、いっせいにひいていく。ふっくらした一粒一粒が、艶やかに光って立っている。お釜の中は、まるで春の畑の土みたいに、ほこほことしていた。(p.106「漆黒の伝統」)

 一つの文章に必ずひとつは、「ふぁーっ」とか「さわさわさわー」とか、オノマトペが入っている。以前はもっと普通の文章だったような気がするが…。著者はどこかで「オノマトペ病」にとりつかれてしまったのか?
 しかしまあ、この本の場合、あふれるオノマトペにも文字どおり味があって、これはこれで別にいいのだが。
 なお、表紙絵をはじめ、本文のイラストはすべて著者自身によるもので、意外に(と言っては悪いが)ちゃんとした絵だった。

Itoshiitabemono


漢字と図形/渡辺茂(NHKブックス,1976)

 タイトルどおり漢字の本だが、著者の専門は言語や文字ではなく、システム工学。
 しかし漢字の機械処理について書かれた本ではない。とんでもなくユニークな、漢字研究の本だということが、読んでいく内にわかってくる。

 最初の方はまだ普通である。
 第一章「漢字仮名まじり文のよい点わるい点」は、日本語ワープロがまだ実現してない時代に、漢字をシステム的に分析。しかし漢字のコンピュータ処理については、あまり可能性を考えてなかったようで、日本語の機械処理としては、和文タイプライターの話しか出てこない。膨大な漢字を一つ一つ拾っていく、今ではネットの懐かしネタにしかならないあの機械である。
 この本が出た翌年の1977年、シャープが日本語ワープロの試作機を発表したのだから、皮肉といえば皮肉。あと1,2年遅く刊行されていれば、全然違う内容になったはず。ワープロが市販されるようになった後、1983年には『ワープロとつきあう法』という本を出しているが、どんな内容なのだろう。
 第二章「漢字のなりたち」は、漢字概説。漢字仮名まじり文の歴史や漢字の分類について述べているが、とりたてて目新しいことは言ってない。
 問題はそれ以降。
 第三章「漢字のパターン認識」は、日本人がどうやって漢字を認識しているかという「仮説」を述べているのだが、これがなかなかすごい。
 漢字1文字を認識するのに、何種類もの作業を段階的に行っているというのだ。具体的には、「中央設置」→「全体把握」→「全体改造」→「特徴抽出」→「部分選択」→「部分改造」。そして、「このような考察を経て、たしかに特定の漢字に間違いないことを知ると、さらに他の手段によって、確認を行い、追認する」。
科学的には筋がとおっているのかもしれないが、本当にこんな風に段階的に漢字を認識しているのだとすると、1文字認識するのに何分かかるかわからない気がする。
 さらに、本書の最大の特徴で、他に例を見ないのが全体の約半分を占める後半の2章。第四章「漢字の図形要素」、第五章「漢字の図形特性」。
 漢字の形や分類については、文字学の視点からこれまでも研究されてきた。しかしこの著者の場合、漢字の歴史や意味とはまったく関係なく、タイトルどおり、純粋に図形として分析しているのだ。
 例えば、第四章の一部では、漢字の「端点」について分析している。端点とは一枝点、つまりは線の端。そして端点が存在しない漢字(口、日、目など)、1の漢字(甲、由、白など)、2の漢字(一、中、申など)と順々に挙げていく。掲載されている中で一番多い端点の数は27、漢字は「橇」。さらには、端点を「内端点」と「外端点」に分類し、外端点を持つ漢字をまた1から列挙。
 また、漢字の中に多角形を見つけるというテーマでは、最高24角形を見つけている。その漢字は「覇」。これを見つけるのはすごい手間だと思うが、「だから何?」という思いがぬぐえない。
 さらに、第五章では、漢字の構成パターン、様々な部品の使用頻度(996字の学習漢字中、「口」が200個、「、」が100個など…)、対称漢字(上下対称、左右対称、回転対称など、さらに「一次対称」、「二次対称」など)、類似漢字など、思いつくものを全て試したのではないかと思われるような、多種多様な分解・分類を試みている。
 こういうことのために著者は、何千という漢字を一つ一つチェックしたのだろう。まだコンピュータによる日本語処理が未発達の時代、すべて手作業で膨大な手間がかかったはず。この著者が本書を書いたのは、これをやりたかっただけではないかと思われる。その熱意というか執念には感服するが…。
 で、これが何かの役に立つかというと、思いつかない。まったくの趣味の産物としか思えない、何の意味があるかよくわからない分類、分析、リスト化の数々。もしかして、これは一種の「珍書」(2015年1月23日のエントリー参照)ではないだろうか。

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