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2015年5月26日 (火)

昭和を騒がせた漢字たち

昭和を騒がせた漢字たち 当用漢字の事件簿/円満字二郎(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー,2007)
 終戦の翌年、1946年11月に当用漢字が公布され、1981年に現在の常用漢字に代わるまで通用していた。本書はサブタイトルが示すとおり、その当用漢字の時代、終戦直後から1970年代までの、漢字に関連するさまざまな出来事から、日本人と漢字との関わりをさぐる。「漢字を通して見た世相史」というより、「世相を通して見た漢字の歴史」、あくまでテーマは漢字そのもの。戦後の漢字改革、漢字制限の歴史であり、日本人の漢字に対する態度の変化の歴史でもある。

 内容は、プロローグ、3つの章、エピローグからなり、各章に3つずつのエピソードを収録。
 プロローグでは、終戦直後、漢字廃止論という極端な意見が出るほどに漢字が「民主主義の敵」扱いされる中、当用漢字が制定されるまでの経緯を述べる。
 続く最初の章(章のナンバーはついてない)が、「新しい時代とともに 一九四〇、五〇年代の漢字事件」。
 戦後間もない頃のベストセラーで有名になった「恋」の字のエピソード(事件というほどではない)「『青い山脈』の恋」。新聞のタイトルに使われていた当用漢字でない字体が議論になった「新聞題字問題」。1958年から59年にかけて、当時の郵政省を戦前の「逓信省」の名称に戻すという動きに対して、新聞界が大反対した「郵政省改名騒動」。これなど、今から見ると、なぜそこまで反対するのか、という気がするが。
 次が、「変わりゆく社会の中で 一九六〇年代の漢字事件」。
 1960年、皇室に誕生した新宮(今の皇太子)の命名について、国会で「新時代に沿うようなお名前をつけるべき」という質問が出たり、新聞に「読み方が難しい」という意見が載ったりしたエピソード「新宮の命名をめぐって」。上の逓信省問題とは逆に、今だと大炎上しそうな話題だ。この頃の方が寛容だったということか。
 有名な狭山事件の容疑者が浮き彫りにする、非識字者の問題「記号式投票と狭山事件」。ある会社の職員が誤字が多いなどの理由で解雇され、裁判になった事件を扱う「誤字を理由に解雇できるか」。この裁判は結局解雇無効という判決になったのだが、著者は、その理由とされた「誤字」が本当に誤字だったかどうか、分析する。
 最後が、「拡大する自由の行方 1970年代の漢字事件」で、当用漢字最後の時代。
 水俣病の患者たちがチッソ株主総会に持ち込んだ「怨」の旗を巡る「水俣病患者たちのうらみ」。当用漢字外のこの文字がもたらした社会現象から、漢字の象徴性を考察。
 1972年に日本専売公社が発売した「宙[おおぞら]」が、「そんな読み方はない」という抗議の声により、すぐに発売中止になった事件、「たばこ「おおぞら」の物語」。
 そして最後の、「「よい子の像」碑文裁判」は、栃木県のある小学校に設置された像の碑文が、「標準字体と違っている」という理由で、改刻を求めて裁判にまでなった件。
 1980年代に入るとすぐに、当用漢字に代わって、より柔軟性のある「目安」として常用漢字が布告される。国は漢字の使用に自由を認める方向に動いていた。しかし、「おおぞら」の一件も、碑文裁判も、それとは逆に、漢字の読みや書き方に過剰なまでの画一性を求める一般市民からの動きだった。
 当用漢字が布告された当初は、上からの漢字制限に対する反発があった。それが、最後の方では、自由化する漢字に対して規範を要求していたのだった。
 エピローグでは、そんな漢字を巡る「自由=表現性」と「平等=基準性」という相反する立場が、現在まで続いていることを述べた後、「自由と平等のバランスを常に意識すること」とかなり強引にまとめている。

 ところで、少し古い調査になるが、2006年に文化庁が実施した「国語に関する世論調査」によれば、常用漢字を気にする人は、全体で4割と、半分以下だった。若いほど気にしない人が増えて、20代では75%。その下の16~19歳の世代では少し減って68%だったが、これはまだ学校教育を受けている影響だと思う。
 いずれにしても、常用漢字を気にしない世代はだんだん増えていくことだろう。「漢字制限?何それ?」という人も多くなるに違いない。それを考えると、本書は、「漢字が制限されていた時代」の貴重な証言ということになるのかもしれない。

Kanjitachi

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