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2016年8月12日 (金)

古語雑談

古語雑談/佐竹昭広(平凡社ライブラリー,2008)
 元は東京新聞の連載コラムを修正加筆し、1986年に岩波新書として刊行されたもの。著者は2008年7月に亡くなっており、同年11月に出た本書は追悼出版みたいなものになる。
 新聞の小さなコラムなので、各編はきわめて短く、2ページにも満たない。その短い文章が1番から124番まで収録されていて、4~10編くらいごとにまとめられて、全部で19の章に分けられている。
 出版にあたって再編集したのではなく、順番はもとのまま。ただ、新聞連載時とは多少違っていて、この本ではカットされたもも、2編がひとつに統合されたもの、新しく追加されたものなどがあるそうだ。そのへんは、解説にきわめて詳しく書いてある。
 いずれにしても、新聞連載の順番のままで、しかもテーマごとに章分けできるということは、連載時から一つのテーマを数回に分けて書いていた。つまり続きものコラムだったわけである。さらに、テーマが章ごとにすっぱりと切れているわけではなく、章をまたいで続いていることもある。最初から全体の構想を頭に描きながら新聞連載をしていたということか。
 本書のテーマはタイトルどおり「古語」だが、古語辞典に収録されているような古い言葉をひとつずつ取り上げ、解説する――というようなものではない。
 個々の言葉の起源や用法、読み方の話なども確かに出てくるが、書かれている内容はもっと幅広く、言葉を通じて、過去の社会や文学についての考証、人々の思考のあり方にまで話は及ぶ。早い話、次にどんな話題が出てきてどんな風に展開するのか、予想がつかない。だからこそ、「雑談」なのだ。とはいえ、上に書いたように全体の流れがあるので、拾い読みよりは、順番に読んでいった方がいいだろう。
 ところでタイトルは、「こござつだん」ではなく、「こごぞうたん」と読むらしい(奥付のタイトルに振り仮名がふってある)。なぜそう読むのかということは、「3 雑談」に書いてある。資料を調べてみると、古い読み方は「ぞうたん」で、明治の中頃から「ざつだん」に変わったということだそうだ。こういう言葉の変化の話もあちこちに出てくる。
 興味を引かれた話題をいくつかあげてみると――。
 最初の話題は、「はなし」という言葉そのものについて考証している。「はなし」という言葉が元々は今で言う「雑談=肩のこらない雑談、くつろいだおしゃべり」のことであったという。
 11番の「たのし」と「かなし」」では、「たのし」は裕福の意味で、逆に「かなし」は貧乏の意味だったということが書いてある。実に現実的な表現である。貧乏を意味するいろいろな表現は、後の方でも出てくる。
 47番「九九」では、あのかけ算の「九九」は昔は「一一」からではなく、「九九」から数え始め、いわばカウントダウンしていたということが書いてある。「九九」から始まるから、全体を「九九」と呼ぶのだ。
 95番「田舎宗匠」以下、10回以上を使って、和歌の「字余り」の法則について分析している。少なくとも古代以来の正統な和歌では、字余りはどんな場合でも許されるのではなく、ちゃんとした規則があったのだ。この字余りと関連して万葉集の読みの問題にもかなりのページを費やしているが、このへんになるともはや雑談の域を超えて、国文学の専門領域に入っている。
 まあ、一般人には専門的でも、著者にとっては「肩のこらない雑談」の範囲内だったのかもしれない。単なる雑談でもないし、エッセイでもないし、学術書でもない、独特の雰囲気を持った本になっている。

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