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2016年8月26日 (金)

「英会話」私情

「英会話」私情/富岡多恵子(日本ブリタニカ,1981)
 有名な作家による「英会話」の本。世の中に英会話の本はあふれているが、これは英会話を学ぶための本ではない。タイトルどおり、著者の「英会話」(著者はこの言葉に特別な意味をこめているので、カッコつき)に対する複雑な思いを述べたエッセイなのである。
 だから、この本を読んでも英会話の上達にはまったく役にたたない。むしろ、勉強する気が失せるかもしれない。
 小学生で敗戦を迎えた著者は、占領下で英語を出会い、その後アメリカにも行ったりするが、(本人によれば)英会話は少しも上達しない。日本の「英会話」の現状にさまざまな疑問を持ち、それをエッセイに書いたりもする。そして、とにかく自ら体験してみようと、レディングという教育学者に6回の英会話のレッスンを受ける。
 前半は、そのレッスンを元にした体験的「英会話」論。著者によると、日本の「英会話」は独特の文化で、「英語を話す」こととは違う。本当に必要がある人間は、「英語を話す」。「英会話」をやるのは、必要のない人間である、とのこと。要するに実用性に乏しい習い事になってる、と言いたいのだろう。
 ところで、著者はレディング氏のレッスンの最初の方で、アメリカ人がやたらと「ハッピー」というのに疑問を呈し、「わたしには、ごちそうを食べることはたしかに幸福でうれしいことであるけれども、生きていることは幸福と不幸の中間ぐらいだという認識がどこかにあるので、カンタンに幸福だと声をあげられない」というような思いを伝える。英語で言ったのである。もっともい、「いったつもり」と著者は書いているが、つもりにしてもこれくらいのことを言えるのなら、英会話のレッスンなどもはや不要じゃないかという気もする。
 最後の方に出てくる、英語をしゃべっている時は、「喋っているのが、自分ではないような感じになる」という感想も、実はかなり英語を話せる人でないと出てこないのではないだろうか。
 実は英語がかなりできるからこそ、「英会話」に対して冷静な見方ができるのかもしれない。
 後半は、主に「英会話」を通して日本文化を語る内容。各章の間に、多田道太郎との対談がはさまっている。鋭い指摘や示唆に富む意見が随所にあって文化論としてはなかなか面白いが、もちろん読んだからといって英会話の役に立つわけではないのである。
 日本独特の「英会話」は、「ケイコゴト」であり、「キレイゴト」であると、著者は本書をしめくくっている。この本が出てから35年後の今も状況は変わってないのではないだろうか。

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