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2020年2月28日 (金)

世界のなかの日本

世界のなかの日本 十六世紀まで遡って見る/司馬遼太郎、ドナルド・キーン(中央公論社,1992)
 司馬遼太郎とドナルド・キーンという、今は亡き二人の大家の対談。この本が出た時にはまだ生きていた。
 テーマは16世紀以降の日本と世界、日本から見た世界、世界から見た日本について。この場合の「世界」とは、主に西欧世界のこと。
 本書は後に中公文庫で文庫化されているが、とっくに絶版。

 内容は7章に分かれている。
1「オランダからの刺激」
 現在のオランダでは忘れられている日本とのつながり。だが江戸時代の日本にとって、オランダの存在は大きかった――というような話。鎖国の功罪も話題になっている。
2「日本人の近世観」
 江戸時代の悪いイメージは明治政府が作ったもの。その明治の基本イデオロギーは朱子学をベースに作られたとのこと。朱子学というのは、司馬によれば、「非常にむなしい神学論に満ちたもの」なのだそうだ。司馬遼太郎は江戸時代に比べて明治を高く評価していたように思うのだが、この章はなんだか様子が違う。
3「明治の憂鬱を生んだもの」
 明治の知識人たちが西洋文化に対して示したさまざまな態度――拒否、反抗、受容について語る。名前が挙がるのは、夏目漱石、大沼沈山、二葉亭四迷、中村敬宇など。
4「大衆の時代」
 前半は江戸時代の美術、後半は江戸時代の大ベストセラー「日本外史」について。
5「日本語と文章について」
 前半は、明治以後の文章日本語の成熟について。後半は「冥途の飛脚」など古典文学の話。
6「日本人と「絶対」の観念」
 宗教の話。日本人には「絶対」がわからない、という司馬の話から始まる。こういう大づかみな話をするのはだいたい司馬の方である。神道は、「中身はあっけらかんとしたほどに空っぽです」と、やはりこれも司馬の言葉。
7「世界の会員へ」
 ここでやっと、「世界の中の日本」という、タイトルに即したテーマが出てくる。「会員」というのは何のことなのか。日本は「江戸時代はもとより、明治以後の世界の一員だったことはない。つまり、特別会員もしくは準会員もしくは会員見習いであったとしても、ちゃんとした会員であったことはない」と司馬は言う。だからそろそろ正式の会員にならないと――という意味。
 しかし、「ちゃんとした会員」とは何のことなのか。司馬にしてはずいぶん乱暴な意見に思える。

 対談なので、いかにもまとまりがない印象はある。「世界の中の日本」というタイトルのわりに、半分くらいの章は西洋とほとんど関係がなかったりするし。とはいえ、ひとつひとつの発言をとると、いかにもこの二人らしい、興味深い知識や意見が含まれてはいるのだが。
 まえがきはキーン、あとがきは司馬が書いている。キーンは主に日本の「近世嫌い」について語っているのだが、司馬はほとんどキーンのことばかり。「精神の温度が高いのか、たえず知的な泡立ちがある」など、特有の表現を使ってベタ誉めしている。実はこのあとがきが、一番司馬らしい文章だった。

Sekainonakanonihon

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2020年2月24日 (月)

日本史の探偵手帳

日本史の探偵手帳/磯田道史(文春文庫,2019)
 雑誌に掲載した歴史エッセイを集めたもの。発表媒体は『文藝春秋』が半分以上。それ以外は、『週刊文春』、『ABC』、『マグナカルタ』、『諸君!』など。

 内容は4章構成。
 第1章<中世の武士と近世の武士の違い>は、「江戸から読み解く日本の構造」、「江戸の税金」など6編。
 中世武士の緩い主従関係に比べて、濃尾平野で生まれた、主従の固い絆が特徴の「濃尾システム」が戦国を生き延び、その後の日本に強い影響を与えたとする「日本型組織「濃尾システム」の謎」が興味深い。
 第2章<歴史を動かす英才教育>は、「幸村の天才軍略遺伝子」、「くノ一は江戸時代のハニートラッパーだった」など、7編。
 第1章がほぼ江戸時代のことばかり語っていたのに対し、こちらは戦国時代から昭和前期までと扱う時代が広い。歴史上のエリート教育に関わる話が大半だが、「くノ一」の話は教育とは関係ない。
 中で印象深かったのが「明治維新を起こした奇才 賴山陽」。『日本外史』の影響力を語っていて、この本に関する興味をいやでもそそられる。
 第3章<古文書を旅する>は、『週刊文春』の「古文書ジャーナル」という連載記事がメイン。
「古文書ジャーナル」は、2012年11月から2013年4月まで半年ほどの連載。普通の歴史と古文書の話かと思えば、これが予想に反した内容。震災離婚や、江戸の「会いにいけるアイドル」の話から始まり、途中から日本における美容整形の話が何回も続く。それが終わると今後は男性不妊治療の話。「勃起」という言葉がいつから使われ始めたか――などという、まず歴史の本には出てこないようなテーマを古文書の中に追究していく。
 作者自身は、こういうテーマについて、「本連載の目的は歴史学が恥ずかしがって追究こなかった今日的重要問題を掘り下げることにある」と、堂々と書いている。しかし、後半は家康の食の話や隕石の話などに話題が移ったり、連載が半年で終わったりしたところを見ると、この路線があまり好評でなかったのだろうか。
 この章では他に「豊臣秀吉の処世の極意」など短いエッセイ3編を収録。
 第4章<歴史を読む>は、歴史本ブックガイド。「武士道の奥義を極める10冊」と「語り下ろし日本史「必読の百冊」」の2編。それぞれにリストがついていて、このリストの方が本体みたいなもの。ある意味、本書の中で一番実用的な章。

 ――というような内容で、いつもながら読みやすく、テーマもバラエティに富んでいて興味をそそる。
 しかし、内容はともかく、文章に違和感を感じるところがところどころある。「――た」体の文章の間に突然「ですます」体の文章が混じったりするのだ。いくら気軽に読める一般向けの記事でも、文章には手を抜かないでほしい。

Nihonshinotanteitechou

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2020年2月20日 (木)

思想家たちの100の名言

思想家たちの100の名言/ロランス・ドヴィレール;久保田剛史訳(白水社・文庫クセジュ,2019)
 古代から20世紀までの代表的な哲学者、思想家の100の言葉を取り上げ、その背後にある思想を解説する。一人一言ではないので、人数としては75人。
 だいたい年代順に並んでいて、最初は古代ギリシア、ヘラクレイトスの言葉「ひとは同じ川に二度入ることはできない」。以下、ソクラテス、プラトン、ディお下寝すなど古代ギリシアの哲学者たちが続き、次に聖書に出てくる使徒のパウロやマタイ、古代ローマのキケロやセネカ、マルクス・アウレリウスなどが登場。
 その後、5世紀のボエティウスから10世紀のアヴィセンナまでいきなり4世紀くらい飛ぶ。その次が11世紀のアンセルムス、そして12世紀のトマス・アクィナス。アヴィセンナ(イブン・シーナー)はイスラム圏の人だから、ヨーロッパに限れば5世紀くらい空白がある。中世ヨーロッパが思想的にいかに不毛だったかわかる。
 ここまでがだいたい全体の3分の1。その後はもうルネサンスだが、エラスムスやマキャヴェリが出てくるくらいですぐ終わって、40番目でデカルト登場。ここからが本番という感じで、パスカル、スピノザ、ライプニッツと、近代以降の西洋哲学のビッグネームがずらりと並ぶ。
 そして90番代に入ると、アーレント、ノージック、ドゥルーズ、レヴィナス、リクール、デリダなどの20世紀後半を代表する哲学者の名前が登場。最後の4人、カヴェル、ホネット、ブルーメンベルク、スローターダイクはブログ主の知らない名前だった。
 ――というような内容で、名言を通じて、西洋哲学の主要な流れがほぼわかる仕組みになっている。
 もちろん、フランス人が書いたものだから、内容は「西洋思想」オンリー。西洋思想に影響を与えたイスラム世界の学者は数人出てくるが、中国、インドなどはまったく視野に入ってないのは、まあ、予想どおりではある。

 ただ、気になるところとしては、名言が時として有名すぎて、今さら取り上げなくても――と感じてしまうところだろうか。デカルト「われ思う、ゆえにわれあり」とか、パスカル「人間は「考える葦」である」とか、ニーチェ「神は死んだ」とか。もうちょっとひねって、知られざる名言を発掘してもよかったのではないか。
 なお、もっとも多くの名言が引用されているのはデカルトの4。次点はパスカル、スピノザ、カント、ヘーゲルの各3。この5人が、著者の見る西洋哲学のビッグ5ということか。
 この5人が16も枠を使ったせいで、出てこなくなった有名な思想家もけっこういると思われる。日本的感覚からすれば、「百人一首」じゃないけど、「百人一名言」でよかったような気もする。

 当然ながら、印象に残る言葉もけっこうあって、挙げ出すときりがないのだが、例としてひとつ引用してみる。

「真と偽は、好きや嫌いを言いあらわすこと以上に、確実性をもっているわけではない」(アントワーヌ・アルノー)

 

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2020年2月16日 (日)

名作文学に見る「家」

名作文学に見る「家」 謎とロマン編/小幡陽次郎、横島誠司(朝日文庫,1997)
 一見すると、文学作品における家や家族のあり方を論じた文芸評論みたいなタイトルだが、中身は全然違う。
 内外の小説の名作を取り上げ、そこに登場する家を、作中の描写から図面に起こすという趣向の本。マンガやアニメに出てくる家の想像間取り図というやつがあるが、あれの小説版のようなものである。
 各作品について、まず短いコラム形式で内容とそこに出てくる家について説明、さらに家を描写する文章を引用、引用文に挟まれて、メインとなる図面と「作図のポイント」が掲載されている。図は基本的に平面図だが、場合によっては立面図や透視図のこともある。
 文章は広告ディレクターの小幡陽次郎、作図は建築家の横島誠司が担当。

 内容は3部構成。
 第1部は「謎の「家」」。
 宮澤賢治「注文の多い料理店」の山猫軒、スティーヴンソン「ジーキル博士とハイド氏」からジーキル博士の家兼ハイド氏の家、江戸川乱歩「怪人二十面相」から二十面相の隠れ家など。全13作。この他にもポーの「モルグ街の殺人事件」、ドイル「まだらの紐」など西洋からはミステリの古典がいくつか入っている。一方日本の方はミステリは少なく、安部公房「砂の女」、村上春樹「羊をめぐる冒険」といった作品から一風変わった家が作図されている。
 第2部「海外文学に見る世界の「家」」。
 タイトルのとおり、すべて海外作品、全8作。オールコット「若草物語」のマーチ家の家、バルザック「谷間の百合」からモルソフ夫人の城館、バック「大地」から土の家、ブロンテ「嵐が丘」からヒースクリフの屋敷、O・ヘンリ「天窓のある部屋」からミス・リースンの住むアパート、 モーパッサン「女の一生」のジャンヌの家、スピリ「ハイジ」からアルムじいさんの山小屋、デフォー「ロビンソン漂流記」からロビンソン・クルーソーの手作りの家。
 ハイジの家はアニメでなじみのある人も多いだろうが、本書で図面化されているのも、似たような作りである。あまりに単純なのでアレンジのしようがないのだろう。同じくアニメ化された「若草物語」のマーチ家は、かなり作りが違うようである。
 第3部「名作文学を彩る「店」「集合住宅」など」。
 こちらは全部日本作品。山本周五郎「さぶ」からさぶと栄二の店、岡本かの子「家霊」からどじょう店「いのち」、川端康成「古都」の佐田千重子の家など。全10作。最後は山口瞳「江分利満氏の優雅な生活」の社宅。 作図はよくできているが、なんというか、普通の家ばかりで見取り図としての面白さには欠ける。ちょっと面白いのは森瑶子「渚のホテルにて」に出てくるホテル「鮫鰭亭」くらいか。しかしこの第3部は、「謎」でも「ロマン」でもないような気がする。

 なんにしても、なかなか面白い趣向の本。欲を言えば、もっと奇抜な建物が多ければよかったが。本書には姉妹編として「愛と家族編」も出ていて、そちらの方も興味を引かれるが、未読(というか、未入手)。

Meisakubungakunimiruie

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2020年2月12日 (水)

大江戸曲者列伝

大江戸曲者列伝 太平の巻/野口武彦(新潮新書,2006)
 江戸時代の人物を取り上げた『週刊新潮』の連載コラムをまとめたもの。
 本書と下の「幕末の巻」の2冊からなる。その区分けは、本書の序文によると「だいたいペリーの黒船来航を境にして」分けているという話なのだが、実際には本書にも幕末の人物が数人入っている。
 2冊で全83話。そのうち本書に45話。著者は「この第一冊「太平の巻」には四十五人が[登場する]と言っているが、実は1話に二人が取り上げられている場合もあるので、正確には48人。

 著者が言うには、本書は「ゴシップ史観」をめざしたとのこと。「歴史記述の行間からは、人間の顔が見えてこなくてはならない。そんな日頃の感想から、本書では寸描的なデザインながら、できるだけ事件の渦中におかれた人間の《表情》をクローズアップしてみたつもりである」と、その趣旨を語っている。
 確かに、単なる略伝や小伝ではなく、その人物や歴史を特徴づける目立ったエピソード(中には週刊誌的なネタも多い)が中心であり、各話のタイトルには、人物名ではなく週刊誌的な見出しをつけている
 また、人物の選択自体が、歴史的に重要かどうか、有名かどうかというより、面白い要素があるかどうかを基準に選んでいるようだ。だから、聞いたこともないような人物もけっこう出てくる。

 内容は、だいたい時代別に分かれた3章構成。ただし、そんなに厳密に何年から何年と区分けされているわけではない。
 第一章「黎明」は、江戸時代初期から1800年頃まで。「大学教授の元祖」林羅山にはじまり、「島原に死す」板倉重昌、「将軍機関説」酒井忠清、「恋は焼き尽くす」八百屋お七など、14話。
 第二章「爛漫」は、1800年前後から黒船来航の頃まで。「世直し大明神」佐野政言、「老中直属情報網」松平定信、「スカトロ宴会」水上美濃守など、17話。最後は勝海舟の父親の勝小吉の話だから、もう幕末に入っている。
 第三章「風雲」は、黒船来航前後。中には井関隆子みたいに天保年間に死んだ人もいるので、完全に幕末というわけではないが、ほぼ時代が重なっている。「いつも万葉気分」平賀元義、「江戸のリベラリスト」松崎慊堂、「入墨判官」遠山金四郎など、14話。阿部正弘、高野長英、徳川斉昭、川路聖謨などは完全に幕末の人物で、「幕末の巻」と重なっていると思われる。比較的有名な人物が多いのもこの章の特徴。

 全体として、やはり一般的には有名でない人物のエピソードに面白いものがある。第一章では「マイナーの誇り」都の錦、「世界は音楽だ」太宰春台、第二章では「生涯実直」森山孝盛、「「愛人」の始まり」江馬細香、第三章では「奥様と雪隠」井関隆子、といったところ。「奥様と雪隠」では、文体まで奥様風に変えている。


大江戸曲者列伝 幕末の巻/野口武彦(新潮新書,2006)
 こちらは上にも書いたように、ペリー来航以降に活躍した人々が収められている。「太平の巻」と違って1話に2人というパターンはないので、話数と人数が一致しており、全38話。

 内容は、「太平の巻」と同じく3章構成。短い幕末の時期をさらに3期に分けている。
 第一章「急転」は、「ことわられた密航」吉田松陰、「ペリーに抱きついた男」松崎純倹、「能ある鷹は爪を剥がす」岩瀬忠震など、10話。他には堀田正睦、井伊直弼、和宮など、幕府に関係する人間が多い。
 第二章「狂乱」は13話。「殺しのライセンス」岡田以蔵、「昔をテロを辞さず」伊藤博文、「幕末の二重スパイ」大庭恭平など。
 伊藤博文がここに入っているのは変な気がする。だが、本書では伊藤が幕末にテロリストとして活動していた頃のことを書いているのだ。タイトルのとおりなのである。
 また、大久保彦左衛門という人物も出てくるが、これは有名な江戸初期の彦左衛門とはもちろん別人で、その子孫の大久保忠良。この家系の当主は代々「彦左衛門」を名乗っていたのだという。
 この大久保彦左衛門の他、幕府側の人物としては、パリに外交使節として派遣された池田長発、天狗党を討伐した田沼意尊、第二次長州征伐に参加した井伊直憲などが登場するが、みんな冴えない。そして尊皇攘夷派は、危ないやつばかり。
 第三章「残影」は、15話。「クーデター大好き」岩倉具視、「江戸城に放火せよ」伊牟田尚平、「軍師の末裔」竹中重固など。
 鳥羽伏見の戦いの敗戦責任者である竹中重固をはじめ、この章でも幕府側の人間はやはり冴えない人物が多い。特に徳川慶喜はひどい。多少まともなのは大鳥圭介と榎本武揚くらいか。
 そして反幕府側(この時期になると、もはや尊皇攘夷とは言えなくなっている)は、やはり言動が危険で、性格が悪いやつが多い。有名人が多いのもこの章の特徴。岩倉具視、徳川慶喜、大鳥圭介、河井継之助、榎本武揚、井上馨。最後の井上馨のエピソードは完全に江戸時代ではなく明治に入ってからのもの。
 全体として、「太平の巻」に比べると、やはり動乱の時代だけあって、ドラマチックなエピソードが多い。その反面、市井の名もない人物の知られざる人生――みたいのものが入ってこないのは、仕方がないことだろう。
 こうして見ると、2冊合わせて約3分の2が、江戸時代250年のうち最後の30年くらいに集中している。 しかし江戸時代中頃というのは、そんなに興味深い人材に乏しいのだろうか。単に著者が幕末が好きなだけではないのか。「大江戸」と言いながら、時代的にはかなり偏っていると言わざるを得ない。

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2020年2月 8日 (土)

プラークの大学生

プラークの大学生/H・H・エーヴェルス;前川道介訳(創元推理文庫,1985)
 第二次大戦前のドイツで3度にわたって映画化(1913、1926、1935年)された物語。怪奇小説作家として知られるエーヴェルスは、その最初の映画化に深くかかわっていた。
 本書はその映画のノヴェライズだが、エーヴェルス本人は、序文でこれは彼が書いたものではないと断言しえいる。
 原著の作者は、「ドクトル・ラングハインリヒ・アントス」という名義になっているが、解説によると正体はまったく不明だという。多分誰かの偽名と思われるし、エーヴェルス本人という可能性も無論ある。いずれにしても、元になるストーリーそのものはエーヴェルスが創作したことは間違いないので、著者名はエーヴェルスになっているのだろう。
 物語は単純である。
 舞台はハプスブルク帝国時代のプラーク。この場合、チェコのプラハではなく、ドイツ語の「プラーク」という呼び方の方が雰囲気が出る。何しろ、登場人物はほとんどドイツ系なのだ。チェコ人はどこにも姿が見えない。
 主人公バルドゥインは剣の達人だが貧乏な大学生。ある日シュヴァルツェンベルク伯爵令嬢のマルギットが乗馬中、馬が暴走しているのを助ける。その時にバルドゥインはマルギットに一目惚れするのだが、いかんせん貧乏学生の身ではどうにもならない。
 悩む彼に高利貸しスカピネッリという男が契約を持ちかける。大金と引き換えに、彼の鏡の中の像を欲しいというのだ。この金貸し、どう見ても悪魔の化身。しかしバルドゥインは目の前に積まれた大金に契約を承知する。金貸しは鏡の中から彼の像を連れ出して行く。その時以来、バルドゥインは鏡に映らなくなる。
 大金持ちになったバルドゥインはマルギットに近づくことに成功するが、こんなことがうまくいくはずはない。マルギットの婚約者ヴァルディス=シュヴァルツェンベルク男爵と決闘する羽目になる。剣の達人であるバルドゥインが負けるはずはないが、伯爵から頼まれて男爵の命まではとらない約束をする。ところがバルドゥインは決闘の時間に送れてしまい、その間にあの鏡から出てきたドッペルゲンガーが決闘で男爵を殺してしまうのだった。
 伯爵家に出入り禁止になるバルドゥイン。やけになって放蕩する彼の前にドッペルゲンガーが現れ、ついに宿命的な最後の闘いが起きる。最後は悲劇に終わるのは、ドッペルゲンガー物語の定番。
 というわけで、「悪魔との契約」、「盗まれた鏡像」、「ドッペルゲンガー」というよくある幻想小説のパターンを組み合わせた物語になっている。正直言って、それほどオリジナリティは感じない。初期の映画だから、幻想物語の見本みたいになるのは仕方がないのだろう。

Pragnodaigakusei

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2020年2月 4日 (火)

漢字は日本語である

漢字は日本語である/小駒勝美(新潮新書,2008)
 日本で漢字を専門にしている人には、二つの立場というか、漢字に対する見方がある。
 ひとつは、漢字は中国で生まれた中国語のための文字で、日本語はそれを借用しているだけ――という見方。この立場の人は、極端になると日本語が漢字を採用したことは不幸であった、とまで言う。代表格は高島俊男だろう。
 もうひとつは、日本で使っている漢字は完全に日本の文字である――というもの。実際には多くの人がこの両者の中間に分布しているのだろうが、こういう両極端の見方が存在するわけである。
 そして、本書の著者はタイトルからもわかるように、後者の立場をとっている。
 著者は新潮社の社員で、『新潮日本語漢字辞典』を企画・執筆・編纂した人。様するに身内が書いた本。まあこういう例は岩波新書などにもあるので、そんなに異例ということもない。
 ただ、この著者の漢字好きぶりはただごとではない。

 内容は全7章。
 第1章「漢和辞典はなぜ役に立たないか」は、自分の編纂した辞典のことを書いている。従来の漢和辞典は、「漢文を読むための辞典」なので、日本語を読むためには少々使いづらい。そこで日本語のための漢字の辞典、『新潮日本語漢字辞典』を出版した――と、宣伝みたいなもの。
 第2章「斎藤さんと斉藤さん」は、漢字表記とJISコードの話。
 第3章「三浦知良はなぜ「カズ」なのか」は、漢字の字体と読みの話。前の章とこの章は、話題があちこちに飛んで、雑談にしかなってない。
 第4章「日本の漢字は素晴らしい」。この章が著者の一番言いたいところか。日本の漢字文化、送り仮名や訓読みのすばらしさについて述べている。
 第5章「分解すれば漢字がわかる」。漢字好きがつのりすぎて、仮名をこきおろして漢字を持ち上げている。「平仮名は、造形的には世界でも有数の難しい文字であるに違いない」という著者の説は、正直言って根拠がよくわからない。それに対して漢字はパーツに文解できるので覚えるのが簡単だと著者は言うが、本当なのだろうか。
 第6章「常用漢字の秘密」は、常用漢字の歴史と、選定された字やその字体についての疑問を述べる。現状の常用漢字に著者は不満のようで「納得がいかない」と言うが、だからどうすればいいかという話は出てこない。多分、制限は一切ない方がいいと思っているのだろうが。
 第7章「人名用漢字の不思議」。人名用漢字についてさまざまな矛盾を指摘している。しかし結局、「漢字そのものも面白いが、漢字にまつわる世の中の動きも、実に面白いのである」と、面白いというだけですませている。出版社の社員という立場もあるかもしれないが、もう少し建設的なことが言えないのだろうか。

 著者は漢字のエキスパートであることには間違いない。しかし本書を読んだところ、漢字が好きすぎて客観的なことが書けなくなっている気がする。日本の漢字文化が今後どうなるとか、どうなった方がいいとか、そんな議論もまるでない。結局のところ、単なる漢字雑談みたいなものなのだ。別に内容がつまらないわけではないが、「漢字は面白い」「漢字バンザイ」、それだけ――でいいのだろうか。

 

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