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2020年2月 4日 (火)

漢字は日本語である

漢字は日本語である/小駒勝美(新潮新書,2008)
 日本で漢字を専門にしている人には、二つの立場というか、漢字に対する見方がある。
 ひとつは、漢字は中国で生まれた中国語のための文字で、日本語はそれを借用しているだけ――という見方。この立場の人は、極端になると日本語が漢字を採用したことは不幸であった、とまで言う。代表格は高島俊男だろう。
 もうひとつは、日本で使っている漢字は完全に日本の文字である――というもの。実際には多くの人がこの両者の中間に分布しているのだろうが、こういう両極端の見方が存在するわけである。
 そして、本書の著者はタイトルからもわかるように、後者の立場をとっている。
 著者は新潮社の社員で、『新潮日本語漢字辞典』を企画・執筆・編纂した人。様するに身内が書いた本。まあこういう例は岩波新書などにもあるので、そんなに異例ということもない。
 ただ、この著者の漢字好きぶりはただごとではない。

 内容は全7章。
 第1章「漢和辞典はなぜ役に立たないか」は、自分の編纂した辞典のことを書いている。従来の漢和辞典は、「漢文を読むための辞典」なので、日本語を読むためには少々使いづらい。そこで日本語のための漢字の辞典、『新潮日本語漢字辞典』を出版した――と、宣伝みたいなもの。
 第2章「斎藤さんと斉藤さん」は、漢字表記とJISコードの話。
 第3章「三浦知良はなぜ「カズ」なのか」は、漢字の字体と読みの話。前の章とこの章は、話題があちこちに飛んで、雑談にしかなってない。
 第4章「日本の漢字は素晴らしい」。この章が著者の一番言いたいところか。日本の漢字文化、送り仮名や訓読みのすばらしさについて述べている。
 第5章「分解すれば漢字がわかる」。漢字好きがつのりすぎて、仮名をこきおろして漢字を持ち上げている。「平仮名は、造形的には世界でも有数の難しい文字であるに違いない」という著者の説は、正直言って根拠がよくわからない。それに対して漢字はパーツに文解できるので覚えるのが簡単だと著者は言うが、本当なのだろうか。
 第6章「常用漢字の秘密」は、常用漢字の歴史と、選定された字やその字体についての疑問を述べる。現状の常用漢字に著者は不満のようで「納得がいかない」と言うが、だからどうすればいいかという話は出てこない。多分、制限は一切ない方がいいと思っているのだろうが。
 第7章「人名用漢字の不思議」。人名用漢字についてさまざまな矛盾を指摘している。しかし結局、「漢字そのものも面白いが、漢字にまつわる世の中の動きも、実に面白いのである」と、面白いというだけですませている。出版社の社員という立場もあるかもしれないが、もう少し建設的なことが言えないのだろうか。

 著者は漢字のエキスパートであることには間違いない。しかし本書を読んだところ、漢字が好きすぎて客観的なことが書けなくなっている気がする。日本の漢字文化が今後どうなるとか、どうなった方がいいとか、そんな議論もまるでない。結局のところ、単なる漢字雑談みたいなものなのだ。別に内容がつまらないわけではないが、「漢字は面白い」「漢字バンザイ」、それだけ――でいいのだろうか。

 

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