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2020年3月31日 (火)

ネコはどうしてわがままか

ネコはどうしてわがままか/日高敏隆(新潮文庫,2008)
 単行本は2001年刊。ネコについての本ではなく、生き物全般に関する、気軽に読めるエッセイ集。
 もちろん、ネコも(少しだけだが)出てくる。ネコに限らず、生き物と言っても、身近な動物ばかり(哺乳類、鳥類、昆虫が大半)で、遠い大陸や外洋にいるような生き物はあまり出てこない。
 どこにでもいるような生き物たちが、「どのように苦労しながら毎日を生きているのか」を、平易な語り口で説き明かしている。なんともいえない親しみやすさが一番の特色だろう。

 内容は2部構成。
 第1部「四季の『いきもの博物誌』」は雑誌『ゆたか』に連載されたエッセイを、春夏秋冬の4章に分けてまとめたもの。なぜか春と夏が多く、秋と冬は少ない。
 第一章「春の「いきもの博物誌」」は、「蜂とゼンマイの春」など12編。登場するのは蜂のほか、ウグイス、ギフチョウ、ドジョウ、イモリ、オタマジャクシ、ミズスマシ、アメンボ、モグラ、カラス、イサザ、クジャク。水辺の生き物が多いような気がする。
 第二章「夏の「いきもの博物誌」」、「カエルの合唱はのどかなものか」など11編。カエル、ヘビ、カタツムリ、アブラムシ、トンボ/ヤゴ、セミ、ボウフラ、松食い虫、タガメ、ムカデ/ヤスデ、ヤモリ。
 動物好き、虫好きで知られる著者が、「ムカデだけはだめである」と白状している。この人にも苦手な生き物があったのだ。
 第三章「秋の「いきもの博物誌」」、「意外に獰猛なテントウムシ」など6編。この章が一番少ない。テントウムシ、コウモリ、スズメ、ムササビ、イヌ、ミノウスバ。イヌ以外は飛ぶやつばかり。
 第四章「冬の「いきもの博物誌」」、「タヌキの交通事故」など7編。タヌキ、イタチ、カマキリ、蛾、オオカミ、ツル、ネコ。
 本書のタイトルになっている「ネコはどうしてわがままか」はこの章。なぜ冬に入っているのかはわからない。それはともかく、ネコは人間と疑似親子関係を結んでいるのだそうだ(というか、ネコが勝手にそう思っている)。もちろん人間が親でネコが子供。わがままなのはそのせいだというのが著者の説。

 第2部「「いきもの」もしょせんは人間じゃないの!?」は『ヴァンテーヌ』に連載した「ちょっとエソロジー」をまとめたもの。エソロジーは動物行動学のこと。
 動物たちの人間のような行動を取り上げていて、「すねる」、「きどる」、「確かめる」など11編。
 中では「落ちこむ」が面白い。飼い猫がジャンプに失敗して落ち込むところなど、情景が見えるようである。エッセイとしてはこの第2部の方がよくできている気がする。

 解説は山下洋輔。本の内容と関係なく、自分の猫のことばかり書いている。しかもやたらと長い。

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2020年3月28日 (土)

そうだったのか、路面電車

そうだったのか、路面電車 知られざる軌道系交通の世界/西森聡(交通新聞社新書,2018)
 著者はヨーロッパを中心に写真を撮っているカメラマン。そのせいで路面電車になじみがあるのだろう。
 本書には「路面電車愛」があふれている。路面電車が衰退する日本の現状を寂しく思い、消えていった路線を惜しみ、LRT普及への動きに希望を見いだしている――そんな心情がひしひしと伝わってくる。
 著者の理想は、慣れ親しんだヨーロッパの路面電車。先進的技術や合理的な運行システム、環境への配慮…。そして高く評価しているのがセルフサービス方式(信用乗車方式)の運賃授受。これは路面電車に限らず、ヨーロッパの鉄道では普通らしいが。
 このセルフサービス方式について、著者はこんなことを言っている。

 ところが、なぜか日本ではこの方式が導入されない。セルフサービス方式で問題になるのは無賃乗車だが、信用乗車を導入している国に比して日本が公徳心に欠ける国であるとは到底思えないから、かなり不思議だ。(p.118)

 確かにそうかもしれない。日本で信用乗車が導入されないのは、公徳心の問題ではなく、規範意識が強すぎるせいのような気もするが。

 内容は全6章。
 第1章「路面電車の現在」は、そもそも路面電車とは何か、について解説。その法的位置づけと、鉄道との違い。
 第2章「路面電車の誕生と発展」は歴史編。「電車」という乗り物の誕生に始まる、日本での路面電車創世記。路面電車は全国への普及し、太平洋戦争開戦直前くらいまでに、最盛期を迎える。全国114の路面電車を図示した68-69ページの地図は圧巻。
 第3章「衰退する路面電車――路面電車の歴史」は、歴史編の続き。終戦後、戦災から復興したものの、モータリゼーションなど社会情勢の変化により、路面電車は急激に衰退していく。阪神、阪急、京阪などが最初は路面電車として開業した歴史も語る。
 第4章「世界の合言葉は「LRT」」。この章は著者独自の公共交通論みたいなもの。路面電車の利点、そして新たな希望としてのLRTについて語る。富山市に見る、LRTを軸とした街作りの事例も紹介。
 路面電車論としての本書の内容は、事実上この章で終わっている。後は各論。
 第5章「路面電車の車両の話」は、ややマニアックというか、鉄道マニア向けの内容で、主に路面電車の車両について。鉄道の車両が、今ではステンレスやアルミが主流になっているのに対し、路面電車の車両は今でも鉄製が主流。車とぶつかる可能性が高いので丈夫に造っているのだという。
 第6章「全路面電車を概観する」。現在も路面電車(軌道)を運用している全国19の事業体を紹介。中には、路線のほんの一部だけが併用軌道というところも多い。路面電車マニアのためには、立派な年鑑も毎年出ているが、ブログ主のようなライト読者には、これで十分である。

 

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2020年3月23日 (月)

幻坂

幻坂/有栖川有栖(角川文庫,2016)
 大阪の四天王寺界隈に、上町台地を上がっていく七つの坂がある。その「天王寺七坂」を舞台にした、怪談連作短篇集。
 ただ、怪談と言っても、恐怖の要素がほとんどない人情話が多い。そして、著者の郷土愛があふれる「大阪小説」でもある。
 本書のメインとなる7編は、坂の名前がそのままタイトルになっている。

「清水坂」
 語り手が子どもの頃、仲がよかった女の子が、引っ越した先で死んでしまう。その時、語り手は清水坂の玉出の滝で、ささやかな怪異を目撃する。帰って来ない幼い日々への哀惜に満ちたノスタルジー小説。
「愛染坂」
 小説家と作家志望の女性との出会いと別れ。そして愛染坂での悲しくも美しい再会を描く、悲劇の恋愛小説。
「源聖寺坂」
 ファッションデザイナーの別荘で起きる幽霊騒動。その場に招かれていた心霊探偵、濱地健三郎が謎を解明し、かつてこの別荘で起きた殺人事件を暴く。怪談とミステリの融合。
「口縄坂」
 猫好きの女子高生が口縄坂で猫の写真を撮っているうち、妖怪猫に取り憑かれる。これは恐怖を前面に出した本当の恐怖小説。
「真言坂」
 他の作品もそうだが、この作品は特に大阪天王寺界隈の案内記の様相が濃い。真言坂の上にある生玉神社の境内で、主人公の女性は兄のように慕っていた職場の先輩の幽霊と出会う。実に人のいい幽霊が登場する人情怪談。
「天神坂」
 心霊探偵濱地健三郎が再登場。同じキャラクターが二度登場するのはこの話だけ。男を恨んで自殺し、幽霊となってさまよっていた女性を、濱地は天神坂の途中にある不思議な割烹に案内する。料理の描写がやたら詳しい料理小説。
「逢坂」
 新作演劇の脚本や演出を巡って座長と激しく対立する役者の悩みと葛藤が話の中心。この主人公が幽霊を見る体質なのだが、実のところ怪談的要素は非常に希薄で、完全に演劇小説と言っていい。
 
「天王寺七坂」の物語はここまでだが、この後、江戸時代以前の四天王寺近辺を舞台にした作品がさらに2編収録されている。

「枯野」
 松尾芭蕉が天王寺七坂の付近で死んだことは、これまでの話でも何度も言及されていたが、この話ではその芭蕉自身を主人公に、最後の日々を描く。死を前にした芭蕉につきまとう「影」。芭蕉が詠んだ有名な俳句の数々が、その「影」によって不気味な意味合いを持つものに変容していく。
「夕陽庵」
 四天王寺周辺の「夕陽ヶ丘」の地名は、鎌倉時代、藤原隆家が出家して死ぬまで住んでいた夕陽庵に由来する。その藤原隆家が死んで約20年後、ある男がその夕陽庵を訪ね、生前の隆家の世話をしていたという老爺から話を聞く。――という地名由来譚みたいなもので、全然怪談ではない。

Maboroshizaka

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2020年3月19日 (木)

私たち異者は

私たち異者は/スティーヴン・ミルハウザー;柴田元幸訳(白水社,2019)
 奇想と文学的トリックに満ちた短編集。これまで本ブログで紹介してきた2冊のミルハウザーの短編集と同じく。
 本書は、原著から既訳短編集に収録されている作品を除いて、新作7編だけを収録している。

「平手打ち」
 街中に突然現れ、通りすがりの人間に平手打ちをくらわせる謎の男。警察も動くが、結局、男の正体も動機も不明なまま、事件は未解決に終わる。一種のミステリとも言えるが、最初から、これは何も解決しないまま終わるだろうと予想できるのが普通のミステリと違うところ。全体が報告書風の文体で書かれていて、平手打ちという行為の哲学的考察がたっぷり含まれているのが、いかにもこの著者らしい。

「闇と未知の物語集、第十四巻「白い手袋」」
 何か怪しげなイメージをかきたてる変なタイトルだが、物語そのものは、日常にまぎれこんだ異常を描くもの。少女の左手に何か異変が起きている。左手をしきりに掻いていた彼女は、しばらく学校を休んだ後、常に左手に手袋をするようになった。その中の手はどうなっているのか。少女と親しい少年の想像力が暴走する。そしてある日、ついに少女は彼の前で手袋をとる…。

「刻一刻」
 作中で「こいつ」と呼ばれる9歳の少年が、家族と過ごす川縁のピクニックの情景。何気ない日常の中で、少年は決定的な成長の一瞬を迎える(らしい)。

「大気圏外空間からの侵入」
 宇宙から何者かが地球に接近してくる。人々は宇宙からの侵入者の到来を待つが、実際には、黄色い埃が降ってきただけ。みんながっかりする。ある意味、究極の侵略SFとも言える。

私たちは血を求めていた。潰れた骨を、苦痛の絶叫を求めていた。建物が街路に倒れ、自動車が炎上することを求めていた。茎のように細い首に肥大した頭が載った私たち自身の怪物バージョンを、殺人光線で武装した無慈悲なぴかぴかのロボットを私たちは求めていた。(中略)恐怖と恍惚を私たちは求めていた。とにかく何であれ、こんな黄色い埃を求めていたのではなかった。(p.114) 

「書物の民」
 演説の形をとった小説。狂熱的な口調の語りから、宗教と化した書物崇拝のグロテスクな姿が浮かび上がる。

「The Next Thing」
 新しくオープンした巨大ショッピングセンターが地域社会を浸食し、人々の生活を呑み込んでいく過程を描く。地下に広大な世界を作りあげるショッピングセンターはほとんど超現実的な存在だが、ある意味非常に現実的な話でもある。

「私たち異者は」
 全体の3分の1近くを占める中編。医師ポール・スタインバックは、ある日ベッドに横たわる自分自身の姿を見た。彼は「異者」になったのだった。「異者」とは要するに幽霊のことと思われる。
 ただ、この作品の「異者」は独特。生前――というか、オリジナルとは別人格を持っていて、「異者」独特の思考や行動様式を持っている。「私たちは、私たち異者は――」とポール、というよりポールの幽霊は、語りの中で何度もくり返す。その語りは自虐的な繰り言に満ちている。
 そんなポールの幽霊は、モーリーンという一人暮らしの中年女性の家にひそみ住む。やがてモーリーンは彼の存在に気づき、二人の間に奇妙な共存関係が生じる。しかしモーリーンのところに転がり込んできた姪のアンドレアによって、微妙なバランスは崩れてしまう。

 ベストはやはり表題作だろうが、個人的に気に入ったのは、「大気圏外空間からの侵入」。

Weothers

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2020年3月15日 (日)

猫小説アンソロジー

 今回は、3年くらい前に出た猫小説アンソロジーを2冊。

猫ミス!/新井素子ほか(中公文庫,2017)
 タイトルのとおり、猫のミステリ・アンソロジー。しかし新井素子が入っていることからもわかるように、ミステリとはちょっと毛色の違う作品も入っている。

「黒猫ナイトの冒険」(新井素子)
 野良猫になって名前もなくしてしまった猫が、家に戻るまでの物語。猫の一人称の語りがいかにも新井素子らしい。ミステリの要素は全然ない。
「呪い」(秋吉理香子)
 野良猫の保護活動をするグループと、猫嫌いの老人との対立が事件を呼ぶ。なんで猫のためにここまで…と思わせる、猫好きのためなのか猫嫌いのためなのかわからない作品。
「春の作り方」(芦沢央)
 桜茶と猫とアレルギー、という三題噺みたいな作品。猫は出てくるけど、あまりストーリーとは関係ない。
「一心同体」(小松エメル)
 生まれた時から30年も一緒だった茜と葵。だが葵は突然姿を消し、代わりにしゃべる猫が茜のところにやってくる。これはホラー風味のミステリ。
「猫どろぼう猫」(恒川光太郎)
 空き巣を職業とする羽矢子は、妖怪「ケシヨウ」を追っているという老人に捕らわれる。その場に吸い寄せられるように勘違いした男女が現れ、誤解が誤解を生んで、あるいは妄想が妄想を呼んで、惨劇が始まる。ミステリじゃなく、どう見てもホラー。
「オッドアイ」(菅野雪虫)
 死んだ子猫と、小学生の友情。ミステリ要素は極めて薄い、少年小説とも言うべきもの。
「四月のジンクス」(長岡弘樹)
 幼なじみの老女二人と、飼い猫の話。ミステリというより、人情話。
 最後の「猫探偵事務所」(そにし けんじ)は、マンガ。犯人がいて探偵がいて謎解きがあって…という普通のミステリの形をとった小説がひとつもない中で、このマンガがそんな要素を全部備えていて一番ミステリらしかった。ギャグだけど。

Nekomys

猫が見ていた/湊かなえ他(文春文庫,2017)
 表紙とタイトルがミステリっぽい雰囲気を出していて、こちらも一見猫ミステリ・アンソロジーみたいに見えるが、実際にはミステリといえるのは1、2編だけ。そもそもミステリのアンソロジーとはどこにも書いてない。
 上の『猫ミス!』は、半分くらいは聞いたことのない作家だったが、こちらは有名作家が揃っている。

「マロンの話」(湊かなえ)
 猫の一人称による語り。小説家の「おばやん」に拾われて、語り手ミルが立派に家の一員になるまでの話。母猫のマロンが人の言葉がしゃべれたり、ミルに除霊能力があったり、ファンタジー要素が多い。
「エア・キャット」(有栖川有栖)
 有栖川・火村コンビのシリーズ。仮想上の猫「エア・キャット」を飼っていた男が自宅で殺されるという、普通のミステリ。猫は写真以外に登場しない。
「泣く猫」(柚月裕子)
 かつて自分を捨てた母を一人弔う娘。水商売仲間だった女が一人だけ弔問に来る。そして猫も。ミステリでもなんでもない、ただの文学作品。
「『100万回生きたねこ』は絶望の書か」(北村薫)
 出版社の女性編集者の日常を淡々と描くエッセイみたいな小説。猫は登場しない(話のネタにはなるが)。
「凶暴な気分」(井上荒野)
 この作品の主人公も女性編集者(ただし自費出版専門の会社)。「自分を鼓舞するために無理やり凶暴な気分になって」過ごす主人公の閉塞感に満ちた日々と荒れた心象を描く。
「黒い白猫」(東山彰良)
 台北の西問町にある通称紋身街、刺青師だらけの町が舞台。実在する場所らしい。その町に住む少年小武が、街の個性的な住民たちや猫と関わりながら、様々な体験をしていく話。
「三べんまわってニャンと鳴く」(加納朋子)
 主人公はソーシャルゲームにはまった若い会社員の男。はまっていたゲームが突然サービス中止になり、今までの課金がムダになった主人公は怒って「ソシャゲで奪われたものは、ソシャゲで取り返す」と復讐を決意する。殺伐としたドラマになるかと思ったら、普通にいい話だった。

Nekogamiteita  

 ――というような内容で、ミステリ・ホラー系が多い『猫ミス!』、一般小説・文学寄りの『猫が見ていた』と、方向性がやや違うのだが、さして違いがあるようには思えない。ただ、どちらも肝心の猫が活躍する話が少ないのはどういうことなのだろう。猫が全然登場しない作品さえある。猫をタイトルにするのなら、もっと猫を出してほしい。猫が足りん猫が。

 

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2020年3月11日 (水)

地図帳の深読み

地図帳の深読み/今尾恵介(帝国書院,2019)
 今尾恵介は地図に関する本を数多く書いていて、本ブログでも何回か取り上げている。だが、本書は普通の地図本とは少々毛色が違う。帝国書院と今尾恵介のコラボ本なのである。
 中学や高校で誰もが使う地図帳。その代表が帝国書院の『新詳高等地図』だろう。本書はその「高等地図」を主な題材に、地図と地理の蘊蓄を語る。
 豊富に引用されているカラー図版は、もちろん大半が「高等地図」からのもの。原寸大で、ただしカットや記号の書き込み、要所の強調などの加工がしてある。
 帝国書院の地図帳は誰もが知っていて、使ったことがあるはず。そんな一見初心者向けに見える地図帳から、著者は興味深いテーマを拾い上げ、さまざま角度から切り込んでいって、地理マニアも満足させる読みものに仕立て上げている。

 内容は全5章。
 第1章「地形に目をこらす」は、地形を巡るトピック。特に川に関するものが多い。最初は、「高等地図」の特色である等高段彩、それも海面下を示す「濃い緑」の部分について、世界の「低い土地」を地図で探す。その後は、川の山越え、四万十川の大蛇行の謎、アジアの大河、分水界など川に関する話題。川と言語分布をからめた「川の流れと言語が一致?」は面白い話題。出てくる地図は、3点を除いて全部「高等地図」。
 第2章「境界は語る」は、県境や国境など、境界線の話題。「高等地図」には旧国(武蔵とか摂津とか加賀とかいうあれ)の国境が表示してある。それを題材にした旧国の話題が特に面白い。「日本人の5人に1人は武蔵国に住んでいる」とか、「兵庫県は七つの国にまたがっている」(これは知っていたが)とか。他には、飛び地、直線州境、アフリカや中央アジアの気になる国境など。この章には「高等地図」以外からの地図がやや多い6枚。ただしその内の1枚は同じ帝国書院の中学校用地図。
 第3章「地名や国名の謎」は、地名の話題。「イギリス」「オランダ」とは何語なのかとか、「馬から落馬」のような山河名とか、自然地名の先住民言語への変更とか、時代によって変化する地名(主に外国)とか、ひらがな自治体名とか。この章の地図は一つを除いてすべて「高等地図」。その一つも、帝国書院の『世界地図』。
 第4章「新旧地図帳を比較する――地図は時代を映す鏡」。地図上に現れた時代による変化を読み取る。この章は古い時代の地図が多いので、当然ながら「高等地図」以外の地図が多数。『中学校社会科地図』、『帝国地図』、『新選詳図 世界之部』など。しかし全部帝国書院発行である。鉄道路線の電化・非電化を区別していたかつての『中学校社会科地図』、八郎潟などの干拓地のかつてと今、インド沿岸の群小植民地、分断国家、消えゆくアラル海など。
 第5章「経緯度・主題図・統計を楽しむ」は独立したトピックの集まりみたいなもの。「高等地図」ならではの特徴である、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなどの地図に表示された「同縮尺、同緯度の日本」からわかること。日本で最も長く陸上を走る緯度、北緯35度線を追う。世界各地と日本の人口・面積の比較(アラスカと練馬区の人口は同じ、バチカン市国は東京ディズニーランドより小さい、など)。そしてこれも「高等地図」ならではのトピック、地図に描かれた「名産イラスト」を語る。さらに宗教地図、言語地図、ケッペンの気候区分図も。

 それにしても、こんなに多種多様な情報が詰め込まれていたとは。帝国書院の地図帳は、実はすごかったのだ――ということが、改めてわかる。

Chizuchounofukayomi

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2020年3月 7日 (土)

捏造の日本史

捏造の日本史/原田実(KAWADE夢文庫,2020)
 日本史上のトピックを取り上げ、それがいかに史実とは異なっているかを指摘する。表紙や帯を見ると、歴史の通説、あるいは有名な説が、いかに嘘だらけであるかを暴露する――みたいな趣旨に見える。
 トピックは全部で27。先史時代の「日本に前・中期旧石器時代は存在した」から終戦直後の「下山事件の黒幕はGHQである」まで、時代順に並んでいて、【偽史1】から【偽史27】までの番号がふられている。
 ただ、すべて同じレベルの「偽史」というわけではない。仮に怪しさをレベル1からレベル4まで分けてみるとすると――。

 レベル1:「江戸時代は「士農工商」の身分制だった」とか「江戸幕府は「鎖国」政策をとった」とか、教科書にも載っている(載っていた)「定説」や「常識」に近いもの。
 レベル2:「天皇家は朝鮮半島からやってきた」とか「足利義満は皇位簒奪を図って暗殺された」みたいな、一部の学者が主張しているが少数派であるもの。
 レベル3:「山田長政はシャムで太守となった」、「「船中八策」は坂本龍馬が起草した」、「鉄道反対運動のために宿場町がさびれた」、「戦時中、軍の命令でゾウが殺された」など、小説やドラマの影響でなんとなくそう思われているもの。
 レベル4:「日本人は、古代イスラエル人の子孫」、「義経は大陸に渡り、チンギス・ハンになった」、「坂本龍馬はフリーメイソンだった」といった、本当のトンデモ説。

 実は、本書に取り上げられているトピックでレベル1のものはごく少なく、ほとんどがレベル2から4までのものである。
 中には「羊太夫は朝廷に滅ぼされた」なんて、初めて聞く話もある。羊太夫というのは古代の群馬県にいた英雄なのだそうだ。知らんがな。
 また、「吉良上野介は瑶泉院に言い寄った」とかいった忠臣蔵のエピソードなんて、創作がかなり混じっていることなんてそれこそ常識だと思う。
 まして、「聖徳太子は架空の人物だった」、「陰陽師・安倍晴明は超能力者だった」などが「実は史実ではなかった!」などと言われても、そんなこと、最初から信じている人の方が少ないだろう。
 つまり、本書に取り上げられているトピックの半分以上が、この手の「もともとそんなことは常識でもなんでもない」ようなものなのだ。むしろ「信じている方が非常識」な説もけっこうある。帯で煽っているような「通説をくつがえす」ようなインパクトはあまりないのだ。
 むしろ「こんな変な説が広まっていた(いる)」というおかしさを味わうのが正しい読み方かもしれない。

Netsuzounonihonshi

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2020年3月 3日 (火)

関西弁で愉しむ漢詩

関西弁で愉しむ漢詩/桃白歩実(子どもの未来社・寺子屋新書,2005)
 著者の本業は土木設計関係で、漢詩は趣味らしい。
 趣味で作ったサイト(もう10年以上更新してない模様)に発表していた、関西弁に意訳した漢詩をまとめたのが本書。収録されているのは六朝から唐にかけての古典時代の詩が中心である。
 関西弁訳というのは、例えば、収録された中で一番よく知られている陶淵明の「帰去来の辞」は、普通の読み下しなら「帰りなんいざ/田園将に蕪れなんとす なんぞ帰らざる」が、「さぁ 帰ろか~/イナカの田畑は荒れ放題や/これは帰らなアカンやろ」といった具合。

 内容はおおまかなテーマごとに10章に分かれていて、各章の最初にテーマに即した短いコラム、その後に5~6編の漢詩を掲載している。
 漢詩は、それぞれ最初に上のような関西弁訳、続けて原文と普通の読み下し、原作者の心の叫びを代弁するかのような著者のコメント(?)、その後にまた普通の日本語の「訳」、さらに註がついている。
 実に丁寧だが、二つめの「普通の日本語訳」は、どう考えても不要である。上の「帰去来の辞」なら、「さあ、帰ろう。故郷の田園は今にも荒れ果てそうだというのに、なぜ帰らずにいられるだろう」となっている。関西弁意訳、原文、読み下しがあれば内容は十分にわかるのに、さらに同じ内容を繰り返す必要があるのだろうか。なんだか水増しに水増しを重ねたような印象がぬぐえない。
 目玉の関西弁意訳は、なかなか考えて作っているのはわかる。ただ、ものによっては「や」とか「へん」とか1、2箇所に書いてあるだけで、ほとんど標準語と区別できないものもある。
 趣向はおもしろいのだが、ちょっと上滑りしているような気もする。あるいは、ちょっと素人っぽいというか。プロのライターじゃなないのだから仕方ないかもしれないが。

 各章の内容は以下のとおり。

第1章 幸も不幸もタイミングやて/第2章 故郷のこと思い出すねん/第3章 お酒止めたら楽しいことあれへん/第4章 仕事辞めるんも悪ないで/第5章 こんな風景を覚えておいてや/第6章 アンタのせいで息も出来へん/第7章 迷子みたいに心細いねん/第8章 人生ナンボのもんじゃ/第9章 今日でお別れやねんな/第10章 今を生きような

 

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