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2020年5月30日 (土)

スウェーデン女王クリスチナ

スウェーデン女王クリスチナ バロック精神史の一肖像/下村寅太郎(中央公論社,1975)
 この本を読んだのは去年の初め頃で、なぜか「女王」を主役にした歴史映画が何本も公開されていた時期だった。「女王陛下のお気に入り」とか「ヴィクトリア女王 最後の秘密」とか、「ふたりの女王」とか。
 しかし、これらの映画の主役はイギリスの女王ばかりである。まあ、一般的には女王と言えばイギリス、というイメージだろうが、それ以外の国にも個性ある女王はいたのだ。
 本書は、個性という面では際立っているスウェーデン女王クリスチナ(在位1632~1654)の評伝。読んだのは単行本だが、その後中公文庫で文庫化されている。

 クリスチナは、軍事の天才として知られるスウェーデン王グスタフ-アドルフの娘として生まれた。高慢でわがままだけど信心深い。周囲は彼女に振り回される。
 一番の被害者はデカルトかもしれない。クリスチナはこの哲学者を極寒の冬のスウェーデンに無理やり呼び寄せた。デカルトは健康を害してすぐに死亡。クリスチナに殺されたようなものである。
 だが功績も大きかった。三十年戦争のさなか、若くしてスウェーデンの女王となったクリスチナは、22歳でウェストファリア条約締結の立役者となる。ある意味、三十年戦争が終結したのはこの若い女王のおかげだったのだ。
 君主としての資質は国内外から認められていた。天才的な才能を持っていたらしい。
 しかしこの女性、プライドが高すぎた。神以外の何者にも従うことを認めない。だから周囲が躍起になって勧める結婚も最後まで拒否し通す。当時の常識では、妻は夫に従うもの。クリスチナは、夫を上位と認めなければいけない妻という立場に立ちたくはなかったのだった。
 そして、在位わずか10年で退位。プロテスタント国家スウェーデンに生まれ育ちながら、カトリックに改宗する。改宗するための退位だった。
 本書のかなりの部分は、クリスチナがなぜ改宗を決断するに至ったのか、その動機を内面から探ることに費やされている。だから宗教、哲学談義が相当に多い。正直言って読むのが疲れる部分。しかしそれこそが著者の書きたかったことなのだと思われる。
 退位、改宗したクリスチナはスウェーデンを離れてローマに住む。ローマでは華やかな生活を送っていたが、プライドは相変わらずで、気に入らなければ誰とでも、教皇その人が相手でさえケンカする。
 スウェーデンに帰国したこともあったが、王位と宗教を捨てたかつての女王に、祖国は冷たかったという。最後は63歳にしてローマで病没。教皇に祝福され、サン・ピエトロ大聖堂に葬られるという丁重な扱いを受けるが、周囲には家族親戚もいないし友人もわずかという、孤独な死だったようだ。
 こうしてその生涯をざっと見ただけでも、なかなかとんでもない人だったことがわかる。本書は、この強烈な個性を評伝にしたということだけでも、値打ちがある。上にも書いたように、決して読みやすいとは言えない部分もあるが、読みごたえはある。

Christinaofsweden

 

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2020年5月26日 (火)

有栖川有栖の鉄道ミステリー旅

有栖川有栖の鉄道ミステリー旅/有栖川有栖(山と渓谷社,2008)
 先日、本ブログで紹介した『幻坂』(2020年3月23日のエントリー)では、大阪への熱烈な地元愛を披露していた著者だが、本書ではまた別の側面を見せている。すなわち、鉄オタとしての――。
 内容は3章構成。

 第1章「ヰタ・テツアリス」は、いわば回想編。
 章題になっている「ヰタ・テツアリス」は、やや長文のエッセイで、幼少期から現在までの、鉄道との関わりを記している。と言っても、著者が本格的に鉄道好きになったのは大学四年の時と、比較的遅い。きっかけは宮脇俊三の『時刻表2万キロ』を読んだことだという。「たった一冊の文庫本で、私は変わった」と著者は言う。宮脇俊三恐るべし。
 こんな風に宮脇俊三から鉄道に入ったので、著者はほぼ完全な乗り鉄である。
 この章には、他に短い鉄道エッセイを5編収録。若い日の鉄道旅行の思い出話が多い。

 第2章「この鉄ミスがすごい!」は、鉄道ミステリ編。ミステリ作家で、ミステリマニアで、鉄道マニアで、鉄道ミステリマニアであるという著者ならではのエッセイが集まっている。
 中でも、「この鉄ミスがすごい!」は、松本清張『点と線』からの日本の鉄道ミステリの歩みを述べたもの。
 著者は『点と線』のトリックには不満らしい。一方で作家としての師でもある鮎川哲也の鉄道ミステリは激賞している。
 ただ、本文よりも、後ろについている日本の鉄道ミステリベスト60のリストの方が値打ちがあるかもしれない。読んでみたくなる本が多い。
 他に、鉄道ミステリ関連エッセイ3編と、なぜかマレー半島鉄道紀行「多国籍な雰囲気が楽しいマレー鉄道寝台列車の旅」を収める。

 第3章「日本列島殺人のない鉄旅」は、本書のページ数の半分以上を占め、事実上のメインコンテンツとなっているシリーズエッセイ。
 元は山と渓谷社のムック『ゆったり鉄道の旅』に連載されたもの(「島原旅情」だけ別)。
 内容はただの鉄道紀行で、本当にミステリとは関係ないことばかり書いている。
 北から南へ、北海道の根室本線から九州の指宿枕崎線まで、日本各地のローカルな特色ある路線に乗る旅。マニアックな趣向はほとんどなく、ごく普通に、ゆっくりと旅している。その気負わない感じがいい。
 著者の地元である大阪では、大阪環状線に大阪モノレールという、ごく日常的な路線に乗っている。それでいて、実に魅力的に語っているのだ。
 最後の「あとがきに代えて」では、鉄道でもミステリでもなく、東京一極集中の弊害と地方の衰退について真面目に語っている。

 ミステリよりもテツ成分の方がやや濃いめのエッセイ集だった。なお、文庫版は光文社文庫から。

Tetsudoumysterytabi

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2020年5月22日 (金)

戦国「常識・非常識」大論争!

戦国「常識・非常識」大論争! 旧説・奇説を信じる方々への最後通牒/鈴木眞哉(歴史新書y,2011)
 戦国時代の歴史について、旧来の通説を唱える人たちを名指しで攻撃する、かなり挑戦的な本。各章、問題点の概要を述べた後は、著者がインタビューに答えて語る形式になっている。

第1章「『武功夜話』を偽書といって悪いんですか?」
『武功夜話』は、1959年の伊勢湾台風の時に崩れた土蔵から出てきたとされる文書。著者は2001年にこの文書について、『偽書『武功夜話』の研究』という本を出したが、それに対する反論・批判への反論。主に槍玉にあがっているのは小和田哲男。

第2章「司馬遼太郎先生、お言葉ですが…」
 司馬遼太郎の歴史小説がはらむ問題。といっても、いわゆる「司馬信者」がフィクションを事実と信じている問題ではない(そんなものは、文字通り問題外なのである)。「司馬氏ご本人が史実だと信じて語ってこられたようなものの中に、けっこう誤りがある」点を指摘している。桶狭間の戦いや織田信長の人物像などについて。

第3章「やはり「武田騎馬隊」はいませんよ!」
 いわゆる武田騎馬軍団が「あった」派への反論。相手は桐野作人や小和田哲男など。

第4章「信長が「鉄船」を造ったと気楽に主張される方々へ」
 信長の「鉄船」の実在性や、織田軍の海上封鎖の実効性についての疑問。この章は特定の相手に反論するというより、自分の見解を述べている。

第5章「「鉄砲は、やっぱり信長よね」と口癖のように言う方へ」
 信長と鉄砲の関係は誤解だらけ、と俗説を斬っていく。「ジャーナリスト出身のS」という物書き(故人)のトンデモ説を特に批判。批判の鉾先はさらに世の中の「信長主義者」や、旧陸軍にまで及ぶ。

第6章「本能寺の変にどうしても「黒幕」を登場させたい方へ」
 本能寺の変謀略説を「珍説奇論のコンクール」と斬って捨てる。主に批判されているのは藤田達生。
第7章「信長・秀吉の成功は「兵農分離」のお陰ですか?」
 いわゆる「兵農分離」議論の見直し。これも特定の相手を批判するというより、ほぼ自分の説を述べているだけ。

 というような内容で、ブログ主の知識では、どちらの議論が正しいのかまで判断することはできない。サブタイトルに「最後通牒」とあるわりには、その後10年近く経っても何か決着がついたようには見えないし。
 しかし活発な論争があるのは別に悪いことではない。ただ、著者が論じているのはほとんどが織田信長がらみ。もうちょっとテーマにバラエティを持たせてもよかったのではないだろうか。

 

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2020年5月18日 (月)

小川洋子の陶酔短篇箱

小川洋子の陶酔短篇箱/小川洋子編著(河出文庫,2017)
 基本的に純文学系の作品を集めたアンソロジー。純文学といっても、いわゆる「奇妙な味」に似た、変な作品が多い。
 戦前の文豪から現役作家まで、16編を収録。各作品に編者の解説エッセイ(あまり解説になってないが)がついている。

「河童玉」(川上弘美)
 友人のウテナさんが河童に招待されて人生相談を持ちかけられる。最初から最後まで変な話。
「遊動円木」(葛西善蔵)
 奈良に新婚夫婦を訪ねた夜、遊動円木に乗る妻。それだけの短い話だが、どこか変。
「外科室」(泉鏡花)
 手術室に運び込まれた伯爵夫人と執刀医の間の過去の因縁。文語調の文章なので、仮名使いは旧仮名のままにしてほしかった。
「愛撫」(梶井基次郎)
 猫の虐待を妄想する男の独白。猫好きの編者は何を思ってこの作品を選んだのか。
「牧神の春」(中井英夫)
 牧神に変身した青年が、ニンフと化した少女と動物園で暮らし始める。変な話には違いないが、中井英夫が書くと自然に見える。
「逢びき」(木山捷平)
 大陸の旅から帰ってきた男と、その妻の噛み合わない会話。それでいて、いかにも似合いの夫婦に見えるのが不思議なところ。
「雨の中で最初に濡れる」(魚住陽子)
 知らない女がスクアランを売りに来る。次には野草茶を。そしてレイエンを。特異な言語感覚に満ちた作品。
「鯉」(井伏鱒二)
 十数年前から作者を悩ませる鯉の話。
「いりみだれた散歩」(武田泰淳)
 三軒茶屋のアパートに引っ越した主人公の周囲は、どこにでもいそうで、それでいてどこか変な人間ばかり。日常的なのに、やはり変な話。
「雀」(色川武大)
 子どもの頃の悪夢と、父親の奇妙な言動の思い出話、みたいなもの。
「犯された兎」(平岡篤頼)
 大学時代の友人が訪ねてきて、同人誌に誘う。恋人がやってきて、犯されたかもしれないと告白する。主人公の男は、そんなことよりも飼っている兎の心配をする。どこか狂気をはらんだ日常の物語。
「流山寺」(小池真理子)
 死んだ夫が、自分が死んだことに気づかずに家に帰ってくる。その妻である「私」は、夫に自分の死を気づかせないようにふるまう。しかしそんな夫の行動が死者たちの怒りを買う。この話はなかなかいい。
「五人の男」(庄野潤三)
 作者の記憶に焼き付いた、名前も知らない5人の男の話。相互に関係のないエピソードがただ並んでいるだけに見えるが、なぜか鮮やかな印象を残す。
「空想」(武者小路実篤)
 兄と妹の会話。兄の絵をけなした批評に対して、ひたすら絵を擁護し、兄を激励する妹。実は――というオチが情けなくも悲しい。
「行方」(日和聡子)
 ふと目にした「影」に取り憑かれた女性。海辺の荒れ果てた漁師小屋に導かれ、そこでいつ果てるとない日々を暮らすことになる。ちょっと山尾悠子に似てる気もする、ほぼ純粋な幻想小説。
「ラプンツェル未遂事件」(岸本佐知子)
 これはエッセイ。しかしほぼ全部フィクションと思われる。内容は小説よりも変。

 マイベストは「流山寺」。

Ogawayoukonotousuitanpen

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2020年5月14日 (木)

消えた国追われた人々

消えた国追われた人々 東プロシアの旅/池内紀(みすず書房,2013)
 先日紹介した『ドイツ 町から町へ』(2020年4月20日のエントリー)と同じく、池内紀の紀行エッセイ。そしてドイツ関連であることも同じだが、本書の場合、ドイツ本国ではなく、「かつてドイツだったところ」である。
 サブタイトルにもあるとおり、その「消えたドイツ人の国」は東プロシア。ドイツ文学が本業だった著者が、ドイツ語の「プロイセン」ではなく、「プロシア」と表記しているのは、あえて国籍不明な曖昧さを表したかったのだろうか。
 ともあれ、著者はその東プロシアを中心に、失われた「ドイツ人の町」の面影を訪ねて、ポーランド、ロシア、リトアニアなどを旅する。東プロシアは第二次世界大戦後にこの三カ国に分割されて地図から消滅、住んでいた数百万人のドイツ人たちは追放されたのである。
 内容は紀行だけでなく、そんな歴史に関する記述もかなりの部分を占めていて、冒頭から悲劇の色を帯びている。
 最初の章「グストロフ号出港す」で書いているのが、豪華客船グストロフ号の惨劇。
 第二次世界大戦末期、東プロシア各地からの避難民を満載してグディニア出航、航海中にソ連の潜水艦に撃沈されて、九千名とも言われる海難史上最大の犠牲者を出す。
 東プロシアの悲劇を象徴する事件として、この船のことはこの後何度も出てくる。
 次の章(章番号はない)「水の国」からが紀行の本編というべきもの。
 最初に訪れるのは、ポーランド北西部の旧東プロシア。ヴァイクセル(ヴィスワ)川流域や、ヒトラーが対ソ戦の司令部として築いた秘密基地「狼の巣」など。この「狼の巣」で起きたヒトラー暗殺未遂事件などにも言及している。
 続いてロシアのカリーニングラード地区。ここも旧東プロシア。中でも旧ケーニヒスベルク、今のカリーニングラードはプロシア王宮があった都市で、東プロシアの中心。カントの故郷としても知られるが、ソ連時代に徹底的に改造されて、昔の面影はほとんどない。ここではロシアとドイツの間で数奇な運命を辿ったあげく歴史の闇に消えた「琥珀の間」の物語などが語られる。
 リトアニアで訪ねるのは、旧メーメル地区、現在のクライペダ周辺。表紙にもなっている少女像は、クライペダに立つ「タラウの娘」の像。
 著者はラトヴィアにも足を伸ばし、旧リーバウ、リエパーヤも訪ねる。ここは厳密には東プロシアではないが、かつてドイツ人のハンザ同盟都市として栄えたところ。今もドイツ人町が残っていることに著者は驚く。
 さらに著者はポーランドに戻って、グダニスクも訪れる。『ブリキの太鼓』の舞台としても知られる旧ダンチヒ。ここも厳密には東プロシアではない(西プロシア)。しかし東プロシアの歴史とは切っても切れない都市である。
 最後に著者が訪れるのは、旧東ベルリンにある「ドクター・マイヤーの東プロシア旅行社」という小さな旅行会社。東プロシアの旧ドイツ人社会の後を訪ねるツアーを企画しているところ。
 著者はこのドクター・マイヤーとともに、ポーランドの旧コルベルク(コウォブジェク)まで行って、改めてドイツ人にとっての東プロシアというものについて思いをはせる――。というところで終わり。
 日本人にとって何の関係もないといえば関係ない、なじみの薄い地域の歴史と人々。しかし奇妙に情感と興味をそそられる紀行なのである。
 それにしても、今回は「旧○○」がやたら多かった。

Kietakuniowaretahitobito

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2020年5月10日 (日)

漢字のいい話

漢字のいい話/阿辻哲次(新潮文庫,2020)
 漢字に関するエッセイやコラムを集めたもの。中国の漢字史から現代日本の漢字文化まで、題材は幅広い。
 時間と空間を超えた漢字談義を楽しむことができるが、寄せ集めなので体系性はない。同じ著者の本でも、1冊まるごと書き下ろした本――例えば以前に本ブログで紹介した『漢字三昧』(2008年8月18日のエントリー)など――に比べると、やや散漫な印象はある。

 内容は4部構成。
「漢字はお好きですか?――まえがきにかえて」では、漢字を自動車やコンピュータになぞらえている。
 1<漢字を楽しむ>は、漢字の起源や歴史に関する話題。「虫歯の漢字学」、「「みち」の漢字学」など5編。
 2<文物と遺跡>は、中国の漢字史、さらに漢字を生み出した中国の歴史そのものについての、やや学術的な文章を集める。回想記や現地ルポが多い。「北京図書館の『説文解字讀』」、「段玉裁の故郷を訪ねて」など、6編。
 3<東アジアの漢字文化>は、現代日本と中国の漢字事情。日本については、地名の略語、国字、新常用漢字などの話題。中国については、外国語の表記や字体の話など。「この世に漢字はいくつあるのか」、「可口可楽・魔術霊・剣橋大学」など、7編。
 4<書と漢字>は、漢字表記の技術についての話題。「筆記用具が書体を決める」、「書はいつから書なのか」、「漢字のソフトとハード」の3編。
 最後に、「漢字はどこへ行くのか――あとがきにかえて」は、文字コードの話で、第4部の続きみたいなもの。
 単行本が出たのが2001年なので、「今ではコンピュータが六千以上もの漢字を簡単に処理できるようになった」などと書いているが、今ではユニコードが普通に使えるので、コンピュータで使える漢字は数万字に増えている。今から見れば、「たった六千」なのだ。

 ところで阿刀田高の解説には、「総じて本書は軽いエッセイ集だが、むつかしいところはかなりむつかしい。だから、そんなところは、/――ふーん、そうなんだ――/ と瞥見してよかろう」などと書いてある。「むつかしいところ」とは、第2部の「北京図書館の『説文解字讀』」あたりを指しているのだろうか。しかし、ブログ主みたいな文字好きには、そういうところこそが面白いのである。「むつかしい」を敬遠して、何の面白みがあるというのか。

Kanjinoiihanashi

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2020年5月 7日 (木)

だから見るなといったのに

だから見るなといったのに 九つの奇妙な物語/恩田陸ほか(新潮文庫,2018)
 8編の小説と絵物語1編を集めたアンソロジー。基本はホラー。
 元は『小説新潮』に掲載されたものだそうで、タイトルはアンソロジーにまとめてからつけられたものだろうが、確かに、「見てはいけないものを見てしまった」人間の陥る恐怖の物語が多い。
 若手作家が多くて、ブログ主が知ってる名前は恩田陸と海猫沢めろんと北村薫だけだった。
 収録された小説は以下のとおり。

「あまりりす」(恩田陸)
 ボイスレコーダーに録音された音声だけで構成される話。宴会の席でかわされる会話から、人里離れた村に伝わる「あまりりす」なる存在が浮かび上がってくる。それを見てしまったら、もう最後なのだった。
「妄言」(芹沢央)
 新婚夫婦が引っ越して来た家の隣人は、最初は人のいい主婦のように見えたが、次第に言動がおかしくなる。単なる「迷惑な隣人」の話に見えて、実は「見てはいけないもの」を見ていた人だったのではないかという真実が、最後に示唆される。
「破落戸[ごろつき]の話」(海猫沢めろん)
 語り手の10年来の知り合い、謝花。沖縄生まれの彼は、タイトルのとおりのゴロツキ。語り手と酒を飲みながら、謝花は凄惨な少年時代からの思い出話を語る。その思い出は「見てはいけないもの」に満ちていた。実話怪談の雰囲気に、すさんだ人生の臭いをまぜこんだような話。
「とわの家の女」(織守きょうや)
 置屋「とわの家」の芸者に恋をしてはいけない。周囲の人間からそう言われながらも恋に走った男が最後に見たもの。こんなことになるのなら、最初から女を「見なければよかった」という話。
「自分霊」(小林泰三)
 一人暮らしを始めた女子学生の部屋に出現する、幽霊らしきもの。実は未来の彼女自身だと、それは語る――。確かにホラー要素はあるが、本質は小林泰三が得意な時間SF。これこそ「見てはいけない」の典型。
「高速怪談」(澤村伊智)
 5人が乗った車が夜の高速道路を走る。シートが3列になった車らしい。乗っている人間が一人ずつ、怪談を語っていく。話がとんでもない方向に行き、一時は車内がパニックになる。それが解決されたかに見えた時、本当の恐怖がやってくる。
「ヤブ蚊と母の血」(前川知大)
 母が失踪し、父に放置され、自ら菜園で野菜を作って食いつなぐ、たくましくも野蛮な少年が主人公。最後の方は正直言ってなんだかわけがわからないが、壮絶な青春小説みたいな話。ラストシーンは「生き埋め」で終わるのだが、作者が劇作家で、劇団名が「イキウメ」というのは、話ができすぎ。
「誕生日[アニヴェルセール]」(北村薫)
 太平洋戦争末期、戦国時代から続く侯爵家に双子の弟として生まれた男が、鎌倉の別邸で病に蝕まれながら、デカダンスに満ちた最後の日々を送っていた。この主人公は本当に何もしない。というか、病気で寝込んでいるだけで何もできない。最初から破滅しているようなもので、「だから見るな」も何も関係ないのである。

 正直言って、なんだか後味の悪い話ばかりなので、けっこう読む人を選ぶアンソロジーではある。

Dakaramirunato

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2020年5月 2日 (土)

ヒーローインタビュー

ヒーローインタビュー/坂井希久子(ハルキ文庫,2015)
 架空のプロ野球選手と、彼に関わりを持った人々を描く小説。野球の場面はよく出てくるが、スポーツ小説という印象はあまりなく、基本的にヒューマンドラマ。
 主役は、阪神タイガースの仁藤全[あきら]、通称ゼン。2000年のドラフトで高卒でタイガースに入団。選手生活のほとんどを二軍で送り、2010年に引退した、無名のまま終わった選手――ということになっている。
 実は仁藤は抜群のセンスを持つ強打者で、二軍ではホームランを量産していた。しかし極度のあがり症で、一軍に上がるとさっぱり打てなかったのだ。
 そんな仁藤が、プロ生活最後となる2010年シーズン、最後のホームゲームで、前人未踏の偉業をなしとげるところがクライマックス。しかしこの試合、阪神は負けたので、仁藤はついに一度もヒーローインタビューを受けることなく、選手を引退する。
 タイトルは、球場でのヒーローインタビューのことではない。この作品は、仁藤にかかわった5人の人間へのインタビュー形式で語られているのだ。
 インタビューを受けるのは、仁藤の恋人となる庄司仁恵、阪神のスカウト宮澤秋人、仁藤と同期入団で、後にスター選手となる佐竹一輝、中日のベテラン投手山村昌司(明らかに山本昌がモデル)、仁藤の高校時代の野球仲間鶴田平。
 彼らのインタビューから、仁藤の人となりが浮かび上がってくる。才能を持ちながら大成しなかったこの選手の愛すべき人柄と、その半生の物語に、いつか読者はひきつけられていく…という仕掛け。
 なお、2010年は阪神タイガースが1ゲーム差で2位になり、優勝を逃した年である。
 この小説の中のペナントレースも大筋では史実どおりなのだが、小説の展開に合わせて微妙に変えてある。小説のクライマックスになる2010年の甲子園最終戦は、史実どおり9月30日。しかし試合相手は、史実では横浜だったが、この小説では中日になっている。
 その日中日の先発としてマウンドにあがり、クライマックスで仁藤と対戦するのが、山本昌…じゃなかった山村昌司なのである。

 地味な選手を主役にした、地味だけどいい話。

Herointerview

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