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2020年6月27日 (土)

南朝全史

南朝全史 大覚寺統から後南朝へ/森茂暁(講談社学術文庫,2020)
 2005年刊の単行本の文庫化。著者は南北朝時代の専門家で、中公新書から出ていた『皇子たちの南北朝』という本をずいぶん前に読んだことがある。
 本書は、南北朝時代だけでなく、その前後も含めた約300年間の歴史を語るもの。
 つまり、鎌倉時代後期の大覚寺・持明院両統の分立に始まり、建武の新政とその崩壊、南朝の成立、南北朝の合体、その後の後南朝の動向と終焉を述べる。さらにその後、最後には戦国時代に入って、伝説と化した後南朝にまで言及している。まさに「全史」である。
 ただ、扱う期間が長いだけに、その分本来の南朝についての記述が少なくなっている気がする。早い話が、記述が駆け足。
 本書を読んでも、南朝の具体的な姿はなかなかイメージしにくい。史料がわずかしか残ってないらしいから、仕方ないのかもしれないが。
 とはいえ、本書を読んでやっとわかったことがある。室町幕府が南朝を力づくで攻め滅ぼさなかった事情である。大覚寺、持明院両統を存続させるというのが、鎌倉時代から続く幕府の方針だった。幕府は、あくまで和議により、両統を合体させることを目指していたというのだ。
 南北朝時代後半の一時期、南朝の皇居が住吉大社に置かれていたことがある。あんな平坦な、防御に向かないところに南朝の本拠地があるのが不思議だった。幕府軍が本気で攻めて来たら防ぎようがないだろう。しかし本書を読んで事情がわかった。要するに放置されていたということらしい。

 内容は次のとおり。
 第一章「鎌倉時代の大覚寺統」は、大覚寺、持明院両統の成立と、対立の開始。自立を目指す大覚寺統(後の南朝)と、幕府に頼る持明院統(後の北朝)という性格の違いがそのころからあったらしい。。
 第二章「建武の新政」は、建武政権の統治システムとその限界について。
 第三章「南朝の時代」は、歴代南朝天皇の治世と、南北朝の合体までの、南朝略史。
 第四章「南朝を読みとく」は、著者の研究成果が一番盛り込まれていて、本書のメインとなる章。組織と制度、地方との関係など南朝の実態について。
 第五章「後南朝とその終焉」は、後南朝の活動とその末路を述べる。足利義教が大覚寺統の断絶を決めて、後南朝は消滅の運命をたどる。ただ、戦国時代になって、天正年間の説話に、「南帝の使者」を名乗る鬼が登場するという。説話の中の南朝は、伝説の妖怪みたいなものになってしまったのだ。

Nanchouzenshi

 

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2020年6月23日 (火)

刻丫卵(こくあらん)

刻丫卵/東海洋士(講談社ノベルス,2001)
 聞いたことのない謎の作家による謎の小説。
 いや、実は作者は別に謎でもなんでもなく、本編の主人公、祝座[のりくら]岳雄と同じく放送作家だったとのこと。著者と交友のあった竹本健治による解説に、そのプロフィールについて書いてある。
 さらにネットでいろいろと情報を探してみると、著者はこの本が出た翌年、2002年に死んだこと、新井素子がデビューしたのと同じ『奇想天外』新人賞に応募していたこと(二次予選まで通過していた)、死後に『東海洋士追悼集 やさしい吸血鬼』が出ていて、新井素子や竹本健治などが寄稿していること――などがわかった。
 東海洋士というのは本名で、享年47歳だったとのこと。小説は結局、これ一冊だったようだ。

 それはとにかく、この小説。なんだかわけがわからない。ミステリなのか、幻想小説なのか、一種のSFなのか。
 主人公祝座は、旧友の六囲[むめぐり]立蔵から久しぶりに連絡を受ける。正体されて六囲の家に行ってみると、見せられたのは卵型の物体。表面には時計のような仕掛けがいくつも取り付けられていて、一種の機械らしい。収められていた箱には「刻丫卵」[こくあらん]の文字。そして島原の乱にゆかりの山田右衛門作という人名も。
 六囲が「刻卵」と呼ぶこの機械は彼の家に伝わるものだという。ただ、ひとつ足りない部品が人手にわたっていて、それを取り戻して来てほしいと六囲は頼むのだった。
 祝座は詐欺同然の手段で足りない部品――十字型の時計が六囲のところに戻るように仕組む。そして完全形となった刻卵は時を刻み始めるが、ただそれだけで何も起こらない。だが、六囲が席をはずした時、祝座は刻卵が異様な変形を遂げるのを見る。
 現実か夢かわからないこの場面は、本編中唯一の幻想的場面なのだが、すさまじい迫力に満ちている。結局、それが何だったのか、最後までわからないのだが。
 その異常体験の後、祝座と六囲は刻卵を巡っていさかいを始め、二人は喧嘩別れする。
 その後まもなく、祝座は六囲の妻から、彼が急死したことを知らされる。刻卵は呪いの物体だったのか――。結局何もわからないまま話は終わる。
 実際の物語は、半分くらいが祝座と六囲の会話から成り立っていて、しかも二人の視点がめまぐるしく移り変わる。小説としては禁じ手をあえてやっていて、違和感が半端ない。この作品の奇妙な印象は、これも一因。
 そして以上のようなメインストーリーの合間に、漢数字の章がはさまれていて、「刻丫卵」の由来にまつわる島原の乱での出来事が語られる。それが本当にあったことなのかどうかは不明のまま。さらに、刻卵の部品を取り戻すために祝座が演じた芝居も、同じく漢数字の章で語られているのだ。どういうことなのか。読んでいる者は混乱するばかり。
 解説で竹本健治が種明かしというか、彼自身の解釈を述べている。漢数字の章は祝座が書いた文章。そして他のアラビア数字の章は、刻卵が語っているのだと。
 なんにしても、読者を幻惑に導く怪作である。この人にはもっと作品を書いてもらいたかった気もする。

Kokuaran

 

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2020年6月19日 (金)

中国史十話

中国史十話/植村清二(中公文庫,1992)
 単行本の発行は1960年。文庫で200ページあまりの薄い本でありながら、殷から明までの中国の歴史を語る、一般読者向けの歴史本。
 この著者には『万里の長城―中国小史』という中国通史の著作もある。本書と同じく中公文庫から復刊されていて、そちらは300ページ弱。長い歴史を短いページ数に詰め込むのが得意な人だったらしい。(例えば、中国史よりもかなり短い日本の歴史すべてを、200ページくらいの文庫本に収める――と言えば、これがどれくらい圧縮したものかわかるだろう。)

 内容タイトルのとおり、10章に分かれている。各章のタイトルとおおまかなテーマは次のとおり。

「殷虚の発見」:殷王朝の考古学的発見と中国古代史研究の現状。この章は歴史学そのもの。
「稷下の学士」:春秋戦国時代と諸子百家。
「万里の長城」:秦・漢の天下統一と万里の長城物語。
「西域都護」:前漢、後漢の西域経営。特に班超の生涯について。
「出師の表」:諸葛亮物語。
「清談」:晋王朝と竹林の七賢。
「盛唐の長安」:都市・長安の姿と、長安を歌った詩。
「宋の党争」:王安石と新法派・旧法派の抗争。
「草原の史詩」:チンギスカンの前半生。厳密に言うと、「中国史」の範囲からはずれてるような。
「宦官提督」:鄭和の大航海物語。

 簡明にして要を得ていて、それでいて詳しいところは詳しい。半世紀以上前に出版された本だが、中国史の入門書としてはわりとよくできていて、今でも通用する内容。
 ただ、長い歴史のごく一部だけのダイジェストであり、日本とも関わりの深い清朝以降の近現代の歴史に全然触れてない。本書だけでは歴史の全貌がわからない。中国史のエッセンスに少しだけ触れてみて、興味を抱かせるための本と言えるだろう。

 なお、著者はあの直木三十五の弟である(直木三十五の本名は植村宗一)。ドラマチックな語り口は家系によるものだろうか。

Chuugokushijuuwa

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2020年6月15日 (月)

大江戸御家相続

大江戸御家相続 家を続けることはなぜ難しいか/山本博文(朝日新書,2016)
 江戸時代の大名家の一大事、お家存続の事情について述べた本。
 サブタイトルの「家を続けることはなぜ難しいか」については、読めば答は明白。あまりに若死にが多すぎるためなのだ。
 大名家といっても、本書で取り上げられているのは、徳川将軍家、御三家、御三卿の事例が半分以上。こ
 れらは基本的に取りつぶしはないので、問題は、どこからどうやって後継ぎを連れてくるか、ということだけである。
 分家が次々と生まれ、他家に養子が入り、後継ぎがいなくなるとまた他家から養子を迎え――、誰が誰の子孫で、実際の血筋から言うとどうなっているのか、次第にわけがわからなくなってくる。
 後半は親藩の御家相続と、外様大名の事例が少し。基本的に、事実が淡々と述べてあるだけなので、起伏に乏しい記述である。山本博文の著書にしては、今ひとつ面白さに欠ける。

 内容は序章+4章構成。
 序章「徳川家康はなぜ天下を取れたのか――相続問題が豊臣政権を崩壊させた」では、まず豊臣家という、御家存続の失敗例を語る。
 第1章「徳川将軍十五代の血脈――徳川宗家の御家相続」。徳川家の相続も後半になるとごちゃごちゃしてきて、誰が誰の直系の子孫なのかわからなくなってくる。
 第2章「将軍家存続のために創られた家――御三家・御三卿の御家相続」。御三家の方も、幕末の頃になると水戸家を除いて本家の血筋で占められていた。そのおかげで、かえって将軍家への忠誠心が薄れるという皮肉な結果になったのだそうだ。逆に水戸家は独自の血筋のせいか過激化した。
 第3章「幕府に翻弄された「家門」松平家――徳川一門の御家相続」。親藩諸藩の事情。親藩も、江戸時代後期になると将軍家(特に子だくさんだった家斉)の子供たちの受け入れ場所になっていく。そんな中で、幕末まで結城秀康の直系の子孫が続いていた明石藩松平家が目を引く。
 第4章「御家騒動はなぜ起こったか――諸藩の御家相続事情」。ここでやっと徳川家、松平家以外の大名家が出てくる。福岡藩黒田家、仙台藩伊達家、対馬藩宗家、米沢藩上杉家、大和高取藩植村家――等々の相続を巡るトラブルの数々。

 ――というような内容で、全体として、「御家相続」というより、「養子事情」を述べた本だった。まあ、実子相続については特に書くこともないから、いかに養子で家を存続させたか、という話が中心になるのは当然と言えば当然なのだが。

 

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2020年6月11日 (木)

ファッションフード

ファッションフード、あります。/畑中三応子(ちくま文庫,2018)
 日本の食文化の歴史について書かれた本は数多い。
 当然ながら、食文化は時と共に変わってゆく。しかしその変化を、本書のように、次から次へと移り変わる「流行」として捉えた視点は、あまりなかったのではないだろうか。 本書は、「食べ物の流行」という視点から日本の食文化――というか、日本文化そのものを捉えたユニークな文化史。
 著者によれば、日本の食は今や「情報消費」と化しているのだという。そこへ至るまで、どんな変化を遂げてきたのか――。

 まずプロローグに当たる「ファッションフード前史」では、江戸時代から1970年頃までを簡略にまとめている。1970年代からが、本文で取り扱う時代になる。
 第1部「加速するファッションフード―1970年代」
 原点は大阪万博。著者が「ファッションフード成立元年」と位置づける1970年以来、ハンバーガー、フライドチキン、ドーナツ、アイスクリームの四大ファストフードチェーンが登場する。大ヒット商品としては、カップヌードル、チーズケーキなど。「紅茶キノコ」というあだ花まで登場する。
 第2部 拡大するファッションフード―1980年代
 バブル経済が始まり、一億総グルメ化へ。「美味しんぼ」の連載が始まったのもこの時代。一方でB級グルメ、エスニック料理も流行する。
 第3部 自己増殖するファッションフード―1990年代
 この時代、命名が生んだ大流行の数々が目立つ。「イタめし」、「スイーツ」、「カフェ」。ティラミス、ナタデココ、モツ鍋などがはやっては廃れていく。一方で、ラーメン、蕎麦、さらには油や塩や米までブランド化する。
 第4部 拡散するファッションフード―2000年代
 食品のほとんどが「多国籍工業製品」に変貌する中、食のリスクが可視化する。一方で「健康にいい食べ物」への信仰が強まり、テレビの健康娯楽番組が消費量を大きく動かす。
 つまるところ、食べ物の情報化が加速し、「居酒屋やファミリーレストランのおすすめメニューも、コンビニ弁当や袋パンの新商品も、何らかの情報をつけ加えずにはいられない」時代になって、今に至っている。上にも書いたように、食が「情報消費」となっているのが現代なのである。食の情報があふれ過ぎている、とも言える。
 ――というような本書の見解には納得するところが多い。ただ、この本自体、内容を詰め込み過ぎたせいか、情報がやや飽和状態になっている気がする。

Fashionfood

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2020年6月 7日 (日)

三国志 研究家の知られざる狂熱

三国志 研究家の知られざる狂熱/渡邉義浩(ワニブックスPLUS新書,2020)
 本ブログでは、10年近く前にこの著者の同じ『三国志』と題する本を紹介したことがある。中公新書の『三国志 演義から正史、そして史実へ』(2011年5月22日のエントリー)である。
 中公新書の方は、非常にまともな、正史をベースに『三国志演技』の世界も視野に入れた歴史読みものだった。
 では同じメインタイトルの本書は何かというと、かなり専門的な内容を含むものの、基本的には自身について語ったエッセイなのである。
 内容は3章構成。

 第1章「『三国志』にもいろいろある」は、著者を「三国志」の世界に引き入れるきっかけとなった読書体験を語っている。それは同時に、日本で広く読まれている「三国志」のバージョンを紹介することにもなっている。
 横山光輝『三国志』、吉川英治『三国志』、原作『三国志演義』、陳寿『三国志』など――。
 ただ単に読んでいただけではないのが、普通の読者と研究者の違うところ。
 正史『三国志』を読んでいた著者は、劉備が諸葛亮に残した最後の言葉に疑問を抱く。劉備の後継者劉禅に才能がなければ(実際にないのだ)、君が国をとれ――と。劉備はなぜそんなことを言ったのか。その疑問が著者を本格的な歴史研究へと誘うことになる。
 と、そんなことが本章の最後の方には書いてある。
 第2章「三国志研究家の狂熱」は、前章の最後を受けて、著者自身の研究者としての歩みを述べている。
 半分自伝みたいなものでもあり、専門的な歴史論を含んだ学説史でもある。「京都学派」と「歴研派」との時代区分論争。清流豪族論、儒教国家論、名士論、貴族制論など。
 正直言って、歴史学の素人にはかなりとっつきにくいのではないだろうか。だがサブタイトルと同じ「狂熱」という言葉が使われているところから見て、この章こそが、著者がもっとも書きたかった部分なのだろう。
 なお、著者が取り組んだ「儒教国家論」の成果が、去年本ブログで紹介した『漢帝国』である(2019年11月21日のエントリー)。『三国志』とほとんど関係ないが。
 第3章「三国志の諸相と魅力」では、かなり一般読者向けの内容に戻る。
 といっても、内容はバラバラなトピックの寄せ集め。
 現地に行って感じた「関帝信仰」。文学を国の基礎とした曹操の画期性。著者が儒教の歴史で重要な儒者の一人と評価する鄭玄について(もう一人は朱熹)。
 そして最後は、邪馬台国について。著者の説によると、魏志の邪馬台国は、実際以上に遠く、大きい国――呉の背後にある大国ということになっている。
 なぜかというと、司馬懿が遼東の公孫氏を討伐した結果、邪馬台国と魏が直接交渉できるようになった。邪馬台国の使者が魏にやって来たのは、司馬懿の功績なのだ。その功績を大きく見せるため、邪馬台国は遠くにある大国ということにされた――と著者は言う。 なかなか興味深い説ではある。本書の本筋とはほとんど関係ないけれど。

 

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2020年6月 3日 (水)

本屋さんのアンソロジー

本屋さんのアンソロジー 大崎梢リクエスト!/飛鳥井千砂ほか(光文社文庫,2014)
 本屋を舞台にした現代小説のアンソロジー。タイトルのまま。
 新刊書店限定というのが、本屋大好き作家大崎梢のリクエスト。古書店のアンソロジーは何冊もあるが、新刊書店というのは、むしろ珍しいかもしれない。
 収録作は10編。うち6編が、書店員が主人公なのは、まあ当然だろう。中には、ロバが主人公、なんてのもあるが。

「本と謎の日々」(有栖川有栖)
 死んだと噂されていた爺さんの来店、傷ものの本でもかまわず買っていく客、同じ本を2冊買って1冊を返品しに来た客、閉店間際の店内を見て回る不審な男…。ある書店のささやかな日常の謎をニヒルな店長が解き明かす。
「国会図書館のボルト」(坂木司)
 じいさんが店番をしている古くて小さい本屋は、ピンナップ写真集が立ち読みし放題の楽園。その楽園を荒らす万引き犯に、主人公の高校生はじめ常連たちが立ち向かうという、いじましい話。
「夫のお弁当箱に石をつめた奥さんの話」(門井慶喜)
 書店の売り上げの7割を占める外商部の要、松波チーフがささいな言葉の行き違いから奥さんの機嫌をそこね、弁当の中身がだんだん貧しくなる。そして最後は石だけに。書店の危機を救うため、店員たちが弁当に秘められたメッセージの謎を解こうとする。
「モブ君」(乾ルカ)
 毎日のように駅前の書店にやってくる冴えないサラリーマン風の男。立ち読みばかりで一度も何も買ったことがないその男を、店員の大山美奈は反感をこめて内心「モブ君」と呼んでいた。だが駅前店が閉店することになった最後の日、モブ君にささやかな奇跡が起きる。
「ロバのサイン会」(吉野万理子)
 テレビで有名になったロバのウサウマくんの写真集発売を記念して、書店の屋上でサイン会が開かれる。サイン会といっても実際は写真撮影会。ウサウマは実は人間の言葉が理解できて、この作品はすべてウサウマの視点で書かれている――という異色作。そして、テレビ番組で相棒だった「山田ちゃん」とウサウマとの感動の物語でもある。
「彼女のいたカフェ」(誉田哲也)
 主人公は池袋の大型書店(ジュンク堂がモデル?)の中のカフェで働く新人。本屋の中の喫茶店でいつも本を読んでいた女性に、彼女は憧れていた。いつしか彼女を見かけなくなってから約10年、久しぶりに再会した彼女は、目の前で強制わいせつ犯を逮捕する。作者のとあるシリーズの愛読者なら、この女性が誰か最初からわかるのだろう。まあ、知らなくても問題なく読める。
「ショップtoショップ」(大崎梢)
 二人の大学生が、スタバでふと漏れ聞いた会話から、書店で仕掛けられた陰謀を阻止する。陰謀といっても、危険や実害はないのだが、かなり印象の悪い、せこいもの。
「7冊で海を越えられる」(似鳥鶏)
 書店の本をやたら整える癖がある「整理屋」氏が、店に奇妙な相談を持ちかけてくる。彼は海外留学することになったが、日本に残る彼女から7冊の本が送られてきた。何かのメッセージだと思うが意味がわからないというのだ。サボってばかりいる女性店長があっさり謎を解く。言われてみれば何でもないようなものだが、作者は、ネタに使う本(すべて実在する)を見つけるのが大変だったと推察される。
「なつかしいひと」(宮下奈都)
 母が死んで、虚脱状態になった中学生。本屋に行っても読みたい本がない。そこへ見知らぬ少女が現れて本を薦めてくれる。少女は何者なのか――だいたい途中から予想できるが、なかなかいい話。
「空の上、空の下」(飛鳥井千砂)
 空港の中の書店という、珍しい場所を舞台にしている。そこで働く主人公の女性「私」は、本好きだが、思い入れが強すぎていろいろ面倒くさい性格。ある日、上下巻の小説の上だけを2冊間違えて売ってしまう。悶々とする主人公は、数日後に展望デッキで、上を2冊買って行った男性と出会う。

 短編小説を10編も集めると、中には突拍子もない話が一つか二つ含まれていることが多いのだが、本書はだいたい常識の線というか、想定の範囲内で収まっている。ほとんどの作品がミステリ風味なのも予想どおり。奇抜な小説が好きな読者には、やや物足りないかもしれない。その分、安心して読めるとも言えるが。

Honyasannoanthology

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