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2020年7月29日 (水)

とどめの一撃

とどめの一撃/マルグリット・ユルスナール;岩崎力訳(岩波文庫,1995)
 ロシア革命後の混乱期を背景にした長編小説(長さから言えば、むしろ長い中編か)。
 主人公エリック・フォン・ローモンは、ドイツとフランス、バルト人の血の混じった複雑な家系の持ち主。ドイツで暮らしていたエリックは、母の故郷クールランド(現在のラトヴィア)に行き、反ボルシェヴィキ義勇軍に身を投じる。
 エリックの母親はクラトヴィツェという町が故郷で、土地の貴族ド・ルヴァル伯爵の従姉妹だった。伯爵家のコンラートとソフィーの姉弟とエリックは、少年時代の一時期をともに過ごしたことがあった。
 義勇軍の司令部でコンラートと再会したエリックは、彼とともに最前線と化したクラトヴィツェに向かう。伯爵の館は義勇軍の根拠地と化していて、そこでエリックはソフィーに再会する。
 普通なら、ここからロマンスが始まりそうなものだが、全然そうはならないのがこの小説。エリックとソフィーの間の、愛憎が混淆する心理の動きの複雑さは、さすがに主流文学である。
 エリックとソフィーの心はすれ違い続ける。ついには、エリックはソフィーの心を決定的に傷つけてしまう。ソフィーは館を飛び出し、いずこともなく姿を消す。
 やがてボルシェヴィキの攻勢が強まる中、エリックの部隊はクラトヴィツェを放棄して移動する。戦いの中でコンラートは戦死。捕虜にしたボルシェヴィキの小部隊の中に、赤軍の女兵士となったソフィーがいた。
 反ボルシェヴィキ軍には捕虜をとる余裕はなく、捕らえた敵兵士はすべて銃殺されることになっていた。ソフィーは自ら、エリックを自分の処刑人に指名する…。

 ――というような、表面的に見ると非常に殺伐とした話。荒涼としたラトヴィアの大地に展開する愛と死のドラマは、日頃気軽な小説ばかり読んでいる人間には、なかなか歯ごたえがありすぎるのだった。とはいえ短いのですぐに読めることは読めるのだが。本当に「読めて」いるのかどうかは自分で怪しい気がする。

 

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2020年7月25日 (土)

未来製作所

未来製作所/太田忠司ほか(幻冬舎,2018)
 株式会社デンソーの企画・取材協力による「未来の移動」をテーマにしたアンソロジー。140ページくらいしかない薄い本に10編が収録されてるので、どの作品もショートショート程度の長さ。しかしショートショートにしては、オチのない話が多い。
 というか、自動車部品メーカーである企画主に遠慮してか、テクノロジーのマイナス面を暴くような話がひとつもない。どれも明るい未来ばかりである。
 太田忠司、北野勇作、小狐裕介、田丸雅智、松崎有理の5人が2編ずつ書いている。

「ワンルーマー」(田丸雅智)
 車を家とし、定住場所を持たないノマドワーカーたちがワンルーマーと呼ばれ、その数を増していく。ただそれだけの話。
「dogcom.」(小狐裕介)
 犬型パソコンdogcom.をポチと名づけ、本当の愛犬のようにかわいがりながら十年をともに過ごした男。ポチが寿命を迎えた時、メモリーチップを新しいdogcom.に移植する。
「工場散歩」(北野勇作)
 工場は生きもの、そして外の世界を見たがっている。いつもの北野勇作作品なら、そこから奇想天外な展開に持って行くはずだが、この話はそこで終わっている。
「山へ帰る日」(松崎有理)
 登山を生きがいにしていた若者が、山の事故で下半身不随になる。だが、八本の足を備えた最新型車椅子「スパイダーチェア」を使って、再び登山に挑む。本当にこんな話が実現したらきっとNHKがドキュメンタリー番組にするだろう。
「鞍の上で」(北野勇作)
 本物そっくりの自動車のシミュレーター。古来考えごとをするのに最適とされる「三上」(枕上、厠上、鞍上)の、鞍上に代わる新しい形態である。ただ、現実の運転にはないような「もっと思考を手助けしてくれるような風景と場所と移動」を仮想空間に組み込んでいるという。それがどのようなものかは、語られないまま終わる。やっぱり北野勇作らしさがない。
「天文学者の受難」(松崎有理)
 ダイヤモンドでできた惑星を発見した天文学者が、ダイヤモンド業者と、ダイヤ専門の女性怪盗の二人から命を狙われる。結末は気抜けするもので、しかもテーマのはずの「移動」と何の関係もない。
「ラプラスの兄妹」(太田忠司)
 すべての車両の速度と方向を解析し、動きを予測して交通事故をゼロにするシステム、「ラプラス・システム」の実現に人生をかけた兄妹の物語。兄は総理大臣となってシステムを実現するが、その直後、政敵の陰謀によって、システムを悪用した事故で殺される。収録作中、悲劇的な人間のマイナス面を描いた唯一の作品。結局、システムは妹の手によって改良され、成功する。
「砂漠の機械工」(小狐裕介)
 パイプ内をポッドによって移動する交通システムが汎用化し、自分の足で歩くことがほとんどなくなった遠い未来。主人公はなぜか自分の足で世界を歩き回ることを夢見て、歩行補助器を装着して砂漠へと歩き出す。
「ドルフィンスーツ」(田丸雅智)
 海中を自在に泳ぎ回ることができるイルカそっくりのドルフィンスーツ。その開発に成功した男のサクセスストーリー。ただそれだけ。
「つなげる思い」(太田忠司)
 亡父から相続したGTIN(Global Traffic Information Network 総合交通情報網)のデータには、父の車の運転履歴すべてが記録されていた。「私」はそのデータから、結婚前の一時期、両親が海岸のある場所に毎週ドライブしていたことを知る。妻と一緒に行ってみると、そこには一軒の喫茶店があり、母の書いた絵が飾られていた――。収録作中で、太田忠司の2編だけは、くっきりしたドラマ性がある。

 それにしても、テクノロジーの明るい面だけに目を向けたSFというものは、やはりどこか物足りないのだった。

Miraiseisakujo

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2020年7月21日 (火)

アーサーの言の葉食堂

アーサーの言の葉食堂/アーサー・ビナード(アルク,2013)
 英語学習の会社アルクが出しているクラブアルク会員専用誌『マガジンアルク』の連載コラム「日々のとなり」から選んだエッセイ集。1編あたり3ページの短い文章を64編収録。
 内容は、だいたいのテーマというか、話題の種類により4章に分かれている。日常生活で見かける英語が主なネタだが、話題は日本の社会や政治、世界情勢へと広がっていくことが多い。

 一章「ようこそ言の葉食堂へ」は、「ビンラディン・ドリンク」、「なめる原爆、クシャミする核」など12編。
 社会ネタが多い。というか、日常的に身辺にあるちょっとした食べ物や光景(主に看板)から、社会的な問題につなげていくパターンが多い。そして著者のかなり徹底したリベラルな立場が一番よく見てとれる章でもある。反核、反原発、反TPP、大和ミュージアムや日本の対北朝鮮政策への批判など。

 二章「誤訳の海にこぎ出す」は、「ドルフィンはいるか?」、「誤訳の海」など18編。
 最初の「ドルフィンはいるか?」は、要するに反イルカ漁の立場をやんわりと主張したもの。こういう社会批判も相変わらず多いが、日本で見かける「変な英語」ネタも増えてくる。実は、本書で一番面白いのはこの部分。
 例えば、「アルファベットの罠」では、ホテルで見かけた「避難タラップ」=「EMERGENCY TRAP」というひどいが出てくるが、これは確かにひどい。これじゃ罠だ。
 一方で、「外来語の尻尾切り」では、「サービス・フロント」という言葉に怪しさを感じている。英語の"FRONT"には、犯罪組織の隠れ蓑の意味があるからだという。これは英語国民独特の感性で、「そんなこと言われても…」という気もする。

 三章「がんばればニッポン」は、「八雲の骨と神の数」、「片仮名スヰッチ」など18編。この章も「変な和製英語」ネタが中心だが、3.11から間もない頃に書かれたと思われる「日本のガンバリ」には、例外的に英語のことが何も出てこない。日本にあふれる「がんばろう!」のスローガンに違和感を覚える内容。まあ、似たようなことを言ってる人は多い。
 また、「ピザをかぶりクレーン車をたたむ」は、日本のピザハットの看板に書かれているロゴマークが、カタカナのせいで帽子にしか見えないという話。Hutは「小屋」だから、あれは当然小屋の屋根なのだ。
 珍しく日本人の英語を賞めているのが、「ようこそパロディーズへ」。日本の英語パロディ看板のセンスに感心している。それが風俗店だったりするのだが。

 四章「万葉マンション入居者募集中」は、「鯨の耳に念仏?」、「マンションに枕を並べて」など15編。日本語そのものをテーマにしたエッセイが比較的多い。そして本の話題がよく出てくる。著者は詩人が本業なのだから、こういうテーマはもっと多くてもいいと思う。
「東西東西」は、「東」と「西」の語感の違いについて、「東」の方が遙かに豊かなイメージを持っていて、「西」にはそれがないかわりに一種の野性味がある、となかなか鋭いことを言っている。日本人の感じ方とは少し違うかも知れないが、こういうのも詩人の感性なのだろう。

Kotonohashokudou

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2020年7月17日 (金)

決戦! 関ヶ原

決戦! 関ヶ原(決戦! シリーズ)/葉室麟ほか(講談社文庫,2017)
 本ブログですでに3冊ほど取り上げたことがある時代ものアンソロジー<決戦!>シリーズの1冊。出版順から言うと、これが第一弾。
 収録作は7編。西軍から4人、東軍から3人の武将を主人公に据えて、合戦の裏で展開されていた意外なドラマを描く。単行本(2014年)に比べてなぜか作品1編が差し替えされているが、西4、東3の組み合わせは同じ。

「人を致して」(伊東潤)
 徳川家康が主人公。関ヶ原の戦いは、福島正則や細川忠興などの武断派武将をまとめて始末するために、石田三成と家康が裏で手を結んで仕組んだもの、というとんでもない設定。しかし家康も三成も、最終的には相手をどうやって倒すかを考えている。二人の騙し合いが見もの。
「笹を噛ませよ」(吉川永青)
 福島正則配下の武将、可児才蔵、通称「笹の才蔵」が主人公。本書に登場する7人の主人公の中で、一軍の大将ではない唯一の人物。井伊直政に騙されて抜け駆けを許してしまった才蔵は、怒り心頭に発して直政を殺そうと前線へ突進する。
「有楽斎の城」(天野純希)
 わずかな兵を率いて東軍の片隅に参加した織田有楽斎。有楽斎は本能寺の変の時、織田信忠を見捨てて一人逃げ延びたことで悪名高い。つきまとう卑怯者の汚名を今度こそ払拭しようと思うが、腕もたたない上、まったく戦に不慣れなため、戦いが始まっても右往左往するばかり。小物の処世がいじましい。
「怪僧恵瓊」(木下昌輝)
 吉川広家の視点から見た、安国寺恵瓊の怪しい動き。毛利家を西軍の総大将に引っぱり出し、それでいて、肝心な関ヶ原の戦場では毛利秀元軍の参戦を妨害する。恵瓊の正体とその真の目的が最後で明らかになる。
「丸に十文字」(矢野隆)
 関ヶ原の戦場に立ちながら戦況を傍観し、最後になって徳川軍に向かって突撃した島津義弘の心境を細かく描く。通説の裏に隠された真相の暴露、みたいなものが定番になっているこのアンソロジーの中で、もっとも正統派の作品。
「真紅の米」(冲方丁)
 主人公は小早川秀秋。普通はバカの見本みたいに思われている小早川秀秋だが、本編では頭脳明晰で知的な青年で、ただ保身のためにバカを装っていたということになっている。そんな秀秋が松尾山の陣でこれまでの人生を回想し、裏切りに踏み切るまでが本筋。とにかく、ここまで聡明で誠実な小早川秀秋の人物像は見たことがない。
「孤狼なり」(葉室麟)
 石田三成が主人公。この作品も最初の「人を致して」と同じくらい、関ヶ原の意外な裏側を語っている。本編で騙し合いをするのは、三成と安国寺恵瓊。関ヶ原の戦いを利用して毛利の天下を実現しようとする安国寺恵瓊の謀略、阻止しようと捨て身の策を図る三成――。

 こうして見ると、東軍の方は徳川家康はともかく、可児才蔵や織田有楽斎みたいなバカが主人公になっているのに対し、西軍の方は、いろいろと裏があって一筋縄ではいかない人物ばかり。特に二つの作品で暗躍する安国寺恵瓊の暗黒パワー(ダジャレではない)がただごとではない。面白さでは西軍の勝ち。

Kessensekigahara

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2020年7月13日 (月)

世界の辺境とハードボイルド室町時代

世界の辺境とハードボイルド室町時代/高野秀行、清水克行 (集英社インターナショナル,2015)
 前回に引き続き、室町時代がテーマ(のひとつ)の本。
 歴史関係本とは思えない変なタイトルは編集者がつけたもの。清水克行はあとがきの中で「もはや元ネタが何なのかもわからない絶妙なタイトル」と書いているが、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が元ネタであることはすぐにわかる。
 高野秀行は、『謎の独立国家ソマリランド』などを書いた「世界の辺境」が専門の探検家・ノンフィクション作家。清水克行は、『喧嘩両成敗の誕生』などを書いた室町時代が専門の歴史学者。
 本書の内容はこの二人の対談。無政府状態だったソマリアと、室町時代の日本社会はよく似ているというのが中核的な話題なのだが。そこから話があちこちに飛びまくる。
 内容は一応6章構成。

 第一章「かぶりすぎている室町社会とソマリ社会」は、ほぼタイトルのとおり。ソマリ人と中世の日本人、ソマリア内戦と応仁の乱。高野のソマリアでの見聞と、清水の室町時代に関する知識が呼応して、それらがいかに似ているかで二人の意見が一致する。
 第二章「未来に向かってバックせよ!」では、日本の中世とアジア・アフリカの辺境が似ているのはなぜか、を二人は掘り下げていく。もう似ているのが前提なのである。話は文明論、宗教論、時間論へと飛びまくる。似てはいるが、中世日本とソマリアの決定的な違いは、天下統一がされたかどうか、なのだそうだ。
 第三章「伊達政宗のイタい恋」から、方向性が違ってくる。この章は主に農業と経済の話。酒の話題。高野からはソマリアよりもタイの話が多く出てくる。そこからなぜかひげの話、伊達政宗が恋人の男の子にあてたラブレターの話に。ソマリアと中世日本との比較はどこへ行ったのだろう。こうなってくると、ただの雑談ではないだろうか。
 そして、第四章「独裁者は平和がお好き」になると、さらに最初のテーマはどこかへ行ってしまって、歴史学、戦争、食文化、妖怪、等々、話題が飛びまくる。
 第五章「異端のふたりにできること」は、二人がお互いの経歴と仕事の内容を語り合う章。歴史学者とは何か、探検家とは何か、という話も出てくる。高野は正式には「探検家」とは名乗ってないのだそうだ。
 第六章「むしろ特殊な現代日本」は、日本社会の特殊性について、自殺、中古車、NGOなどを題材に語り合う。

 というような内容で、さすがに「ソマリアと中世日本は似ている」だけで一冊語り尽くすことはできなかったようである。後半になると、ただ居酒屋での雑談を聞いているような雰囲気になってくる。しかし、これだけの経験と知識に裏打ちされた雑談は滅多にない。総体としてあまりにもとりとめがない印象で、まとまった知識が身につくわけではないが、独特の立ち位置の二人が自由に語り合う対話は、読んでいて飽きない。

Sekainohenkyou

 

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2020年7月 9日 (木)

土民嗷々

土民嗷々[ごうごう] 一四四一年の社会史/今谷明(創元ライブラリ,2001)
 嘉吉元年(1441年)という特定の1年だけに焦点を当てた異色の歴史本。1988年刊の単行本の文庫化。
 この年は、動乱が相次いだ室町時代の中でも、特筆すべき波乱の年だった。関東の戦乱に始まり、将軍の弟の謀反、将軍足利義教の暗殺、赤松氏討伐戦、土一揆の大蜂起、徳政令…。
 そんな出来事が次から次へと起きる激動の中で、幕府、大名、地方の武士たち、公家、寺社勢力、商人、庶民に至るまで、悪戦苦闘する人々の姿を活写している。
 具体的には、次のような内容。

 第1章「叛逆者の群像」は、正月から3月までのできごと。関東の戦乱が中心。永享の乱の続きとも言うべき結城合戦の最終盤、下総結城城の攻囲戦。一方畿内周辺では、将軍義教の弟、大覚寺義昭(「ぎしょう」、足利将軍家の一員だが、もちろん戦国時代の「よしあき」とは別人)が謀反をたくらみ、逃亡の末謀殺される。
 第2章「万人恐怖」は4月から5月のできごと。1章でも描かれていた将軍義教の専横がエスカレートする様子が中心になる。関東では結城合戦が終幕を迎えて反幕府勢力が滅亡、今や義教に敵対する者はいなくなったかに見える。
 第3章「赤松囃子」は大異変の6月から8月初めまで。6月24日、赤松満祐による将軍暗殺事件、嘉吉の変が勃発。独裁者義教が死ぬとともに、興福寺衆徒の蜂起、河内での畠山氏の内紛と、あちこちで動揺が起き始める。
 第4章「土民嗷々」は、8月から9月前半。京都周辺で大規模な土一揆が勃発し、洛外の主要寺社が一揆に占領される。一揆を勢力の要求は、徳政令公布、早い話が借金棒引き。一方、播磨では将軍を殺して領地に逃亡していた赤松氏と幕府軍との戦いが起きる。激戦の末赤松氏宗家は滅亡。
 第5章「本主に返付せらるべし」は、9月から10月にかけて。幕府は徳政令を公布する。要するに一揆の鎮圧ができなかったのである。ただ、徳政令と言っても単純に借金をチャラにするわけではなく、公布後の交渉や事務処理が実にややこしいことが説明されている。貸主も黙っていたわけではなく、延暦寺は徳政令の扱いに関して訴訟を起こす。
 終章「衆議の世界」は、一揆や反逆者たちの後日談。10月以降の出来事は詳しくは触れられていない。それ以後は事後処理の段階で、大したことが起きてないからだろう。

 一年の出来事に限って歴史を語るという手法が秀逸。日本史の中で、こういう書き方ができる盛りだくさんな一年もそう多くはないだろうが、そこに着目したのが、歴史的眼力とでも言うべきものだろうか。

Domingougou

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2020年7月 5日 (日)

暁の女王と精霊の王の物語

暁の女王と精霊の王の物語/ジェラール・ド・ネルヴァル;中村真一郎訳(角川文庫,1952)
 1989年、角川文庫創刊40周年記念特別企画「リバイバルコレクション」の1冊として刊行されたもの。一応、1952年の初版から数えて3版ということになっている。
 しかし当然ながら、再刊といっても1952年の初版時の活字を使っているわけではない。かといって新たに写植で刷り直したわけでもなく、単に初版を写真製版して印刷したものらしい。実のところ、あちこち字がかすれていて見苦しい。旧仮名遣いなのは雰囲気が出ているが。

 それはともかく、内容は古代イスラエルを舞台にした歴史ドラマ。タイトルから想像するようなファンタジー的なものではない。
 元々は1851年に刊行された『東方紀行』の一部だったものを抽出して独立した本にしたもの。これは日本でそうしたのではなく、本国でもそういう本がすでに出ていたそうである。確かに完全に独立した作品として読める。
 物語は、シバの女王がソロモン王のもとを訪れたという、旧約聖書の有名なエピソードに基づいている。本書でのシバの女王の名はバルキス(伝承によって名前が様々に伝えられている)。
 バルキスはソロモンの名声を聞いてイスラエルを訪問する。しかしバルキスが惹かれたのは、ソロモンではなく、天才建築家アドニラムだった。ソロモンの壮麗な神殿はすべてアドニラムが作ったものだったのだ。
 この作品のソロモンは伝説のような賢者ではなく、自負心と欲望が過剰な困った男。結局バルキスは、しつこく言い寄るソロモンに愛想をつかしてイスラエルから逃げ出す。一方アドニラムもバルキスと示し合わせて逃亡。後日二人で再会することを約束する。
 しかしアドニラムは都を脱出する直前、部下の職人たちに裏切られ、殺されてしまうという悲劇で終わる。

 多分この作品の魅力は、上のような、ある意味ありきたりなストーリーではなく、ネルヴァル華麗な文章にあるのだろう。まだ若かった中村真一郎(初版が出た時は30代前半)の訳文は、そのいくらかを伝えているとは思う。少なくとも意味不明なところはない。いかんせん、今読むと少々読みにくいのは確か。

Solomonetbalkis

 

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2020年7月 1日 (水)

死者の饗宴

死者の饗宴/ジョン・メトカーフ;横山茂雄、北川依子訳(国書刊行会 ドーキー・アーカイヴ,2019)
 日本では怪奇小説アンソロジーにこれまで数編の作品が邦訳されただけの、実にマイナーな作家の短篇集。著者は1920年代から50年代にかけて作品を発表した人だが、そもそも寡作な(というか、売れなかった)作家で、しかも怪奇小説と言えるのはそのうちのごく一部らしい。
 作品数から考えて、これが日本で発行されるメトカーフの唯一の怪奇小説短篇集になるのではないだろうか。
 収録作は8編。

「悪夢のジャック」
 ビルマからいわくつきの宝石を持ち帰った船乗りたちに、呪いがふりかかる話。

「ふたりの提督」
 退役した提督に執拗につきまとう、得体の知れない「島」の幻。その「島」に向かって船を出す提督。すれ違った

「煙をあげる脚」
 これも「悪夢のジャック」と同様、ビルマから水夫が呪いの宝石を持って帰ってくる話。ただし彼自身の意志ではなく、宝石は邪悪な医師によって、護符と一緒に彼の足に縫い込まれていたのだった。

「悪い土地」
 神経症の療養のため海岸の田舎町にやってきた男が、砂丘の向こう側の土地で説明のつかない不安、違和感に襲われる。その土地にある白い家が、「悪の国の中心、拠点」なのだ――と男は信じ、悪の元凶の破壊に向かう。すべてが神経症患者の妄想ともとれるが、「呪われた土地」テーマのよくできた怪談。

「時限信管」
 自分の家で降霊会を開くほど心霊主義に取り憑かれた女が、信念の力で奇跡を起こす。赤く燃える石炭を手をつかみ、体に押しつけるが、何の影響もない。まさに「心頭滅却すれば火もまた涼し」というところだろう。だが、その信念が崩れる時が来たらどうなるか…。

「永代保有」
 ジョンとサロメの新婚夫婦がイギリス沿岸をヨットで旅行している。サロメはハンフリーという横暴な男と結婚していたが、夫は四週間前に死んで彼女はやっと解放されたのだった。だが、ハンフリーは死んだ後もサロメを決してあきらめていなかった…。死者の妄念を、はっきりとした形では書かないまま、じわじわと迫る恐怖をかもし出す。

「ブレナーの息子」
 予備役軍人のウィンターは、列車の中でかつての上官だったブレナー提督に偶然再会する。数日後、列車に乗り合わせていた提督の息子が突然家にやってきて、滞在を始めるする。ウィンターには息子を預かるなどという約束をした覚えはない。提督の息子は三日くらいの間さんざん乱暴狼藉を働いた後、忽然と姿を消す。ただの悪ガキの話かと思ったら、最後の場面で怪談になる展開が鮮やか。

「死者の饗宴」
 本書全体の約3分の1を占める、収録作の中では格段に長い中編。
 要するに、フランスから来た悪霊が少年に取り憑く話。一種の吸血鬼みたいなものだが(実際、最初の邦訳はかつて吸血鬼テーマのアンソロジーに収録されていた)、血を吸うのではなく、生気を吸い取る。それも直接接触しなくても、近くにいるだけで吸い取られるらしい。
 父親の抵抗で魔物は一度は退散。しかし魅入られた少年は自分からフランス、オーヴェルニュへ行ってしまう。後を追う父親。「こうしてオーヴェルニュ地方の捻れ曲がった陰鬱な風景に接近するにつれて、わたしは邪悪な力たちの本拠地に無謀にも足を踏み入れ、取るに足らない力で悪霊の軍勢と対抗しようとするかに思えた」。実際のオーヴェルニュの人たちには少々失礼な描写だが…。
 ――というわけで、地元の伝承に伝わる「無し[サン・ノン]」と呼ばれる存在から息子を取り戻そうとうする父親の苦難、そしてその後に待ち受ける悲劇の物語が展開する。

 前半の4編は正直言って、今ひとつわかりにくい上にとっつきにくい話だったが、後半は理解しやすい正統派怪奇小説に近づいてくる。とはいえ、この作家の作風らしく、不可解な謎の数々が説明されないまま放り出されているのだが。それがまた、作品に漂う不穏で不気味な雰囲気を増幅する効果も生んでいる。
 マイベストはやはり表題作だろう。次点は「ブレナーの息子」。

Feastingdead

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