ロイスと歌うパン種
ロイスと歌うパン種/ロビン・スローン;島村浩子訳(東京創元社,2019)
こういうパターンのタイトルが最近多いような気がするが、原題は単に『サワードウ』(Sourdough)。酸味のあるパン生地。邦題はそのままでよかったような気がする。
まあタイトルはともかく、話の内容そのものはなかなかユニーク。ハイテクとグルメと、微妙なファンタジー要素がミックスされた小説。
サンフランシスコのロボットアーム製作会社で働くプログラマーのロイス・クラーリーは激務に疲れ果てていた。ある時近所にできたサワードウとスープの店に出前を頼み、届けられたパンとスパイシースープのとりこになる。作っているのはマズグという謎の民族の兄弟二人。
ところがまもなくマズグの二人はアメリカを出ることになり(マズグというのは放浪の民族らしい)、秘蔵のサワードウ・スターター(パン種)をロイスに託していく。
スターターはマズグの歌を聞かせないとうまく育たない。夜中に歌うような音をたてたりする。そして焼き上がるのは、表面に顔の浮かび上がる奇妙だが美味なパン。怪奇現象の一歩手前のようなスターターなのだった。
そんな変なスターターを使ってのパン作りに上達してきたロイスは、職場に自家製パンを持ち込み、好評を得る。そして社内食堂のシェフの勧めで、マーケットの審査を受けることに。
メインの審査には落ちたものの、ロイスはアラメダ島にあるマロウ・フェアという新しいマーケットの出品者としてスカウトされる。
ここまでが約半分。後半はこのマロウ・フェアが主な舞台になり、話は会社小説からグルメ小説(?)に変わっていく。
マロウ・フェアは元核ミサイルの貯蔵庫だった地下施設を流用したマーケット。チェルノブイリの蜂蜜とか、コオロギ・クッキーとか、女性科学者ドクター・ミトラが作るレンバスという完全食(をめざして試作中の食物)とか、個性的な出店が揃っている。
その中に混じってパンを焼き、オープンに向けて準備するロイス。彼女自身がプログラミングしたロボットアームを助手にして、パンこねや卵割りをさせる。会社も辞め、パン職人として生きる道を選ぶロイスなのだった。
――というように、ここまで事件らしい事件もなく、それでいてテンポよく進んできた物語だが、ラスト近くになってついに事件が起きる。
マロウ・フェアの正式オープン前夜、マズグのスターターを勝手に使ってドクター・ミトラがバイオリアクターで培養実験をする。そしてスターターが暴走してまさかのバイオハザード(?)。
地下のマーケットは増殖するパン生地で埋め尽くされ、地上には巨大なパンの山が出現する。まあ、所詮はパンなので食べることができるのだが。
そんな騒動の後、ロイスはマズグのスターターに別れを告げ、例の兄弟が住んでいるベルリンへ旅立つことになる。今度は自分で育てたスターターを持って。ロイスのパン職人としての独り立ちなのだった。
ちょっと不思議なパン作り物語だった。そこはかとないユーモアと、どこか不穏な雰囲気が独特。