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2020年11月27日 (金)

想い出のホテル

想い出のホテル(ドゥマゴからの贈り物)/井上俊子編(Bunkamura,1997)
 ドゥマゴ文学賞事務局が編集するエッセイのアンソロジー、<ドゥマゴからの贈り物>の3冊目。(これ以前に『想い出のカフェ』というアンソロジーが2冊出ている。)
 内容は4ページの短いエッセイが50編。
 執筆者は、中村真一郎、鈴木清順、吉本隆明、日野啓三、筒井康隆、赤瀬川原平、海野弘、池内紀、山下洋輔、辺見庸、山内昌之、宮迫千鶴、鷲田清一、四方田犬彦、沼野充義、森まゆみ、小谷真理、佐藤亜紀、有吉玉青など。
 文学者に限らず、学者、音楽家、映画監督など、各界の有名人たちというか、文化人を集めたという印象。
 ドゥマゴ文学賞というのは、選考委員が一人だけで毎年交代するというユニークな方式をとっているのだが、その選考委員も少しだけ入っている。しかしそれもごく一部に過ぎないので、結局どういう基準で選んだのかよくわからない。
 とにかくこういう面々だから、予想どおりというか、外国のホテルの思い出話が圧倒的に多いのである。
 最初の中村真一郎「三婆の宿」がフランス、次の荒松雄「ローマからジュネーヴへ」はタイトルどおりイタリアとスイス、鈴木清順の「窓」がイタリア――という具合。
特にイタリアとイギリスが多いような気がする。
 日本のホテルについて書いているのは、吉本隆明、日野啓三、鼓直、赤瀬川原平、鷲田清一、三宅晶子、池田裕行の7人だけ。
 そしてまた、ボロいホテルの話がやたらと多い。まあ、豪華ホテルに泊まった話より、みすぼらしいホテル、あるいは隠れ家風ホテルに泊まった話の方が面白いから、当たり前かもしれないが。
 そんな中で、パリの高級ホテルに泊まり、「日本から来た文豪」として振る舞った話を披露している筒井康隆「オテル・リッツ」などは、むしろ異端と言えるだろう。普通に書いたら嫌みたらしい自慢話になりそうなネタを堂々としているところが筒井らしい。
 他に変わったところでは、映画評論家山田宏一の「ホテルと映画」。自分が泊まったところではなく、「グランド・ホテル形式」の原型となった映画『グランド・ホテル』のことを書いている。
 五十人五十様の「ホテル観」のバラエティが興味をそそる。

Omoidenohotel

 

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2020年11月23日 (月)

幻綺行

幻綺行 [完全版]/横田順彌(竹書房文庫,2020)
 明治時代、自転車で世界一周無銭旅行に挑戦した中村春吉を主人公にした秘境冒険SF。『SFアドベンチャー』に連載された連作短篇をまとめたもの。1990年に単行本が出ているが、その時には収録されてなかった2編を追加した「完全版」。
 主人公中村春吉は実在の人物がモデルだが、無謀な冒険に乗り出すだけあって、本書での性格はバンカラで向こう見ずで衝動的な熱血漢。後先考えずに行動する。はっきり言ってバカである。本当にこんな人物だったかどうかはわからない。
 この中村春吉がパレンバンで出会った石峰省吾と雨宮志保とともに、世界各地で怪物たちと戦うという話。だから個々の話は完全なフィクション。
 春吉の一人称(「我輩」)で語られる大時代な文章が、いかにも明治人らしい思考、そして語彙にあふれていて、実に内容によくマッチしている。

「聖樹怪」
 自転車世界一周中の春吉は、パレンバンで娼館から志保を救い、山田長政の秘宝を探す石峰青年と出会う。その秘宝があるという密林の奥で彼らが遭遇したのは、人間を操って受精の道具に使ったあげく食ってしまう怪植物。
「奇窟魔」
 宝探しを続ける石峰と別れた春吉と志保は、ネパールの奥地で若い娘を連れ去る謎の寺を探索。そこでは僧たちが、さらってきた娘たちを頭だけが動物の奇怪な姿に改造していた。春吉と志保は、(都合よく)再登場した石峰と協力して悪僧たちを退治する。
「流砂鬼」
 志保と石峰を道連れにして春吉の世界一周は続く。自転車でペルシャの荒野を横断する三人。当然無事にすむわけがなく、大砂嵐に襲われ、地下の大洞窟に落ちる。その奥には高度なテクノロジーを思わせる遺跡があった。そこへ襲ってくる砂でできた怪魔像。春吉がこの強敵を撃退する手段がすごい。
「麗悲妖」
 しばらく一人で行動していた春吉はロンドンで志保と再会する。ペテルブルグに友人を訪ねて行ったという石峰を追って、二人はロシアへ。石峰の訪問先は松尾という日本人と、その新婚の妻エヴグーニヤだった。このエヴグーニヤの挙動が不審、実は彼女は魔物と化していた…。収録作中唯一、秘境ものではない。
「求魂神」
 南アフリカに向かう途中、マデイラ島に滞在する三人。島の高山ピコ・ルイボ山に登山中、黒い影にのみこまれる。気づくとそこは地上に着陸していた宇宙船の中。今度の敵は、地球人の魂を食料とする宇宙人なのだった。収録作中一番SFらしいSFで、珍しく文明批評的な終わり方をする。それはいいのだが、「流砂鬼」の怪魔とこの宇宙人の弱点が同じというのは、ややワンパターンなのでは。
「古沼秘」
 南アフリカに着いた三人。大蛇に襲われたりダイヤ鉱山を訪れたりいろいろあった後、モザンビクからザンジバルへと向かうことに。ところが途中、現地人が恐れる沼のほとりで露営していた時、やっぱりというか怪物に襲われる。今度の相手は巨大な蟹。ということで、最後のエピソードはごく単純な怪物ものだった。あるいは原点に戻ったと言うべきか。

Genkikou

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2020年11月19日 (木)

猫の世界史

猫の世界史/キャサリン・M・ロジャーズ;渡辺智訳(エクスナレッジ,2018)
 原題は、単にCat (2006)。猫そのものの歴史というより、猫に関わる世界の文化を語るのがメイン。特に文学の中の猫に詳しい。
 内容は6章構成。

 1章「ヤマネコからイエネコへ」は、家畜としての猫の歴史を語る序説的な章。先史時代から古代エジプト、中世、18世紀頃まで。西洋が中心だが、中国や日本への猫の伝播にも少し触れている。
 2章「災いをもたらす猫、幸運を呼ぶ猫」では、人間が猫に対して抱く「不思議とも言える感覚」を、実例を挙げて紹介している。16世紀から17世紀、ヨーロッパでは魔女の使い、悪魔の化身として迫害されていた猫の歴史。逆に「長靴をはいた猫」に代表される、幸運をもたらす猫の物語など。日本の招き猫や、猫の恩返しの昔話にも触れている。
 3章「ペットとしての猫」。愛されるペットとしての猫の歴史は、ヨーロッパではそう古くはない。第2章にも書かれていたように、16世紀頃のヨーロッパでは、まだ猫に対する愛情は珍しいものだった。だが17世紀末、貴族の間で猫が広く飼われるようになって以降、猫好きはどんどん広まっていく。ただ、猫好きが度を超して「猫が本来持つ不穏な側面」まで無視されるようになる。
 4章「女性は猫、あるいは猫は女性」は、猫の擬人化、あるいは人の擬猫化がテーマ。特に猫と女性の関わり、猫が女性と同一視される現象について詳しく語っている。
 5章「猫には、猫なりの権利がある」では、19世紀以降、人間と対等の存在として見られるようになった猫を、多くの文学作品や絵画から引用しながら語る。ある意味本書のハイライトとも言える章。登場する作家は歴史に残る文学者からSF作家まで多種多様。日本の作家も出てくる。主な名前だけでも、シャトーブリアン、デュマ、キプリング、ジェローム、ギャリコ、アンジェラ・カーター、夏目漱石、サキ、村上春樹、ドリス・レッシング等々。
 6章「矛盾こそ魅力」は、現在の猫人気について。「タイトルに「猫」とあるだけでどんな本でも売れるくらいだ」とあるから、ブームは日本だけの話ではないらしい。

 全体を通じて、著者の猫好きぶり――それでいて、猫が本来獰猛な肉食獣であることを忘れていない姿勢が伝わってくる。上にも引用した「猫が本来持つ不穏な側面」というのは、なかなか卓抜な表現ではないだろうか。

Cat

 

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2020年11月15日 (日)

遊民の系譜

遊民の系譜 ユーラシアの漂泊者たち/杉山二郎(河出文庫,2009)
 1988年青土社刊の文庫化。
 あの青土社から出ているのだし、読む前はもっと学術的もしくは文学的な本かと思っていたが、実はなんともユニークなテーマと語り口の読み物だった。
 章番号はないが、全体が19の章に分かれていて、数章ずつでひとつのテーマを追っていく形になっている。

 まず最初のテーマは「遊行」。飛鳥時代の遊行僧道昭にまつわる伝承の話から始まり、行基の遊行集団、寺社の祭礼に姿を現す漂白の芸人たち――。そんな古代日本の遊行の徒たちについての文献引用や考察。
 次は「方術」。話は中国へ飛んで、西域から来た幻人や僧たちの不思議な術の話が次々と展開する。例えば、4-5世紀の高僧として有名な仏図澄も、ここでは超能力者として登場するのだ。「よく神呪を誦し鬼神を使役した。麻油に胭脂を混ぜて掌に塗ると千里外の事象が掌に映って、さながら対面しているかのようだ」と。また、道士と密教僧の術比べなんて話もある。
 次の「飛鉢」は、「信貴山縁起絵巻」に代表される、鉢を飛ばす秘法がテーマ。この不思議な術の伝承を内外に追い、その正体を追う。
 そして、本書最大のテーマと言うべき「ジプシー」。中東のジプシーに始まり、日本のジプシー「傀儡子」、朝鮮のジプシー「揚水尺」について、その起源や歴史を考察する。中国や日本の傀儡戯の技の数々も紹介している。
 続いては「民間芸能」。日本の今様、田歌、神歌、中国の雑劇など、これはわりと普通の民俗的テーマ。
 最後にテーマは再び「ジプシー」に戻り、イスラム世界からヨーロッパにかけてのジプシーの歴史を語っている。

 全体として、世界の各地に存在していた、托鉢、奇術、芸能などを生業とする漂泊の人々の姿を伝承や文献の中に追った本ということになる。
 ただ、少々まとまりがない気はする。それと、肝心な部分で自分自身の文章ではなく、先人の著作の引用で替えている傾向がある。それだけ多くの文献を踏まえているということなのだろうが。
 とはいえ、思ったより柔らかめの文章で(ところどころワル乗りしている)、興味をかき立てられるところが多い、つまりはブログ主好みの本だった。

Yuuminnokeifu

 

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2020年11月11日 (水)

「一九〇五年」の彼ら

「一九〇五年」の彼ら 「現代」の発端を生きた十二人の文学者/関川夏央(NHK出版新書,2012)

 日本の国民国家としての頂点は、一九〇五年五月二十七日である。

 そんな文章から、本書は始まる。これは、「日本海海戦」の日。
 著者はこの年を、「まだ明治三十八年でありながら大正・昭和の発端した年、あるいは「現代」のはじまった年として記憶される」と位置づける。
 歴史に名を残す12人の文学者がその年に何をしていたのか。さらに、彼らはその後、どのように生き、死んだのか――。
 1905年と、それぞれの没年。12人の人生と作品を、二つの年に焦点を当てた短い評伝の形で語る。そんな本書の執筆意図を、著者は後記で端的に語っている。「文学・文学者と時代精神の関係について考え、大衆化社会のとば口、すなわち一九〇五年からそれぞれの文人の全盛期を眺め、ついでその晩年を紙の上に記述する本」と。
 そして、そんな本は「もう出ないかも知れない」とも書いている。確かに、こんな構想の本は他に知らない。

 登場する12人は下のとおり。さすがに超有名人ばかりである。順番は生まれた年の順。

「森鷗外――熱血と冷眼を併せ持って生死した人」
「津田梅子――日本語が得意ではなかった武士の娘」
「幸田露伴――その代表作としての「娘」」
「夏目漱石――最後まで「現代」をえがきつづけた不滅の作家」
「島崎藤村――他を犠牲にしても実らせたかった「事業」」
「国木田独歩――グラフ誌を創刊したダンディな敏腕編集者」
「高村光太郎――日本への愛憎に揺れた大きな足の男」
「与謝野晶子――意志的明治女学生の行動と文学」
「永井荷風――世界を股にかけた「自分探し」と陋巷探訪」
「野上弥生子――「森」に育てられた近代女性」
「平塚らいてう(明子)――「哲学的自殺」を望む肥大した自我」
「石川啄木――「天才」をやめて急成長した青年」

 いかにも明治人らしい気骨を持って人生を終えた森鷗外に始まり、どうしようもなくだらしない短い生涯を送った石川啄木まで。最後に登場する石川啄木が一番若いのだが、一番早く死んでいる。
 そして鷗外と啄木の間には、著者の描いた、12人の個性が作るグラデーションがある。それを見ていると、なんだか世代が若くなるにつれて、文学者としての才能はともかく、人格的にはだらしなくなっていってるような気もする。あるいは、思考や行動が、徐々に「現代人」に近づいているというか…。
 著者の意図とは違うのだろうが、そんなところで、「現代の始まり」を感じてしまった。

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2020年11月 7日 (土)

日本まんじゅう紀行

日本まんじゅう紀行/弟子吉治郎(青弓社,2017)
 著者は本業は放送業界の人。Wikiを見ると、ラジオ・テレビ番組ディレクター、作曲家、音楽プロデューサー、著作家、メディアコーディネーター、実業家(放送プロダクションを経営している)と、やたらと肩書きが多い。
 この本は一見そんな本業とは無関係のようだが、実は著者の実家はまんじゅう屋。「まんじゅう屋の空気を吸って育った」という。今でも無類のまんじゅう好きなのである。
 著者のいう「まんじゅう」は非常に範囲が広い。「和菓子」は高級、庶民的な和風のお菓子は「まんじゅう」という、やたらとおおざっぱな区分をしている。ぼた餅も最中もまんじゅうに分類する。
 だいたい、広義のあんこを使っている、高級でないお菓子は全部「まんじゅう」になるようである。だから本書に出てくるお菓子の範囲も非常に広い。餅やようかんはもちろんのこと。表紙にもどら焼きや串団子の写真が出ている。
 さらに、この範疇にすら入らないお菓子も出てくる。例えば「夏蜜柑の丸漬」なんてのも出てくるが、どこが「まんじゅう」なのかわからない。
 とにかく、そんなバラエティに富んだお菓子を、ひとつあたり3~4ページで、写真と文章により紹介。全8章。

 これだけなら、よくあるパターンだが、実は文章が独特。ところどころ、やたらと詩的な表現が出てくる。例えばこんな具合。

 このよもぎ求肥には、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ『月光』の揺らめきがあります。これを食べながら阿弥陀経の極楽国土を見ることができます。歌舞伎『勧進帳』で花道の弁慶を見送る富樫の心中にも似ています。(p.15 「両月堂のよもぎ求肥」)

 東京のなかで私がいちばん好きな町が神楽坂。ここには、言霊や音の女神や命の滴や消されてもなお漂う香りと匂いがあるような気がします。(p.27 「神楽坂のマンヂウカフェ」)

 本書をよくある「おいしいものガイド」と区別しているのは、この個性あふれる表現に満ちた文章なのである。結局どんな味なのかは、よくわからないのだが。
 実はブログ主は著者のいう「まんじゅう」――あんこの入ったお菓子がけっこう好きなので、こういう本にはつい興味を引かれてしまうのだった。

Nihonmanjuukikou

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2020年11月 3日 (火)

英語の謎

英語の謎 歴史でわかるコトバの疑問/岸田緑渓、早坂信、奥村直史(角川ソフィア文庫,2018)
『歴史から読み解く英語の謎』(2002)の、改題・文庫化。
 英語の語法、発音、綴り、文法、語彙などに関する素朴な疑問を、英語史から説明する本。
 素朴な疑問と言っても、これまで「そういうものだ」と思っていて、疑問にも思っていなかったことが多い。
 例えば、「thanksはなぜ複数形なのか」とか。「It rained.のitは何か」とか(itは神のこと、というのは俗説らしい)。「oneはなぜ「オネ」と発音されないのか」とか。「will notの短縮形はなぜwon'tなのか」とか。「be動詞はなぜam,is,areと変わるのか」とか。「goの過去は、なぜgoedでなくwentなのか」とか。
 そんな英語の「謎」の数々を掘り起こし、なぜそういう表現や発音になったかという理由を、歴史的に解明していく。
 例えば、be動詞やgoの変化の話には「意外な真実」があった。元は別の動詞が変化形として組み込まれていたのだという。
 また、ところどころに引用されている10世紀頃の英語というのが、まるで別の言語みたいで興味深い。
 こんな感じである。()内は今の英語に直したもの。

 Eadige synd tha the nu wepath, forthamthe hi beoth gefrefrede.
(Blessed are those who now weep, because thay shall be comformed.)

 英語の語源や歴史についての知識が詰まっているが、読んでも別に英語力が向上するわけではないと思われる。「語学」ではなく、「英語学」の本なのである。

Eigononazo

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