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2020年11月11日 (水)

「一九〇五年」の彼ら

「一九〇五年」の彼ら 「現代」の発端を生きた十二人の文学者/関川夏央(NHK出版新書,2012)

 日本の国民国家としての頂点は、一九〇五年五月二十七日である。

 そんな文章から、本書は始まる。これは、「日本海海戦」の日。
 著者はこの年を、「まだ明治三十八年でありながら大正・昭和の発端した年、あるいは「現代」のはじまった年として記憶される」と位置づける。
 歴史に名を残す12人の文学者がその年に何をしていたのか。さらに、彼らはその後、どのように生き、死んだのか――。
 1905年と、それぞれの没年。12人の人生と作品を、二つの年に焦点を当てた短い評伝の形で語る。そんな本書の執筆意図を、著者は後記で端的に語っている。「文学・文学者と時代精神の関係について考え、大衆化社会のとば口、すなわち一九〇五年からそれぞれの文人の全盛期を眺め、ついでその晩年を紙の上に記述する本」と。
 そして、そんな本は「もう出ないかも知れない」とも書いている。確かに、こんな構想の本は他に知らない。

 登場する12人は下のとおり。さすがに超有名人ばかりである。順番は生まれた年の順。

「森鷗外――熱血と冷眼を併せ持って生死した人」
「津田梅子――日本語が得意ではなかった武士の娘」
「幸田露伴――その代表作としての「娘」」
「夏目漱石――最後まで「現代」をえがきつづけた不滅の作家」
「島崎藤村――他を犠牲にしても実らせたかった「事業」」
「国木田独歩――グラフ誌を創刊したダンディな敏腕編集者」
「高村光太郎――日本への愛憎に揺れた大きな足の男」
「与謝野晶子――意志的明治女学生の行動と文学」
「永井荷風――世界を股にかけた「自分探し」と陋巷探訪」
「野上弥生子――「森」に育てられた近代女性」
「平塚らいてう(明子)――「哲学的自殺」を望む肥大した自我」
「石川啄木――「天才」をやめて急成長した青年」

 いかにも明治人らしい気骨を持って人生を終えた森鷗外に始まり、どうしようもなくだらしない短い生涯を送った石川啄木まで。最後に登場する石川啄木が一番若いのだが、一番早く死んでいる。
 そして鷗外と啄木の間には、著者の描いた、12人の個性が作るグラデーションがある。それを見ていると、なんだか世代が若くなるにつれて、文学者としての才能はともかく、人格的にはだらしなくなっていってるような気もする。あるいは、思考や行動が、徐々に「現代人」に近づいているというか…。
 著者の意図とは違うのだろうが、そんなところで、「現代の始まり」を感じてしまった。

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