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2020年12月28日 (月)

カミュ『ペスト』

ペスト/アルベール・カミュ;宮崎嶺雄訳(新潮文庫,1969)
 今ではこの本について感想を書いている人は山のようにいるのだろうが、この2020年という年を象徴するような1冊として、今年の本ブログの最後に取り上げることにする。
 言わずと知れた疫病文学の古典。
 ブログ主はこの本をずいぶん前から持っていたが、積ん読のままだった。今年の3月、新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)というこの時期こそ、読むのにふさわしい本だと思い、初めて読んでみたのだった。
 この本の新版が書店にどっと並び始めたのは、その後のことである。それを見た時は、「やっぱり…」と思ったが。
 ただ、この作品の場合、ペストが流行するのはオランという一都市内だけだから、「パンデミック小説」とは言えないが。

 オランは、アルジェリア北岸に築かれたフランスの植民都市。本書の描写を読む限り、住んでいるのはフランス人を中心とするヨーロッパ人だけで、現地民であるはずのアラブ人やベルベル人については何ひとつ書かれてない。それはそれで気になるところではあるが、さしあたり物語の本筋とは関係ない。
 ペストは静かにこの都市に忍び寄ってくる。最初は鼠の大量死。そして散発的に起きる住民の突然死。次第に増える死者、これはペストではないかと医師たちがついに認めるのが序盤。
 ペスト汚染地区と認定されたオランの町は、政府によって閉鎖される。ここからが本当の物語。伝染病とともに都市内に閉じ込められた住民たちの苦闘を、一人の医師の眼を通じて描いて行く
 この小説は、その医師ベルナール・リウーが、すべてが終わった後に書いた手記という設定になっている。(そのことは最後の最後になってわかるのだが。)
 務めて記述に客観性を維持しようとするリウーは、彼自身の内面をあまり描こうとしない。まして、他人の内面に立ち入ることもない。ただ、果てしなく続くペストとの闘いの日々が、感情を押さえた乾いた筆致で描かれていく。
 そのリウーに協力するのが、もう一人の主人公と言うべきジャン・タルー。事態が始まる数週間前にオランにやってきた金持ち。最初登場した時はかなり得体の知れない人物だが、献身的にリウーたちの医療活動を補助する。そして終盤で自らもペストに倒れる。
 印象的な登場人物がさらに二人いる。新聞記者のランベールと、犯罪者で自殺志願者のコタール。彼らもまた、それぞれの事情を抱えながらも、ペスト蔓延という事態の中で、やはり医療活動に協力する。事態が終わった後の二人の運命は対照的だが。
 本書には女性の登場人物がほとんど登場しない。それがかえって物語全体にストイックで引き締まった印象を与えている。

 本書は疫病小説であっても、パニック小説ではない。病に襲われた者の恐怖や悲哀、あるいはペストに立ち向かう者の勇気や使命感などは、きわめて抑制的に表現されている。はっきり言ってストーリーらしいストーリーもない。そこにかえって疫病のリアリズムが感じられる。
 本書の一節に、次のような文章がある。

 みずからペストの日々を生きた人々の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る残忍な猛火のようなものとしてではなく、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶしていく、果てしない足踏みのようなものとして描かれるのである。(p.214)

「果てしない足踏み」。これこそ、今の日本を予言する言葉のような気がする。まあ、致死性という点では、新型コロナウイルスは本書のペストとは比べものにならないだろうが、対策が空回りしているような今の事態をよく言い表している気がするのだ。

Pest

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2020年12月25日 (金)

20世紀モノ語り

20世紀モノ語り/紀田順一郎(創元ライブラリ,2000)
 いわゆる「事物起源」の本。
 タイトルには「20世紀」とあるが、実際には明治以来、19世紀後半~20世紀の1960年代までを扱っている。
 なぜそういう内容になっているかは、あとがきを読めばわかるのだが、それによると、本書の来歴は非常に複雑。
 最初は「明治百年」(1968年)の頃、『小説現代』に連載したコラム「明治百年カレンダー」が元になっている。その連載をまとめて単行本になったのが1980年刊『コラムの饗宴』(なぜこういうタイトルになったのか不明)。
 その後連載時のタイトルに近い『近代百年カレンダー』(旺文社文庫、1985)、さらに『近代事物起源事典』(東京堂書店、1992)として再刊。そのつど増補しているという。
 そして今回大幅な増補改訂を行ったというのが本書。最初の連載時も含めれば、実に5回目の刊行、5番目のタイトルということになる。

 内容は、162の項目を五十音順に並べている。一項目2ページ。最初は「アイスクリーム」、最後は「レコード」。
 取り上げられている項目は当然ながら、明治時代に初めて日本に登場した事物が多い。「赤ゲット」、「映画」、「学校」、「銀行」、「自転車」、「タクシー」、「ネクタイ」、「ボーナス」、「ランプ」など。だが、それ以外にも、明治以降に大きな変化を見せたものも取り上げている。「温泉」、「漢字」、「結婚」、「地震」、「下着」、「住宅」、「心中」、「スリ」、「手紙」、「時計」などである。
 また、「図書館」、「文庫本」、「未来記」などは、いかにもこの著者らしい選び方が見える項目だろう。
 記述はあとがきで著者自身も書いているように、「明治時代の起源の部分に厚く、現代に近づくほど薄くする」形。詳しく書けば本1冊になりそうな項目も多いが、全部2ページにまとめているのは力業と言える。
 ただ、「明治百年」が企画の出発点になっているせいか、年代表記が基本的に元号ばかりなので、西暦に慣れた身には、ちょっと時代感覚を把握しづらい。人によっては、むしろその方がわかりやすいのかもしれないが…。

20seikimonogatari

 

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2020年12月20日 (日)

道半ば

道半ば/陳舜臣(集英社,2003)
 陳舜臣の自伝的エッセイ。「陳舜臣中国ライブラリー」の月報連載が元になっている。
 この本が出た時、著者はすでに80歳近かったのだが、それでもタイトルは『道半ば』。(実際に著者が亡くなったのは、この本が出てから12年後。)
 内容は、自分の半生を23章(章番号はなし)に分けて記述している。

 台湾出身の華僑商人の子として神戸に生まれてから、大阪外国語学校を受験するまでが、最初の6章(「幼い日々」~「舞い落ちる旗」)。
 大阪外国語学校時代を語るのが7章から11章まで。(「太平洋戦争まで」~「炎上前後」)。ちょうど中国での戦争が激化し、ついには太平洋戦争が始まる激動の時代と重なる。言い換えれば、著者が大阪外語学校で過ごしたのは、戦時中の日々だったわけだ。
 その頃、外語学校の一学年下に入学してきたのが福田定一(司馬遼太郎)。学生時代は交友はあまりなかったらしいが、「あの男は話術の天才ではないか」と言われるほど話がうまかったという。
 戦時中ではあったが、著者は戦争に行かずにすむ。著者は外語学校を卒業後も「西南アジア語研究所」(著者はペルシア語専攻)の研究助手として学校に残ったのだが、国立学校の職員は徴兵されなかったのだ。司馬遼太郎とは違って学徒出陣で戦争に行かずにすんだのは、台湾人だから、というのもあったかもしれないが。
 戦争が終わると外語学校の研究所は閉鎖され、著者は仕事がなくなる。何より、日本国籍を失ってしまい、外国人になる。著者は弟と二人、いったん台湾の父の本家に帰ることにする。永住ではなく、日本が落ち着くまでちょっと滞在するつもりだった。
 著者が台湾に帰郷したのが1946年。国籍が変わったのだから当然ではあるが、この時期大量の台湾人たちが日本から台湾へ戻って行った。その中に李登輝もいたことが語られている。著者の友人何既明と一緒の引揚船で帰って来たそうで、とんでもない読書家だったそうだ。
 父親の故郷である台北県の新荘という田舎町で、著者は思いがけずも学校の英語教師をすることになり、3年間勤めることになる。そのへんのできごとを語るのが、12章から17章まで(「戦い終わる」~「過ぎ行く牧歌時代」)。動乱の中で著者が小説への志を抱き始めるくだりもある。
 事態が風雲急を告げ、悲劇の様相を帯びてくるのが、最後のパートにあたる18章から21章まで(「二月二十八日事件」~「さらば台湾」)。台湾最大の悲劇2.28事件が起き、台湾は外省人(台湾語で「阿山」[アスア])による恐怖政治の下に置かれる。知り合いが拘束されたり殺されたりする中、自由思想の持ち主だった著者は自分も身の危険を感じ、1949年に神戸に帰って来る。神戸もやはり「帰って」来るところ。台湾も日本も、著者にとっては故郷なのである。
 最後の2章、「乱歩賞まで」と、「後日譚」は蛇足みたいなもの。しかし年月の長さという点では、台湾から日本に戻ってからの方がずっと長いわけで、本書は自伝といっても、ほぼ若い頃に限られている。「道半ば」というのは、本書の内容が若い頃の話で終わっているという意味だったのか。
 それにしても、本書は自伝にもかかわらず、著者の歴史エッセイを読むのと同じような感覚で読める。日本と台湾にまたがる歴史ドキュメンタリーのような味わいを持っている。自伝ではあっても、歴史的視点を常に保ち続けているあたりは、さすがに陳舜臣なのである。

Michinakaba

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2020年12月16日 (水)

トリック・とりっぷ

トリック・とりっぷ/松田道弘(講談社,1982)
 このところなぜか古本が続く本ブログである。
 タイトルどおり本書のテーマは「トリック」。ではあるが、どうもつかみどころのない本である。
 中身はミステリのトリックと手品のトリックの話が大半。他に、トリックみたいなパズル、詐欺、ジョークの話などが出てくる。つまりいろいろな意味での「トリック」の話がごちゃ混ぜに入っている。
 著者は奇術研究家で、日本推理作家協会会員でもあるとのこと。推理作家協会所属なのに小説は書いておらず(他にも翻訳家などでそういう人はいるが)、他に『トリックものがたり』、『トリック専科』などの著作がある。どれも内容は本書と似たようなものらしい。
 それにしてもこの人、調べてみると著書がけっこう多かった。かなりの年だが(1936年生まれ)、まだ存命らしい。

 本書の内容は、22編の短いエッセイからなっている。元は『小説現代』の連載コラム。
 最初の「ミステリは二度おいしい」は、ミステリというより物語の発想法について。「さかさ桃太郎」を題材に、物語のトリックを語っている。
 次の「技巧的なあまりに技巧的な」は、ボトルシップの話から始まり、上下逆さにしても読める(というか、逆さにして物語が完結する)アメリカの漫画について解説。
 さらに次の「奇智との遭遇」は、詰め将棋とパズルゲームの話。こんな感じでどうもまとまりがないが、なんらかの形で「トリック」につなげるというのは意識しているようだ。後半になるとミステリや奇術の話が増えてくる。
 読みものとしては正直言って平凡なものだが、話のネタにはなりそうな本である。
 なおイラストは、ブルーバックスの挿絵などでなじみのある、懐かしのイラストレーター永美ハルオ。Wikiで調べてみると、この人も90歳近いがまだ存命のようだ。著者もイラストレーターも長生きである。

Tricktrip

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2020年12月12日 (土)

乗り物はじまり物語

乗り物はじまり物語/ブリヂストン広報室編(東洋経済新報社,1986)
 ブリヂストンのPR誌『タイヤニュース』の連載記事を再編集したもの。「乗り物」に関するさまざまな話題を、テーマ別に分けて書いている。
 最初が「車輪」というのが、いかにもタイヤ会社らしい。
 その「車輪」から始まって、1章から5章までは、「荷車」→「駕籠」→「自動車」→「二輪車」という並び。だいたい、道路を通る乗り物の発展の順番になっているようだ。しかも、「駕籠」を除いては全部車輪を使っている。「駕籠」の章はも、後半には「人力車」が登場するし。
 6章から9章は、「鉄道」、「重機」、「船」、「飛行機」と乗り物の種類別。
 そして10章から14章は、「道路」、「隧道」、「並木・駅・橋」、「地図」、「標識・駐車場・免許証」と、インフラや制度関係。最後は「新交通」となっている。
 ――というような内容で、「乗り物はじまり物語」というより、「交通はじまり物語」の方が書名にふさわしいようだ。もっとも、タイトルとしては「乗り物」とつけた方が面白そうではある。
 記述は総合的な解説というより短いトピックの連続。だから体系性はあまりないが、図版が豊富で参考文献も載っており、交通の歴史に関する手軽なガイドブックになっている。内容にPRぽいところがほとんどないのもいい。

 各章の内容は次のとおり。

其之壱 車輪之巻 /其之弐 荷車之巻 /其之参 駕篭之巻 /其之四 自動車之巻 /其之伍 二輪車之巻 /其之六 鉄道之巻 /其之七 重機之巻 /其之八 船之巻 /其之九 飛行機之巻 /其之拾 道路之巻 /其之拾壱 隧道之巻 /其之拾弐 並木・駅・橋之巻 /其之拾参 地図之巻 /其之拾四 標識・駐車場・免許証之巻 /其之拾伍 新交通之巻

Norimonohajimarimonogatari

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2020年12月 8日 (火)

血と薔薇のエクスタシー

血と薔薇のエクスタシー 吸血鬼小説傑作集/幻想文学編集部編(幻想文学出版局,1990)
 国産吸血鬼小説のアンソロジー。Amazonで買うと高いが、普通の古書サイトだとそんなにしないようである。(ブログ主はもちろん普通に古本で買った)
 同じテーマのアンソロジーとして、本ブログでずいぶん前に『血 吸血鬼にまつわる八つの物語』を取り上げたことがある。(2012年11月15日のエントリー)
 そっちの方はホラー/SF寄りのセレクションだったが、それより10年前に出版されたこちらは、さすがに当時の『幻想文学』誌がからんでいるだけあって、やや文学寄り。作者も、エンタメ系よりは文学史に名を残すような作家が目立つ。
 そして、吸血鬼には欠かせない「耽美」の色濃い小説が多い。中には、そんなものと関係ない、あっけらかんとしてポップな新井素子の作品みたいなのもあるが。
 収録作は16編。印象的な作品をいくつか挙げてみる。

 最初はいきなり三島由紀夫。「仲間」は、吸血鬼めいた闇の眷属を象徴的に描く作品で、5ページしかない掌編だが、密度は濃い。
 倉橋由美子「ヴァンピールの会」は、湘南のレストランに自らを「ヴァンピールの会」と称して集う上流の女性たちの物語。フランス風の洒落た、そして退廃的な雰囲気が横溢する怪奇譚。
 須永朝彦「森の彼方の地 」は、「ヴァーミリオン・サンズ」と吸血鬼を結びつけるという離れ業を見せる。作者の吸血鬼愛と、そしてJ・G・バラードへのオマージュに満ちている。
 赤川次郎「吸血鬼の静かな眠り」は、赤川次郎の暗黒面を見せつける怪奇譚。外国人が住んでいたという家を別荘として借りた家族を襲う、怪奇現象とその果ての惨劇。
 新井素子「週に一度のお食事を」は、本書の中では異色作。世の中の人間のほとんどが吸血鬼になってしまうが、精神面は前と同じで、みんなきちんと暮らしているという、実に明るい吸血鬼小説。
 日影丈吉「女優」。ベテラン女優の弟子になった若い女優が、なぜか次々と病気に倒れる。女優は吸血鬼なのか、結局疑惑は疑惑のままで、最後まで真相はわからない。このあたりになると、もはや吸血鬼という言葉は象徴的に使われているように見える。
 戸川昌子「黄色い吸血鬼」も、入院患者から血を抜き取って売る悪徳病院を舞台にした話で、「吸血鬼」は、完全に比喩的な意味で使われている。しかし本物の吸血鬼よりたちが悪いのだった。
 岸田理生「ちのみごぞうし」は、吸血鬼の子どもとして生まれた少年が、父を求めて旅をする話、らしい。全編が象徴と言葉遊びとパロディで構成された、特異な作品。

 他に菊地秀行、星新一、岡本綺堂、都筑道夫、種村季弘、中井英夫など、名だたる作家の名が並んでいる。なかなか贅沢なアンソロジーなのである。

 そんな中でマイベスト作品を選ぶのもなかなか難しいが、もっとも正統派の吸血鬼小説ということで、「吸血鬼の静かな眠り」とする。

Chitobara

 

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2020年12月 5日 (土)

考えの整頓

考えの整頓/佐藤雅彦(暮らしの手帖社,2011)
『暮らしの手帖』に連載された27編のエッセイを収録。連載時のタイトルは「考えの整とん」。(なぜ「とん」がひらがなだったのかはよくわからない。)
 著者は大学教授で、巻末の著者紹介を見ると、「独自の考え方や方法で、映像、アニメーション、脳科学と表現の研究など、分野を超えた活動を行っている」のだそうだ。「ピタゴラスイッチ」を企画した人でもある。これでは専門が何なのか、よくわからない。なんだかユニークそうな人だということはわかるが…。
 そして実は、本書に書いている内容も、何がテーマなのかよくわからない。わからないことだらけである。
 まえがきには、「日常という混沌の渦の中に見え隠れしている不可解さ、特に"新種の不可解さ"を取り出し、書くという事で整頓してみようと思いました」と書いてある。テーマは「不可解」ということなのか。ならば、よくわからないのも当たり前か。
 とはいえ、書いてあることそのものは、別にわかりにくいというわけではない。

 最初の「「たくらみ」の共有」に書いてあるのはこんなこと。
 著者がたまたまテレビで見た大河ドラマの再放送(山内一豊が主人公とあるから「功名が辻」だろう)に見入ってしまった。その原因は、ドラマの中である「謀[はかりごと]」にひきつけられ、自分も一味に加えられたかのように感じたからだった。
 そこから著者は、中学校の時、教師も含めたクラス全体で、父兄参観日にある「企み」を実行したことを思い出す。そして「たくらみの共有」から、日本に乏しくなってしまった一体感が取り戻せないかと考えるのだった。
 ――というような、実になんと言うこともない、日常のちょっとしたことから生まれた、ちょっとした思いつき、ただし、普通の人ならあまり考えない、あるいは気づかないような内容について、1編あたり8ページくらいの短い文章で書いてある。
 わりと面白かったのは、こんなところ――。ただ三角形が並んでいるだけの図から自然と話を作ってしまう「物語を発言する力」。未来の自分へのプレゼントを発見する「広辞苑第三版 2157頁」。やはり簡単な図から人の思い込みと想像力の力を説く「ものは勝手に無くならない」。読者をある条件でどんどん限定していき、条件からはずれた人はこれ以上読まないように指示する「ふるいの実験」(どうせ読者は全部読むわけだが)。別役実ばりに嘘か本当かわからない「耳は口ほどにものを言い」。「差」の価値について考える「「差」という情報」、など。
 逆に何が面白いのかよくわからないものもあった。著者の独特の考え方と波長が合うかどうかがポイントなのだろう。ブログ主の場合、そこが微妙にずれていて、波長が合ったり合わなかったりしたわけだ。

Kangaenoseiton

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2020年12月 1日 (火)

タブーに挑む日本史読本

タブーに挑む日本史読本/別冊宝島編集部編(宝島社文庫,2000)
 別冊宝島38『タブーと常識に挑戦する日本史読本』(1983)の改題・改訂文庫化。
 ちょっと見た目にはトンデモ系の歴史本にも思えるが、中身を読むと非常にまともである。むしろまともすぎて、「タブーに挑む」みたいな異端性はほとんど感じない。執筆者も、笠井潔、山本ひろ子、赤坂憲雄、呉智英といった一流どころ(しかしクセがある)が入っている。
 ただ、扱っている時代がほとんど中世までなので、「日本史読本」というには、範囲があまりに限られている。

第一部「豊穣の縄文時代◆その可能性を読む」
 最初に「縄文――日本列島の"長い至福の時"」と題する笠井潔と小阪修平の対談。
 その後に「【イラスト図解】初心者のためのワンダーランド縄文入門」(草野尚詩、協力・田中基)。実際には図より文章の方が多い。
 縄文式土器の解説で「ヘビは"地下"を、イノシシは"地上"を、ミミズクは"天界"を象徴する」と書いているが、うがちすぎのような気もしないではない。この手の大胆な解釈は本書の至るところに見られるのだが。いずれにしても、縄文時代のどこが「タブー」なのかわからない。
第二部「謎の天皇制◆その秘密を解く」山本ひろ子
 まだ昭和の時代に書かれた天皇論。しかしその頃から天皇論はあったと思うが、タブーと言うほどではないだろう。「天皇」号は高句麗国王への対抗から生まれたとか、三種の神器、鏡・剣・玉は、国家の権力の基盤である権威・武力・財力をそれぞれ象徴しているとか、なかなか興味深い解釈が見られる(上のヘビとかイノシシとかに比べると、こちらはなるほどと思わせる説得力がある)。
 後半は天皇の精神的・宗教的側面についての考察で、こっちの方がこの筆者の専門。
第三部「混沌の中世史◆その闇を照らす」
 複数の筆者が「徳政と一揆」、「お伽」、「交易と市」、「散所」などのテーマごとに執筆。書いているのは赤坂憲雄、大胡太郎、岡本泰子、石井正己、西川照子、後藤繁雄、呉智英、山本ひろ子。
 網野善彦風に言えば「無縁」に関するテーマがほとんど。というか、これって網野史学そのものでは。
第四部「森と水の日本史」深見茂
 照葉樹林、治水、稲作と環境の面から見た日本史。本書の中では珍しく、江戸時代の話が大きな比率を占めている。この筆者は再刊にあたって編集部が連絡をとったが音信不通だったとのこと。どこへ消えたのか、タブーに触れる何かがあったのだろうか…。

Tabooniidomunihonshidokuhon

 

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