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2021年1月30日 (土)

北朝の天皇

北朝の天皇 「室町幕府に翻弄された皇統」の実像/石原比伊呂(中公新書,2020)
 去年、本ブログで『南朝全史』という本を紹介した(2020年6月27日のエントリー)。で、今度は北朝である。
 考えてみれば、北朝の歴代天皇は正統の天皇と見なされずに代数にも数えられてないし、南朝以上に不遇に取り扱われているとも言える。少なくとも後世の歴史では。
 そのせいか、北朝のみに焦点を当てた本は少ない。専門書はともかく、新書となると、他に見たことがない。
 しかし鎌倉末から室町時代にはれっきとした公式政府の朝廷だったわけで、その歴史はもっとクローズアップされることがあっていい。
 ――と、本書の著者は考えたのかどうか。とにかく、「はじめに」によれば、「中世という時代を泳ぎ切れた」生命力に注目したとのこと。

 ところで、本書のタイトルは「北朝」だが、南北朝時代だけを扱っているわけではない。鎌倉時代後期から室町・戦国時代を扱っている。その点では『南朝全史』と同じようなもの。
 ただ、南朝の場合は南北朝時代が記述のメインだったのに対し、本書で一番興味深いのは、むしろ南北朝が終わってから後。戦国時代に入る前の、室町時代中期・後期の皇室と幕府の関係を述べている第3章から第5章あたり。
 南北朝は室町幕府3代将軍足利義満の時代に終わる。その次の将軍足利義持は「王家」(つまり北朝)の執事みたいな役割を果たしており、天皇を「丸抱え」していた。金銭面も含めて冠婚葬祭全般にわたって面倒を見るのである。これ以降の将軍も同様。
 幕府の方はその見返りとして、弱体な将軍権威を天皇権威で保証されることにより維持していた。そんな将軍と天皇の相互依存みたいな関係が、室町幕府の実態だった。
 著者はこの時期の天皇と将軍の関係を「儀礼的昵懇関係」と呼んでいるが、個人的にも実際に昵懇だった例もあったらしい。足利義政などは、天皇としょっちゅう宴会をしていたという。(そういえば、ゆうきまさみの『新九郎奔る』5巻に、義政と帝の酒宴シーンが一場面だけ出てきていた。)
 権謀術数の見本のようでもあり、妙に人間くさくもある、そんな関係を描き出すことこそが、本書の趣旨なのだろう。タイトルは『室町幕府と天皇』の方がふさわしかったのでは。

 

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2021年1月26日 (火)

ことばはフラフラ変わる

ことばはフラフラ変わる/黒田龍之助(白水社,2018)
 本ブログ6回目の登場、外国語大好き言語学者、黒田龍之助。
 本書はこの著者にしては珍しい、本格的な言語学に関する本である。
 大学の都合で、自分の専門でもなんでもない比較言語学の講義を担当することになった著者。しかし元から比較言語学に興味のあった著者は、この講義を「複数言語学」のつもりで、すなわち「複数の言語を対象とするときの考え方を紹介する」講義にしようとする。
 その講義の内容を元にしたのが本書である。全10章。

 1「言語が変化する理由を想像する」は、序論として、言語の変化という現象と、その要因について述べる。本書で使う「言語」と「ことば」の使い分けについても説明。
 2「比較と対照はまったく違う」。比較言語学の「比較」は、厳密な学術用語で、同系の言葉の間でしか使えない。これに対し「対照」は、同系でも同系でなくても使えるのだそうだ。知らなかった。
 3「どうして言語に先祖や親戚がいるのか」では、「祖語」、「姉妹言語」、「語族」といった言語の「近親関係」について、あくまでも比喩にすぎないと説明している。
 4「比較言語学の先駆者たち」は、言語学史。インド・ヨーロッパ語族の研究を中心として、この著者の本には珍しく、言語学者たちの名前が次々と出てくる。
 5「音の変化はいつでも複雑怪奇」では、言語学では有名な「グリムの法則」を中心に、音の変化について実例を紹介しながら説明。
 6「親戚以外の関係もある」は、言語の接触から生まれる諸現象について解説。受容と反発、上下関係、共存関係など。
 7「ピジン・クレオールは変化の最前線」。言語変化の生きた実例としてのピジン、クレオールについて。
 8「ことばの違いを地図上に表わす」。言語地図と、そこから読み取ることができるさまざまな言語現象について。しかし地図の実例がひとつも載ってないのはなぜなのだろう。
 9「政治が言語に口を出す」は、言語と政治のさまざまな関わりがテーマ。公的機関による用語の変更とか、ベルギーやルクセンブルクの言語事情とか、日本の言語政策とか。しかし、本書全体のテーマである言語の変化はどこへ行ったのか。
 10「日本語の系統をめぐる危ない話」は、日本語の系統や起源が不明であることをまず説明、それを明らかにしようとする説の怪しさを批判する。

 ――というような内容で、本来の比較言語学の話は結局ごく一部。言語の変化や系統や関連や接触といったテーマをもとに、わりと自由自在に言語を語る内容になっている。
 つまり、黒田龍之助の他の本と、読んだ印象としては大差ないのである。「ことば好き」にとっては、安定の面白さと言える。

Kotobawafurafura

 

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2021年1月22日 (金)

銀河英雄伝説列伝1

銀河英雄伝説列伝1 晴れあがる銀河/田中芳樹監修;石持浅海ほか(創元SF文庫,2020)
 銀英伝の世界を舞台にした中編6編を収録した「公式トリビュート・アンソロジー」。「1」とついてるから、まだ出るらしい。
 作者はSF作家が半分、それ以外が半分。田中芳樹が「監修」となっているが、作家の選定とかに一切関わってないことは、序文から明らかである。

小川一水「竜神滝[ドラッハ・ヴァッサーフェル]の皇帝陛下」
 新帝国暦3年。フェザーン産地でのハネムーンで釣りに興じるラインハルトの姿を描く魚釣り小説。

石持浅海「士官学校生の恋」
 士官学校の卒業を目前に控えたヤン・ウェンリーが、先輩のキャゼルヌに同期生の恋物語を語る。キャゼルヌからその話を又聞きした恋人のオルタンスが、秘められた真相を暴く。ストーリー的には完全にミステリで、オルタンスが安楽椅子探偵の役をしている。

小前亮「ティエリー・ボナール最後の戦い」
 宇宙歴791年だから、本編が始まる5年前。同盟の補給基地が次々と正体不明の艦隊に襲われて全滅する。その敵艦隊を捜索・撃破する任務を与えられたのが同名第九艦隊。司令官はペテルセン中将、分艦隊を率いるのがウランフとボナール。本書の中で唯一、宇宙艦隊戦の場面が出てくる。さすがに田中芳樹の勧めで作家デビューしただけあって、作風が一番本家に近い。

太田忠司「レナーテは語る」
 オーベルシュタインの死後、元執事のラーベナルトが隠棲する田舎家。そこを訪れたのは、かつてオーベルシュタインの部下だった女性レナーテ・ヴァンダーリッヒ。ラーベナルトから形見の品として香水瓶を渡されたレナーテは、オーベルシュタインが殺人事件を解決した思い出話を語り始める。これもストーリーはミステリ。ミステリ作家が書くとどうしてもミステリになってしまうようだ。

高島雄哉「星たちの舞台 」
 収録作中では異色の、演劇小説。ヤン・ウェンリーが士官学校の最上級生だった時、つまり「士官学校生の恋」と同じ時期の話。この話のヤンは、ヒュパティアという音楽学校生と二人で演劇を演じることになる。とにかく演劇の稽古の場面だけがほとんどを占める作品。本編と雰囲気が違いすぎる。それもトリビュート・アンソロジーの味わいかもしれないが…。

藤井太洋「晴れあがる銀河」
 収録作中で唯一、本編の登場人物が一人も出てこない。それもそのはず、ルドルフによる銀河帝国の建国から2年後の話。つまり本編が始まる500年近く前。政府のすべてが軍組織になり、政府による統制と監視が強まっていく、そんな世界が舞台。皇帝からの勅命により、「正統な銀河の航路図」の作成を命じられた帝国軍航路局のアトウッド少尉たちの奮闘を描く。なお、最後にアトウッドが本編に登場するある人物の先祖に当たるらしいことが示唆される。
 さすがに全体のタイトルに選ばれるだけあって、よくできた話。というわけで、この作品がマイベスト。

Gineidenretsuden

 

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2021年1月18日 (月)

攻防から読み解く「土」と「石垣」の城郭

攻防から読み解く「土」と「石垣」の城郭/風来堂編(じっぴコンパクト,2018)
 風来堂という怪しげなグループ名(?)が編者になっていることから、この新書によくある雑学系の本のように見える。確かにそういう要素もあるのだが…。
 基本的に記述は簡略で図版が多い。しかし、その少ない文章のほとんどが、城の歴史や鑑賞ではなく、軍事施設としての城の側面――縄張りと防御のシステム、攻城の方策などに当てられている。
 城と言えば天守を思い浮かべる人が多いだろうが、本書では天守を含めた建物については、防御上の仕掛けの一部として触れられているだけ。
 確かに軍事施設こそ城の本質。本書は簡略ながら、その本質に焦点を絞った本と言える。
 内容は巻頭対談と4章からなる。

 巻頭対談は西股総生と乃至政彦。「日本一の堅城はどこだ?構造と実戦の結果から探る」と題して、落ちた城落ちなかった城の違いは、などを語っているが、ほとんどはただの城談義。
 第一章「「土」と「石垣」の城の基礎知識」。基礎知識といっても、よくある用語解説などではなく、石垣の構造と組み方、用途によって違う城の構造など、かなり専門的な内容を説明している。
 第二章「実戦分析から見えてくる堅い城・脆い城」。ここからは各論で、個別の城についての紹介になる。
 この章では主に城の防御の仕掛けと城攻めの戦略を実戦から分析。登場するのは当然ながら、実際に城攻めの戦闘が行われた城ばかり。長谷堂城や熊本城など、守り抜いた城もあれば、小谷城、高天神城など、落城した城もある。
 第三章「名城もし戦わば…その強さを徹底検証」。実際には攻城戦がなかった城について、もし実際に城攻めがあったらどうなっていたかを考察。安土城、竹田城、杉山城などが登場。
 第四章「セオリーに反するナゾだらけのレア城」は、一番マニアックな章。個性に富む城の独特の防御の仕掛けを解説している。ただ、ページが足りなくなったのか、縄張り図がほとんど載ってないのが残念。
 この章に出てくるのはマイナーな城がほとんど。城には多少興味のあるブログ主でも、知らない城が多い。埴原城、岩倉城、羽黒山城、皆川城、多気山城、都於郡城…。
 こういうのは、雑学本の皮をかぶったマニア本――とでも言えばいいのだろうか。

Tsuchitoishigakinojoukaku

 

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2021年1月14日 (木)

『指輪物語』を創った男

トールキン 『指輪物語』を創った男/マイケル・コーレン;井辻朱美訳(原書房,2001)
 早いもので、映画『ロード・オブ・ザ・リング』が公開されてからもう20年になる。ブログ主のような年寄りには、ついこの間のように思えるのだが…。
 本書は、その映画公開の年に出た本で、明らかな便乗出版。原著も同じ年に出版されているので、そもそも最初から便乗出版なのである。
 それをまたなんで今頃(読んだのは去年)になって読んだのかというと、若き日のJ・R・R・トールキンを主人公にした映画『トールキン』を去年見たのが理由のひとつ。(もうひとつの理由は、近所の図書館にあったから。)
 実のところ、その映画の原作かとも思っていたのだが、実際は全然違っていた。
 映画の方は、トールキンの少年時代から青年時代、第一次世界大戦の戦場での悪夢のような体験を経て、『ホビットの冒険』を書き始めるところで終わっている。つまり映画はトールキンの生涯のごく一部だけを切り取っているのに対し、本書はトールキンの全生涯を語る正統派の伝記である。主要作品についても多くのページを割いている。
 ただし、文字は大きいし、ルビは多いし、見かけは中高生向けの本のように見える。訳者はファンタジー翻訳の第一人者井辻朱美だから、訳文はしっかりしている。

 内容は、いかにもオーソドックスにトールキンの出生から始まる。映画で描かれたようなグラマースクールでの友人関係や第一次世界大戦での体験はごくあっさりと片づけられ、メインになるのは大学教授としての生活と交友、そして『ホビット』と『指輪物語』について。
 中でも、第5章「『指輪物語』」は、12年をかけた『指輪物語』の完成と出版、そして空前の成功について語っていて、やはりこの章が本書のハイライトなのだろう。
 逆に言うと、作品が伝記のハイライトになるくらい。トールキンの人生には劇的なところはほとんどないのである。「まことに教授らしい教授」としてオックスフォード大学に勤め、家庭ではよき夫であり父であった――穏やかで恵まれた人生だったとしか言いようがない。
 だがそんなトールキンにも老いは忍び寄ってきて、最愛の妻エディスが先に死んでしまう。エディスの墓碑には「エディス・メアリ・トールキン、1889-1971、ルシエン」と刻まれた。
 そしてエディスに遅れること2年、トールキンも死去。エディスの下に彼の名と「ベレン」の名が追加で刻まれる。
 ルシエンもベレンも『シルマリルの物語』に出てくる恋人たちの名。「壮大な神話の愛が、トールキンと妻のエディスによって血肉化されたわけである」と、本書は語っている。
 ドラマ風の劇的なできごとには欠ける生涯だったかもしれないが、トールキンの人生を語るこの本は、最後をささやかだが感動的なエピソードで締めくくっていた。

Tolkien

 

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2021年1月10日 (日)

蔵書一代

蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか/紀田順一郎(松籟社,2017)
 本書は、「永訣の朝」と題した序章から始まる。書き出しからして、痛切な悲哀感に満ちている。

 いよいよその日がきた。――半生を通じて集めた全蔵書に、永の分かれを告げる当日である。

 妻と二人、マンションに引っ越すことになった著者は、3万冊を超える蔵書を手放すことにしたのである。新居に持って行くのはわずか600冊。今までの蔵書に比べると無に等しい。
 この時(2017年)、著者は82歳。年をとって大量の蔵書を抱えておくことには限界がある。紀田順一郎も年には勝てなかった。それにしても、この序章のトーンはあまりに悲痛である。
 続く第1章からは、比較的冷静に、日本の個人蔵書の歴史を、読書・出版事情の変化に即して、また自身の体験をまじえて語っていく。それは日本の「読書文化」、「蔵書文化」の興亡の歴史でもある。

 第Ⅰ章「文化的変容と個人蔵書の受難」は、個人史が半分。それは増殖する蔵書との苦闘の歴史でもある。だが、岡山に設けた書庫・書斎で、著者は束の間の安息の日々を得る。その岡山の書庫も、やがて諸事情から手放さざるを得なくなるのだが。
 第Ⅱ章「日本人の蔵書志向」は、日本の個人蔵書の歴史。図書館の歴史と蔵書とのかかわり、出版・古書界の変遷についても述べる。いわば著者のもっとも得意とする分野。「蔵書」と「コレクション」の違いについて述べたあたりはさすがの卓見と見た。
 第Ⅲ章「蔵書を守った人々」。江戸川乱歩の蔵書が立教大学に譲渡された経緯を述べるのが主な内容。個人蔵書を完全な形で残すことが難しい日本では、実に幸運なケースである。その稀な例を語ることで、逆に蔵書を次代に残すことの困難さを強調している。
 第Ⅳ章「蔵書維持の困難性」では、再び著者の体験をまじえながら、蔵書の活用・保存方法とその困難さを語る。著者が挙げる蔵書活用法は、例えば「一箱古本市」、「集合書棚(シェア・ライブラリー)」、自宅開放図書館、寄贈など。
 いずれにしても状況は厳しいが、著者は最後に「日はまた昇る」という言葉を掲げて希望を保とうとする。しかしやはり現実はきびしいのである。
 本書の最後は、小説風のこんな文章で締めくくられている。

 私は地下鉄神保町駅の階段を、手すりにすがりながら一段一段おりた。この階段をおりるのも今日が最後と思ったとき、足下から何かがはじけた。

 本とともに人生を歩んできた人にとっては(ブログ主も一応そのはしくれではあると思う)、身につまされる内容の本である。

Zoushoichidai

 

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2021年1月 6日 (水)

ラッフルズ・ホーの奇蹟

ラッフルズ・ホーの奇蹟(ドイル傑作集5)/コナン・ドイル;北原尚彦、西崎憲編;北原尚彦ほか訳(創元推理文庫,2011)
 以前に本ブログで、この創元推理文庫版<ドイル傑作集>の2冊目にあたる『北極星号の船長』という短編集を取り上げたことがある(2013年8月30日のエントリー)。そっちの方は怪奇小説を集めた一冊だったが、本書はドイルのSF短篇を中心に収録している。
 中身は知らない作品ばかり8編。SFだけでは一冊分に足りなかったのか、どう見てもSFとは呼べないような作品も入っている。

「ラッフルズ・ホーの奇蹟」
 全体の半分近くを占める長い中編。イングランド中部の田舎町タムフィールドに突然やってきた謎の大富豪ラッフルズ・ホー。無限に湧き出る富を惜しげ無く人々に分け与えるが、そのために地域の人々は堕落し、人生を狂わせる。ラッフルズ・ホーと偶然知り合ったロバートとローラの兄妹を通して、ホーの慈善とその挫折を描く。ホーの富の源泉が、元素変換技術――文字通りの錬金術だったというところがSF。
「体外遊離実験」
 科学者と助手の青年が魂の離脱実験をしたところ、二人の心が入れ替わってしまう。二人がしばらくの間それに気づかず行動したために大混乱が起きる、というドタバタ劇。しかし自分の体でないことに、なぜすぐ気づかないのか不思議。
「ロスアミゴスの大失策」
 世界最大の発電所を誇るロスアミゴスの町で、一人の悪人が死刑になる。処刑方法は、発電所の最大電力を使った電気ショック。しかし電気エネルギーを吸収した男は不死身になってしまうという、ブラックなコメディ。本作が発表されたのは1892年で、アメリカで初めて電気椅子による死刑が執行されてから2年後。発表当時は時事ネタだったのだ。
「ブラウン・ペリコード発動機」
 飛行機械を巡る発明家二人の争いの果てに、一人が殺される。せっかく完成した飛行機械は、死体を人知れず処分するために使われるのだった。1892年の作品で、ライト兄弟による飛行機が初飛行に成功する11年前。しかし本作に出てくるのは羽ばたき式飛行機。
「昇降機」
 600フィートの高さにそびえる展望塔に昇って行く昇降機。しかし気の狂った技師が昇降機を途中で止め、ワイヤを切ろうとする。乗客の必死の脱出劇を語るスリリングな話。しかしSFではない。
「シニョール・ランベルトの引退」
 嫉妬深い男が、妻との浮気相手だと疑ったオペラ歌手の喉を手術で傷つけ、声をだいなしにしてしまう。それだけの話。医学がからむ話ではあるが、SFではない。
「新発見の地下墓地」
 考古学者が、自分の発見したローマの地下墓地に、恋人を奪った男を誘い入れ、二度と帰れない迷宮の奥に放置するという復讐譚。これも一種のミステリであって、SFではない。
「危険!」
 1914年、第一次大戦の勃発直前に発表された未来戦記。潜水艦による通商破壊作戦の脅威を警告している。わずか8隻の潜水艦しか持ってない小国とイギリスが戦争し、イギリスに食糧を運ぶ輸送船が次々と撃沈される。結局、兵糧攻めでイギリスがギブアップしてしまうのである。現実には、第一次世界大戦時のイギリスはドイツのUボートによる津相破壊作戦に耐え抜いている。いくらなんでもそんなことになるはずがないのである。しかし話としては面白い。

 というような内容で、SF短編集というにはやや疑問が残るのだが、バラエティに富んだ作風が楽しめるという点では、値打ちがあるかもしれない。マイベストは「体外遊離実験」。ドイルがこんなマンガみたいな話を書いていたのが意外。

Raffleshaw

 

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2021年1月 2日 (土)

劉備玄徳の素顔

劉備玄徳の素顔/島崎晋(MdN新書,2020)
 正史『三国志』を主な史料とした、劉備の一代記。
 著者は歴史学者ではなく歴史ライター。独自の史観や新説みたいなものはないが、一般の歴史好き読者に向けて丁寧な解説を心がけているのがわかる。専門性は薄いが、良書ではないだろうか。序章でも言及しているように、明らかに映画『新解釈・三国志』の便乗出版ではあるが。

 内容は、劉備の生涯を、その転機ごとに5章に分けて叙述するオーソドックスな構成。
 序章「演義と正史のギャップ」は、劉備に対する後世の評価と、主な史料について解説していて、本書の中で一番歴史書らしい部分。
 第1章「一族期待の星」は、劉備の出生と教育、義勇軍としての活躍の始まりまでを述べる。劉備の属する涿郡劉氏は地方の名族であり、劉備が貧しい暮らしをしていたというのは、世間向けのポーズではないだろうかとの説は説得力がある。
 第2章「群雄割拠の狭間」。公孫瓚、陶謙、曹操、袁紹と、次々と陣営を変え、曹操に敗れて劉表のもとに逃げ込むまでの劉備の遍歴。負け続けの経歴のようだが、それでも生き残ってきたところに、著者は劉備のしぶとさを評価している。
 第3章「新たな出会い」は、三国志ドラマの一番の見せ場のところ。荊州での諸葛亮との出会い、孫権との同盟と赤壁の戦い。そして荊州(の一部)領有まで。
 しかし、本書での赤壁の戦いについての記述は簡略。だいたい、劉備軍はこの戦いでは脇役でしかなかったのだから仕方ないが。史料によっては、劉備は何もせずに戦いの行方を観望していただけだったとの記述もあるが、著者は、さすがにそれはないだろうと書いている。
 第4章「漢を継ぐ者」は、劉備の益州領有と、皇帝即位まで。劉備が一番上り調子だった時期だが、同時に、だんだんたちが悪くなってくる。益州征服での劉備の策略など、卑怯としか言いようがない。著者も「これでは信義に厚いどころか、腹黒そのものである」と酷評している。
 しかし考えてみれば、劉備は以前から人を裏切り続けてきたのだから、もともと腹黒なのだと言われても仕方ないのである。
 第5章「劉備の聖人君子化」。劉備の夷陵の戦いでの大敗と、その死。夷陵での劉備の拙劣な作戦について、著者は「老化のせい」と推測している。最後に、後世に創られた劉備像(「うさんくさい聖人君子化」)について、簡単に触れている。

 著者が序章で述べているように、曹操についての著作は何冊もあるが、劉備だけにスポットを当てた単独の著作はなかなか見当たらない。思うに、劉備の事績を史料に基づいて掘り下げて行くと、実はかなりあくどい人物だということがいやでもわかってしまうからではないだろうか。本書で明らかになったように。
 だが、本書での劉備像は別に目新しいものではなく、陳舜臣の『秘本三国志』に登場する劉備は、だいたいこんな風な食えない男だった。ブログ主にとって本書は、「劉備というのはやっぱりそういうやつだったか」ということを再確認できた本だった。そしてこういう劉備の人物像がブログ主は嫌いではない。少なくとも、「三国志演義」に出てくるような、偽善めいた建前ばかり口にする優柔不断なキャラクターよりは、好感が持てるのである。

Ryubigentokunosugao

 

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