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2021年1月10日 (日)

蔵書一代

蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか/紀田順一郎(松籟社,2017)
 本書は、「永訣の朝」と題した序章から始まる。書き出しからして、痛切な悲哀感に満ちている。

 いよいよその日がきた。――半生を通じて集めた全蔵書に、永の分かれを告げる当日である。

 妻と二人、マンションに引っ越すことになった著者は、3万冊を超える蔵書を手放すことにしたのである。新居に持って行くのはわずか600冊。今までの蔵書に比べると無に等しい。
 この時(2017年)、著者は82歳。年をとって大量の蔵書を抱えておくことには限界がある。紀田順一郎も年には勝てなかった。それにしても、この序章のトーンはあまりに悲痛である。
 続く第1章からは、比較的冷静に、日本の個人蔵書の歴史を、読書・出版事情の変化に即して、また自身の体験をまじえて語っていく。それは日本の「読書文化」、「蔵書文化」の興亡の歴史でもある。

 第Ⅰ章「文化的変容と個人蔵書の受難」は、個人史が半分。それは増殖する蔵書との苦闘の歴史でもある。だが、岡山に設けた書庫・書斎で、著者は束の間の安息の日々を得る。その岡山の書庫も、やがて諸事情から手放さざるを得なくなるのだが。
 第Ⅱ章「日本人の蔵書志向」は、日本の個人蔵書の歴史。図書館の歴史と蔵書とのかかわり、出版・古書界の変遷についても述べる。いわば著者のもっとも得意とする分野。「蔵書」と「コレクション」の違いについて述べたあたりはさすがの卓見と見た。
 第Ⅲ章「蔵書を守った人々」。江戸川乱歩の蔵書が立教大学に譲渡された経緯を述べるのが主な内容。個人蔵書を完全な形で残すことが難しい日本では、実に幸運なケースである。その稀な例を語ることで、逆に蔵書を次代に残すことの困難さを強調している。
 第Ⅳ章「蔵書維持の困難性」では、再び著者の体験をまじえながら、蔵書の活用・保存方法とその困難さを語る。著者が挙げる蔵書活用法は、例えば「一箱古本市」、「集合書棚(シェア・ライブラリー)」、自宅開放図書館、寄贈など。
 いずれにしても状況は厳しいが、著者は最後に「日はまた昇る」という言葉を掲げて希望を保とうとする。しかしやはり現実はきびしいのである。
 本書の最後は、小説風のこんな文章で締めくくられている。

 私は地下鉄神保町駅の階段を、手すりにすがりながら一段一段おりた。この階段をおりるのも今日が最後と思ったとき、足下から何かがはじけた。

 本とともに人生を歩んできた人にとっては(ブログ主も一応そのはしくれではあると思う)、身につまされる内容の本である。

Zoushoichidai

 

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