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2021年2月27日 (土)

古くさいぞ私は

古くさいぞ私は/坪内祐三(晶文社,2000)
 昨年死去した坪内祐三の「ヴァラエティ・ブック」。
 ヴァラエティというだけあって、雑多な内容(ただし、本の話題が多い)。ページによって字の組み方もバラバラ。
 あとがきによると、植草甚一みたいな本を作りたかったのだという。なお、タイトルは荒川洋治の詩集『あたらしいぞ私は』のもじり。
 内容は7章に分かれていて、それぞれの章の扉には「古」「く」「さ」「い」「ぞ」「私」「は」と、章のタイトル(?)が大きく書かれている。
 あちこちの雑誌に掲載したエッセイ、コラムを集めたものだが、同じ雑誌に載ったものが同じ章に固まっているとは限らない。要するにまとまりがない。そこが「ヴァラエティ・ブック」らしいところなのだろう。

1「古」は、神保町についてのエッセイ3編。
2「く」は、読書についてのエッセイと対談14編。
3「さ」。前半は、明治の文学についてのエッセイ6編。後半は「スタンレー鈴木のニッポン文学知ったかぶり」と題する一連のエッセイ6編。スタンレー鈴木は日本文学を研究する日系2世という設定だが、もちろん坪内祐三が書いたもの。私小説を「ニッポン・ミニマリズム文学」と見なしている。
4「い」は、大正から昭和にかけての文学・作家とその周辺についての10編。
5「ぞ」。またも本についての5編のエッセイ。2と違うところは、こちらの方がより私的な色合いが強いことだろうか。
 この章の後に「金子一平のTVウオッチング」というテレビ・芸能を語るエッセイが掲載されているが、これは明らかに5章とは独立したコーナーだと思われる。金子一平というのも著者のペンネームなのだろうが、こんなに芸能関係に詳しかったとは。ただの浮世離れした文学愛好者ではなかったらしい。
6「私」。タイトル(?)にふさわしく、身辺雑記みたいなものを集めている。若い頃に人力車を引いた思いでとか、講義を担当している女子短大での学生の生態とか、「アルジャーノン」論とか。
7「は」は、ローカルネタ。著者の暮らす世田谷区、中央線沿線の古本屋のことなど。
そして最後のエッセイ「植草甚一の日記を読むと、古本屋に出かけることになる」は、もろに植草甚一風。つまり、とりとめがなく、かつ知的。本書そのものを象徴しているようなエッセイである。

Furukusaizowatashiwa

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2021年2月23日 (火)

ビッグデータ・コネクト

ビッグデータ・コネクト/藤井太洋(文春文庫,2015)
 ハイテクサスペンス小説。官民共同の巨大システム開発の裏にひそむ陰謀を、刑事と犯罪者のコンビが追う。
 本作は、『SFが読みたい2016』の日本部門11位に入っているが、SF感はほとんどない。おおむね現在のテクノロジーで可能なことしか出てこない。それだけに、誰か本当にこんなことをやろうとしている人たちがいそうで怖いのだが。
「こんなこと」とはどんなことかというと――。

 舞台は関西地方。自治体首長(元検察)と警察幹部が、滋賀県の山中に建設された巨大複合施設「コンポジタ」の住民サービスシステムを悪用して、全国規模の個人監視システムを作ろうとする。彼らの頭だけでそんなことが考えられるわけはなくて、裏にいるのはコンサルタントと称する守矢という男。実は情報犯罪の大物で、そのバックにはさらに大きな力が…。
 ――というような裏事情は、話が進むに連れて徐々にわかってくる。
 最初は、「コンポジタ」のシステム開発の中心人物だった月岡という男が誘拐される事件がきっかけ。「コンポジタ」計画を中止しろという脅迫状と、切り取られた月岡の指が送られてくる。
 さらに事件の関係者として(実は無理矢理関係者にしたてられた)、武岱という男がからんでくる。数年前にコンピュータウイルス事件の容疑者として逮捕されながら、その後不起訴になった男。
 京都府警サイバー犯罪対策課の警部万田は、捜査協力者となった武岱とコンビを組んで、事件を追うことになる――というのがメインのストーリー。
 クライマックスは、「コンポジタ」の情報システムが、武岱の仕掛けによってその恐るべき本性をさらけ出すところ。この場面の劇的効果はなかなかのもの。
 しかし、そこまでの話――特に前半は、錯綜した状況の中でもつれた糸を少しずつ解きほぐすような展開で、少々じれったくなる面もある。登場人物が多い上に、背景の組織が込み入り過ぎていてなかなか頭に入ってこない。バラバラに見えていた要素がつながってくる中盤からは、どんどん話が加速していくのだが。
 そして、複雑にからみあった物語の中から浮き上がってくるのは、情報産業現場の恐ろしい労働実態。そんな現場で「壊れて」しまった二人の男、月岡と武岱が、「コンポジタ」を阻止し、日本にディストピア社会が出現する危機をぎりぎりのところで防いだのだった。
 監視社会のディストピアと情報産業現場の地獄――ITの二つの負の側面を見せつける。面白いんだけど、読んだ後でなんとも暗澹とさせる小説だった。

Bigdataconnect

 

 

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2021年2月19日 (金)

青春の文語体

青春の文語体/安野光雅編著(筑摩書房,2003)
 昨年12月に亡くなった安野光雅の本。主体は著者の本業である絵ではなく、あくまで文章。文語体への思い入れが過剰なほどに詰まっている。
 文語体=古くさいというイメージがあるが、著者にとって、文語体とは青春の覇気と熱情をこそ表現するための文体なのである。「文学は年齢ではないが、思うに文語文は、その文章の気負うところ、志の高さ、訴える気概などにおいて、青春の文学なのである」と、序文でその思いを語っている。
 内容は、著者のお気に入りの文語体の文章を引用し、それに関する自分の思いを述べるというもの。全体の半分くらいは引用だから、「編著」となっている。
 章題はついてないが、内容は全7章。

「はじめに」は、「わたしは、鴎外訳の「即興詩人」に傾倒している」という文章から始まる。この「即興詩人」は、この後たびたび引用されることになる。
 第1章は島崎藤村の文語詩「初恋」から始まる。そして「藤村詩集」序文、「小諸なる古城のほとり」、「千曲川旅情のうた」と藤村の詩が続く。さらに、「春の小川」、「われは海の子」などの小学唱歌。このへんが、著者の文語体験の原点ということらしい。
 第2章も詩が中心。北原白秋「邪宗門秘曲」、「啄木詩集」、萩原朔太郎「純情小曲集」に収録された詩を取り上げている。「即興詩人」の引用も出てくる。
 第3章は、一転して江戸時代の文章が並ぶ。
 新井白石の「西洋紀聞」、久米邦武の「米欧回覧実記」、鈴木牧之の「北越雪譜」、杉田玄白の「蘭学事始」、橘南谿の「東西遊記」。いずれも歴史に残る名著。
 最後にひとつだけ江戸時代ではなく明治時代の文章として、鴎外訳「即興詩人」より「蜃気楼」のくだり。
 この章は長い。全体の3分の1近く、80ページ以上ある。しかし、江戸時代に「文語体」という概念があったのだろうか。
 第4章は10数ページしかない。藤村操の「巌頭の感」と、高山樗牛の「滝口入道」、「敦盛と忠度(青葉の笛)」という唱歌。
 第5章は明治文学から。中江兆民「一年有半・続一年有半」、樋口一葉「たけくらべ」、樋口一葉「通俗書簡文」。そしてまたも「即興詩人」より「絶交の書」。
 一葉の文章は本書の中で一番文語らしい文語かもしれない。中江兆民は「である」調がまじっていて、純粋な文語体とはちょっと違う気がする。
 第6章は戦争文学と文語。
 最初は司馬遼太郎『坂の上の雲』から、「敵艦見ユ」の電文のくだり。本文も長々と引用されているが、これはもちろん文語体ではない。「水師営の会見」の歌、「広瀬中佐」の歌、永井荷風「断腸亭日乗」、吉田満「戦艦大和ノ最期」と続く。
 この「戦艦大和ノ最期」は、「わたしの知り得た最後の文語文である」とのこと。ただ、山本夏彦は『完本 文語文』の中で、「戦艦大和ノ最期」は、「生活がないから真の文語ではない」と言っている。
 第7章は短い。またまた「即興詩人」から、「わが最初の境界」と、与謝蕪村の「北寿老仙をいたむ」。
「あとがき」は、「さらば、お灯明もいらない、花もいらない、この本を、読んでくださるだけで、「老仙」、思い残すことはない」と締めくくられている。実際には亡くなるまでまた17年もあったのだが、まるで遺書のような趣である。

 とにかく、文語体への著者の思いが、痛いほどに伝わってくる本である。
 しかしその後、著者はあれほど思い入れのあった鴎外訳「即興詩人」を口語訳して出版している(2010年刊)。本書を読んだ後では、言ってはなんだが、「それはありなのか?」と思ってしまう。

Seishunnobungotai

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2021年2月16日 (火)

勲章

勲章 知られざる素顔/栗原俊雄(岩波新書,2011)
 日本の勲章の歴史と現状について解説する本。
 サブタイトルに「知られざる」とあるが、ブログ主に関してはまさにそのとおりだった。改めて考えてみると(いや、考えてみなくても)、勲章についてほとんど知らなかったことに気づく。
 今の日本にどんな種類の勲章があって、どんな風に制度が運用されているか、基本的なことさえ知らなかった。「文化勲章」だけは名前を知っていたが。それくらい、興味がなかったというのが本当のところ。しかし読んでみると、なかなか興味深いのだった。
 内容は全7章。
 
 第1章「勲章誕生――薩摩藩の野心、幕府の焦燥」は、日本の勲章の起源について。その歴史はそんなに古くはない。幕末から明治にかけて、世界との国交を開いた日本の、外交上の対面から生まれたものだったのだ。
 第2章「整えられる栄典制度――「大日本帝国」の下で」は、明治の勲章制度と、第二次世界大戦までの歴史を述べる。この時期一番多かったのは、軍人に贈られる金鵄勲章だったとのこと。
 第3章「生存者叙勲の停止と復活――戦後の転機(1)」は、戦後の勲章の歴史。敗戦による事実上の廃止から復活まで。
 第4章「相次ぐ批判、そして改革――戦後の転機(2)」。戦前のまま復活した勲章だが(金鵄勲章は除く)、「勲一等」などの等級づけに批判が多く、2002年から2003年の制度改革で、数字による等級は廃止され、勲章の名称が一変した。
 第5章「誰に、どの勲章を?――選考の過程」は、勲章の裏舞台について。叙勲対象者の選考と、その裏で展開される悲喜劇の数々。この章のテーマだけで、本が一冊書けそうである。
 第6章「国家との向き合い方――受勲者・拒否者たち」。叙勲の対象になった人々と、それに対する様々な思い。特に勲章を拒否した人々について詳しく述べられている。著者が一番書きたかったのは、この章のような気がする。
 第7章「売買される勲章――製造の現場と市場」。前半は勲章制作の現場ルポ。そして後半は、勲章売買の現場。かなりの数の勲章が売買されているという。

 最後は勲章市場という、やたら生臭い話で終わる。しょせん勲章とはその程度のもの――と言いたいような気がする。
 なるべく中立的に書こうとしているのはわかるが、それでも、実は著者が勲章制度について批判的であることが、随所に読み取れる。とはいえ、知らなかった情報が満載で、まさに知識の空白を埋める本だった。

 

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2021年2月11日 (木)

リラと戦禍の風

リラと戦禍の風/上田早夕里(KADOKAWA,2019)
 第一次世界大戦の西部戦線。ドイツ軍兵士イェルク・ヒューバーは、砲撃で負傷し倒れていたところを、謎の男に救われ、見知らぬ館で目を覚ます。
 そこにいたのは、彼を救ったシルヴェストリ伯爵と名乗る男、女医のサンドラ、そしてリラと呼ばれる十一、二歳くらいの少女。実はここにいるのはイェルクの本体ではなく、虚体と呼ばれる存在なのだった。一種のドッペルゲンガーみたいなものらしい。本体の方はまだ戦場にいる。伯爵はイェルクを二つに分けてしまったのだ。
 虚体となったイェルクは死んだり傷ついたりすることもなく、様々な能力が使える。実は伯爵とサンドラはもっと超越的な存在、魔物だった。伯爵はルーマニア出身でヴラド公(ドラキュラのモデルになった人物)の部下だったが、ヴラドの敗北後も戦い続けるために魔物になった事情が中盤で語られる。要するに吸血鬼みたいなもの。
 伯爵に保護されちるリラは、不思議な能力も使えるが、基本的には人間。両親の記憶は封印されているが、自分がポーランド人だという意識は強く持っていて、祖国を奪ったドイツ人であるイェルクを最初のうちは嫌っている。
 伯爵はイェルクにリラを護衛する役割を与え、イェルクは打ち解けないリラに同行してフランスに潜入する。潜入と言っても、魔法により「どこでもドア」みたいなものが使えるので簡単なものである。
 リラは子供ながら自立した精神の持ち主で、自分なりに正しいと思える行動をとる。エッフェル塔での女性たちの「魂の集い」で、飢えに苦しむドイツの銃後の女性と知り合い、食料を密輸して彼女を助けようとする。秘密の食料ルートを作ろうとするリラとそれを手伝うヒューバーの間に、いつしか絆が生まれていくのがメインストーリー。
 サブストーリーがいくつもある。本体の方のイェルクの物語。こちらの方は負傷除隊してドイツ本国に帰り、革命運動に身を投じる。さらに、イェルクの前に何度も現われて彼の妨害をし、最後には彼を本体の中に封じ込める、ニル="無"という名の敵。また、人間になるために戦う人狼のミロシュも、彼なりの物語を持っている。少々話が込み入りすぎているような気もするが…。

 基本はファンタジーなのだが、その中で当時のドイツの悲惨な状況、戦争そのものの残酷さを重い現実として描き出している。カミーユ・クローデル(エッフェル塔の集いに魂だけで登場)、ローザ・ルクセンブルクなどの実在の人物もちらっと登場して、話に重みを与えている。
 主人公はあくまでヒューバーで、リラは実のところそんなに活躍するわけではない。しかし彼女の言葉は大人以上に深い。行動ではなく、しゃべるためのキャラクターのようだ。まあ、リラに限らず、妙に哲学的なことを言う登場人物が多いのがこの話の特徴だが。
 そんなリラの語る、本書を象徴するような言葉を引用してみる。
「ヒューバーさんから見ると、私は子供ののくせに冷たくて残酷なことを言う怪物みたいに見えるかもしれない。でも、それがその通りだとしても、私を怪物に変えたのは戦争よ。戦禍の風は、子供や大人の区別なく、あらゆる人間を怪物に変える」(p.160)

Lilatosenkanokaze

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2021年2月 7日 (日)

ニッポンの残念な鉄道

ニッポンの残念な鉄道/野田隆(光文社知恵の森文庫,2020)
 乗り鉄として有名な著者による、ユニークな雑学系鉄道本。
 元は「東洋経済オンライン」というサイトの中の「鉄道最前線」に連載されていた「独断で選ぶ鉄道ベスト10」というウェブ記事。「ベスト10」と題しながら、「残念な駅10」が好評だったので、以後「残念な○○」シリーズが続くことになったという。
 しかし「残念」と言ってもそんなに辛口なわけではなく、むしろ鉄道愛にあふれている。毒のなさが物足りないくらいである。
 内容は3章構成。

 第1章 「ざんねん」だからこそ味がある日本の鉄道「なんでも10」。
 これが本書全体の3分の2を占めるメインコンテンツ。中はさらに四つのテーマに分かれている。
「「ざんねん」の王道“不便”で残念な駅」は、不便な駅を取り上げている。「残念なターミナル駅」10、「残念な新幹線駅」10、延伸すれば便利な駅10、など。
「昔日のにぎわいはいずこへ…“栄光は過去に”で残念な路線」は、さびれた路線。「残念な特急列車」10、復活してほしい列車10、など。
「何かがずれている“ミスマッチ”で残念な駅・路線」は、実態とイメージとのギャップが残念な駅や路線。都心の「閑散とした駅」10、「残念な路線名」10、など。
「無粋だったり地味だったり…で残念な列車・路線」。このへんになってくると、何が残念なのか趣旨がよくわからなくなってくるが、「残念な車両」10、本数が少ない「残念な駅」10、など。

 第2章「奥が深すぎるおもしろ駅名・列車名の雑学」は、ただの雑学を集めた章。「おもしろ駅名」10、「読める? 珍駅名」10、などで、別に残念なわけではない。

 第3章「やっぱりこれだけは乗っておきたい日本の鉄道ベスト10」になると、残念どころか、普通のベスト10である。気になる都会のターミナル駅ベスト10、雄大な山を眺められる車窓ベスト10、など。
 ただ、上野駅や両国駅のように、なぜか「残念な駅」とこのベスト10の両方に名前が入っている駅もある。結局のところ、著者のいう「残念」は、愛着と表裏紙一重のものだったようだ。まあ、最初からだいたいわかっていたことではあるが。

Zannennatetsudou

 

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2021年2月 3日 (水)

大航宙時代

大航宙時代 星海への旅立ち/ネイサン・ロ-ウェル;中原尚哉訳(ハヤカワ文庫SF,2014)
 宇宙SFである。タイトルだけ見ると、波瀾万丈のスペースオペラのように見える。だが、実際の話は、宇宙交易船の下級船員たちが、個人に許可された枠内でせこい商売をしているだけという話。邦訳タイトルが盛りすぎもいいところ。
 ネリス星で母親と二人暮らしをしていた18歳のイシュメール・ホレイショ・ワンは、母親の事故死により、住むところも収入も失ってしまう。ネリスは企業の所有する惑星で、会社と無関係になってしまったイシュメールの居場所はないのだ。
 惑星外に働き場所を探すイシュメールは、たまたま宇宙港に入港していた貨物船ロイス・マッケンドリックの最下級船員に採用される。配属場所は、船内の食堂の司厨補助員。
 というわけで、宇宙船のコック見習いになったイシュメールのサクセスストーリーが始まる。船員の最下級クラスは「四半株」で、新人のイシュメールも当然このクラスになる。収益の分配が四分の一人前ということ。これが原題("Quarter Share")にもなっている。出世したら、もちろん分け前が増えていくのである。
 宇宙船での生活に突然放り込まれたイシュメールだが、抜群の適応力を発揮して、船内での評価をどんどん上げていく。うまいコーヒーを淹れたり、資格試験に挑戦したり、寄港地のフリーマーケットでの個人取引を組織化したり――。要するにただそれだけの話である。冒険も異変も動乱も宇宙の神秘も何もなし。
 イシュメールの周囲にいる同僚も上司もいい人ばかりで、船員物語にありがちないじめや体罰や陰湿な人間関係は全然ない。イシュメールのやることなすことうまく行く。本人の才覚だけでなく、周りの人間がどんどん手助けしてくれるのだ。
 こんなに波乱なく何もかもうまくいくSFというのも珍しい。
 それで何が面白いのかという気もするが、少なくとも、それほどつまらないという印象はない。現に、『SFが読みたい!2015年版』のアンケートを見ると、本書を年間ベスト5のひとつに挙げている評者も何人かいるのである。少なくとも、読みやすいことは間違いない。続きが読みたいかというと微妙だが…(ちなみに続編はまだ翻訳されていない模様)。

 なお、本書は"Trader's Tales from the Golden Age of the Solar Clipper"6部作の第一作。 本書"Quarter Share"に続く第2作以降のタイトルは、"Half Share"、"Full Share"、"Double Share"、"Captain's Share"、"Owner's Share"となっていて、タイトルを見るだけでイシュメール君がどんどん出世していくのがわかる。宇宙版『課長島耕作』みたいなものか。

Quartershare

 

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