ファンタジー/ホラー

2020年12月 8日 (火)

血と薔薇のエクスタシー

血と薔薇のエクスタシー 吸血鬼小説傑作集/幻想文学編集部編(幻想文学出版局,1990)
 国産吸血鬼小説のアンソロジー。Amazonで買うと高いが、普通の古書サイトだとそんなにしないようである。(ブログ主はもちろん普通に古本で買った)
 同じテーマのアンソロジーとして、本ブログでずいぶん前に『血 吸血鬼にまつわる八つの物語』を取り上げたことがある。(2012年11月15日のエントリー)
 そっちの方はホラー/SF寄りのセレクションだったが、それより10年前に出版されたこちらは、さすがに当時の『幻想文学』誌がからんでいるだけあって、やや文学寄り。作者も、エンタメ系よりは文学史に名を残すような作家が目立つ。
 そして、吸血鬼には欠かせない「耽美」の色濃い小説が多い。中には、そんなものと関係ない、あっけらかんとしてポップな新井素子の作品みたいなのもあるが。
 収録作は16編。印象的な作品をいくつか挙げてみる。

 最初はいきなり三島由紀夫。「仲間」は、吸血鬼めいた闇の眷属を象徴的に描く作品で、5ページしかない掌編だが、密度は濃い。
 倉橋由美子「ヴァンピールの会」は、湘南のレストランに自らを「ヴァンピールの会」と称して集う上流の女性たちの物語。フランス風の洒落た、そして退廃的な雰囲気が横溢する怪奇譚。
 須永朝彦「森の彼方の地 」は、「ヴァーミリオン・サンズ」と吸血鬼を結びつけるという離れ業を見せる。作者の吸血鬼愛と、そしてJ・G・バラードへのオマージュに満ちている。
 赤川次郎「吸血鬼の静かな眠り」は、赤川次郎の暗黒面を見せつける怪奇譚。外国人が住んでいたという家を別荘として借りた家族を襲う、怪奇現象とその果ての惨劇。
 新井素子「週に一度のお食事を」は、本書の中では異色作。世の中の人間のほとんどが吸血鬼になってしまうが、精神面は前と同じで、みんなきちんと暮らしているという、実に明るい吸血鬼小説。
 日影丈吉「女優」。ベテラン女優の弟子になった若い女優が、なぜか次々と病気に倒れる。女優は吸血鬼なのか、結局疑惑は疑惑のままで、最後まで真相はわからない。このあたりになると、もはや吸血鬼という言葉は象徴的に使われているように見える。
 戸川昌子「黄色い吸血鬼」も、入院患者から血を抜き取って売る悪徳病院を舞台にした話で、「吸血鬼」は、完全に比喩的な意味で使われている。しかし本物の吸血鬼よりたちが悪いのだった。
 岸田理生「ちのみごぞうし」は、吸血鬼の子どもとして生まれた少年が、父を求めて旅をする話、らしい。全編が象徴と言葉遊びとパロディで構成された、特異な作品。

 他に菊地秀行、星新一、岡本綺堂、都筑道夫、種村季弘、中井英夫など、名だたる作家の名が並んでいる。なかなか贅沢なアンソロジーなのである。

 そんな中でマイベスト作品を選ぶのもなかなか難しいが、もっとも正統派の吸血鬼小説ということで、「吸血鬼の静かな眠り」とする。

Chitobara

 

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2020年9月 8日 (火)

ウィスキー&ジョーキンズ

ウィスキー&ジョーキンズ ダンセイニの幻想法螺話/ロード・ダンセイニ;中野善夫訳(国書刊行会,2015)
 ダンセイニの小説といえば、以前に本ブログでも紹介した『時の神々の物語』に代表されるような神話的ファンタジーのイメージが強いが、本書は現代(といっても20世紀前半)を舞台にしたほら話のシリーズ<ジョーキンズ・シリーズ>。その日本オリジナル短編集である。
 収録作はほとんどが初訳。訳者あとがきによれば、昔ハヤカワ文庫でこのシリーズの作品集『魔法の国の旅人』が出た後、それに続く邦訳短編集を待っていたのだが、いつまでたっても出ないので、しびれをきらして自分で出すことにしたとのこと。

 収録作品は23編。
 最初の「アブ・ラヒーブの話」は、解説によればシリーズ全体のプロローグに当たるとのことで、この作品が最初にないと始まらないらしい。語り手がビリヤード・クラブでジョーキンズという初老の紳士と初めて出会い、その話を聞くエピソード。
 ジョーキンズを紹介した男の、「一つだけ警告しておくことがある。ジョーキンズの話を決して信じてはならないということだ」という忠告の言葉がこのシリーズを象徴している。
 後半になると、ビリヤード・クラブの面々がジョーキンズに話をさせないようにあれこれ画策するようになっている。こういう「酒場でのほら話」のシリーズでは、みんなが喜んでその話を聞きたがるのがお約束常だが、ジョーキンズの場合、「誰も聞きたがらない話を無理やりする」というのがパターンになっている。
 印象的だった話をいくつかあげてみる。

 上でも触れた最初のエピソード「アブ・ラヒーブの話」は、アフリカの幻獣アブ・ラヒーブの目撃譚。
 やや長めの話「リルズウッドの森の開発」は、森から出てきたサテュロスと富豪との奇妙な生活の物語。
 ジョーキンズがアフリカの瞬間移動の魔術を体験する「アフリカの魔術」。なぜかアフリカの話が多い。
 古代の曲を奏でる男が登場する「流れよ涙」。その曲を聞く者すべてが涙を流す。税務署員も警官もみんな泣く。
 ジョーキンズがユニコーンと出会った話「ジョーキンズの忍耐」。このシリーズには、ジョーキンズの話を信じないライバルが何人か登場するが、この作品に出てくるターバットもその一人。
 一種の暗号もの「オジマンディアス」。暗号と宝探しという、古典的な話。推理の結果場所はわかるのだが、忙しくて探しに行くヒマがないというラストがなかなか人を食っている。
 アフリカの奥地に建設された理想の都ウルムスラギとその最後を語る「ジョーキンズ、馬を走らせる」。またアフリカの話。収録作中、一番ダンセイニらしいファンタジーだろう。
 ジョーキンズの知り合いディックの若い頃の奇妙な体験談「奇妙な島」。彼が愛した島の女は、神話の魔女キルケだった――と思わせて、最後にひっくり返す。
 ジョーキンズがついに話をさせてもらえないのが「スルタンと猿とバナナ」。ビリヤード・クラブの別のメンバーが、ある不動産屋の悲劇を語るのだが、その後でジョーキンズが、「スルタンと猿とバナナの話と比べたら取るに足りない」と言う。しかし誰もその話をしてくれと言わないので、その内容はわからないまま終わる。
 最後の作品「夢の響き」。ジョーキンズが悪霊に取り憑かれた男の演奏を聴いて、天国への道を見る。ラスト3ページ、改行なしの音楽の描写は、いかにもダンセイニらしい幻想を見せてくれる。

Whiskeyandjokens

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2020年8月 2日 (日)

ウッドハウスとソーン・スミス

マリナー氏ご紹介/P・G・ウッドハウス|トッパー氏の冒険/ソーン・スミス;井上一夫訳(筑摩書房・世界ユーモア文庫,1978)
 <世界ユーモア文庫>は、文庫という名前だがいわゆる「文庫」ではなく、「世界ユーモア文学全集」と呼んだ方が似合う単行本の双書。奥付には「新装版」とあるが、初版がいつなのかよくわからない。
 調べてみると、1961年から62年にかけて、<世界ユーモア文学全集>という全集が出ていて、その新装版ということらしい。
 しかし、旧版<世界ユーモア文学全集>では、「マリナー氏ご紹介」は、エイメの「マルタン君物語」と、「トッパー氏の冒険」は、ハインリヒ・ベルの「ムルケ博士の沈黙集」と組み合わされてそれぞれ一冊になっている。新装版にあたって内容をシャッフルしたらしい。

 それはともかく、今や日本でも人気のウッドハウスは、こういう全集には欠かせない作家だろう。本書に収録されているのは、<ジーヴス>ではなく、ちょっとマイナーな<マリナー氏>のシリーズ。「ウィリアムの話」、「厳格主義者の肖像」など短篇7編を収録。(2007年に『マリナー氏の冒険譚』として本シリーズの新しい訳が出ているが、内容はほとんど重なってないようだ。)
 このシリーズは、「釣魚亭」という酒場でマリナー氏という紳士が、自分の従兄弟たちの奇妙な(主として男女関係に関する)冒険を語るというもの。この人にはやたらと多くの従兄弟(もしくはまた従兄弟)がいるらしい。彼らは多くの場合、奇策を用いて意中の女性と結婚することに成功するのだが、逆に結婚を迫る女性から逃げ出す話もある。一番面白かったのは、「名探偵マリナー」。意味ありげな笑顔だけで、財産と伴侶を手に入れた男の話。

 一方、ソーン・スミスは、ウッドハウスと違って今ではまったく忘れられている作家。しかしさすがにウィキの英語版には「Thorne Smith」の項目がある。本書に収録されている長編「トッパー氏の冒険」はソーン・スミスの代表作で、映画、ラジオ、テレビでメディア化されたという。
 主人公はコスモ・トッパーという冴えない中年サラリーマン。カービーという若い夫婦が死亡事故を起こした中古車が売りに出されていたのを、何をとち狂ったのかひと目で気に入ってしまい、購入する。
 ところがその車が事故現場を通りかかったところで、そこらをさまよっていたカービー夫婦の幽霊が乗り込んできて、好き放題を始める。後半ではさらに男と女の幽霊が二人合流してくる。トッパーは主に夫婦幽霊の妻の方のマリオン・カービーの奔放な行動に振り回されっぱなしになるが、口うるさい妻から逃れて幽霊たちと放浪するうち、次第に自由の味に目覚めていく――みたいな話。
 この作品の幽霊は姿を消したり現したりできるし、物理的な力を行使したり、ものを食べたりもできるという、ほとんど万能の存在。ただ、地上で活動できる時間には限りがあって、最後はお別れパーティーを開いてみんな消えていく。
 ふざけた話だが、最後の方はわりと情感が漂う。「風と星のあいだのどこかに、マリオンがただよっているのだ」とか――。
 ウッドハウスのドライな笑いより、こっちの方が日本人好みの話かもしれない。忘れられているのがちょっともったいない作家。

Mullinertopper

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2020年7月 1日 (水)

死者の饗宴

死者の饗宴/ジョン・メトカーフ;横山茂雄、北川依子訳(国書刊行会 ドーキー・アーカイヴ,2019)
 日本では怪奇小説アンソロジーにこれまで数編の作品が邦訳されただけの、実にマイナーな作家の短篇集。著者は1920年代から50年代にかけて作品を発表した人だが、そもそも寡作な(というか、売れなかった)作家で、しかも怪奇小説と言えるのはそのうちのごく一部らしい。
 作品数から考えて、これが日本で発行されるメトカーフの唯一の怪奇小説短篇集になるのではないだろうか。
 収録作は8編。

「悪夢のジャック」
 ビルマからいわくつきの宝石を持ち帰った船乗りたちに、呪いがふりかかる話。

「ふたりの提督」
 退役した提督に執拗につきまとう、得体の知れない「島」の幻。その「島」に向かって船を出す提督。すれ違った

「煙をあげる脚」
 これも「悪夢のジャック」と同様、ビルマから水夫が呪いの宝石を持って帰ってくる話。ただし彼自身の意志ではなく、宝石は邪悪な医師によって、護符と一緒に彼の足に縫い込まれていたのだった。

「悪い土地」
 神経症の療養のため海岸の田舎町にやってきた男が、砂丘の向こう側の土地で説明のつかない不安、違和感に襲われる。その土地にある白い家が、「悪の国の中心、拠点」なのだ――と男は信じ、悪の元凶の破壊に向かう。すべてが神経症患者の妄想ともとれるが、「呪われた土地」テーマのよくできた怪談。

「時限信管」
 自分の家で降霊会を開くほど心霊主義に取り憑かれた女が、信念の力で奇跡を起こす。赤く燃える石炭を手をつかみ、体に押しつけるが、何の影響もない。まさに「心頭滅却すれば火もまた涼し」というところだろう。だが、その信念が崩れる時が来たらどうなるか…。

「永代保有」
 ジョンとサロメの新婚夫婦がイギリス沿岸をヨットで旅行している。サロメはハンフリーという横暴な男と結婚していたが、夫は四週間前に死んで彼女はやっと解放されたのだった。だが、ハンフリーは死んだ後もサロメを決してあきらめていなかった…。死者の妄念を、はっきりとした形では書かないまま、じわじわと迫る恐怖をかもし出す。

「ブレナーの息子」
 予備役軍人のウィンターは、列車の中でかつての上官だったブレナー提督に偶然再会する。数日後、列車に乗り合わせていた提督の息子が突然家にやってきて、滞在を始めるする。ウィンターには息子を預かるなどという約束をした覚えはない。提督の息子は三日くらいの間さんざん乱暴狼藉を働いた後、忽然と姿を消す。ただの悪ガキの話かと思ったら、最後の場面で怪談になる展開が鮮やか。

「死者の饗宴」
 本書全体の約3分の1を占める、収録作の中では格段に長い中編。
 要するに、フランスから来た悪霊が少年に取り憑く話。一種の吸血鬼みたいなものだが(実際、最初の邦訳はかつて吸血鬼テーマのアンソロジーに収録されていた)、血を吸うのではなく、生気を吸い取る。それも直接接触しなくても、近くにいるだけで吸い取られるらしい。
 父親の抵抗で魔物は一度は退散。しかし魅入られた少年は自分からフランス、オーヴェルニュへ行ってしまう。後を追う父親。「こうしてオーヴェルニュ地方の捻れ曲がった陰鬱な風景に接近するにつれて、わたしは邪悪な力たちの本拠地に無謀にも足を踏み入れ、取るに足らない力で悪霊の軍勢と対抗しようとするかに思えた」。実際のオーヴェルニュの人たちには少々失礼な描写だが…。
 ――というわけで、地元の伝承に伝わる「無し[サン・ノン]」と呼ばれる存在から息子を取り戻そうとうする父親の苦難、そしてその後に待ち受ける悲劇の物語が展開する。

 前半の4編は正直言って、今ひとつわかりにくい上にとっつきにくい話だったが、後半は理解しやすい正統派怪奇小説に近づいてくる。とはいえ、この作家の作風らしく、不可解な謎の数々が説明されないまま放り出されているのだが。それがまた、作品に漂う不穏で不気味な雰囲気を増幅する効果も生んでいる。
 マイベストはやはり表題作だろう。次点は「ブレナーの息子」。

Feastingdead

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2020年6月23日 (火)

刻丫卵(こくあらん)

刻丫卵/東海洋士(講談社ノベルス,2001)
 聞いたことのない謎の作家による謎の小説。
 いや、実は作者は別に謎でもなんでもなく、本編の主人公、祝座[のりくら]岳雄と同じく放送作家だったとのこと。著者と交友のあった竹本健治による解説に、そのプロフィールについて書いてある。
 さらにネットでいろいろと情報を探してみると、著者はこの本が出た翌年、2002年に死んだこと、新井素子がデビューしたのと同じ『奇想天外』新人賞に応募していたこと(二次予選まで通過していた)、死後に『東海洋士追悼集 やさしい吸血鬼』が出ていて、新井素子や竹本健治などが寄稿していること――などがわかった。
 東海洋士というのは本名で、享年47歳だったとのこと。小説は結局、これ一冊だったようだ。

 それはとにかく、この小説。なんだかわけがわからない。ミステリなのか、幻想小説なのか、一種のSFなのか。
 主人公祝座は、旧友の六囲[むめぐり]立蔵から久しぶりに連絡を受ける。正体されて六囲の家に行ってみると、見せられたのは卵型の物体。表面には時計のような仕掛けがいくつも取り付けられていて、一種の機械らしい。収められていた箱には「刻丫卵」[こくあらん]の文字。そして島原の乱にゆかりの山田右衛門作という人名も。
 六囲が「刻卵」と呼ぶこの機械は彼の家に伝わるものだという。ただ、ひとつ足りない部品が人手にわたっていて、それを取り戻して来てほしいと六囲は頼むのだった。
 祝座は詐欺同然の手段で足りない部品――十字型の時計が六囲のところに戻るように仕組む。そして完全形となった刻卵は時を刻み始めるが、ただそれだけで何も起こらない。だが、六囲が席をはずした時、祝座は刻卵が異様な変形を遂げるのを見る。
 現実か夢かわからないこの場面は、本編中唯一の幻想的場面なのだが、すさまじい迫力に満ちている。結局、それが何だったのか、最後までわからないのだが。
 その異常体験の後、祝座と六囲は刻卵を巡っていさかいを始め、二人は喧嘩別れする。
 その後まもなく、祝座は六囲の妻から、彼が急死したことを知らされる。刻卵は呪いの物体だったのか――。結局何もわからないまま話は終わる。
 実際の物語は、半分くらいが祝座と六囲の会話から成り立っていて、しかも二人の視点がめまぐるしく移り変わる。小説としては禁じ手をあえてやっていて、違和感が半端ない。この作品の奇妙な印象は、これも一因。
 そして以上のようなメインストーリーの合間に、漢数字の章がはさまれていて、「刻丫卵」の由来にまつわる島原の乱での出来事が語られる。それが本当にあったことなのかどうかは不明のまま。さらに、刻卵の部品を取り戻すために祝座が演じた芝居も、同じく漢数字の章で語られているのだ。どういうことなのか。読んでいる者は混乱するばかり。
 解説で竹本健治が種明かしというか、彼自身の解釈を述べている。漢数字の章は祝座が書いた文章。そして他のアラビア数字の章は、刻卵が語っているのだと。
 なんにしても、読者を幻惑に導く怪作である。この人にはもっと作品を書いてもらいたかった気もする。

Kokuaran

 

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2020年5月 7日 (木)

だから見るなといったのに

だから見るなといったのに 九つの奇妙な物語/恩田陸ほか(新潮文庫,2018)
 8編の小説と絵物語1編を集めたアンソロジー。基本はホラー。
 元は『小説新潮』に掲載されたものだそうで、タイトルはアンソロジーにまとめてからつけられたものだろうが、確かに、「見てはいけないものを見てしまった」人間の陥る恐怖の物語が多い。
 若手作家が多くて、ブログ主が知ってる名前は恩田陸と海猫沢めろんと北村薫だけだった。
 収録された小説は以下のとおり。

「あまりりす」(恩田陸)
 ボイスレコーダーに録音された音声だけで構成される話。宴会の席でかわされる会話から、人里離れた村に伝わる「あまりりす」なる存在が浮かび上がってくる。それを見てしまったら、もう最後なのだった。
「妄言」(芹沢央)
 新婚夫婦が引っ越して来た家の隣人は、最初は人のいい主婦のように見えたが、次第に言動がおかしくなる。単なる「迷惑な隣人」の話に見えて、実は「見てはいけないもの」を見ていた人だったのではないかという真実が、最後に示唆される。
「破落戸[ごろつき]の話」(海猫沢めろん)
 語り手の10年来の知り合い、謝花。沖縄生まれの彼は、タイトルのとおりのゴロツキ。語り手と酒を飲みながら、謝花は凄惨な少年時代からの思い出話を語る。その思い出は「見てはいけないもの」に満ちていた。実話怪談の雰囲気に、すさんだ人生の臭いをまぜこんだような話。
「とわの家の女」(織守きょうや)
 置屋「とわの家」の芸者に恋をしてはいけない。周囲の人間からそう言われながらも恋に走った男が最後に見たもの。こんなことになるのなら、最初から女を「見なければよかった」という話。
「自分霊」(小林泰三)
 一人暮らしを始めた女子学生の部屋に出現する、幽霊らしきもの。実は未来の彼女自身だと、それは語る――。確かにホラー要素はあるが、本質は小林泰三が得意な時間SF。これこそ「見てはいけない」の典型。
「高速怪談」(澤村伊智)
 5人が乗った車が夜の高速道路を走る。シートが3列になった車らしい。乗っている人間が一人ずつ、怪談を語っていく。話がとんでもない方向に行き、一時は車内がパニックになる。それが解決されたかに見えた時、本当の恐怖がやってくる。
「ヤブ蚊と母の血」(前川知大)
 母が失踪し、父に放置され、自ら菜園で野菜を作って食いつなぐ、たくましくも野蛮な少年が主人公。最後の方は正直言ってなんだかわけがわからないが、壮絶な青春小説みたいな話。ラストシーンは「生き埋め」で終わるのだが、作者が劇作家で、劇団名が「イキウメ」というのは、話ができすぎ。
「誕生日[アニヴェルセール]」(北村薫)
 太平洋戦争末期、戦国時代から続く侯爵家に双子の弟として生まれた男が、鎌倉の別邸で病に蝕まれながら、デカダンスに満ちた最後の日々を送っていた。この主人公は本当に何もしない。というか、病気で寝込んでいるだけで何もできない。最初から破滅しているようなもので、「だから見るな」も何も関係ないのである。

 正直言って、なんだか後味の悪い話ばかりなので、けっこう読む人を選ぶアンソロジーではある。

Dakaramirunato

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2020年4月 4日 (土)

千霊一霊物語

千霊一霊物語/アレクサンドル・デュマ;前山悠訳(光文社古典新訳文庫,2019)
 あの大デュマが書いた怪談小説。タイトルは「千夜一夜物語」をもじったものだが、複数の語り手が交互に自分の体験した怪異を語るという形式なので、むしろ日本の「百物語」に近いと言える。

 1831年、デュマはフォントネ=オ=ローズという町で首切り殺人事件に遭遇し、裁判の証人となる。
 事件は、ジャックマンという男がよくわからない理由で妻の首を斬り落として殺したというものだが、ジャックマンは切った後の妻の首が噛みついて来たと供述する。
証人として立ち会ったのは、デュマの他、この町の市長ルドリュ、医師のロベール、文人のアリエット、司祭のムール。デュマは市長の家に招かれ、そこで調書に署名することになる。
 市長の家には、先ほどの証人たちの他、ルノワール士爵と謎の女性が招かれていて、彼らは署名の後で食事をふるまわれ、食後に歓談をする。そこで怪談話が始まるのだった。
 最初は、正体主のルドリュ自信が語る。切り取られた首が生きていたという犯人の言葉に関連して、自身が若い頃に体験した話。フランス革命の頃、ソランジュという偽名を名乗っていた女性との恋と、彼女の悲劇的な死、そしてその首から呼びかけられた体験。
 続いて、ロベール医師が話すのだが、それは彼自身の体験ではなく、イギリス人の医師から聞いた話。――で、その医師が判事から聞いた怪異体験の話。判事は自分が処刑した悪党のかけた呪いに取り憑かれ、死んでしまうのだった。もう首がどうのこうのというテーマとは関係なく、ただの怪談になっている。
 次はルノワールの話。フランス革命の時、サン=ドニの王墓でアンリ4世の亡骸を侮辱した男のたどった悲惨な運命。フランス革命の時期でも、アンリ4世だけは特別だったらしい。
 その次はムール司祭が自分の体験を語る。ラルティファイユという悪党を自ら改心させた体験と、その後の彼の刑死。非常に説経くさいが、司祭がしゃべっているんだから仕方ないか。
 そしてアリエットの話。スイスの温泉で若妻が療養中、フランスにいた夫が病死する。夫の埋葬に間に合わなかった未亡人は、夫が自分の死後に身につけておいて欲しいと願った髪の毛を手に入れるため、墓を掘り起こす。彼女にはなぜか夫が埋められている場所がわかったのだった。
 最後は、謎の女性ヘドウィグの話。これが一番長く、かつドラマチック。
 ヘドウィグはポーランド人。一族がロシアに対する独立闘争に蜂起し、敗れたため、彼女はモルダヴィアに亡命することになる。その旅の途中で彼女が体験した、吸血鬼の恐怖と悲恋の物語。

 一同の中でデュマだけが何も話をせず、聞いているだけ。ヘドウィグの話が終わったところで、あっさりと作品も終わる。
 ひとつひとつのエピソードは、さすがにデュマだけあって読ませるのだが、全体としては、なんだか中途半端に始まり、終わった印象が残る。

Senreiichireimonogatari

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2020年3月23日 (月)

幻坂

幻坂/有栖川有栖(角川文庫,2016)
 大阪の四天王寺界隈に、上町台地を上がっていく七つの坂がある。その「天王寺七坂」を舞台にした、怪談連作短篇集。
 ただ、怪談と言っても、恐怖の要素がほとんどない人情話が多い。そして、著者の郷土愛があふれる「大阪小説」でもある。
 本書のメインとなる7編は、坂の名前がそのままタイトルになっている。

「清水坂」
 語り手が子どもの頃、仲がよかった女の子が、引っ越した先で死んでしまう。その時、語り手は清水坂の玉出の滝で、ささやかな怪異を目撃する。帰って来ない幼い日々への哀惜に満ちたノスタルジー小説。
「愛染坂」
 小説家と作家志望の女性との出会いと別れ。そして愛染坂での悲しくも美しい再会を描く、悲劇の恋愛小説。
「源聖寺坂」
 ファッションデザイナーの別荘で起きる幽霊騒動。その場に招かれていた心霊探偵、濱地健三郎が謎を解明し、かつてこの別荘で起きた殺人事件を暴く。怪談とミステリの融合。
「口縄坂」
 猫好きの女子高生が口縄坂で猫の写真を撮っているうち、妖怪猫に取り憑かれる。これは恐怖を前面に出した本当の恐怖小説。
「真言坂」
 他の作品もそうだが、この作品は特に大阪天王寺界隈の案内記の様相が濃い。真言坂の上にある生玉神社の境内で、主人公の女性は兄のように慕っていた職場の先輩の幽霊と出会う。実に人のいい幽霊が登場する人情怪談。
「天神坂」
 心霊探偵濱地健三郎が再登場。同じキャラクターが二度登場するのはこの話だけ。男を恨んで自殺し、幽霊となってさまよっていた女性を、濱地は天神坂の途中にある不思議な割烹に案内する。料理の描写がやたら詳しい料理小説。
「逢坂」
 新作演劇の脚本や演出を巡って座長と激しく対立する役者の悩みと葛藤が話の中心。この主人公が幽霊を見る体質なのだが、実のところ怪談的要素は非常に希薄で、完全に演劇小説と言っていい。
 
「天王寺七坂」の物語はここまでだが、この後、江戸時代以前の四天王寺近辺を舞台にした作品がさらに2編収録されている。

「枯野」
 松尾芭蕉が天王寺七坂の付近で死んだことは、これまでの話でも何度も言及されていたが、この話ではその芭蕉自身を主人公に、最後の日々を描く。死を前にした芭蕉につきまとう「影」。芭蕉が詠んだ有名な俳句の数々が、その「影」によって不気味な意味合いを持つものに変容していく。
「夕陽庵」
 四天王寺周辺の「夕陽ヶ丘」の地名は、鎌倉時代、藤原隆家が出家して死ぬまで住んでいた夕陽庵に由来する。その藤原隆家が死んで約20年後、ある男がその夕陽庵を訪ね、生前の隆家の世話をしていたという老爺から話を聞く。――という地名由来譚みたいなもので、全然怪談ではない。

Maboroshizaka

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2020年3月19日 (木)

私たち異者は

私たち異者は/スティーヴン・ミルハウザー;柴田元幸訳(白水社,2019)
 奇想と文学的トリックに満ちた短編集。これまで本ブログで紹介してきた2冊のミルハウザーの短編集と同じく。
 本書は、原著から既訳短編集に収録されている作品を除いて、新作7編だけを収録している。

「平手打ち」
 街中に突然現れ、通りすがりの人間に平手打ちをくらわせる謎の男。警察も動くが、結局、男の正体も動機も不明なまま、事件は未解決に終わる。一種のミステリとも言えるが、最初から、これは何も解決しないまま終わるだろうと予想できるのが普通のミステリと違うところ。全体が報告書風の文体で書かれていて、平手打ちという行為の哲学的考察がたっぷり含まれているのが、いかにもこの著者らしい。

「闇と未知の物語集、第十四巻「白い手袋」」
 何か怪しげなイメージをかきたてる変なタイトルだが、物語そのものは、日常にまぎれこんだ異常を描くもの。少女の左手に何か異変が起きている。左手をしきりに掻いていた彼女は、しばらく学校を休んだ後、常に左手に手袋をするようになった。その中の手はどうなっているのか。少女と親しい少年の想像力が暴走する。そしてある日、ついに少女は彼の前で手袋をとる…。

「刻一刻」
 作中で「こいつ」と呼ばれる9歳の少年が、家族と過ごす川縁のピクニックの情景。何気ない日常の中で、少年は決定的な成長の一瞬を迎える(らしい)。

「大気圏外空間からの侵入」
 宇宙から何者かが地球に接近してくる。人々は宇宙からの侵入者の到来を待つが、実際には、黄色い埃が降ってきただけ。みんながっかりする。ある意味、究極の侵略SFとも言える。

私たちは血を求めていた。潰れた骨を、苦痛の絶叫を求めていた。建物が街路に倒れ、自動車が炎上することを求めていた。茎のように細い首に肥大した頭が載った私たち自身の怪物バージョンを、殺人光線で武装した無慈悲なぴかぴかのロボットを私たちは求めていた。(中略)恐怖と恍惚を私たちは求めていた。とにかく何であれ、こんな黄色い埃を求めていたのではなかった。(p.114) 

「書物の民」
 演説の形をとった小説。狂熱的な口調の語りから、宗教と化した書物崇拝のグロテスクな姿が浮かび上がる。

「The Next Thing」
 新しくオープンした巨大ショッピングセンターが地域社会を浸食し、人々の生活を呑み込んでいく過程を描く。地下に広大な世界を作りあげるショッピングセンターはほとんど超現実的な存在だが、ある意味非常に現実的な話でもある。

「私たち異者は」
 全体の3分の1近くを占める中編。医師ポール・スタインバックは、ある日ベッドに横たわる自分自身の姿を見た。彼は「異者」になったのだった。「異者」とは要するに幽霊のことと思われる。
 ただ、この作品の「異者」は独特。生前――というか、オリジナルとは別人格を持っていて、「異者」独特の思考や行動様式を持っている。「私たちは、私たち異者は――」とポール、というよりポールの幽霊は、語りの中で何度もくり返す。その語りは自虐的な繰り言に満ちている。
 そんなポールの幽霊は、モーリーンという一人暮らしの中年女性の家にひそみ住む。やがてモーリーンは彼の存在に気づき、二人の間に奇妙な共存関係が生じる。しかしモーリーンのところに転がり込んできた姪のアンドレアによって、微妙なバランスは崩れてしまう。

 ベストはやはり表題作だろうが、個人的に気に入ったのは、「大気圏外空間からの侵入」。

Weothers

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2020年2月 8日 (土)

プラークの大学生

プラークの大学生/H・H・エーヴェルス;前川道介訳(創元推理文庫,1985)
 第二次大戦前のドイツで3度にわたって映画化(1913、1926、1935年)された物語。怪奇小説作家として知られるエーヴェルスは、その最初の映画化に深くかかわっていた。
 本書はその映画のノヴェライズだが、エーヴェルス本人は、序文でこれは彼が書いたものではないと断言しえいる。
 原著の作者は、「ドクトル・ラングハインリヒ・アントス」という名義になっているが、解説によると正体はまったく不明だという。多分誰かの偽名と思われるし、エーヴェルス本人という可能性も無論ある。いずれにしても、元になるストーリーそのものはエーヴェルスが創作したことは間違いないので、著者名はエーヴェルスになっているのだろう。
 物語は単純である。
 舞台はハプスブルク帝国時代のプラーク。この場合、チェコのプラハではなく、ドイツ語の「プラーク」という呼び方の方が雰囲気が出る。何しろ、登場人物はほとんどドイツ系なのだ。チェコ人はどこにも姿が見えない。
 主人公バルドゥインは剣の達人だが貧乏な大学生。ある日シュヴァルツェンベルク伯爵令嬢のマルギットが乗馬中、馬が暴走しているのを助ける。その時にバルドゥインはマルギットに一目惚れするのだが、いかんせん貧乏学生の身ではどうにもならない。
 悩む彼に高利貸しスカピネッリという男が契約を持ちかける。大金と引き換えに、彼の鏡の中の像を欲しいというのだ。この金貸し、どう見ても悪魔の化身。しかしバルドゥインは目の前に積まれた大金に契約を承知する。金貸しは鏡の中から彼の像を連れ出して行く。その時以来、バルドゥインは鏡に映らなくなる。
 大金持ちになったバルドゥインはマルギットに近づくことに成功するが、こんなことがうまくいくはずはない。マルギットの婚約者ヴァルディス=シュヴァルツェンベルク男爵と決闘する羽目になる。剣の達人であるバルドゥインが負けるはずはないが、伯爵から頼まれて男爵の命まではとらない約束をする。ところがバルドゥインは決闘の時間に送れてしまい、その間にあの鏡から出てきたドッペルゲンガーが決闘で男爵を殺してしまうのだった。
 伯爵家に出入り禁止になるバルドゥイン。やけになって放蕩する彼の前にドッペルゲンガーが現れ、ついに宿命的な最後の闘いが起きる。最後は悲劇に終わるのは、ドッペルゲンガー物語の定番。
 というわけで、「悪魔との契約」、「盗まれた鏡像」、「ドッペルゲンガー」というよくある幻想小説のパターンを組み合わせた物語になっている。正直言って、それほどオリジナリティは感じない。初期の映画だから、幻想物語の見本みたいになるのは仕方がないのだろう。

Pragnodaigakusei

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