食べ物の本

2009年10月15日 (木)

ジャンクフードって何なんだ?

きらめくジャンクフード/野中柊(文芸春秋,2006)
 私の偏見かもしれないが、ジャンクフードというと、どこか男の食うもの、というイメージがあった。男といっても、間違ってもマッチョやイケメンではない。太って脂ぎったオタク風のやつが、体に悪そうなものをむさぼり食ってる。そういうイメージだ。
 この本は、小説家、野中柊が女性の視点からジャンクフードを語るもの。言ってみれば、女性の、女性による、女性のための食エッセイ。男が読むと、女性の考えるジャンクフードのイメージが、やはり、男の考えるそれとはちょっと違うらしいことがわかってくる。
 取り上げられている食べ物は次のようなもの。なお、その食べ物が男にとっての(というか、私にとっての)ジャンクフードに該当するかどうかも、コメントする。

 まずはハンバーガー。ジャンクフードの代表だな。ポテトチップス、チョコレートチップクッキー、ピーナッツバター、ポップコーン、アイスクリーム。このへんは、まあ間違いないだろう。みんな、いかにも太りそうな食べ物だ。
 しかし、ベーグル、パンプキンパイ、クラムチャウダー、アップルパイ、バナナブレッド、サンドイッチ、とくると、疑問がわく。パイはともかく、他のは普通の食事では?
 続いて、ピッツァ。これは間違いない。次のコーンズシ、って何だ? ハワイで稲荷寿司のことをこう呼ぶそうだ。でも、稲荷寿司はジャンクフードか?
 と、こんな調子。本書には48種類の食べ物が出てくるので、いちいちは書かないが、いかにもジャンクっぽい、という食べ物は、これ以降に出てくるものとしては、ウィンナーソーセージ、クリームソーダ、綿菓子、シェイク、フライドチキン、餡ドーナツ、ゼリー、くらいか。 オムライス、コロッケ、餃子、たこやき、グラタン、カリフォルニアロール、焼きそば、おでん、などは、ジャンクフードというより、B級グルメという方がぴったり来る気がする。
 どうもジャンクフードというと、どっちかといえば「品のない食べ物」というイメージがあるので、レモンメレンゲパイ、チーズケーキ、チェリータルト、クリスマスケーキ、シュークリーム、あたりになると、ちっともジャンクじゃないじゃないか、という気がする。著者にとっては、食べると太りそうな甘いものは、全部ジャンクフードなのか。
 また、カレーライス、おにぎり、たまご焼き、などは、やはり普通の食事だろう。おせち料理に至っては、よく理解できない。
 結局、自分が好きなものを並べただけじゃないか、という印象である。文章がまた、食べる喜びに満ちあふれていて、陶酔感すら漂っている。この食べる幸福感に満ちた文章も、ジャンクフードのイメージじゃないだろう。ジャンクフードというのは、もっとぎとぎとしていて、どこか罪悪感を抱きながらむさぼるものじゃないのか。
 要は、ただの食べ物エッセイ、というのが本質。たまたま、冒頭にジャンクフードっぽいものが続いていたので、こういうタイトルにしただけではないかと。しかし、このタイトルのつけ方はうまい。上にも書いたように、明らかに女性読者を想定した本だが、男性が読むと、女性の食べ物に対する感性がよくわかる。

 つい最近(2009年9月)、文庫版(文春文庫)も出た。

きらめくジャンクフード

 

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2009年8月11日 (火)

7月に読んだ本から

 7月に読んだ本から、今回は新書ばかり3冊。もちろん新書以外の本、小説なども読んでいるのだが、それはまた別の機会に。

世界奇食大全/杉岡幸徳(文春新書,2009)
 なんだか小泉武夫の書きそうなタイトルだが、著者は食文化や食品の専門家ではなく、エッセイスト。日本の珍祭、奇祭に関する著書などがある。
 著者のウェブサイト(http://www.sugikoto.com/)によると、「世界中の変わった食べ物を、僕が実際に食べ、その味と文化を追及した、究極で至高のグルメ本。」とのこと。後半はともかく、前半は事実のようだ。
 第1章がプロローグにあたる「奇食への招待」。
 第2章「伝統の奇食」は全体の約半分にあたる分量で、前半で日本各地の、後半で外国の伝統的食文化に見られる奇食珍食を取り上げている。小泉武夫の本にもよく取り上げられている石川県の「フグの卵巣の糠漬け」に始まり、日本では岐阜県の「漬物ステーキ」、福島県の「サンショウウオ」、長野県の「おたぐり」や「ザザムシ」など、外国では中国の「ヘビ」、ヨーロッパの「ウサギ」、オーストラリアの「カンガルー」、世界各地の「土」や「カエル」など。
 第3章「奇食界のニューウェーブ」は、主に日本で、比較的最近生まれた奇食、というか変な料理を取り上げている。愛媛県の「みかんご飯」、たくあんをサンドにした滋賀県の「サラダパン」、名古屋の某喫茶店の名物「甘口イチゴスパ」など。なぜかスウェーデンの「シュールストレミング」も、伝統食ではなくこちらに入っている。
 第4章「めずらしい飲み物」、第5章「不思議なデザート」は、タイトルどおり、ドリンク編とお菓子編。「イカスミジュース」や「ふなずしパイ」はともかく、世界一甘いお菓子として紹介されているトルコの「バクラヴァ」など、どこが奇食なのかよくわからない。確かに日本では手に入れにくいが。
 最後の第6章「幻の珍グルメ」では、「紙」、「毒キノコ」、「トラ」、「ラクダのこぶ」などを紹介。確かにこれは奇食かも。鳥の発酵食品「キビヤック」はさすがに自分では食べてない。
 こうして見ると、わりと普通の食材で、ただ著者の目から見て奇食・珍食に見えるというだけのものが多いような気もする。ただ、自分で全部食べたというだけあって、どこでどうやって食べたのか書いてある。店の名前までは書いてないことが多いが、ある程度場所や店の種類が特定できれば、ネットで調べればわかるだろう。一種のガイドブック的役割も果たしているのだ。
 これだけ多種多様な食べ物のほとんどが、日本のどこかで食べられる、あるいは手に入るというのは、考えてみるとすごいことだ。

世界奇食大全 (文春新書)

 

振仮名の歴史/今野真(集英社新書,2009
 著者は清泉女子大学の教授で、日本語学専攻。今回取り上げた3冊の著者の中で唯一、本職の学者である。
 「振り仮名」(著者の表記では、「振仮名」だが、かな変換すると送りがなつきしか出てこないので、これでいく)という、普通誰も注目しないようなものに焦点を当てた、ユニークな日本語史。
 最初に第一章で、現代日本語での多種多様、むしろ無秩序と言ってもいいくらいの振り仮名の諸形態を紹介。振り仮名は最初「読み」を示していたが、次第に「表現」にも使われるようになった、と著者は言う。実のところ、この部分だけ読んだら、後はおまけみたいなものである。
 第二章以降、平安時代に始まった振り仮名が、江戸時代に出版文化とともに発展し、明治に入って新聞や政府の布告にも使われるようになり、社会に欠かせないものになるまでを、豊富な実例と図版を使って解説している。最後には著者の専門らしい夏目漱石の振り仮名使用についても解説。
 作者が振り仮名について並々ならぬ愛着を持っていることは見てとれるのだが、そのわりに、「おわりに」のところで、振り仮名の未来について「それにつじて声高になにかをいうつもりはない」と非常に抑制的なことを言っているのは、学者としての自制が働いているのか。こういうところでは、「声高になにかを」言ってもらった方が、読む側としてはおもしろいのだが。
 一見、着眼点はいいのだが、著者が主観を押さえすぎてるせいで、おもしろみが今ひとつ出てこないのだった。図版の中には、おもしろいサンプルもあるのだが。
 なお、タイトルは表紙も背表紙も奥付も振り仮名つきだが、本文には振り仮名はほとんど使われてない。

振仮名の歴史 (集英社新書)

名言の正体 大人のやり直し偉人伝/山口智司(学研新書,2009)
 著者は、『トンデモ偉人伝』など偉人や名言に関する本を何冊か書いているライター。 「偉人研究」(http://izinken.com/)というサイトも主宰している。。
 このサイトの「トンデモ偉人典」というコーナーには、世界史上の偉人たちの知られざるエピソードが列挙してある。著者は普通の伝記的事実より、常識に当てはまらない変わったエピソードに興味があるらしい。
 本書は、常識的な視点とは違った角度から「名言」をとりあげ、名言やそれを発した人物に関する意外な事実を明らかにしようというもので、上のサイトの内容と通じるものがある。「トンデモ」と冠するほどではないが、着眼点はおもしろい。
 第1章「誤解された名言」では、本人の意図と違った意味で捉えられている名言の数々を取り上げる。
 最初に出てくるのは、エジソンの「天才とは、99%の努力と1%のひらめきである」という名言。これは一般には努力の重要さを伝える言葉をされているが、著者によれば、エジソンが本当に伝えたかったのは、逆に「ひらめきを大事にすること」だったという。1%のひらめきがないと、いくら努力しても無駄だということなのだ。ところで、田中芳樹の『七都市物語』の中で、ユーリー・クルガンが、この名言についてこんなことを言っている。「エジソンの真意はこうだ――いくら努力したって霊感のないやつはだめだ、と」。小説の中では、この言葉は、「多くの人の許容しうるところではな」かったと書かれていたが、実は正鵠を射ていたらしい。
 こんな具合で第1章では他にも、テレシコワの「私はカモメ」というのは、実は人工衛星のコードネームに過ぎなかったとか、「酒は百薬の長」というのは、古代中国の簒奪者王莽が、酒の専売を正当化するために言った宣伝文句だとか、名言に冠する幻想を切りまくる。
 第2章「カットされた名言」で取り上げられるのは、実は肝心な部分が省略されて一部だけが一人歩きしている言葉。たとえば、ブルワー=リットン(日本では幻想小説作家として知られる)の名言、「ペンは剣よりも強し」は、戯曲の中の台詞で、その前に「真に偉大な人間の統治下では」という言葉がある。ちなみに劇中でこの台詞を言っているのはリシュリュー枢機卿で、「真に偉大な人間」というのは、自分のことを言っているのである。それはともかく、「ペンは剣よりも強し」というのは政治がうまく言っていることが前提ということで、さらに裏読みをすれば「権力者が言論を握っている時は」ともとれる。どっちにしても、ずいぶん印象が変わってくる。
 第3章「誇張・捏造された名言」は、「本当はそんなことは言ってない」という例の数々。リンドバーグの「翼よ、あれがパリの灯だ!」とか、ナポレオンの「余の辞書に不可能の文字はない」とか、板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず」などが取り上げられている。この章が読み物としては一番おもしろい。
 第4章は「「おまえが言うな!」と言いたい名言、「そこまでやらなくても」と言いたい名言」。名言そのものより、もっぱらそれを言った偉人の事績と、それが名言といかに食い違っているか(あるいは、そのまますぎるか)を語っている。
 全体としては、ややまとまりに欠ける印象があるものの、ひとつひとつの記事はおもしろいし、着眼点も悪くない。今回とりあげた3冊の中では、これがベスト。

名言の正体―大人のやり直し偉人伝 (学研新書)

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2009年7月25日 (土)

くさいものにフタをしない

くさいものにフタをしない/小泉武夫(幻戯書房,2005)
 発酵の専門家である著者が、においと人間について――というか、より正確には「食べ物のにおい」と「日本人」について、語る本。その後2008年に新潮文庫から再刊されている。

 序章で、「発酵臭と腐敗臭の違いを、人間は本能的に嗅ぎ分ける」という、よく聞くエピソードを披露。 続いて一章「おいしい日本のにおい」で、定番の発酵の話に行くかと思えば、「ご飯のにおい」で始まったのはちょっと意外。たきたてのご飯の「いいにおい」というのは、米に含まれるブドウ糖が熱のためにアミノ酸と反応してできる、揮発性のカルボニル化合物から生まれるのだそうだ。以下、味噌、醤油、鰹節、漬け物のにおいなどを、こんな風に化学的解説もまじえながら語っていくのだが、後の方になると、くさやとかフナズシとか魚醤とか納豆とか、臭い食べ物が顔を出してくる。
 ところで、本書では「におい」という表記を最初から最後まで使っているが、これは、漢字で「匂い」と書くといい香り、「臭い」と書くと悪臭というイメージになってしまうからだろう。
 二章「季節を告げる食のにおい」、三章「体によくて芳しい」では、セリ、フキノトウ、茶、鮎、茗荷、松茸、ニラ、ニンニク、ワサビ、シソ、生姜、山椒など、日本の伝統的な食材を、においを中心に語る。この部分は各パートが短いこともあって化学成分についての説明は少なく、普通の食べ物エッセイである。
 四章「くらしの中のにおいの文化」は、タイトルどおり生活の中から、日本文化を象徴するようなにおいを拾い出していく。この章では著者には珍しく、畳、木桶、蒲団、市場、花火など、食べ物以外のにおいがかなり出てくる。
 五章「においと人の未来」と終章「においをなくした日本人へ」は、一転して文化論。アロマテラピー、香料工業、においとバイオテクノロジーなど、においの技術論から入って、最後は「生活からにおいを排除してはいけない」という日本社会への呼びかけで終わる。
 なお、本文はほとんど日本の話だけで、あまり変な食べ物も登場せず、この著者の本としてはおとなしめなのだが、章の間に「においの教室」と題するコラムが挟まれていて、そこではシュールストレミングとかホンオフェとかキビヤックとか、世界的に臭い食べ物の話が出てくる。やはりこういう話を語らずにはいられないようだ。
 基本的に「いいにおい」をテーマにしているのだろうが、それでも、この著者の「臭いもの好き」は、随所に顔を出してしまうのである。

くさいものにフタをしない

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2009年6月22日 (月)

清貧の食卓

清貧の食卓/山本容朗編(中公文庫,1998)
 文学者、文化人の書いた食べもの物エッセイのアンソロジー。著者は、古いところでは谷崎潤一郎、荒畑寒村から、基本的に「ちょっと前の世代の人」まで。一番若いところで東海林さだおだから、後は推して知るべし。今では半分以上の著者すでに故人だったりする。食べものエッセイというとすぐに名前が浮かぶ池波正太郎や吉田健一はなぜか入ってない。
 21編のエッセイと一つの対談が収録されていて、I「名前はどうでも、とにかく旨ければ……」と、II「折々なつかしく思うものを」の二部構成。が、よく見ると、別にテーマ順に分けているのではないらしい。
 第1部が宇野千代から始まって、荒畑寒村、池田満寿夫、色川武大、魚谷常吉、大河内正敏、神吉拓郎、北大路魯山人、杉森久英、東海林さだお、まで。第2部が、谷崎潤一郎に始まり、田辺聖子、田中小実昌、壇一雄、常盤新平、向田邦子、山口瞳、山本周五郎、山本嘉次郎、山本容朗、吉行淳之介、最後に吉行淳之介と壇一雄の対談。―ごらんのとおり。だいたい五十音順に並んでいるだけなのだ。
 それはともかく、タイトルに「清貧」とつけているだけあって、取り上げられている食べものは、おむすび、臓物料理、大根、お茶漬け、うどん、コロッケ、ハンバーガー、海苔巻きなど、安いものばかり。
 だけどそれは、編者がそういうテーマのエッセイを選んだのであって、著者たちがみんな清貧の精神を持っているわけではないだろう。たとえば北大路魯山人。よく知られているように、海原雄山のモデルと言われる人物である。収録されているのは、「お茶漬けの味」などという庶民的なタイトルのエッセイだが、その中でこんなことを書いている。 

美味い料理は長年続けての習慣がつかなければ、美味いと分るものではない。それが分るようになるためには、相当の費用もかかる。しかし、だからと言って、費用をかけたから食物の美味さが誰にも分るとはかぎらない。(p.103)

 いかにも魯山人らしい。これほど、「清貧の食卓」というイメージから遠い人物はいないだろう。贅沢の極みかつエリート思想である。もう好きにしてくれといいたい。
 あと、田中小実昌の「小イワシの唐揚げ」も、マドリッドで地元のワインを飲みながら、地元のエビや小イワシを食べる話で、値段が高いものではないかもしれないが、優雅すぎて、これを清貧というのは嫌みである。
 その他は、一昔前の「おふくろの味」的料理が多いのが目につく。金持ちが若い頃の素朴な味を懐かしんでいる、という構図か。
 そんな中、東海林さだおのルポ「ショージ君の一日入門 ラーメン学校の巻」などを読むと、その文章のゆるさに心和む。
 異色なのは荒畑寒村の「監獄料理」。著者は戦前、社会主義者として何回も検挙されていて、監獄や刑務所の中で食べた料理の思い出を語っている。これこそ、ある意味で清貧料理の極致だろう。語り口に暗さが微塵もないのがいい。
 まあ「清貧」の看板には疑問あり、各作品の好き嫌いもいろいろある。が、さすがに有名どころが並んでいるだけあって、どれも文章は達者だし、それぞれの持ち味が出ていることは間違いない。食べ物エッセイのファンなら、一種のサンプル集として手元に置いておいてもいいだろう。

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2009年5月27日 (水)

お江戸の「食」と川柳と

お江戸の意外な「食」事情/中江克己(PHP文庫,2008)
 長ったらしいサブタイトルがついていて、「大都市江戸の四季折々の「おいしい生活」」。著者は江戸時代に関するコラムや雑学の本を何冊も書いている人。この本は江戸時代の食生活にまつわる話題を集めたものだが、単なる雑学本になってないのは、構成の巧みさと、テーマの扱い方による。
 構成だが、全体が季節ごとの5章からなっている。新年・春・夏・秋・冬。それぞれを形容する言葉がついていて、「ゆるゆるの新年」、「ふわふわの春」といった具合。夏は「さくさく」、秋は「ぱりぱり」、冬は「ふうふう」である。冬は納得がいくが、他はなんとなくわかるような、わからないような...。
 それはともかく、各章がさらに20前後の短い節に分かれ、一つの食べ物、あるいは飲み物がタイトルになっている。もちろん、それぞれの季節に対応した食べ物。江戸の食べ物に季節感は欠かせないだろう。読者は食べ物を通して、江戸の新年から年末を体験するようになっているのだ。
 ちなみに、新年最初は、「若水」。元日に最初に汲む水のことだそうだ。以下、「屠蘇」、「おせち」、「数の子」、と続く。冬の最後の方は、「蕪」、「慈姑(くわい)」、「薬食い」(肉食のこと)と来て、「鯨汁」で締めくくり。江戸では十二月の煤払いの日に鯨汁を食べる習慣があったのだそうだ。「年越し蕎麦」が最後になってないのは、蕎麦が「新蕎麦」としてすでに出てきているためか。
 しかし、ただ単にそれぞれの食べ物について知識やエピソードを並べるだけでは、普通の食べ物エッセイ集や雑学本と変わらない。この本のユニークなところは、テーマにまつわる江戸川柳を豊富に引用しているところ。というか、書き出しも川柳、要点も川柳、締めくくりも川柳と、食べ物と川柳、どっちがメインだかわからなくなるくらいである。とにかく、その視点と書きぶりが独創的なことは確か。
 どんな食べ物にも、それに対する川柳があり、江戸人たちの食に対する並々ならぬ関心が伺える。それだけの川柳を集めてきた作者も大したものである。どう考えてもタイトルは、『川柳から見る江戸の食』の方がふさわしい。

お江戸の意外な「食」事情 (PHP文庫)

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2009年2月 4日 (水)

考える胃袋

 だいぶ前になるが、小泉武夫『地球怪食紀行』を紹介した時(2007年4月19日)、小泉武夫、石毛直道、森枝卓士の3人を、「日本3大食文化人」と言えるのではないか、などと書いたことがあった。
 その後、森枝卓士は取り上げたが(『味覚の探究』2008年11月25日)、石毛直道はまだである。石毛直道の『文化麺類学ことはじめ』はぜひ紹介したい好著だが、今回はとりあえず共著から。

考える胃袋 食文化探検紀行/石毛直道、森枝卓士(集英社新書,2004)
 石毛直道と森枝卓士という「日本3大食文化人」のうち二人の対談。
 小泉武夫ほどのはじけ方はしないが、石毛直道はアカデミックに、森枝卓士はルポあるいはドキュメント・タッチで、海外の食文化を巧みに語る名人である。さぞや食の話に花が咲くだろうと思ったら、実のところ、年齢・学歴でかなりひけめのある森枝がやたら下手に出て聞き役にまわるものだから、今ひとつトークが白熱しないのだった。
 だいたい、前書きからして、森枝卓士は「石毛さんには迷惑な話だろうが、勝手に師匠だと思っている。」なんて下手に出まくっている。対談の中でも、基本的に石毛直道に質問するか、発言を補完するかという役回り。親分と子分の対談みたいな感じである。
 ちなみに、石毛直道は京大卒、国立民族学博物館名誉教授(元館長)、森枝卓士は石毛より18才年下で、国際基督教大学卒、フリーのジャーナリスト。
 だいいち、酒の話があんまり出てこずに、マジメなことばかりしゃべってる。「酒がなくなる恐怖の話」というのもあるが、10ページくらいしかない。これで小泉武夫が混じって酒の話を始めたらさぞ興奮ものの対談になっただろうに。刺激的な要素に乏しく、顔ぶれから予想するほどおもしろくはなかったのが残念。
 とはいえ、石毛直道の得意分野の麺食文化の話(第四章「文化"麺"談」)は押さえてあるし、異文化を巡る旅と食の話(第三章「旅が食を、食が旅を」)、人類学視野からの食談議(第五章「サルから文明まで」)、現代社会と食の問題(最終章「食の現状をどう見るか」)など、食文化にまつわる基礎的なテーマはひととおり押さえてあるので、入門的な本としてはいいかもしれない。

考える胃袋―食文化探検紀行 (集英社新書)

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2008年11月25日 (火)

「美味しい」とはどういうことか

味覚の探究 美味しいってなんだろう/森枝卓士(中公文庫,1999)
 サブタイトルのとおり、「美味」の正体をひたすら追求したエッセイ。
 食文化や食材や調理法に関する本は数多いが、こういう根源的なテーマを追究した本というのは、意外と少ない。他には、方向性は全然違うが開高健の『新しい天体』とか...。
 味覚の科学的基礎からはじまって、グルメ情報界の裏側とか、味覚を表現する文章の比較研究とか、アメリカの味が世界を制覇する理由とか、さまざまな方面から著者は「美味しさ」の正体を追っていく。業界への取材成果をそつなくまとめて自分の文章にしていくあたりは、学者の書く食文化論とはひと味違う、さすがにジャーナリストの本領発揮というところである。
 『美味しんぼ』の話題がたびたび出てきたり、東海林さだおや開高健や種村季弘の美味の表現を分析したり、同業というかライバルというか、「食を題材にした本」への言及が多いのも特徴。古今の食に関する文章の中で、「味そのもの」を表現したものは実に少ない、という指摘は鋭い。この「「美味しい」を伝える」という章だけでも、この本を読む価値はある。
 しかし肝心の「美味しさの本質」というテーマについては、取材を重ね、資料を漁り、考察を重ね、高級ワインを飲みまくっても(うらやましい...)、つかまえきれない幻みたいなもので、結局、よくわからないのだった。「相変わらず、象の脚だか鼻だかをなで回しているだけである。」と、この本は締めくくられている。
 一冊かけてこれかよ、という感じだが、要するに、それくらい味覚というものは複雑だ、ということが言いたいのだろう。
 結論はともかく、ユニークな情報や知見が詰め込まれていて、食や味覚に関して語ろうと思うなら、読んでおくべき本ではある。

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2008年5月19日 (月)

食あれば楽あり

食あれば楽あり/小泉武夫(日本経済新聞・日経ビジネス文庫,2003)
 様々な食材を中心にした食の話題を語る、2~3ページ程度の短いエッセイ(というより、コラムか)を集めたもの。
 前にとりあげた「怪食紀行」シリーズ(2007年4月19日『地球怪食紀行』、2008年3月13日『アジア怪食紀行』)ほどの破天荒さはなく、どちらかというとおとなしめの文章で、数々の食材や食品を語っている。
 もちろん酒の話も出てくるが、全体的に小泉武夫の著書としては地味。取り上げられる食材も、おなじみの韓国のエイの加工食品ホンオ・フェ(どの本にも必ず出てくるね)や、マンボウ、エラブー(ウミヘビ)など珍味もあるが、身近な食材の方が圧倒的に多い。 アンコウ、カエル(身近か?)、ウニ、アナゴ、サンマ、桜エビ、ホヤ、イカ、カラスミ、魚肉ソーセージ(これが大好物なのだそうだ)、カワハギ、カキ、ハマグリ、シャコ、ウナギ、サヨリ、ショウガ、ニガウリ、スズメ、ベーコン、ハンバーグ...。東海林さだおの「まるかじりシリーズ」に出てきそうなラインナップである。それにしても海産物が多いな。
 ただ、よくある食材も、著者の筆にかかると、時と所を得てたちまち美味の極地に思えてくるから不思議である。小泉武夫は「うまさ」を語らせたら止まらなくなるようだ。地味とはいえあなどれない。(実はその逆に「まずさ」を語った本もあるのだが...それはまた別の機会に。)
 ところどころで顔を出す「怪食紀行」シリーズのレギュラー出演者、「八溝の義っしゃん」(要するに著者の飲み友達、正体不明)の名脇役ぶりにも要注目。

 ところで、この本のタイトルは「くあればらくあり」と読む。よく見ると奥付にも書いてあったのだが、今回のエントリーを書くために改めて調べてみるまで、気がつかなかった。

食(く)あれば楽あり (日経ビジネス人文庫)

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2008年3月13日 (木)

アジア怪食紀行

アジア怪食紀行/小泉武夫(光文社・智恵の森文庫, 2004)
 以前紹介した(2007年4月19日のエントリー)『地球怪食紀行』の姉妹編。
 『地球~』と多少内容が重なる部分もあるが、ラオス、ベトナム、韓国、モンゴル、ウイグル、ミャンマー、中国と、主に北・東アジア諸国の暴飲暴食紀行。
 まあ要するにやってることは、『地球~』と同じで、とにかくどこへ行っても、変なものを食っては酒を飲みまくり、酔っぱらう。その繰り返し。
 例えば、ラオスではネズミの燻製に何だかわからない虫の幼虫に雛入り卵、ベトナムではトカゲに豚の脳みそ、韓国では例のエイの発酵食品ホンオ・フェ(この著者の本にはよく出てくる)、モンゴルでは羊の血の腸詰め、中国では蜂のサナギに蛇にセンザンコウといった具合。こういうものを食べながら、現地の人たちと一緒に変な酒をがぶがぶ飲むのである。言葉が通じなくても、「そんなものは酒があればどうでもいい」のだそうだ。世界の民族食を探求するにはこうでなくてはならないのだろう。
 しかしどこへ行って何を食っても平気な小泉先生の味覚と胃は、常人を遙かに超えているとしか言いようがない。
 巻末のゲッツ板谷(西原理恵子のマンガに出てくる「金角」だそうだ)の解説は、同じようにアジア各地へ行って変なものを飲み食いした思い出が書いてあるが、「そんな変なものなんか本当はうまくもなんともないんだよ、吐き気がするくらいまずくて気持ち悪くて、とても人間の食べるものじゃねえんだよ!」という本音があふれている。まあ、それが普通の人の感覚だろう。
 これだけ書いてる本人が「うまいうまい」と書いてるのに、食べたいという気持ちが全然わいてこない食べ物の本も珍しい。読むだけならすごくおもしろいんだけどね。

アジア怪食紀行―「発酵仮面」は今日も行く (知恵の森文庫)

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2008年2月18日 (月)

天ぷらにソース

全日本食の方言地図/野瀬泰申(日本経済新聞社,2003)
 食文化というにはあまりに俗っぽい習慣がある。例えば「天ぷらにソース」とか、「甘納豆入り赤飯」とか、「西では肉=牛、東では豚」(これはあまりに有名)とか、地域独特の料理の呼び方とか。そういうものをこの本では「食の方言」と呼んでいる。
 元は、日経新聞のサイト「食べ物 新日本奇行」に掲載した記事と、メール投稿を再編集したもの。
 どんな「方言」が載っているかというと、まず最初が、このサイトの開設のきっかけにもなったという、「天ぷらにソース」。これはほぼ完全に西日本の習慣らしい。一番比率が高いのは和歌山で、80%を超える人が「天ぷらにソース派」だとか。他に半数以上を超えているのが、奈良、福井、それに香川を除く四国など。そういえば、私の故郷の高知でも、小さい頃は天ぷらにソースをかけて食べていたような気がする。
 あるいは、「卵焼きに砂糖」。これは東日本では普通、というか、全国的には「入れない派」の優勢な県の方が少ない。だが関西では和歌山県以外は砂糖を入れない。四国でも香川以外はおおむね入れないらしい。私も甘い卵焼きというと、寿司屋で出てくるやつしか食ったことがない。
 食べ物の地域差という話になると、必ずと言っていいほど話題になる納豆関係では、「納豆を食パンにはさんで食べる」(秋田県の一部、あと名古屋の一部から報告あり)とか、「納豆に砂糖」(北海道、東北など)とか、変な(私から見て)食べ方の例が出てくる。
 こんな話題の数々のほか、巻末には、広島の「カレーチャーハン」に「ホルモンうどん」、秋田の「ばばへらアイス」、新潟の「醤油カツ丼」、「イタリアン(ミートソースのかかった焼きそばのこと)」など、方言的食物を実食するツアーのルポも載っている。
 元々ネットの記事ということもあり、メールの情報と著者(日経の記者です)のコメント、短いルポが並べてあるだけで、特にまとまった考察があるわけではないし、何か結論が出る、という性格の本でもない。
 この本に書かれている実に様々な「食の方言」のディテールと、それへの反応(ツッコミも)を、難しいことは考えずに楽しめばいい。
 欲を言えば、登場する食べ物のインデックスをつけてほしかった。

全日本「食の方言」地図

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2007年8月27日 (月)

汁かけめし快食學

汁かけめし快食學/遠藤哲夫(ちくま文庫,2004)
 1999年に「四谷ラウンド」というマイナーな出版社から出た『ぶっかけめしの悦楽』という本の加筆版とのこと。
 「汁かけめし」と「ぶっかけめし」、どう違うのかというと、

 「ぶっかけめし」は、「汁かけめし」のことを勢いよく、景気よく、力強く、気取るなコノヤロウ風に、あるいはアレグロ・フォルテ・アニマート的に言ったものだ。(p.14)

 だそうだ。
 何のこっちゃという感じだが、要は同じものだということらしい。略して、「かけめし」。これなら「汁かけ」、「ぶっかけ」、どちらの略にも使える。
 具体的には、ご飯の上に汁そのものをかける、あるいは何かをのせて汁をかける、それをこの本では「かけめし」と称している。目玉焼きをご飯に載せてソースまたは醤油をかけただけでも「かけめし」。「汁をかけなくては、ただの『目玉焼きのっかり』で汁かけめしにはならない」のだそうだ。
 そして、上にかける汁にも条件があって、「独特の香と旨みをふくんだ汁。香とコクのある汁。そういう汁が、かならず、必要なのだ。」(p.73)のこと。
 この定義で言えば、お茶をかけただけなら「お茶づけ」であって「汁かけめし」ではない。しかし、日本料理店などでよく出てくる「お茶づけ」は、お茶ではなくてだし汁をかけている。あれは「汁かけめし」なのだろうか?
 とにかく、いきなり「ネコまんま」の地域差(「みそ汁派」と「鰹節派」があるらしい)という変な議論から始まって、上の目玉焼きご飯を例にかけめしの本質を説き、あらゆる種類の丼ものを語り、かけめしの長い歴史を文献に探り、「かけめし下品論」に反論し、といった具合。かけめしの歴史と日本食文化におけるその位置づけについて延々と語って、最後はカ)レーライス=汁かけめし説の論証で終わる。
 というと、何だかちゃんとした食文化論みたいだが、実際のところ、そんなにまとまりのある話が書いてあるわけではなく、著者の主張、他の本からの引用、ネットの書き込み、実地レポート、架空対談などが、それこそ汁かけめし的なごちゃまぜ状態でつめこんである。椎名誠みたいなライトエッセイ風の文章が続いたかと思うと(著者が椎名誠ファンらしいことがわかる箇所もある)、いきなり室町時代の日記やら江戸の料理本やらの古文献からの引用が出てきたり、実につかみどころがない。
 ただ、著者が汁かけめしが好きでたまらないということだけは、よく伝わってくる本である。

汁かけめし快食學 (ちくま文庫)

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2007年6月24日 (日)

知っておきたい食の世界史

知っておきたい食の世界史/宮崎正勝(角川ソフィア文庫,2006)
 200ページあまりのコンパクトな文庫で、先史時代から現代に至る食の歴史を語ってしまおうという大胆な試み。
 それがある程度成功しているのだから驚く。もちろんページの制限から、ひとつひとつのトピックは駆け足で語られているが、重要なポイントは押さえつつ、「食卓は小さな大劇場」、「食卓の上を世界史が通り過ぎていく」という冒頭の言葉そのままに、食の世界史を描いている。
 この本によれば、食の世界における革命的な出来事は4つ。
 先史時代の「料理の発明」と「農耕の開始」、大航海時代の「食材の世界的流通」、そして20世紀の「低温流通機構」。
 最初の三つはわかるが、冷凍技術がそれほどの革命的な変化をもたらしていたとは、あまりに身近すぎて気がつかなかった。自分の人生と同時進行で起きている変化というのは、気づきにくい。
 第三章で語られる「世界の四大料理圏」というのは、実感として納得できる。「中国」「インド」「中東」「ヨーロッパ」という分け方で、確かにこれ以外あり得ない。「世界三大料理」というのは「中国」「フランス」「トルコ」だそうだが、これに「インド」を加えれば、見事に重なる。
 他にも、大ネタ小ネタ取り混ぜて参考になる情報が満載。他の「食文化」ものの本と違って、作者の食い物に対する執着があまり感じられないので、読んでて「おいしいそうだ」という感じはしないが、明快にして簡潔な、食文化史の教科書ともいうべき本である。

知っておきたい「食」の世界史

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2007年4月19日 (木)

地球怪食紀行

 今回は食べ物の本。
 といっても、よくあるグルメ談義や食べ歩きエッセイではなく、学者の書いた本。
 最近やたらと本を出している感のある、小泉武夫である。
 私の見るところ、今の日本で食べ物に関する研究の権威で、かつ書くものがおもしろい人が2人いる。
 「鉄の胃袋」石毛直道と、「味覚人飛行物体」小泉武夫。
 石毛氏は文化人類学が専門で文系、小泉氏は発酵学が専門で理系という違いはあるが、共通しているのは食べ物(と酒)に関する飽くなき興味と、脅威の食欲。
 これにジャーナリストの「カレー大王」森枝卓士を加えてもいい。「日本3大食文化人」とでも言えばいいだろうか。

 この3人の本はそれぞれ取り上げていくつもりだが、とりあえず最初は小泉武夫から。

地球怪食紀行/小泉武夫(光文社・智恵の森文庫,2005)
 『地球を怪食する』(文芸春秋、1999)の改題・改訂版。なぜ文春文庫から出ないのか不明。
 帯には「怪食シリーズ」驚異の第3弾!!と書いてあるが、読んだのはこれが1番目。
 サブタイトルの<「鋼の胃袋」世界を飛ぶ>というのは、明らかに「鉄の胃袋」石毛直道に対抗している。
 中身は、小泉武夫先生の食べまくり飲みまくり紀行。印象としては、「飲みまくり」の方が強い。
 全24話。取り上げられた食材は、ニンニク、ニシン、カモ、貝、エイ、馬肉、ウナギ、ヤモリ、麺類、羊、キャビア、カラスミ、牛肉、マグロ、ヒラメ、鮒寿司、ウサギ、ソーセージ、アワビ、フグの卵巣、キノコ、猪のレバーなど。
 珍しいものもあるが、どちらかというと普通の食材の方が多い。しかしその普通の食材も、日本各地、世界各地で独特の調理法を経て、実にうまそうな料理に、そして時には怪しげな料理に、変身する様子が、独特の文体で記される。
 どんな料理が出てこようが、小泉先生はそれを肴に酒を飲む。それがまた実にうまそうでたまらない。
 まあ、時には下の引用みたいに、勘弁してくれよ、というのもあるが、読んでるだけなら、それもまたおもしろい。

 

その日は、かなり強烈にして熟成した臭みの四十年鮓を、もっともっとどぎついほどの臭みを保有したアセトアルデヒドフーゼル油焼酎でガンガン飲りました。次第に口の中や鼻の孔の中が強烈な臭みにまみれてきて、さらにそこにフーゼル油とアセトアルデヒドの凄いのが投下されてきて、もう何がなんだかわからないくらい、臭みにまみれて、それでも村長さん一家とガンガン飲りあいました。(第17章「臭い鮓、臭い酒に涙する」)

 この徹底した「飲むこと」への執着が、小泉武夫の食エッセイの特徴らしい。前に読んだのが『人はこうして美味の食を手に入れた』や『漬け物大全』といった、どっちかというと教養系のやや固い本だったので、この発酵学の権威が実はただの飲んだくれのおっさんだったとは、この本を読むまで不覚にも知らなかったのである。
 で、「怪食紀行」の姉妹本も読みたくなる。「怪食紀行」というよりは、「怪飲紀行」、あるいは「暴飲暴食紀行」の方が合ってる気もするが。(他の2冊『中国怪食紀行』、『アジア怪食紀行』もその後読んでいる。この2冊もおもしろいのだが、紹介はまた次の機会に)

地球怪食紀行―「鋼の胃袋」世界を飛ぶ

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