だいぶ前に読んだ本

2009年12月 6日 (日)

中国傑物伝

中国傑物伝/陳舜臣(中公文庫,1994)
 以前に陳舜臣の『中国美人伝』を取り上げたが(2009年4月27日)、陳舜臣には他にも、『中国任侠伝』、『中国詩人伝』、『中国畸人伝』など、あるテーマに沿って中国史上の人物を集めた歴史読み物がいくつかある。今回の『中国傑物伝』もそのひとつ。
 中国史上で著者が「傑物」と見なす16人を選んで、評伝というには軽く、エッセイというには少々学問的な、独特のスタイルにまとめている。もとは中央公論社の雑誌『Will』(1991年で休刊、今出ている右派系雑誌『月刊Will』とは別もの)に連載されていたもので、1991年、『Will』の休刊と同時に単行本が出版されている。
 ところで「傑物」というのは、範囲の広い概念で、著者の解釈によってどんな人物でも選ぶことが可能である。歴史上の人物の多くは、どこか傑出したところがあったから名を残したのだろうから、極端に言うと、誰を選んでもかまわないことになる。だからこの本の人物セレクションは、著者の好みがかなり濃厚に反映していると見ていいだろう。本書の解説で井波律子も、「この十六人の顔ぶれの選び方には、陳舜臣氏の志向や好みがくっきりとあらわれており、まことに興味深い」と書いている。
 その16人だが、紀元前6世紀の春秋時代から20世紀まで、時代順に並んでいる。
 第一話は、春秋時代、越王勾践に仕えた軍師の元祖、范蠡。第二話は孔子の弟子で外交の達人、子貢。第三話は、秦の始皇帝の実の父とも言われ、「奇貨居くべし」の名言で知られる大商人、呂不韋。第四は漢の劉邦に仕えた名軍師、張良。第五話が民間に育って帝位についた漢の宣帝。
 こうして一話から五話まで見ると、宣帝は別として、どちらかというと指導者を裏で支えた人物が多い。ではそういう裏方で貢献した人物が中心なのかというと、そうでもなくて、表舞台ではなばなしい活躍を見せた人物もいる。曹操(第六話)。五胡十六国時代の前秦の皇帝、苻堅。北宋の宰相で「改革派」の元祖ともいうべき王安石(第十話)。清の皇帝として中国全土を統一した順治帝(第十四話)。一国の指導者というわけではないが、明の大航海者、鄭和(第十三話)や清末期の将軍、左宗棠(第十五話)も、表舞台の人物だろう。
 一方で、裏方的な人物としては、武即天の重臣だった張説(第八話)、五代十国時代、次々と変わる王朝に重臣として仕えた馮道(第九話)、初期モンゴル帝国の官僚として中華文明の価値を主張し続けた耶律楚材(第十一話)、明の朱元璋の天下取りを支えた重臣である劉基、孫文の同志として辛亥革命のための奔走した黄興(第十六話)などがいる。 孔子ではなく子貢、始皇帝ではなく呂不韋、劉邦ではなく張良、劉備や諸葛亮ではなく曹操、朱元璋ではなく劉基、康煕帝ではなく順治帝、孫文ではなく黄興を選んでいるあたりに、著者の志向が見えるような気がする。
 呂不韋、張良、曹操、耶律楚材など、小説にもなっている人物もいれば(曹操と耶律楚材は陳舜臣が自分で小説にしている)、知る人ぞ知る的なマイナーな人物もいるし、成功した者もいれば失敗した者もいる。総じて著者は、あまりにも「功成り名遂げた」人物や、あまりにも「世間の評価が高い人物」を避けて、それでいて最後まで自分の生き方を曲げなかった人物を好んで取り上げているようだ。
 ところで第七話の苻堅は私もかなり興味がある人物だし、著者も「私は前秦の苻堅の運命を読むとき、いつのまにか涙ぐんでしまう」と書いているくらいで、かなりの思い入れがあるらしい。涙ぐんでしまうとまで書かれている人物は他にいないのだ。陳舜臣は苻堅を長編小説に書いてくれないのだろうか。

中国傑物伝 (中公文庫)

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2009年11月15日 (日)

ダブル/ダブル

ダブル/ダブル    マイケル・リチャードソン編;柴田元幸、菅原克也訳(白水Uブックス,1994)
 「分身」をテーマにしたアンソロジー。より厳密にいうと、「原則として二十世紀に書かれた西洋の小説の中から<双子><分身><鏡><影><人造人間>といった、いわば「一人が二人で二人が一人」の物語を集めて面白い本を作る」(訳者まえがきより)というのがコンセプトだそうだ。
 このテーマから連想されるのは、当然ながらSFやファンタジーに属する作品なのだが、実際にはそういうものは約半分。著者も、どちらかというと文学系の作家の方が多い。編者のマイケル・リチャードソンはカナダ人で、他にミステリやホラーのアンソロジーも編集している。

 実際にどんな作品が収録されているかというと―。
 「かれとかれ」(ジョージ・D・ペインター)は詩。いきなり詩から始まるのが、このアンソロジーのジャンルにこだわらない、「なんでもあり的性格」を示している。
 「影」(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)。いきなり「原則」からはずれる19世紀の作品。著者は、あの童話で有名なアンデルセンである。自分の影と対立する羽目になった哲学者の物語。童話じゃないけど、寓話。
 「分身」(ルース・レンデル)。レンデルは日本でもよく知られているミステリ作家。この話は、「自分のドッペルゲンガーに会ったら死ぬ」というよく知られた伝承をひとひねりしたもの。当然ながら、ミステリ・タッチ。
 「ゴーゴリの妻」(トンマーゾ・ランドルフィ)は、イタリアの幻想作家ランドルフィの代表作。他のアンソロジーにも収録されている。ここに出てくる「ゴーゴリの妻」は、<分身>ではなく、<影>でも<人造人間>でもなく、ある意味もっとすごいものである。
 「陳情書」(ジョン・バース)は、自分の片割れを憎むシャム双生児からの訴えという形をとるブラックユーモア作品。実はバース自身が一卵性双生児なのだそうだ。
 「あんたはあたしじゃない」(ポール・ボウルズ)は、病院を逃げ出した女の崩壊した自我を鬼気迫るタッチで描く。一種のサイコ・ホラーものと言えるかもしれない。
 「被告側の言い分」(グレアム・グリーン)。収録作家の中では、多分アンデルセンの次に有名。双子の一人が殺人の罪で裁判を受ける顛末を描く、皮肉のきいた法廷ものショートショート。
 「ダミー」(スーザン・ソンタグ)。自分のダミーを作って(材料は日本製)、会社勤めや家庭生活を代行させようとする男の話。つまり自家製コピー・ロボットである。作者はSFではなく文学系の作家なので、技術的な話は無視。結末もSFやファンタジーのつもりで読んでると裏をかかれる。
 「華麗優美な船」(ブライアン・W・オールディス)。バース、ボウルズ、グリーン、ソンタグと、一般文学で有名な作家が続いた後で、いきなりSF作家の登場。しかしこの作品はSFというより寓話。とんでもないもののドッペルゲンガーが登場する。
 「二重生活」(アルベルト・モラヴィア著)。二つの家を借りて二重生活を送ろうとする学生(学生のくせになんでそんなに金があるのか?)が、奇妙な出会いを通して人生の二重性に気づく、やや哲学的な物語。
 「双子」(エリック・マコーマック)は、以前紹介した『隠し部屋を査察して』(2009年6月5日のエントリー)に収録されていた(もっとも、その時にはこの作品には言及してない)。あまり長くもない作品の中に、一人でありながら二人の声を出す男と、二人でありながら一人の声を出す双子の物語が詰めこまれている。「一人が二人で二人が一人」というテーマを、ある意味もっとも端的に表現した、密度の濃い作品。
 「あっちの方では―アリーナ・レイエスの日記」(フリオ・コルタサル)は、どこか別の世界にいる「もう一人の自分」と遠隔感応して体験を共有する女性の物語。収録作品の中では、一番ファンタジー色が強い。
 「二人で一人」(アルジャーノン・ブラックウッド)。ブラックウッドといえば怪奇小説の巨匠だが、この作品はあまり怪奇色はない。一種のサイコものと言えなくもないが、不思議と爽やか、かつ思索的な話である。
 「パウリーナの思い出に」(アドルフォ・ビオイ=カサーレス)は、複数のアンソロジーに収録されている、著者の短篇の代表的作品。二人の男と一人の女を巡るラブストーリーに見えていたものが、一転してゴースト・ストーリーになる――かと思っていたら、最後に「稲妻に照らし出されたように」、さらに予想外の真実が明らかになる。

 見てのとおり、主流文学の、それも世界的に有名な作家が多い。そういった有名作家の作品がSF的だったり幻想的だったりする一方、SF作家の作品がSFではなく、怪奇小説作家の作品が怪奇ではなかったりする。原著の発行は1987年だが、ジャンル・ミックスを先取りしたようなアンソロジーである。
 ベスト3を選ぶなら、「あんたはあたしじゃない」、「あっちの方では」、「パウリーナの思い出に」というところ。

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2009年10月31日 (土)

王妃オリュンピアス

王妃オリュンピアス アレクサンドロス大王の母/森谷公俊(ちくま新書,1998)
 アレクサンドロス大王に関する本は何冊もあるが、ほとんどが大王個人だけにスポットを当てている。まあ、当たり前と言えば当たり前だが。その周辺のマケドニア王家の人々を描いた本は、わりと珍しいのではないだろうか。著者は古代ギリシアを専門とする歴史学者。
 内容は人物を中心としたマケドニア王室史というべきものであり、歴史というより人物小伝を集めたもの、という印象である。同名の人間がやたら出てくるのでややこしいが、見慣れない固有名詞の洪水にある程度慣れると、小説的なおもしろさがある。

 アレクサンドロス大王その人が、歴史上に例を見ない異才であったことは間違いないが、その周囲のマケドニア王家の人々も、なかなかに印象深いキャラクターが揃っているのだ。
 まずは本書の主人公であり、稀代の悪女の汚名を着せられて非業の最期を遂げた女傑、オリュンピアス。その夫で、ギリシアの覇者となりながら暗殺されたフィリッポス2世。フィリッポスの7番目の妻で、暗殺事件の一因を作ったとも言われるクレオパトラ。アレクサンドロスの妹で、オリュンピアスの弟であるモロッソイ(エペイロス)王に嫁いだ同じ名前のクレオパトラ。クレオパトラというのは、エジプト女王として有名だが、マケドニア人にはよくある女性名らしい。なお、妹のクレオパトラの夫であるモロッソイ王は、これまたアレクサンドロスという名である。実にややこしい。
 さらに、アレクサンドロスの異母妹で、好戦的なイリュリア人の血をひくキュンナと、その娘(つまりアレクサンドロスの姪)で、自ら軍を率いて戦場に出たエウリュディケ。大王の妻となったペルシア人ロクサネ。大王のもう一人の異母妹で、マケドニア王家を簒奪したカッサンドロスの王妃となったテッサロニケ。
 こうして見ると、主要人物たちはほとんど女性である。「マケドニア王家の女たち」というタイトルにしてもよかったかもしれない。
 それにしても、マケドニア王家とそれに関わる人々は、呪われているのかと思うほど、みんなろくな死に方をしていない。アレクサンドロス大王自身は病死しているのだが、それ以外は権力争いの渦中で、ほとんどが非業の死を遂げているのだ。まあ、自業自得というか、互いに殺し合ったケースもかなりあるのだが。
 エピローグで、著者自身が、「オリュンピアスを主人公としながら、本書の後半は、エウリュディケを含めた前四世紀後半マケドニア王家の女性たちの死闘の物語となった」と書いている。メインテーマであるオリュンピアスに限らず、血なまぐさい権力闘争の中で散っていった悲劇の女性たちに、著者もかなり思い入れがあるようだ。特に、ここにも名前が出てくる、「戦う王女」エウリュディケなど。

 ところで、岩明均が『月刊アフタヌーン』に連載しているマンガ『ヒストリエ』にもこのへんの女性たちがやがて出てくると思うのだが、どんな描かれ方をするのだろうか。なお、『ヒストリエ』の単行本5巻にエウリュディケという女性が出てくるが、これは年代からして上のエウリュディケとは別人。フィリッポスの第7夫人クレオパトラにあたる人物らしい(名前について、2説あるのだ)。今のペースだと、大王の姪のエウリュディケが出てくるのが何年先になるのかわからない(というか、出てくるのか?)。

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2009年9月29日 (火)

難読語の由来

難読語の由来/中村幸弘(角川文庫ソフィア,1998)
 著者は国語学者で、古語や古典についての本を何冊か出している。
 この本は古語ではなく、現在使われている言葉を扱っているが、その歴史的由来を解説しているので、内容はやはり古語に関係がある。逆に言うと、古語の専門家でないと書けない本である。
 タイトルには「難読」とあるが、実際にはよく使われていて、読みが広く知られている言葉が多い。が、慣用的に使っているため、読めないような文字ではないのだが、どういうわけでそう読むのか、改めて問われるとわからない、そういう言葉を集めて、50音順に並べている。

 例えば「欠伸」はなぜ「あくび」と読み、「台詞」はなぜ「せりふ」と読むのか。他にも、「小豆(あずき)」、「時雨(しぐれ)」、「梅雨(つゆ)」、「山羊(やぎ)」など、考えてみると不思議な読み方の言葉が多いのに、改めて気づく。
 なんとなく想像がつく由来もあるが、なぜそんな読み方になったのか、まったく見当がつかない言葉の方がはるかに多い。そんな疑問を、著者は古くは『日本書紀』から、近代の国語辞書や研究書まで、古今の文献を引きながら解き明かす。
 本書を読むと、「難読語」の発生パターンとしては、だいたい以下の3種があることがわかる。
 本来は中国語の熟語で、それに対応する日本語の読みを当てたもの。いわば熟語の訓読み。「欠伸(あくび)」、「海月(くらげ)」など。
 日本語に後から漢字の造語を作って当てはめたもの。「梅雨(つゆ)」、「松明(たいまつ)」など。
 漢字の音読み、または中国語の読みが変化したもの。「双六(すごろく)」、「猛者(もさ)」など。
 中には、複合的な要因が組み合わさって、漢字からは想像もつかない読みになった「心太(ところてん)」みたいな例もある。

 雑学か教養か学問か、どう呼ぶにしても、身近な言葉についての意外な発見に満ちた本である。重版されてないのが惜しまれる。

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2009年9月 6日 (日)

フランス中世史夜話

フランス中世史夜話/渡邊昌美(白水社,1993)
 フランス中世史の専門家が語る、ヨーロッパ中世の様々なエピソードを中心にした史談集。タイトルには「フランス」とあるが、フランスを中心にした西ヨーロッパ全般を扱っている。読んだのはハードカバーだが、その後、白水Uブックスから再刊された。
 26の章に分かれているが、全体的な構成があるわけでもなく、章に番号がふられているわけでもない。要は、どこから読んでもかまわないということだろう。こういうエピソード集みたいな本には、その方がふさわしいかもしれない。
 内容は、歴史の概説には出てこないような小ネタがほとんどで、歴史ファンにはそこが惹かれるところ。 ただ、時代や地域についての全般的な説明は何もないので、逆に歴史に詳しくない人が読むと、とっつきにくいかもしれない。
 例えば、最初の章「騎士のおそれ」。一見華やかに見える中世騎士の内実と、騎士が合戦の主役から引きずり下ろされる有様を、実際の戦いのエピソードに基づいて語っているのだが、冒頭、いきなり、「ノートルダム聖堂の塔や聖マルタン僧院の鐘楼からは、北西の野がよく見えた」という当時の年代記の引用で始まる。引用に続く本文は、「一三〇二年七月十一日、フランドル諸都市の連合軍はクールトレー公害にフランス国王軍を撃破した」と、淡々と事実を報告していく。
 この時なぜフランス国王軍とフランドル諸都市連合軍が戦うことになったのかは、後の文章をよく読むとわかるようになっているのだが、当時のフランス王国やフランドル地方の地理的、政治的状況全般についての説明(例えばこの当時のフランドルはオランダ独立のはるか以前、ブルゴーニュやスペインの領土になるよりも前で、神聖ローマ帝国の一地方にすぎない、とか)は、特に書いてない。改めて説明するまでもなく、読者がある程度知っていることを想定しているのだろう。

 とはいえ、細かいことを気にせず、知らない地名や人名が頻出するのはファンタジーでも読んでるつもりになれば、それはそれで結構おもしろいかもしれない。
 実際、「建国者コナン」では、ブルターニュの伝説上の建国者コナン王、「海底の都」では、同じくブルターニュの伝説に出てくる海に沈んだ都イス(往年のパソコンゲーム「イース」の名前の元になった)、「ジェヴォーダンの魔獣」では、映画にもなったフランス南部での魔獣騒ぎ、「蛇体の妃」では、名門リュジニャン家の開祖にまつわる蛇体妃メリュジーヌの伝説について語っている。他にも異端、亡霊、異教の伝説といった、歴史の裏側に隠されたエピソードが数多く取り上げられていて、ファンタジーのネタを探したい人には役立ちそうな本でもある。

 ただ、ヨーロッパ中世について、「暗黒の中世」とはいうが、実はそんなに暗黒でもなかったのだよ――と、最近の歴史の本では復権する傾向にあるだが、この本はそんな動きに逆行している。残酷な事件、凄惨な戦い、怪しげな伝説、息苦しいキリスト教の桎梏、そんなものばかりが目について、血なまぐさい暗黒の時代、というイメージが補強されてしまう。それはそれで、「文明的な中世」よりおもしろかったりするから困るのだが。

フランス中世史夜話 (白水Uブックス)
(白水Uブックス版)

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2009年9月 3日 (木)

世界人名ものがたり

世界人名ものがたり 名前でみるヨーロッパ文化/梅田修(講談社現代新書,1999)
 タイトルは「世界人名」となっているが、サブタイトルが示唆しているように、ヨーロッパの人名についての本。それも、英語圏でよく使われる人名が中心。まあ、200ページちょっとの新書で世界中の人名について語るのは無理な話だし、著者が英語の専門家なので、英語に偏るのは仕方がないところか。
 まず「序」でヨーロッパの人名について概略を述べた後、1章から5章までの各論で、代表的な名前(姓ではなく、ファーストネームの方)を取り上げて、その由来、各国ごとのバリエーション、同名の有名人のエピソードなどを語る。このエピソードの部分は、歴史にちょと詳しい人間なら知っているようなものが多いのだが、「名前」という共通項で時代も場所も違う歴史上の出来事をつなぐ語り方はあまり例がなく、つい興味をひかれて読んでしまう。
 何より、1章から5章までの構成がよくできている。
 各章で取り上げられている主な人名(英語形)は、次のようなもの。1章ではジョン、エリザベス、マイケル、メアリーなど。2章ではヘレン、アレクサンダー、フィリップ、ジョージ、マーガレットなど。3章ではジュリアン、エミリア、マーティン、ルーシー、ローレンスなど。4章ではルイス、チャールズ、ヘンリー、ロバートなど。5章ではブリジット、アーサー、ジェニファー、ブライアン、ドナルドなど。
 どれもこれも、英米人によくある名前ばかりだが、どういう原理で分けられているかわかるだろうか。
 実はこれらは、言語的な起源が違う。それぞれ、元は別々の言葉を話す別々の民族の名前だったのだ。
 第1章は、聖書に出てくるヘブライ語起源の名前、つまり古代ユダヤ民族の人名。第2章は、古代ギリシア人の名前が起源で、元をただせばもちろん古代ギリシア語。第3章は古代ローマ人の名前を起源とするもので、元来はラテン語。第4章はゲルマン系の名前で、古ゲルマン語は英語の遠い祖先だから、この章の名前だけは、イギリス人が直系の先祖から受け継いだものと言えるわけだ。第5章は、フランスやイギリス諸島の先住民、ケルト民族の名前が起源で、現在のウェールズ語やゲール語の祖先である古ケルト語に由来する。
 各章ごとに個別の名前の由来だけでなく、その文化的背景も説明してあって、今のヨーロッパ、というより西欧文明そのものが、いかに多様な文化の積み重ねの上に成り立っているかがわかる。それを章立ての構成だけで浮き上がらせる巧みさには感心する。
 最後にロシアや北欧の名前について解説する6章があるが、これはつけ足しのようなもの。
 とにかく、歴史ファンであり言語ファンでもある人間にとっては、興味のつきない内容で、新書だからしかたがないけど、できればもっとボリュームが欲しかった。ついでに、索引も欲しかった。
 だから、この本を読んだ当時、あとがきの最後で著者が「まもなく刊行予定の『ヨーロッパ人名語源辞典』(大修館書店)をご参照ください」と書いてあるのを読んで、大いに期待したものだ。
 予告どおり本書の約半年後に刊行された『ヨーロッパ人名語源辞典』は、400ページ近い大判ハードカバーの本で、満足のいく内容だった。値段もそれなりだったが。何より、詳細な索引がついているのがいい。ちなみに、この本の構成は本書とまったく同じである。内容も重なっている部分が多く、本書の拡大版といっていい。ということは、『ヨーロッパ人名語源辞典』があれば、本書は別にいらないのか...。

ヨーロッパ人名語源事典
(これは『ヨーロッパ人名語源辞典』の方)

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2009年8月20日 (木)

セント・メリーのリボン

セント・メリーのリボン/稲見一良(新潮文庫,1996)
 稲見一良の作家活動は5年にすぎない。癌で余命いくばくもないことを知りながら、文字どおり命を削るような作家活動だった。
 本書は短篇5編を収録。1993年に発行された単行本の文庫化。(このブログはあくまで「自分が読んだ本」について書くものなので、絶版になった新潮文庫版なのだが、2006年に光文社文庫から再刊されている。)
 ところで稲見一良と言えば、通常はハードボイルド作家と思われているが、収録作はそう呼んでひとくくりにできるようなものではない。
 ヤクザに追われる逃亡者を助ける謎の老人が登場する「焚火」、収録作中で一番長い、猟犬の探し屋という奇妙な職業の男を主人公にした表題作「セント・メリーのリボン」は、確かにハードボイルドと言っていい。謎の老人も猟犬専門の探偵も、やたらと強く、かつカッコいい。弱きを助け強きをくじく、タフな男の見本である。なお、「セント・メリーのリボン」は、『猟犬探偵』として1冊にまとめられているシリーズの第一作にあたる。(『猟犬探偵』には、この作品自体は含まれてない。)
 かと思えば、トーチカの廃墟が現代と終戦時とを結ぶ「花見川の要塞」は、一種のSFもしくはファンタジーである。現代と過去との交錯の具合が見事で、タイムスリップものとしてよくできている。
 また、「終着駅」では、東京駅を舞台に、いまでは消滅してしまった職業「赤帽」が、一世一代の大仕事をしでかす。一種の犯罪を描いているのだが、こんなさわやかな犯罪小説は滅多にない。この作品が書かれたのは、東京駅の赤帽が廃止される数年前、ぎりぎり間に合ったわけだ。
 で、なぜか収録作中で一番気にいってしまったのが、「麦畑のミッション」。第二次大戦中のB17パイロットを主人公にした、戦争小説。この作品だけが、舞台が日本ではなく、登場人物も日本人ではなく、時代も現代ではない。ドイツを空襲に行った爆撃機が、損傷を受けながらも帰ってくる、それだけの話だが、長さのわりに読み応えはたっぷりとある。わずかな文章の中に、10人を超える登場人物たちの個性を鮮やかに描き出す筆力も光る。
 全体として、心優しい男たちのためのファンタジーとでも言えばいいのだろうか。文章のタッチはあくまでハードボイルド、しかし話はどれも心に沁みるいい話ばかりで、しかも軟弱ではなく、一本太い芯がとおっている。

セント・メリーのリボン (光文社文庫)
(これは光文社文庫版)

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2009年8月17日 (月)

南北戦争

南北戦争 49の作戦図で読む詳細戦記/クレイグ・L・シモンズ;友清理士訳(学研M文庫,2002)
 学研M文庫というのは、一風変わった文庫で、この本みたいな戦史関係、時代小説、架空戦記、架空歴史小説といったものを主として出していて、普通の小説やノンフィクションは、ほとんどラインナップに入ってない。たまに澁澤龍彦や種村季弘のエッセイ集を出したりもするが。変わってはいるが、実はけっこう私の好みの本が多かったりする。

 それはともかく、本書は、南北戦争の最初から最後まで――つまり、1861年4月の南軍によるサウスカロライナの北軍拠点サムター砦の攻撃から、1865年4月、ヴァージニア州の片田舎で南軍最後の主力部隊を率いるリーが北軍のグラントに降伏するまで――を、純軍事的視点から、サブタイトルのとおり作戦図を豊富に使いながら解説した本。
 南北戦争をこういう視点から扱った日本語の本としては初めてではないか。というか、日本で発行された南北戦争に関する本自体、特に一般向けの本は、ごく少ないのだが。
 南北戦争のさまざまな戦場や人物やエピソードは、多分アメリカ人にとっては常識的な知識で、エッセイや小説の中に説明抜きで出てくることも多いだろう。
 戦場の地名で言えば、有名なゲティスバーグはもちろん、フレデリクスバーグ、チャンセラーズヴィル、ヴィックスバーグ、ブルラン、あるいは、アメリカ海軍の軍艦の名前にもなっている、ヨークタウンにアンティータム。人名で言えば、北軍のグラント、シャーマン(戦車の名前になった)、ミード、フッカー、南軍のリー、ボーレガード、ロングストリート、"ストーンウォール"ジャクソン…。アメリカ人にとっては歴史の常識であるそういった名前の数々について、具体的な事実や事績を知ることができる。
 訳者あとがきによれば、訳者はこの本の翻訳を始めるまで、南北戦争について「ほとんど何も知らない」状態だったそうだ。それが、翻訳しているうちに、この本自体から学ぶことができたのだという。それくらい参考になる本だということだろう。
 ただ、軍事面に記述を絞りすぎていて、その背後の政治や社会の動きがほとんど触れられてない。そのへんは普通の歴史の本を読んでくれということか。
 ところでこの本を読むとよくわかるのだが、南北戦争は最初のうちは南軍が勝利を重ねていた。だが、圧倒的な経済力と物量を誇る北軍が次第に優勢になり、最後には兵力も物資も底をついた南軍が降伏するのだ。この展開は太平洋戦争とよく似ている。アメリカが得意とする戦い方は、この時代から確立されていたようだ。

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2009年8月 4日 (火)

地下街の雨

地下街の雨/宮部みゆき(集英社文庫,1998)
 このブログのレビュー第1回「(2007年)2月に読んだ本から」(2007年3月12日)に、『あやし』が登場して以来、2回目の宮部みゆきの本である。でも、読んだのはこっちの方がずっと前。
 『あやし』はミステリではなく江戸怪談集だった。この本もミステリというより、いわゆる「奇妙な味」の小説を集めた短編集。作品の傾向はバラエティに富んでいる。
 表題作「地下街の雨」は、ちょっとトリッキーなラブストーリーの変形。
 「決して見えない」は、予定調和的なラストに収束する古典的怪談。
 「不文律」は、ちょっとしたきっかけで日常を支えている精神が崩壊する怖さを描いた、一種のサイコスリラー。
 「混線」は、ちょっとホラーコミックを思わせる(しかし決してマンガにはできない)、軽いタッチのホラー。
 「勝ち逃げ」は、この本では唯一といっていいくらいほのぼのとした話。カタブツと思われていた女性教師が死んだ後、親戚の女の子が偶然手にした一通の手紙から過去に秘められたロマンスが明らかになる。
 「ムクロバラ」は、あの「サカキバラ」を意識したのかと思われるネーミングで、人間にとりついて衝動的な殺人に駆り立てる「何か」の存在を暗示する不気味な心理ドラマ。正直、これが一番こわい。
 と、こうして見ると、ホラー作品が結構多いのだが、収録作中で唯一、SFテイストを感じる作品が「さよなら、キリハラさん」。家の中でだけ、しかもある時間だけ家族全員の耳が聞こえなくなるという奇現象と、突然家に現れる「銀河系共和国」の使者と名乗るキリハラなる人物をめぐる騒動の話で、設定もストーリーも一番おもしろい。ラストにもうひとひねり欲しかったという気もするが
、「ひとひねり」したら本当にSFになってしまうから、これはSF者の余計な願望だろう。

地下街の雨 (集英社文庫)

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2009年7月22日 (水)

一日江戸人

一日江戸人/杉浦日向子(新潮文庫,2005)
 2005年7月に46歳の若さで亡くなった杉浦日向子の、イラストつきエッセイ。この文庫本の出版は2005年4月なので、本当に亡くなるちょっと前。もっとも、オリジナル版は1998年に出ている。
 内容は、「江戸人」としての生活入門書、とでも言おうか。江戸の生活について、身なりから生活習慣、料理、娯楽など、各テーマごとに短い文章とイラストで手際よくまとめている。――と書くと、ありきたりの江戸時代解説書みたいだが、実は随所にユニークなテーマが散りばめられている。
 例えば、「大道芸」の項では、思わず脱力するようなしょうもない芸の数々をイラストで紹介し、「義賊列伝」では、江戸を騒がせた「五大小僧」を表にまとめ、「傾く(かぶく)」では、江戸のカブキ者たちの生態を図解する。江戸人が想像した未来社会予想、なんていう日本SF史の資料になりそうなテーマまである。
 元マンガ家だけあって(この本を書いた頃はすでにマンガ家は引退)、イラストと文章がうまく補完しあっていて、どちらの分量が増減してもバランスが崩れるような、絶妙な構成になっている。ただ、文字で書くのが難しそうなことはすぐ絵に描いてしまうのは、マンガ家出身の習性か――と思わせる面もある。それが悪いわけではないが。

 同じ江戸生活ものでも、石川英輔みたいにやたら現代社会批判を繰り広げたりせず、くどさがない分、好感がもてる。ただ、文字どおり「江戸」人のための案内となっていて、同じ江戸時代でも、江戸以外の地方の話は全然出てこない。特に東京の街に江戸の面影をさがす街歩きガイド「江戸見物」など、東京以外に住んでる人間にはいまいちピンと来ない部分もある。逆にいうと、東京以外の住民にとっては、異世界をかいま見るような気もする案内でもある。
 病魔に倒れなければ、著者はまだまだ活躍していたはずである。この才能が失われたのは惜しい。

一日江戸人 (新潮文庫)

 

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