だいぶ前に読んだ本

2021年3月23日 (火)

乱世に生きる

乱世に生きる 歴史の群像/中村彰彦(中公文庫,2001)
 この著者の本は、2年ほど前に本ブログで『武士たちの作法』という歴史エッセイをまとめた本を紹介したことがある(2019年3月25日のエントリー)。
 そちらの本は、戦国時代と幕末をテーマにしたエッセイが中心だったが、本書の場合は、平安時代から昭和初期まで、扱う時代は幅広い。「群像」というサブタイトルが示すとおり、大半が歴史上の有名無名の人物をテーマとするエッセイ。『武士たちの作法』を読んだ時は、この著者の本領は人物エッセイにあると思ったが、その印象を裏づける内容だった。

 時代別に4部構成になっている。
 Ⅰ「武将たちの時代へ」は、平安末から戦国時代までの人物を取り上げている。タイトルはすべて人物名で、待賢門院璋子、藤原秀衡、足利尊氏、板垣信方、武田勝頼、毛利元就、長宗我部盛親、直江兼続。
 Ⅱ「江戸を生きる」は、江戸時代初期から中期。「北政所・淀殿」、「徳川家康」、「真田幸村」など、やはり人物エッセイが中心だが、それ以外の、関ヶ原合戦史や尾張藩の忍者集団についての珍しい記録もある。
 Ⅲ「幕末の人と事件」は、人物というより出来事を中心とした文章が多い。。「ドキュメント攘夷決行」、「ドキュメント長州征討」、「薩長同盟と王政復古」、「徳川慶喜」、「新撰組隊士・斎藤一のこと」、「沖田総司は黒猫を見たか」、「幕末受難の家老たち」。
 Ⅳ「明治の気骨・大正の夢」は、明治以降の人物を扱っている。後の方になると政治家や軍人ではない民間人が主役になるのだが、歴史上の有名人物よりも、こっちの方が面白い。知らないからこそだろう。「佐川官兵衛討死の光景」、「明治顕官たちの「那須野ヶ原」開拓物語」、「榎本武揚と福島安正」、「島村速雄」、「秋山真之」、「松江春次」(サイパン島の砂糖王)、「松旭斎天勝」(一世を風靡した女性マジシャン)、「ラグーザお玉」(イタリアで活躍した女性画家)。

 歴史上の人物や出来事についての見解は実にオーソドックスで、伝統的な説を出るものではない。本業の歴史学者ではないのだから、それでいいのだろう。独創性はあまり感じないが、題材の選び方や、限られた文字数で容量よくまとめる腕は職人の業というべきである。

Ranseniikiru

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2021年3月11日 (木)

カラ・ブラン

カラ・ブラン 黒い嵐/鈴木了三(皆美社,1977)
 前回に続いて、珍品と言っていいだろう。というか、この本の存在を知っている人はほとんどいないのではないかと思われる。
 著者鈴木了三は、他に『中国怪異集』とか『中国奇談集』という本を出しているので、中国が専門の人らしいが、経歴とか一切不明。出版社も聞いたことがない(今でも存在はしているらしい)。
 そんな得体の知れない本だが、何十年も前から持っていたのが不思議である。どこで買ったのか全然覚えてない。
 内容は、紀元前2世紀の匈奴の王、冒頓単于を主人公にした歴史小説。古代の話なのでやや神秘がかってはいるが、そんなに突飛な内容ではない。

 物語は匈奴と対抗する国家「月氏」の都城から始まる。
 匈奴の頭曼単于の長男冒頓は、継母の邪壱に疎まれ、月氏への人質に差し出されていた。そんな逆境の中でも、冒頓は月氏の王女阿美奈(可汗・姑利泥の娘)と親しくなったり、祭りの武術比べで優勝して可汗から名馬をもらったりする。
 やがて匈奴の兵が月氏に攻めて来る。人質の冒頓が殺されてもかまわないという、邪壱の差し金だった。しかし冒頓は阿美奈の助けを借り、戦の混乱にまぎれて名馬とともに都城を脱出する。
 匈奴に帰国した冒頓の人気は大いに上がった。自分の子の布安を跡継ぎにしたい邪壱は、ついに冒頓の暗殺をたくらむ。冒頓は毒に倒れるが、侍女の野うさぎに助けられてかろうじて命をとりとめる。生きるためには頭曼を殺すしかないと腹を決める冒頓。策をさずけるのは野うさぎ。実は野うさぎは匈奴のライバル部族「東胡」の娘。頭曼を親の仇と狙っていたのだった。
 狩りに誘い出された頭曼は、冒頓とその部下の矢で殺される。しかし野うさぎも流れ矢で死んでしまう。
 頭曼に続いて邪壱と布安も殺される。血を血で洗うような争いの果てに、冒頓はついに単于になる。――と、ここまでが約半分。
 後半は、匈奴を大帝国に成長させた冒頓単于の事績そのままの、戦いに次ぐ戦いの物語である。東胡を破って東に追い、月氏の都城を襲って激戦の末にこれを陥落させる。
 かつて冒頓を助けた阿美奈は、月氏の都から脱出し、祁蓮山を根拠地として匈奴と対抗するという道を選ぶ。冒頓は、「祁蓮山にこもっておれを狙うのが姫の願いなら、甘んじてそれを受けよう」と、阿美奈の侍女丹羅に語る。
 ここからまたドラマが始まりそうなのだが、この物語はここまで。
 月氏への遠征から帰路につく冒頓の一行を、砂嵐カラ・ブランが襲う。カラ・ブランとはゴビ砂漠に吹きすさぶ嵐のことなのだ。
 そして、カラ・ブランが去った後には、死の沈黙だけが残っていた――というところで終わり。冒頓は砂嵐の中で死んでしまったような書き方である。
 実際には、冒頓単于の活動はこの後も続く。このラストだけがなぜか現実離れしているのである。歴史の虚しさみたいなものを象徴しているのかもしれない。

 

 

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2020年11月 3日 (火)

英語の謎

英語の謎 歴史でわかるコトバの疑問/岸田緑渓、早坂信、奥村直史(角川ソフィア文庫,2018)
『歴史から読み解く英語の謎』(2002)の、改題・文庫化。
 英語の語法、発音、綴り、文法、語彙などに関する素朴な疑問を、英語史から説明する本。
 素朴な疑問と言っても、これまで「そういうものだ」と思っていて、疑問にも思っていなかったことが多い。
 例えば、「thanksはなぜ複数形なのか」とか。「It rained.のitは何か」とか(itは神のこと、というのは俗説らしい)。「oneはなぜ「オネ」と発音されないのか」とか。「will notの短縮形はなぜwon'tなのか」とか。「be動詞はなぜam,is,areと変わるのか」とか。「goの過去は、なぜgoedでなくwentなのか」とか。
 そんな英語の「謎」の数々を掘り起こし、なぜそういう表現や発音になったかという理由を、歴史的に解明していく。
 例えば、be動詞やgoの変化の話には「意外な真実」があった。元は別の動詞が変化形として組み込まれていたのだという。
 また、ところどころに引用されている10世紀頃の英語というのが、まるで別の言語みたいで興味深い。
 こんな感じである。()内は今の英語に直したもの。

 Eadige synd tha the nu wepath, forthamthe hi beoth gefrefrede.
(Blessed are those who now weep, because thay shall be comformed.)

 英語の語源や歴史についての知識が詰まっているが、読んでも別に英語力が向上するわけではないと思われる。「語学」ではなく、「英語学」の本なのである。

Eigononazo

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2020年10月30日 (金)

殿、ご乱心でござる

殿、ご乱心でござる/中山良昭(洋泉社・歴史新書,2016)
 江戸時代、さまざまな理由から藩の存続を危機に追いやり、大名の地位を追われた「乱臣の殿様」たちの行状をまとめた本。
 取り上げた事例はけっこう多いが、なにしろ殿様一人あたり2ページから、長くても6ページ、大半は4ページ。おまけに字が大きい。ページ数も200ページ足らずだし、正直言って読みごたえは薄い。早く読めるのだけが取り柄。

 第1章「刃傷事件――人を殺めた殿様」。いきなりとんでもない殿様たちが集まっている。トップは赤穂藩の浅野長矩で、これはやはりそうかと言う気がする。
 他に内藤忠勝、水野忠恒など、全7人。さすがに殺人ともなると切腹という処分が多いが、水野忠恒みたいに、発狂扱いで蟄居謹慎という処分もある(藩は改易だが)。
 第2章「狂乱殿様――発狂してしまった殿様」は、松平忠之、松平光通、稲葉紀通など8人。「乱心」の本来の意味に一番近い人たちである。
 陽明学にのめりこんだり、残虐行為に走ったり、鬱病になったり。中には伊丹勝守みたいに、江戸城の厠で自殺したということしかわからない謎の死をとげた人もいる。実のところ、本当に狂ったのではなく、都合により発狂したことにされた人もいたのではないかと思われる。他の章にもそういう事例は多数ある。
 第3章「セクハラ大名――女性問題でしくじった大名」。江戸時代にセクハラなんて概念はあり得ないので、このタイトルはちょっとどうかと思う。それはともかく、吉原の大夫に入れあげたり、酒食にふけったり、要するに女性関係で不行跡があったということである。伊達綱宗、前田茂勝など5人。
 第4章「幽閉藩主――投獄された殿様」。これは要するに、家臣とのトラブルで失脚した殿様たち。水野忠辰、溝口政親など7人。この人たちは本当に乱心したのではなく、そういうことにされたのだろう。
 第5章「幕政批判――幕府に反逆した殿様」。幕府に反逆というか、むしろ立場は逆で、時の将軍にとって都合が悪いから消された、みたいなケースが目立つ。松平忠輝や徳川忠直など、その典型。他に堀田正信、坂崎直盛など、全7人。最後の坂崎などは本当の乱心だが、その他は前の章と同じように、名目上発狂として処理された場合が多い。
 第6章「御家騒動――家臣と喧嘩した殿様」。これも家臣とのトラブル。大名が偏狭で独善的だったりするケースが多いが、単に性格に問題があるだけで、乱心というのはどうなのだろう。トラブルの果てに正気と思えない行動をする事例もあるようだが(加藤明成みたいに)。黒田忠之、伊達秀宗、宗義成、徳川光圀など9人。
 あの水戸黄門こと徳川光圀も入っているのである。よほど気に入らなかったのか、家臣を斬ったのだが、御三家の威光のおかげか御家騒動にまではならなかった。しかし徳川光圀も、かなりヤバい人だったのは確かなようである。

 こうしてみると、たまに有名な人も出てくるものの、ほとんどは親藩や譜代の中小大名の事例。大藩はあまり出てこないが、その中で前田家と伊達家だけが妙に多い。不思議なような、やはりそうなのかという気もするような…。

Tonogoranshin

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2020年8月26日 (水)

漢字の魔力

漢字の魔力 漢字の国のアリス/佐々木睦(講談社選書メチエ,2012)
 漢字についての本は今までずいぶん読んできたし、本ブログでも何冊かは紹介した。
 例えば、『日本の漢字』笹原宏之(2007年4月13日)、『漢字三昧』阿辻哲次(2008年8月18日)、『漢字と図形』渡辺茂(2015年2月21日)、『漢字の字形』落合淳思(2019年9月23日)など。なぜか「漢字の本」が好きで、ついつい読んでしまうのである。
 本書を読んだのは数年前だが、それ以前やそれ以前に読んだあまたの「漢字の本」と比べても、そのユニークさは類を見ない。
 何しろ、書き出しからしてこんな感じ。

 今晩は中秋の名月。アリスちゃんはお姉さんのそばに座り、月餅をほおばりながら時折お姉さんの読んでる本をのぞきこんでいましたが、それにもだんだん飽きてきました。だってその本は絵ばっかりだったんですもの。
「漢字の書いてない本なんて何の役に立つのかしら?」

 ――という、漢字が大好きという変な少女アリスを狂言回しとして、漢字の国を旅していくという趣向なのである。
 もっとも、アリスが登場するのは各章の最初の4ページくらいで、本文は普通に書かれている。いくら何でも最初から最後までこんな調子では書けなかったらしい。
 とはいえ、本文もテーマとしてはユニークなものばかり。この本で紹介されているのは、日本の漢字ではなく、中国の奇想天外な漢字の世界なのだ。
 内容は9章構成。

 上の文章が出てくるプロローグに続いて、第一章「辞書にない漢字」は、中国の合体文字や転倒文字など、辞書にない漢字の数々。
 第二章「文字の呪力」は、漢字の発音を使ったことば遊びの世界。もちろん中国語での発音である。
 第三章「名前の秘密」は、人名と漢字の呪力について。君主や親の名前を徹底的に避ける「忌諱」の話も出てくる。
 第四章「漢字が語る未来」は、漢字の将来についてのマジメな話――ではなくて、漢字占いの世界。
 第五章「怪物のいない世界地図」は、地名と漢字の話。特に外国地名の漢字化について。すべての固有名詞を漢字化する中国ならではの話題。
 第六章「漢字の博物学」は、動物名と漢字の関係を語る。クジラが魚ヘン、虹が虫ヘンになっているわけなど。
 第七章「絵のような漢字と漢字のような絵」は、漢字で描く「絵」。漢字を変形させて絵にしてしまうわけである。
 第八章「浮遊する文字――漢字のトポグラフィー」は、今までの話題とは一転して、近代中国と漢字の社会史みたいなもの。漢字そのものからはちょっとはずれるが、テーマとしては一番面白い気がする。
 第九章「漢字が創る宇宙」は、中国の漢字まみれの宇宙を自在に語る。則天武后と新漢字の話など。日本の話も最後に出てくる。

Kanjinomaryoku

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2020年7月 9日 (木)

土民嗷々

土民嗷々[ごうごう] 一四四一年の社会史/今谷明(創元ライブラリ,2001)
 嘉吉元年(1441年)という特定の1年だけに焦点を当てた異色の歴史本。1988年刊の単行本の文庫化。
 この年は、動乱が相次いだ室町時代の中でも、特筆すべき波乱の年だった。関東の戦乱に始まり、将軍の弟の謀反、将軍足利義教の暗殺、赤松氏討伐戦、土一揆の大蜂起、徳政令…。
 そんな出来事が次から次へと起きる激動の中で、幕府、大名、地方の武士たち、公家、寺社勢力、商人、庶民に至るまで、悪戦苦闘する人々の姿を活写している。
 具体的には、次のような内容。

 第1章「叛逆者の群像」は、正月から3月までのできごと。関東の戦乱が中心。永享の乱の続きとも言うべき結城合戦の最終盤、下総結城城の攻囲戦。一方畿内周辺では、将軍義教の弟、大覚寺義昭(「ぎしょう」、足利将軍家の一員だが、もちろん戦国時代の「よしあき」とは別人)が謀反をたくらみ、逃亡の末謀殺される。
 第2章「万人恐怖」は4月から5月のできごと。1章でも描かれていた将軍義教の専横がエスカレートする様子が中心になる。関東では結城合戦が終幕を迎えて反幕府勢力が滅亡、今や義教に敵対する者はいなくなったかに見える。
 第3章「赤松囃子」は大異変の6月から8月初めまで。6月24日、赤松満祐による将軍暗殺事件、嘉吉の変が勃発。独裁者義教が死ぬとともに、興福寺衆徒の蜂起、河内での畠山氏の内紛と、あちこちで動揺が起き始める。
 第4章「土民嗷々」は、8月から9月前半。京都周辺で大規模な土一揆が勃発し、洛外の主要寺社が一揆に占領される。一揆を勢力の要求は、徳政令公布、早い話が借金棒引き。一方、播磨では将軍を殺して領地に逃亡していた赤松氏と幕府軍との戦いが起きる。激戦の末赤松氏宗家は滅亡。
 第5章「本主に返付せらるべし」は、9月から10月にかけて。幕府は徳政令を公布する。要するに一揆の鎮圧ができなかったのである。ただ、徳政令と言っても単純に借金をチャラにするわけではなく、公布後の交渉や事務処理が実にややこしいことが説明されている。貸主も黙っていたわけではなく、延暦寺は徳政令の扱いに関して訴訟を起こす。
 終章「衆議の世界」は、一揆や反逆者たちの後日談。10月以降の出来事は詳しくは触れられていない。それ以後は事後処理の段階で、大したことが起きてないからだろう。

 一年の出来事に限って歴史を語るという手法が秀逸。日本史の中で、こういう書き方ができる盛りだくさんな一年もそう多くはないだろうが、そこに着目したのが、歴史的眼力とでも言うべきものだろうか。

Domingougou

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2020年6月19日 (金)

中国史十話

中国史十話/植村清二(中公文庫,1992)
 単行本の発行は1960年。文庫で200ページあまりの薄い本でありながら、殷から明までの中国の歴史を語る、一般読者向けの歴史本。
 この著者には『万里の長城―中国小史』という中国通史の著作もある。本書と同じく中公文庫から復刊されていて、そちらは300ページ弱。長い歴史を短いページ数に詰め込むのが得意な人だったらしい。(例えば、中国史よりもかなり短い日本の歴史すべてを、200ページくらいの文庫本に収める――と言えば、これがどれくらい圧縮したものかわかるだろう。)

 内容タイトルのとおり、10章に分かれている。各章のタイトルとおおまかなテーマは次のとおり。

「殷虚の発見」:殷王朝の考古学的発見と中国古代史研究の現状。この章は歴史学そのもの。
「稷下の学士」:春秋戦国時代と諸子百家。
「万里の長城」:秦・漢の天下統一と万里の長城物語。
「西域都護」:前漢、後漢の西域経営。特に班超の生涯について。
「出師の表」:諸葛亮物語。
「清談」:晋王朝と竹林の七賢。
「盛唐の長安」:都市・長安の姿と、長安を歌った詩。
「宋の党争」:王安石と新法派・旧法派の抗争。
「草原の史詩」:チンギスカンの前半生。厳密に言うと、「中国史」の範囲からはずれてるような。
「宦官提督」:鄭和の大航海物語。

 簡明にして要を得ていて、それでいて詳しいところは詳しい。半世紀以上前に出版された本だが、中国史の入門書としてはわりとよくできていて、今でも通用する内容。
 ただ、長い歴史のごく一部だけのダイジェストであり、日本とも関わりの深い清朝以降の近現代の歴史に全然触れてない。本書だけでは歴史の全貌がわからない。中国史のエッセンスに少しだけ触れてみて、興味を抱かせるための本と言えるだろう。

 なお、著者はあの直木三十五の弟である(直木三十五の本名は植村宗一)。ドラマチックな語り口は家系によるものだろうか。

Chuugokushijuuwa

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2019年10月16日 (水)

カブキの日

カブキの日/小林恭二(新潮文庫,2002)
 単行本は1998年刊。世紀末に生まれた奇想天外な歌舞伎小説。というか、歌舞伎ファンタジー。あるいは、「反・歌舞伎」小説。
 舞台は、歌舞伎が隆盛を極めるもう一つの日本。つまり平行世界の物語。
 両親といっしょに歌舞伎の聖地世界座へやってきた少女蕪は、案内の若衆から1枚のメモをひそかに渡される。そこには「準備はいいか?」とだけ書かれていた。そこから、無限に続くように見える世界座の中を巡る蕪の冒険が始まる。
 一方で、歌舞伎界を二分する俳優たちの抗争がある。一方は坂東京右衛門を旗頭とする若手俳優たちの反主流・改革派。もう一方は、歌舞伎界の女帝とも言われる女形水木あやめたちの名門主流派。
 その年、もっとも重要な顔見世興行のトリの役が、坂東京右衛門たち反主流派に割り当てられていた。改革派を陥れるための罠ではないかと疑いながら、京右衛門はこの大役に挑む。
 一方水木あやめは、「京右衛門さんは明日から男の腐ったのになって生きてゆくの」と不穏なことをうそぶく。果たして、歌舞伎界の至宝、顔見世興行に欠かせない名刀名古屋丸が、開演の直前に京右衛門の楽屋から不可解な状況で紛失してしまうのだった。
 そんな陰謀渦巻く世界座の中で蕪の果たす役割は何なのか。若衆月彦に導かれ、男装した蕪は世界座の中を進んで行く。死んだはずの祖父、河井世之介と会うために――。
 だが世界座の奇妙な空間はどこまでも続き、世之介はなかなか出てこない。蕪と月彦の前には次々と奇妙な人物やら妖怪やらが現れ、不可解な出来事が起こり、試練につぐ試練をくぐらなければならない。そんな中で蕪は次第にカブキ踊りの才能を開花させていく。
 クライマックスは、修羅場と化した京右衛門の舞台。京右衛門一派と水木あやめ一派、それぞれの贔屓の観客たちの間で大乱闘が始まる。そこへ伝説の名優坂田山左衛門と月彦と蕪が現れる。そして伝説が始まる――。
 というような話で、最後はカブキを超えてなんだかわからない世界に行ってしまった。
 この小説の最大の読みどころは、クライマックスの舞台よりもむしろ、無限の迷路と化した世界座内部のわけのわからなさにあるような気がする。それは、この作品の後間もなくデビューする、森見登美彦の迷宮世界を予言していたようでもある。

Kabukinohi

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2019年5月11日 (土)

カリコリせんとや生まれけむ

カリコリせんとや生まれけむ/会田誠(幻冬舎文庫,2012)
 現代日本美術を代表する作家の一人会田誠のエッセイ集。元は幻冬舎のPR誌『星星峡』に連載したもので、連載の順番に並んでいる。。
 内容は、自分の経験談に愚痴と自虐を散りばめたものが中心。
 最初の「カレー事件」は、家族の思い出。次の「北京メモランダム」は、中国旅行のエピソードや感想を思いつくままに書いたもの。この中に「コミュニケーション能力、好奇心、度胸、記憶力、そういった旅人としての才能が、僕には完全に欠落しているらしい」という自己分析があるが、それは「旅人としての才能」じゃなくて、普通に生きていくための能力じゃないのかという気がする。
「ある近作についてのもにゃもにゃしたコメント」は、自作についての解説、というか弁解。「こんなこと、全部書かなきゃ良かったです」と締めくくっている。
 こんな風に最初から実にとりとめがない。さらにいくつか内容を紹介すると――。
 書名になっている「カリコリせんとや生まれけむ」は、この著者のことだから何か卑猥な内容ではないかと邪推してしまうが、実は頭を掻く癖についての脱力エッセイ。
「ポエム――積年の恨みを晴らす時が来た。ボールよ、おまえを殺す。」という長いタイトルのエッセイは、球技オンチの著者がボールへの恨みつらみをポエムの形で語るもの。
 また、「ボクの料理」という食べ物についてのエッセイの中では、草間弥生をさりげなくディスっていたりもする。
 中にはまるごと妻に丸投げしたエッセイもある。(という設定で実は本人が書いているのかもしれない、という疑い疑いもあるが…)
 巻末近くの長いエッセイ「美術の若者たち」は、ある意味本書のハイライト。美術界の裏側のわけのわからない世界をコミカルに暴いている。自分自身のいろいろとヤバイ行いも含めて。「僕は2回に1回の割合で、人から嫌われたいがために作品を作る」なんて危ない告白(?)もある。
 そして、あとがきに相当する最後のエッセイ「僕の文章」では、この本のことを、「2年間書いたこの肥溜めみたいな駄文の集積」と語っている。最後まで自虐的なのである。

 ――というような、実にまとまりのない内容なのだが、全体的に、悪ガキがそのまま大人になった感じの会田誠の人格がにじみ出ている。芸術家としてはむしろ好ましい。
 ちなみに、ブログ主は別に会田誠の作品のファンというわけではない。

Karikori

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2019年5月 7日 (火)

「城取り」の軍事学

「城取り」の軍事学 築城者の視点から考える戦国の城/西俣総生(学研,2013)
 著者は近年のお城ブームに不満を覚えているという。近世城郭ばかりが注目され、日本の城の九割を占める「高石垣も天守もない」中世から戦国の城があまりに脇に追いやられているのが不満なのだ。
 そんな著者の書く本書は、もちろん戦国時代の城が中心。そして、タイトルにもあるように、「軍事施設としての城」という観点に徹している。
 戦国の城というのはわかりにくいのだそうだ。「だからもしあなたが、城についてわかりやすく説明した本を求めているのだとしたら、残念ながら本書はあまりお勧めできない」と、まえがきで著者自ら断っている。
 そんな予防線を張った上で語る内容は、こんなもの。

 第1章「城を取る――攻めるか守るか」では、:まずは城とは何かという話。そこから「城」と「砦」の違いを語るが、それがなぜか日本海軍の海防艦や、駆逐戦車と突撃砲の違いの話になる。要するに違いがよくわからないということらしい。タイトルにもある「城を取る」とは、城を攻略することではなく、新たに城を築くことを言う昔の用語。
 第2章「なぜ山城か――それぞれの事情」は、山城論。戦国時代と言えば山城。しかしなぜ山城が多かったのか、そしてその実態は、という話。
 第3章「城主たちの亡霊――城の歴史がすり替わる」は、城の主についての根本的疑問を投げかける。城は誰がいつ築いたかという説明は、ほとんど信用できないとのこと。城跡の説明板の8割から9割は読んでも益がないと断言。そもそも誰が城主かという問い自体意味がない城も多いという。
 第4章「幻の館――リアリティーのない平板な図式」は、城の基本プランについて。戦国時代の城でよく言われる「居館と山城」のセットというのは、幻に過ぎない。「方形館」なんてなかった。領主たちが実際に住んでいたのは、防御施設ではなく、ただの館。
 第5章「縄張りの迷宮――オンリーワンの個性たち」は、いよいよ縄張りの話。これが実は著者の一番好きなテーマなのだろう。変わった縄張りを次から次へと紹介する。もちろん詳細な図入り。
 第6章「城と戦争――城の形を決定づける人の営み」は、実際の戦いの中での城の実情。この章にはわりと有名な城が出てくる。長篠城、備中高松城、上田城など。
 第7章「鉄炮と城の「進化」――大きい・小さい・強い・弱い」は、鉄砲や戦術の変化が城をどう変えたか、という城郭進化論。
 第8章「城は何を守るか――築城者たちの本音」。全国には、「なぜこの場所にこんな縄張りのすぐれた城があるのだろう」と思わせる「謎の名城」が数々ある。有名なのは埼玉県にある杉山城など。それは何を守っていたのか。実は守るべきものなどなかった、という著者の大胆な説が、城の存在価値を問い直す。
 第9章「山から降りなかった城――近世城郭の成立を再考する」。最後は近世の「山城から平城」への進化説への疑問。近世城郭へのイメージは本当に正しいのか問い直す。

 というわけで、各章ごとに異なるアプローチで、戦国や近世の城についてのイメージを次から次へとくつがえしていく、なかなか刺激的な本なのだった。しかし、やはりちょっとマニア向けか。本書が楽しめるのはよほどの城好きだろう。

 

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