中国傑物伝
中国傑物伝/陳舜臣(中公文庫,1994)
以前に陳舜臣の『中国美人伝』を取り上げたが(2009年4月27日)、陳舜臣には他にも、『中国任侠伝』、『中国詩人伝』、『中国畸人伝』など、あるテーマに沿って中国史上の人物を集めた歴史読み物がいくつかある。今回の『中国傑物伝』もそのひとつ。
中国史上で著者が「傑物」と見なす16人を選んで、評伝というには軽く、エッセイというには少々学問的な、独特のスタイルにまとめている。もとは中央公論社の雑誌『Will』(1991年で休刊、今出ている右派系雑誌『月刊Will』とは別もの)に連載されていたもので、1991年、『Will』の休刊と同時に単行本が出版されている。
ところで「傑物」というのは、範囲の広い概念で、著者の解釈によってどんな人物でも選ぶことが可能である。歴史上の人物の多くは、どこか傑出したところがあったから名を残したのだろうから、極端に言うと、誰を選んでもかまわないことになる。だからこの本の人物セレクションは、著者の好みがかなり濃厚に反映していると見ていいだろう。本書の解説で井波律子も、「この十六人の顔ぶれの選び方には、陳舜臣氏の志向や好みがくっきりとあらわれており、まことに興味深い」と書いている。
その16人だが、紀元前6世紀の春秋時代から20世紀まで、時代順に並んでいる。
第一話は、春秋時代、越王勾践に仕えた軍師の元祖、范蠡。第二話は孔子の弟子で外交の達人、子貢。第三話は、秦の始皇帝の実の父とも言われ、「奇貨居くべし」の名言で知られる大商人、呂不韋。第四は漢の劉邦に仕えた名軍師、張良。第五話が民間に育って帝位についた漢の宣帝。
こうして一話から五話まで見ると、宣帝は別として、どちらかというと指導者を裏で支えた人物が多い。ではそういう裏方で貢献した人物が中心なのかというと、そうでもなくて、表舞台ではなばなしい活躍を見せた人物もいる。曹操(第六話)。五胡十六国時代の前秦の皇帝、苻堅。北宋の宰相で「改革派」の元祖ともいうべき王安石(第十話)。清の皇帝として中国全土を統一した順治帝(第十四話)。一国の指導者というわけではないが、明の大航海者、鄭和(第十三話)や清末期の将軍、左宗棠(第十五話)も、表舞台の人物だろう。
一方で、裏方的な人物としては、武即天の重臣だった張説(第八話)、五代十国時代、次々と変わる王朝に重臣として仕えた馮道(第九話)、初期モンゴル帝国の官僚として中華文明の価値を主張し続けた耶律楚材(第十一話)、明の朱元璋の天下取りを支えた重臣である劉基、孫文の同志として辛亥革命のための奔走した黄興(第十六話)などがいる。 孔子ではなく子貢、始皇帝ではなく呂不韋、劉邦ではなく張良、劉備や諸葛亮ではなく曹操、朱元璋ではなく劉基、康煕帝ではなく順治帝、孫文ではなく黄興を選んでいるあたりに、著者の志向が見えるような気がする。
呂不韋、張良、曹操、耶律楚材など、小説にもなっている人物もいれば(曹操と耶律楚材は陳舜臣が自分で小説にしている)、知る人ぞ知る的なマイナーな人物もいるし、成功した者もいれば失敗した者もいる。総じて著者は、あまりにも「功成り名遂げた」人物や、あまりにも「世間の評価が高い人物」を避けて、それでいて最後まで自分の生き方を曲げなかった人物を好んで取り上げているようだ。
ところで第七話の苻堅は私もかなり興味がある人物だし、著者も「私は前秦の苻堅の運命を読むとき、いつのまにか涙ぐんでしまう」と書いているくらいで、かなりの思い入れがあるらしい。涙ぐんでしまうとまで書かれている人物は他にいないのだ。陳舜臣は苻堅を長編小説に書いてくれないのだろうか。







