だいぶ前に読んだ本

2020年11月 3日 (火)

英語の謎

英語の謎 歴史でわかるコトバの疑問/岸田緑渓、早坂信、奥村直史(角川ソフィア文庫,2018)
『歴史から読み解く英語の謎』(2002)の、改題・文庫化。
 英語の語法、発音、綴り、文法、語彙などに関する素朴な疑問を、英語史から説明する本。
 素朴な疑問と言っても、これまで「そういうものだ」と思っていて、疑問にも思っていなかったことが多い。
 例えば、「thanksはなぜ複数形なのか」とか。「It rained.のitは何か」とか(itは神のこと、というのは俗説らしい)。「oneはなぜ「オネ」と発音されないのか」とか。「will notの短縮形はなぜwon'tなのか」とか。「be動詞はなぜam,is,areと変わるのか」とか。「goの過去は、なぜgoedでなくwentなのか」とか。
 そんな英語の「謎」の数々を掘り起こし、なぜそういう表現や発音になったかという理由を、歴史的に解明していく。
 例えば、be動詞やgoの変化の話には「意外な真実」があった。元は別の動詞が変化形として組み込まれていたのだという。
 また、ところどころに引用されている10世紀頃の英語というのが、まるで別の言語みたいで興味深い。
 こんな感じである。()内は今の英語に直したもの。

 Eadige synd tha the nu wepath, forthamthe hi beoth gefrefrede.
(Blessed are those who now weep, because thay shall be comformed.)

 英語の語源や歴史についての知識が詰まっているが、読んでも別に英語力が向上するわけではないと思われる。「語学」ではなく、「英語学」の本なのである。

Eigononazo

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2020年10月30日 (金)

殿、ご乱心でござる

殿、ご乱心でござる/中山良昭(洋泉社・歴史新書,2016)
 江戸時代、さまざまな理由から藩の存続を危機に追いやり、大名の地位を追われた「乱臣の殿様」たちの行状をまとめた本。
 取り上げた事例はけっこう多いが、なにしろ殿様一人あたり2ページから、長くても6ページ、大半は4ページ。おまけに字が大きい。ページ数も200ページ足らずだし、正直言って読みごたえは薄い。早く読めるのだけが取り柄。

 第1章「刃傷事件――人を殺めた殿様」。いきなりとんでもない殿様たちが集まっている。トップは赤穂藩の浅野長矩で、これはやはりそうかと言う気がする。
 他に内藤忠勝、水野忠恒など、全7人。さすがに殺人ともなると切腹という処分が多いが、水野忠恒みたいに、発狂扱いで蟄居謹慎という処分もある(藩は改易だが)。
 第2章「狂乱殿様――発狂してしまった殿様」は、松平忠之、松平光通、稲葉紀通など8人。「乱心」の本来の意味に一番近い人たちである。
 陽明学にのめりこんだり、残虐行為に走ったり、鬱病になったり。中には伊丹勝守みたいに、江戸城の厠で自殺したということしかわからない謎の死をとげた人もいる。実のところ、本当に狂ったのではなく、都合により発狂したことにされた人もいたのではないかと思われる。他の章にもそういう事例は多数ある。
 第3章「セクハラ大名――女性問題でしくじった大名」。江戸時代にセクハラなんて概念はあり得ないので、このタイトルはちょっとどうかと思う。それはともかく、吉原の大夫に入れあげたり、酒食にふけったり、要するに女性関係で不行跡があったということである。伊達綱宗、前田茂勝など5人。
 第4章「幽閉藩主――投獄された殿様」。これは要するに、家臣とのトラブルで失脚した殿様たち。水野忠辰、溝口政親など7人。この人たちは本当に乱心したのではなく、そういうことにされたのだろう。
 第5章「幕政批判――幕府に反逆した殿様」。幕府に反逆というか、むしろ立場は逆で、時の将軍にとって都合が悪いから消された、みたいなケースが目立つ。松平忠輝や徳川忠直など、その典型。他に堀田正信、坂崎直盛など、全7人。最後の坂崎などは本当の乱心だが、その他は前の章と同じように、名目上発狂として処理された場合が多い。
 第6章「御家騒動――家臣と喧嘩した殿様」。これも家臣とのトラブル。大名が偏狭で独善的だったりするケースが多いが、単に性格に問題があるだけで、乱心というのはどうなのだろう。トラブルの果てに正気と思えない行動をする事例もあるようだが(加藤明成みたいに)。黒田忠之、伊達秀宗、宗義成、徳川光圀など9人。
 あの水戸黄門こと徳川光圀も入っているのである。よほど気に入らなかったのか、家臣を斬ったのだが、御三家の威光のおかげか御家騒動にまではならなかった。しかし徳川光圀も、かなりヤバい人だったのは確かなようである。

 こうしてみると、たまに有名な人も出てくるものの、ほとんどは親藩や譜代の中小大名の事例。大藩はあまり出てこないが、その中で前田家と伊達家だけが妙に多い。不思議なような、やはりそうなのかという気もするような…。

Tonogoranshin

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2020年8月26日 (水)

漢字の魔力

漢字の魔力 漢字の国のアリス/佐々木睦(講談社選書メチエ,2012)
 漢字についての本は今までずいぶん読んできたし、本ブログでも何冊かは紹介した。
 例えば、『日本の漢字』笹原宏之(2007年4月13日)、『漢字三昧』阿辻哲次(2008年8月18日)、『漢字と図形』渡辺茂(2015年2月21日)、『漢字の字形』落合淳思(2019年9月23日)など。なぜか「漢字の本」が好きで、ついつい読んでしまうのである。
 本書を読んだのは数年前だが、それ以前やそれ以前に読んだあまたの「漢字の本」と比べても、そのユニークさは類を見ない。
 何しろ、書き出しからしてこんな感じ。

 今晩は中秋の名月。アリスちゃんはお姉さんのそばに座り、月餅をほおばりながら時折お姉さんの読んでる本をのぞきこんでいましたが、それにもだんだん飽きてきました。だってその本は絵ばっかりだったんですもの。
「漢字の書いてない本なんて何の役に立つのかしら?」

 ――という、漢字が大好きという変な少女アリスを狂言回しとして、漢字の国を旅していくという趣向なのである。
 もっとも、アリスが登場するのは各章の最初の4ページくらいで、本文は普通に書かれている。いくら何でも最初から最後までこんな調子では書けなかったらしい。
 とはいえ、本文もテーマとしてはユニークなものばかり。この本で紹介されているのは、日本の漢字ではなく、中国の奇想天外な漢字の世界なのだ。
 内容は9章構成。

 上の文章が出てくるプロローグに続いて、第一章「辞書にない漢字」は、中国の合体文字や転倒文字など、辞書にない漢字の数々。
 第二章「文字の呪力」は、漢字の発音を使ったことば遊びの世界。もちろん中国語での発音である。
 第三章「名前の秘密」は、人名と漢字の呪力について。君主や親の名前を徹底的に避ける「忌諱」の話も出てくる。
 第四章「漢字が語る未来」は、漢字の将来についてのマジメな話――ではなくて、漢字占いの世界。
 第五章「怪物のいない世界地図」は、地名と漢字の話。特に外国地名の漢字化について。すべての固有名詞を漢字化する中国ならではの話題。
 第六章「漢字の博物学」は、動物名と漢字の関係を語る。クジラが魚ヘン、虹が虫ヘンになっているわけなど。
 第七章「絵のような漢字と漢字のような絵」は、漢字で描く「絵」。漢字を変形させて絵にしてしまうわけである。
 第八章「浮遊する文字――漢字のトポグラフィー」は、今までの話題とは一転して、近代中国と漢字の社会史みたいなもの。漢字そのものからはちょっとはずれるが、テーマとしては一番面白い気がする。
 第九章「漢字が創る宇宙」は、中国の漢字まみれの宇宙を自在に語る。則天武后と新漢字の話など。日本の話も最後に出てくる。

Kanjinomaryoku

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2020年7月 9日 (木)

土民嗷々

土民嗷々[ごうごう] 一四四一年の社会史/今谷明(創元ライブラリ,2001)
 嘉吉元年(1441年)という特定の1年だけに焦点を当てた異色の歴史本。1988年刊の単行本の文庫化。
 この年は、動乱が相次いだ室町時代の中でも、特筆すべき波乱の年だった。関東の戦乱に始まり、将軍の弟の謀反、将軍足利義教の暗殺、赤松氏討伐戦、土一揆の大蜂起、徳政令…。
 そんな出来事が次から次へと起きる激動の中で、幕府、大名、地方の武士たち、公家、寺社勢力、商人、庶民に至るまで、悪戦苦闘する人々の姿を活写している。
 具体的には、次のような内容。

 第1章「叛逆者の群像」は、正月から3月までのできごと。関東の戦乱が中心。永享の乱の続きとも言うべき結城合戦の最終盤、下総結城城の攻囲戦。一方畿内周辺では、将軍義教の弟、大覚寺義昭(「ぎしょう」、足利将軍家の一員だが、もちろん戦国時代の「よしあき」とは別人)が謀反をたくらみ、逃亡の末謀殺される。
 第2章「万人恐怖」は4月から5月のできごと。1章でも描かれていた将軍義教の専横がエスカレートする様子が中心になる。関東では結城合戦が終幕を迎えて反幕府勢力が滅亡、今や義教に敵対する者はいなくなったかに見える。
 第3章「赤松囃子」は大異変の6月から8月初めまで。6月24日、赤松満祐による将軍暗殺事件、嘉吉の変が勃発。独裁者義教が死ぬとともに、興福寺衆徒の蜂起、河内での畠山氏の内紛と、あちこちで動揺が起き始める。
 第4章「土民嗷々」は、8月から9月前半。京都周辺で大規模な土一揆が勃発し、洛外の主要寺社が一揆に占領される。一揆を勢力の要求は、徳政令公布、早い話が借金棒引き。一方、播磨では将軍を殺して領地に逃亡していた赤松氏と幕府軍との戦いが起きる。激戦の末赤松氏宗家は滅亡。
 第5章「本主に返付せらるべし」は、9月から10月にかけて。幕府は徳政令を公布する。要するに一揆の鎮圧ができなかったのである。ただ、徳政令と言っても単純に借金をチャラにするわけではなく、公布後の交渉や事務処理が実にややこしいことが説明されている。貸主も黙っていたわけではなく、延暦寺は徳政令の扱いに関して訴訟を起こす。
 終章「衆議の世界」は、一揆や反逆者たちの後日談。10月以降の出来事は詳しくは触れられていない。それ以後は事後処理の段階で、大したことが起きてないからだろう。

 一年の出来事に限って歴史を語るという手法が秀逸。日本史の中で、こういう書き方ができる盛りだくさんな一年もそう多くはないだろうが、そこに着目したのが、歴史的眼力とでも言うべきものだろうか。

Domingougou

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2020年6月19日 (金)

中国史十話

中国史十話/植村清二(中公文庫,1992)
 単行本の発行は1960年。文庫で200ページあまりの薄い本でありながら、殷から明までの中国の歴史を語る、一般読者向けの歴史本。
 この著者には『万里の長城―中国小史』という中国通史の著作もある。本書と同じく中公文庫から復刊されていて、そちらは300ページ弱。長い歴史を短いページ数に詰め込むのが得意な人だったらしい。(例えば、中国史よりもかなり短い日本の歴史すべてを、200ページくらいの文庫本に収める――と言えば、これがどれくらい圧縮したものかわかるだろう。)

 内容タイトルのとおり、10章に分かれている。各章のタイトルとおおまかなテーマは次のとおり。

「殷虚の発見」:殷王朝の考古学的発見と中国古代史研究の現状。この章は歴史学そのもの。
「稷下の学士」:春秋戦国時代と諸子百家。
「万里の長城」:秦・漢の天下統一と万里の長城物語。
「西域都護」:前漢、後漢の西域経営。特に班超の生涯について。
「出師の表」:諸葛亮物語。
「清談」:晋王朝と竹林の七賢。
「盛唐の長安」:都市・長安の姿と、長安を歌った詩。
「宋の党争」:王安石と新法派・旧法派の抗争。
「草原の史詩」:チンギスカンの前半生。厳密に言うと、「中国史」の範囲からはずれてるような。
「宦官提督」:鄭和の大航海物語。

 簡明にして要を得ていて、それでいて詳しいところは詳しい。半世紀以上前に出版された本だが、中国史の入門書としてはわりとよくできていて、今でも通用する内容。
 ただ、長い歴史のごく一部だけのダイジェストであり、日本とも関わりの深い清朝以降の近現代の歴史に全然触れてない。本書だけでは歴史の全貌がわからない。中国史のエッセンスに少しだけ触れてみて、興味を抱かせるための本と言えるだろう。

 なお、著者はあの直木三十五の弟である(直木三十五の本名は植村宗一)。ドラマチックな語り口は家系によるものだろうか。

Chuugokushijuuwa

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2019年10月16日 (水)

カブキの日

カブキの日/小林恭二(新潮文庫,2002)
 単行本は1998年刊。世紀末に生まれた奇想天外な歌舞伎小説。というか、歌舞伎ファンタジー。あるいは、「反・歌舞伎」小説。
 舞台は、歌舞伎が隆盛を極めるもう一つの日本。つまり平行世界の物語。
 両親といっしょに歌舞伎の聖地世界座へやってきた少女蕪は、案内の若衆から1枚のメモをひそかに渡される。そこには「準備はいいか?」とだけ書かれていた。そこから、無限に続くように見える世界座の中を巡る蕪の冒険が始まる。
 一方で、歌舞伎界を二分する俳優たちの抗争がある。一方は坂東京右衛門を旗頭とする若手俳優たちの反主流・改革派。もう一方は、歌舞伎界の女帝とも言われる女形水木あやめたちの名門主流派。
 その年、もっとも重要な顔見世興行のトリの役が、坂東京右衛門たち反主流派に割り当てられていた。改革派を陥れるための罠ではないかと疑いながら、京右衛門はこの大役に挑む。
 一方水木あやめは、「京右衛門さんは明日から男の腐ったのになって生きてゆくの」と不穏なことをうそぶく。果たして、歌舞伎界の至宝、顔見世興行に欠かせない名刀名古屋丸が、開演の直前に京右衛門の楽屋から不可解な状況で紛失してしまうのだった。
 そんな陰謀渦巻く世界座の中で蕪の果たす役割は何なのか。若衆月彦に導かれ、男装した蕪は世界座の中を進んで行く。死んだはずの祖父、河井世之介と会うために――。
 だが世界座の奇妙な空間はどこまでも続き、世之介はなかなか出てこない。蕪と月彦の前には次々と奇妙な人物やら妖怪やらが現れ、不可解な出来事が起こり、試練につぐ試練をくぐらなければならない。そんな中で蕪は次第にカブキ踊りの才能を開花させていく。
 クライマックスは、修羅場と化した京右衛門の舞台。京右衛門一派と水木あやめ一派、それぞれの贔屓の観客たちの間で大乱闘が始まる。そこへ伝説の名優坂田山左衛門と月彦と蕪が現れる。そして伝説が始まる――。
 というような話で、最後はカブキを超えてなんだかわからない世界に行ってしまった。
 この小説の最大の読みどころは、クライマックスの舞台よりもむしろ、無限の迷路と化した世界座内部のわけのわからなさにあるような気がする。それは、この作品の後間もなくデビューする、森見登美彦の迷宮世界を予言していたようでもある。

Kabukinohi

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2019年5月11日 (土)

カリコリせんとや生まれけむ

カリコリせんとや生まれけむ/会田誠(幻冬舎文庫,2012)
 現代日本美術を代表する作家の一人会田誠のエッセイ集。元は幻冬舎のPR誌『星星峡』に連載したもので、連載の順番に並んでいる。。
 内容は、自分の経験談に愚痴と自虐を散りばめたものが中心。
 最初の「カレー事件」は、家族の思い出。次の「北京メモランダム」は、中国旅行のエピソードや感想を思いつくままに書いたもの。この中に「コミュニケーション能力、好奇心、度胸、記憶力、そういった旅人としての才能が、僕には完全に欠落しているらしい」という自己分析があるが、それは「旅人としての才能」じゃなくて、普通に生きていくための能力じゃないのかという気がする。
「ある近作についてのもにゃもにゃしたコメント」は、自作についての解説、というか弁解。「こんなこと、全部書かなきゃ良かったです」と締めくくっている。
 こんな風に最初から実にとりとめがない。さらにいくつか内容を紹介すると――。
 書名になっている「カリコリせんとや生まれけむ」は、この著者のことだから何か卑猥な内容ではないかと邪推してしまうが、実は頭を掻く癖についての脱力エッセイ。
「ポエム――積年の恨みを晴らす時が来た。ボールよ、おまえを殺す。」という長いタイトルのエッセイは、球技オンチの著者がボールへの恨みつらみをポエムの形で語るもの。
 また、「ボクの料理」という食べ物についてのエッセイの中では、草間弥生をさりげなくディスっていたりもする。
 中にはまるごと妻に丸投げしたエッセイもある。(という設定で実は本人が書いているのかもしれない、という疑い疑いもあるが…)
 巻末近くの長いエッセイ「美術の若者たち」は、ある意味本書のハイライト。美術界の裏側のわけのわからない世界をコミカルに暴いている。自分自身のいろいろとヤバイ行いも含めて。「僕は2回に1回の割合で、人から嫌われたいがために作品を作る」なんて危ない告白(?)もある。
 そして、あとがきに相当する最後のエッセイ「僕の文章」では、この本のことを、「2年間書いたこの肥溜めみたいな駄文の集積」と語っている。最後まで自虐的なのである。

 ――というような、実にまとまりのない内容なのだが、全体的に、悪ガキがそのまま大人になった感じの会田誠の人格がにじみ出ている。芸術家としてはむしろ好ましい。
 ちなみに、ブログ主は別に会田誠の作品のファンというわけではない。

Karikori

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2019年5月 7日 (火)

「城取り」の軍事学

「城取り」の軍事学 築城者の視点から考える戦国の城/西俣総生(学研,2013)
 著者は近年のお城ブームに不満を覚えているという。近世城郭ばかりが注目され、日本の城の九割を占める「高石垣も天守もない」中世から戦国の城があまりに脇に追いやられているのが不満なのだ。
 そんな著者の書く本書は、もちろん戦国時代の城が中心。そして、タイトルにもあるように、「軍事施設としての城」という観点に徹している。
 戦国の城というのはわかりにくいのだそうだ。「だからもしあなたが、城についてわかりやすく説明した本を求めているのだとしたら、残念ながら本書はあまりお勧めできない」と、まえがきで著者自ら断っている。
 そんな予防線を張った上で語る内容は、こんなもの。

 第1章「城を取る――攻めるか守るか」では、:まずは城とは何かという話。そこから「城」と「砦」の違いを語るが、それがなぜか日本海軍の海防艦や、駆逐戦車と突撃砲の違いの話になる。要するに違いがよくわからないということらしい。タイトルにもある「城を取る」とは、城を攻略することではなく、新たに城を築くことを言う昔の用語。
 第2章「なぜ山城か――それぞれの事情」は、山城論。戦国時代と言えば山城。しかしなぜ山城が多かったのか、そしてその実態は、という話。
 第3章「城主たちの亡霊――城の歴史がすり替わる」は、城の主についての根本的疑問を投げかける。城は誰がいつ築いたかという説明は、ほとんど信用できないとのこと。城跡の説明板の8割から9割は読んでも益がないと断言。そもそも誰が城主かという問い自体意味がない城も多いという。
 第4章「幻の館――リアリティーのない平板な図式」は、城の基本プランについて。戦国時代の城でよく言われる「居館と山城」のセットというのは、幻に過ぎない。「方形館」なんてなかった。領主たちが実際に住んでいたのは、防御施設ではなく、ただの館。
 第5章「縄張りの迷宮――オンリーワンの個性たち」は、いよいよ縄張りの話。これが実は著者の一番好きなテーマなのだろう。変わった縄張りを次から次へと紹介する。もちろん詳細な図入り。
 第6章「城と戦争――城の形を決定づける人の営み」は、実際の戦いの中での城の実情。この章にはわりと有名な城が出てくる。長篠城、備中高松城、上田城など。
 第7章「鉄炮と城の「進化」――大きい・小さい・強い・弱い」は、鉄砲や戦術の変化が城をどう変えたか、という城郭進化論。
 第8章「城は何を守るか――築城者たちの本音」。全国には、「なぜこの場所にこんな縄張りのすぐれた城があるのだろう」と思わせる「謎の名城」が数々ある。有名なのは埼玉県にある杉山城など。それは何を守っていたのか。実は守るべきものなどなかった、という著者の大胆な説が、城の存在価値を問い直す。
 第9章「山から降りなかった城――近世城郭の成立を再考する」。最後は近世の「山城から平城」への進化説への疑問。近世城郭へのイメージは本当に正しいのか問い直す。

 というわけで、各章ごとに異なるアプローチで、戦国や近世の城についてのイメージを次から次へとくつがえしていく、なかなか刺激的な本なのだった。しかし、やはりちょっとマニア向けか。本書が楽しめるのはよほどの城好きだろう。

 

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2019年4月30日 (火)

外国人が見た日本

外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史/内田宗治(中公新書,2018)
 題名がまぎらわしいが、最近よくある「外国人が書いた日本の姿」を紹介する本とはまったく違う。
 本書は、要するに外国人による日本観光旅行の歴史を書いたもの。外国人といっても、もっぱら欧米人だが。彼らが日本で何を見たのか、何を求めてやってくるのか。また、日本は彼らをどう受け入れ、あるいは呼び込もうとして、何を見せたいと思っていたのか――幕末から現代まで、その軌跡を追う。

 第1章「妖精の住む「古き良き日本」時代」は、幕末から明治にかけて、外国人旅行の黎明の時代。日本を旅した欧米人としては、アーネスト・サトウやイザベラ・バードなど、ごくわずか。
 しかし1884年には早くも欧米人による日本旅行案内書が刊行されている。著者は当時の旅行案内で紹介された行き先と、現在のミシュラン・ガイドの評価とを比較。この手の比較が後の方でも何回も出てきて、本書の特徴のひとつになっている。
 第2章「明治日本の外国人旅行環境」は、本格化する外国人受け入れについて。1893年に、外国人観光客を受け入れ歓待するための団体「喜賓会」が設立される。この団体の活動や、当時の宿泊事情などを解説。
 第3章「国際観光地、日光と箱根の発展」。日光(中禅寺湖畔)と箱根の、外国人別荘地、避暑地としての発展を語る。箱根は「蚊がいない」のが重要なポイントだったらしい。一方観光地としては、タウトが東照宮を酷評して、日本人の評価にさえ影響する。
 第4章「第一次世界大戦前後、訪日旅行者増減の大波」で、時代は大正に入る。1912年、鉄道院を中心に「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」が設立され、欧米からの旅行者誘致に取り組む。現在の「日本交通公社」・「JTB」の前身。
 第5章「「見せたい」ものと「見たい」もの」も、大正の話。本書のテーマのひとつである、「日本人が外国人に見せたい日本」と、「外国人が見たい日本」の共通点と相違点を分析している。1914年に発行された、日本発行の外国人向け旅行案内『公認東亜案内』と、アメリカ人が書いた『テリーの日本帝国案内』を比較。また、中国や韓国から招待した旅行者に日本が何を見せたかも紹介。こういう大がかりな「官製団体旅行」みたいなのは、今はなくなってるが、「見せたい日本」と「見たい日本」のギャップみたいなものはやはりあるのではないだろうか。
 第6章「昭和戦前、「観光立国」を目指した時代」では、時代は昭和へ。1930年、国際観光局が創設され、国策として外客誘致が行われることになった。戦前にこんな時代があったとは。当時の大蔵大臣は、「外国人の巾着を狙うようなことは甚だ面白くない」と予算措置に難色を示したという。しかしなんとか予算も認められ、訪日外国人は徐々に伸びていった。特にアメリカと中国からの旅行者が多かった。とはいえ、最多の1940年でも4万人余り、今とは3桁くらい違う。
 第7章「昭和戦後の急成長」。太平洋戦争で外国人の訪日旅行は壊滅するが、戦後、進駐軍の国内旅行から始まって、ほぼ一貫して増え続ける。特に1980年あたりから急増。そして――。
 第8章「現代の観光立国事情」は、平成の外国人訪日旅行事情。その数は2009年から、それまでとは次元の違うペースで激増し始める。2016年には3000万人近くに。その理由や、外国人の内訳、日本での人気スポット、そして日本に求めるものを分析する。
 また、本書の最後では東京の新たな観光スポットとして、江戸城天守・御殿の再建を提案している。確かに外国人だけでなく日本人にも人気の観光スポットにはなるだろう。しかし膨大な費用をどこが負担するのだろうか…。

 このところ平成を振り返る記事やテレビ番組があふれているが、この時代の外国人観光客の急増については、あまりクローズアップされてない気がする。日本社会を大きく変えるかもしれないくらいのインパクトがあると思うが…。

 

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2019年4月26日 (金)

太平洋大戦争

太平洋大戦争 開戦16年前に書かれた驚異の架空戦記/H・C・バイウォーター;林信吾、清谷信一訳(コスミックインターナショナル コスモシミュレーション文庫,2001)
 原著の発行は1925年。サブタイトルにもあるように、実際の太平洋戦争が起きる16年前に、太平洋を舞台にした日米戦争を予測した小説。
 著者は軍事関係の著作を何冊も書いているイギリスのジャーナリストだが、序文によればスパイの経験もあるとのこと。しかし小説に関しては素人なので、この作品も小説としてはたいしたことない。ただ、艦船や兵器のスペックや戦術についてはやたらと細かい。要するに、今の架空戦記と同じようなものである。

 中国の資源を巡って日本とアメリカの対立が深まる中の1930年、日本で共産主義者に煽動された大規模な暴動が起きる。日本政府は、内乱の危機を回避するために国民の関心を外に向けようとする。そのための手段が、アメリカに対する戦争だった。日本はアメリカに対する恫喝と挑発を始め、アメリカもこれに対抗して強硬な態度をとり、両国の関係はどんどん悪化していく。
 1931年3月、日本はついにアメリカに戦線布告。直後にパナマ運河を通過中の日本船が大爆発を起こして運河は使えなくなる。
 そしてルソン沖で日米の海軍の間に戦闘が勃発。「アメリカにアジア艦隊とは、戦闘部隊というよりは「国旗掲揚台艦隊」とでも呼ぶべきしろもので、駆逐艦と潜水艦以外は、どうしようもない老朽艦ぞろいである」と書かれていたアメリカ艦隊は、巡洋戦艦「金剛」、「比叡」、「霧島」、空母「鳳翔」などを主力とする日本艦隊の前にあっさり全滅する。
 なお、この海戦もそうだが、本書には、後に実際の戦争で活躍することになる軍艦の名前が結構出てくる。日本軍で言えば、ほかに「赤城」、「加賀」、「長門」など。アメリカでは戦艦「ウェストバージニア」、「カリフォルニア」、「メリーランド」、空母「サラトガ」、「レキシントン」など。
 とにかくこの海戦を皮切りに、日米の戦争が始まる。日本軍は緒戦でフィリピンとグアムを占領。実際の太平洋戦争と違ってイギリスやオランダとは戦争してないので、それ以外のところは攻めない。後はもうハワイまで攻撃するところがなくなってしまって、戦争は一旦膠着する。
 史実で起きたような上陸作戦や玉砕戦などはあまり起こらず、日本軍がアメリカ西海岸を攻撃したり、小笠原沖やサモア沖、ダッチハーバーなどで次々と海戦が起きたり、どちらかといえばだらだらと戦争は続いていく。 しかしその間にアメリカは徐々に戦力を充実。最後は攻勢に出たアメリカ海軍と日本の連合艦隊とがフィリピン沖で激突。大海戦の結果、日本海軍は大敗し、フィリピンもアメリカに奪回される。結局、1933年に日本が大幅に譲歩する形で講和条約が結ばれる。
 日本は南洋諸島をアメリカに譲渡し、中国の権益を放棄することになったので、明かな日本の敗北。しかし実際に起きた戦争では壊滅的な被害を受けた日本が無条件降伏するという、はるかにひどい結果になるのだが、著者もそこまでは予想できなかったらしい。
 しかし戦争が長期化すれば、国力に劣る日本が次第に劣勢になるというのは史実が示したとおり。
 本書の中ほどにこんな文章がある。

 アメリカの経済力は、日本の蓄財など問題にならない規模である。月を重ねるごとに、その軍事力は加速度的に強化され、やがては日本をはるかに凌ぐ規模の大艦隊を建造し、数陸軍も数百万名の動員を完了するに違いない。日本にしてみれば、時間はまったく敵に有利にしか働かないのだった。(p.123)

 こんなことは1920年代からわかりきっていたのだった。

Greatpacificwar

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