遠い島 遠い大陸/小松左京(文芸春秋,1981)
ブログ主は小松左京の本はずいぶん読んで来たつもりだが、この本は近所の図書館の書庫でたまたま見かけるまで、不覚にして存在すら知らなかった。
それもそのはずで、本書は文庫化されてなくて、この単行本の他は、<小松左京全集>に収録されているだけらしい。全集を読破するほどの小松ファンというわけでもないので、今まで見逃してきたのだ。
内容は旅行記を中心としたエッセイ集で、第一部から第三部、プラス附録という構成になっている。
第一部「奇妙な大陸と火の島」は、オーストラリアとアイスランドの旅行記がメイン。
「奇妙な大陸・オーストラリア」は、前半は自然、後半は歴史を中心に、オーストラリアのユニークさを、自らの見聞をまじえて語るエッセイ。特に、歴史上、マレー民族、イスラム勢力、ヨーロッパ列強のいずれもが、なぜかインドネシアから目と鼻の先のオーストラリアを「ほったらかし」にしていた不思議を強調している。
「火の島・アイスランドにて」は、アイスランド南部、ウェストマン諸島の主島ヘイマイ島が舞台。1973年にアこの島を襲った火山噴火と、そこからの住民の避難、押し寄せる溶岩との戦いを描くドキュメンタリーがほとんどを占めていて、旅行記の部分はごく一部。しかしこの災害ドキュメンタリーは迫力がある。小松左京はやはり災害を語るのがうまい。
「太平洋・大西洋比較論」は旅行記ではなくて、タイトルどおり二つの大洋の性質の違いを、地球科学の見地から論じたもの。
第二部「表裏・南極半島」は、著者が1974年にTBSテレビの取材で南極観光ツアーに参加した旅から生まれた、二つの旅行記。
「南極半島を行く」は、きわめてまじめな公式旅行記みたいなもの。ペンギンの生態、各国基地に見るお国柄などを語り、最後は、「いずれにしても、南極をこれから先どうとりあつかうか、ということは、未来の国際政治にとって次第に大きな課題となっていくだろう」と、官製文書みたいな調子でしめくくる。
もうひとつの「ペンギンもびっくり南極珍道中」は、上の旅行記では影すら見えなかった、同じツアーに参加していた日本人たちの、個性あふれる振る舞いを描いたもの。当時40代だった著者より年上の、じいさんばあさんばかりなのだが、とにかくエネルギッシュ。特に「天下の豪傑」と言われる「SKさん」の傍若無人ぶりがすごい。まさに「珍道中」で、とても同じ旅行の記録とは思えない。
第三部「旅ゆかば……」は、さまざまな新聞、雑誌に発表した短い旅行談を集めたもの。
「人類学的ロマン輝く島に イースター島を訪ねて」、「私のなかのイタリア」、「ナイル河畔、永遠への旅」、「マヤの美に魅かれる」、「旅ゆかば」、「海外の「日本農業」」(ブラジル紀行)、「シャルトルーズ・グリーン」(ドイツの思い出)、「地中海のでっかい雑踏の味」(ギリシャの思い出)の各編。
このうち、「旅ゆかば」は、さらに11編の短いコラムを寄せ集めたもの。旅をテーマにした雑談だが、食べる話が多い。
最後の「附録」は、旅行とは直接関係のないエッセイ2編。
「スパイスとライスのあやしい魅力」は、カレーライス賛歌みたいなもの。「ハヤシライス」が、「カレーライス」と同じようなものでありながら、なぜ大きく差をつけられているのか、その原因を「スパイスの魔力」だと言っているのが印象的。しかし安易に作ったカレーライスに対しては、「ただただ「日本的に卑俗な」食物でしかないようになるだろう」と警鐘を鳴らしている。
「序説・「立食パーティ改造論」」は、立食パーティの現状に強い不満を抱く著者が、日本式立食パーティの欠点の数々を暴き立てた後に、志を同じくする「紳士」数人と語り会った結果生まれた「理想の立食パーティ」のあり方を提案する。徹底して参加者の立場に寄った斬新な進行や会場のデザイン、それはまだいい。
だが、そこに出す「食べ物」の提案がとんでもないことになっている。大阪「たこ梅」、京都「安参」をはじめ、関西の名店がずらりと並んでいるのだ。みんな自分の食いたいものをあげただけではないか。最後に、会費をいくらにするかついに結論が出なかった――と書いているが、そりゃそうだ。こんなもん、金がいくらかかるか想像もつかない。
しかし正直言って、読んでいて一番面白かったのはこれだった。グルメエッセイの隠れた名品、いや、珍品ではないだろうか。