地理

2020年10月 5日 (月)

フォッサマグナ

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体/藤岡換太郎(講談社ブルーバックス,2018)
 その昔学校の地理の時間に出てきた「フォッサマグナ」。
 よく聞く言葉である。しかし恥ずかしながら、ブログ主は本書を読むまでその正体をはっきり知らなかった。――というか、名前だけ知っていて正体を知らなかったことに今更ながら気づいた。
 もしかして、その時にはちゃんと聞いていたのに忘れてしまっただけかもしれない。

 以下、そんなことは常識だと思っている人には何の意味もないだろうが――。
 フォッサマグナと「糸魚川静岡構造線」はよく混同されるという。西日本と東日本を分けるあの線である。
 実のところ、自分もそうだった。混同というか、違いがよくわからない。フォッサマグナそのものが何なのか、よくわかってないのだから、違いがわかるわけないのだが。
 糸魚川静岡構造線は、フォッサマグナの西の端なのだという。東の端はというと、よくわかってない。房総半島のあたりまで含まれているらしい。
 それだけの幅を持ったフォッサマグナの実体は、地下6千メートル以上に達する巨大な裂け目。地上からは見えないが、東西の地質が1~3億年前であるのに対し、その部分だけ2千万年くらい前のもので、新しくできたものだという。
 つまり2千万年前にできた深い裂け目に土が積もってできたのが、今のフォッサマグナ地帯なのだ。巨大な溝といっても、地上に現われた地形ではなく、その実体は地下深くにある。
 そして、フォッサマグナのような地形があるのは、世界中で日本だけだという。これも初耳。
 なぜ日本にだけそんな地形ができたのか。実はまだ定説はないらしい。本書後半で著者は、日本列島形成史と深くかかわるその成因を推理する。著者に言わせれば、「鵺を退治するような」ものらしいが。
 とにかく謎に満ちたフォッサマグナ。実のところ、かなり専門的で読みづらい部分もあるが、知らなかったことばかりである。

Fossamagna

| | コメント (0)

2020年4月20日 (月)

ドイツ 町から町へ

ドイツ 町から町へ/池内紀(中公新書,2002)
 去年亡くなった池内紀の紀行エッセイ。この人の本業はドイツ文学なのだが、専門の枠にとらわれない多彩なエッセイが魅力的だった。本ブログでも以前に『今夜もひとり居酒屋』なんて本を紹介したことがある(2014年3月8日のエントリー)。80近い歳だったとはいえ、死去が惜しまれる。

 本書は、著者がドイツのさまざまな町を歩き回った体験から生まれたもの。特に小さな町が好きだったようだ。
 まえがきにも、「人間的尺度に応じた大きさ、あるいは小ささがいいのであって、それをこえると快適さを失うだけでなく、都市が人間を困惑させ、疲れさせ、ときには威嚇してくる」と書いてある。
 だから本書に登場する町の大半は、小さくて昔のままの姿をとどめた町。あるいは文人となじみの深い町や、独自の文化を持った町も好みのようだ。「市庁舎前の広場に立つと、美しいオーケストラを聞いているかのようだ」と絶賛されるクヴェーリンブルク。「地上の天国」とまで言われるエルヴァンゲン。トーマス・マンが生まれたリューベック。ソルブ人の町バウツェン。バウハウスゆかりの町デッサウ。チェーホフ終焉の地バーデンワイラー。――等々。
 さすがに無視できないような大都市も出てくる。ベルリン、ハンブルク、ケルン、フランクフルト、ミュンヘンといったところ。しかし、州都クラスの都市で登場しないところがけっこうあるのだ。
 州都で言えば、キール、シュヴェリーン、ハノーファー、デュッセルドルフ、エアフルト、マインツ、ザールブリュッケン、シュトゥットガルト。他にドルトムント、エッセン、デュースブルクといった人口の多い都市も出てこない。
 人口が多くても、ライプツィヒ、ドレスデン、ニュルンベルク、アウクスブルク、アーヘンといった、文化、歴史的に特色のある都市は出てくるのだ。
 しかしやはり著者の好みは、小さくても個性のある町にあることは間違いない。そういう町のことを書く時、文章がいかにも楽しそうなのだ。ただ、なぜかロマンチック街道で有名なローテンブルクやディンケルスビュールは出てこない。観光地化されたところはいやなのだろうか。
 内容は一応、北、中部、南ドイツの三地域に分けて書いてあるが、それぞれの中は順不同で並んでいるのが、いかにもそぞろ歩きをしているようでいい。

 事実上著者の遺作みたいなものになった『消えた国 追われた人々』も読みごたえのある紀行エッセイで、これもそのうち本ブログで取り上げたい。

 

| | コメント (0)

2020年3月11日 (水)

地図帳の深読み

地図帳の深読み/今尾恵介(帝国書院,2019)
 今尾恵介は地図に関する本を数多く書いていて、本ブログでも何回か取り上げている。だが、本書は普通の地図本とは少々毛色が違う。帝国書院と今尾恵介のコラボ本なのである。
 中学や高校で誰もが使う地図帳。その代表が帝国書院の『新詳高等地図』だろう。本書はその「高等地図」を主な題材に、地図と地理の蘊蓄を語る。
 豊富に引用されているカラー図版は、もちろん大半が「高等地図」からのもの。原寸大で、ただしカットや記号の書き込み、要所の強調などの加工がしてある。
 帝国書院の地図帳は誰もが知っていて、使ったことがあるはず。そんな一見初心者向けに見える地図帳から、著者は興味深いテーマを拾い上げ、さまざま角度から切り込んでいって、地理マニアも満足させる読みものに仕立て上げている。

 内容は全5章。
 第1章「地形に目をこらす」は、地形を巡るトピック。特に川に関するものが多い。最初は、「高等地図」の特色である等高段彩、それも海面下を示す「濃い緑」の部分について、世界の「低い土地」を地図で探す。その後は、川の山越え、四万十川の大蛇行の謎、アジアの大河、分水界など川に関する話題。川と言語分布をからめた「川の流れと言語が一致?」は面白い話題。出てくる地図は、3点を除いて全部「高等地図」。
 第2章「境界は語る」は、県境や国境など、境界線の話題。「高等地図」には旧国(武蔵とか摂津とか加賀とかいうあれ)の国境が表示してある。それを題材にした旧国の話題が特に面白い。「日本人の5人に1人は武蔵国に住んでいる」とか、「兵庫県は七つの国にまたがっている」(これは知っていたが)とか。他には、飛び地、直線州境、アフリカや中央アジアの気になる国境など。この章には「高等地図」以外からの地図がやや多い6枚。ただしその内の1枚は同じ帝国書院の中学校用地図。
 第3章「地名や国名の謎」は、地名の話題。「イギリス」「オランダ」とは何語なのかとか、「馬から落馬」のような山河名とか、自然地名の先住民言語への変更とか、時代によって変化する地名(主に外国)とか、ひらがな自治体名とか。この章の地図は一つを除いてすべて「高等地図」。その一つも、帝国書院の『世界地図』。
 第4章「新旧地図帳を比較する――地図は時代を映す鏡」。地図上に現れた時代による変化を読み取る。この章は古い時代の地図が多いので、当然ながら「高等地図」以外の地図が多数。『中学校社会科地図』、『帝国地図』、『新選詳図 世界之部』など。しかし全部帝国書院発行である。鉄道路線の電化・非電化を区別していたかつての『中学校社会科地図』、八郎潟などの干拓地のかつてと今、インド沿岸の群小植民地、分断国家、消えゆくアラル海など。
 第5章「経緯度・主題図・統計を楽しむ」は独立したトピックの集まりみたいなもの。「高等地図」ならではの特徴である、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなどの地図に表示された「同縮尺、同緯度の日本」からわかること。日本で最も長く陸上を走る緯度、北緯35度線を追う。世界各地と日本の人口・面積の比較(アラスカと練馬区の人口は同じ、バチカン市国は東京ディズニーランドより小さい、など)。そしてこれも「高等地図」ならではのトピック、地図に描かれた「名産イラスト」を語る。さらに宗教地図、言語地図、ケッペンの気候区分図も。

 それにしても、こんなに多種多様な情報が詰め込まれていたとは。帝国書院の地図帳は、実はすごかったのだ――ということが、改めてわかる。

Chizuchounofukayomi

| | コメント (0)

2019年12月23日 (月)

遠い島 遠い大陸

遠い島 遠い大陸/小松左京(文芸春秋,1981)
 ブログ主は小松左京の本はずいぶん読んで来たつもりだが、この本は近所の図書館の書庫でたまたま見かけるまで、不覚にして存在すら知らなかった。
 それもそのはずで、本書は文庫化されてなくて、この単行本の他は、<小松左京全集>に収録されているだけらしい。全集を読破するほどの小松ファンというわけでもないので、今まで見逃してきたのだ。
 内容は旅行記を中心としたエッセイ集で、第一部から第三部、プラス附録という構成になっている。

 第一部「奇妙な大陸と火の島」は、オーストラリアとアイスランドの旅行記がメイン。
「奇妙な大陸・オーストラリア」は、前半は自然、後半は歴史を中心に、オーストラリアのユニークさを、自らの見聞をまじえて語るエッセイ。特に、歴史上、マレー民族、イスラム勢力、ヨーロッパ列強のいずれもが、なぜかインドネシアから目と鼻の先のオーストラリアを「ほったらかし」にしていた不思議を強調している。
「火の島・アイスランドにて」は、アイスランド南部、ウェストマン諸島の主島ヘイマイ島が舞台。1973年にアこの島を襲った火山噴火と、そこからの住民の避難、押し寄せる溶岩との戦いを描くドキュメンタリーがほとんどを占めていて、旅行記の部分はごく一部。しかしこの災害ドキュメンタリーは迫力がある。小松左京はやはり災害を語るのがうまい。
「太平洋・大西洋比較論」は旅行記ではなくて、タイトルどおり二つの大洋の性質の違いを、地球科学の見地から論じたもの。

 第二部「表裏・南極半島」は、著者が1974年にTBSテレビの取材で南極観光ツアーに参加した旅から生まれた、二つの旅行記。
「南極半島を行く」は、きわめてまじめな公式旅行記みたいなもの。ペンギンの生態、各国基地に見るお国柄などを語り、最後は、「いずれにしても、南極をこれから先どうとりあつかうか、ということは、未来の国際政治にとって次第に大きな課題となっていくだろう」と、官製文書みたいな調子でしめくくる。
もうひとつの「ペンギンもびっくり南極珍道中」は、上の旅行記では影すら見えなかった、同じツアーに参加していた日本人たちの、個性あふれる振る舞いを描いたもの。当時40代だった著者より年上の、じいさんばあさんばかりなのだが、とにかくエネルギッシュ。特に「天下の豪傑」と言われる「SKさん」の傍若無人ぶりがすごい。まさに「珍道中」で、とても同じ旅行の記録とは思えない。

 第三部「旅ゆかば……」は、さまざまな新聞、雑誌に発表した短い旅行談を集めたもの。
「人類学的ロマン輝く島に イースター島を訪ねて」、「私のなかのイタリア」、「ナイル河畔、永遠への旅」、「マヤの美に魅かれる」、「旅ゆかば」、「海外の「日本農業」」(ブラジル紀行)、「シャルトルーズ・グリーン」(ドイツの思い出)、「地中海のでっかい雑踏の味」(ギリシャの思い出)の各編。
このうち、「旅ゆかば」は、さらに11編の短いコラムを寄せ集めたもの。旅をテーマにした雑談だが、食べる話が多い。

 最後の「附録」は、旅行とは直接関係のないエッセイ2編。
「スパイスとライスのあやしい魅力」は、カレーライス賛歌みたいなもの。「ハヤシライス」が、「カレーライス」と同じようなものでありながら、なぜ大きく差をつけられているのか、その原因を「スパイスの魔力」だと言っているのが印象的。しかし安易に作ったカレーライスに対しては、「ただただ「日本的に卑俗な」食物でしかないようになるだろう」と警鐘を鳴らしている。
「序説・「立食パーティ改造論」」は、立食パーティの現状に強い不満を抱く著者が、日本式立食パーティの欠点の数々を暴き立てた後に、志を同じくする「紳士」数人と語り会った結果生まれた「理想の立食パーティ」のあり方を提案する。徹底して参加者の立場に寄った斬新な進行や会場のデザイン、それはまだいい。
 だが、そこに出す「食べ物」の提案がとんでもないことになっている。大阪「たこ梅」、京都「安参」をはじめ、関西の名店がずらりと並んでいるのだ。みんな自分の食いたいものをあげただけではないか。最後に、会費をいくらにするかついに結論が出なかった――と書いているが、そりゃそうだ。こんなもん、金がいくらかかるか想像もつかない。
 しかし正直言って、読んでいて一番面白かったのはこれだった。グルメエッセイの隠れた名品、いや、珍品ではないだろうか。

 

| | コメント (0)

2019年11月25日 (月)

幻島図鑑

幻島図鑑 不思議な島の物語/清水浩史(河出書房新社,2019)
 2016年1月4日に本ブログで紹介した『秘島図鑑』の続編というか姉妹編みたいなもの。
 前著の「秘島」とは、「リモート感がある」、「孤島感がある」、「もの言いたげな佇まい」、「行けない。島へのアクセスがない」、「住民がいない」、「知られざる歴史を秘めている」が条件だった。
 本書の「幻島」は、「はかなげで(人口が少ない、もしくは無人島、無人化島)」、「稀少性のある(珍しい名称・フォルム、稀有な美しさ、知られざる歴史」)のある小さな島のことだという。
 前著と違うのは「孤島感」、「リモート感」だろうか。前著には、事実上行くことのできない島もけっこう含まれていたが、本書の場合、著者はすべての島について現地を訪れている。登場する島は沿岸すぐ近くにある島が多く、いくつかの島は干潮時には歩いて渡れる。
 そのかわり、前著には南鳥島や硫黄島など有名な島が入っていたのだが、本書は地元の人を除けばほとんど誰も知らないような島ばかり。そこが「幻」っぽいということか。

 内容は2部構成。とはいえ、Ⅰ部「ガイド編」、Ⅱ部「紀行編」の中身は同じ。全国の17の「幻島」を、Ⅰ部ではひとつの島につき4ページ、カラー写真と地図・写真入りの短い記事で紹介。Ⅱ部では同じ島々について実際に訪れた体験を、10ページ前後紀行エッセイでまとめている。要するに印刷の都合でカラーページと本文を分けているだけらしい。
 配列は北から南に並んでいて、最初は北海道猿払村のエサンベ鼻北小島。これが実は、著者が現地を訪ねたところ存在しないことがわかった。1987年当時には小さな岩礁があったらしく地図に記載されていたが、その後浸食で消えてしまったらしい。文字どおり幻の島だったわけである。
 現在では存在しない島というのが、この後もうひとつ出てくる。島根県益田市の鴨島。益田川河口の1キロ沖にあったそうだが、万寿3年(1026年)の大地震で海に沈んだと伝えられる。要するに千年近く前に消滅した島。柿本人麻呂が没した地との伝承があるが、実のところは定かではない。幻もいいところである。
 とはいえ、本書に出てくる他の島はすべて実在しているのだが、その多くは海に浮かぶ小さな岩にすぎなかったりする。中には佐賀県太良町の沖ノ島(世界遺産になった福岡県の島と同名だが、無関係)みたいに、満潮時には完全に海に沈んでしまう岩礁もあったりして、これはもはや島とはいえない。
 他にも、岩を囓って穴を掘る生物に浸食され、やがて消え去る運命にある島(広島県東広島市のホボロ島)とか、海底炭鉱のための通気施設として建設され、炭鉱閉鎖により今は廃墟と化した人工島(福岡県大牟田市の初島・三池島)とか、いかにもはかない島が登場。
 こんな感じで、本書に出てくる島のほとんどは無人島なのだが、有人島も三つだけある。いずれも五島列島に位置する六島、蕨小島、黒島で、有人とはいえ住民はいずれも数人しかいない。黒島は現在では一人だけ。五島列島では他にも無人化した島を二つ取り上げていて、幻島巡りというより、過疎地問題のルポみたいになっている。
 本書の最後に出てくるのは、沖縄県竹富町のマルマボンサンという変な名前の島。西表島の西岸から200メートルに浮かぶ半球形の島で、カラーページに掲載されている、この島の背後に二重の虹がかかっている写真は、本書の中で一番美しい。紀行エッセイの方も、著者の若い頃の想い出を語ったりしてなんだか感傷的になっている。
 その雰囲気をそのまま引き継いだかのように、後書きでは著者の「幻島」愛とロマンティシズムが爆発している。こんな感じ。

 そう、きっと幻島を旅すれば旅するほど、日常の移ろいゆくものに気づきやすくなる。本書の幻島以外の自分なりの幻島を探し出す度もきっといい。私自身も、新たな幻島を探しつづけたい。たとえ無人の島であっても、ヒトが去った夢の跡であっても、そこに深く刻み込まれていることに思いを馳せたい。

 幻島の旅を終えると、目の前の日常が少し愛おしく思えてくる。
 今、目の前を通り過ぎようとしていることに目を凝らしたい。耳を澄ましたい。
 すべてが移ろい、変化していくということを知りつつも、すべてが通り過ぎる前に。(p.280)

 ほとんど詩である。もう好きにしてほしいという感じがする。同時に、著者が同じような本を書いたら、きっとまた読んでしまう気がする。

Gentouzukan

 

| | コメント (0)

2019年2月20日 (水)

路線図の世界

たのしい路線図/井上マサキ、西村まさゆき(グラフィック社,2018)
 冒頭の一文がすべてを言い表している。「路線図が好きな2人が、ただただ路線図を「いいねぇ」と愛でる本である」と。
 まえがきによれば、路線図が好きと告白すると、鉄道マニアだと思われるのだそうだ。しかし本書の著者たちは、特に鉄道に詳しいわけではない。あくまで鉄道ではなく、路線図だけが好きなのである。
 何を隠そう、ブログ主も路線図が好きな一人である。そして、別に鉄道マニアではない。本書に出てくるようなデフォルメされた路線図もいいが、普通の地図の上に路線が描かれた「路線地図」の方がもっと好み。
このことからわかるのは、路線図マニアというのは、明らかに鉄道マニアとは別種類だということ。どちらかというと、地図マニアの一種ではないかと思う。(ブログ主は間違いなく地図マニアである)。
 本書の内容は、カラーの路線図をたっぷりと載せて文章は少しだけという、完全にビジュアル中心。
 それでも一応章立てはしてあって(章番号はないが)、まず「路線図ってどうやってできたの?」で、路線図の歴史を紹介。路線図の歴史はロンドン地下鉄から始まる(なお、本書に出てくる外国の路線図はこのロンドンのものだけ)。
 次が「路線図鑑賞のポイント」。「時空の歪み」、「その駅だけの一点もの」、「他社との遭遇」、「レインボー路線図」の4項目。
 ここまでが導入部で、その後が実際の路線図紹介になる。まず「全国の地下鉄路線図鑑賞」。続いて「全国鉄道 路線図・運賃表・停車駅案内」。この章が一番分量が多い。
 その次は「偏愛! 鉄道会社公式路線図」。これまでとどこが違うかというと、前の二つの章は、駅などに掲示されている案内図を撮影したもの、この章は鉄道会社の公式サイトに掲載されている路線図なのだ。
 また、次の最終章「インディーズ路線図の世界」は、鉄道会社以外の企業などが作った路線図や、駅員による手作り路線図を紹介している。
 とにかく路線図好きにとっては、掲載された一つ一つの図を見ているだけで楽しめる。路線図に関心がない人にとっては、何の意味もない本であることは言うまでもない。

Tanoshiirosenzu

世界の美しい地下鉄マップ/マーク・オーブンデン;鈴木和博訳(日経ナショナルジオグラフィック社,2016)
 路線図マニアというのは日本だけにいるわけではないようで、これは路線図が大好きなイギリスのジャーナリストが書いた本。上の『たのしい路線図』の参考文献にもタイトルが挙げられている。
 邦題は「地下鉄マップ」となっているが、原題はTransit Maps of the World(世界の路線図)で、別に地下鉄に限定しているわけではない。世界の主要な都市交通システムの路線図を集めた本なのだ。とはいえ、現在の都市交通というのは圧倒的に地下鉄が主流なので、出てくる路線図のほとんどは地下鉄のものであることは確かなのだが。
 収録された路線図は166都市(図版の数としてはもうちょっと多い)。『たのしい路線図』に掲載された路線図は約200ということだから、そっちの方が数だけから言えば多い。しかし『たのしい路線図』の方は路線一本だけの単純きわまりない案内図もかなりあり、一点の大きさも小さいものが多い。
 それに対して本書に出てくる路線図は、どれも複雑で大きい。1ページに収めると文字が小さすぎて、ルーペなしでは見るのがしんどいものもかなりある。とはいえ、実用性や利便性を重視している『たのしい路線図』に比べて、本書に掲載された路線図は、圧倒的なデザイン性を備えたものが多い。
 ブログ主は複雑な路線図が好きなので、本書こそが路線図の醍醐味を伝えるものと評価したい。値段は高いが(3200円)。

 ちなみに、ブログ主の一番好みの路線図は、大阪メトロ。大阪市中心部の格子状になっているあたりがいい。世界中の路線図を見ても、ここまで綺麗な格子になっているところはなかなかない。

Transitmaps

| | コメント (0)

2019年1月15日 (火)

ふしぎな県境

ふしぎな県境 歩ける、またげる、愉しめる/西村まさゆき(中公新書,2018)
 これは、県境マニアの酔狂にして珍妙な奇行――じゃなかった紀行。
 県境や国境についての蘊蓄や雑学をまとめた本というのは他にもいくつもある。本書でもそれら「境界本」と同じように、地図上の変な形の境界線について、その由来や現状を調べている部分はある。
 だが本書のユニークな点は、基本的に著者が現地へ行ってその場を確認していること。雑学ではなく、現地レポートの本なのである。

 レポートは全部で13。
 最初の「練馬に県境がひと目でわかる場所があるので見に行った」は、練馬区にある東京都と埼玉県の県境が道路上ではっきりわかる場所。
 2「店舗内に県境ラインが引かれているショッピングモール」は、床に奈良県と京都府の境界線が引かれているイオンモール高の原。ブログ主もこのショッピングセンターには行ったことがあるが、境界線には気づかなかった。というか、見たかもしれないが覚えてない。
 3「東京都を東西に一秒で横断できる場所」は、またしても東京都と埼玉県の県境、今度は瑞穂町。東京都の出っ張った部分がくびれていて、1秒で横断できるところ。
 4「「峠の国盗り綱引き合戦」で浜松と飯田が仲良すぎて萌え死にそう」では、浜松市と飯田市の間の兵越峠へ。ここで毎年両市の間で綱引きが行われていて、遠州と信州の境界が動くのを見物しに行く。実際に県境が動くわけではない。
 5「蓮如の聖地に県境を見に行く」は、石川県と福井県との県境が町中に引かれているところ。かつて蓮如が吉崎御坊を築いたところで、今でも吉崎という地名が両県にまたがっている。ここに「県境の館」ができると聞いて、その完成後にもう一度見に行っている。
 6「標高2000メートルの盲腸県境と危険すぎる県境」は、本書のハイライトと言うべき、入魂の県境レポート。地図マニアにはよく知られているが、山形県と新潟県の間にわずかな幅(一番細いところで、道幅分しかない)で数キロにわたって続く福島県の一部がある。現地は標高2千メートルの尾根をつたう道なき道である。
 本格的な登山の装備が必要なこの道を、登山初心者の著者は死にそうな思いをしながら登って行く。途中で山小屋にも泊まる二日がかりの県境探訪。なんでそこまで――とあきれるしかない。
 7「福岡県の中に熊本県が三ヵ所もある場所」では、福岡県大牟田市の中にある熊本県荒尾市の小さな飛び地を現地で確認する。
 8「日本唯一の飛び地の村で水上の県境をまたぐ」では、日本唯一の飛び地の村、和歌山県北川村を訪問。筏下りをしながら川の上の県境を体験。
 9「県境から離れたところにある「県境」というバス停」では、東京都稲城市にある「県境」という名のバス停をわざわざ見に行く。東京都と神奈川県(川崎市)の境界にあるのかと思ったら、実際はかなり離れている。バス停がどうして県境の近くにないのか、小田急バスに問い合わせる。
 10「埼玉、栃木、群馬の三県境が観光地化している?」は三つの県が接する「三県境」探訪。日本に48ヵ所存在するといわれる三県境だが、その中で唯一、一般人が簡単に行くことができるのが、群馬、埼玉、栃木の境界である「柳生の三県境」。最近看板も立って、ちょっと注目されているらしい。なお、この三県境からわずか2キロくらいの距離に栃木、埼玉、茨城の三県境がある。県境マニアには聖地みたいなところだろう。
 11「湖上に引かれた県境を見に行く」は、中海にある鳥取県と島根県の県境探訪。日本で初めて、湖上の県境が確定したところなのだそうだ。当然ながら、湖の上なので、自分の足で確認はできない。それでも現地を見に行きたいのが県境マニアか。
 12「カーナビに県境案内を何度もさせたかった」は、県境が入り組んでいる道を車で走り、カーナビに何度も「○○県に入りました」という案内をさせようという試み。
 ところがあきれたことにこの著者、こんな趣味があるのに車の免許証を持ってない。仕方ないので友人に頼み込んで走ってもらっている。1回目は東京、神奈川の県境。2回目は奈良、和歌山県境を走る高野・龍神スカイラインを走る。だが和歌山まで行った2回目では、カーナビの設定のせいか、全然県境案内をしてくれなくてがっかりする――という話。何にせよ著者は免許を早くとるべきだろう。
 最後は13「町田市、相模原市の飛び地の解消について担当者に話しを聞く」。タイトルのとおり。この章だけがちょっとマジメ。

 あとがきによると、著者は最近は国境めぐりまで始めたとのこと。物好きというか感心するというか…。こういう本はどんどん出して欲しい。ブログ主自身は、境界線は地図で見るだけでいいが。

Fushiginakenkyou

| | コメント (0)

2018年11月23日 (金)

世界から消えた50の国

世界から消えた50の国 1840-1975年/ビョルン・ベルゲ;角敦子訳(原書房,2018)
 本屋でこの本を見かけた時は、以前に当ブログで紹介した『消滅した国々』(2015年11月8日のエントリー)と同じ趣旨の本かと思った。つまり、今はなくなった国家の数々を取り上げた本かと。
 しかもこちらの方が年代的範囲がずっと広い。だとするとこれはまさにブログ主のような人間向けの本なのでは…。
 しかし目次をぱらぱらと見ると、どうも登場する「国」はイメージしたものとは違うようだ。独立国(自称含む)ではなく、植民地や保護領の方が多いみたいなのだ。
 実際に読んでみると、やはり本当の「国」は少しだけだった。もともと原題は"Nowherelands : An Atlas of Vanished Countries 1840-1975"となっていて、「Country」というのは「国」とはニュアンスが違うのだろうが…。
 本書のユニークなところは、それぞれの「国」の切手について必ず書いていて、図版も載せていること。というより、収録基準が、「独自の切手を発行しているかどうか」なのだ。独立しているかどうかではない。
 データとして、「国」の存続年、名称、人工、面積を載せている。本文は紀行や回想記からの引用が豊富で、風俗や生活、関連する人物やエピソードについて詳しく説明している。歴史や地理の本というより、物語性が強く、ドキュメンタリー・タッチに近い。

 内容は、時代区分で6章に分かれている。

1840~1860年
 両シチリア王国、ヘリゴランド、ニューブランズウィックなど。きちんとした国と言えるのは最初の両シチリア王国だけで、後は植民地か属領、自治領。
1860~1890年
 オボック、ボヤカ、アルワルなど、聞いたことのない地名が多い。東ルメリアとオレンジ自由国はわりと有名。一応国と言っていいだろう。中では、マイレナというフランス人の冒険者が、ベトナムの奥地で勝手に王に即位して作った国(1888-1890年)セダンがユニーク。
1890~1915年
 サント・マリー島、ナンドゲーアン、膠州など。この章は、形式的にも独立していた「国」はひとつもない。南アフリカのマフェキングは、ボーア戦争で200日以上にわたってボーア軍による包囲を耐え抜いたことで知られる町で、包囲戦の間に独自の切手を発行していた。
1915~1925年
 この章は、前章とは逆に一応「国」と言えるところが多い。中でも、ロシア革命後の混乱の中で生まれた南ロシア、バトゥーミ、極東共和国、東カレリアなどの短命な政権が目立つ。
1925~1945年
 日本と関わりの深い満州国がこの章に登場。他にタンヌトゥバ、ハタイといった「国」も出てくるが、それ以外は、植民地、属領、占領地区などで、とても「国」とは言えない。サウスシェトランド諸島に至っては、人口ゼロ。
1945~1975年
 この章には琉球が登場。もちろんアメリカ占領下の琉球政府のことで、独自の切手を発行していた。この章は『消滅した国々』と時代が重なるので、あの本にも載っていた南カサイ、南マルク、ビアフラ、アッパーヤファの諸国が登場する。説明は本書の方が遙かに詳しい。

Nowherelands

| | コメント (0)

2018年11月 3日 (土)

日本の珍地名

日本の珍地名/竹内正浩(文春新書,2009)
 日本全国の変わった地名を集めた本は、何種類も出ている。本書はタイトルから見ると、そうした地名ネタ本の一種に思えるが、実際には少し――いや、かなり趣旨が違う。
 本書のテーマとなっている地名は、原則としてすべて、「平成の大合併」で生まれた新しい市町村名(比較のため、以前からある自治体名が出てくることもある)。
 平成の大合併で生まれた数多くの新自治体名から、「地名相似形」とか、「所在地不明」とか、カテゴリーごとに番付形式で選出したものを取り上げて、どうしてそんな名称になったのか、どこが問題なのか、などを検証している。
 番付は、横綱から前頭5枚目から11枚目くらいまで(前頭の数は章によって変動する)。番付なので、必ず東西で一組になっている。重複して出てくる地名もあるが、全部で200以上の平成新地名が登場していると思われる。
 一見、番付という形式がいかにもジョークめいているが、語り口はけっこうシビア。各地の合併協議や地名選定の進め方に関してはきわめて批判的で、時として「まったく馬鹿げている」なんて本音が漏れ出てくる。というか、著者は平成の大合併そのものが、歴史的愚行だったと思っていることが明らかなのである。
 つまりは、珍妙な自治体名を大量に生みだした平成の大合併について、地名を通じてその意義に疑問を投げかける本なのである。

 内容は、上にも書いたように、「珍地名」のカテゴリー別に7章構成。
 第1章「地名相似形番付」は、よく似た地名、まぎらわしい地名を集めている。横綱は、「富士見市/ふじみ野市」(埼玉県)と「伊豆市/伊豆の国市」(静岡県)。
 第2章「所在地不明地名番付」は、所在地がわかりにくい地名。横綱は、「さくら市」(栃木県)と「みどり市」(群馬県)。確かに、一般的名称で、知らないとどこの地域にあるのかわからない。
 第3章「リミックス地名番付」は、要するに合成地名。このパターンは昔からあった。横綱は「小美玉市」(茨城県)と「紀美野町」(和歌山県)。
 第4章「まぼろし地名番付」は、合併協議がうまく行かず、幻に終わった予定地名や地名候補たち。この章が一番「何これ?」と思う地名が多いようだ。横綱は「南セントレア市」(愛知県)と「中央アルプス市」(長野県)。
 第5章「ブランド地名争奪番付」。これは「地名相似形番付」とよく似ている(実際、いくつかの地名は再登場している)。横綱は「那須町/那須塩原市/那須烏山市」(栃木県)と「四万十市/四万十町」(高知県)。
 第6章「小手先変更地名番付」は、読み方の一部を変えたり、文字を変えたりして、ちょっとだけ変更した地名。横綱は「米原[まいはら]町→米原[まいばら]市」(滋賀県)と「登米[とよま]町→登米[とめ]市」(宮城県)。「南部町」(青森県)や「有田町」(佐賀県)みたいに、「町」の読みを「まち」から「ちょう」に変えただけなんて実に微妙なところもある。また、漢字だった地名をひらがなに変えたところ多数。
 第7章「難読・誤読地名番付」は、郡名や自然地名などに由来する、読みにくい地名。横綱は「匝瑳市」(千葉県)と「宍粟市」(兵庫県)。この章では、地名そのものについては、難読であること以外はあまり問題視してないようだが、そうした名前を選ばざるを得なかった合併という制度については、やはり批判的なようである。
 最後は、「誰も大合併を望んでいなかった――あとがきにかえて」で締めくくる。このタ見出しに、著者の言いたいことが詰まっている。

| | コメント (0)

2018年6月17日 (日)

東山三十六峰

 前回に続いて、1950年代に出た本を取り上げる。内容は全然別分野だが。

東山三十六峰 京都案内記/京都新聞編集局編(河出新書,1957)

 京都東山には三十六の峰があるとされ、今では京都の観光関係のサイトや山歩き・ハイキング案内のサイトに、その36の山の名前が紹介されている。
 その山の名前は、北から順に、比叡山・御生山・赤山・修学院山・葉山・一乗寺山・茶山・瓜生山・北白川山・月待山・如意ヶ嶽・吉田山・紫雲山・善気山・椿ヶ峰・若王子山・南禅寺山・大日山・神明山・粟田山・華頂山・円山・長楽寺山・双林寺山・東大谷山・高台寺山・霊鷲山・鳥辺山・清水山・清閑寺山・阿弥陀ヶ峰・今熊野山・泉山・恵日山・光明峰・稲荷山
 いかにもいにしえから京の都に伝わる山の名前らしい。しかしこれは実は、昔から決まっていたわけではない。
 本書の序文によれば、「東山三十六峰」とは、江戸時代末期に賴山陽がそう呼んだことから定着した名称とのこと。だが、実は36の山が特定されていたわけではなかった。京都の東に連なる山々を、ただ漠然と「三十六峰」と呼んできたというだけのことらしい。
「その名は全国民に親しまれながらも、ながながと連なる峰々の起伏を、どことどこで分けるかもはっきりしなかった」状態だった「三十六峰」。それをひとつひとつはっきりさせた上で、現地取材した記事を連載したのが、地元の「京都新聞」だった。
 本書はその京都新聞の連載記事をまとめたもの。紹介されている「三十六峰」の名称と順番は、まったく同じ。
 そう、現在通用している「東山三十六峰」は、この本(正確には、その元になった新聞記事)で、初めて特定されたものだったのである。(Wikiの記事にも、「その後、1956年の京都新聞において、「三十六峰」を具体的に特定した記事が連載されることとなった」と書いてある。)
 とはいえ、それまでがはっきりしないものだっただけに、中には36個揃えるために無理やり山の名前をつけているものさえある。例えば、「紫雲山」。本文中にはこうある。

一体、この山を何んと呼ぶのだろうか。現在では黒谷、真如堂といういわば寺の俗称で親しまれており、本書も仮に"紫雲山"と名付けたが、これは黒谷(金戒光明寺)の山号であって、山そのものの名称ではない。(p.80)

 この記事が出るまで、山の名前さえはっきりしていなかったのである。
 寺の山号といえば、「華頂山」(知恩院の山号)とかもそうだし、他にも呼び名がいろいろあったり、どこが境目だかわからなかったりする山がある。それが今では、昔からその名前がついた山であったかのように扱われている。
 新聞の力はかくも大きい。
 それはともかく、本書はサブタイトルにもあるように、京都東山一帯の観光ガイドでもある。何しろ60年余り前に出版された本だから、交通案内で路面電車の停留所が書かれていたりとか、今と違っているところも多々ある。今では完全な住宅街になっている叡山電鉄一乗寺駅周辺は、「あたりを見渡すと、四方は一面田と畑ばかり」などと書かれている。しかしそれはそれで、歴史の証言として面白い。
 むしろ、60年経っているにもかかわらず、あまり変わってないところがけっこう多いのに感心する。さすが京都いうか、古都の伝統というものだろうか。
 でも、「東山三十六峰」の個別の名称については、本書が作った「伝統」なのだった。

Higashiyama

| | コメント (0)