時代小説

2008年7月27日 (日)

余寒の雪

余寒の雪/宇江佐真理(文春文庫,2003)
 以前、江戸の受験生物語『春風ぞ吹く』を紹介した(2008年1月13日のエントリー)宇江佐真理の短編集。人情時代小説7編を収録。
 「紫陽花」は、吉原から見受けされて江戸指折りの太物屋の後妻に収まった「お直」が、かつての遊女仲間「梅ヶ枝」の死を聞き、葬列を見送りに行って、吉原での日々をしみじみと思い出すという、要する「勝ち組」と「負け組」の物語。
 「あさきゆめみし」は、どこかで聞いたようなタイトルだが、女浄瑠璃「竹本京駒」の追っかけに情熱を燃やす紫屋(紫専門の染め物屋)の長男「正太郎」の夢と幻滅を描く。最初はバカかと思える正太郎が実は一番まともだったというのが皮肉がきいている。ただ、結末の正太郎のセリフ「そうさ、だって夢はいつか覚めるものだもの」はちょっと平凡。もう少し気のきいたことを言ってほしい。
 「藤尾の局」の主人公は、元大奥で「藤尾の局」として要職についていた「お梅」。母の病のために江戸城を出て、両替商の後妻に収まるが、夫の前妻の息子二人ができが悪く、暴力を働く。そのドラ息子たちとの対決が話の中心。とはいえ、息子たちは大奥で鍛えたお梅の敵ではないのだった。痛快な話である。
 「梅匂う」は、小間物屋の主人助松が、見せ物の大女「大滝太夫」に惚れ込む話。中年やもめと大女という異色の組み合わせだが、ストーリーそのものは現代もののラブストーリーと大して変わらない。
 「出奔」は一転して武士の世界を描く。旗本川村修富の甥、川村勝蔵の出奔の謎を巡る話で、意外な真相に迫っていく展開自体はいいのだが、主人公が何もかも手下にやらせているだけで、自分でほとんど動かないのは小説としてどんなものかという気もする。
 「蝦夷松前藩異聞」は、幕末の松前藩の内紛の話。この話でも主人公である蠣崎将監広伴は何もしない。前の「出奔」とこの作品の二編は、史実に基づいているのだが、出来事を追っているだけで、小説としての面白さを今ひとつ感じない。史実を忠実に描く小説には向いてない作家なのか。
 表題作「余寒の雪」では、仙台から江戸に出てきた、男装の剣術自慢の娘「原田知佐」が、だまされて旗本「鶴見俵四郎」と結婚させられることになる。最初はかたくなに拒否していた知佐が、鶴見の前妻の子「松之丞」と触れあううちに、次第に心を動かしていき、最後は誰もが予想するような結末になる。自分のことを終始「おれ」と呼び、東北訛りでしゃべる知佐のキャラクターがいい。

 全体的に、話がお約束どおりに進む傾向はあるものの、人情話でありながらべたついたところがなく、読んでいて爽快なのは好感が持てる。ベストはやはり「余寒の雪」、次が「藤尾の局」か。

余寒の雪 (文春文庫)

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2008年1月13日 (日)

12月に読んだ本から

 正月休みなどと称してサボっていたせいで、先月のまとめが13日になってしまった。
 12月に読んだ本は、なぜか江戸時代に関わる本が多かった。この際、江戸時代関連ばかりまとめてしまうことにする。

徳川家臣団 組織を支えたブレーンたち/綱淵謙錠(講談社文庫,1986)
続 徳川家臣団 組織を支えたブレーンたち/綱淵謙錠(講談社文庫,1987)

 徳川家に仕えた家臣や幕府要人を、1冊につき18人ずつ、2冊で合計36人取り上げて事績やその時代を物語る。全体を通して読むと、関ヶ原から明治維新まで、江戸幕府の創業から滅亡までの流れがわかるようになっている。
 というか、中には時代背景の説明がほとんどで、本人に関する記述はわずか、という章もある(「続」の水野忠成とか安藤信正とか)。幕臣列伝というより、列伝の形を借りた江戸幕府興亡史という方がふさわしいかもしれない。
 取り上げられている人物は、『徳川家臣団』では、榊原康政、酒井忠次、本多忠勝など、徳川家康とともに戦乱の時代を生きた家臣から始まって、3代将軍家光、4代将軍家綱に仕えた松平信綱まで。
 『続・徳川家臣団』は、4代将軍家綱の後半に大老を務めた酒井忠清から、柳沢吉保、大岡忠相(大岡越前ですね)、田沼意次、松平定信など江戸中期の有名幕臣たち、さらには幕末に活躍した井伊直弼、松平容保たちを取り上げ、最後は勝海舟で終わる。
 前半は約60年間で18人、後半は約200人で18人だから、作者もあとがきで書いているように密度がずいぶん違う。まあ、激動の時代にはそれだけ目立つ人材も多くなるもので、これはどんな王朝でも同じだろう。
 正直言って幕府の中期から後期、将軍で言えば家重とか家斉の時代になると、あまり波乱もなく、ややテンションが下がってくるのだが、幕末になると俄然また盛り上がってくる。特に松平容保の章には作者の強い思い入れが感じられる。次の一節など、この2冊を通じてのクライマックスと言えるかもしれない。(最後の勝海舟は、「エピローグ」みたいなもの。)

 …<義>に殉じた容保の姿は<悲劇的>という以外に形容すべきことばを探しえない。百十五年後の今日もなお、現代日本人に<義>に生きることの厳しさ・悲しさを問いかけて感動的である。

 本来は時代小説作家の綱淵謙錠だが、私にはどうも歴史ノンフィクションの作者としての印象の方が強い。この2冊も、非常によくできた歴史読み物で、ますますその印象が強くなってしまった。

旗本夫人が見た江戸のたそがれ 井関隆子のエスプリ日記/深沢秋男(文春新書,2007)
 江戸時代後期、12代将軍徳川家慶の時代、今の千代田区九段のあたりに井関家という旗本の屋敷があった。その屋敷の当主、井関親経の義理の母(父親の後妻)、隆子が1840年から1844年までつけていた日記が、この本の題材。
 江戸後期の旗本というと、「貧乏旗本」というイメージがすぐ浮かんでくるが、この井関家は幕府の要職についていたせいもあって、生活に不自由はなかった。日記をつけ始めた1840年当時、井関隆子はこの旗本屋敷の離れで、気ままな隠居生活(夫とは14年も前に死別)を送っていたとのこと。家事などは全部使用人がやってくれるし、家族は義理の息子以下、年下ばかりなので気をつかうこともない。実にうらやましい生活である。
 この隆子おばさんが暇にあかせて(?)つけていた日記には、日常生活のことや社会の出来事は無論、井関家や親戚たちが幕府の中核に近いところに仕えていたこともあって、幕政の裏話みたいなことまで書いてある。
 上で取り上げた『続・徳川家臣団』にも取り上げられている、水野忠邦や鳥居耀蔵の名前も出てくる。特に水野忠邦の「天保の改革」が失敗に終わる有様は、同時代の最大の事件だけに、生々しく経過が書かれ、その失敗の原因について冷静に評論してあったりする。副題にあるような「エスプリ日記」という呼び方はどうかという気がするが、井関隆子が合理的な精神を持つ観察者だったことは間違いないようだ。
 本書の終章には、日記からの引用として、「目の前のことを書き止めていても周囲の人間はあまり意味がないと思うかもしれないが、何百年もたつとこれも貴重な記録になる」というような趣旨の文章が載せられている。
 歴史の分野ではよく言われることだが、過去の世界で日常的なあたり前のことは、誰も書かないので記録に残らず、後世から見るとわからなくなっていることが多い。日常的な記録が時の経過により歴史的資料として価値を持つようになる、というのは近代的な感覚なのである。
 さらに、日記には、この時代信仰心が薄れ、法事などが形式だけになっていて意味のわからないお経を退屈な思いで聞いているだけ、という現在と同じような事情になっていたことも書いてある。
 明治維新の20数年前、この時代はタイトルにあるような「江戸のたそがれ」よりも、「近代のあけぼの」と言う方がふさわしいのではないか。この本は、江戸時代が現在と連続した社会なのだということを実感させてくれる。

 次は小説。

春風ぞ吹く 代書屋五郎太参る/宇江佐真理(新潮文庫,2003)
 作品中には年代ははっきり書いてないが、物語の終わりの方に、大田蜀山人が「翌々年」に死去したと書いてあるから、特定は簡単にできる。蜀山人が死んだのは1823年。だからこの小説の時代は、1820年から21年にかけてだ。上の『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』よりも20年前、将軍でいえば徳川家慶の先代、11代家斉の時代。
 主人公、村椿五郎太は小普請組(無役)の典型的な貧乏旗本。食っていくために代書屋をしている。五郎太は近所の旗本の娘、紀乃と相思相愛なのだが、紀乃の父親が頭が固く、無役の貧乏旗本になど娘はやれないという。役職につかなければ結婚を認めてもらえないのだ。
 小普請組の貧乏旗本が役職につくには、「学問吟味」で合格しなければならない。しかしこの「学問吟味」はいわば最終試験で、それを受験するためには、何段階もの試験に合格しなければならないのである。
 というわけで、結婚と役職獲得のため、五郎太がひたすら学問に励むというのがメインストーリー。これに代書屋のアルバイトを通じて知り合うことになったさまざまな人々との交流がからむ。チャンバラなし、人殺しもなし、主要な登場人物には悪人はいない。時代としては、そろそろ幕藩体制にもかげりが出てきていた頃だが、そんな気配も感じさせない。
 とにかく殺伐としたところが全然ない、人情味あふれる「貧乏旗本受験物語」。こういうほのぼのした時代小説もいいものである。
 終わりの方にちょっとだけ登場する大田蜀山人は、この小説中おそらく唯一の実在の人物で、タイトルはその蜀山人の狂歌からとったもの。
 なお、巻末の山内昌之の解説は、ただストーリーを要約しただけ(しかもネタバレ)で、むしろない方がまし。

春風ぞ吹く―代書屋五郎太参る (新潮文庫)

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2007年8月31日 (金)

梅雨将軍信長

梅雨将軍信長/新田次郎(新潮文庫,1979)
 新田次郎の比較的初期の時代小説集。
 「時代科学小説」というのがコンセプトらしい。といっても、SFではない。
 一言でいうと、自然科学的視点を取り入れた時代小説。
 表題作「梅雨将軍信長」は織田信長の戦歴に気象学がからむ話だし、「鳥人伝」は「江戸時代の鳥人」として有名な表具屋幸吉を扱った作品で、航空力学関係、「算士秘伝」は数学、といった具合。
 次の「灯明堂物語」は、幕末の御前崎を舞台に、灯明堂を守る人々のプライドを描いたすがすがしい作品で、この短編集中のベストといってもいいが、科学にはあまり関係がない。
 「時の日」は、例外的に飛鳥時代を舞台にした「漏刻事始め奇譚」ともいうべき話で、暦学または工学が関係。「二十一万石の数学者」はまたも数学関連。
 「女人禁制」は、江戸時代に女人禁制だった富士山頂上に、男装して登った奥女中の話で、ラストが痛快だが、これもあまり科学とは関係がない。
 「赤毛の司天台」はまたも気象学関連。やはり気象庁職員という経歴が時代小説でも生きているようだ。
 最後の「隠密海を渡る」は、100ページ以上ある中編で、かなり読み応えのある江戸時代版スパイ・アクションだが、科学とは関係がない。
 結局、科学と何らかの関係がある話が9編中6編。「時代科学小説」だけで本1冊というのはやはり無理だったようだ。ユニークな短編集だが、どうも試作品という印象が強い。
 私的ベストを選ぶなら、「灯明堂物語」、「女人禁制」、「隠密海を渡る」。はからずも科学と関係ない3編になってしまった。科学と時代小説という組み合わせにはやはり無理があるのだろうか。

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2007年5月20日 (日)

神隠し

神隠し/藤沢周平(新潮文庫,1983)
 1979年に刊行された短編集。もちろん全部時代小説。
 藤沢周平というとなんとなく、山本周五郎みたいな人情時代劇の後継者というイメージがあったのだが、この本に収録されているのは、人情を描くというよりは、もっとシニカルで醒めた視線を感じさせる、人の悪意や運命の残酷さを正面から見据えたような物語が多い。
 全11編のうち、「拐し」、「疫病神」、「告白」、「夜の雷雨」の主人公は家族に裏切られ、「昔の仲間」、「鬼」の主人公は仲間や恋人を裏切って破滅し、「三年目」、「暗い渦」の主人公は破滅しないまでも自分に思いを寄せる人を裏切り、表題作「神隠し」の主人公は自分の見栄と嫉妬心に負けて人を殺してしまう。
 早い話が、裏切りと殺人と嫉妬と憎悪と絶望が渦巻く暗い話ばかりである。
 「疫病神」とか「夜の雷雨」とか「暗い渦」とか、題名だけ見ても暗い。
 そんな中で、ハッピーエンドに終わる「桃の木の下で」や、ハッピーではないが何となくほのぼのかつしんみりとした終わり方の「小鶴」などを読むと、闇夜に一筋の灯りを見るような思いがする。
 だからベストはこの2作、あと一つ選ぶとすれば、「暗い渦」か。

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