正月休みなどと称してサボっていたせいで、先月のまとめが13日になってしまった。
12月に読んだ本は、なぜか江戸時代に関わる本が多かった。この際、江戸時代関連ばかりまとめてしまうことにする。
徳川家臣団 組織を支えたブレーンたち/綱淵謙錠(講談社文庫,1986)
続 徳川家臣団 組織を支えたブレーンたち/綱淵謙錠(講談社文庫,1987)
徳川家に仕えた家臣や幕府要人を、1冊につき18人ずつ、2冊で合計36人取り上げて事績やその時代を物語る。全体を通して読むと、関ヶ原から明治維新まで、江戸幕府の創業から滅亡までの流れがわかるようになっている。
というか、中には時代背景の説明がほとんどで、本人に関する記述はわずか、という章もある(「続」の水野忠成とか安藤信正とか)。幕臣列伝というより、列伝の形を借りた江戸幕府興亡史という方がふさわしいかもしれない。
取り上げられている人物は、『徳川家臣団』では、榊原康政、酒井忠次、本多忠勝など、徳川家康とともに戦乱の時代を生きた家臣から始まって、3代将軍家光、4代将軍家綱に仕えた松平信綱まで。
『続・徳川家臣団』は、4代将軍家綱の後半に大老を務めた酒井忠清から、柳沢吉保、大岡忠相(大岡越前ですね)、田沼意次、松平定信など江戸中期の有名幕臣たち、さらには幕末に活躍した井伊直弼、松平容保たちを取り上げ、最後は勝海舟で終わる。
前半は約60年間で18人、後半は約200人で18人だから、作者もあとがきで書いているように密度がずいぶん違う。まあ、激動の時代にはそれだけ目立つ人材も多くなるもので、これはどんな王朝でも同じだろう。
正直言って幕府の中期から後期、将軍で言えば家重とか家斉の時代になると、あまり波乱もなく、ややテンションが下がってくるのだが、幕末になると俄然また盛り上がってくる。特に松平容保の章には作者の強い思い入れが感じられる。次の一節など、この2冊を通じてのクライマックスと言えるかもしれない。(最後の勝海舟は、「エピローグ」みたいなもの。)
…<義>に殉じた容保の姿は<悲劇的>という以外に形容すべきことばを探しえない。百十五年後の今日もなお、現代日本人に<義>に生きることの厳しさ・悲しさを問いかけて感動的である。
本来は時代小説作家の綱淵謙錠だが、私にはどうも歴史ノンフィクションの作者としての印象の方が強い。この2冊も、非常によくできた歴史読み物で、ますますその印象が強くなってしまった。
旗本夫人が見た江戸のたそがれ 井関隆子のエスプリ日記/深沢秋男(文春新書,2007)
江戸時代後期、12代将軍徳川家慶の時代、今の千代田区九段のあたりに井関家という旗本の屋敷があった。その屋敷の当主、井関親経の義理の母(父親の後妻)、隆子が1840年から1844年までつけていた日記が、この本の題材。
江戸後期の旗本というと、「貧乏旗本」というイメージがすぐ浮かんでくるが、この井関家は幕府の要職についていたせいもあって、生活に不自由はなかった。日記をつけ始めた1840年当時、井関隆子はこの旗本屋敷の離れで、気ままな隠居生活(夫とは14年も前に死別)を送っていたとのこと。家事などは全部使用人がやってくれるし、家族は義理の息子以下、年下ばかりなので気をつかうこともない。実にうらやましい生活である。
この隆子おばさんが暇にあかせて(?)つけていた日記には、日常生活のことや社会の出来事は無論、井関家や親戚たちが幕府の中核に近いところに仕えていたこともあって、幕政の裏話みたいなことまで書いてある。
上で取り上げた『続・徳川家臣団』にも取り上げられている、水野忠邦や鳥居耀蔵の名前も出てくる。特に水野忠邦の「天保の改革」が失敗に終わる有様は、同時代の最大の事件だけに、生々しく経過が書かれ、その失敗の原因について冷静に評論してあったりする。副題にあるような「エスプリ日記」という呼び方はどうかという気がするが、井関隆子が合理的な精神を持つ観察者だったことは間違いないようだ。
本書の終章には、日記からの引用として、「目の前のことを書き止めていても周囲の人間はあまり意味がないと思うかもしれないが、何百年もたつとこれも貴重な記録になる」というような趣旨の文章が載せられている。
歴史の分野ではよく言われることだが、過去の世界で日常的なあたり前のことは、誰も書かないので記録に残らず、後世から見るとわからなくなっていることが多い。日常的な記録が時の経過により歴史的資料として価値を持つようになる、というのは近代的な感覚なのである。
さらに、日記には、この時代信仰心が薄れ、法事などが形式だけになっていて意味のわからないお経を退屈な思いで聞いているだけ、という現在と同じような事情になっていたことも書いてある。
明治維新の20数年前、この時代はタイトルにあるような「江戸のたそがれ」よりも、「近代のあけぼの」と言う方がふさわしいのではないか。この本は、江戸時代が現在と連続した社会なのだということを実感させてくれる。
次は小説。
春風ぞ吹く 代書屋五郎太参る/宇江佐真理(新潮文庫,2003)
作品中には年代ははっきり書いてないが、物語の終わりの方に、大田蜀山人が「翌々年」に死去したと書いてあるから、特定は簡単にできる。蜀山人が死んだのは1823年。だからこの小説の時代は、1820年から21年にかけてだ。上の『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』よりも20年前、将軍でいえば徳川家慶の先代、11代家斉の時代。
主人公、村椿五郎太は小普請組(無役)の典型的な貧乏旗本。食っていくために代書屋をしている。五郎太は近所の旗本の娘、紀乃と相思相愛なのだが、紀乃の父親が頭が固く、無役の貧乏旗本になど娘はやれないという。役職につかなければ結婚を認めてもらえないのだ。
小普請組の貧乏旗本が役職につくには、「学問吟味」で合格しなければならない。しかしこの「学問吟味」はいわば最終試験で、それを受験するためには、何段階もの試験に合格しなければならないのである。
というわけで、結婚と役職獲得のため、五郎太がひたすら学問に励むというのがメインストーリー。これに代書屋のアルバイトを通じて知り合うことになったさまざまな人々との交流がからむ。チャンバラなし、人殺しもなし、主要な登場人物には悪人はいない。時代としては、そろそろ幕藩体制にもかげりが出てきていた頃だが、そんな気配も感じさせない。
とにかく殺伐としたところが全然ない、人情味あふれる「貧乏旗本受験物語」。こういうほのぼのした時代小説もいいものである。
終わりの方にちょっとだけ登場する大田蜀山人は、この小説中おそらく唯一の実在の人物で、タイトルはその蜀山人の狂歌からとったもの。
なお、巻末の山内昌之の解説は、ただストーリーを要約しただけ(しかもネタバレ)で、むしろない方がまし。