世界の名作を読む 海外文学講義/工藤庸子ほか(角川ソフィア文庫,2016)
放送大学のラジオ科目「世界の名作を読む」の印刷教材を編集し直したもの。要するに大学の講義テキストの再編集版。
近代以後の世界文学の名作を取り上げ、さまざまな視点からの「読み方」を講義する。名作といっても、長編もあれば短編もあり、非常に有名な作品もあれば、一般にはあまり知られていない作品もある。
全16章、というか16講。メインの講師である工藤庸子がそのうち10講を担当していて、池内紀、柴田元幸、沼野充義の3人がゲスト講師的に2講ずつ、それぞれ専門とする分野を受け持っている。
最初の1から4までは工藤庸子の担当で、1講目は近代小説の元祖、セルバンテス『ドン・キホーテ』。2は物語の原型に立ち戻って「昔話――シャルル・ペローとグリム兄弟」。同じ話のペロー版とグリム版を比較する。
3はダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』で、物語の背後に植民地主義の影を読み取る(ポスト・コロニアル批評)。4は、本書で取り上げる作品の中で唯一の「恋愛小説」と著者が言う、シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』。永遠の「婚活小説」でもあるのだそうだ。
続く2講はロシア文学が専門の沼野充義の担当で、5がドストエフスキー『罪と罰』、6はチェーホフの「ワーニカ」など3つの短編。大長編と短編という対照的な作品を選んでいる。主に登場人物の精神に注目して内容を分析、両方ともに現代に通じるところがあるそうだ。
7と8は再び工藤庸子に戻り、フローベール『ボヴァリー夫人』、同じくフローベールの短編「純な心」を取り上げる。フランス文学は工藤庸子の専門である。この2講では主として小説技法に注目しており、フランス語の文法や単語の選び方にまで言及するなど、さすがに専門家と思わせる。本書の中で一番学術的な雰囲気の部分かもしれない。
9と10は柴田元幸の担当で、対象はアメリカ文学。9はハーマン・メルヴィル、『白鯨』ではなく、短編「書写人バートルビー」を取り上げている。バートルビーという特異なキャラクターの分析を通じて、この作品を「都市小説」と位置づける。10は、マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』。最大の魅力は語り口だそうだ。
11はまた工藤庸子でフランス作品、ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』で、その「語りの技法」を解明していく。現在のエンタテインメントでは普通になっているさまざまな語りのテクニックをヴェルヌが駆使していたことがわかる。
12と13は池内紀の担当でもちろんドイツ文学。両方ともカフカの短編。「変身」、そして「断食芸人」。新鮮な視点と意外な解釈を提示してくれるが、半分くらいが作品の引用である。
最後の3講は工藤庸子担当。14「 女性と文学――ヴァージニア・ウルフとコレット」は作品論というより作家論、むしろフェミニズム批評と言った方がいいか。15はあのマルセル・プルースト『失われた時を求めて』。本書に出てくる作品の中で最長。この大長編から、記憶、小説の書き方、世相風俗、病と身体、死、愛などさまざまなトピックを抽出する。結局全体像はよくわからない。
最後に出てくるのはイタロ・カルヴィーノ。しかし取り上げているのは、代表作とされる幻想的な長編ではなく、リアリズム的な3編の短編で、戦争体験や小説技法にからめた読解を展開している。
各講の末尾には「読書案内」があり、取り上げられた作品の原本や関連書籍が紹介されている。しかし本書は読書案内ではないし、名作のあらすじ解説でもない。多様な「読み」を通じて読書体験を豊かにする可能性を示してくれる本なのである。少々細部にこだわりすぎと感じる人もいるかもしれないが。
集合住宅 二〇世紀のユートピア/松葉一清(ちくま新書,2016)
建築の本だが、著者は建築学者というより建築評論家で、専門はポスト・モダニスムとのこと。本書も、普通のアパートやマンション建築の歴史を書いた本ではない。
20世紀前半、労働者のための住みやすく、安価で美しい集合住宅、「労働者のユートピア」を建設しようという動きがヨーロッパを中心に起きていた。著者自らがその建築の実例を各地に訪ねながら、労働者ユートピアという思想の軌跡を辿る、建築史と社会思想史をミックスしたような本。
内容は一応6章構成。
第1章「軍艦島-ユートピア/ディストピア」はあの「軍艦島」探訪記。専門家による調査なので、崩れかけた建物の内部までかなり詳細に調査しているのだが、すさまじい荒廃ぶりが紹介される。後の章で取り上げられる同時代のヨーロッパの住宅がまだ現役なのに比べて、その落差はあまりに大きい。
第2章「ノイエ・フランクフルト-銀行都市のもうひとつの顔」では、フランクフルトの郊外に1920年代から30年代にかけて建てられた集合住宅「ジードルンク」の実例を訪ねる。緑地の中に低層の集合住宅がゆったりと配置された「ジードルンク」は、「恐らく、二一世紀日本の低家賃の集合住宅で、これだけの性能の台所が組み込まれているところは皆無に近いだろう」と書かれているくらい、環境も設備も先進的なのだった。
第3章「赤いウィーン-政治とユートピア」。舞台は変わってウィーン。やはり20年代から30年代にかけて建てられた労働者向け集合住宅は、数ブロックを専有する城壁のような巨大建造物。その代表的な建物は「カール・マルクス・ホフ」と名づけられている。日本ではハプスブルク家の都というイメージしかないところだが、これもウィーンの顔なのだ。
第4章「アムステルダム-表現至上の建築家たちの思い」では、1910年代から20年代に建てられたアムステルダム郊外の集合住宅群が登場。建築家たちが独創性を競ったような個性的な集合住宅の数々が紹介される。機能性はあるが画一性が目立ったドイツやオーストリアの集合住宅とは対照的。
第5章「「お値打ち住宅協会」のパリ」。ヨーロッパの最後はパリ。19世紀後半にまで遡るパリの集合住宅の数々を訪問。中でも「シテ・ナポレオン」(1853年)は、本書で取り上げたような「労働者のユートピア」を目指す集合住宅の最初の例だという。1930年代にはウィーンの「カール・マルクス・ホフ」そっくりの集合住宅も建てられている。集合住宅史の縮図のような建築群が残っているのだった。
第6章「東京-帝都復興、ユートピアとスラム・クリアランス」。1920年代から30年代、ヨーロッパの動向を受けて日本でも「民衆住宅」の建築を目指す動きが起きた。その代表が「同潤会」住宅。建築としては当時の最先端だったが、日本の環境と当時の建築技術の限界で、長持ちさせることができなかった。同潤会のアパートは先年老朽化によりすべて取り壊されてしまった。軍艦島もそうだが、日本の集合住宅の最大の弱点が耐久性なのだった。
エピローグ「語り継がれる集合住宅」。エピローグと言いながら、やたら長い。ほとんどの章より長い。実質第7章みたいなもの。本編では出てこなかったイギリスやアメリカの事例、そして博物館になったパリの巨大集合住宅、世界遺産になったベルリンの「ジードルンク」などを紹介しながら、今も生き続ける「労働者のユートピア」を語る。
写真が豊富に掲載されているが、新書という制限上、どれも小さくて白黒なのが残念。こういう内容なら、カラー写真入りハードカバーでも読んでみたい。