雑学

2009年7月 7日 (火)

アメリカ人の常識と非常識

うそ?ほんと?小事典/タッド・トゥレジャ;刈田元司訳(現代教養文庫,1983)
 タイトルといい表紙といい、一見、よくある雑学本。
 実際、人々が常識だと思っている「まちがった思いこみ」を列挙し、その真実を解説している内容なのだから、雑学本の一種には違いない。
 ただ、これは翻訳本であり、常識というのは欧米人(特にアメリカ人)にとっての常識だということだ。日本人から見たら、欧米人はこんなことを常識と思っているのか―という発見の本として楽しめるのだ。
 例えば、「火傷にはバターを塗るといい」とか、「コーヒーを飲むと酔いがさめる」とか、「ヘビの皮膚はヌルヌルしている」とか、「ヤマアラシは針を飛ばす」とか、いう「常識」が間違っているという説明があるが、そもそも普通の日本人はそんなこと思ってないだろう。こういうのを読むと、そう思っているアメリカ人が多いことがわかるのだ。
 ホームランの世界記録を持っているのがハンク・アーロンではなく王貞治という「無名の」選手だという解説も、この本が書かれた当時(1982年)のアメリカ人の認識がどういうものかよくわかる。今ではアメリカでもずっと有名になっているようだが。
 一方では、普通の日本人の常識には入ってない「バウンティ号のブライ船長」、「アメリカの恋人メアリ・ピックフォード」、「親殺しのリジー・ボーデン」、「リトル・ビッグ・ホーンの戦い」、「シカゴ大火災」などが、アメリカ人なら誰でも知ってる(そしてそれについて間違った思いこみをしている)ことだということもわかる。
 もちろん、アメリカ人も日本人も同じように誤解していることも多い。「フランケンシュタインは科学者の名前であって怪物の名前ではない」、「アラビア数字はアラビア起源ではない」、「マリー・アントワネットは『パンがなければお菓子を食べればいい』などとは言ってない」、「薄暗いところで本を読んでも近眼にはならない」などは、どこの国でも通用するだろう。でも、そういうことなら、日本人の書いた本を読めば充分である。
 訳者あとがきによれば、「原著がアメリカ出版であるために、日本の読者にとっては理解を越えたり、興味をひきそうにもない項目が若干あり、各条項から多いところで四、五項目、少ないところで一項目を残念ながら省いた」とある。全体で6分の1弱を抜いたのだそうだ。
 なんてもったいないことをするのか! どこの国でも通用するような項目を削って、「日本の読者にとっては理解を越えた」思いこみこそ収録してほしかった。

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2008年11月22日 (土)

名字の日本史

名字の日本史/森岡浩(ビジネス社・B選書,2005)
 著者は『 日本名字家系大事典』(東京堂出版)など、名字に関する本を多数出しているライター。本人のホームページには、「姓氏研究家・野球史研究家」とある。森岡浩之と名前が似てるが全然関係ない。
 「まえがき」によれば、この本は「名字の歴史」ではなく、「名字から見た日本史」であり、単なる「雑学本」ではなく「日本通史」だという。
 実際には、主な名字のルーツや変遷、歴史上で重要な役割を果たした家系にまつわる「名字の歴史」と、名字とは必ずしも直接関係しない、単なる日本史上の人物を扱ったエピソードを混じえて、古代から中世、近世、近代へと、目立つトピックスを基本的に見開き単位で語っていく構成。厳密に言えば古代には「名字」はなく、「姓」のはずなのだが、この本では広い意味で家系につく名前を全部名字と呼んでいるようだ。
 全七章だが、そのうち三~五章、ページ数にすると全体の半分近くを、鎌倉~戦国時代を扱った「武家編」が占めている。「武士の誕生と名字の爆発」の項で説明されているように、武士たちが古代からの姓のかわりに、自分で勝手に「苗字」を作り出して日常の名乗りに使うようになって、日本を世界有数の「名字が多い国」とすることになった原因を作ったのがこの時代だからだ。それにしても「名字の爆発」という表現はすごいね。「カンブリア爆発」みたいだ。
 歴史エピソードの合間には、都道府県ごと地域的特徴を1ページで解説した「お国の名字」のパートがあり、さらになぜかこの部分だけ字が大きい「なるほどコラム」と「珍名さんいらっしゃい」がはさまる。その上、半ページの空きスペースを使って、小さい字のミニコラムもあるというサービスぶり。
 個々のエピソードには興味を引くものもあるし(「現存する豊臣姓と羽柴姓」とか、「支倉使節団とスペインの「日本さん」」とか)、歴史上の誤解を解くエピソードもあったりして(「江戸時代、武士以外には名字がないという大嘘」とか)、おおむねデータ的にも正確だと思うのし、情報量の多さは特筆もの。ただ、著者が宣言したように「通史」になっているかというと、構成がごちゃごちゃしている上に、雑多な情報をあれこれ詰め込みすぎて、結局雑学本になってしまっている。まあ、雑学本だと思って見れば、かなりよくできた本だと言えるだろう。

名字の日本史 (B選書)

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2008年11月 6日 (木)

数の根拠

 最初に断っておくが、今回とりあげる本は、自信をもって「おすすめしない本」である。
 新刊で並んでいることはないはずだが、古本で見つけても、よほど物好きな人以外は、買って後悔しても知らないと忠告しておきたい。

そこが知りたい数の根拠/小泉十三(雄鶏社 オン・セレクト・シリーズ,1994)
 京都の古本市で買った本。一見して雑学本みたいだが、この手の本には珍しく、小さいながらもハードカバーだし、着眼点もおもしろそうなので、つい買ってみた。

 結論からいうと、だまされた。数の「根拠」ではなく、ほとんどの場合、「由来」や「事情」を述べているだけ。
 たとえば「四十九日の法要」の項では、49日というのは死者が現世から来世に転生する「中有」の最終日、との説明があるが、これは、なぜ「49」なのかという根拠の説明にはまるでなってない。
 また、「1年=365日」の項では、紀元前のエジプトでナイル川の観察の結果、1年が365日と決まった、と説明するが、一番肝心なこの数字の根拠、地球の公転周期のことをまったく書いてない。
 いい加減なところは他にもあって、「1ドル=360円」の項では、「円」が360度だから360円になったという俗説を堂々と書いていたりする。「これが本当なら」という注釈つきではあるが、それなら別の説も書くべきだろう。実際には当時の実勢レートを基準にした慎重な検討の結果だったことは、次の論文からもわかる。(一時は「330円」がかなり優勢だったらしい。)
 http://www.cm.hit-u.ac.jp/coe/seika/WP/HJBS_WP_029.pdf

 さらに「大の月・小の月」の項では、月名の語源についてこんなことを書いている。 

英語で、九月は「September」だが、これは「Seventh」というラテン語が語源。

 この一文を読んだ時は「ん?」としばらく目が点になってしまった。これでは、「Seventh」という単語そのものがラテン語だと言ってるようにしか読めない。まさか中学校で習うこんな英語をラテン語だと思いこんでいるわけではないだろう(と思う)。もちろん、これは「Seventhを意味するラテン語」という意味なのだろう。もっとも、ラテン語で「七番目」に相当する序数詞は「septimus」であって、基数詞の「七」にあたる「septem」の方が月名の形に近い。
 他にも「ラテン語の「eighth」、「ninth」、「tenth」」などと書いている。別に英語で書かずに、「ラテン語の「七」、「八」、「九」」などと書けばいいのに、何を考えているのだろう。まさか、「seventh」、「eighth」などが本当にラテン語だと思っていたのだろうか。
 唯一役にたったと思ったのが、「除夜の鐘108」の説明。「六根(目・耳・鼻・口・身・意)」×「三不同(好・平・悪)」×「染・浄」×「3世(現在・過去・未来)」で108だという。でも、他の部分がいい加減なので、これも鵜呑みにするのではなく、裏をとっておく必要がある。
 巻末の参考文献を見たら、ほとんど雑学本ばかり。雑学本から雑学本を作るという、一番ひどいパターンだった。こんな本を定価1100円で売るなんて、あんまりである。私はまあ、300円で買ったのだが、それでももったいなかった。

 著者は他に『頭がいい人の習慣術』など、「頭がいい人の○○」という本をやたらと出している。でも、この本を読んで頭がよくなるとは思えない。

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2008年2月 8日 (金)

中公新書ラクレのジョーク集シリーズ

 2001年に刊行が始まった「中公新書ラクレ」は、言ってみれば「中公新書」の大衆版みたいなもの。その中に一連の「ジョーク集」シリーズがある。
 厳密には、シリーズとはどこにも書いてないが、本家中公新書の『物語○○の歴史』みたいに、事実上のシリーズになっている。
 どんなのがあるかというと、出た順番に並べれば次のとおり。

 世界ビジネスジョーク集/おおばともみつ著, 2003.2
 世界の紛争地ジョーク集/早坂隆著, 2004.3
 世界反米ジョーク集/早坂隆著, 2005.1
 大学教授コテンパン・ジョーク集/坂井博通著, 2005.7
 世界の日本人ジョーク集/早坂隆著, 2006.1
 少子化「必毒」ジョーク集/坂井博通 , 2006.6
 日本の戦時下ジョーク集/早坂隆, 2007.7
 爆笑!大江戸ジョーク集/笛吹明生, 2007.11

 この他に、『世界のイスラムジョーク集』(早坂隆)が、中公文庫から2007年に出ている。中央公論はよほどジョーク集が好きなようだ。
 この一覧を見ると、半分以上をルポライターの早坂隆が書いていることもわかる。

 今回はこの中から3冊を取り上げる。うち2冊は早坂隆の著書。

世界の紛争地ジョーク集/早坂隆(中公新書ラクレ,2004)
 やばい地域で流布しているやばいジョークを集めた本…かと思ったら、普通のジョーク集だった。
 確かに、イラク、パレスチナ、アフガニスタンといった紛争地は含まれているが、エストニア、リトアニア、チェコ、ハンガリー、インドといった、少なくともこの本が出た時点では別に紛争地じゃない国も多く含まれている。過去には紛争が起きていたということかもしれないが、そんなことを言えば、世界中「紛争地」じゃない国なんてなくなってしまう。
 メインになっているのは、旧ソ連・東欧の「共産国家ジョーク」。およびその派生系ともいえる各地域の「独裁者ジョーク」。これはこれでジョークとしてはおもしろいのだが、どこかで聞いたようなネタが多い。
 しかもネタが足りないのか、トルコの「ナスレッディン・ホジャ」とか、モンゴルの民話とか、伝承小咄まで含めている。
 ジョーク初心者にはおもしろいかもしれないが、正直、やや期待はずれの内容だった。
 そんな中でも、一番おもしろいと思ったのは、ルーマニアの、「マイクロソフトの車」。

 
ビル・ゲイツ率いるマイクロソフ卜が、新しく自動車業界に進出することになった。しかし、
 できあがった車は以下のようなものだった。
 一 特に理由がなくても二日に一度は突然動かなくなる
 二 高速道路ではそれが特に顕著である              、
 三 こうした場含、最悪のケースとしてはエンジンを総取り替えしなければならない
 四 ユーザーは新しい道ができるとそのたびに、新しい車に買い替えなければならない


 この点に関しては、ルーマニア人の気持ちがよくわかる。


世界の日本人ジョーク集/早坂隆(中公新書ラクレ,2006)

 この本は売れた。めちゃくちゃ売れた。トーハンの調査では2007年のベストセラー・ランキング第19位だそうだ。
 間違いなくジョーク集シリーズ、というか中公新書ラクレのベストセラーである。私は発売直後に買ったのだが、その時はこんなに売れるとは思ってなかった。
 日本人くらい、外国から自分たちがどう思われているか気にしている国民はないという話がある。加えて、エスニック・ジョークはどんなネタでもおもしろい。政治ジョークと並んで、ちょっとブラックで、なおかつ知的なジョークの宝庫である。
 考えてみれば、この二つの要素が組み合わさっているのだから、売れて当たり前なのだった。
 世界のジョークに現れる日本人の特性とは、ハイテク、勤勉、金持ち、杓子定規、英語が下手といった、予想されるものばかり。まあ、ステレオタイプだからこそエスニック・ジョークのネタになるわけで。
 中にはマンガやアニメをネタにしたジョークもあるようだが、まだまだ少数派。
 この本の中でよくできたジョークだと思われるものは、どれもステレオタイプをネタにしたもの。一番気に入ったのは、最初で紹介される「不良品の設計図を送ってください」だったりする。
 この本でひとつ問題なのは、自分をネタにしたジョークは言いにくいので、せっかく気に入ったものがあっても実際には使いにくいということだろう。読むだけなら問題なしにおもしろい。
 ただ、正直言ってジョーク自体として見れば、秀逸なものがそんなに揃っているわけではない。このおもしろさには「日本人をネタにしているからおもしろい」という要因がかなりの部分を占めている。


爆笑!大江戸ジョーク集/笛吹明生(中公新書ラクレ,2007)

 江戸笑話集の数は多い。原典そのものが多いし、現代語に翻訳されたものも、古典文学の一種として、各種の全集や文庫に収録されている。
 しかしこれがおもしろいかというと、この本のまえがきにも書いてあるように、「当時の世相がわからないと通じないギャグ」が多くて、たいしておもしろくないのである。
 この本では、小咄のたぐいよりむしろ実際に起こったできごとの方に、今の目から見ればおかしな話が多いということで、かなりの数の実話を収めている。「笑えないジョークより笑える実話」というわけだ。
 確かにジョークとしか思えないような実話は多いし、それはそれでいいのだが、問題は、収録された話をどこから取ってきたか、解説に書いてないケースが多いことだ。どれが実話でどれがジョークなのかわからない。それくらいははっきりさせてほしいものである。
 が、何より問題なのは、「爆笑」と言えるほど笑える話がないことだ。ジョークというのは、権力者や権威あるものを笑いものにするのが一番おもしろい、と思う。たとえば冷戦時代の共産圏のジョークみたいなやつ。ひとつ間違えば牢屋行き、そういう危ない類のもの。それが、この本にはあまりに少ない。
 日本では、「二条河原落首」以来、その種のジョークの役割はもっぱら狂歌、落首(さらに江戸時代なら川柳)が担うものになっている。著者はまえがきで「落語・小咄、川柳・狂歌」などは、扱った書籍が多いので、「ここでは扱うのを遠慮した」と書いているが、そんなことにこだわらずに、「大江戸ジョーク集」と題する以上、川柳、狂歌、都々逸なども入れるべきだったと思うのだが。

爆笑!大江戸ジョーク集 (中公新書ラクレ)

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2007年11月21日 (水)

「ケンミンセイ」を笑う

真説 県民大図鑑/「ニッポン・ジャーナル」編集部編 堀五朗訳(扶桑社文庫,2000)
 「県民性」の本というのは山ほど出ているが、これは、そういったあまたの「県民性本」そのものをパロディ化した、ある意味究極の「県民性」本。
 東京に在住する外国人のための情報誌「ニッポン・ジャーナル」の外国人編集者たちが、他の「県民性」本をネタに作った本『The Hilarious Japanese』の全訳、と序文には書いてある。参考にされたという「県民性」本は中央新書からPHP文庫まで11冊。メタ「県民性」本とでも言おうか。
 本文のいたるところに訳注がつき、出典が書いてある。外国人がそれらの参考文献を鵜呑みにして書いたものだから、原典の嘘をそのまま書いたり、日本語を誤読したり、勘違いや見当はずれなことも書いてあったりするわけで、「訳注」でその間違いを丁寧に指摘したり、その県の出身者が「そんなことはない」と否定する言葉を紹介したりしている。
 例えば「三重県」の章では、本文に「日本では経済活動にまで、ニンジャが暗躍しているというこの事実に我々は驚きと興奮を感じずにはいられません。」と書いてあり、それに対する「訳注」では、「荒唐無稽な解釈に、勝手に興奮していればいいと思う」と冷淡に突き放している。
 もうおわかりと思うが、「ニッポン・ジャーナル」の翻訳なんてのは大嘘。外国人が書いたものを翻訳した、という設定で書かれた冗談本なのである。実は「訳者」の堀五朗という人が全部書いたのだろう。

 最後のページには、わざわざ「『ニッポン・ジャーナル』なる雑誌は架空のものであり...」云々という注意書きが書いてある。これはまったく余計。こんなもの、普通の判断力を持った人が読めば、翻訳を装った冗談だとわかるはずで、本当のオリジナルがあるなんて思うのが悪い。
 この手の冗談本はけっこう好きなのだが、最後にこういう蛇足を書いてあるのだけが残念。 
 なお、「図鑑」というタイトルにもかかわらず、挿絵のたぐいは全然ない(地図はあるが)。

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2007年8月16日 (木)

トンデモ一行知識の世界

トンデモ一行知識の世界/唐沢俊一(ちくま文庫,2002)
 唐沢俊一といえば、「トリビア」という言葉を世の中に広めた人間としてすっかり知れ渡っていて、中には「『トリビア』生みの親」などというわけのわからない称号をたてまつるメディアまで出る始末だ。TV番組にまでなったおかげで、かえって、「トリビア」が一過性のブームみたいに思われるようになってしまったのは残念なことである。
 この本は、「トリビア」という言葉が日本で流行る前の発行で、唐沢俊一がこの本で、「一行知識」という言葉で呼んでいるのは、ほぼそれと同等のものである。より正確にいうと、「トリビア」というのは、元ネタそのもので、それを簡潔に表現したものが「一行知識」。
 無数にある一行知識の中からめぼしいものをとりあげ、それにまつわるエッセイだかツッコミだか追加ネタだか、とにかくさらなるムダ知識を加えて、できあがったのがこの本。
 「一行知識は、それが実生活に無用のものであればあるほど純粋におもしろい」と、著者はまえがきで書いている。その点、この本は無用のネタを無用の短文で表現したものについて、無用の文章を連ねたものだから、無用の三段重ねみたいなものである。これがおもしろくないはずがない。
 おまけに、各ページの端に「一行知識」がついているという、サービスぶり。
 なお、TV番組「トリビアの泉」で有名になったアシモフの名言「人間は、無用な知識の数が増えることで快感を感じることができる、唯一の動物である。」も、この本のまえがきに引用されている。

 ところで、「トリビアの泉」という番組は、基本的姿勢が間違っていたのではないかと思う。トリビアを取材で検証するというのが、もう間違い。実験で新しい「トリビア」を作るなんてのも、もうとんでもない間違い。
 「間違いを間違いだからといって無下に排斥するのは人間の文化を貧しいものにしてしまう」と、この本にも書いてあるが、雑学知識というものは、それが必ずしも正しいとは限らない、怪しい部分もあるからおもしろいのである。確認してしまえば、それはもう「どうでもいい事実」にすぎなくなってしまう。
 真の「トリビア」とは何かを知りたければ、この本を読むべきだろう。

 ただ、売るためとはいえ、脈絡もなくタイトルに「トンデモ」とつけるのはどんなものだろうか(多分編集者の発案じゃないかとは思うが)。

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