奇想

2009年10月 6日 (火)

狼の一族

狼の一族(異色作家短篇集 18 アンソロジー/アメリカ篇)/若島正編;深町眞理子ほか訳(早川書房,2007)

 往年の名シリーズ、<異色作家短篇集>の再刊に当たって、新たに編集されることになったアンソロジー3冊のうちの1冊。サブタイトルのとおり、アメリカ作家の作品11篇を収録。発表年代は1952年から1975年まで。

 「ジェフを探して」(フリッツ・ライバー)は、下町のバーを舞台とした、普通のホラー。
 「貯金箱の殺人」(ジャック・リッチー)は、貯金箱に貯めた27ドル50セントで少年が殺人を依頼に来るという、意表をつく場面から始まるミステリ。どんでん返しにつぐどんでん返しが秀逸。
 「鶏占い師」(チャールズ・ウィルフォード)は、カリブ海に浮かぶグレナディン諸島のベキア島(実在する)を舞台とした、土俗的ムードあふれる物語。読み方によっては一種のファンタジーかもしれない。「鶏占い」というのは、生きた鶏(シャモ)を使ったコッコリさんみたいなもの。ところで、翻訳で「ベキア島」が途中から「ベキラ島」になっているのはなぜなのだろう?
 「どんぞこ列車」(ハーラン・エリスン)。SFではない。身を持ち崩し、貨車にもぐりこんで無銭旅行を続ける元音楽家の主人公。そこへ駆け落ちしたカップルが飛び乗ってくる。さらにもう一人のならず者も乗り込んできて――。最後が非常に日本人好みの人情話になっているのが意外だった。
 「ベビーシッター」(ロバート・クーヴァー)は、なんだかよくわからないが、文章の勢いで読ませる話である。ベビーシッターの娘、そのボーイフレンド、雇い主の夫婦、子供、それぞれの行動と妄想がフラッシュバックのように短い断章で語られるが、次第にどれが現実でどれが妄想かわからなくなってくる。ちょっと前衛的。
象が列車に体当たり(ウィリアム・コツウィンクル)。この作者らしい、変な小説。アフリカに住む象が列車と勝負する話である。
 「スカット・ファーカスと魔性のマライア」(ジーン・シェパード)。小学校を舞台にしたコマ勝負の話。主人公の少年は伝説のコマを手に入れ、学校でやりたい放題やっているボスにコマ勝負で挑む。ちょっとファンタジーが入っている。よく考えてみると、まるきりマンガみたいな話である。
 「浜辺にて」(R・A・ラファティ)。このアンソロジー、最初のうちはわりとまともな小説だったが、だんだんと話のとんでもなさが増してくる。なかなかよく考えた構成である。このへんが、変な話も佳境に入ったところ。この作品、どんな話かと紹介することを考えただけで脱力してしまうくらい変な話なので、中身には触れない。ひとことだけ言うと、貝の話である。どこをとっても貝だらけである(蟹もちょっと出てくる)。
 「他の惑星にも死は存在するのか?」(ジョン・スラデック)。一応SF、というかスペースオペラのパロディみたいなもの。ラファティよりもさらに輪をかけて変な話である。というか、ここまでくると、もう頭のタガがはずれてるんじゃないかと思いたくなる。例えば、「物質と反物質が衝突し、光と反光を放って消滅した。ずううん! ピーターは光速度で脇によけたが、残留物質がネバネバのエイリアンになって追ってくる」なんてくだり。いろんな意味で超越的。すごすぎる。
 「狼の一族」(トーマス・M・ディッシュ)。スラデックの作品で特異点を超えてしまったのか、ここでわりとまともな小説に戻る。タイトルからも想像がつくが、狼男の悲劇的な物語である。結末はすぐに想像がついてしまうが。
 「眠れる美女ポリー・チャームズ」(アヴラム・デイヴィッドスン)。最後を飾る才人デイヴィッドスンの作品は、「エステルハージ博士」を主人公としたシリーズものの一つ。時代は多分1900年前後、舞台は、オーストリア=ハンガリー二重帝国をモデルにしたとおぼしきスキュティア-パンノニア-トランスバルカニア三重帝国の首都ベラ。この架空の国はオーストリアではなくハンガリーのイメージが強い。ベラもウィーンではなくブダペストのイメージだろうか。そもそも、「エステルハージ」というのはハンガリー人の名前である。この作品、催眠術の失敗でずっと眠ったままになってしまった美女を巡る物語だが、エステルハージ博士がそんなに活躍するわけではなく、ストーリー的には大したものはない。ただ、架空の時代、架空の国の架空の首都の雰囲気が、独特の、それこそ「奇妙な味」を出している。
 SF、ファンタジー、ホラー、ミステリ、前衛、奇想。作品のバラエティは、<異色作家短篇集>というシリーズそのものの縮図になっている。マイベストは、「貯金箱の殺人」、「浜辺にて」、「他の惑星にも死は存在するのか?」。

 ところで、編者あとがきで、「異色作家短篇」について若島正が自分なりの定義を述べている。「ヘンな作家」が書いた「ヘンな短篇」。納得するしかない。「異色作家短篇」というつかみどころのない呼び名を、これ以上的確に表現する言葉はないだろう。

狼の一族 アンソロジー/アメリカ篇 (異色作家短篇集)

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2009年8月 4日 (火)

地下街の雨

地下街の雨/宮部みゆき(集英社文庫,1998)
 このブログのレビュー第1回「(2007年)2月に読んだ本から」(2007年3月12日)に、『あやし』が登場して以来、2回目の宮部みゆきの本である。でも、読んだのはこっちの方がずっと前。
 『あやし』はミステリではなく江戸怪談集だった。この本もミステリというより、いわゆる「奇妙な味」の小説を集めた短編集。作品の傾向はバラエティに富んでいる。
 表題作「地下街の雨」は、ちょっとトリッキーなラブストーリーの変形。
 「決して見えない」は、予定調和的なラストに収束する古典的怪談。
 「不文律」は、ちょっとしたきっかけで日常を支えている精神が崩壊する怖さを描いた、一種のサイコスリラー。
 「混線」は、ちょっとホラーコミックを思わせる(しかし決してマンガにはできない)、軽いタッチのホラー。
 「勝ち逃げ」は、この本では唯一といっていいくらいほのぼのとした話。カタブツと思われていた女性教師が死んだ後、親戚の女の子が偶然手にした一通の手紙から過去に秘められたロマンスが明らかになる。
 「ムクロバラ」は、あの「サカキバラ」を意識したのかと思われるネーミングで、人間にとりついて衝動的な殺人に駆り立てる「何か」の存在を暗示する不気味な心理ドラマ。正直、これが一番こわい。
 と、こうして見ると、ホラー作品が結構多いのだが、収録作中で唯一、SFテイストを感じる作品が「さよなら、キリハラさん」。家の中でだけ、しかもある時間だけ家族全員の耳が聞こえなくなるという奇現象と、突然家に現れる「銀河系共和国」の使者と名乗るキリハラなる人物をめぐる騒動の話で、設定もストーリーも一番おもしろい。ラストにもうひとひねり欲しかったという気もするが
、「ひとひねり」したら本当にSFになってしまうから、これはSF者の余計な願望だろう。

地下街の雨 (集英社文庫)

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2009年5月15日 (金)

4月に読んだ本から(その1)

ぽんこつ喜劇/浅暮三文(光文社,2008)
 前に紹介したこの著者の『実験小説 ぬ』(2007年11月30日)は、異様な発想が山盛りの作品集だったが、この本もその延長線上にある。というか、『ぬ』の第一章で多用されていた、「記号または図と文章の組み合わせ」というパターンを徹底してつきつめた作品集である。
 本書は全十二話からなるが、基本的にどの話も、ページの上に何らかの図か図式化されたテキスト、あるいは両方の組み合わせが表示してあり、その下に、関連した文章という形式をきっちりと守っている(第六話「八枚の石」だけは、右と左のページという組み合わせだが)。この形式で物語を作っていくのだから、ある意味すごいといえばすごいが...。
 ページ上部にあるのがどんなものかというと、例えば、第一話「プロローグ」では、アイデアメモ、第四話「十指相関図」では、指をさまざまな形に突き出した手の写真、第五話「星を巡る言葉」では、星座のシンボル(下にかかれた文章は、その星座の運勢占い)、第七話「博士の事件簿」では、死体発見現場の床に書かれる、死体の輪郭をなぞった線、第九話「海へ」では、意味不明のメッセージ、第十二話「エピローグ」では、この本そのものの使用説明、といった具合である。
 ひとつひとつの作品を見れば、おもしろい発想もある。例えば、「星を巡る言葉」など、一見したところ単に星占いが書いてあるだけだが、読んでいくうちに、いつの間にか宇宙戦争の話が浮かび上がってくるし、「こちら相談室」(第八話)は、全体としてのストーリーはないが、人生相談の形式を使った童話や名作のパロディを限られたスペースにつめこんでいる。「海へ」の意味不明のメッセージの連続もおもしろいのだが、これは『ぬ』に収録された「喇叭」と同じパターンである。
 本そのものに仕掛けを散りばめたり、作品の外枠にSF的な設定を持ち込んだり、細工はいろいろ施しているが、結局、『ぬ』を超えてない気がする。というか、どう考えても二番煎じである。
 あまり小細工をせずに、もっと形式自体の目新しさを追求してほしかった。
 とはいえ、単体としておもしろい作品がいくつかあったのは間違いないので、ベスト3をあげるなら、異色のSF(?)「星を巡る言葉」、あまりのくだらないアイデアの連発に脱力必至の「プロローグ」、二番煎じながら不条理小説としてはよくできている「海へ」というところか。

ぽんこつ喜劇

壮心の夢/火坂雅志(文春文庫,2009)
 今年の大河ドラマ「天地人」の原作者として一躍売れっ子になった感のある火坂雅志。実際には20年以上のキャリアを持つ作家で、著書は50冊を超える。初期の作品は伝奇アクションや歴史ファンタジー的なものが多く、『日本幻想作家名鑑』(『幻想文学』別冊,1991)にも収録されているほどである。この時期の作品には『関ヶ原死霊大戦』なんて、タイトルを聞いただけで読んでみたくなるものもある。
 本書の単行本版が出たのは1999年。作家キャリアのちょうど真ん中あたりで、作風も伝奇から普通の歴史小説へと大きく変わりかけた頃である。収録作品は戦国時代から大坂の陣にかけて、織田信長や豊臣秀吉にかかわりを持った人物を主人公とする14篇。
 目次には、収録作のタイトルの他に、それぞれの中心となる人物名も書いてある。収録順に、荒木村重、赤松広通、亀井茲矩、木村吉清、蒲生氏郷、神子田正治、前野長康、木下吉隆、今井宗久、神屋宗湛、石田三成、池田輝政、菅道長、和久宗是。
 この時代の武将としてよく知られている名前は荒木村重、蒲生氏郷、石田三成、池田輝政くらいか。もっとも、蒲生氏郷の物語「花は散るものを」は、実際には氏郷の死後、西洋から来た家臣、ジョバンニ・ロルレスがその死の真相を知ろうとする話で、本人は出てこない。また、前野長康は秀吉の一番古い家臣の一人で、けっこう重要な人物なのだが、知名度は微妙。今井宗久、神屋宗湛はこの時代を代表する政商たちだが、武将ほどは知られてないだろう。他は、全然聞いたこともない名前がいくつかある。
 総じて、どちらかというとマイナーな人物が主である。だが、短篇歴史小説は、マイナーな人物を主人公にする方がむしろおもしろいことが多いので、これはむしろ歓迎すべきことなのである。
 有名無名の差はあれ、主人公たちはいずれも、熱い思いを胸に秘めている。象徴的なのが、収録作の2番目と3番目にあたる「桃源」と「おらんだ櫓」。「桃源」の主人公赤松広通は儒教の教えにのめり込み、地上に理想郷を作ろうとするが、亀井茲矩の讒言で切腹する羽目になる。次の「おらんだ櫓」の主人公は、前の作品で「邪まな男」と呼ばれたその亀井茲矩。彼は彼で、琉球を征服してその王になりたいという壮大な野心があり、その目的のためには手段を選ばず立身出世を目指す。方向の違いはあれ、夢を追う(そして挫折する)点は共通しているのだ。
 志を発揮できずに終わった男たちもいる。「幻の軍師」の神子田正治は、プライドだけは高いがついに実力を発揮できずに終わり、「抜擢」の木村吉清は、能力を超えた地位について無惨に失敗し、「冥府の花」の木下吉隆は、理不尽な運命に振り回されて無念の死を遂げる。あるいは、「天神の裔」の菅道長、「老将」の和久宗是のように、人生の最後に意地を貫く道を選んだ男たちもいる。
 その形はさまざまだが、本書のタイトルになっている「壮心の夢」という言葉に象徴されるような、乱世に生きる男たちの思いがどの作品にも描かれている。上の「桃源」と「おらんだ櫓」の例にも見えるように、前の作品で脇役で出てきた人物が次の作品の主役、というパターンもいくつかあって、配列も凝っている。そういう点も含めて、よくできた短篇集である。

壮心の夢 (文春文庫)

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2007年11月30日 (金)

『ぬ』

実験小説 ぬ/浅暮三文(光文社文庫,2005)
 第一章「実験短編集」に10編、第二章「異色掌編集」に16編、おまけが1編、計27編の小説(と言っていいのだろう、たぶん.)が収録された短編集。
 「実験小説」の名にふさわしく、特に変な発想の作品が多いのが第一章。ただ、よく見るとパターンがあって、記号または図と文章の組み合わせで成立している話が多い。
 「帽子の男」は街角でよく見かけるある人物、「喇叭」は図の混じった謎のクイズ(表題の「ぬ」はこのクイズの一部)、「遠い」は矢印の一種、「線によるハムレット」はタイトルどおり「線」、「壺売り玄蔵」はあるものの写真が、それぞれ作品の必須の一部となっている。
 とんでもない発想をきちんとストーリーにまとめるのはうまいと思うし、バラエティに富んでいて、内容によって文体まで変えるという技も見せてくれる。特に「喇叭」などは不条理物語としてよくできていると思うが、文字だけで成立してないというのは、小説としてどうなのかという気もする。
 「小さな三つの言葉」でも文字が記号的に使われている。でも一番肝心の言葉が、スペルが違っているのは残念。
 「カヴス・カヴス」上下2段に分かれてストーリーが進むが、これ自体は他にもある手法で、実験というほどでもない。ただ、この作品でも一種の記号が重要な役割で使われている。この第一章で、まったく文章だけで成立しているのは、ゲームブックの手法を使った「お薬師様」と、全編独白の「雨」だけだろう。「雨」は、この本の中では一番普通の小説に近い作品である。
 第一章の残る1編、「參」(「参」ではない、字体が違うのに注意)は、文章だけとは言い難い面があるが、記号や図が使われているわけでもない。文字の使い方という点で他に例を見ない発想で、しかも物好き同士の知識自慢に見えていたものが、いつの間にかホラーになるという展開の妙を見せる傑作。収録作中のベストである。
 第二章の各編は、記号や図や変な文字が出てくるわけではなく、形式的には普通のショートショート。「タイム・サービス」、「再会」、「行列」などはわりとありがちな話だが(といってももちろん普通の小説ではない、しいて言えばホラー系)、「何かいる」、「隣町」、「海驢の番」みたいに、不条理な奇想に満ちた作品もある。かと思えば「ワシントンの桜」、「ベートベンは耳が遠い」、「箴言」(これはプラトンが主人公)みたいな歴史上の有名人を主人公にしたパロディ、「変身」のパロディである「カフカに捧ぐ」みたいに、冗談だけで成立しているみたいな作品もある。
 この第二章で一番おもしろかったのは、蝸牛を主人公にした「進めや進め」。カタツムリが主人公の小説というのは読んだことがなかった。
 おまけの作品は、「これはあとがきではない」というタイトル。でもひょっとしたら本当はただのあとがきなのかもしれない。

 帯に「絶頂期の筒井康隆を彷彿させるアイディア」という豊崎由美(この本の解説も書いている)の惹句がある。
 一時期の筒井康隆並に発想がぶっ飛んでいるのは確かだが、かなり違うところもある。筒井との一番の違いは、読んでもあまりテンションが上がらないところ。これはひょっとして、私が年をくったせいかもしれないが...。
 とはいえ、筒井康隆とは方向性や資質が違うというだけで、これはこれでいい。実をいうと、こういうアホな(誉めてます)試みはけっこう好きである。この方向を突き詰めて、もっととんでもないものを書いてほしい。

実験小説 ぬ (光文社文庫)

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2007年10月23日 (火)

太陽の塔

太陽の塔/森見登美彦(新潮文庫,2006)
 この本については、ずいぶん前から話題になっていて、おおまかな話は読む前からだいたいわかっていた。要するに、京都を舞台にもてない男たちが妄想にかられて走り回る話らしいと。
 だが、疑問に思うことがあった。

 疑問その1。なぜ日本ファンタジーノベル大賞受賞作なのか。この話のどこがファンタジーなのか。
 疑問その2。舞台は京都なのに、なぜ大阪にある「太陽の塔」がタイトルなのか。

 読んでみると、疑問はきれいに解けた。
 疑問その1について。これは妄想と現実の区別がつかなくなった男たちの物語である。というか、どこまでが妄想でどこまでが現実か、作者がわざと境界をあやふやにしてある。
 主人公が一方的に想いを寄せる(ストーカー行為を働いている)「水尾さん」の内面風景が、何の説明もなく物語世界の背景にすべりこんでくるあたり、ちょっとした現実崩壊感覚も味わえる。
 いやむしろ、この小説の最初から最後まで、すべて主人公の妄想の中、脳内の出来事ではないか、という解釈さえ成り立つのではないかと思うのだ。
 それでいて、舞台となる京都の地理は実に現実に忠実に描かれているのである。例えば、京大前の百万遍交差点の北西の角のパチンコ屋とか、現地に行ったことのある人間なら、すぐに、「ああ、あれか」とわかる。
 この現実に根ざしたディテールと、物語全体の非現実感とのギャップがすごい。

 疑問その2について。「水尾さん」はなぜか太陽の塔に異様に執着していて、彼女の内面世界は、太陽の塔を中心としているらしいのである。この小説での「太陽の塔」は、現実ではなく妄想の中に立っているのだ。ある意味、妄想で構成されたこの物語のもっともシンボル的存在であり、なるほどタイトルにふさわしい。
 ちなみに、私はこの問題の物件に比較的近いところに住んでいて、たまに見ることがあるのだが、何度見てもやはり「変」である。

 変といえば、この作品の文章。大時代的というか何というか。例えばこの小説のキーワード(ある意味、基本テーマ)ともいうべき「法界悋気」、そんな言葉、他で見たことがないぞ。他にも「豁然大悟」とか、「債鬼」とか、「逢瀬」とか、いつの時代の小説かと思うようなボキャブラリーが山盛り。
 それもまた、異様な雰囲気を盛り上げるのに効果を上げている。
 その雰囲気で連想したのは、ストーリーは全然違うのだが、あの伝説的名作アニメ、「ビューティフル・ドリーマー」である。あの作品も、夢か現実かわからない世界で、登場人物たちの妄想が暴走する話だった。
 そう言えば、この『太陽の塔』の主人公は、あのアニメに出てくる「メガネ」を、どこか彷彿とさせる。しかも「メガネ」みたいなやつは一人いれば十分だが、この小説には他にもいっぱい出てくる。変な話になるわけである。
 そういうことで(どういうことだ)、この小説がもし映像化されるなら、ぜひ押井守にやってほしい。

太陽の塔 (新潮文庫)

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2007年9月 8日 (土)

バガージマヌパナス

バガージマヌパナス わが島のはなし/池上永一(文春文庫,1998)
 1994年の日本ファンタジーノベル大賞受賞作にして、著者のデビュー作。
 沖縄のどこかの離島に暮らす筋金入りの怠け者の娘、仲宗根綾乃が、神さまのお告げ(というか、脅迫)を受けてユタ(巫女)になる。話としては、要するにただそれだけ。
 全体の半分を超すところまでは、筋らしい筋もなく、「働きたい者は忙しい日本で死ぬまで働き続ければいい、この島は怠け者を愛してくれるから自分はここで死ぬまで楽をするつもりだ」というのが信条である綾乃が、年の離れた遊び仲間であるオージャーガンマーと、様々ないたずらをしながらひたすら遊びまわる。
 後半、綾乃の神罰と啓示、ユタになってからのライバルとの争いなどが描かれるようになると、話はにわかにドラマチックになるが、この小説の本当の魅力は、前半の、ひたすらだらだらと生活している綾乃とオージャーガンマーとが過ごす、ゆったりとした時間の流れにあると思う。
 沖縄方言の混じる会話、ところどころにはさまれる民謡(訳がないとまったくわからない)、やや形容過多とも思えるくらい饒舌な文章、神や魔や死者の霊たちが当たり前のように出現し、それでいてまぶしいほどに明るく美しい世界観。それらが一体となって、独特のリズムを刻む濃厚な物語空間を作り出している。
 一旦その中にひたると、もうストーリーなどどうでもよくなってしまうのである。

バガージマヌパナス―わが島のはなし (文春文庫)

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2007年4月21日 (土)

ふたりジャネット

 前回に続いてSFつながり。といっても純粋SFではなく、ここ数年急に目立つようになった「奇想小説」から。
 以前にアヴラム・デヴィッドスンの『どんがらがん』を紹介した河出書房新社の「奇想コレクション」シリーズの1冊。あれに輪をかけて変な話である。

ふたりジャネット/テリー・ビッスン(河出書房新社・奇想コレクション,2004)
 SFとかファンタジーとかいうより、「変な話」を集めた短編集。そうとしか言いようがない。まさに「奇想」の名にふさわしい。
 そういえば、前に読んだこの人の長編、『世界の果てまで何マイル?』(ハヤカワ文庫SF) も、かなり変な話だったのを覚えている。
 ただ、収録作品の共通点は「変な話」というだけで、作風は実にバラエティに富んでいる、というか、バラバラ。
 「熊が火を発見する」は、なんとなく村上春樹風の、雰囲気で読ませるファンタジー。
 「アンを押してください」は、やたらと客のすることに口出しするおせっかいなATMと、客の男女との会話だけで構成された、スラプスティック風味のショートショート。
 「未来からきたふたり組」はやはりスラプスティック風だが、わりとまともなSFコメディ。
 「英国航行中」は、突然動き出すグレートブリテン島、というメチャクチャな設定で、イギリス人気質(とアメリカ人気質)をからかっている話。
 表題作「ふたりジャネット」は、アメリカ南部のオーエンズボロという小さい町に、なぜかアップダイクとかサリンジャーとかロスとか有名作家が次々に引っ越してくるという、この本の中でも一番「変な話」。それで何が起きるかというと、何も起きない。ニューヨークに住むオーエンズボロ出身のヒロイン、ジャネットがその噂が気になって田舎に帰り、同じ名前の友人とドライブする。それだけ。なんか高橋源一郎の小説みたいな話である。
 「冥界飛行士」は、臨死体験を扱ったシリアスなSF。これだけが他のホラ話風の作品と雰囲気が全然違っていて、その分、浮いている。

 残り3編の中編(ページ数では全体の半分を占める)は、怪しい数式ですべてを説明してしまう「万能中国人ウィルスン・ウー」の活躍するシリーズ。「穴の中の穴」、「宇宙のはずれ」、「時間どおりに教会へ」。
 ネット上のレビューなどを見ると、このシリーズが気に入る人とあまりピンとこない人と、両極端にわかれるようだ。
 私はどちらかというと、あまりピンとこなかった方である。おもしろくないわけじゃないが、正直言って、この3編を入れるくらいなら、独立した短篇をもっと収録して欲しかった。

 とにかくビッスンという人、作品ごとに雰囲気が違いすぎていて、どれが本当の作風なのかよくわからない。作品以上に、「変な作家」なのかもしれない。
 例によって私的ベスト3を選ぶなら、「ふたりジャネット」、「英国航行中」、「アンを押してください」。

ふたりジャネット

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2007年3月16日 (金)

どんがらがん

どんがらがん/アヴラム・デイヴィッドスン; 殊能将之編 (河出書房新社・奇想コレクション,2005)

 「奇想コレクション」の名にこれほどふさわしい作品集はないかもしれない。
 冒頭の「ゴーレム」からして、唖然とする。要は「世界征服をめざす科学者が作り上げたロボットが街を襲う!」話なんだが、こんな展開を思いつかないよ、普通。
 「物は証言できない」は、奴隷制度の矛盾をついたミステリで、この本の中では一番まともな小説。
 「さあ、みんなで眠ろう」は悲しすぎるSF。メッセージ色が強すぎるかも。
 「さもなくば海は牡蛎でいっぱいに」は、何種類ものアンソロジーに収録されているので、これで読むのが何度目になるかわからないが、何遍読んでも変な話である。訳題は、意味としては正確なのかもしれないが、やはり旧題の「あるいは牡蠣でいっぱいの海」の方がいいタイトルだと思う。
 「ラホール駐屯地での出来事」は、元ネタを知らないと何のことかわからないのが苦しい。
 「クィーン・エステル、おうちはどこさ?」は、話のパターンとしては、ありがちなホラーだが、語り口が変(いい意味で)。
 「尾をつながれた王族」は異世界の異生物の物語らしいのだが、最初から最後までなんだかよくわからない。種明かしがないまま終わるのは、次の「サシェヴラル」も同じ。
 「眺めのいい静かな部屋」は、ラストの部分の小道具の使い方がうまい。
 「グーバーども」は、よくあるといえばよくあるパターンのホラーコメディだが、やはり語り口が変わっているため、平凡な小説にはなっていない。この「グーバー」を、映像で見てみたいものである(無理だろうけど)。
 「パシャルーニー大尉」は、他の作品とは毛色の違う、「ちょっといい話」。
 「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」は、もう、まいったとしか言いようがない。タイトルがオチになっているとは。
 「ナポリ」は、一切の説明抜きに奇妙な話が進んでいく、一種の「魔術的リアリズム」小説。文章からして他の作品と全然違う。この人、どれだけの違った作風を持ってるんだ。
 「すべての根っこに宿る力」も、作者名を隠してラテンアメリカ小説だと言われたら信じてしまうだろう。ストーリーそのものは、何が起きているのかわかりにくいが。
 「ナイルの水源」は、文字通りの「流行の源」である一家を巡る騒動を描いた皮肉に満ちた話で、ちょっとやりきれない幕切れが、「流行」の不条理さを際だたせている。
 そして、タイトルからして奇想天外な「どんがらがん」については、もう言うことはない。下手に書くと「マッドマックス2」か、「北斗の拳」になってしまうような設定を、こんな語り口で、こんな変な話にしてしまうのが、デイヴィッドスンの妙技というものだろう。
 「ひねりにひねった語り口(ひねりすぎて理解できないこともあるが)」と、「意表をつくオチのつけ方(意表をつきすぎて理解できないこともあるが)」があふれる、「奇想オブ奇想」の名を冠したい作品集。
 私的ベスト3は、「どんがらがん」、「ゴーレム」、「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」。

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2007年3月13日 (火)

あなたの人生の物語

 ここ数年の間に読んだSFの中で、もっとも衝撃的だったものの一つがこれ。

あなたの人生の物語/テッド・チャン(ハヤカワ文庫SF, 2003)
 「センス・オブ・ワンダー」という、久しく忘れていた言葉を思い出した。SF魂いまだ死せず、テッド・チャンという中国系アメリカ人の中に脈々と受け継がれていたのだった。
 作品のほとんどすべてに共通するテーマは「認識の変容」。「理解」ではゲシュタルト認知力が、「ゼロで割る」では一つの数式が、「あなたの人生の物語」では異星人の言語が、「顔の美醜について」では美醜失認処置が、世界をまったく違ったものに変えてしまう。
 特に、女性科学者が異星人の言語を習得することにより完璧な未来予知まで身につけてしまい、人生のあり方そのものを根本的に変えてしまう「あなたの人生の物語」は傑作。言語とは客観的現実を反映したもののではなく、逆に人間の認識する現実が言語を反映しているのだということは、20世紀言語学のもたらした革命的視点なのだが、それをここまでストレートに小説にするとは。
 とにかく全編に共通していることは、文章技巧やストーリーではなく、アイデアによる直球勝負。「バビロンの塔」、「七十二文字」、「地獄とは神の不在なり」は、それぞれ「天まで届く塔」、「ゴーレム」、「天使」が本当に実在するパラレルワールドを、ハードSF的な論理性を貫いて構築したもので、基本設定はファンタジーでも、SFとしかいいようのない手触りに仕上がっている。「バビロンの塔」の基本アイデアは、実のところ山尾悠子の「遠近法」と同じなのだが、作品としてはまるで違った感触のものになっており、それこそがSFとファンタジーの違いなのかと改めて気づいた。
 ただ、この人、非常に寡作で作品は短編ばかりらしいが、この作風で作品を量産したり、長編を書いたりするのはちょっと難しいかもしれない。

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