サイエンス

2009年4月23日 (木)

水族館の通になる

水族館の通になる―年間3千万人を魅了する楽園の謎/中村元(祥伝社新書,2005)
 2005年に創刊した祥伝社新書の、No.10。帯には「創刊第2弾!」と書いてあるので、創刊の翌月に出た中の1冊。
 この本、けっこう売れているらしい。今でもアマゾンはもちろん、主要な本屋には在庫がある。世の中、けっこう水族館好きが多いのだろう。かくいう私もその一人だが...。
 著者は鳥羽水族館や新江ノ島水族館のプロデュースにかかわった、いわば水族館のプロ。そのプロが水族館にまつわる基礎知識からトリビアまでを語る本である。例えば水族館と動物園の違いや、日本の水族館の数といった基本中の基本といった情報もあれば、魚はいつ寝ているのかとか、死んだ魚は食べるのかとかいった素朴な疑問への答えもある。
 まあ要するに、メインは水族館の裏話で、それ以上でもそれ以下でもない。あまり高度の知識や、日本の水族館ガイドといった内容を求めると、期待がはずれる。著者がターゲットにしているのは、マニアではなく、あくまで水族館好きの普通の人、それに子供たちである。つまりは、家族連れで休日に水族館に来てくれそうな人たちだ。
 また、著書は水族館や海に関する本を何冊か出しているようだが、水族館のプロではあっても、文章はあまりプロらしくは見えない。上に書いたような本書の狙いからして当然かもしれないが、おそろしく平易な、水族館の専門家が中学校やカルチャースクールで講義でもしているような雰囲気の文章である。それがいい味を出している。新書の中でも、これだけ何のひっかかりもなく、それこそ水が流れるように読める本というのは珍しいのではないか。
 そして、その平明な文章から、とにかく水族館が好きでたまらないという著者の気持ちはよく伝わってくる。水族館の好きな人間は、その思いを共有できるだけでも楽しい気分になるだろう。好著と呼びたい。

水族館の通になる―年間3千万人を魅了する楽園の謎 (祥伝社新書)

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2009年3月29日 (日)

<はかる>科学

<はかる>科学 計・測・量・謀……はかるをめぐる12話/阪上孝、後藤武編著(中公新書,2007)
 中部大学の中部高等学術研究所が、「はかる」をテーマにした研究会での講演を元にした論集。新書の通常のイメージからすると、少々堅い内容である。
 だいたい、この「はかる」というテーマが曲者で、サブタイトルに四つの漢字が書かれていることからもわかるように、この言葉が導き出す、おそろしく広い意味とイメージを対象にしている。だから自然科学、社会学、産業、芸術、心理学と、様々な分野の専門家が、実質的にはまったく違うことを論じているのだ。
 12人の著者が、何を「はかる」話をしているかというと―。
 第1部、「はかる尺度、単位」では、まず第1章「はかることの革命」で、社会思想史の専門家で本書の主編者である阪上孝が、フランス革命とメートル法成立の歴史、つまり最初に1メートルを「はかる」話で始める。
 第2章「キログラムの再定義」では、物理と計測技術の専門家、藤井賢一が数式をたっぷり使って、キログラムの定義を巡る最新動向を報告(よく理解できないが、なんでもプランク定数が関わっているらしい)。
 第3章「環境をはかる」では、応用化学の専門家、瀬田重敏がCO2濃度をはじめとする環境指標を「はかる」現場を語る。
 第1部の最後、第3章「アフォーダンスという単位」では、生態心理学を専門とする佐々木正人が知覚を巡る理論を紹介するが、最後で「本章では、生態心理学として、情報の理論、サーフェスのレイアウトについて説明した」と書いてあるのが理解しがたい。タイトルと違うじゃないか。そもそも、何を「はかる」話なのかさっぱりわからない、というか内容そのものがわかりにくい。
 第2部、「国土・都市をはかる」でも、「はかる」対象はさまざま。
 第5章「古代シュメールでどのように土地が測られ、穀物が量られたのか」では、古代メソポタミア史を研究する前川和也が、シュメールの農地の度量衡と大麦の播種量・収穫量を細かく分析。
 第6章「風水で国土をはかる」では、地理学者で韓国地域研究を専門とする渋谷鎮明が、朝鮮半島の古地図「大東輿地図」の表現方法と思想を解説。
 第7章「空からはかる」では、地理情報システムの専門家である渡部展也が、リモートセンシングやGPSの考古学への応用を語る。
 第8章「身体から都市へ」では、建築家後藤武が、ル・コルビュジエの提唱した「モデュロール」という人間の身体寸法を基礎とする単位について説明。
 ここまでは、それでも一応「計測」に関係しているような話が多かったが、第3部、「感性・意味をはかる」は、さらに多様化し、そもそも何かを「はかる」と言っていいのかどうかわからないケースも出てくる。
 第9章「音をはかる」は、科学技術史を専門とする橋本毅彦が、古代の音律学から現代の音響学まで、音の高さ・音色・音の大きさの計測の歴史を語る。
 第10章「"美"をはかる」は、タイトルから連想されるような美術の話ではない。音楽人類学の専門家、藤井知昭が、「音の美」に対する認知と、その文化的背景を解説するというもの。同じ「音」関係でも、技術的な話題の多かった第9章より文章そのものはとっつきやすいが、何をどのように「はかって」いるのか、よくわからない。
 第11章「罪の重さをはかる」では、とうとう文学の領域に足を踏み入れる。サブタイトルは「ダンテの『神曲』地獄篇にみる罪と罰」。西洋史学者の山田慶兒による、要はダンテの地獄の構造と、そこで裁かれている罪と罰との説明。罪を「はかる」といえばそうなのかもしれないが。『<はかる>科学』の「科学」はどこへ行ったのか。
 第12章「メタファーで世界を推しはかる」。言語学者の柳谷啓子が、メタファーで用いられる「はかる」ことに関連した言葉を取り上げる。例えば気分や感情に用いられる「上下」、「大小」を比較する言葉。あるいは、「ゴージャスさの単位」、「気前よさの単位」といった冗談の単位。第1章から見るととんでもなく遠いところに来てしまった感じだが、正直言って私のような言葉好き人間には、この章が一番面白い。
 それにしても、「はかる」という言葉だけを共通点にするにしても、範囲を広げすぎではないだろうか。結局、各章の間に共通性がほとんどなく、何がテーマなのか読めば読むほどわからなくなる。

“はかる”科学―計・測・量・謀…はかるをめぐる12話 (中公新書)

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2009年2月17日 (火)

カンブリア爆発の謎

カンブリア爆発の謎 チェンジャンモンスターが残した進化の足跡/宇佐見義之(技術評論社・知りたい!サイエンス,2008)
 グールドの『ワンダフル・ライフ』で、カンブリア紀の「爆発的進化」は、アノマロカリスをはじめとするバージェス生物群の奇妙奇天烈な姿とともに、一躍有名になった。バージェスといえばカンブリア紀化石の代名詞のようになっていたのだが、1980年代、中国は雲南省でバージェスを上回る規模のカンブリア紀膨大な化石が発見されていた。その化石発掘現場の中心となったのが、澄江という小さな村。サブタイトルにある「チェンジャンモンスター」のチェンジャンというのが、澄江のことである。
 少し前、カンブリア紀化石から最古の「魚」が見つかったというニュースが新聞にも載ったことがあるが、それもこのチェンジャンで見つかったもの。ただし、厳密に言うとその化石、ミロクンミンギアは魚類ではなくヤツメウナギなどと同じ「無顎上綱」に属する。その話もこの本の中で紹介されている。
 というわけで、バージェスの次はチェンジャン。本書はチェンジャンで発見されたカンブリア紀の動物たちの紹介を中心に、古生代の生物進化についての新しいイメージを解説する。
 もちろん話の流れでバージェスやシリウスバセット(グリーンランド)の生物群も出てくるし、カンブリア紀の前のエディアカラ紀の生物群についても触れられているが、やはりハイライトはチェンジャンの変な生物たちだろう。
 アノマロカリスの仲間、アンプレクトベラやパラペイトイア、魚に似た謎の生物ハイコウエラ、新たな「門」に分類された(つまり、既存のどの動物にも分類できないくらい何だかわからない)ベッツリコーリアとその仲間、三葉虫に似て非なるザンダレラやシノバリウス、ボール型の甲殻類オカカリス、フォルフェシカリス、などなど。最初にバージェス生物群を見た時ほどのインパクトはないけど、やっぱり異星の生物みたいに奇妙な連中である。

 この「知りたい!サイエンス」というシリーズは、出版社のサイトによれば「雑学本より奥が深く入門書より易しい」だそうで、確かに恐ろしく読みやすい。字が大きくて、読みにくい漢字にはルビがついていて、中高生でも読めるような文章だが、内容はけっこう細かい、というかオタク的興味も満足させるようにできている。わからないことは正直に「わからない」と書いているのも好感が持てる。読者にも好評なようで、私が持っているのは2008年8月に出た3刷だが、発売4ヶ月で3刷というのは、生物関係の本にしてはずいぶん売れている方ではないだろうか。
 アマゾンのレビューを読むと、初刷にはずいぶんミスもあったようだが、3刷では訂正されている。ただ、惜しむらくは豊富に入っている化石生物たちの復元想像図が、あまり上手ではない。それと、いくら一般向けの本とはいえ、学名の原綴は入れて欲しかった。そのへんは、やはりもうちょっと専門的な本を読むしかないか。例えば、『澄江生物群化石図譜』なんて本が、この本とほぼ同時に朝倉書店から発行されている。1万円くらいするけど。

カンブリア爆発の謎 ~チェンジャンモンスターが残した進化の足跡 [知りたい!サイエンス] (知りたい!サイエンス)

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2008年11月30日 (日)

シュレディンガーの猫と妻

シュレディンガーの猫は元気か サイエンスコラム175/橋元淳一郎(ハヤカワ文庫NF,1994)
 物理学者でSFファンで、自らSFも書いている著者が、英米の代表的科学雑誌、『ネイチャー』と『サイエンス』の記事から主にネタを拾ってきた科学コラム集(それ以外の科学雑誌も少し混じっている)。ちなみに、日本で出ている『日経サイエンス』の旧誌名は『サイエンス』だったが、本書の情報源となったアメリカで出ている『サイエンス』とは関係がなく、もう一つの有名科学誌『サイエンティフィック・アメリカン』の日本語版という位置づけ。知ってる人も多いと思うが、念のため。
 元は『SFマガジン』に連載されていたものなので、ちょっとだけSFのにおいがするが、内容的にはほぼ純粋な科学コラムと言っていい。巻末にそれぞれのコラムのネタ元になった文献の一覧表が載っているのも、科学者的こだわりを感じさせる。(もっとも、あとがきによれば、情報源となった雑誌を捨ててしまい、出典を確認するのにずいぶん大変だったらしい。)
 サブタイトルのとおり、短いコラムが175も収録されている。ひとつあたり1ページちょっと。しかもページの下3分の1はカット(宮武一貴)や注釈のスペースになっているので、実質はもっと短い。この短い文章の中に最先端の科学の話題を、素人にもわかるようにまとめる技術は大したものである。
 何しろ10年以上前の科学記事だから、今となっては最先端の話題とはほど遠いはずだが、今読み返しても意外なほど古い感じがしない(中には「スーパーカミオカンデ計画始まる」なんて、時代を感じさせる話題もあるが)。元々科学に疎くて、何が古くて何が最先端なのかわかってない、というのもあるだろうが。
 タイトルにもなっている「シュレディンガーの猫は元気か」は、QND(quantum nondemolition)=量子非破壊測定に関する話題。なんでも、量子光学において、測定される対象に観測の影響が及ばない測定方法なのだそうで、要するに例の「猫」を犠牲にしなくても箱の内部の状態がわかるということらしい。では不確定性理論の根拠はいったいどうなるのかという気もするが、正直なところ私の理解を超えていて何のことかよくわからないのである。ただ、非常に印象的なフレーズであることは確かで、この本全体のタイトルに選ばれたのも当然だろう。今でも、このフレーズを検索するとブログの記事のタイトルがいくつもヒットする。多くの人の記憶に残っているのだ。

 今年になって、14年の時を経て、このタイトルをもじった本が新たに出版された。中島沙帆子の4コママンガである。

シュレディンガーの妻は元気か 1/中島沙帆子(竹書房 バンブー・コミックス,2008)
 理系人間と結婚した女性を主人公にした4コママンガ。この夫のキャラクターというのが、いくら理系でもこんなやついるかよ、というくらい論理と技術でガチガチに固まった人間なのだが、作者自身の夫がモデルらしい。タイトルもその夫が考えたとか。『シュレディンガーの猫は元気か』の愛読者であったことは間違いない。
 マンガ自体は、ごく普通の女性(文系かつ体育会系)である妻が、まったく空気を読まない夫の言動に切れて怒るというのが基本パターン。そんなに気が合わないならなぜ結婚したのかというのが、誰でも思う最大の謎で、それ自体たびたびマンガのネタになっている。ところでこの夫は自然科学全般に興味を持ってるらしいのだが、専攻が何だったのかよくわからない。
 中島沙帆子が4コマ作家として世に出た『電脳やおい少女』は、「やおい」にはまったオタク女が、常識人の彼氏と正体を告白できないままつきあう、というパターンだったが、今回は男の方が変で(本人は普通だと思っているが)、女が(比較的)普通という逆パターンになっている。『電脳やおい少女』と一番の違いは、こちらはお互いに相手の正体を知り尽くした夫婦という設定であること。雰囲気的にはファミリー4コマに近くなっている。
 で、このマンガを見ると、女性から見た理系男のイメージというのが、なんとなくわかってくる(理系男を描いたマンガとしては、最近よしたに著『理系くん』が出ているが、あれは理系人間による自画像であって、女から見た理系人間というのとは少し違う)。まあ、私は理系ではないので、それがわかったからといってどうなるものでもないのだが。

シュレディンガーの妻は元気か(1) (バンブー・コミックス) (バンブー・コミックス)

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2007年12月28日 (金)

死んだ魚を見ないわけ

死んだ魚を見ないわけ/河井智康(角川ソフィア文庫,1999)
 『カラスの死骸はなぜ見あたらないのか』(矢追 純一)という、その筋では有名なトンデモ本があるが、この本もタイトルだけ見ると、なんだかそのたぐいと思ってしまいそうである。実は中身は海洋学者による、ごくまっとうな科学ノンフィクション。
 「自然死する魚はほとんどいない」というのが著者の説で、それを確かめるため、自ら深海潜水船に乗り込んで実験と観察をする。その潜水船でのエピソードがメイン。いわゆる科学書の硬さはなく、ドキュメントタッチになっていて、きわめて読みやすい。
 自然死しないとすれば、魚はどうやって死ぬのかといえば、「自然状態では、魚はほとんどが他の魚に食われて一生を終わる」というのが結論。
 これが今どれだけ主流の説なのかは、私にはよくわからない。が、著者が自分の目で確かめた「海底に魚の死骸はない」という事実に加え、海でとれる魚に死にかけのやつがいない、というのはかなりの説得力がある。良質の科学本である。

 ところで、この本の著者の河井智康自身、意外な形で死んでいる。2006年5月、夫婦ともども息子に殺されるという、悲劇的な最期をとげたのだ。私はこの件は知らなくて、このエントリーを書くためにネットを調べていてわかったのだが、著者が平和運動に熱心だったこともあり、その時は科学だけでなく政治がらみでもいろいろ話題になったようだ。
 人間の死に方だけはいくら研究しても予測がつかない。

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