架空戦記/架空歴史

2019年4月26日 (金)

太平洋大戦争

太平洋大戦争 開戦16年前に書かれた驚異の架空戦記/H・C・バイウォーター;林信吾、清谷信一訳(コスミックインターナショナル コスモシミュレーション文庫,2001)
 原著の発行は1925年。サブタイトルにもあるように、実際の太平洋戦争が起きる16年前に、太平洋を舞台にした日米戦争を予測した小説。
 著者は軍事関係の著作を何冊も書いているイギリスのジャーナリストだが、序文によればスパイの経験もあるとのこと。しかし小説に関しては素人なので、この作品も小説としてはたいしたことない。ただ、艦船や兵器のスペックや戦術についてはやたらと細かい。要するに、今の架空戦記と同じようなものである。

 中国の資源を巡って日本とアメリカの対立が深まる中の1930年、日本で共産主義者に煽動された大規模な暴動が起きる。日本政府は、内乱の危機を回避するために国民の関心を外に向けようとする。そのための手段が、アメリカに対する戦争だった。日本はアメリカに対する恫喝と挑発を始め、アメリカもこれに対抗して強硬な態度をとり、両国の関係はどんどん悪化していく。
 1931年3月、日本はついにアメリカに戦線布告。直後にパナマ運河を通過中の日本船が大爆発を起こして運河は使えなくなる。
 そしてルソン沖で日米の海軍の間に戦闘が勃発。「アメリカにアジア艦隊とは、戦闘部隊というよりは「国旗掲揚台艦隊」とでも呼ぶべきしろもので、駆逐艦と潜水艦以外は、どうしようもない老朽艦ぞろいである」と書かれていたアメリカ艦隊は、巡洋戦艦「金剛」、「比叡」、「霧島」、空母「鳳翔」などを主力とする日本艦隊の前にあっさり全滅する。
 なお、この海戦もそうだが、本書には、後に実際の戦争で活躍することになる軍艦の名前が結構出てくる。日本軍で言えば、ほかに「赤城」、「加賀」、「長門」など。アメリカでは戦艦「ウェストバージニア」、「カリフォルニア」、「メリーランド」、空母「サラトガ」、「レキシントン」など。
 とにかくこの海戦を皮切りに、日米の戦争が始まる。日本軍は緒戦でフィリピンとグアムを占領。実際の太平洋戦争と違ってイギリスやオランダとは戦争してないので、それ以外のところは攻めない。後はもうハワイまで攻撃するところがなくなってしまって、戦争は一旦膠着する。
 史実で起きたような上陸作戦や玉砕戦などはあまり起こらず、日本軍がアメリカ西海岸を攻撃したり、小笠原沖やサモア沖、ダッチハーバーなどで次々と海戦が起きたり、どちらかといえばだらだらと戦争は続いていく。 しかしその間にアメリカは徐々に戦力を充実。最後は攻勢に出たアメリカ海軍と日本の連合艦隊とがフィリピン沖で激突。大海戦の結果、日本海軍は大敗し、フィリピンもアメリカに奪回される。結局、1933年に日本が大幅に譲歩する形で講和条約が結ばれる。
 日本は南洋諸島をアメリカに譲渡し、中国の権益を放棄することになったので、明かな日本の敗北。しかし実際に起きた戦争では壊滅的な被害を受けた日本が無条件降伏するという、はるかにひどい結果になるのだが、著者もそこまでは予想できなかったらしい。
 しかし戦争が長期化すれば、国力に劣る日本が次第に劣勢になるというのは史実が示したとおり。
 本書の中ほどにこんな文章がある。

 アメリカの経済力は、日本の蓄財など問題にならない規模である。月を重ねるごとに、その軍事力は加速度的に強化され、やがては日本をはるかに凌ぐ規模の大艦隊を建造し、数陸軍も数百万名の動員を完了するに違いない。日本にしてみれば、時間はまったく敵に有利にしか働かないのだった。(p.123)

 こんなことは1920年代からわかりきっていたのだった。

Greatpacificwar

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2017年12月 2日 (土)

北海の堕天使

北海の堕天使/吉岡平(毎日新聞出版・ミューノベル,2016)
 1991年にソノラマ文庫から刊行された吉岡平初期作品の再刊。
 第二次世界大戦直前の北ヨーロッパを舞台に架空の戦艦が大暴れする話なので、設定としては架空戦記ということになるだろうか。全体的に戦前の軍国少年向けの冒険小説を再現したような雰囲気なので、いわばノスタルジック戦争小説というべきかもしれない。
 吉岡平の架空戦記というと、だいぶ前に本ブログで、『提督の決断』というかなりメチャクチャな作品を紹介したことがあるが(2008年11月9日のエントリー)、本書もかなりとんてもない。どんな話かというと――。

 書き出しからして、「諸君は、トルステイン公国をご存じだろうか。そう、スカンジナビア半島のはずれに位置する小国である」と、往時の少年小説を彷彿とさせる。小説全体が、第二次世界大戦直前に発表された少年向け冒険小説――という設定になっているのだ。
 このトルステイン公国、面積こそ四国に満たないが、人口千六百万、無尽蔵の石油と地下資源を持ち、常備軍は百五十万というかなり無茶な設定。いくら架空とはいえ、そんな国が物理的にあり得るのかという気がする。
 おまけに、人名も地名もデンマークやスウェーデンと同じような北欧語(デンマーク語、スウェーデン語など)系と思われるのに、後の方では公用語がフィンランド語という記述が出てくる。フィンランド語はシベリアに起源を持つ北欧語とは全然別系統の言語で、ちょっと無理がありすぎだろう。
 とにかく、そんなあり得ないようなトルステイン公国は、「日本、ナチス=ドイツ、イタリアに次ぐ枢軸第四番目の同盟国」と紹介されている。
 そのトルステイン公国の海軍が誇る巨大戦艦、「ビフレスト」と「ヨツンハイム」は、実は日本で密かに建造されたものだった。そんな巨大なものを建造し、しかもヨーロッパまで回航して、関係者以外誰もそのことを知らないなんて、それもまたあり得ない話に思えるが…。
 ともあれ、世界最初の46サンチ砲搭載戦艦だった「ヨツンハイム」は、回航中に行方不明になってしまう。実は「ヨツンハイム」は、トルステイン公国公女インゲボルグをリーダーとする反政府グループに奪取されており、公女たちは祖国と日本の同盟を阻止するために動いていたのだった。
 偶然のなりゆきから「ヨツンハイム」に囚われの身となった二人の日本人青年が、「ビフレスト」を中心とするトルステイン正規軍の艦隊と、「ヨツンハイム」との戦いに巻き込まれるのが主なストーリー。
 なんといっても、原子力を動力とし、強大な主砲の他に秘密兵器「原子力光線」を備えた「ヨツンハイム」のスーパー戦艦ぶりが見どころ。やられ役で出てきたフランス艦隊、ドイツ艦隊をあっけなく全滅させている。
 主人公たちは、最終的にはこの「ヨツンハイム」を沈めるために戦うことになるのだが、原子力を武器とする怪物に立ち向かう筋立ては、ゴジラ映画のようでもある。これは一種の怪獣小説でもあるのかもしれない。
 話そのものは、基本設定からしてツッコミどころがあまりに多いが、『提督の決断』よりはだいぶまし。

Hokkainodatenshi

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2017年10月15日 (日)

平安京はいらなかった

平安京はいらなかった 古代の夢を喰らう中世/桃崎有一郎(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー,2016)
 なんとも刺激的な題名だが、意味するところは、別に、都という存在そのものがいらなかったというのではない。
 本書の書き出し、「中世からは見えない中世京都―プロローグ―」の冒頭部に、その趣旨が書いてある。

 日本という国に、あのような平安京などいらなかった。
 いや、もちろん誰かが必要と信じたからこそ造られたのだが、それは幻想というべきか、一種の妄想にすぎない。平安京は最初から無用の長物であり、その欠点は時とともに目立つばかりであった。

 本書で著者の言いたいことは、上の引用に尽きている。本書のエッセンスを知りたければここだけでよくて、もう本文を読まなくてもいいくらいだ。
 それですませるのもあんまりなので、本文に何が書いてあるかというと――。
 内容は、大きく4章(番号はついてない)に分かれている。

 最初の「平安京の規格と理念」は、日本の古代の都の造営史と、平安京の基本設計について。
 歴史の本などでよく見かける、完全に完成した形の平安京の条坊図が掲載されている。その構造は、当時の身分制度と結びついているという。つまり最初から理念先行、建前と見栄だけで設計されたような都市計画だったわけだ。

 次の「実用性なき平安京」は、こうした設計で実際に造られた平安京の実態を語る。
 平安京の住民には路面清掃や水路の浄化など、景観や環境を維持するためのさまざまな義務があり、律令で細かく定められていた。ある意味先進的な環境保全条例が施行されていたとも言えるが、当時の住民はそんな規則など全然守らず、勝手に水路を引いたり、垣を破壊して出入り口を造ったりしていた。
 ただ広いばかりで実用性のない朱雀大路は、家畜が飼われたり、スラム化したりする有様だった。「理想の都」になるはずだった平安京は、たちまち崩壊し始めたのである。

 3章にあたる「大きすぎた平安京―"平安京図"という妄想」は、ブログ主にとっては一番面白い章だった。
 平安京の右京が早い時期から衰退し、左京だけが都市として機能していたという話はよく聞く。
 本章ではその実態がどうだったかを、具体的な数字を挙げて考察している。
 それによれば、右京は衰退したのではなく、最初から完成すらしてなかったのだった。かなりの部分が未開発のまま残されていて、大路・小路も未整備の部分が多かった。また、左京にしても、東南部の隅の方を始め、未開発の部分がかなりあった。平安京の完成形は、一度も存在したことがなかったのだ。
 なぜそんなことになったかというと、そもそも人口に比べて面積が広すぎたと、著者は論じている。文献史料や考古学調査などから、平安京の人口や実際に利用されていた面積などを推定しているのだが、要するに平安京の人口に対して適正なサイズは、計画の4分の1くらいで充分だったというのが結論。「あんな大きな都はいらなかった」という冒頭の主張が、ここで根拠を得る。

 最後の「平安京の解体と"京都"への転生」は、そんな風に最初から無理があった平安京のその後の運命について。
 平安京自体と同じく大内裏もまた、政治の場所としても天皇の住居としても大きすぎて使い勝手が悪かった。度重なる火事もあって、内裏の機能が「里内裏」に移っていったのはよく知られている。
 しかし大極殿など大内裏の一部(外から見える部分だけの、儀礼用の「セット」みたいなもの)は、平安末期まで再建が続けられ、最終的に復興工事が放棄されたのは鎌倉時代前期の1227年だったというから、思っていたより後まで、大内裏は存在していたのだった。実のところ、平安時代中頃にはもうなくなっていたかと思っていた。
 こうして大内裏が最終的に消滅した後、平安京は中世の「京都」へと変わっていく。しかし、見せるための都市――「劇場都市」としての京都の性格は、平安京の当初から現代まで引き継がれている、というのが著者の結論。

 平安京は不必要で無理のある都市計画の元に造られた都市だったかもしれないが、今の京都はやはりその平安京があったからこそ存在している――ということがわかる、意外な発見に満ちた京都史。

Heiankyouhairanakatta

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2013年3月21日 (木)

ビッグY

ビッグY 戦艦「大和」の戦後史(上・下)/横山信義(学研M文庫,2008)
 実のところ、私は横山信義のファンなのではないかと思う。どれもこれも同じようなもんだと重いながらも、気がつけば、この人の戦記シミュレーション小説をずいぶん読んでいる。
 横山信義作品といえば、武器や戦略、戦闘シーンの描写に関しては緻密でリアル、かつ迫力があるが、人物の描き方がうすっぺらいのが通例だった。例えば、同じ第二次世界大戦を舞台に架空の兵器を描いた福井晴敏の『終戦のローレライ』あたりと比べると、その人物描写の密度の違いはあまりに明らかである。(もっとも、福井晴敏はすべての描写が細かすぎる気もするが。)
 そんな点は百も承知の上で、横山作品を読んできたわけだが、本書はいろいろ読んできた中でも、ちょっと毛色が変わっている。

 本書は、一言でいうと、戦争末期の歴史がちょっとだけ変わって、戦艦大和が生き残った世界の物語。元々ノベルズで3巻ものとして出版されたのだが、文庫版では2冊に再編されている。そのため、上巻の最後で、著者の得意とする「引き」が生かされてない。元の3巻の状態を頭の中で再現しながら読んだ方がいい。
 横山作品らしく、大和が生き残った経緯は、実際に起きても決しておかしくない「イフ」を積み重ねている。
 沖縄に向けて水上特攻するはずだった大和は、空襲により積み込むはずだった燃料が失われ、出撃できなくなる。1945年7月の時点で、大和は呉に繋留されて対空砲台と化していた。
 そこへ、史実どおりの呉軍港大空襲。この時に大和の盾になったのが、ほぼ同じ大きさの空母信濃。史実では呉に回航中に米軍潜水艦の攻撃で沈んだ信濃だが、この作品世界では無事に呉に到着していたのだ。岸壁と信濃にサンドイッチにされた大和は、もう沈めることができなくなった(上から爆弾を落としたくらいでは沈まない)。
 そして終戦。大和は空襲で対空砲などをほとんど失ったものの、主砲や機関は無事で、航行可能なまま呉で終戦を迎える。
 やがて進駐してきたアメリカ軍は、大和のシンボルとしての価値に目をつけ、接収してアメリカ海軍に組み込むことにする。艦名はアメリカ風に変更され、「モンタナ」。コードネームは「ビッグY」。本来ならモンタナの頭文字をとって「ビッグM」になるはずだが、アメリカ軍は「モンタナ」の元の名を尊重したのだ。
 名前だけでなく兵装や艦内部もアメリカ風に改装され、米海軍最大の戦艦となった大和は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と、戦後史の戦争に出撃することになる――というのが全体のストーリー。
 この作品は、そんな「戦後を生きる戦艦大和」の物語であると同時に、ある家族の物語でもある。
 元大和乗組員である佐伯五郎とその妻で元慰安婦の由紀子、息子の丈治と正雄。佐伯五郎と正雄は二代にわたって日本国内の大和返還運動にかかわっていき、一方で丈治は渡米、米国籍をとってアメリカ軍人となり、大和こと「モンタナ」に乗り組む…。
 そんなストーリーの中で夫婦愛や親子の絆も(型どおりではあるが)描かれていて、家族のドラマに重点を置いたこういう話というのは、横山作品には本当に珍しい(<碧海の玉座>シリーズには海軍軍人四兄弟が登場するが、ドラマと言えるほどのものはない)。
 また、戦闘シーンがほとんどないのも、横山信義にしては異色の作品。実際、20世紀末に戦艦がそんなに活躍するはずもないのだが、そのへんはリアルなのだ。
 ただ、リアルすぎて、数少ない戦闘シーンも正直つまらない。地上の目標を艦砲射撃したり、トマホーク・ミサイルを発射したりするだけで、「モンタナ」が沈むことはあり得ないのだから、盛り上がりようがない。当の「モンタナ」の艦長や乗組員たち自身が、つまらないと思っている場面も描写される。
 戦争小説としてはまったく迫力と緊迫感に欠けるのだが、1990年代まで戦艦大和が現役を続け、リビア紛争や湾岸戦争まで出撃するという設定は、シミュレーションとしてはよくできている。
 そして、最後のシーン、佐伯一家が見守る中、大和が東京湾に帰って来るところは、ちょっと感動的。横山作品もずいぶん読んできたが、迫力の場面は数多くても、感動的な場面は本当にまれである。
 ただ、そこに至るまでの日本国内の、「大和返還派」と「廃艦派」の争いがもうちょっと詳しく書き込まれていれば、このシーンももっと盛り上がったとは思うが…。
 それでも、横山信義の作品の中で、普通に小説として見た場合、一番できがいいんじゃないだろうか。

Bigy

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2009年10月27日 (火)

信長の野望

信長の野望/童門冬二(光栄,1990)
 前に紹介した吉岡平の『提督の決断』(2008年11月9日のエントリー)と同じく、光栄のゲームから派生した架空歴史小説。ただし、この本は「歴史ifノベルズ」だが、『提督の決断』は「歴史キャラクターノベルズ」だった。どう違うのかよくわからない。
 それにしても、童門冬二とは、また大物をひっぱってきたものである。内容がそれにふさわしいかというと、また別の話。

 物語は本能寺の変から始まる。この物語の信長は、抜け道を通って本能寺から脱出、博多に身を隠す。大筋は、この生き延びた信長が、なぜか性格も思想も一変し、平和的な全国統一に乗り出す、というもの。冒頭の本能寺の変の場面を除いては、合戦シーンが全然出てこない。
 それはそれで、ユニークな架空歴史もの、というか本来の改編歴史SFに近いとも言える。が、問題は、内容があまりに変なところである。つっこみどころ満載。
 ところどころ文章が変だったり、登場人物たちがみんな現代語でしゃべっていること(「あなたは」なんて平気で言ってる)は、目をつぶることにしても、である。いくらなんでも変だろう、というところが目につく。例えば、次のようなところ。

・本能寺の変の後、徳川家康が茶屋四郎次郎の案内で帰国に成功したという記述の後で、「四郎次郎は、家康が天下を取った後、商人代表のブレーンとして、いろいろな知恵を家康にもたらす」とある。だが、この作品では信長が生き延びているのだから、秀吉も家康も天下を取らない。これが架空歴史小説だということを忘れているのでは。
・本能寺の変の情報を掴んだ羽柴秀吉が山崎で明智光秀を破るあたりまでは、実際の歴史と同じなのだが、この時秀吉のライバルとして名前が挙がる信長の重臣の中に、林通勝が出てくる。しかし林通勝は、この時すでに追放されているはず。
・単なる校正ミスからも知れないが、川尻秀隆が「田尻秀隆」と書かれている箇所がある。ご丁寧に「たじり」とルビまでふっている。
・信長が家臣たちの前で「府構想」なる日本の新しい政治体制を述べる時、口にした地名の中に名古屋や高知がある。名古屋も高知も江戸時代に入ってからの名称なので、この時代、そんな地名はないはず。
・織田長益(有楽斎)について、現在の東京の地名(有楽町)になっているとの説明がある。しかし、この物語では歴史が変わっていて、そもそも江戸に幕府が置かれる可能性がなくなっている。織田長益が江戸に住む理由もないし、江戸が後に「東京」になる必然性もない。上の茶屋四郎次郎の件と同じで、架空の歴史を語る物語の中で、実際の歴史の延長線上の「現在」を語ると整合性がとれなくなるのだ。
・「岩代」や「磐城」という旧国名が出てくる。この二つの国名は明治維新後にできたもの。この時代にあるはずがない。

 こうした、思わず首をかしげたり苦笑したりしたくなる箇所の数々に加えて、全体的に、作者のやる気が感じられない。『提督の決断』もあまり作者のやる気を感じない小説だったが、この作品はさらに輪をかけてそんな雰囲気がある。まあ、時代小説のベテランがゲーム会社の依頼する架空歴史小説に、乗り気になれないのもわかるが...。
 ある意味、珍品と言うべき本である。

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2009年9月 9日 (水)

異戦大坂の陣

異戦大坂の陣 一~四/中里融司(歴史群像新書,2006-2007)

 この作品の著者、中里融司は今年の6月に52歳で亡くなった。歴史小説的リアリズムよりもエンタテインメント性を重視し、オタクっぽい雰囲気の濃厚な、別の見方をすればかなりムチャクチャな架空歴史小説に、独自の世界を切り開いていた作家だった。ライトノベルやマンガの原作、戦史ものドキュメンタリーと、手がける分野は多岐にわたり、作品数も多かった。

一 表裏比興の総大将
 「大坂の陣の時、もし真田昌幸が生きていたら」という設定の架空歴史小説である。
 史実では、真田昌幸は大坂の陣が始まる3年前、1611年に死んでいるが、この作品では、それは徳川方をたぶらかすための謀略。真田昌幸が本当に死んだかどうか確かめに来た徳川方の伊賀忍者たちが墓をあばくと、「この真田安房が身罷りしこと、要するに、真っ赤な嘘に候。墓を暴きに来られた隠密諸士、大儀大儀」などという、徳川家康宛のふざけた挑戦状が入っているのを見つけるところから、話が始まる。
 うろたえる伊賀忍者たちの前に登場するのが、真田家の誇る忍者、霧隠の才蔵たち。中里融司は真田十勇士が大好きだったらしく、前に紹介した『戦国覇王伝』(2009年1月28日~29日)にも十勇士が登場して人間業とは思えない暗躍をしていた。この作品では十勇士ではなく「真田十傑士」と称しているが、中味は大差ない。「真田十傑士」の操る忍法が、魔術妖術、あるいは超能力としか思えないのも、『戦国覇王伝』と同じだし、何人かが女性化しているのも共通している。この作品では、由利鎌之助が「鎌鼬のお百合」、望月六郎が「望月のお六」、海野六郎が「海野のお六」、三好伊三入道が「三好の漁(後に伊三と改名)」と、4人も女性化しているのだった。
 それはともかく、実は生きていた真田昌幸、「十傑士」の活躍で伊賀忍者たちの妨害をはねのけ、豊臣家を助けて徳川と一戦するため、大坂城に入る。息子の真田信繁も、「幸村」と改名して父の後に続く。真田信繁が途中で幸村と改名するのも、中里融司の作品のお決まりパターン。
 大坂城での、名将真田昌幸の存在感と知略は圧倒的で、おまけに、この種のシミュレーション小説ではありがちだが、淀殿(本作での呼び名は「淀の方」)も豊臣秀頼も、異常にものわかりがいい。真田昌幸は総大将をまかせられ、大坂の陣はタイミングこそおおむね史実どおりに開戦するが、始まった時からその様相を変えることになるのである。
 大坂方は史実よりもはるかに積極的に、かつ効率的に動く。いち早く堺を占領して兵站を確保する一方で、大坂城外堀のさらに外側にいくつもの出丸を築き、戦いを優勢に進める。焦った徳川家康は、「冬の陣」の史実どおり、大坂城に大砲を撃ち込み、和議を迫る。
 それを罠と知った上で、あえて和議に応じる昌幸、これまた史実どおりに、家康が内堀まで埋めにかかるのを読んでいる。で、停戦からわずか七日後、徳川方が内堀の埋め立てに取りかかったところで、約定破りとして再び開戦するところで、第1巻は終わり。
 サブタイトルは、真田昌幸を「表裏比興の者」と読んだ石田三成の書状から来ている。魔道士のような妖しい活躍ぶりを見せるこの作品の真田昌幸にふさわしい。

異戦 大坂の陣〈1〉表裏比興の総大将 (歴史群像新書)

二 豊臣の大反攻
 豊臣家を罠にはめたつもりが真田昌幸の策にはまり、「盟約破り」を口実に猛攻をしかけてくる大坂勢に押されまくる徳川方。なにしろ、半分はすでに帰路につき、残りの大半も大坂城の堀埋め立て作業中で、戦の支度など全然できてない。家康は即座に退却を決断する。
 余勢をかって豊臣勢は京都に進軍、真田幸村らの別働隊は、大和、伊賀を通り抜けて伊勢に侵入し、桑名城に迫る。豊臣秀頼は占領した(というか、豊臣家が奪回した)伏見城に入って天下人になったことを宣言。さらに江戸に潜入した霧隠、猿飛ら「十傑士」は大火を起こして幕府の後背を脅かす。もうやりたい放題の感がある豊臣勢である。
 相変わらず、豊臣方諸将は、史実よりもはるかに有能で、かつものわかりがいい。淀の方に至っては、秀頼の伏見城入りに反対したものの、真田昌幸と秀頼本人に説得され、自分の不明を悟って出家してしまう。人間ができすぎている。
 一方、徳川方は、無策ぶりをさらけ出して討ち死にしたり敗走したりする無能者揃い。ここまで極端にしなくても…。

三 家康の逆襲
 第二巻までで近江西部、伊勢までを押さえた豊臣勢。今度は西に兵を向け、主力軍5万が、池田家の姫路城を攻める。
 この巻一番の見せ所は、「広島城の場」か。
 姫路・岡山を領する池田家は、西国で徳川方にもっとも忠実な大名。池田家の使者が福島家の領土、広島に乗り込み、池田家に従って大坂を攻めろと脅迫まがいの要求をしているところ、大坂勢姫路に迫るとの急報が入る。一刻の猶予もならないと、ますますいきり立つ池田家の使者―。ところがそこへ突然現れたのが、江戸に軟禁されていて、先日の火事で死んだはずの前領主、福島正則。池田家の使者二人を、いきなり素手で殴り殺してしまう。マンガみたいなシーンである。関ヶ原で徳川についたことを後悔しまくっている福島正則は、家臣一同に檄を飛ばし、豊臣方について参戦することを宣言するのだった。
 ところで、一旦は退却した徳川勢だが、もちろん引っ込んだままでいるはずがなく、再び攻勢に出る。東日本の大名たちを糾合して大軍を集め、大坂に向けて再征を始め、伊勢方面では、真田幸村らが占領した桑名城に、海路大軍を送りこんで攻囲する。しかし、桑名城はしぶとく籠城を続けるし、徳川主力軍の動きは、真田昌幸がすでに読んで何やら策謀をめぐらしているらしいし、豊臣家が窮地に陥った、という印象はあまりない。サブタイトルのわりに、大した逆襲と思えないのだ。
 「絶体絶命の危機感の欠如」が、本シリーズの弱点と言えば弱点だろう。何しろ、一番の危機であった「大坂城の堀埋め立て」は、第一巻でクリアしてしまっているのだから。
 あと、忘れてはならないのが、中里融司作品に欠かせないキャラクター、伊達政宗(笑)。主役級だった『戦国覇王伝』に比べると出番は少ないが、危ない性格は変わらない。「そうじゃな。最上殿あたりでどうじゃ」の一言で、隣国の最上家を「上様」に対する謀反人と決めつけて攻めることに決めてしまう。「上様」が徳川家なのか豊臣家なのかもはっきりさせないまま。呆れながら相手をしている片倉景綱もいい味を出している。ちょっとしか出てこないのが惜しい。

四 天竜大決戦
 最終巻。豊臣家主力軍が姫路・岡山の池田家を攻めている隙をついて、名古屋に集結させた大軍を出発させ、近江に迫る徳川家康。しかしそれすらも、真田昌幸一世一代の壮大な戦略の中で予想されていることなのだった。この作品の真田昌幸は、ほとんど諸葛孔明並の大軍師になっている。
 結局、大坂に残った留守舞台を攻めるはずだった徳川家康は、予想をはるかに上回る大軍となった豊臣の主力部隊と、天竜河畔で決戦をすることになる。徳川軍も大軍だが、関東では豊臣方に寝返った伊達・上杉連合軍が江戸を攻めていて、後がない。文字どおり背水の陣である。
 というわけで、このシリーズのクライマックスとなる天竜河畔での東西両軍の決戦が繰り広げられるのだが、この戦い、奇策を使わずに正面からの戦いに終始する。(中里融司にしては)まとも過ぎて少々意外。
 最後は、だいたい予想どおりの展開になって全巻の終わり。
 全体として、新基軸や意外な展開は見あたらず、良くも悪くも、いかにも中里融司らしい架空歴史小説になっている。後半、やや駆け足の印象もあるが。
 著者のおそろしく読みやすい文章と、この手の小説には珍しいくらい個性のある登場人物たちのおかげで、多少のマンネリも気にならないくらいおもしろいことは確か。著者がまだまだ活躍できる年齢で急死したことが惜しまれる。

異戦 大坂の陣〈4〉天竜大決戦 (歴史群像新書)

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2009年6月 8日 (月)

戦国大学生

天軍戦国史 天軍織田に加勢す/羅門祐人(ワニ・ノベルズ,1996)
 歴史シミュレーション小説のパターンの一つとして、自衛隊が戦国時代にタイムスリップする、というのはもはや定番と化している。この定番を作ったのが半村良の『戦国自衛隊』であることはいうまでもない。
 最新鋭装備を備えた自衛隊が戦国時代へ行けば、無敵であるのは当然だが(少なくとも、弾薬・燃料がある間は)、タイムスリップしたのが自衛隊ではなく、大学だったらどうなるか―という仮定でシミュレーションをやったのがこの小説。
 椎名高志の4コママンガで、予備校が戦国時代にタイムスリップするが、あっという間に全滅してしまう―というのがあったが、まあ普通に考えたら、そんなものだろう。だが、この作品の大学生たちは、時と地の利を得て、しぶとく生き抜いて行く。「戦国自衛隊」じゃなくて、「戦国大学生」である。
 舞台となるのは名古屋市内の大学「大和学園」。宇宙から飛来したミニブラックホールの直撃を受けた学園は、半径300メートルの空間ごと、戦国時代の尾張の国に飛ばされてしまう。たまたまその空間内に、いかにも都合のいいことに、ガソリンスタンド、ディスカウントショップ、図書館などが含まれていたことが、彼らの生き残りに大きな役割を果たすことになる。
 未来から来た学園にいち早く接触したのが、尾張統一前の織田信長。未知のテクノロジーに目をつけた信長と、軍事的庇護が欲しいと学園との利害が一致し、両者はすぐさま同盟を結ぶ。「天軍」とは、天から降ってわいたような異形の集団に、信長がつけた呼び名である。
 ―というような、タイムスリップした学園と織田信長側とのファースト・コンタクトと、同盟に至るまでの動きを、著者は6、7ページくらいであっさりと片づけてしまう。このへんを丁寧に書いていたら、それだけで1冊分の話になるだろう。
 実際の物語は、大和学園のタイムスリップから一年後、大学生集団のリーダー、風間一郎が柴田勝家らとともに織田信長に面会するところから始まる。その時の信長は、「天軍」からもらったTシャツにジーンズ、スニーカーという格好で現れる。上に書いたような、タイムスリップとその後の経緯は、この衝撃的(?)な冒頭のシーンの後で、回想風に説明されるのだ。
 時間ものSFとしては、現代人と過去の人間とのファースト・コンタクトこそ、もっとも力を入れたいシーンに違いない。だが、著者が書きたいのは、現代の非軍事テクノロジーが、戦国時代でどれだけ軍事的に利用できるか、さらには、戦国時代に放り込まれた現代文明が、どのようにすれば生き残りが可能になるか―というところにある。それは、第2巻、第3巻でさらに鮮明になる。
 第1巻は、「天軍」の力を借りた織田信長の尾張統一、美濃侵攻、そして桶狭間で今川義元を討ち取るまで。

天軍戦国史2 激動!風林火山/羅門祐人(ワニ・ノベルズ,1997)
 第1巻の最後で、大和学園の教授が敵国に出奔してしまう。知識のかたまりみたいな人物が流出してしまったわけで、この事件はその後の展開に大きな影響を与えるようなことを匂わせていたのだが、実は、教授はほとんど話にからんでこない。
 そのかわり、話は別の方向に発展する。信長は近江の六角氏が教授を「拉致」したと言いがかりをつけて、討伐に名を借りて近江に軍勢を出すのだ。
 一方、「天軍」のリーダー風間は、近江などどうてもよくて、ひたすら越後を手に入れたい。言うまでもなく、新潟に算出する石油が目当てである。この巻から、信長と風間の間の亀裂が徐々に明らかになっていく。
 風間は近江討伐には加わらず、尾張、美濃の留守を守ることになるのだが、そこへ信長の主力軍が出払った隙をつき、武田信玄が侵攻してくる。信玄の大軍と「天軍」との戦いが、この巻のメインストーリー。
 少数の残留部隊を率いて武田家の猛攻を引き受ける羽目になった風間は苦闘する。天軍戦車(四輪駆動車改造)、天軍騎馬隊(オートバイ)、空中戦艦(飛行船)が奮戦するも、次第に追い込まれ、絶体絶命――、というところで、結局は信長の機略に救われるのだが――。風間の実力に対する信長の不信は強まり(大学生に期待しすぎだとも思うが)、「これが、その後の悲劇を生む原因になるとは、まだ誰も知らない」という、いかにも思わせぶりな文章でこの巻は終わる。これが、第3巻への重大な布石になる――かと思えば、ならないのである。

 この巻、「天軍」に配属された前田利家が、準主役級の活躍をする。クライマックス・シーンでは、空中戦艦から武田信玄を狙撃しようとするのだが、その時の指示の言葉が、完全に「天軍語」に、つまり現代語化しているのがおもしろい。

「狙撃ポイントは貴様にまかせる。絶対に討ち漏らすな。何発射ってもいいが、たぶん数回しかチャンスはない」

 ちなみに、この指示を受けている狙撃手は、竹中半兵衛。

天軍戦国史3 織田包囲殲滅戦/羅門祐人(ワニ・ノベルズ,1997)
 次第に深まる織田信長と「天軍」リーダー風間一郎との溝。織田の外様大名的な立場で独自の行動をとるようになった「天軍」は、信濃から越後へ進出する。春日山城攻略戦が、この巻のクライマックス。
 ここで活躍するのが、「天軍」の開発した新兵器、潜水艦「轟天」。すごいネーミングだが、実際に現代の大学生がこういうシチュエーションに置かれたら、つけそうな名前ではある。それはともかく、潜水艦といっても、所詮戦国時代の技術で作られているので、性能はそれなりのものでしかない。「潜る」だけしか能力のない潜水艦を、戦術上どんな使い方をするかが、戦いのポイントになる。
 それはともかく、この巻でますます鮮明になるのは、作品全体のテーマ。1巻のところでも書いたが、「戦国時代で、現代の技術をいかに生かし、いかに維持するか」――である。「天軍」は、この時代で入手できる材料と技術で、発電機、電球、雷管、飛行船、潜水艦、等々を作る。技術を継承するために技術者を養成する。主人公たちは、知識と技術こそが自分たちの最大の武器であることを知っており、それを絶やさないための手を打とうとするのだ。
 L・スプレイグ・ディ・キャンプの『闇よ落ちるなかれ』という名作SFがある。20世紀から6世紀のローマにタイムスリップした歴史学者が、知識だけを頼りに技術革新を起こし、中世暗黒時代の到来を防ごうとする話だ。
 『天軍戦国史』の風間一郎には、単に文明の維持ではない別の野心があるようだが、やろうとしていることは『闇よ落ちるなかれ』と似ている。日本の歴史シミュレーション小説では珍しいパターンである。
 さらに続編があるとおもしろかったと思うのだが、この作品、これから、という3巻目で、第一部完、打ち切りになっている。3巻のあとがきでは、著者は第二部の構想を考えていたようではあるが。織田信長と「天軍」との破局や、信長の非業の死を暗示する伏線めいた表現も出てきていたのだが、それらは宙に浮いたままになってしまった。
 このユニークな架空歴史小説の続きは、もう読めないのだろうか。まあ、あまり一般受けする話じゃないのはわかるが...。

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2009年1月29日 (木)

架空戦国大作(その2)

 前回の続き。

戦国覇王伝 6~10/中里融司(学研・歴史群像新書,2000-2002)

6 東海道の荒武者
 今回、伊達政宗は休み、出番はほとんどない。豊臣体徳川の両巨大勢力が、いよいよ直接対決に向けて動き出す。
 といっても、前半はもっぱら謀略戦。四国の藤堂、長宗我部、蜂須賀が徳川の調略を受けて反豊臣側に寝返る。寝返りの常習犯だった藤堂高虎はまあ当たり前として、史実では大坂の陣で豊臣方として死んだ長宗我部盛親が徳川につくのはやや意外であった。だが話を盛り上げるためには、四国でも危機を作っておかねばならないのだろう。
 後半では、徳川家康がいよいよ直接軍を動かし、清洲の福島正則を攻める。この頃、まだ名古屋城はなく、「那古野砦」があるだけ。数にまかせて押し寄せる徳川軍に追いつめられた正則を救うため、豊臣秀頼自らが密かに清洲に乗り込むのだが、それを許す淀殿が人間ができすぎ。秀頼と並んで、史実とは性格が一変した代表格だろう。ここまで話のわかる、人間のよくできた淀殿は、他の小説やドラマでは見たことがない。表紙はその淀殿。

7 鹿角の軍神
  前半は、清洲城の戦いと福島正則救出作戦の続き。しかし福島正則は加藤清正とキャラがかぶるせいもあり、今ひとつ目立たない。これは実際の歴史でもそういうイメージなのだが。
 後半、伊達政宗が表舞台に再登場。伊達家討伐をめざす徳川軍の奥州侵攻戦が始まる。この『戦国覇王伝』という長い物語全体を見た時、ここからが間違いなくクライマックスになる。
 徳川家康自らが統率する遠征軍が、とにかく強い。というか、その中心である「無傷の名将」本多忠勝の強さが人間離れしている。ゲームで言えば「ラスボス」クラスか。いや本当のラスボスは家康だろうが、戦闘力から言えば間違いなく最強。というわけで、表紙は本多忠勝。

8 仙道の火祭り
 奥州戦線の続き。数で勝る徳川軍は序盤から伊達家を圧倒する。伊達家は次々と要地を落とされ、野戦でも敗れ、ついには仙台にまで徳川軍が攻め込んでくる。―という具合に、作者はこれでもかというほど伊達政宗を追いつめていく。
 しかし状況がいくら不利になっても、政宗の余裕たっぷりな態度が崩れないので、読む側としてはあまり緊張感はない。むしろ、この窮地からどうやって一発逆転するかというそっちの方に興味が向いてくる。
 一方で清洲に進駐した徳川秀忠軍に秀頼が何やら謀略をしかけている様子も描かれ、東でも西でも何か大逆転の気配を感じさせながら次の巻に引っ張る。
 この巻では、1巻から登場していた秀頼のお伽衆にして軍師、曽呂利新左衛門の意外な正体も明らかになる。表紙はジュリア・ヴァルデス。

9 龍神たちの宴
 奥州戦線完結編。やはり8~9巻がこのシリーズ全体のクライマックスだった。
 仙台に攻め込んだ徳川家康が伊達政宗の奇策により撃退される場面が、全体の戦局の大きな転換点になる。関ヶ原から始まって、今まで攻勢一方だった徳川軍がここでついに敗退することで、流れが変わってしまうわけである。ミッドウェイ海戦みたいなものだ。
 仙台攻防戦で伊達政宗がとった起死回生の秘策というのが、映像にすればさぞ迫力があるだろう。要は水攻めの大規模なやつである。作戦そのものはだいぶ前から話の中で示唆されていたので意外性はないが、徳川軍を押し流す怒濤とともに日本全体の戦いの潮流そのものが変わるわけで、話の攻勢としても視覚的効果としてもよくできている。
 後半は話が目まぐるしく動き、豊臣方が徳川秀忠の暴走で京都を追われた天皇をかくまい、「官軍」としての大義名分を手に入れると、九州からは加藤、黒田、立花が合流し、仙台から追撃する伊達軍には上杉軍が合流、徳川攻めの体制を整える。
 一方敗退した徳川軍も戦力を立て直し、島津、鍋島、長宗我部を呼び寄せて反攻をはかる。双方が戦力を結集し、関東平野を舞台にいよいよ最終決戦に望む、というところで続く、と来る。表紙は徳川家康。

10 乱世終焉
 10巻にわたる長大な架空戦国絵巻の最終巻。9巻の仙台攻めでの大逆転と、「錦の御旗」を手に入れた豊臣軍の出撃で流れは決まっているので、後の興味は「徳川家康がいかに敗れ、いかに死ぬか」だけである。
 クライマックスは、「第二の関ヶ原」、利根川沿いの「深谷の戦い」。南北から押し寄せる豊臣軍と、残存兵力を集結した徳川軍の最終決戦である。なんとも派手な戦闘シーンが延々と繰り広げられるが、最後は予想どおりになる。
 この後、家康は戦場ではなく江戸城で意外な(いや、複線はもう何巻も前から引かれていたのだが)なりゆきで命を落としてしまうが、それはもう蛇足のようなもの。
 最後にデビュー作『坂東武陣侠』(2008年3月29日のエントリーで紹介済)と同じパターンで、豊臣家の天下となった日本の、200年後までの歴史を簡単に書いている。どこがどう変わっても、日本は明治維新と同じ頃に近代国家になるらしい(笑)。
 この巻で惜しいのは、登場人物が多すぎ、最後の1冊にすべてを詰め込むため、一人一人の描写が少なくなってしまったこと。長大なシリーズの最終巻にはありがちなことで、仕方がないことではあるが。最後の表紙は当然ながら伊達政宗。

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2009年1月28日 (水)

架空戦国大作(その1)

 今まで読んだ戦国時代もの架空歴史小説の中で(といってもそんなに多いわけではないが)、一番おもしろく、かつ一番ぶっ飛んでいた作品『戦国覇王伝』を2回に分けて紹介する。まず最初は1巻から5巻まで。

戦国覇王伝 1~5/中里融司(学研・歴史群像新書,1999-2000)

1 乱世ふたたび
 関ヶ原の戦いから歴史が変わっていく、というのは戦国架空歴史ものの定石であるが、この話の場合、戦いそのものはほぼ史実どおりに展開し、西軍の惨敗に終わる。歴史が変わってくるのはその直後からで、幼い豊臣秀頼が、突如として年に似合わない異様な才知を発揮し、一挙に戦後処理の主導権を握ってしまう。
 この話の基本設定は、秀頼が見せる超人的な、というか怪物的な早熟の天才ぶりという、ほとんどその一点にかかっていると言っていい。そこで、「そりゃあり得ないだろ」と言ってしまえばすべて終わってしまうのである。
 中里融司の熱気のこもった文体は、この非現実的な設定を無理矢理読者に飲み込ませてしまうことに成功している。豊臣秀頼のあり得ないような天才ぶりに加えて、真の主人公、伊達政宗のメチャクチャな性格をこれでもかと見せつけ、「これはそういうとんでもない話なのですよ」と宣言してしまっているのが大きく作用しているのだろう。何があってもおかしくない架空歴史小説なのだと、のっけから読者を思わせてしまうのだ。
 小林智美の華麗なイラストも、破天荒で派手なストーリーに合っている。1巻の表紙キャラクターは(当然)伊達政宗。

2 北の関ヶ原
 伊達政宗の暴走はとどまるところを知らず、秀頼はますます妖怪じみてきて、その敵方である家康の陰険さもレベルが上昇する一方。主要なキャラクター3人の、感情(政宗)、理性(秀頼)、知恵(家康)という対比ぶりがよくできている。
 伊達政宗の相方、片倉景綱や朝鮮から来た道術使いの女戦士、柳照蘭、ちょっとだけ出てくる前田慶次郎など、脇役もキャラが立っていて、そこが「歴史シミュレーション」の枠をはみ出すおもしろさになっている。もう「歴史キャラクター小説」と言ってもいい。
 この巻では東北と関東を舞台とする徳川方と豊臣方の戦いを追っているが、最後には謎のスペイン船まで登場するなど、ストーリーもとどまるところを知らず突っ走っている。
 残念なのは本文イラストが小林智美から変わってしまったこと。表紙だけは幸い前のまま小林智美で、今回は美少年の豊臣秀頼。

3 乱刃信州戦線
 スペイン船に乗っていた金髪のお姫様、ジュリア・ヴァルデス登場。この巻以後、重要な役割を果たすことになる。架空歴史ものでこういう完全な虚構の人物、しかも女性が出てくるのは珍しい。それ以外にも、女忍者や女戦士がずいぶんと出てきて活躍する。作者の趣味か。
 後半は真田家登場。真田昌幸、信繁(この巻ではまだ幸村とは名乗ってない)親子のキャラクターは、わりと類型的ではあるが、信繁が異様なまでに好青年に描かれている。真田家だけならまだしも、真田十勇士がちゃんと出てくるのも、この作品らしい。この巻で出てくる十勇士は、三好青海、霧隠才(才蔵が女性化)、猿飛、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎(普通の武士っぽい)。名前だけなら、根津甚八、伊佐入道も出てくる。もう何でもありという様相である。
 さらに最後の数ページでは、島津家の呪法による豊臣秀頼暗殺未遂というとんでもない事件が起きる。物語の展開上もとんでもないが、超自然的な力が出てくることにより、一挙にファンタジーの領域に足を踏み入れてしまうわけである。作者はいったいどこへ行こうとしているのか。
 ところで「ジュリア・ヴァルデス」はスペイン風発音なら「フリア・バルデス」では。
 表紙は多分上杉景勝(上杉謙信の兜をかぶっている)。

4 西海の猛虎
 舞台を九州に移し、前巻の最後で豊臣家に反旗をひるがえした島津家と、加藤清正を中心とする豊臣方討伐軍の死闘を描く。全体の流れからいえば傍流的な1冊か。
 豊臣方は加藤清正、黒田如水に加えて立花宗茂という結構豪華な顔ぶれ。書きぶりから見て、著者はとにかく加藤清正と黒田如水が出したかったと見える。そのわりには、せっかく出てきた大物があっさり死んだりするが。
 この話に登場する島津家は完全な悪役、しかも妖術を操る。呪法で鍋島直茂を操って裏切らせ、味方につけたりする。何だか要所要所で超自然的な力が働く話である。
 表紙は加藤清正。

5 北辺の守護神
 伊達政宗が5巻目にして初めて、ほぼ1冊まるごとの主役を張る。宿敵・最上義光との決戦とはいえ、マイナーな武将との合戦に1冊全部使い切っているのは、さすがに、「真の主役」というべきか。
 この巻で討ち死にする最上義光は、なんとなく伊達政宗と似たキャラクターで、著者はこの男にもけっこう思い入れがあったようだ。前巻の黒田如水もそうだったが、単なる忠義者よりも、一癖も二癖もある策謀家がむしろ好意を持って扱われているように見える。というか、そういう人物の方がキャラクターを立てやすいからか。表紙は真田幸村。

 というわけで5巻まではもっぱら地方での争乱がメイン。6巻目から、事態はいよいよ豊臣・徳川の全面対決に向けて動き出す。次回に続く。

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2008年11月 9日 (日)

提督の決断

提督の決断 吼える四戦艦/吉岡平(光栄・歴史キャラクターノベルズ,1994)
 前回はおすすめしない本を取り上げたが、今回紹介する本も微妙。だが、ある意味珍しい作品ではある。

 タイトルからわかるとおり、シミュレーションゲームを元ネタにしたシミュレーション小説。そのゲームはもちろんこの本の出版元である光栄(今の社名はコーエーに変わっている)が出しているので、まあ、小説の形態をとったゲームの宣伝みたいなものである。
 といっても、ゲーム自体にストーリーはないので、話は完全なオリジナル。それはいいのだが、なんだか読んでいて作者のやる気があまり感じられない。戦記シミュレーションの注文が来たので、とりあえず型どおり書いてみました、という印象がありありなのだ。事実、「あとがき」で著者自身が、「私はいわゆる「IF戦記」あるいいは「架空戦記」というものを、この期に及んで書きたくはなかった。」と言っている。正直である。
 書く気がないのに書かなければならない時は、定型に則るのが常道。この作品も、旧式戦艦の活躍、酸素魚雷の脅威、日本戦艦に撃破される米空母、突然現れる隠密艦隊など、よくぞここまで揃えた、と言いたくなるほどのお約束のオンパレード。むしろここまでやれば天晴れかもしれない。
 また、戦記シミュレーションには珍しく、主要登場人物はほとんど架空。話の主役となる殴り込み艦隊のスタッフ8人の姓は『八犬伝』からとってきたもの。犬田文璽中将(司令官)、犬坂要大佐(参謀)、犬飼衛上飛曹(戦闘機パイロット)、犬山惟史中佐(「北上」艦長、水雷屋)、犬川允大尉(砲術屋)、犬江嘉尚中尉(特殊潜航艇乗り)、犬塚徹中佐(駆逐艦長)、犬村寿壱少将(次席司令官)、金碗大治郎少佐(次席参謀)、といった具合。最後の方で、里見洸大将、八房少将などという人物も出てくる。
 しかし前半部分の、仲間を次々と集めていくという部分以外は、『八犬伝』とストーリー上のつながりがあるわけでもなく、こういう名前にしてあることに大して意味があるようには思えない。まあ、少しだけ名前が覚えやすくはあるが。
 ここまでメチャクチャなことをされると、作者の他の架空戦記も読みたくなるが、残念ながら吉岡平はこの手の架空戦記はほとんど書いてない(というか、架空戦記より遙かにぶっ飛んだ小説ばかり)。ただ、「あとがき」に出てくる、作者がこの作品の前に唯一書いたという架空戦記『新・昭和遊撃隊』(1989)は何だかおもしろそうである。

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