SF挿絵画家の時代/大橋博之(本の雑誌社,2012)
SFのイラストを手がけた挿絵画家71人の小伝を集めた、多分このテーマについては日本で初めての本。
『SFマガジン』の連載に加筆修正を加えて単行本化したもので、「単行本化にあたり、連載掲載順では並べず、ある法則によって並べ替えた」と序文にある。「ある法則」というと何か特別みたいだが、中身を見れば一目瞭然で、生年月日順に並んでいる。ごく普通である。
一番古い人が、古賀亜十夫(1905-2003)。次が山川惣治(1908-1992)、続いて金子三蔵(1909-1990)という具合。最後は小阪淳(1966-)。
『SFマガジン』、ハヤカワSFシリーズ、創元推理文庫(現・創元SF文庫)、ハヤカワSF文庫(現・ハヤカワ文庫SF)などの表紙や挿絵を初期の頃から手がけた、古くからのSFファンには懐かしい画家たちから始まり、一世を風靡した巨匠、今も第一線で活躍するイラストレーターなどが次々と登場する。
武部本一郎、小松崎茂、石原豪人、依光隆、真鍋博、生賴範義、司修、長岡秀星、加藤直之――と、SFのイラストを語る上で欠かすことのできない名前はもちろん、名前は覚えてなくても、引用された図版を見れば、「あの絵を描いた人か」と、思い当たる画家がほとんど。逆に最近登場した人は少ないのだが…。
また、SF系文庫の表紙を語る上で欠かせない漫画家についても、松本零士の項でまとめて触れられているだけで、ほぼカットされている。そこまで手を伸ばすときりがないからだろう。
本書を読んで改めて思ったのは、子供の頃からあれほど慣れ親しんだ挿絵画家たちについて、その人がどういう経歴で、画家としてどういうポジションにあるのか、要するに本人がどういう人なのかほとんど何も知らなかったということだ。単に本の表紙を描いているイラストレータだと思っていた人たちの中に、展覧会にも出品している本職の画家がいかに多かったかということがわかるし、なぜか武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)出身者が多い、なんてことにも気がついたりする。中には、性別を間違って思い込んでいたことがわかった人もいた。
不満もないではない。紙面と経費の都合だろうが、肝心のイラストが、カラー版は口絵に8ページほどまとめられているだけで、基本的にモノクロの小さなものしか掲載されてないこと。タイトルからしてもっと図版が多いかと思っていたが(連載は読んでなかったのだ)、本書を最初に手にとった時は、本文があまりに文字ばかりなのでとまどった。
また、本文そのものが、それぞれの挿絵画家の出生から学歴、経歴、家族構成に至るまで細かく記述しているのはいいのだが、画風についての言及が少ない。どういう絵を描く人なのかは、図版を見てくれと言わんばかりだ。しかしその図版が小さくて大まかなイメージしかわからない。
まあ、文章で画風を説明するというのは、かなりの文章力と労力を必要とするし、スペースの都合でそこまで詳しくは書けないのもわかるが――。そのため、事実の羅列の部分があまりに多く、本書全体が硬い印象になってしまっている。そこに一片の柔らかみを与えているのが、各項の冒頭の、著者の個人的な思いや体験を綴った部分なのだが、著者は単行本化に当たってこの部分を削ろうと考えていたらしい(止めてくれる編集者がいてくれてよかった)。もうちょっと読みものとしての面白さも考慮してほしかった気がする。
とはいえこれはやはりすごい本である。
決して万人向けではなく、というかかなり読む人を選ぶ本なのだが、その選ばれた人には貴重な情報の数々を、懐かしい感覚とともに与えてくれる。
本書で紹介された挿絵画家の中で、個人的に思い入れの深いベスト3。
1.岩淵慶造 『SFマガジン』の表紙の数々が忘れられない。一般受けする作風ではないが、構図とデッサン力が最高で、独特のタッチと色使いも素晴らしい。
2.新井苑子 ほのぼのしたタッチのイラストは、当時のSF界で(今もか?)、類を見ないものだった。印象深いのは、ハヤカワSFシリーズ版『小鬼の居留地』の表紙。
3.林巳沙夫 フォトコラージュを使った独特の作風に、SFそのものを感じた。創元文庫版『銀河帝国の興亡』のイラストが特にお気に入り。
地形からみた歴史 古代景観を復原する/日下雅義(講談社学術文庫,2012)
以前に紹介した『地図から読む歴史』(2012年8月20日のエントリー)とタイトルがまぎらわしいが、実は似ているようで方向性が違う。『地図から読む歴史』には、「聖武天皇の都作り」「平安京計画と四神の配置」「織田信長の城地選定構想を読む」など、誰が何のために何をしたか――を考察する内容が多い。いかにも歴史の本流である。
これに対し、本書は、以下のような全七章からなる。
第一章「景観の復原と遺跡」
第二章「大地は変わる」
第三章「『記紀』『万葉集』に自然の景をよむ」
第四章「生活の場を復原する」
第五章「生産の場を復原する」
第六章「消費の場を復原する」
第七章「景観の形成と古代」
章題にも示されているが、主体は人ではなく、人が手を加えた地形と、その景観。それをさまざまな手がかりから「復原」するのが本書のテーマである。
ところで、本書では「復元」ではなく「復原」という字を一貫して使っている。「土器や家屋のような単独のものを、元どおりに戻すのではなくて、過去のさまざまな時代の合成景観(原景観)を再構成するという自分の研究内容には、「元」より「原」のほうがふさわしいと考えるからである」だそうだ。このへんにも、著者が人でも物でもなく、景観(地形)を最重視していることが伺える。
だからその研究手法も、自然科学的要素が多い。土壌サンプルから古代の地形変化を読み取り、分析する。土地の断面図も頻繁に出てくる。文中にはハンドオーガー、プルームサンプラー、シュートバーといった聞き慣れない専門用語が頻出する。図版を見ていると、歴史の本なのか、地質学の本なのかよくわからない。言わば、半分理系の歴史関連本。
もっとも、そういう自然科学的な研究法だけでなく、文献による研究も取り入れている。特に第三章では、主に万葉集の歌から、当時の地形を推定している。
「玉敷ける清き渚を潮満てば飽かずわれ行く還るさに見む」なんて歌から、古代の船着き場の地形や景観を推定・再現したりするのだ。わずかな手がかりから、かつての景観を推理するプロセスには、ミステリめいた部分があると言えなくもない(無理か?)。もちろんそこには、地質学的な知識や研究手法も動員した考察があるわけだが。
専門用語が多い上に、調査報告みたいな文章ばかりが続いていて、決して読みやすい本ではない。万葉集を引用しながらどうしてこんなに情緒のかけらもないのだろうと感心するほど。
だが、内容は上にも見たように、一般読者には目新しいものだし、情報量も充実している。日本の古代が主な対象だが、作者は外国にも目を配っていて、トルコ、ギリシャ、エジプトなどの話題も出てくる。
とりわけ関西に住む者としては、後半の主要テーマである大阪近辺の古代地形――それも人の手が加わってできた水路、池、港などに関する考察は興味深い。大阪平野に古代に作られたが現在は消えてしまっている「針魚大溝」や「依網池」、「狭山池」、古代の港である「住吉津」、「難波津」。そのかつての位置の推定や、往時の姿の復原などは、普通の歴史の本ではなかなか得られない知識だ。多少とっきにくくても、こういう世界を専門家だけに占有させておくのはもったいない。