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2012年1月12日 (木)

12月に読んだ本から

 12月に読んだ本から、2冊の「歴史」を。

古代史おさらい帖 考古学・古代学課題ノート/森浩一(ちくま学芸文庫,2011)
 日本考古学の第一人者と言われる学者が、日本の古代史を語る本。
 「はじめに」によれば、本書は大学の新入生が気軽に読める入門書で、なおかつ質の高いものを目指して、「入門書とはいえ、既成の学問成果を列挙するだけでなく、一見学問の成果(到達点)のように見える事柄についても、その問題点を列挙しておさらいすることが本当の入門書になるように思える」という意図で書かれたものだとのこと。もとは単行本として2007年に出版された。

 ところで、ひとくちに日本の古代と言っても範囲が広いが、この本では、主として3世紀頃から飛鳥時代くらいまでを扱っている。先史時代や奈良・平安時代のこともちょっとだけ出てきたりはするが、だいたい、日本が「倭国」と呼ばれていた時代がメインと言っていい。
 内容は時代別や地域別、テーマ別といったように整然と構成されているわけではない。あえていえば、「天(時)・地・人」に分かれている。順番は、「地・天・人」だが。
 第一章「土地の見方」は、さらに2つのパートに別れている。「1 海道と島々を考える」は、古代の物産や交易ルートについて、「2 変貌する河内と摂津」は、古代難波の地形と都市計画について――という相互にあまり関係のないもの。
 第二章「年代の見方」は、4パートからなる。「1 時間をどう記述したが」のテーマは、古代日本での年代の表現。「2 銅鏡の「年代」をめぐって」は、古墳などから発掘される銅鏡の銘文に見られる年号記述について。「3 諸所に刻まれた年号」は、刀剣の銘文や石碑の碑文なとを扱っているが、年号というよりは文面全体を検討している。「4 「暦」はどのように使われたか」は、干支の使用や日本最初の年号と言われる「大化」について。
 銅鏡に刻まれた年号は実際の製作年の根拠にはならないという指摘や、「大化」という年号は後から 作られたもので、その当時は使用されていなかったのではないかという考証は、普通の入門書にはない要素だろう。これが「問題点の列挙」というやつか。
 第三章「人の見方」になると、著者の描く古代日本の像がかなり見えてくる。――といっても、主に九州に限ってのことだが。
 著者は邪馬台国九州論者で、この章では魏志倭人伝が語る倭国の状況について著者の説を披露している。「邪馬台国」=「卑弥呼の国」ではない――とか、狗奴国が南九州を支配していて、その末裔が熊襲になった――とか。
 他にも徐福伝説に関する考察も出てきたりして、この第三章が普通の歴史好きや古代史ファンには一番おもしろい部分だろう。
 全体として、さすがにこの世界の重鎮だけあって、さすがと思わせる持論があちこちに出てくる。
 ただ、体系的というわけではなく、各論を並べているという感じは否めない。はじめの方で古代史の入門書あるいは概説書かと思わせておいて、実は古代史研究ノートみたいなものだった。「おさらい」とあるが、素人には初めて聞く話が多くて、何がおさらいなのかよくわからない。というか、サブタイトルの「考古学・古代学課題ノート」をタイトルにすればよかったのに。

養としてのゲーム史/多根清史(ちくま新書,2011)
 1980年代から90年代のレトロゲーム中心の、コンピュータゲーム史。
 テーマ別に四つの章にわかれていて、それぞれが微妙に年代が重なりながら、次第に現代に近づいてくるという構成。
 第1章「固定画面の中で」では、1972年に発売された初めてのビデオゲーム「ポン」をいわば序説として、1978年に登場して爆発的に流行した「スペースインベーダー」を初め、次々と登場するビデオゲームたちが語られる。「ギャラクシアン」、「ギャラガ」、「平安京エイリアン」、「パックマン」、「ドンキーコング」…。ある年代以上の人間にとっては、きわめて懐かしい名前が続出する。
 それらを著者は、「固定画面」という枠組の中で、「他者性」、「攻防」、「迷路」、「対戦」といったカッコ入りキーワードを散りばめながら、進化の過程を分析していく。「囚人のジレンマ」といったゲーム理論の概念まで引用される。「 」がきわめて多いその文章は、学術的にすら見える。
 以下もこんな調子で、第2章「スクロールが生み出す世界」では、「スクランブル」、「ゼビウス」、「スーパーマリオ」、「ドラゴンクエスト」などが、第3章「RPGと創造力のデザイン」では「ウィザードリイ」、「ウルティマ」、「ドルアーガの塔」、「ゼルダの伝説」、そして再び「ドラクエ」が論じられる。第2章の主なキーワードは「世界観」、第3章では「想像力」と「箱庭」である。
 ゲームの進化にともない、それが作動する機械の方も、アーケード機からファミコンをはじめとする家庭用ゲーム機に主流が移るのだが、本書ではゲームセンターやファミコンが社会に与えた影響などにはまったくといっていいほど触れられていない。ハードは、その性能と限界とがゲームに及ぼした影響においてのみ語られる。
 語られる中心はゲーム自体のデザインやコンセプトであり、その進化――著者自身の言葉を借りれば「発想の進化」の過程なのだ。「ゲームの内側から見たゲーム史」とでも言おうか。
 ただ、第4章「シミュレーションと欲望」になると、少し傾向が違ってくる。この章は、タイトルにあるとおり「欲望」をキーワードに、「信長の野望」、「三国志」、「ダービースタリオン」、「プリンセスメーカー」、「ときめきメモリアル」、「ラブプラス」などのシミュレーションゲームをテーマとしている。今までの3章とは違って、パソコンゲームが多くなっているし、21世紀のゲームが登場(わずかではあるが)する。何よりも、ゲームを巡る社会的要素――多様なゲーマーたちの増加やオタク文化の拡大といったもの――がクローズアップされている点が違うところだ。この章では、ゲームの語る「物語」が中心に論じられている。
 それにしても、タイトルに「教養」と謳いながら、本書はひどく偏った「ゲーム史」である。上に見たようなゲームを語る視点も独特だし、扱っているのは、膨大なコンピュータゲームのジャンルのごく一部。「はじめに」で著者自らが述べているように、「落ちゲー」も、「格闘ゲーム」も出てこない。シミュレーションにしても、「大戦略」を初めとする戦争シミュレーションは登場しない。さらに、膨大なアダルトゲームの大群も…。
 「教養」というにしてはあまりに狭い内容、と言わざるを得ない。ただ、その視点のユニークさと分析力には見るべきものがあるので、「ゲーム進化論序説」とでも名付ければよかったのではないだろうか。

 結局今回は2冊とも、違うタイトルならよかったのに…という話になってしまった。

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