インターネットの夜明け
インターネット/村井純(岩波新書,1995)
先月、『ウェブはバカと暇人のもの』を紹介した時(6月15日のエントリー)、この本も「いずれ紹介したい」と書いた。その予告を実行に移す。
日本のインターネットの夜明けを告げた本である。
この本が出版された1995年は、まさに日本のインターネット夜明けの年。その前年までは、ウェブなんて見たことのある人はほとんどいなかったし、電子メールだって、使っているのは、ごく一部のパソコン通信をやっている人だけだった。
それが、1994年頃から、ぼちぼちとインターネット接続サービスを提供する企業が出始める。日本最初のインターネット雑誌、インプレスの『インターネットマガジン』が創刊されたのも1994年(2006年に休刊)。
だが、本格的に世間の注目を浴び始めたのは、翌1995年。「インターネット」はこの年の新語・流行語大賞トップテンに選ばれ、本書の著者村井純が受賞している。日本のインターネットを、1980年代の草創期から支えてきた著者が受賞者として選ばれたのは、まさに適役と言えるだろう。
さて、本書の内容だが、大まかにいって三つある。必ずしもパートが別れているわけではなく、本書全体にこの三つが混在しているのだが。「インターネットとは何か」、「インターネットの歴史」、そして、「インターネット思想」である。
最初の二つは主に技術的な話。で、「インターネット思想」というのは、要するに、インターネットによるコミュニケーションの革新が、国を超えた人々のつながりを生み出し、全地球上的な社会の変革をもたらすという、一種のユートピア思想みたいなものである。例えば、序章にはこんなことが書いてある。
コンピュータによって自由に情報、データを交換できるという基盤ができあがると、世界中の一人ひとりの人間が、どういうコミュニケーションをもって、どういう活動をして、どんな世界をバックにした生活をしているのかということを考えられるようになります。この点からは、今後新しい国際社会をどういうふうに形成していくかということを考えるための基盤としても、期待されているということができるでしょう。(p.6)
あるいは、巻末に近い第5章。
このようにインターネットは、人間の倫理とか思想といったものにまで、広範な影響を与える可能性が見えはじめているのです。そしてその議論字体が、従来のような権威をもった組織によってではなく、世界中の個人たちが主体となって進められているというのが、インターネットの特徴です。このような流れをよい意味で生かしながら、新しい地球の社会をつくっていく必要があると思います。(p.200)
なんだか、インターネットが人類の革新をもたらしかねない印象である。インターネットの夜明けどころか新人類の夜明け。まさに「賢人のネットワーク」としてのインターネットの理想像だろう。それが、今や「ウェブはバカと暇人のもの」にまで堕落してしまったわけだ。諸行無常である。
まあ、そんな理想主義的すぎるところはあるが、具体的な話になると、今読んでも、というか、今読むからこそ、その先見の明に驚かされる部分がある。「インターネット百科事典」のくだりとか、ビジネスへの影響とか、「ネットいじめ」への言及とか。回線使用料などその後劇的に改善された問題もあるし、セキュリティなどますます深刻化する問題もあるが、インターネットの持つ負の面も含めて、ほとんどあらゆる課題に目を向けている。
私が持っているのはこの本の2刷だが、1刷が11月30日で、2刷が12月5日。わずか5日で増刷している。この当時、いかに注目を集めていたかがわかる。(というか、今でも絶版になってなくて、その意味では現役なわけだが。)
インターネットがこんなにも熱く、理想をこめて語られる時代もあったのだ。わずか14、5年前の話である。信じられない。




