文化・芸術

2020年11月19日 (木)

猫の世界史

猫の世界史/キャサリン・M・ロジャーズ;渡辺智訳(エクスナレッジ,2018)
 原題は、単にCat (2006)。猫そのものの歴史というより、猫に関わる世界の文化を語るのがメイン。特に文学の中の猫に詳しい。
 内容は6章構成。

 1章「ヤマネコからイエネコへ」は、家畜としての猫の歴史を語る序説的な章。先史時代から古代エジプト、中世、18世紀頃まで。西洋が中心だが、中国や日本への猫の伝播にも少し触れている。
 2章「災いをもたらす猫、幸運を呼ぶ猫」では、人間が猫に対して抱く「不思議とも言える感覚」を、実例を挙げて紹介している。16世紀から17世紀、ヨーロッパでは魔女の使い、悪魔の化身として迫害されていた猫の歴史。逆に「長靴をはいた猫」に代表される、幸運をもたらす猫の物語など。日本の招き猫や、猫の恩返しの昔話にも触れている。
 3章「ペットとしての猫」。愛されるペットとしての猫の歴史は、ヨーロッパではそう古くはない。第2章にも書かれていたように、16世紀頃のヨーロッパでは、まだ猫に対する愛情は珍しいものだった。だが17世紀末、貴族の間で猫が広く飼われるようになって以降、猫好きはどんどん広まっていく。ただ、猫好きが度を超して「猫が本来持つ不穏な側面」まで無視されるようになる。
 4章「女性は猫、あるいは猫は女性」は、猫の擬人化、あるいは人の擬猫化がテーマ。特に猫と女性の関わり、猫が女性と同一視される現象について詳しく語っている。
 5章「猫には、猫なりの権利がある」では、19世紀以降、人間と対等の存在として見られるようになった猫を、多くの文学作品や絵画から引用しながら語る。ある意味本書のハイライトとも言える章。登場する作家は歴史に残る文学者からSF作家まで多種多様。日本の作家も出てくる。主な名前だけでも、シャトーブリアン、デュマ、キプリング、ジェローム、ギャリコ、アンジェラ・カーター、夏目漱石、サキ、村上春樹、ドリス・レッシング等々。
 6章「矛盾こそ魅力」は、現在の猫人気について。「タイトルに「猫」とあるだけでどんな本でも売れるくらいだ」とあるから、ブームは日本だけの話ではないらしい。

 全体を通じて、著者の猫好きぶり――それでいて、猫が本来獰猛な肉食獣であることを忘れていない姿勢が伝わってくる。上にも引用した「猫が本来持つ不穏な側面」というのは、なかなか卓抜な表現ではないだろうか。

Cat

 

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2020年11月15日 (日)

遊民の系譜

遊民の系譜 ユーラシアの漂泊者たち/杉山二郎(河出文庫,2009)
 1988年青土社刊の文庫化。
 あの青土社から出ているのだし、読む前はもっと学術的もしくは文学的な本かと思っていたが、実はなんともユニークなテーマと語り口の読み物だった。
 章番号はないが、全体が19の章に分かれていて、数章ずつでひとつのテーマを追っていく形になっている。

 まず最初のテーマは「遊行」。飛鳥時代の遊行僧道昭にまつわる伝承の話から始まり、行基の遊行集団、寺社の祭礼に姿を現す漂白の芸人たち――。そんな古代日本の遊行の徒たちについての文献引用や考察。
 次は「方術」。話は中国へ飛んで、西域から来た幻人や僧たちの不思議な術の話が次々と展開する。例えば、4-5世紀の高僧として有名な仏図澄も、ここでは超能力者として登場するのだ。「よく神呪を誦し鬼神を使役した。麻油に胭脂を混ぜて掌に塗ると千里外の事象が掌に映って、さながら対面しているかのようだ」と。また、道士と密教僧の術比べなんて話もある。
 次の「飛鉢」は、「信貴山縁起絵巻」に代表される、鉢を飛ばす秘法がテーマ。この不思議な術の伝承を内外に追い、その正体を追う。
 そして、本書最大のテーマと言うべき「ジプシー」。中東のジプシーに始まり、日本のジプシー「傀儡子」、朝鮮のジプシー「揚水尺」について、その起源や歴史を考察する。中国や日本の傀儡戯の技の数々も紹介している。
 続いては「民間芸能」。日本の今様、田歌、神歌、中国の雑劇など、これはわりと普通の民俗的テーマ。
 最後にテーマは再び「ジプシー」に戻り、イスラム世界からヨーロッパにかけてのジプシーの歴史を語っている。

 全体として、世界の各地に存在していた、托鉢、奇術、芸能などを生業とする漂泊の人々の姿を伝承や文献の中に追った本ということになる。
 ただ、少々まとまりがない気はする。それと、肝心な部分で自分自身の文章ではなく、先人の著作の引用で替えている傾向がある。それだけ多くの文献を踏まえているということなのだろうが。
 とはいえ、思ったより柔らかめの文章で(ところどころワル乗りしている)、興味をかき立てられるところが多い、つまりはブログ主好みの本だった。

Yuuminnokeifu

 

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2020年8月30日 (日)

ぐるぐる博物館

ぐるぐる博物館/三浦しをん(実業之日本社,2017)
 三浦しをんが実は無類の博物館好きだったことがわかる本。
 全国の特色ある博物館を著者と編集者が「ぐるぐる旅した」ルポで、2014年から2015年にかけて『紡』と『月刊ジェイ・ノベル』に連載された記事をまとめたもの。
 登場する博物館は全部で10館。国立科学博物館以外は、明確で個性的なテーマを持った、しかし規模の比較的小さい博物館ばかり。

 第1館「茅野市尖石縄文考古館 私たちはつながっている」は、縄文土器が中心の考古学博物館。
 第2館「国立科学博物館 親玉は静かに熱い!」。言わずと知れた、日本の科学博物館の親玉。著者は主に動物と人類学のコーナーを見学。
 第3館「龍谷ミュージアム 興奮!の仏教世界」は、京都にある仏教をテーマにした博物館。ハイライトはベゼクリク石窟壁画の復元。
 第4館「奇石博物館 おそるべし!石に魅せられた人々の情熱」は、富士宮市にある奇石の宝庫。
 第5館「大牟田市石炭産業科学館 町ぜんぶが三池炭鉱のテーマパーク」は、展示よりも炭坑そのものの見学がメイン。
 第6館「雲仙岳災害記念館 災害に備えつつ穏やかに暮らすということ」。大牟田かr有明海を渡って島原市へ。「大噴火シアター」がメインの体験型施設。
 第7館「石ノ森萬画館 冒険と希望の館で失神するの巻」は、石巻市にあるマンガ博物館で、東日本大震災からの復興で有名になった。だから震災関係の話も多いのだが、何より著者の石ノ森マンガへの思い入れが半端じゃない。
 第8館「風俗資料館 求めよ、さらば与えられん」。東京にある、博物館というよりSM・フェティシズム文献を集めた図書館みたいな施設。
 第9館「めがねミュージアム ハイテク&職人技の総本山」。めがねと言えば当然鯖江市。めがねの自作ができる体験型博物館。
 第10館「ボタンの博物館 美と遊びを追求せずにはいられない」大阪・天王寺区にある企業内博物館(その後東京に移転したとのこと)。最後はいかにも女性好みの博物館で、そして微妙に地味なのだった。ある意味本書を象徴するような博物館。

Guruguruhakubutsukan

 

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2020年8月22日 (土)

フォークの歯はなぜ四本になったか

フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論/ヘンリー・ペトロスキー;忠平美幸訳(平凡社ライブラリー,2010)
 原題は、The Evolution of Useful Things (1992)。つまりサブタイトルの方が本来の書名。
 読む前は、技術の進化を扱った理工系の本かと思っていたのだが、実際には文化史に近い内容だった。
 身近な日用品がどのように進化してきたかを、豊富な資料に基づいて追跡するのが主な内容。そこから明らかになるのは、既存の製品への不満や批判が、新たな発明の原動力になってきたということ。時には行きすぎて、むやみにバリエーションが増えたり、不要なものが生まれたりする。
 試行錯誤、あるいは迷走とも見える数々の事例から著者が主張するのは、「必要は発明の母」ではなく、「贅沢」や「失敗」が発明の母ということ。あるいは、章題の一つを借りると、「形は失敗にしたがう」。

 著者が取り上げる事例の最初は、食器の進化。フォークやナイフやスプーンがどのように発展し、多様化してきたかを追っていく。「食べ物は不可欠だが、フォークを使って食べる必要はない。必要ではなく、贅沢こそが発明の母なのである」。
 当初は二本だったフォークの歯が、四本になるまでの変遷の歴史は、まだ必然性を感じさせる。だが、後の方で語られる食器の多様化の歴史は、もはや迷走ではないかと思われる。図版とともに紹介されるのは、サーディンフォーク、ゼリーナイフ、トマトフォーク、チーズナイフ、オイスターフォーク、フルーツフォーク、フルーツナイフ…。
 また、ペーパークリップの開発の話では、針金を曲げて作るだけの単純な製品に、いかに多くの試行錯誤がなされてきたかが語られる。
 さらに登場するのは、ファスナー、工具、缶切り、飲料缶のプルタブ、手押し車等々。
 それら日用品の進化の歴史を見ていると、あらゆる製品に改良の余地は常にあるということがわかってくる。食器の例みたいに、改良が行きすぎて種類がとめどなく増えてしまうこともあるが…。
 結局のところ、本書が教えてくれるのは、現在存在する日用品たちはすべて、ある意味欠陥品なのだということ。どんなに完璧に見えても、いつの日か、発明家がよりよい製品を生み出して、今までの製品に含まれていた欠陥を明らかにするという意味で。

Evolutionofusefulthings

 

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2020年5月10日 (日)

漢字のいい話

漢字のいい話/阿辻哲次(新潮文庫,2020)
 漢字に関するエッセイやコラムを集めたもの。中国の漢字史から現代日本の漢字文化まで、題材は幅広い。
 時間と空間を超えた漢字談義を楽しむことができるが、寄せ集めなので体系性はない。同じ著者の本でも、1冊まるごと書き下ろした本――例えば以前に本ブログで紹介した『漢字三昧』(2008年8月18日のエントリー)など――に比べると、やや散漫な印象はある。

 内容は4部構成。
「漢字はお好きですか?――まえがきにかえて」では、漢字を自動車やコンピュータになぞらえている。
 1<漢字を楽しむ>は、漢字の起源や歴史に関する話題。「虫歯の漢字学」、「「みち」の漢字学」など5編。
 2<文物と遺跡>は、中国の漢字史、さらに漢字を生み出した中国の歴史そのものについての、やや学術的な文章を集める。回想記や現地ルポが多い。「北京図書館の『説文解字讀』」、「段玉裁の故郷を訪ねて」など、6編。
 3<東アジアの漢字文化>は、現代日本と中国の漢字事情。日本については、地名の略語、国字、新常用漢字などの話題。中国については、外国語の表記や字体の話など。「この世に漢字はいくつあるのか」、「可口可楽・魔術霊・剣橋大学」など、7編。
 4<書と漢字>は、漢字表記の技術についての話題。「筆記用具が書体を決める」、「書はいつから書なのか」、「漢字のソフトとハード」の3編。
 最後に、「漢字はどこへ行くのか――あとがきにかえて」は、文字コードの話で、第4部の続きみたいなもの。
 単行本が出たのが2001年なので、「今ではコンピュータが六千以上もの漢字を簡単に処理できるようになった」などと書いているが、今ではユニコードが普通に使えるので、コンピュータで使える漢字は数万字に増えている。今から見れば、「たった六千」なのだ。

 ところで阿刀田高の解説には、「総じて本書は軽いエッセイ集だが、むつかしいところはかなりむつかしい。だから、そんなところは、/――ふーん、そうなんだ――/ と瞥見してよかろう」などと書いてある。「むつかしいところ」とは、第2部の「北京図書館の『説文解字讀』」あたりを指しているのだろうか。しかし、ブログ主みたいな文字好きには、そういうところこそが面白いのである。「むつかしい」を敬遠して、何の面白みがあるというのか。

Kanjinoiihanashi

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2020年3月 3日 (火)

関西弁で愉しむ漢詩

関西弁で愉しむ漢詩/桃白歩実(子どもの未来社・寺子屋新書,2005)
 著者の本業は土木設計関係で、漢詩は趣味らしい。
 趣味で作ったサイト(もう10年以上更新してない模様)に発表していた、関西弁に意訳した漢詩をまとめたのが本書。収録されているのは六朝から唐にかけての古典時代の詩が中心である。
 関西弁訳というのは、例えば、収録された中で一番よく知られている陶淵明の「帰去来の辞」は、普通の読み下しなら「帰りなんいざ/田園将に蕪れなんとす なんぞ帰らざる」が、「さぁ 帰ろか~/イナカの田畑は荒れ放題や/これは帰らなアカンやろ」といった具合。

 内容はおおまかなテーマごとに10章に分かれていて、各章の最初にテーマに即した短いコラム、その後に5~6編の漢詩を掲載している。
 漢詩は、それぞれ最初に上のような関西弁訳、続けて原文と普通の読み下し、原作者の心の叫びを代弁するかのような著者のコメント(?)、その後にまた普通の日本語の「訳」、さらに註がついている。
 実に丁寧だが、二つめの「普通の日本語訳」は、どう考えても不要である。上の「帰去来の辞」なら、「さあ、帰ろう。故郷の田園は今にも荒れ果てそうだというのに、なぜ帰らずにいられるだろう」となっている。関西弁意訳、原文、読み下しがあれば内容は十分にわかるのに、さらに同じ内容を繰り返す必要があるのだろうか。なんだか水増しに水増しを重ねたような印象がぬぐえない。
 目玉の関西弁意訳は、なかなか考えて作っているのはわかる。ただ、ものによっては「や」とか「へん」とか1、2箇所に書いてあるだけで、ほとんど標準語と区別できないものもある。
 趣向はおもしろいのだが、ちょっと上滑りしているような気もする。あるいは、ちょっと素人っぽいというか。プロのライターじゃなないのだから仕方ないかもしれないが。

 各章の内容は以下のとおり。

第1章 幸も不幸もタイミングやて/第2章 故郷のこと思い出すねん/第3章 お酒止めたら楽しいことあれへん/第4章 仕事辞めるんも悪ないで/第5章 こんな風景を覚えておいてや/第6章 アンタのせいで息も出来へん/第7章 迷子みたいに心細いねん/第8章 人生ナンボのもんじゃ/第9章 今日でお別れやねんな/第10章 今を生きような

 

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2019年9月19日 (木)

道教の神々

道教の神々/窪徳忠(平河出版社,1986)
 日本ではほとんど知られていない、道教信仰について紹介する本。なんといっても本書の特徴は豊富な図版。カラー図版もたっぷり。後に講談社学術文庫で再刊されているが、こういう本は判型の大きいハードカバーで読んだ方がいいのではないだろうか。
 内容は二部構成。第1部が道教という宗教についての解説。第2部が後ろの3分の2を占めていて、道教で信仰されている主な神々の紹介になっている。

 壱「道教とは何か」は、さらに2章に別れている。
 壱「道教の現状」は、中国本土、台湾、東南アジア各地での道教信仰についてのレポートみたいなもの。道観などの施設や、道士の養成、道教研究の現状など。
 弐「道教の内容と宗派」は歴史編。道教の発生と展開、主な宗派について。道教が老子や荘子の道家から生まれたという考えは間違いで、道家とは関係ない自然宗教だというのが著者の見解。老子も神として拝んではいるが、あくまで多数の神の一人でしかないのだ(かなり上位の神ではあるが)。
 また、道教発展に貢献してきた主な宗教家の名も出てくる。張魯、于吉など、「三国志」ファンにはなじみのある名前も出てくる。

 弐「道教の神々」も、やはり2章に別れている。
 壱「生活と神々」は、道教信仰の形態と儀式について。道教では神々にそれぞれの誕生日が設定されていて、その日を祝うのだそうだ。その誕生日一覧表もある。
 弐「神々の素性」が、本書のメインコンテンツ。道教で崇拝される主要な神々の解説、全25項目。
 最初は最高神とされる「元始天尊」。そして「天始天王」、「玉皇上帝」――と続いて最後は「広沢尊王」、「法主公」、「祖師たち」。一応上級の神から下級へと並んでいるらしいが、どういう順番かよくわからない。老子や関羽などの実在の人物たち、土俗信仰の神、さらには仏教の神々なども混じっていて、なんだか混沌としているように見えるのだが、道教信者たちにとっては、それなりの秩序があるのだろうか。
 巻末には礼拝所の配置図や、台湾で信仰されている主な神々をリストアップした「神明一覧表」がついている。この一覧表を見ると、本文で紹介されている多数の神々も、ほんの一部にすぎないことがわかる。恐るべし。

Doukyounokamigami

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2019年5月11日 (土)

カリコリせんとや生まれけむ

カリコリせんとや生まれけむ/会田誠(幻冬舎文庫,2012)
 現代日本美術を代表する作家の一人会田誠のエッセイ集。元は幻冬舎のPR誌『星星峡』に連載したもので、連載の順番に並んでいる。。
 内容は、自分の経験談に愚痴と自虐を散りばめたものが中心。
 最初の「カレー事件」は、家族の思い出。次の「北京メモランダム」は、中国旅行のエピソードや感想を思いつくままに書いたもの。この中に「コミュニケーション能力、好奇心、度胸、記憶力、そういった旅人としての才能が、僕には完全に欠落しているらしい」という自己分析があるが、それは「旅人としての才能」じゃなくて、普通に生きていくための能力じゃないのかという気がする。
「ある近作についてのもにゃもにゃしたコメント」は、自作についての解説、というか弁解。「こんなこと、全部書かなきゃ良かったです」と締めくくっている。
 こんな風に最初から実にとりとめがない。さらにいくつか内容を紹介すると――。
 書名になっている「カリコリせんとや生まれけむ」は、この著者のことだから何か卑猥な内容ではないかと邪推してしまうが、実は頭を掻く癖についての脱力エッセイ。
「ポエム――積年の恨みを晴らす時が来た。ボールよ、おまえを殺す。」という長いタイトルのエッセイは、球技オンチの著者がボールへの恨みつらみをポエムの形で語るもの。
 また、「ボクの料理」という食べ物についてのエッセイの中では、草間弥生をさりげなくディスっていたりもする。
 中にはまるごと妻に丸投げしたエッセイもある。(という設定で実は本人が書いているのかもしれない、という疑い疑いもあるが…)
 巻末近くの長いエッセイ「美術の若者たち」は、ある意味本書のハイライト。美術界の裏側のわけのわからない世界をコミカルに暴いている。自分自身のいろいろとヤバイ行いも含めて。「僕は2回に1回の割合で、人から嫌われたいがために作品を作る」なんて危ない告白(?)もある。
 そして、あとがきに相当する最後のエッセイ「僕の文章」では、この本のことを、「2年間書いたこの肥溜めみたいな駄文の集積」と語っている。最後まで自虐的なのである。

 ――というような、実にまとまりのない内容なのだが、全体的に、悪ガキがそのまま大人になった感じの会田誠の人格がにじみ出ている。芸術家としてはむしろ好ましい。
 ちなみに、ブログ主は別に会田誠の作品のファンというわけではない。

Karikori

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2019年4月10日 (水)

クール・ジャパン!?

クール・ジャパン!?/鴻上尚史(講談社現代新書,2015)
 NHKBSの番組「cool japan」は、2006年に始まって今も続いている。ブログ主はたまに見るくらいだが、よくネタが尽きないものだと感心する。
 その番組で最初から司会を務めているのが本書の著者の鴻上尚史。本書はその番組での経験を主な材料にした、クール・ジャパン論議。さすがにネタの仕込みは十分。

 内容は9章構成。
 プロローグでは、番組を始めて間もない頃、外国人が「クール・ジャパン」に挙げた中に「アイスコーヒー」が入っていた衝撃を語る。
 続く第1章はいきなり、クール・ジャパンベスト番付「外国人が見つけた日本のクール・ベスト20」。番組100回記念のアンケートによるベスト20を紹介している。1位は「洗浄器付き便座」。中にはどこがクールなのか?――と思わせるものもある。例えば「大阪人の気質」(13位)とか。
 第2章「日本人とは?」では、外国人から見た日本人気質の変なところを挙げている。「時間厳守」、「鍋料理」、「泣く」、「マスク」、「ストレス」など。
 第3章「日本は世間でできている」は、前章の続きで、外国人から見た日本人の特異性がテーマ。「定年後」、「入社式」、「世間」など。この章と前の章は、あまり「クール」と関係がない。
 第4章「日本の「おもてなし」はやはりクール!」。この章からは日本文化各論みたいなもの。宅配便、コンビニ、カラオケなどのサービスについて。
 第5章「日本食はすごい」は、いまやクール・ジャパンを代表する分野のひとつ、食文化。弁当、回転寿司、日本風洋食、パン、ラーメンなど。
 第6章「世界に誇れるメイド・イン・ジャパン」は、日本のテクノロジー。たまごっちに始まり、多機能家電、電子オルガン、画像認識センサー、GPSゲームなどのハイテク、さらには文房具、ジーンズなどが出てくる。
 第7章「ポップカルチャーはクールか?」。クールジャパンの代表みたいに言われるポップカルチャーだが、本書での扱いは小さい。本章もわずか7ページで、出てくるのはゆるキャラ、アイドル育成カフェ、マンガ。アニメもJポップも出てこない。著者があまり興味がないのか。
 第8章「男と女、そして親と子」は、外国人が見た日本の家庭の変なところ。「寝室問題」、「親と一緒に風呂問題」や、男らしさ、女らしさのイメージなど。この章もクールとは関係ない。
 第9章「東洋と西洋」。最後の章もあまりクールとは関係なし。国ごとのカルチャー・ギャップが主なテーマ。オリンピック、「気」、食肉用の牛など、トピックはさまざま。
 エピローグは、「これからの「クール・ジャパン」」と題して、番組から得た教訓や展望などを述べる。最後に政府のクール・ジャパン政策について少しだけ触れている。

 こうして見ると、本書の半分くらいは、単に外国人から見た日本文化の特異性がテーマで、クールでもなんでもないのだった。結局のところ、本書はクール・ジャパンというより、カルチャー・ギャップについて書かれた本なのではないだろうか。だからタイトルに「!?」がついてるのか…。

 

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2017年11月16日 (木)

中国文学の愉しき世界

中国文学の愉しき世界/井波律子(岩波現代文庫,2017)
 著者が各種雑誌や新聞に掲載した短いエッセイを集めたもの。2002年に刊行された単行本の文庫化。
 内容は大まかなテーマ別に4部構成となっている。これまで個別に刊行してきたテーマと重なる部分もけっこう多い。

 1「歴史を彩る奇人・達人」は、著者の中国文学研究の出発点である『世説新語』の話をはじめ、「竹林の七賢」や明末の奇才たち、隠者の系譜など、中国史上の一風変わった知識人たちがテーマ。
 これまで本ブログで紹介してきた『中国人の機知』、『中国の隠者』、『奇人と異才の中国史』(2007年11月4日、2015年1月31日、2016年2月2日のエントリーで紹介)と同様のテーマで、いわば著者のホームグラウンドのようなもの。「とびきりの奇人たち」、「抵抗のパトス」、「美食家たちの饗宴」など、8編。
 2「幻想と夢の物語宇宙」は、人物でなく作品からのアプローチ。中国文学研究としてはこっちが本流だろう。『山海経』、唐代伝奇、四大奇書、「三言」など、中国文学の中の奇想や怪異譚を取り上げる。
 このテーマに近い本としては、『トリックスター群像』を以前に紹介したことがある(本ブログが始まって間もない2007年4月5日)。「奇想小説の世界」、「中国「奇書」の系譜」など、7編。
 そのうちの1編は、ディズニーアニメにもなったヒロイン木蘭など、中国文学に登場する女性戦士たちの系譜を語るものだが、「美少女戦士ムーランの物語」というタイトルは、明らかに一瞬読み間違えることを狙っている。
 3「中国文化プロムナード」は、『日本経済新聞』連載を中心に、中国文化史上のさまざまなトピックについての雑記めいた短いコラム記事を集めたもの。中には身辺雑記みたなものもある。「東西シンデレラ物語」、「雛祭り」など、20編と数は多いが、全部で50ページ足らず。しかし一番木楽に読めて面白いのはこの第3部かもしれない。
 4「本と人との出会い――わたしの中国文学遍歴」。最後の第4部は、著者には珍しく自伝や回想談めいたエッセイ8編を収録。「わたしの書店遍歴」、「本との出会い」は、読書についての思い出話。最後の5編は、かつての恩師である吉川幸次郎、桑原武夫、梅原猛(この3人は「先生」がついている)、それに交友のあった高橋和巳、鶴見俊輔についての回想。

 ところで、本書のタイトルには「中国文学」とあるが、本当に中国文学に関する文章は、せいぜい半分くらいだろうか。あとは人物論だったり、中国の歴史や文化、芸術などに関する雑多なエッセイだったり、著者の思い出話だったりする。ただ、個別のテーマに関する本では味わえないようなバラエティに富んでいることは確か。1冊で読める井波律子の世界入門――みたいな本になっている。

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