旅行・地域

2020年11月27日 (金)

想い出のホテル

想い出のホテル(ドゥマゴからの贈り物)/井上俊子編(Bunkamura,1997)
 ドゥマゴ文学賞事務局が編集するエッセイのアンソロジー、<ドゥマゴからの贈り物>の3冊目。(これ以前に『想い出のカフェ』というアンソロジーが2冊出ている。)
 内容は4ページの短いエッセイが50編。
 執筆者は、中村真一郎、鈴木清順、吉本隆明、日野啓三、筒井康隆、赤瀬川原平、海野弘、池内紀、山下洋輔、辺見庸、山内昌之、宮迫千鶴、鷲田清一、四方田犬彦、沼野充義、森まゆみ、小谷真理、佐藤亜紀、有吉玉青など。
 文学者に限らず、学者、音楽家、映画監督など、各界の有名人たちというか、文化人を集めたという印象。
 ドゥマゴ文学賞というのは、選考委員が一人だけで毎年交代するというユニークな方式をとっているのだが、その選考委員も少しだけ入っている。しかしそれもごく一部に過ぎないので、結局どういう基準で選んだのかよくわからない。
 とにかくこういう面々だから、予想どおりというか、外国のホテルの思い出話が圧倒的に多いのである。
 最初の中村真一郎「三婆の宿」がフランス、次の荒松雄「ローマからジュネーヴへ」はタイトルどおりイタリアとスイス、鈴木清順の「窓」がイタリア――という具合。
特にイタリアとイギリスが多いような気がする。
 日本のホテルについて書いているのは、吉本隆明、日野啓三、鼓直、赤瀬川原平、鷲田清一、三宅晶子、池田裕行の7人だけ。
 そしてまた、ボロいホテルの話がやたらと多い。まあ、豪華ホテルに泊まった話より、みすぼらしいホテル、あるいは隠れ家風ホテルに泊まった話の方が面白いから、当たり前かもしれないが。
 そんな中で、パリの高級ホテルに泊まり、「日本から来た文豪」として振る舞った話を披露している筒井康隆「オテル・リッツ」などは、むしろ異端と言えるだろう。普通に書いたら嫌みたらしい自慢話になりそうなネタを堂々としているところが筒井らしい。
 他に変わったところでは、映画評論家山田宏一の「ホテルと映画」。自分が泊まったところではなく、「グランド・ホテル形式」の原型となった映画『グランド・ホテル』のことを書いている。
 五十人五十様の「ホテル観」のバラエティが興味をそそる。

Omoidenohotel

 

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2020年5月14日 (木)

消えた国追われた人々

消えた国追われた人々 東プロシアの旅/池内紀(みすず書房,2013)
 先日紹介した『ドイツ 町から町へ』(2020年4月20日のエントリー)と同じく、池内紀の紀行エッセイ。そしてドイツ関連であることも同じだが、本書の場合、ドイツ本国ではなく、「かつてドイツだったところ」である。
 サブタイトルにもあるとおり、その「消えたドイツ人の国」は東プロシア。ドイツ文学が本業だった著者が、ドイツ語の「プロイセン」ではなく、「プロシア」と表記しているのは、あえて国籍不明な曖昧さを表したかったのだろうか。
 ともあれ、著者はその東プロシアを中心に、失われた「ドイツ人の町」の面影を訪ねて、ポーランド、ロシア、リトアニアなどを旅する。東プロシアは第二次世界大戦後にこの三カ国に分割されて地図から消滅、住んでいた数百万人のドイツ人たちは追放されたのである。
 内容は紀行だけでなく、そんな歴史に関する記述もかなりの部分を占めていて、冒頭から悲劇の色を帯びている。
 最初の章「グストロフ号出港す」で書いているのが、豪華客船グストロフ号の惨劇。
 第二次世界大戦末期、東プロシア各地からの避難民を満載してグディニア出航、航海中にソ連の潜水艦に撃沈されて、九千名とも言われる海難史上最大の犠牲者を出す。
 東プロシアの悲劇を象徴する事件として、この船のことはこの後何度も出てくる。
 次の章(章番号はない)「水の国」からが紀行の本編というべきもの。
 最初に訪れるのは、ポーランド北西部の旧東プロシア。ヴァイクセル(ヴィスワ)川流域や、ヒトラーが対ソ戦の司令部として築いた秘密基地「狼の巣」など。この「狼の巣」で起きたヒトラー暗殺未遂事件などにも言及している。
 続いてロシアのカリーニングラード地区。ここも旧東プロシア。中でも旧ケーニヒスベルク、今のカリーニングラードはプロシア王宮があった都市で、東プロシアの中心。カントの故郷としても知られるが、ソ連時代に徹底的に改造されて、昔の面影はほとんどない。ここではロシアとドイツの間で数奇な運命を辿ったあげく歴史の闇に消えた「琥珀の間」の物語などが語られる。
 リトアニアで訪ねるのは、旧メーメル地区、現在のクライペダ周辺。表紙にもなっている少女像は、クライペダに立つ「タラウの娘」の像。
 著者はラトヴィアにも足を伸ばし、旧リーバウ、リエパーヤも訪ねる。ここは厳密には東プロシアではないが、かつてドイツ人のハンザ同盟都市として栄えたところ。今もドイツ人町が残っていることに著者は驚く。
 さらに著者はポーランドに戻って、グダニスクも訪れる。『ブリキの太鼓』の舞台としても知られる旧ダンチヒ。ここも厳密には東プロシアではない(西プロシア)。しかし東プロシアの歴史とは切っても切れない都市である。
 最後に著者が訪れるのは、旧東ベルリンにある「ドクター・マイヤーの東プロシア旅行社」という小さな旅行会社。東プロシアの旧ドイツ人社会の後を訪ねるツアーを企画しているところ。
 著者はこのドクター・マイヤーとともに、ポーランドの旧コルベルク(コウォブジェク)まで行って、改めてドイツ人にとっての東プロシアというものについて思いをはせる――。というところで終わり。
 日本人にとって何の関係もないといえば関係ない、なじみの薄い地域の歴史と人々。しかし奇妙に情感と興味をそそられる紀行なのである。
 それにしても、今回は「旧○○」がやたら多かった。

Kietakuniowaretahitobito

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2020年4月20日 (月)

ドイツ 町から町へ

ドイツ 町から町へ/池内紀(中公新書,2002)
 去年亡くなった池内紀の紀行エッセイ。この人の本業はドイツ文学なのだが、専門の枠にとらわれない多彩なエッセイが魅力的だった。本ブログでも以前に『今夜もひとり居酒屋』なんて本を紹介したことがある(2014年3月8日のエントリー)。80近い歳だったとはいえ、死去が惜しまれる。

 本書は、著者がドイツのさまざまな町を歩き回った体験から生まれたもの。特に小さな町が好きだったようだ。
 まえがきにも、「人間的尺度に応じた大きさ、あるいは小ささがいいのであって、それをこえると快適さを失うだけでなく、都市が人間を困惑させ、疲れさせ、ときには威嚇してくる」と書いてある。
 だから本書に登場する町の大半は、小さくて昔のままの姿をとどめた町。あるいは文人となじみの深い町や、独自の文化を持った町も好みのようだ。「市庁舎前の広場に立つと、美しいオーケストラを聞いているかのようだ」と絶賛されるクヴェーリンブルク。「地上の天国」とまで言われるエルヴァンゲン。トーマス・マンが生まれたリューベック。ソルブ人の町バウツェン。バウハウスゆかりの町デッサウ。チェーホフ終焉の地バーデンワイラー。――等々。
 さすがに無視できないような大都市も出てくる。ベルリン、ハンブルク、ケルン、フランクフルト、ミュンヘンといったところ。しかし、州都クラスの都市で登場しないところがけっこうあるのだ。
 州都で言えば、キール、シュヴェリーン、ハノーファー、デュッセルドルフ、エアフルト、マインツ、ザールブリュッケン、シュトゥットガルト。他にドルトムント、エッセン、デュースブルクといった人口の多い都市も出てこない。
 人口が多くても、ライプツィヒ、ドレスデン、ニュルンベルク、アウクスブルク、アーヘンといった、文化、歴史的に特色のある都市は出てくるのだ。
 しかしやはり著者の好みは、小さくても個性のある町にあることは間違いない。そういう町のことを書く時、文章がいかにも楽しそうなのだ。ただ、なぜかロマンチック街道で有名なローテンブルクやディンケルスビュールは出てこない。観光地化されたところはいやなのだろうか。
 内容は一応、北、中部、南ドイツの三地域に分けて書いてあるが、それぞれの中は順不同で並んでいるのが、いかにもそぞろ歩きをしているようでいい。

 事実上著者の遺作みたいなものになった『消えた国 追われた人々』も読みごたえのある紀行エッセイで、これもそのうち本ブログで取り上げたい。

 

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2019年12月23日 (月)

遠い島 遠い大陸

遠い島 遠い大陸/小松左京(文芸春秋,1981)
 ブログ主は小松左京の本はずいぶん読んで来たつもりだが、この本は近所の図書館の書庫でたまたま見かけるまで、不覚にして存在すら知らなかった。
 それもそのはずで、本書は文庫化されてなくて、この単行本の他は、<小松左京全集>に収録されているだけらしい。全集を読破するほどの小松ファンというわけでもないので、今まで見逃してきたのだ。
 内容は旅行記を中心としたエッセイ集で、第一部から第三部、プラス附録という構成になっている。

 第一部「奇妙な大陸と火の島」は、オーストラリアとアイスランドの旅行記がメイン。
「奇妙な大陸・オーストラリア」は、前半は自然、後半は歴史を中心に、オーストラリアのユニークさを、自らの見聞をまじえて語るエッセイ。特に、歴史上、マレー民族、イスラム勢力、ヨーロッパ列強のいずれもが、なぜかインドネシアから目と鼻の先のオーストラリアを「ほったらかし」にしていた不思議を強調している。
「火の島・アイスランドにて」は、アイスランド南部、ウェストマン諸島の主島ヘイマイ島が舞台。1973年にアこの島を襲った火山噴火と、そこからの住民の避難、押し寄せる溶岩との戦いを描くドキュメンタリーがほとんどを占めていて、旅行記の部分はごく一部。しかしこの災害ドキュメンタリーは迫力がある。小松左京はやはり災害を語るのがうまい。
「太平洋・大西洋比較論」は旅行記ではなくて、タイトルどおり二つの大洋の性質の違いを、地球科学の見地から論じたもの。

 第二部「表裏・南極半島」は、著者が1974年にTBSテレビの取材で南極観光ツアーに参加した旅から生まれた、二つの旅行記。
「南極半島を行く」は、きわめてまじめな公式旅行記みたいなもの。ペンギンの生態、各国基地に見るお国柄などを語り、最後は、「いずれにしても、南極をこれから先どうとりあつかうか、ということは、未来の国際政治にとって次第に大きな課題となっていくだろう」と、官製文書みたいな調子でしめくくる。
もうひとつの「ペンギンもびっくり南極珍道中」は、上の旅行記では影すら見えなかった、同じツアーに参加していた日本人たちの、個性あふれる振る舞いを描いたもの。当時40代だった著者より年上の、じいさんばあさんばかりなのだが、とにかくエネルギッシュ。特に「天下の豪傑」と言われる「SKさん」の傍若無人ぶりがすごい。まさに「珍道中」で、とても同じ旅行の記録とは思えない。

 第三部「旅ゆかば……」は、さまざまな新聞、雑誌に発表した短い旅行談を集めたもの。
「人類学的ロマン輝く島に イースター島を訪ねて」、「私のなかのイタリア」、「ナイル河畔、永遠への旅」、「マヤの美に魅かれる」、「旅ゆかば」、「海外の「日本農業」」(ブラジル紀行)、「シャルトルーズ・グリーン」(ドイツの思い出)、「地中海のでっかい雑踏の味」(ギリシャの思い出)の各編。
このうち、「旅ゆかば」は、さらに11編の短いコラムを寄せ集めたもの。旅をテーマにした雑談だが、食べる話が多い。

 最後の「附録」は、旅行とは直接関係のないエッセイ2編。
「スパイスとライスのあやしい魅力」は、カレーライス賛歌みたいなもの。「ハヤシライス」が、「カレーライス」と同じようなものでありながら、なぜ大きく差をつけられているのか、その原因を「スパイスの魔力」だと言っているのが印象的。しかし安易に作ったカレーライスに対しては、「ただただ「日本的に卑俗な」食物でしかないようになるだろう」と警鐘を鳴らしている。
「序説・「立食パーティ改造論」」は、立食パーティの現状に強い不満を抱く著者が、日本式立食パーティの欠点の数々を暴き立てた後に、志を同じくする「紳士」数人と語り会った結果生まれた「理想の立食パーティ」のあり方を提案する。徹底して参加者の立場に寄った斬新な進行や会場のデザイン、それはまだいい。
 だが、そこに出す「食べ物」の提案がとんでもないことになっている。大阪「たこ梅」、京都「安参」をはじめ、関西の名店がずらりと並んでいるのだ。みんな自分の食いたいものをあげただけではないか。最後に、会費をいくらにするかついに結論が出なかった――と書いているが、そりゃそうだ。こんなもん、金がいくらかかるか想像もつかない。
 しかし正直言って、読んでいて一番面白かったのはこれだった。グルメエッセイの隠れた名品、いや、珍品ではないだろうか。

 

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2019年4月30日 (火)

外国人が見た日本

外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史/内田宗治(中公新書,2018)
 題名がまぎらわしいが、最近よくある「外国人が書いた日本の姿」を紹介する本とはまったく違う。
 本書は、要するに外国人による日本観光旅行の歴史を書いたもの。外国人といっても、もっぱら欧米人だが。彼らが日本で何を見たのか、何を求めてやってくるのか。また、日本は彼らをどう受け入れ、あるいは呼び込もうとして、何を見せたいと思っていたのか――幕末から現代まで、その軌跡を追う。

 第1章「妖精の住む「古き良き日本」時代」は、幕末から明治にかけて、外国人旅行の黎明の時代。日本を旅した欧米人としては、アーネスト・サトウやイザベラ・バードなど、ごくわずか。
 しかし1884年には早くも欧米人による日本旅行案内書が刊行されている。著者は当時の旅行案内で紹介された行き先と、現在のミシュラン・ガイドの評価とを比較。この手の比較が後の方でも何回も出てきて、本書の特徴のひとつになっている。
 第2章「明治日本の外国人旅行環境」は、本格化する外国人受け入れについて。1893年に、外国人観光客を受け入れ歓待するための団体「喜賓会」が設立される。この団体の活動や、当時の宿泊事情などを解説。
 第3章「国際観光地、日光と箱根の発展」。日光(中禅寺湖畔)と箱根の、外国人別荘地、避暑地としての発展を語る。箱根は「蚊がいない」のが重要なポイントだったらしい。一方観光地としては、タウトが東照宮を酷評して、日本人の評価にさえ影響する。
 第4章「第一次世界大戦前後、訪日旅行者増減の大波」で、時代は大正に入る。1912年、鉄道院を中心に「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」が設立され、欧米からの旅行者誘致に取り組む。現在の「日本交通公社」・「JTB」の前身。
 第5章「「見せたい」ものと「見たい」もの」も、大正の話。本書のテーマのひとつである、「日本人が外国人に見せたい日本」と、「外国人が見たい日本」の共通点と相違点を分析している。1914年に発行された、日本発行の外国人向け旅行案内『公認東亜案内』と、アメリカ人が書いた『テリーの日本帝国案内』を比較。また、中国や韓国から招待した旅行者に日本が何を見せたかも紹介。こういう大がかりな「官製団体旅行」みたいなのは、今はなくなってるが、「見せたい日本」と「見たい日本」のギャップみたいなものはやはりあるのではないだろうか。
 第6章「昭和戦前、「観光立国」を目指した時代」では、時代は昭和へ。1930年、国際観光局が創設され、国策として外客誘致が行われることになった。戦前にこんな時代があったとは。当時の大蔵大臣は、「外国人の巾着を狙うようなことは甚だ面白くない」と予算措置に難色を示したという。しかしなんとか予算も認められ、訪日外国人は徐々に伸びていった。特にアメリカと中国からの旅行者が多かった。とはいえ、最多の1940年でも4万人余り、今とは3桁くらい違う。
 第7章「昭和戦後の急成長」。太平洋戦争で外国人の訪日旅行は壊滅するが、戦後、進駐軍の国内旅行から始まって、ほぼ一貫して増え続ける。特に1980年あたりから急増。そして――。
 第8章「現代の観光立国事情」は、平成の外国人訪日旅行事情。その数は2009年から、それまでとは次元の違うペースで激増し始める。2016年には3000万人近くに。その理由や、外国人の内訳、日本での人気スポット、そして日本に求めるものを分析する。
 また、本書の最後では東京の新たな観光スポットとして、江戸城天守・御殿の再建を提案している。確かに外国人だけでなく日本人にも人気の観光スポットにはなるだろう。しかし膨大な費用をどこが負担するのだろうか…。

 このところ平成を振り返る記事やテレビ番組があふれているが、この時代の外国人観光客の急増については、あまりクローズアップされてない気がする。日本社会を大きく変えるかもしれないくらいのインパクトがあると思うが…。

 

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2019年1月15日 (火)

ふしぎな県境

ふしぎな県境 歩ける、またげる、愉しめる/西村まさゆき(中公新書,2018)
 これは、県境マニアの酔狂にして珍妙な奇行――じゃなかった紀行。
 県境や国境についての蘊蓄や雑学をまとめた本というのは他にもいくつもある。本書でもそれら「境界本」と同じように、地図上の変な形の境界線について、その由来や現状を調べている部分はある。
 だが本書のユニークな点は、基本的に著者が現地へ行ってその場を確認していること。雑学ではなく、現地レポートの本なのである。

 レポートは全部で13。
 最初の「練馬に県境がひと目でわかる場所があるので見に行った」は、練馬区にある東京都と埼玉県の県境が道路上ではっきりわかる場所。
 2「店舗内に県境ラインが引かれているショッピングモール」は、床に奈良県と京都府の境界線が引かれているイオンモール高の原。ブログ主もこのショッピングセンターには行ったことがあるが、境界線には気づかなかった。というか、見たかもしれないが覚えてない。
 3「東京都を東西に一秒で横断できる場所」は、またしても東京都と埼玉県の県境、今度は瑞穂町。東京都の出っ張った部分がくびれていて、1秒で横断できるところ。
 4「「峠の国盗り綱引き合戦」で浜松と飯田が仲良すぎて萌え死にそう」では、浜松市と飯田市の間の兵越峠へ。ここで毎年両市の間で綱引きが行われていて、遠州と信州の境界が動くのを見物しに行く。実際に県境が動くわけではない。
 5「蓮如の聖地に県境を見に行く」は、石川県と福井県との県境が町中に引かれているところ。かつて蓮如が吉崎御坊を築いたところで、今でも吉崎という地名が両県にまたがっている。ここに「県境の館」ができると聞いて、その完成後にもう一度見に行っている。
 6「標高2000メートルの盲腸県境と危険すぎる県境」は、本書のハイライトと言うべき、入魂の県境レポート。地図マニアにはよく知られているが、山形県と新潟県の間にわずかな幅(一番細いところで、道幅分しかない)で数キロにわたって続く福島県の一部がある。現地は標高2千メートルの尾根をつたう道なき道である。
 本格的な登山の装備が必要なこの道を、登山初心者の著者は死にそうな思いをしながら登って行く。途中で山小屋にも泊まる二日がかりの県境探訪。なんでそこまで――とあきれるしかない。
 7「福岡県の中に熊本県が三ヵ所もある場所」では、福岡県大牟田市の中にある熊本県荒尾市の小さな飛び地を現地で確認する。
 8「日本唯一の飛び地の村で水上の県境をまたぐ」では、日本唯一の飛び地の村、和歌山県北川村を訪問。筏下りをしながら川の上の県境を体験。
 9「県境から離れたところにある「県境」というバス停」では、東京都稲城市にある「県境」という名のバス停をわざわざ見に行く。東京都と神奈川県(川崎市)の境界にあるのかと思ったら、実際はかなり離れている。バス停がどうして県境の近くにないのか、小田急バスに問い合わせる。
 10「埼玉、栃木、群馬の三県境が観光地化している?」は三つの県が接する「三県境」探訪。日本に48ヵ所存在するといわれる三県境だが、その中で唯一、一般人が簡単に行くことができるのが、群馬、埼玉、栃木の境界である「柳生の三県境」。最近看板も立って、ちょっと注目されているらしい。なお、この三県境からわずか2キロくらいの距離に栃木、埼玉、茨城の三県境がある。県境マニアには聖地みたいなところだろう。
 11「湖上に引かれた県境を見に行く」は、中海にある鳥取県と島根県の県境探訪。日本で初めて、湖上の県境が確定したところなのだそうだ。当然ながら、湖の上なので、自分の足で確認はできない。それでも現地を見に行きたいのが県境マニアか。
 12「カーナビに県境案内を何度もさせたかった」は、県境が入り組んでいる道を車で走り、カーナビに何度も「○○県に入りました」という案内をさせようという試み。
 ところがあきれたことにこの著者、こんな趣味があるのに車の免許証を持ってない。仕方ないので友人に頼み込んで走ってもらっている。1回目は東京、神奈川の県境。2回目は奈良、和歌山県境を走る高野・龍神スカイラインを走る。だが和歌山まで行った2回目では、カーナビの設定のせいか、全然県境案内をしてくれなくてがっかりする――という話。何にせよ著者は免許を早くとるべきだろう。
 最後は13「町田市、相模原市の飛び地の解消について担当者に話しを聞く」。タイトルのとおり。この章だけがちょっとマジメ。

 あとがきによると、著者は最近は国境めぐりまで始めたとのこと。物好きというか感心するというか…。こういう本はどんどん出して欲しい。ブログ主自身は、境界線は地図で見るだけでいいが。

Fushiginakenkyou

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2018年11月19日 (月)

司馬遼太郎と城を歩く

司馬遼太郎と城を歩く/司馬遼太郎(光文社文庫,2009)
 数ある司馬遼太郎の小説やエッセイから、城に関する部分を引用し、その城に関するデータやコメント、観光情報などを付加した読み物。
 全35編。「五稜郭と『燃えよ剣』」、「会津若松城と『王城の守護者』みたいに、城の名前と作品名がセットになっている。その3分の1以上にあたる13編は『街道をゆく』からの引用。また、「江戸城と『箱根の坂』『幕末』」みたいに二つの作品から引用されているものもある。
 記事の構成は基本的にどれも同じ。
 タイトル1ページ、作品の引用2~3ページ、城の基礎データ(別名、形式、築城者、築城年、遺構、所在地など)と周辺地図1ページ、コメント2~3ページ、観光情報約1ページ。合計8~10ページくらいで一つの記事になっている。
 で、このうち司馬遼太郎本人が書いた部分はせいぜい3分の1程度。ということは、全体でもそれくらいの比率しかないということで、これで司馬遼太郎が著者と言えるのか、かなり疑問。そして司馬遼太郎の文章と同じくらいの分量をコメントが占めているのだが、これの執筆者がどこにも書いてない。
 結局、司馬遼太郎の著書であるともそうでないとも言えず、作品ガイドなのか、城ガイドなのかどっちとも言える。どうにも中途半端な印象のある本。だがその両方に興味がある人にとっては有用なのだろう。アマゾンのレビューを見るとけっこう評価が高いので、そういう人はけっこういるようだ。

 内容は以下のとおり。近畿がやたらに多く、北海道・東北と九州が少ないあたりが、いかにも司馬遼太郎らしいと思わせる。

 北海道・東北篇(五稜郭、弘前城、会津若松城)
 関東・甲信越篇(川越城、江戸城、小田原城、躑躅ヶ崎館、長岡城、上田城)
 中部篇(浜松城、岡崎城、清洲城、墨俣城、岐阜城、丸岡城)
 近畿篇(長浜城、彦根城、安土城、伏見城、大坂城、高取城、三木城、姫路城、洲本城)
 中国・四国篇(備中高松城、備中松山城、郡山城、勝瑞城、高知城、松山城、宇和島城)
 九州・沖縄篇(中津城、島原城、原城、首里城)

 なお、本書と同じタイトル、趣旨のDVDも出ているが、出てくる城など、内容は微妙に違っているらしい。そちらの方も見てみたい気もするが、文庫本と値段が二桁くらい違うのが悩ましい。

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2018年7月 7日 (土)

うっかり鉄道

うっかり鉄道/能町みね子(幻冬舎文庫,2018)
 能町みね子と編集の「イノキンさん」(女性)が、日本各地の鉄道を地味に巡る鉄道紀行。元は『女ふたり、ローカル線めぐり旅 うっかり鉄道』のタイトルで2010年に発行されたもの。
 本書の中にも書いてあるが、最初の刊行から8年経っていて、本書に出てくる路線や駅の中にはすでに廃止されたもの、現状が変わってしまっているものもある。これは旅行ガイドや情報を得るための本ではなく、単にエッセイとして読めばいいだけの本なので、その点は別にかまわないのである。

・「鉄道の日に、いちばん好きな駅へ」神奈川/JR鶴見線・国道駅:
うらぶれた鶴見線の、うらぶれた駅を訪ねる。女なのに好みが渋すぎ。(もっとも、著者は元男性だということだが。)
・「富士と工場のテーマパーク」静岡/岳南鉄道:工場の中を通り抜けるローカル私鉄。本書の中で一番鉄道紀行らしい雰囲気が出ている。この路線、工場好きにはたまらないらしい。
・「平成8年8月8日の奇蹟」関東一円/八のつく駅:本書に収録された中では唯一の思い出話で、著者の高校生時代のエピソード。平成8年8月8日8時8分に京葉線八丁堀駅の切符を買いに行く。これが次の章につながっていく。
・「平成22年2月22日の死闘」千葉/JR京葉線:時は流れて平成22年2月22日、著者は京葉線二俣新町で22時22分に切符を買おうとする。だが同じことを考える人間がけっこういて、数秒の差で買い損ねるのだった。単行本が出た時点では、著者は平成33年に「三のつく駅」でリベンジしようと考えていたようだ。だが平成は31年で終わることになった。著者が次に狙うのは?
・「あぶない!江ノ電」神奈川/江ノ島電鉄:のどかな江ノ電の、危ない沿線風景を訪ね歩く。危ないのにのんびりしているという、不思議な雰囲気が味わえる。
・「最南端の最新モノレール・ツアーズ」沖縄/ゆいレール:沖縄でゆいレールに乗る、ただそれだけ。かなり時間が余ったらしい。
・「琺瑯看板フェティシズム」北海道/JR宗谷本線・留萌本線:北海道の琺瑯駅名看板を見に行く。この章だけ、駅名の部分が全部看板型の黒四角で、文字が白抜きになっている。
・「最寄駅から空港まで歩こう」熊本・鹿児島/JR肥薩線:熊本駅から肥薩線に乗り、嘉例川駅で降りて鹿児島空港まで歩く。著者はこの路縁名物のスイッチバックなどより、駅舎や駅弁に興味がある模様。
・「あったか土佐の小さすぎる日本一」高知/土佐電気鉄道:土佐電鉄、通称「土電」で高知駅から伊野まで、さらに反対方向の後免まで乗り通す。日本一短い「清和学園前」と「一条橋」の間で遊んだりもする。

 各章の間に「大好き西武多摩川線」などの1ページコラムもあり。全体としてマニアっぽさは控えめだが、その分「遊び心」があふれているし、鉄道が好きということは伝わってくる。テツ未満、一般人以上の鉄道好き、これくらいがちょうどいいのかもしれない。

Ukkaritetsudou

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2018年6月17日 (日)

東山三十六峰

 前回に続いて、1950年代に出た本を取り上げる。内容は全然別分野だが。

東山三十六峰 京都案内記/京都新聞編集局編(河出新書,1957)

 京都東山には三十六の峰があるとされ、今では京都の観光関係のサイトや山歩き・ハイキング案内のサイトに、その36の山の名前が紹介されている。
 その山の名前は、北から順に、比叡山・御生山・赤山・修学院山・葉山・一乗寺山・茶山・瓜生山・北白川山・月待山・如意ヶ嶽・吉田山・紫雲山・善気山・椿ヶ峰・若王子山・南禅寺山・大日山・神明山・粟田山・華頂山・円山・長楽寺山・双林寺山・東大谷山・高台寺山・霊鷲山・鳥辺山・清水山・清閑寺山・阿弥陀ヶ峰・今熊野山・泉山・恵日山・光明峰・稲荷山
 いかにもいにしえから京の都に伝わる山の名前らしい。しかしこれは実は、昔から決まっていたわけではない。
 本書の序文によれば、「東山三十六峰」とは、江戸時代末期に賴山陽がそう呼んだことから定着した名称とのこと。だが、実は36の山が特定されていたわけではなかった。京都の東に連なる山々を、ただ漠然と「三十六峰」と呼んできたというだけのことらしい。
「その名は全国民に親しまれながらも、ながながと連なる峰々の起伏を、どことどこで分けるかもはっきりしなかった」状態だった「三十六峰」。それをひとつひとつはっきりさせた上で、現地取材した記事を連載したのが、地元の「京都新聞」だった。
 本書はその京都新聞の連載記事をまとめたもの。紹介されている「三十六峰」の名称と順番は、まったく同じ。
 そう、現在通用している「東山三十六峰」は、この本(正確には、その元になった新聞記事)で、初めて特定されたものだったのである。(Wikiの記事にも、「その後、1956年の京都新聞において、「三十六峰」を具体的に特定した記事が連載されることとなった」と書いてある。)
 とはいえ、それまでがはっきりしないものだっただけに、中には36個揃えるために無理やり山の名前をつけているものさえある。例えば、「紫雲山」。本文中にはこうある。

一体、この山を何んと呼ぶのだろうか。現在では黒谷、真如堂といういわば寺の俗称で親しまれており、本書も仮に"紫雲山"と名付けたが、これは黒谷(金戒光明寺)の山号であって、山そのものの名称ではない。(p.80)

 この記事が出るまで、山の名前さえはっきりしていなかったのである。
 寺の山号といえば、「華頂山」(知恩院の山号)とかもそうだし、他にも呼び名がいろいろあったり、どこが境目だかわからなかったりする山がある。それが今では、昔からその名前がついた山であったかのように扱われている。
 新聞の力はかくも大きい。
 それはともかく、本書はサブタイトルにもあるように、京都東山一帯の観光ガイドでもある。何しろ60年余り前に出版された本だから、交通案内で路面電車の停留所が書かれていたりとか、今と違っているところも多々ある。今では完全な住宅街になっている叡山電鉄一乗寺駅周辺は、「あたりを見渡すと、四方は一面田と畑ばかり」などと書かれている。しかしそれはそれで、歴史の証言として面白い。
 むしろ、60年経っているにもかかわらず、あまり変わってないところがけっこう多いのに感心する。さすが京都いうか、古都の伝統というものだろうか。
 でも、「東山三十六峰」の個別の名称については、本書が作った「伝統」なのだった。

Higashiyama

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2018年5月13日 (日)

旅の図書館

旅の図書館/高田宏(白水社,1999)
 古今東西の「旅の本」――紀行、旅行記、旅を扱ったエッセイ、文学作品、ノンフィクションなどについて書かれた文章を集めている。元は雑誌『銀花』の連載をまとめたものなのだそうだ。
 1冊あたり14ページ。それぞれに個別のタイトルがついていて(以下、書名に続けて()に入っているのがそのタイトル)、長さといい内容といい、書評というより評論、あるいはエッセイ集と言った方がいいかもしれない。1編あたりが長いだけに、登場する本はそんなに多くはなく、15冊。

 最初は、河口慧海の『チベット旅行記』(「生死の境を行く旅」)。書き出しはこんな風。

 さまざまな旅がある。
 遠い旅、近い旅、長い旅、短い旅、独りの旅、連れのある旅……。安全な旅もあれば、危険な旅もある。(p.5)

 いかにも本書の冒頭にふさわしい。この本は「危険な旅」の典型。

 続いては、有名な天文学者パーシヴァル・ローエルの日本旅行記『NOTO』(「百年前の良き田舎」)、島崎藤村のフランス渡航記『海へ』(「日本脱出・日本発見」)、ノーベル賞受賞詩人タゴールの『日本紀行』(「文明の転回点で」)、永井荷風の『あめりか物語』(「第二の故郷」)と、日本へやって来た外国人、外国へ行った日本人の書いた本が並ぶ。
 そして、旅行記の元祖マルコ・ポーロの『東方見聞録』(「最初の国際人」)も登場。もっとも、内容は『東方見聞録』の内容というより、マルコ・ポーロその人の小伝みたいなもの。

 本書には江戸時代の旅行記が2冊出てくるが、その一つ目が鈴木牧之の『秋山記行』(「辺境にまなぶ」)。なお、タイトルの「記行」はこういう表記なので、「紀行」の間違いではない。信州と越後にまたがる中津川の渓流沿いに秋山郷という集落郡があるという。『北越雪譜』の著者鈴木牧之が文政11年(1828年)にこの秘境を訪れた時の記録。山奥に潜む、独自の文化を持った長寿の里――なんというか桃源郷みたいである。
 ウィンパーの『アルプス登攀記』(「なぜ登るのか」)は、旅の本というか登山の本。マッターホルンに初登頂したウィンパーの栄光と悔恨の記録。
 川喜田二郎の『鳥葬の国』(「異郷を行く旅人たちのドラマ」)は、ネパールでの学術調査旅行記。だがメインとなっているのは学術調査そのものではなく、現地の村人たちとの交流の記録。たとえ研究ができなくなっても、現地の人々の感情を無視した調査は行わないという川喜田の姿勢は、やがて調査団と村人たちとの間に強い感情的絆を生むことになる。

 2冊目の江戸時代の本、原正興の『玉匣両温泉路記』(「江戸末期の温泉旅行」)は、天保10年(1839年)、沼田藩江戸屋敷に勤めていた原正興という武士が湯治旅行に出かけた記録。持病の治療を理由に30日の休暇を藩からもらい、熱海と箱根で湯につかったり買い物をしたり周辺の観光をしたりと、実にのんびりしたものである。しかし飽きてしまったのか20日くらいで湯治を切り上げ、後は鎌倉や金沢八景を見物しながら江戸に戻ってくる。著者も書いているが、移動速度が違うこと以外は、現代の旅とやっていることはあまり変わらない。

 世界的に有名なコロンブスの『コロンブス航海記』(「神の恵みで」)は、コロンブス小伝みたいなもの。
 沢木耕太郎の『深夜特急』(「「旅」を問いながら」)は、本書に出てくる本の中では一番新しい。半分くらいが引用で、新しい時代の旅の様子を、ただ眺めているようでもある。
 宮本常一の『忘れられた日本人』(「列島を歩いて四千日」)は、民俗調査のため日本中、16万キロを歩いた宮本常一の旅を語る。著者は宮本に直接原稿を依頼したことがあるそうで、個人的にもかなり思い入れがあるらしく、本文中でも途中まで「宮本常一」と書いていたのが、次第に「宮本さん」と書くことの方が多くなってくる。全体として宮本常一の内面にまで踏みこんだ記述が多く、著者との距離感が他の文章と全然違う。
 猪谷六合雄の『雪に生きる』(「朗らかな放浪者」)は、日本のスキー界の草分け、猪谷六合雄の自伝で、破天荒な放浪の旅の記録でもある。この人のことは知らなかったが、とんでもない人がいたものだ。
 最後は山田稔の『旅のなかの旅』(「旅のための旅」)。この人は知らなかったが、著者が編集した『日本人の海外紀行』(1971年)の寄稿者の一人で、そのエッセイを読んで著者は惚れ込んだようだ。この文章を読むと、著者が山田稔の熱烈なファンになっていることがわかる。

 世界史的有名人や文豪から、一般にはほとんど知られていない人まで、登場する旅の本の著者はさまざま。有名無名の違いはあっても、著者の視野の中心には、常にその書き手がいる。これは「旅の本」について書かれた本というより、「旅」と「旅人」たちについて書かれた本なのだった。

Tabinotoshokan

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