妄想映画館
妄想映画館/赤瀬川原平(駸々堂出版,1984)
昨年亡くなった赤瀬川原平による、型破りの映画エッセイ。
元は、『キネマ旬報』に70回にわたって連載されたもの。連載すべてではなく、57回分が収録されている。著者は美術家・マンガ家でもあるので、自筆のイラストも毎回必ず入っている。
最初に載っているのが「地球一族の陰謀」というタイトル。ひと目見てわかる「柳生一族の陰謀」のパロディである。内容はこういうタイトルの架空の映画のストーリー紹介。「昭和五十三年某月某日、カーター大統領が江戸城大奥にて死去した」と、出だしからしてわけがわからない。
次が「親子ねずみの不思議な旅」のパロディで「「親子にんげんの不思議な散歩」。なるほど、これは著者が「妄想」した、こういう架空映画の路線でいくのか――と思っていたら、途中からだんだん変になってっくる。「映画更生法を待ちながら」は、映画不況をネタにした単なるエッセイ。「有事映画の作り方」は、「野生の証明」と「皇帝のいない八月」をネタに、著者らしい政治的ジョークだらけのパロディ・エッセイ。
さらに後の方へ行くと、ますます何でもありになってくる。正月映画を話題にしながら、実のところ具体的な映画について何ひとつ語らず雑談してるだけの「いやホント、正直な話……」とか。「映画館には誰もいなかった。」という書き出しの後、「…」と句読点だけが延々と続く「コト」(結局3ページの間ほとんど…ばかりで、文字は40字もない)など、もはやエッセイですらない。それどころか、文章ですらないのもある。「天平の甍」のパロディなど、2ページ見開きのイラストが三つ続いているだけ。
また、「アウトランドの夏」は、一見普通の映画エッセイだが、最後まで読むとこけそうになる。著者は「アウトランド」の試写会に行こうとするが、なぜかプールに行ったり自転車屋に行ったり買い物に行ったりして、「試写会には結局行けなかった」で終わっている。とうとう肝心の映画を全然見ずに書いてしまうのである。
この後、映画を見ずにその映画のことを書く、というパターンも何回か出てくる。
プロ野球で中日が優勝した時(1983年の優勝のこと)には、映画のことはひとことも書かずただ野球のことだけ。巨人が優勝しないと秋が来ないなどとわけのわからないことを書いている。よほどの巨人ファンらしい。
ただ、この野球ネタの後、終盤になると、さすがにやりすぎだと思ったのか、わりとまともな、パロディでもない映画エッセイが増えてくる。取り上げる映画の方も、「東京裁判」、「ガンジー」、「トッツィー」、「楢山節考」、「家族ゲーム」と、まともなものが続く。いや、今までも題材となる映画そのものはまともで、書き方が変だっただけなのだが…。
しかし、それが読んで面白いかというとそれほどでもなくて、やはりメチャクチャやっていた時の方が面白いのである。どんな奇天烈な趣向でも、不思議と作為性を感じない。天然にやっているような印象がある。そこが赤瀬川原平の持ち味だろう。ついでに、絵はうまいのかヘタなのかよくわからない。文章もそうだ。