ほとんどブログが書けなかった4月だが、本が読めてなかったわけではない。それどころか、いつも以上に読んでいた。その中からとりあえず2冊。1冊はやや古い本だが、今手元にこの2冊しかない...。
魔法使いになる14の方法/ピーター・ヘイニング編;大友香奈子訳(創元推理文庫,2003)
原本もこの翻訳も、<ハリー・ポッター>の人気にあやかった便乗出版みたいなもの。「少年少女と魔法」がテーマのファンタジー短篇アンソロジー。
とはいえ、顔ぶれは結構豪華だし、レベルは高い。大半が児童文学の分野の作家だけど。
収録作とその著者を見てみると――。
「ドゥ・ララ教授と二ペンスの魔法」E・ネズビット。児童文学の先駆者。『若草の祈り』や『砂の妖精』が有名。この作品は、シリーズキャラクターの魔法使い「ドゥ・ララ教授」が、二ペンスの報酬で少女の願いをかなえる話。タイトルそのままである。
「学校奇譚」マンリー・ウェイド・ウェルマン。SF、ファンタジーの世界ではけっこう有名(一部マニアには)。この作品は呪われた学校を巡るホラー。
「悪魔の校長」ジリアン・クロス。児童文学作家。本国イギリスでは有名なシリーズもので、テレビ化もされているとのこと。翻訳も3冊ある。この作品に出てくる悪役は、タイトルと同名のシリーズキャラクターらしいのだが、シリーズの方を知らないと、ただの変なオヤジにしか見えない。
「ワルプルギスの夜」ハンフリー・カーペンター。伝記、児童文学、放送、劇団と、非常に活躍分野の広い人で、トールキンの伝記や『オックスフォード世界児童文学百科』の翻訳が出ている。一方では間抜けな魔術師「ミスター・マジェイカ」を主人公とするジュブナイルのシリーズもので、14冊も出版されている。日本でも20年ほど前に2冊翻訳が出ているが、後が続かなかった様子。この作品にもマジェイカが登場する。タイトルから連想されるようなおどろおどろしい話ではなく、まったくのドタバタ劇。
「暗黒のオリバー」ラッセル・ホーバン。絵本作家として有名。小説としては、ずいぶん前にハヤカワ文庫からファンタジー長編『ボアズ=ヤキンのライオン』が発行されている。この作品は魔法というより、ギリシア神話をからめながら、「心の暗黒」にひきずりこまれそうになった少年を描いたもの。
「さがしものの神様」ジョーン・エイキン。この人も、児童文学の世界では非常に有名な作家。この作品、タイトルからはのんびりした「日常の魔法」ものを想像してしまうが、実はローマ時代の遺物をめぐるホラー風味の話。
「ダブラーズ」ウィリアム・ハーヴィー。代表作は短編怪奇小説「炎天」――というか、この作品以外では知られてない作家。この作品は、とある学校で代々受け継がれてきた生徒たちの謎の集団にまつわる話で、収録作中唯一といっていいほど、超自然的なものがはっきりとは出てこない、にもかかわらず、無気味な雰囲気が漂う。
「飛行術入門」ジャクリーン・ウィルソン。イギリスで数々の賞を受賞した児童文学作家。翻訳も多い。この作品は「飛ぶ魔法」を習得したい少女のコミカルな物語。
「中国からきた卵」ジョン・ウィンダム。『トリフィドの日』や『呪われた村』などで一世を風靡したイギリスSF界の大物。どっちかというと本格SFの作者というイメージが強かったので、このアンソロジーに収録されているのは意外だった。読んでみると、これが純然たるファンタジー、かつ本書で唯一、子供が出てこない。まあ、人間じゃなくて竜の子供は出てくるが。
「お願い」ロアルド・ダール。『あなたに似た人』などの奇想ミステリや、『チョコレート工場の秘密』などの童話であまりに有名。これはホラー。ショートショートだが、子どもの想像力が暴走する恐怖を描く筆力はさすが。
「見えない少年」レイ・ブラッドベリ。この人についてはもう言うまでもないだろう。この作品は、何種類もの短編集やアンソロジーに収録されている名作のひとつ。老いた魔女と「見えない魔法」をかけられた少年の物語。何回も読んでるはずだが、改めて読むと実にほろ苦い。
「わたしはドリー」ウィリアム・F・ノーラン。ノーランは映画化もされた『2300年未来への旅(ローガンの逃亡)』で知られる。というか、実質これ一作だけの人だが、短編はかなり訳されている。正直言ってあまり大した作家とは思えないが、なぜかピーター・ヘイニングのお気に入りらしく、ヘイニング編のアンソロジーには必ずといっていいほど顔を出している。この作品は養父に虐待される少女の復讐を描いた陰惨なサイコ・ホラーで、収録作の中では異色。というか、編者は何を考えてこんな作品を選んだのだろう。
「なにか読むものを」フィリップ・プルマン。<ライラの冒険>で日本でも一躍有名になった。これは読書狂の少女の悲劇的な死と、幽霊になってからのさらに悲劇的な運命を語る、暗いゴースト・ストーリー。後半になるとなんだか、悲惨な話が増えてくる。
「キャロル・オニールの百番目の夢」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ。この3月に死去した「ファンタジーの女王」。「夢」を売る天才少女が、スランプ脱出のために自分の夢にもぐりこんで繰り広げる冒険。暗い話が続いた後で、最後をこの華やかなファンタジーが飾るのは救いになる。
で、実は唯一少年少女が登場しないウィンダムの「中国からきた卵」が一番おもしろかったりする。
出版大崩壊 電子書籍の罠/山田順(文春新書,2011)
著者はもと光文社の編集者。2010年に退社し、電子出版ビジネスを手がけるようになったが、そこで数々の問題に直面して――早い話が、その新しいビジネスはうまくいかなかった。その挫折経験が、本書全体に大きな影を落としているようだ。
本書は一口でいうと、電子出版の未来は決して明るくない、という警告の書である。
著者は、出版社は今後電子出版に乗り出さざるを得ないと考えている。だが、電子出版への移行は、「混乱をもたらすばかりか、既成メディア自身のクビを締めるだけ」であるし、「新しいビジネスモデルは確立されず、出版社も新聞社も自前のコンテンツのデジタル化を進めれば進めるほど、収益は上がらなくなっていく。そうして、その混乱のなかで、既成メディアを支えてきた多くの人間が失業する」という、暗澹たる予測図を、のっけから披露している。
帯の惹句に「某大手出版社が出版中止した「禁断の書」」と書かれているように、本書は最初、別の出版社から出す予定だったが、電子化を積極的に進めるその出版社の方針に内容が反するため、出版中止になったのだという。
ということは、この企画を拾い上げた文藝春秋は電子出版に懐疑的ということなのだろうか。時事ネタをよくとりあげる文春新書のカラーに合っていた、ということもあるかもしれない。
さて内容だが、全11章に分かれていて、第1章から第3章まではいわば序説。「kindle」「ipad」のもたらした衝撃に始まり、そもそも電子書籍とは何かということを、これまでの動きを紹介している。
第4章から第9章までの本書の中核。自らが長年身をおいていた既成の出版界の内情や、その後の電子出版への挑戦と失敗の経験をまじえつつ、日本の出版市場の特殊性、価格決定のメカニズム、著作権の制約などを論じる。そして、「まえがき」にも書いていたように、「日本では電子出版のビジネスモデルは成立しない」という結論に達するのだ。
そして第10章、11章では、既存の出版ビジネスモデルが崩壊した後の未来像を展開する。そこで著者が描くのは、荒涼としたウェブの荒野。
出版社も、印刷業者も、著作者も総倒れ、読者も優良なコンテンツが手に入らなくなる。残るのは、あらゆる価値が崩壊したウェブ上に散らばる、圧倒的多数の低レベルの著作の大群。
何の救いもない未来図である。某出版社が出版を取りやめにしたくなったのもわかる気がする。が、自分の失敗体験に過剰にとらわれすぎているのではないか。
「おわりに」で著者は言う。「オンラインで読書をして、本当の感動が得られるかは疑わしい」。
結局はそこなのか。もう電子本のことなんか忘れよう、ネットワークから解放されて、ゆったりと紙の本を読む――それが理想、とまで著者は言ってるわけではないが...。そんな思いが透けて見える。その気持ちはわからないでもない。だけど、止めようのない電子化への流れの中で、だからどうしろというのか。そのへんがわからないまま、本書は終わってしまう。
ちなみに著者は1952年生まれ。若い読者から、「電子化についていけなくなったオジサンの愚痴」と思われるだけにならなければいいのだが。