前月に読んだ本について書くのが、また遅くなった。遅い記録の更新である。せめて「2ヶ月まとめて」なんてことだけはないようにしなければ。
ともかく、6月に読んだ本から2冊。
きのこ文学大全/飯沢耕太郎(平凡社新書,2008)
古今東西の、きのこが出てくる文学作品を集めるという、発想が変。とにかく変。
構成は辞書形式で、短いものは半ページ、長いもので数ページの記事を50音順に並べている。ただ、各項目の見出しのつけ方に決まった規則がないので、辞書みたいに「引く」ためには使えない。
例えば、「あ行」は、【赤瀬川原平の「赤坂のマツタケ」】、【アッシャー家の菌類】、【吾妻ひでおの「きのこの部屋で」】、【嵐山光三郎の「森の宴会」】、【アリスときのこ】、【安野光雅のなき茸】、【泉鏡花ときのこの化身】、【一茶の天狗茸】...といった具合。
見てのとおり、作者名+作品名というパターンが多いが、作品に出てくる固有名詞が見出しになっていることもあり、特定の作品をさがすのは非常に困難なのだ。そのかわり、巻末に人名索引ときのこ名索引がついている。
各記事は、それぞれの作品紹介、キノコが登場するシーンの短い引用や解説からなる。キノコの名前にやたらにこだわっているあたりに著者のキノコマニアぶりが伺える。
取り上げられている作品は、上の例にも見るとおり、古今東西のあらゆるジャンルの小説、エッセイ、マンガ、俳句と幅広い。とにかく、松尾芭蕉、宮沢賢治、筒井康隆、手塚治虫、吾妻ひでお、萩尾望都、アレクサンドル・デュマ、ゲーテ、レーニン、レイ・ブラッドベリ、ブルース・スターリング、橋本治などが一緒くたに収録されているような「文学大全」など、他にちょっとないだろう。すべては、「キノコ」でつながっているのだ。
SFファンにおなじみのキノコといえば、『地球の長い午後』に出てくるアミガサタケか、あるいは「マタンゴ」だろうが、両方とももちろん出てくる。アミガサタケは、「オールディス―」のところではなく、「た行」の【「地球の長い午後」のアミガサタケ】という項目名で収録。マタンゴは、【マタンゴの変容】。
ちなみに【マタンゴの変容】は10ページもあって、本書でも一番長い記事の一つ。映画「マタンゴ」の話はもちろん、その原作となったウィリアム・ホープ・ホジスンの「夜の声」、福島正実によるノベライズ版、マタンゴをテーマにした橋本治のコラム、大槻ケンジの詩まで紹介するという豪華版である。マタンゴに向ける作者の熱い想いがよくわかる。
キノコの出てくる作品をひたすら追い求める作者の、調査範囲の広さと、キノコへの異常な愛情に感心してしまう1冊。
太陽系最後の日(ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク 1)/アーサー・C・クラーク;浅倉久志ほか訳(ハヤカワ文庫SF,2009)
日本オリジナル編集のクラーク短篇選集、全3巻の1冊目。1946年から1951年までの初期作品を収録。
どれも一度は読んだことがあるはずの作品だが、中には邦訳単行本未収録で、数十年ぶりに再読したものもある。
表題作になっている「太陽系最後の日」は、クラークのSF作家デビュー作であるともに代表的短篇の一つでもある。「ずらりと並ぶ真空管」というあたりに時代を感じさせるが、ストーリーそのものは、60年以上を経ても色あせない。SF的イメージの原点である。イギリス人なのになんでこんなアメリカ的発想のものを書くんだ、という気もするが。
続く「地中の火」と「歴史のひとこま」は、二つの文明のコンタクト、というよりむしろすれ違いを描く。「地中の火」は物理的環境の違い、「歴史のひとこま」は時代と文明的背景の違いが、悲劇的結末や喜劇的勘違いを生んでいる。両方とも単純なアイデア・ストーリーだが、歴史的視点がクラークらしい。
中編「コマーレのライオン」は、解説にも書いてあるように、昔SFマガジンに「ライオンの棲む都市」のタイトルで掲載されて、それきり単行本収録されなかった「幻の作品」。そのSFマガジン版を読んだことは覚えているが、内容は体制に逆らう青年が主人公であることと、ライオンが出てくることだけしか記憶になかった。「停滞した理想社会からあえて外に出て行く異端分子」という、『都市と星』タイプの物語で、こういうシチュエーションは基本的に非常に好きなのだが、今回読み返してみると、思ってたほど大した話じゃなかった。
「かくれんぼ」は、火星の衛星を舞台に繰り広げられる、宇宙巡洋艦と一人の男の対決の物語。こういう話は今でも書く人がいてもおかしくない。
「破断の限界」は、二人の男が乗った宇宙船が事故にあって酸素が欠乏し、一人しか生き残れないという「冷たい方程式」パターンの話。二人のうちのどちらかが死ぬしかない(しかも、「方程式」とは違って、二人とも条件は平等)という状況下のストーリーは、緊張感があっていいのだが、邦訳タイトルは誤解を招く。このタイトルだと物理的に何かが壊れることを言ってるようにしか思えないが、実際に壊れるのは、二人の男のうち片方の理性なのである。
「守護天使」は、『幼年期の終わり』第一部の原型。『幼年期の終わり』を知っている読者には、プロローグだけで終わってるようにしか思えないだろう。
「時の矢」は、クラークには珍しいタイムトラベルものだが、あまり成功しているとは思えない。
最後に収録された100ページ近い中編「海にいたる道」は、「コマーレのライオン」と同じようなパターンの遠未来もの。停滞しているが物理的には満ち足りた社会から、あえて出て行った若者が伝説の都市を目指す。
ただ、「コマーレのライオン」の主人公ペイトンの動機づけがいまひとつあいまいだったのに比べ、「海にいたる道」のブラントが古代都市(古代といっても、現在から見るとはるか未来だが)シャスターを探し求める理由は明解である。―彼女にいいところを見せるため。単純だが、よくわからない目的よりはずっとましである。そういう点も含めて、全体的に話に無理なところがあまりなく、出来はこっちの方が遙かにいい。本書収録作中のベストとしたい。
蛇足。「海にいたる道」のシャスターが、実際にどのへんにあるのか考えてみた。主人公が住んでいるのは、森の中の集落。周囲は平原だが、「六千年前、この地域は世界でももっとも広大、かつ人間にとっては手ごわい砂漠の一つだった」という。世界でもっとも広大な砂漠といえば、サハラ砂漠だろう。そして、村の北方20マイルと離れてないところに海がある。とすれば、これは北アフリカの海岸に近いどこか。決定的なのは、主人公がたどりついた海岸にローマ帝国(文中では「ある強大な帝国」)の道路が残っていることだ。さらに決め手として、「ローマの百人隊長、シャルルマーニュ大帝麾下の十二勇士(アフリカに遠征したという伝説がある)、ロンメルの装甲軍団」がこの地を通って行ったという描写もある。
これでもう、ここが北アフリカのどこかだというのは確かだ。さらに、「海に向かって突き出している険阻な岬」があるという描写から、海岸線がかなり変化に富んでいることがわかる。北アフリカ沿岸部でそういう地形があるのは、モロッコかチュニジアくらいだが、ロンメルの軍団が通って行ったということから、条件に合うのはチュニジアしかない。結局、シャスターはチュニジアの北海岸のどこかに位置するのではないかと思うのだが。心情的には、カルタゴ遺跡のあたりと思いたい。