歴史

2009年12月31日 (木)

日本の城の謎

 今年最後の記事になるが、特に普段と変わらない。今回は、20年以上前に出た城関係の本。
 城をテーマとした本やムックは最近出版点数がやたらと増えている気がするが、こういう本の需要は、いつの時代もある程度あったのだ。ただ、今出ている「城本」とは少々傾向が違う。

日本の城の謎 (上・下)/井上宗和(祥伝社ノン・ポシェット,1986)
 上下巻になってはいるが、最初から2冊本で出版されたものではなく、文庫に収録するにあたってこういう構成になったらしい。
 上巻は「築城編」、下巻は「攻防編」になっているが、内容がはっきり分かれているわけではない。、このサブタイトルに大して意味はないと見た方がいい。
 内容だが、城にまつわる特定の話題を中心に、複数の城を取り上げて歴史エピソードを紹介するのが基本パターン。
 上巻では、1「なぜ秀吉は城攻めの天才と呼ばれるのか」では、城攻めの一般論から始まって、武田勝頼の長篠城攻め(失敗)、豊臣秀吉の鳥取城攻略、石田三成の忍城攻め(失敗)、徳川秀忠の上田城攻め(失敗)に話題が及ぶ。一つの話題を足がかりに、関連する話題が次々と移り変わっていく。目次や各章の始めに、登場する主な史跡や人物の一覧が出てくるが、なぜか忍城は出てこない。史跡になってないからか。
 また、上巻でいきなり城攻めの話題が出てくるので、このことからも、「築城編」、「攻防編」というサブタイトルに大して意味はないことがわかる。
 続いて、2「なぜ名城には人柱伝説があるのか」では、各地に伝わる人柱の言い伝えに関連して、江戸城、松江城、郡上八幡城、宇和島城が、3「ほんとうに信玄は城を造らなかったか」では、武田家にまつわる「人は石垣=城不要」説のインチキさや武田家埋蔵金伝説を語りながら、舞鶴城(甲府城)、躑躅ヶ崎館、要害山城、積水寺、金沢城、春日山城を、4「なぜ信長は安土城天守閣を築いたのか」では、織田信長や松永久秀の築城と近世城郭の起源を巡って、安土城、観音寺城、本能寺、大坂城、多聞城が取り上げられる。 5章以下は人物より城中心の話題が多くなり、「なぜ抜け穴伝説が生まれたのか」(姫路城、宇和島城、竜光院、熊本城、江戸城、金沢城)、6「なぜ大坂城の土塁は石垣に変わったのか」(大阪城、清洲城、小牧山城、二条城、江戸城)、7「なぜ難攻不落の小田原城は落ちたのか」(小田原城、早雲寺、堀越館、韮山城、石垣山一夜城)、「なぜ城の絵図は正確無比だったのか」(会津若松城、北ノ庄城、弘前城)といった具合。
 城に対するアプローチとしては独特のものがあるし、内容もまともなのだが、この雑学本じみたわざとらしい章タイトルが少々目障りである。
 なお、上巻の99ページから100ページにかけて、「戦国八名城」というのが出てくるが、他ではあまり聞いたことがない。越後春日山城、越前一乗谷城、能登七尾城、近江小谷城、美濃井ノ口(稲葉山)城、甲斐要害山城、近江観音寺山城、大和信貴山城。このうち、落城しなかったのは春日山城と要害山城だけだそうだ。

 下巻「攻防編」も上巻と同じ路線だが、こっちの方が人物メインになっている。
 1「なぜ、加藤清正は鉄壁の石垣を築いたか」では西郷隆盛、谷干城、加藤清正、黒田如水・長政親子と時代を超えた人物たちと、熊本城、福岡城を取り上げる。
 2「なぜ、秀吉は三木城攻めに二年もかかったか」では、豊臣秀吉をメインに、三木城、犬山城、鳥取城、高松城(もちろん備中の方)、姫路城が、3「なぜ、藤堂高虎は築城の天才といわれるのか」では、藤堂高虎の事績と彼が手がけた城を中心に、宇和島城、今治城、津城、伊賀上野城、二条城、高知城が、4「なぜ、毛利氏は海岸線に城を移したのか」では、毛利一族と吉田郡山城、三原城、松江城、膳所城、広島城が取り上げられる。毛利氏と関係ない膳所城が出てくるのは、湖に面した水城だから。
 以下、5「なぜ、江戸城は世界最大の城といわれるのか」(徳川家康と江戸城、大坂城、姫路城)、6「なぜ、上杉謙信は天下人になれなかったのか」(織田信長と上杉謙信、春日山城、一乗谷城、小谷山城、北ノ庄城)、7「なぜ、榎本武揚は新政府で活躍できたのか」(榎本武揚と五稜郭、松前城、竜岡城)と続く。
 各章のタイトルがますますパターン化し、くどくなっている。ただ、おもしろいのは、各章のページ上に表記してある見出しが、タイトルと違ってすっきりしたものになっていること。上巻では同じだった。1「熊本城石垣の謎」、2「秀吉、三木城攻めの謎」、3「藤堂高虎、宇和島城の謎」、4「広島城、毛利水軍の謎」、5「難攻不落、江戸城の謎」、6「上杉謙信、春日山城の謎」、7「榎本武揚、五稜郭の謎」となっている。まあ、長い章タイトルがページ上の小さなスペースに収まらなかった、というのもあるだろうが、著者は本当はこっちのタイトルにしたかったのではないか。
 上・下巻を通じて、同じ城が何回も出てくる。城がメインならこうはならない。やはり城の本というより、歴史の本なのである。

| | コメント (1)

2009年12月12日 (土)

11月に読んだ本から

11月に読んだ本から、例によって比較的最近出た本を2冊。

ハプスブルク家の光芒/菊池良生(ちくま文庫,2009)
 「長さ一三二メートル、幅二二メートル、高さ一三.二メートルの巨大な「ノアの方舟」が、ノアの家族八人とすべての種類の動物、鳥、地を這うもののそれぞれのつがいを載せてたどりついたところはアララテの山である」と、意表をつく書き出しからこの本は始まる。
 ノアから始まった歴史で、人の世には身分の差が生まれた――と著者は語り、ヨーロッパの階級社会の話へとつながっていく。階級社会の頂点に立つのが皇帝である――というところから、やっと本書の主役であるハプスブルク家、その中でももっとも広い領土を治めたカール五世が登場する。 

 そしてカール五世の身体にハプスブルクとブルゴーニュが合流したとき、ハプスブルク家は華麗な祝祭の季節[とき]を迎えたのである。(p.17-18)

 この文章が、まるでファンファーレのように響く。この本が語るのは、歴代のハプスブルク家が繰り広げた祝祭絵巻であり、パレードと祝祭とセレモニーから見た、ハプスブルク家の歴史なのだ。
 カール五世はヨーロッパ各地に巡幸を行った。その行く先々で、皇帝を迎える町が華麗な「入場式」を演出する。記念門を建て、山車を並べ、パレードや劇や馬上試合が開催された。そしてカール五世が死去すると、ヨーロッパ各都市はまた華麗な葬儀を催す。ブリュッセルでは巨大な「ノアの方舟」の山車が行進した。ここで、冒頭とつながるわけである。歴史書とは思えないくらい、書きぶりが凝っている。これがこの著者の持ち味なのだろう。
 次の章では、カール五世の後オーストリアとスペインに分裂したハプスブルクのうち、スペイン王家のごたごたが語られる。祝祭の話はひとまずお休み。 

 王(フェリペ二世)は宮殿の奥深くに閉じ籠もり、スペイン・ハプスブルクの光と翳りのすべてを燃やし、その燃え殻をせっせと積み上げて無惨なぼた山を築いたのだ。(p.43)

 同じハプスブルクでも、スペインは暗い。でもこれは本書の主題から言えば脇道。次の章から話題の中心はオーストリア・ハプスブルクに戻り、最後までオーストリアを離れることはない。やはりオーストリアは華やかである。祝祭に次ぐ祝祭が語られる。
 16世紀、オーストリア大公カールとバイエルン公女マリアの結婚祝祭。17世紀、皇帝レオポルト一世とスペイン王女マルガレーテの婚儀を祝う、延々2年も続く祝宴。この頃のハプスブルク宮廷は、一年のうち157日は祝祭をやっていたとか。
 18世紀、フランクフルト生まれのゲーテが目にした、皇帝ヨーゼフ2世の戴冠式。フランクフルトは16世紀以来、神聖ローマ皇帝の戴冠式の地となっていた。この戴冠式から約40年後、「神聖ローマ帝国」は消滅してしまうのだが。
 「神聖ローマ帝国」がなくなっても、ハプスブルク家はまだ続く。ハプスブルク家の一員である「メキシコ皇帝」マクシミリアンの処刑、踊るウィーン会議、流浪の皇妃エリザベート。このあたり、祝祭というより劇のようだが、ドラマチックで見せ場に富むことは確かである。エリザベートなど、宝塚の舞台にまでなっている。
 そして最後を飾るのが、1908年、皇帝フランツ・ヨーゼフ2世の「在位60年慶祝パレード」。パレード参加者1万2千人、見物客60万人という途方もない祝祭である。だがその裏では民族間の対立と国際的緊張が高まっており、6年後には第一次大戦が勃発し、ハプスブルク帝国は消滅に向かうことになる。最終章で著者は、宴の後の虚しさが漂う筆致で、ハプスブルク家の最後を語る。
 きらびやかな祝祭に彩られた「ハプスブルク家の光芒」とともに、「ハプスブルク家の興亡」も描き出す。分量としては短いのだが、内容はいろいろな意味で濃い、異色の歴史書である。
 前に取り上げた『神聖ローマ帝国』(2007年10月19日)や『傭兵の二千年史』(2009年4月6日)を書いた人だけあって、やはり歴史好きのツボを心得ている。

ハプスブルク家の光芒 (ちくま文庫)

四コマ漫画 北斎から「萌え」まで/清水勲(岩波新書,2009)
 サブタイトルのとおり、北斎に見るコマ漫画の起源から、現代の四コマまでの歴史の概説。著者は戦前(1939年)生まれの漫画史研究の大家。帝京平成大学教授、京都国際漫画ミュージアム研究顧問。本人のホームページ(http://www013.upp.so-net.ne.jp/kun-shimizu/)によると、著作84冊。手塚治虫のデビューを目撃し、「サザエさん」を最初からリアルタイムで読んでいた世代である。
 本書の神髄は、全体の3分の2にあたる明治から終戦直後までの四コマ漫画の歴史を述べた部分にある。章で言うと「2 西洋四コマの到来――明治時代」から、「5 第二次「新聞四コマ漫画」ブーム――昭和二〇年代」まで。新聞や雑誌の四コマ漫画という、追跡のきわめて難しい資料を、よくこれだけ集めたものである。戦前の人気四コマ「のんきな父さん」や「フクちゃん」などが取り上げられている。
 中でも気になるのは、日本で初めて女性を主人公にした漫画という長崎抜天の「ひとり娘のひね子さん」(大正13年~)。残念ながらこの漫画の図版は載ってないので、ひね子さんがどんな顔なのかわからない。調べてみると、2008年に京都の漫画ミュージアムでこの漫画の展覧会が開催されていたらしい。行けばよかった!
 最後の3分の1は昭和30年代から現代までで、いしいひさいちやいがらしきみお、吉田戦車、それにとってつけたように美水かがみの「らき☆すた」が出てくる。この部分は、正直いって、蛇足。同時代史なので、他でもわかることである。「オバタリアン」の堀田かつひこが「すえつぐなおと」の名で少女漫画を書いていた(p.160)というのは初めて知ったが。
 巻末の「四コマ漫画史年表」は力作。さすがに長年漫画史研究を手がけてきただけのことはある。
 ただ、問題は、読み物としては、まったくおもしろいと思えないないこと。四コマ漫画という魅力的な題材を、どうしてここまで無味乾燥な文章で書けるのだろう。資料的には値打ちがある本だと思うが...。

四コマ漫画―北斎から「萌え」まで (岩波新書)

| | コメント (0)

2009年12月 6日 (日)

中国傑物伝

中国傑物伝/陳舜臣(中公文庫,1994)
 以前に陳舜臣の『中国美人伝』を取り上げたが(2009年4月27日)、陳舜臣には他にも、『中国任侠伝』、『中国詩人伝』、『中国畸人伝』など、あるテーマに沿って中国史上の人物を集めた歴史読み物がいくつかある。今回の『中国傑物伝』もそのひとつ。
 中国史上で著者が「傑物」と見なす16人を選んで、評伝というには軽く、エッセイというには少々学問的な、独特のスタイルにまとめている。もとは中央公論社の雑誌『Will』(1991年で休刊、今出ている右派系雑誌『月刊Will』とは別もの)に連載されていたもので、1991年、『Will』の休刊と同時に単行本が出版されている。
 ところで「傑物」というのは、範囲の広い概念で、著者の解釈によってどんな人物でも選ぶことが可能である。歴史上の人物の多くは、どこか傑出したところがあったから名を残したのだろうから、極端に言うと、誰を選んでもかまわないことになる。だからこの本の人物セレクションは、著者の好みがかなり濃厚に反映していると見ていいだろう。本書の解説で井波律子も、「この十六人の顔ぶれの選び方には、陳舜臣氏の志向や好みがくっきりとあらわれており、まことに興味深い」と書いている。
 その16人だが、紀元前6世紀の春秋時代から20世紀まで、時代順に並んでいる。
 第一話は、春秋時代、越王勾践に仕えた軍師の元祖、范蠡。第二話は孔子の弟子で外交の達人、子貢。第三話は、秦の始皇帝の実の父とも言われ、「奇貨居くべし」の名言で知られる大商人、呂不韋。第四は漢の劉邦に仕えた名軍師、張良。第五話が民間に育って帝位についた漢の宣帝。
 こうして一話から五話まで見ると、宣帝は別として、どちらかというと指導者を裏で支えた人物が多い。ではそういう裏方で貢献した人物が中心なのかというと、そうでもなくて、表舞台ではなばなしい活躍を見せた人物もいる。曹操(第六話)。五胡十六国時代の前秦の皇帝、苻堅。北宋の宰相で「改革派」の元祖ともいうべき王安石(第十話)。清の皇帝として中国全土を統一した順治帝(第十四話)。一国の指導者というわけではないが、明の大航海者、鄭和(第十三話)や清末期の将軍、左宗棠(第十五話)も、表舞台の人物だろう。
 一方で、裏方的な人物としては、武即天の重臣だった張説(第八話)、五代十国時代、次々と変わる王朝に重臣として仕えた馮道(第九話)、初期モンゴル帝国の官僚として中華文明の価値を主張し続けた耶律楚材(第十一話)、明の朱元璋の天下取りを支えた重臣である劉基、孫文の同志として辛亥革命のための奔走した黄興(第十六話)などがいる。 孔子ではなく子貢、始皇帝ではなく呂不韋、劉邦ではなく張良、劉備や諸葛亮ではなく曹操、朱元璋ではなく劉基、康煕帝ではなく順治帝、孫文ではなく黄興を選んでいるあたりに、著者の志向が見えるような気がする。
 呂不韋、張良、曹操、耶律楚材など、小説にもなっている人物もいれば(曹操と耶律楚材は陳舜臣が自分で小説にしている)、知る人ぞ知る的なマイナーな人物もいるし、成功した者もいれば失敗した者もいる。総じて著者は、あまりにも「功成り名遂げた」人物や、あまりにも「世間の評価が高い人物」を避けて、それでいて最後まで自分の生き方を曲げなかった人物を好んで取り上げているようだ。
 ところで第七話の苻堅は私もかなり興味がある人物だし、著者も「私は前秦の苻堅の運命を読むとき、いつのまにか涙ぐんでしまう」と書いているくらいで、かなりの思い入れがあるらしい。涙ぐんでしまうとまで書かれている人物は他にいないのだ。陳舜臣は苻堅を長編小説に書いてくれないのだろうか。

中国傑物伝 (中公文庫)

| | コメント (0)

2009年11月27日 (金)

科挙

科挙 中国の試験地獄/宮崎市定(中公文庫BIBLIO,1984)
 オリジナルの中公新書版は1963年刊。ほとんど半世紀近く前に出た本で、今や「科挙」について書かれた本として古典に近い。実はずっと昔に一度読んでいるような気がするので、今回は再読(のはず)。
 科挙はいうまでもなく、隋朝(6世紀)に始まった、近代以前の中国で官吏登用のために行われていた試験で、身分の別なくあらゆる階層の民に開かれていたという点では、当時世界に例を見なかった制度である。ただ、実際には金と時間がたっぷりある家の人間以外は、受験することはまず不可能だったのだが。
 ところで、この本に書かれているのは、1400年にわたって続いた科挙の歴史ではない。序論に歴史についても書かれてはいるが、数ページで片づけられている。本書の内容のほとんどは、清代に完成の域に達した(というか、複雑さの頂点を極めた)、科挙の実態について、ひとつひとつ段階を追って述べていくことに費やされている。サブタイトルの「試験地獄」の名にたがわず、それがまたすさまじいものである。
 まず科挙をめざす受験生は地方試験に合格しなければいけない。これには地方の中心都市である「府」で行われる試験と、その下の「県」(日本の「県」とは違って、もっと小さい行政単位)で行われる試験がある。
 最初に受けるのが「県試」。これが一次試験から五次試験まである。もっとも、重要なのは一次試験で、落第する人間はほとんどこの一次で落ちる。競争率は地方によってかなり違うのだそうだ。この「県試」だけでもかなり過酷な試験なのだが、これに合格してやっと、次の「府試」を受ける資格ができる。
 「府」で行われる「府試」は一次試験から三次試験まで。ここで約半数が振り落とされる。その次が、地方試験の最後である「院試」。これもやはり「府」で行われるが、今までの試験はそれぞれの地方長官が責任者として実施していたのに対し、「院試」は、中央政府から派遣された官僚が実施するので、権威が違うのである。この「院試」は一次試験から四次試験まで。
 これに合格すると「生員」という身分が与えられるが、実はこれは本当の「科挙」を受験する資格を得たというにすぎない。生員というのは科挙を受験するための学校の学生にすぎないのだ。ここまではいわば予備試験である。それでも地方の人間にとっては、生員になるだけでも村を挙げてお祝いする快挙だった。
 試験はまだまだ続く。生員の学力を検査する「歳試」(ただしこれは合否には関係ない)。本試験の第一段階「郷試」を受けるための予備試験である「科試」。
 次がある意味で科挙のクライマックス、各省の首府に数千、数万の生員を集めて行われる「郷試」。無数の個室が並ぶ広大な試験場の様子は圧巻である。この試験場に閉じこめられて、昼も夜も三日間ぶっ続けの試験が3回、ほとんど間をおかずに実施される。発狂する受験生がいたというのもうなずける過酷さである。それを採点する側もまた、すさまじい作業なのだが。
 この試験に合格すると「挙人」の称号を与えられ、これでやっと首都で実施される試験、「会試」の受験資格ができる。が、「会試」を受ける前にもう一つ、「挙人覆試」という再試験を受けなければならない。ここで成績が悪いと受験資格を停止されるのである。
 「挙人覆試」にもパスするとやっと首都に上がって「会試」の受験となる。これも三日間ぶっ続けの試験が3回連続である。この「会試」に合格すると、ついに最後の試験、皇帝自らが試験官となる「殿試」を受けられる。さすがに皇帝がそんなに何回も試験の面倒を見てられないのか、これは一回だけ。この「殿試」に合格すると「進士」となり、晴れて高級官僚への道が開かれる。しかしこれだけの試験をくぐり抜けて官僚になったからといって、その後順調に出世するとは限らないのだった。
 というわけで、わけがわからなくなるくらいの試験を繰り返してやっと合格できるこの仕組みだが、その試験問題で問われているのは、四書五経に関する知識に、詩や定型の美文を綴る能力である。ここまで形骸化、肥大化すると有害無益な制度にしかなってなかったということは、容易に想像がつく。20世紀に入ってすぐに科挙が廃止されたのは当然だったのだろう。というか、よく20世紀までこんなことをやっていたな、という印象である。
 とにかく、このとんでもない試験制度の全貌を、手軽に読めるのはありがたい。これから読もうという人には、「読んで刮目せよ、そして唖然とせよ!」と言いたい。

科挙―中国の試験地獄 (中公文庫BIBLIO)

| | コメント (0)

2009年11月21日 (土)

戦国の群像

戦国の群像/小和田哲男(学研新書,2009)
 戦国史研究の第一人者、小和田哲男による、「ミニ戦国時代大全」みたいな本。
 「群像」といっても、一人一人の人物に焦点を当てた小伝を並べるのではなく、戦国に生きた身分別の集団を描いている。
 その並べ方も、基本的に大名から庶民まで上から下へのライン。実にわかりやすい。「第一章 戦国大名による領国経営」、「第二章 家臣団組織と家臣の生き方」といった具合。以下、第三章が百姓、第四章が商人、第五章が職人と続く。第六章は女性たち、第七章は僧侶・文化人と、上下のラインからはずれた集団を扱っている。いってみれば、戦国に生きた主な集団をすべて網羅している。
 内容もまた多岐にわたっている。全般的説明や、新書版の歴史ものによくある歴史エピソードはもちろんだが、研究動向、古文書や史料の引用、政治経済情勢、図解や地図、技術面の解説、さらには狂言の引用まで出てくる。300ページ足らずの新書(しかも字が大きい)によくこれだけ盛り込んだものである。惜しむらくは索引がついてないのだが、索引があれば、ちょっとした「小事典」として使えたかもしれない。
 ただ、やはり何もかも詰め込みすぎた感はある。なにしろ、第一章の戦国大名はもちろん、第七章まで、「戦国の家臣団」、「戦国の商人たち」、「戦国の女性たち」などと、どれをとっても本1冊書けそうなテーマなのだ。歴史好きを満足させるにはどう考えてもページが足りない。「そこのところ、もうちょっと詳しく知りたい」と思うところばかりの本になってしまっている。「忍者の実像」とか「楽市楽座は信長の発明ではない」とか、部分的におもしろいところはあるが...。まあ、詳しいことは、自分でより専門的な本を探して読め、ということなのだろう。
 戦国時代の基礎知識として、手っ取り早く社会の全体像をつかむには格好の本。戦国時代というと武将ばかりにスポットが当たっている感があるが、当然ながら、戦国時代に生きていたのは武将だけではないのだ。

戦国の群像 (学研新書)

| | コメント (0)

2009年11月 9日 (月)

安禄山

安禄山 皇帝の座をうかがった男/藤善眞澄(中公文庫,2000)
 中国史上の美人と言えば、筆頭に楊貴妃をあげる人が一番多いのではないだろうか。
 だが、楊貴妃が悲劇的な最後を遂げなければ、ここまでの名声は出なかったに違いない。例えば後漢の光武帝の妃である陰麗華はたいそう美人で、しかも性格も良かったらしいが、全然有名じゃない。何の波乱もなく満ち足りた一生を送ったからだろう。クレオパトラも同様だが、美女は悲劇の主人公にならないと、史上の名声を得られないらしいのだ。
 で、楊貴妃を悲劇の主人公にしたのが、安禄山である。安禄山の反乱軍が長安に迫り、都落ちした皇帝一行が蜀に逃げる途中で、兵士たちが「何もかもこの女が悪いんだ、殺せ!」と騒ぎだし、玄宗は泣く泣く楊貴妃を見殺しにした。若い頃は名君とうたわれた玄宗も、この頃には色ボケかつヘタレ、という救いがたい状態に陥っていたことがわかる。とにかく、この一件が楊貴妃の名を不滅にした。安禄山が反乱を起こさなければ、楊貴妃は、単に老皇帝玄宗が息子から横取りした愛人として、歴史の片隅に名を残すに過ぎなかったのではないか。

 というわけで、この本は、楊貴妃物語の名悪役として名高い安禄山を中心とした史伝。オリジナルは人物往来社の「人物叢書」というシリーズの1冊として、1966年に発行されたものである。
 安禄山が中心、とは言っても、実は彼の前半生についてはほとんどわかってない。著者も困ったらしく、この本の半分以上は、玄宗と楊貴妃と、その周辺のことを書いている。安禄山が本格的に表に出てくるのは、反乱を起こしてから。
 ところで本書のサブタイトルには「皇帝の座をうかがった男」とあるが、安禄山は皇帝の座をうかがったのではなく、実際に皇帝になっている。自称だけど。国の名は「燕」で、安禄山は「聖武皇帝」を称した。もちろん年号も建てている。
 で、反乱を起こす前の安禄山の本拠地は范陽郡、今の北京を中心とするあたり(もちろん、この時代にはまだ北京という年はない)。古代の燕国の領域なので、燕の皇帝を称したわけである。そこから黄河まで南下、さらに黄河沿いに進撃して、洛陽、長安を落とした。河北の要地をほぼ手中にしたわけだが、この本を読むと、その領土が、本拠の范陽と洛陽・長安の占領地、その間を結ぶ細長い連絡路という非常にいびつな形だったことがわかる。点と線を占領していたに過ぎないのだ。特に范陽と黄河の間の南北の線が危うく、東の山東、西の山西という唐王朝側の勢力圏から常に側背を衝かれかねない状況にあり、実際にたびたび攻撃を受けている。
 安禄山にもう少し戦略的な視野があるか、もしくは優秀な軍師がいれば、勢いにまかせて一気に洛陽を攻めたりせず、周囲を固めながらじわじわと進撃していく策を選んだかもしれない。強大な軍事力を持っていた安禄山がどこで失敗したのかがよくわかる。
 結局本書を読んで思うのは、安禄山というのは、軍事的にも政治的にも実はあまり大した才能の持ち主ではなかったらしいということである。著者自身、本書の中で、「安禄山もがんらい平凡な人間である」と書いている。
 楊貴妃を有名にしたのは、安禄山の反乱だが、逆に言えば安禄山もまた、楊貴妃の死にからむことによって、平凡な逆賊から、史上もっとも有名な反乱者の一人になれたのかもしれない。

| | コメント (0)

2009年10月31日 (土)

王妃オリュンピアス

王妃オリュンピアス アレクサンドロス大王の母/森谷公俊(ちくま新書,1998)
 アレクサンドロス大王に関する本は何冊もあるが、ほとんどが大王個人だけにスポットを当てている。まあ、当たり前と言えば当たり前だが。その周辺のマケドニア王家の人々を描いた本は、わりと珍しいのではないだろうか。著者は古代ギリシアを専門とする歴史学者。
 内容は人物を中心としたマケドニア王室史というべきものであり、歴史というより人物小伝を集めたもの、という印象である。同名の人間がやたら出てくるのでややこしいが、見慣れない固有名詞の洪水にある程度慣れると、小説的なおもしろさがある。

 アレクサンドロス大王その人が、歴史上に例を見ない異才であったことは間違いないが、その周囲のマケドニア王家の人々も、なかなかに印象深いキャラクターが揃っているのだ。
 まずは本書の主人公であり、稀代の悪女の汚名を着せられて非業の最期を遂げた女傑、オリュンピアス。その夫で、ギリシアの覇者となりながら暗殺されたフィリッポス2世。フィリッポスの7番目の妻で、暗殺事件の一因を作ったとも言われるクレオパトラ。アレクサンドロスの妹で、オリュンピアスの弟であるモロッソイ(エペイロス)王に嫁いだ同じ名前のクレオパトラ。クレオパトラというのは、エジプト女王として有名だが、マケドニア人にはよくある女性名らしい。なお、妹のクレオパトラの夫であるモロッソイ王は、これまたアレクサンドロスという名である。実にややこしい。
 さらに、アレクサンドロスの異母妹で、好戦的なイリュリア人の血をひくキュンナと、その娘(つまりアレクサンドロスの姪)で、自ら軍を率いて戦場に出たエウリュディケ。大王の妻となったペルシア人ロクサネ。大王のもう一人の異母妹で、マケドニア王家を簒奪したカッサンドロスの王妃となったテッサロニケ。
 こうして見ると、主要人物たちはほとんど女性である。「マケドニア王家の女たち」というタイトルにしてもよかったかもしれない。
 それにしても、マケドニア王家とそれに関わる人々は、呪われているのかと思うほど、みんなろくな死に方をしていない。アレクサンドロス大王自身は病死しているのだが、それ以外は権力争いの渦中で、ほとんどが非業の死を遂げているのだ。まあ、自業自得というか、互いに殺し合ったケースもかなりあるのだが。
 エピローグで、著者自身が、「オリュンピアスを主人公としながら、本書の後半は、エウリュディケを含めた前四世紀後半マケドニア王家の女性たちの死闘の物語となった」と書いている。メインテーマであるオリュンピアスに限らず、血なまぐさい権力闘争の中で散っていった悲劇の女性たちに、著者もかなり思い入れがあるようだ。特に、ここにも名前が出てくる、「戦う王女」エウリュディケなど。

 ところで、岩明均が『月刊アフタヌーン』に連載しているマンガ『ヒストリエ』にもこのへんの女性たちがやがて出てくると思うのだが、どんな描かれ方をするのだろうか。なお、『ヒストリエ』の単行本5巻にエウリュディケという女性が出てくるが、これは年代からして上のエウリュディケとは別人。フィリッポスの第7夫人クレオパトラにあたる人物らしい(名前について、2説あるのだ)。今のペースだと、大王の姪のエウリュディケが出てくるのが何年先になるのかわからない(というか、出てくるのか?)。

| | コメント (0)

2009年10月21日 (水)

大英帝国衰亡史

大英帝国衰亡史/中西輝政(PHP文庫,2004)
 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』は、文庫本(ちくま文庫版)で10冊にもなる大著だが、この本は、ローマ帝国をはるかに超える版図を誇った大英帝国の興亡を、1冊で語ろうという野心的な試み。だが、内容が薄いとか駆け足とかいう印象はない。
 著者はまず、第一章で大英帝国の興亡の歴史の全体像を概説するのだが、「人類史の奇跡」とまで呼ぶイギリスの繁栄を、思想や理念といった精神的側面から説明しているのが独特。

「大国としてのイギリス」の本質が物質的要因ではなく、何らかの意味で、その精神にあったことを示しているように思われるのである。 (p.29)

 第二章、第三章は、17世紀末から19世紀までのイギリスの全盛時代を、それを支えたエリートたちに着目して語る。第三章「英国を支えた異端の紳士たち」で描かれる、まさに独立不羈という言葉がふさわしいイギリス貴族たちの群像が印象的。彼らの活躍を支えた精神的基盤として、「気骨」、「品性」、「気概」といった言葉がやたらと出てくる。
 第四章からが本書のメインとなる部分で、全盛期を過ぎた大英帝国の、19世紀後半からのゆるやかな衰亡の歴史。しかし、これほど説明が難しい衰亡史は、他にないだろう。
 19世紀末から20世紀にかけて、いくつかの戦争が大英帝国の衰亡を加速していった。
 1881年から20年近くにわたって、スーダンで続いた植民地反乱との戦い(いわゆる「マフディー戦争」)。20世紀初頭の南アフリカでの「ボーア戦争」。第一次世界大戦と第二次世界大戦。そして、かろうじて残っていた「帝国の幻想」を決定的に打ち砕いた1957年のスエズ戦争。
 素人に理解し難いのは、これらの戦争が、最後のスエズ戦争を除いて、すべてイギリスの勝利で終わっているということだ。「世界帝国はけっして大戦争によって滅亡することはない」と、著者は言う(p.186)。それどころか、大英帝国は、戦争に勝つたびにますます衰退していったのだ。
 大英帝国の本質をその精神に帰する著者は、当然ながら、この衰退の過程も、その視点から見る。
 「マフディー戦争」(本書にはこの言葉は出てこないが)では、現地の総督が反乱軍(現在なら、「イスラム原理主義武装勢力」とでも呼ばれることだろう)に殺されたことで、イギリスの世論の熱狂を生み、大軍が派遣されて反乱は鎮圧される。だが、国が世論の狂躁に動かされることは、帝国の精神の衰弱を示すものに他ならない。著者によれば、この時期が大英帝国の「折り返し点」だったという。
 南アフリカでのイギリスの露骨な侵略戦争であるボーア戦争は、勝利に終わりはしたが、そのあまりの道義の欠如により、帝国への幻滅が広がる。
 そして、第一次世界大戦での、膨大な数の人材の損失。1914年の時点で50才以下であったイギリス貴族の20パーセントが戦史したのだそうだ。帝国を支えてきた貴族たちの、もっとも勇敢な者たちが死に、生き残った者も深い心の傷を負った。
 得るものより失うものが大きい勝利の連続が、帝国を精神的に疲弊させていったのである。
 とどめが第二次世界大戦。チャーチルの「徹底抗戦」は、イギリスらしからぬ選択だった。「選択を誤った」と著者は断言する。チャーチルはナチス・ドイツに対して、かつての大英帝国にあった老獪な利害計算を抜きにした、犠牲を度外視した総力戦を挑む。その結果で戦争には勝ったが、イギリスは破産状態になってしまったのだ。
 そして最後に1956年、スエズ戦争の無惨な失敗が、大英帝国がもはや存在しないことを世界に示した。この戦争も、純軍事的には、イギリスは負けていない。イスラエルをけしかけてエジプトと戦わせ(第二次中東戦争とも言われる)、どさくさにまぎれてスエズ運河沿いの要衝ポートサイドを占領する。だが、国際社会(特にソ連とアメリカ)からの強硬な反対と圧力を受け、スエズ運河を手放して撤退せざるを得なくなる。この戦争でのイギリスの動きを、著者は「浅薄」と切り捨てる。もはやかつての大英帝国の偉大な精神のかけらも残ってない、ということなのだろう。

 と、以上が著者の説く大英帝国の衰亡の過程。
 学術的というには、時としていささかドラマチックすぎる著者の文章は、読み応えがある(「」がやや多すぎる気もするが)。だから、読み進んでいる内はすんなりと理解できた気になるのだが、よく考えてみると、一国の衰退の精神的な背景など、証明しようがない。著者独自の視点による、かなり強力なバイアスがかかっていることは意識せざるを得ない。
 ただ言えるのは、史上最大の帝国であったイギリスが、「戦争に勝つたびに衰退を早めていった」事実を、本書がきわめておもしろい物語として語っているということ。まあ、歴史好きの一読者としては、それで十分である。
 単行本は1997年、香港返還の年に出版された。その年の毎日出版文化賞、山本七平賞をダブル受賞している。

大英帝国衰亡史 PHP文庫

| | コメント (0)

2009年9月13日 (日)

8月に読んだ本から

二壜の調味料/ロード・ダンセイニ;小林晋訳(ハヤカワ・ミステリ,2009)
 ロード・ダンセイニのミステリ短篇集。日本では、ファンタジーで名の売れた作家がミステリも書くことに何の不思議も感じない。外国でもまあ、基本的には変わりがない。が、ダンセイニとなると別である。ファンタジーで誰にも真似のできない独自の世界を築いた人が、ミステリを書く、ということに奇異な印象を持ってしまう。
 では、ダンセイニのミステリというのはどんなものなのだろうか。
 1編が短い。330ページほどの本に26編収録。1編あたり10ページ前後。ダンセイニの作品はファンタジーでもこれくらいの長さが普通である。
前半の9編が、スメザーズという男を語り手とする連作。スメザーズは「ナムヌモ」という変な名前の調味料を売って歩いている行商人で、同じフラットの同居人であるリンリーという青年が探偵役。
 シリーズ第1作で表題作にもなっている「二壜の調味料」は、死体なき殺人事件の謎を追う話で、犯人が死体をどうやって始末したかが焦点になっている。
本書の解説によると、この作品、江戸川乱歩から「奇妙な味」の代表作と激賞され、60年以上にわたって各種アンソロジーに収録されている傑作とのこと。スメザーズのまどろっこしい語り口が独特のムードを醸し出す中、最後に切れ味鋭いオチの一言が来るあたり、確かに印象的ではある。だが、60年前はショッキングだったかもしれないが、現在では「なるほどねえ」で済んでしまう結末でもある。
 この作品もそうだが、本書に収録された作品の共通する傾向として、いかにもミステリらしい「犯人捜し」や「動機の解明」や「アリバイ崩し」に関わる話は少なく、「犯人、あるいは探偵が、問題をどう解決したか」を語るものが多い。
 表題作の他に印象に残る作品として、「演説」がある。これも、「問題解決型」ストーリーの典型。国際情勢が不穏な時期、過激な言動で知られる国会議員が議院で演説を予定している。その演説が戦争を引き起こす危険があるとして、ある組織が中止するよう圧力をかけてくる。演説をやめさせるためなら、殺人も辞さないというのだ。議員は脅迫をきっぱりとはねつけ、警察が大量に動員されて彼の身辺を警備する。そして演説が予定されている当日、水も漏らさぬ鉄壁の護衛陣に守られた議員は議事堂に向かうが、その時、組織が取った行動は...。
 この結末は意表をつかれた。まさにイギリスの貴族ならではの発想である。
 ただ、大半の作品は、正直それほどのインパクトはない。「問題解決」が話のメインなので、そこの部分がよほどよくできていない限り、ドラマ性やスリルに欠ける面を補えないのだ。ファンタジー作品に見られる簡潔で引き締まった文章も見られない。どうも、ダンセイニにはやはりミステリの資質はないような気がする。私にとって(多分多くの人々にとってもそうだろうが)、ダンセイニはやはり『ペガーナの神々』の作者であり、それが一番ふさわしい。
 なお、少数だがミステリ以外の作品も混じっていて、古代の恐怖が甦る「アテーナーの盾」はファンタジー、チェス・ロボットを描いた「新しい名人」と、核兵器開発を巡る謀略劇「消えた科学者」は、ミステリ以上に珍しいSF的作品。どれも純粋ミステリよりは面白い。

二壜の調味料 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

戦国の城を歩く/千田嘉博(ちくま学芸文庫,2009)
 「ちくまプリマーブックス」から2002年に初版が出て、「ちくま学芸文庫」で再刊されたもの。
 「ちくまプリマーブックス」は今は「ちくまプリマー新書」に受け継がれているが、本来は中高生くらいを対象としたシリーズである。ある程度の学術的な内容を含んでいながら、当然ながら内容はきわめてわかりやすい。入門書としては最適である。
同じパターンとしては、網野善彦『日本の歴史をよみなおす』、 若桑みどり『イメージを読む』、黒田日出男『絵画史料で歴史を読む』などがあり、なかなかあなどれないシリーズである。

 それはともかく、この本は戦国時代を中心とした城について、調査研究の立場から初心者にもわかるように解説したものである。なにしろ、「城歩き」のすすめから入るのだからすごい。
 城郭好きにもレベルがあって、天守などの建物にしか興味がないのは超初心者、少しレベルが上がると、石垣とか堀、土塁しか残ってない遺構にも興味を持つようになる。さらに上のレベルになると、外観からはただの山にしか見えないところに、藪をかき分けて入り込み、草木に埋もれた曲輪や土塁、空堀の跡を見つけて往時の「縄張り」を再現することに情熱を燃やすようになる。これが「城歩き」である。「城歩きをすることは知的で活動的な生き方です」と著者は言うが、中学生や高校生に城歩きを勧めてどうするのかという気もする。
 だが、「城歩き」というのは、建物こそが城だと思っている人にとっては、城というものに対する見方ががらっと変わってくる概念であることには間違いなく、最初にこういうカルチャー・ショックを与えておくのは有効かもしれない。
 後半は、観音寺城、安土城、岐阜城などを取り上げて、戦国時代の城の発達史を解説しているが、ここにも研究者ならではの視点が見てとれて興味深い。さらに、巻末の参考文献一覧にも、城跡の発掘調査報告書や学術雑誌の論文などが並んでいる。本格的な城郭研究への手引き書にもなっているのだ。元が「プリマーブックス」だからといってあなどれない。
 「天守閣」イコール「城」だと思っている人にこそ、読んでもらいたい本である。

戦国の城を歩く (ちくま学芸文庫)

| | コメント (0)

2009年9月 6日 (日)

フランス中世史夜話

フランス中世史夜話/渡邊昌美(白水社,1993)
 フランス中世史の専門家が語る、ヨーロッパ中世の様々なエピソードを中心にした史談集。タイトルには「フランス」とあるが、フランスを中心にした西ヨーロッパ全般を扱っている。読んだのはハードカバーだが、その後、白水Uブックスから再刊された。
 26の章に分かれているが、全体的な構成があるわけでもなく、章に番号がふられているわけでもない。要は、どこから読んでもかまわないということだろう。こういうエピソード集みたいな本には、その方がふさわしいかもしれない。
 内容は、歴史の概説には出てこないような小ネタがほとんどで、歴史ファンにはそこが惹かれるところ。 ただ、時代や地域についての全般的な説明は何もないので、逆に歴史に詳しくない人が読むと、とっつきにくいかもしれない。
 例えば、最初の章「騎士のおそれ」。一見華やかに見える中世騎士の内実と、騎士が合戦の主役から引きずり下ろされる有様を、実際の戦いのエピソードに基づいて語っているのだが、冒頭、いきなり、「ノートルダム聖堂の塔や聖マルタン僧院の鐘楼からは、北西の野がよく見えた」という当時の年代記の引用で始まる。引用に続く本文は、「一三〇二年七月十一日、フランドル諸都市の連合軍はクールトレー公害にフランス国王軍を撃破した」と、淡々と事実を報告していく。
 この時なぜフランス国王軍とフランドル諸都市連合軍が戦うことになったのかは、後の文章をよく読むとわかるようになっているのだが、当時のフランス王国やフランドル地方の地理的、政治的状況全般についての説明(例えばこの当時のフランドルはオランダ独立のはるか以前、ブルゴーニュやスペインの領土になるよりも前で、神聖ローマ帝国の一地方にすぎない、とか)は、特に書いてない。改めて説明するまでもなく、読者がある程度知っていることを想定しているのだろう。

 とはいえ、細かいことを気にせず、知らない地名や人名が頻出するのはファンタジーでも読んでるつもりになれば、それはそれで結構おもしろいかもしれない。
 実際、「建国者コナン」では、ブルターニュの伝説上の建国者コナン王、「海底の都」では、同じくブルターニュの伝説に出てくる海に沈んだ都イス(往年のパソコンゲーム「イース」の名前の元になった)、「ジェヴォーダンの魔獣」では、映画にもなったフランス南部での魔獣騒ぎ、「蛇体の妃」では、名門リュジニャン家の開祖にまつわる蛇体妃メリュジーヌの伝説について語っている。他にも異端、亡霊、異教の伝説といった、歴史の裏側に隠されたエピソードが数多く取り上げられていて、ファンタジーのネタを探したい人には役立ちそうな本でもある。

 ただ、ヨーロッパ中世について、「暗黒の中世」とはいうが、実はそんなに暗黒でもなかったのだよ――と、最近の歴史の本では復権する傾向にあるだが、この本はそんな動きに逆行している。残酷な事件、凄惨な戦い、怪しげな伝説、息苦しいキリスト教の桎梏、そんなものばかりが目について、血なまぐさい暗黒の時代、というイメージが補強されてしまう。それはそれで、「文明的な中世」よりおもしろかったりするから困るのだが。

フランス中世史夜話 (白水Uブックス)
(白水Uブックス版)

| | コメント (0)

より以前の記事一覧