歴史

2009年11月 9日 (月)

安禄山

安禄山 皇帝の座をうかがった男/藤善眞澄(中公文庫,2000)
 中国史上の美人と言えば、筆頭に楊貴妃をあげる人が一番多いのではないだろうか。
 だが、楊貴妃が悲劇的な最後を遂げなければ、ここまでの名声は出なかったに違いない。例えば後漢の光武帝の妃である陰麗華はたいそう美人で、しかも性格も良かったらしいが、全然有名じゃない。何の波乱もなく満ち足りた一生を送ったからだろう。クレオパトラも同様だが、美女は悲劇の主人公にならないと、史上の名声を得られないらしいのだ。
 で、楊貴妃を悲劇の主人公にしたのが、安禄山である。安禄山の反乱軍が長安に迫り、都落ちした皇帝一行が蜀に逃げる途中で、兵士たちが「何もかもこの女が悪いんだ、殺せ!」と騒ぎだし、玄宗は泣く泣く楊貴妃を見殺しにした。若い頃は名君とうたわれた玄宗も、この頃には色ボケかつヘタレ、という救いがたい状態に陥っていたことがわかる。とにかく、この一件が楊貴妃の名を不滅にした。安禄山が反乱を起こさなければ、楊貴妃は、単に老皇帝玄宗が息子から横取りした愛人として、歴史の片隅に名を残すに過ぎなかったのではないか。

 というわけで、この本は、楊貴妃物語の名悪役として名高い安禄山を中心とした史伝。オリジナルは人物往来社の「人物叢書」というシリーズの1冊として、1966年に発行されたものである。
 安禄山が中心、とは言っても、実は彼の前半生についてはほとんどわかってない。著者も困ったらしく、この本の半分以上は、玄宗と楊貴妃と、その周辺のことを書いている。安禄山が本格的に表に出てくるのは、反乱を起こしてから。
 ところで本書のサブタイトルには「皇帝の座をうかがった男」とあるが、安禄山は皇帝の座をうかがったのではなく、実際に皇帝になっている。自称だけど。国の名は「燕」で、安禄山は「聖武皇帝」を称した。もちろん年号も建てている。
 で、反乱を起こす前の安禄山の本拠地は范陽郡、今の北京を中心とするあたり(もちろん、この時代にはまだ北京という年はない)。古代の燕国の領域なので、燕の皇帝を称したわけである。そこから黄河まで南下、さらに黄河沿いに進撃して、洛陽、長安を落とした。河北の要地をほぼ手中にしたわけだが、この本を読むと、その領土が、本拠の范陽と洛陽・長安の占領地、その間を結ぶ細長い連絡路という非常にいびつな形だったことがわかる。点と線を占領していたに過ぎないのだ。特に范陽と黄河の間の南北の線が危うく、東の山東、西の山西という唐王朝側の勢力圏から常に側背を衝かれかねない状況にあり、実際にたびたび攻撃を受けている。
 安禄山にもう少し戦略的な視野があるか、もしくは優秀な軍師がいれば、勢いにまかせて一気に洛陽を攻めたりせず、周囲を固めながらじわじわと進撃していく策を選んだかもしれない。強大な軍事力を持っていた安禄山がどこで失敗したのかがよくわかる。
 結局本書を読んで思うのは、安禄山というのは、軍事的にも政治的にも実はあまり大した才能の持ち主ではなかったらしいということである。著者自身、本書の中で、「安禄山もがんらい平凡な人間である」と書いている。
 楊貴妃を有名にしたのは、安禄山の反乱だが、逆に言えば安禄山もまた、楊貴妃の死にからむことによって、平凡な逆賊から、史上もっとも有名な反乱者の一人になれたのかもしれない。

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2009年10月31日 (土)

王妃オリュンピアス

王妃オリュンピアス アレクサンドロス大王の母/森谷公俊(ちくま新書,1998)
 アレクサンドロス大王に関する本は何冊もあるが、ほとんどが大王個人だけにスポットを当てている。まあ、当たり前と言えば当たり前だが。その周辺のマケドニア王家の人々を描いた本は、わりと珍しいのではないだろうか。著者は古代ギリシアを専門とする歴史学者。
 内容は人物を中心としたマケドニア王室史というべきものであり、歴史というより人物小伝を集めたもの、という印象である。同名の人間がやたら出てくるのでややこしいが、見慣れない固有名詞の洪水にある程度慣れると、小説的なおもしろさがある。

 アレクサンドロス大王その人が、歴史上に例を見ない異才であったことは間違いないが、その周囲のマケドニア王家の人々も、なかなかに印象深いキャラクターが揃っているのだ。
 まずは本書の主人公であり、稀代の悪女の汚名を着せられて非業の最期を遂げた女傑、オリュンピアス。その夫で、ギリシアの覇者となりながら暗殺されたフィリッポス2世。フィリッポスの7番目の妻で、暗殺事件の一因を作ったとも言われるクレオパトラ。アレクサンドロスの妹で、オリュンピアスの弟であるモロッソイ(エペイロス)王に嫁いだ同じ名前のクレオパトラ。クレオパトラというのは、エジプト女王として有名だが、マケドニア人にはよくある女性名らしい。なお、妹のクレオパトラの夫であるモロッソイ王は、これまたアレクサンドロスという名である。実にややこしい。
 さらに、アレクサンドロスの異母妹で、好戦的なイリュリア人の血をひくキュンナと、その娘(つまりアレクサンドロスの姪)で、自ら軍を率いて戦場に出たエウリュディケ。大王の妻となったペルシア人ロクサネ。大王のもう一人の異母妹で、マケドニア王家を簒奪したカッサンドロスの王妃となったテッサロニケ。
 こうして見ると、主要人物たちはほとんど女性である。「マケドニア王家の女たち」というタイトルにしてもよかったかもしれない。
 それにしても、マケドニア王家とそれに関わる人々は、呪われているのかと思うほど、みんなろくな死に方をしていない。アレクサンドロス大王自身は病死しているのだが、それ以外は権力争いの渦中で、ほとんどが非業の死を遂げているのだ。まあ、自業自得というか、互いに殺し合ったケースもかなりあるのだが。
 エピローグで、著者自身が、「オリュンピアスを主人公としながら、本書の後半は、エウリュディケを含めた前四世紀後半マケドニア王家の女性たちの死闘の物語となった」と書いている。メインテーマであるオリュンピアスに限らず、血なまぐさい権力闘争の中で散っていった悲劇の女性たちに、著者もかなり思い入れがあるようだ。特に、ここにも名前が出てくる、「戦う王女」エウリュディケなど。

 ところで、岩明均が『月刊アフタヌーン』に連載しているマンガ『ヒストリエ』にもこのへんの女性たちがやがて出てくると思うのだが、どんな描かれ方をするのだろうか。なお、『ヒストリエ』の単行本5巻にエウリュディケという女性が出てくるが、これは年代からして上のエウリュディケとは別人。フィリッポスの第7夫人クレオパトラにあたる人物らしい(名前について、2説あるのだ)。今のペースだと、大王の姪のエウリュディケが出てくるのが何年先になるのかわからない(というか、出てくるのか?)。

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2009年10月21日 (水)

大英帝国衰亡史

大英帝国衰亡史/中西輝政(PHP文庫,2004)
 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』は、文庫本(ちくま文庫版)で10冊にもなる大著だが、この本は、ローマ帝国をはるかに超える版図を誇った大英帝国の興亡を、1冊で語ろうという野心的な試み。だが、内容が薄いとか駆け足とかいう印象はない。
 著者はまず、第一章で大英帝国の興亡の歴史の全体像を概説するのだが、「人類史の奇跡」とまで呼ぶイギリスの繁栄を、思想や理念といった精神的側面から説明しているのが独特。

「大国としてのイギリス」の本質が物質的要因ではなく、何らかの意味で、その精神にあったことを示しているように思われるのである。 (p.29)

 第二章、第三章は、17世紀末から19世紀までのイギリスの全盛時代を、それを支えたエリートたちに着目して語る。第三章「英国を支えた異端の紳士たち」で描かれる、まさに独立不羈という言葉がふさわしいイギリス貴族たちの群像が印象的。彼らの活躍を支えた精神的基盤として、「気骨」、「品性」、「気概」といった言葉がやたらと出てくる。
 第四章からが本書のメインとなる部分で、全盛期を過ぎた大英帝国の、19世紀後半からのゆるやかな衰亡の歴史。しかし、これほど説明が難しい衰亡史は、他にないだろう。
 19世紀末から20世紀にかけて、いくつかの戦争が大英帝国の衰亡を加速していった。
 1881年から20年近くにわたって、スーダンで続いた植民地反乱との戦い(いわゆる「マフディー戦争」)。20世紀初頭の南アフリカでの「ボーア戦争」。第一次世界大戦と第二次世界大戦。そして、かろうじて残っていた「帝国の幻想」を決定的に打ち砕いた1957年のスエズ戦争。
 素人に理解し難いのは、これらの戦争が、最後のスエズ戦争を除いて、すべてイギリスの勝利で終わっているということだ。「世界帝国はけっして大戦争によって滅亡することはない」と、著者は言う(p.186)。それどころか、大英帝国は、戦争に勝つたびにますます衰退していったのだ。
 大英帝国の本質をその精神に帰する著者は、当然ながら、この衰退の過程も、その視点から見る。
 「マフディー戦争」(本書にはこの言葉は出てこないが)では、現地の総督が反乱軍(現在なら、「イスラム原理主義武装勢力」とでも呼ばれることだろう)に殺されたことで、イギリスの世論の熱狂を生み、大軍が派遣されて反乱は鎮圧される。だが、国が世論の狂躁に動かされることは、帝国の精神の衰弱を示すものに他ならない。著者によれば、この時期が大英帝国の「折り返し点」だったという。
 南アフリカでのイギリスの露骨な侵略戦争であるボーア戦争は、勝利に終わりはしたが、そのあまりの道義の欠如により、帝国への幻滅が広がる。
 そして、第一次世界大戦での、膨大な数の人材の損失。1914年の時点で50才以下であったイギリス貴族の20パーセントが戦史したのだそうだ。帝国を支えてきた貴族たちの、もっとも勇敢な者たちが死に、生き残った者も深い心の傷を負った。
 得るものより失うものが大きい勝利の連続が、帝国を精神的に疲弊させていったのである。
 とどめが第二次世界大戦。チャーチルの「徹底抗戦」は、イギリスらしからぬ選択だった。「選択を誤った」と著者は断言する。チャーチルはナチス・ドイツに対して、かつての大英帝国にあった老獪な利害計算を抜きにした、犠牲を度外視した総力戦を挑む。その結果で戦争には勝ったが、イギリスは破産状態になってしまったのだ。
 そして最後に1956年、スエズ戦争の無惨な失敗が、大英帝国がもはや存在しないことを世界に示した。この戦争も、純軍事的には、イギリスは負けていない。イスラエルをけしかけてエジプトと戦わせ(第二次中東戦争とも言われる)、どさくさにまぎれてスエズ運河沿いの要衝ポートサイドを占領する。だが、国際社会(特にソ連とアメリカ)からの強硬な反対と圧力を受け、スエズ運河を手放して撤退せざるを得なくなる。この戦争でのイギリスの動きを、著者は「浅薄」と切り捨てる。もはやかつての大英帝国の偉大な精神のかけらも残ってない、ということなのだろう。

 と、以上が著者の説く大英帝国の衰亡の過程。
 学術的というには、時としていささかドラマチックすぎる著者の文章は、読み応えがある(「」がやや多すぎる気もするが)。だから、読み進んでいる内はすんなりと理解できた気になるのだが、よく考えてみると、一国の衰退の精神的な背景など、証明しようがない。著者独自の視点による、かなり強力なバイアスがかかっていることは意識せざるを得ない。
 ただ言えるのは、史上最大の帝国であったイギリスが、「戦争に勝つたびに衰退を早めていった」事実を、本書がきわめておもしろい物語として語っているということ。まあ、歴史好きの一読者としては、それで十分である。
 単行本は1997年、香港返還の年に出版された。その年の毎日出版文化賞、山本七平賞をダブル受賞している。

大英帝国衰亡史 PHP文庫

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2009年9月13日 (日)

8月に読んだ本から

二壜の調味料/ロード・ダンセイニ;小林晋訳(ハヤカワ・ミステリ,2009)
 ロード・ダンセイニのミステリ短篇集。日本では、ファンタジーで名の売れた作家がミステリも書くことに何の不思議も感じない。外国でもまあ、基本的には変わりがない。が、ダンセイニとなると別である。ファンタジーで誰にも真似のできない独自の世界を築いた人が、ミステリを書く、ということに奇異な印象を持ってしまう。
 では、ダンセイニのミステリというのはどんなものなのだろうか。
 1編が短い。330ページほどの本に26編収録。1編あたり10ページ前後。ダンセイニの作品はファンタジーでもこれくらいの長さが普通である。
前半の9編が、スメザーズという男を語り手とする連作。スメザーズは「ナムヌモ」という変な名前の調味料を売って歩いている行商人で、同じフラットの同居人であるリンリーという青年が探偵役。
 シリーズ第1作で表題作にもなっている「二壜の調味料」は、死体なき殺人事件の謎を追う話で、犯人が死体をどうやって始末したかが焦点になっている。
本書の解説によると、この作品、江戸川乱歩から「奇妙な味」の代表作と激賞され、60年以上にわたって各種アンソロジーに収録されている傑作とのこと。スメザーズのまどろっこしい語り口が独特のムードを醸し出す中、最後に切れ味鋭いオチの一言が来るあたり、確かに印象的ではある。だが、60年前はショッキングだったかもしれないが、現在では「なるほどねえ」で済んでしまう結末でもある。
 この作品もそうだが、本書に収録された作品の共通する傾向として、いかにもミステリらしい「犯人捜し」や「動機の解明」や「アリバイ崩し」に関わる話は少なく、「犯人、あるいは探偵が、問題をどう解決したか」を語るものが多い。
 表題作の他に印象に残る作品として、「演説」がある。これも、「問題解決型」ストーリーの典型。国際情勢が不穏な時期、過激な言動で知られる国会議員が議院で演説を予定している。その演説が戦争を引き起こす危険があるとして、ある組織が中止するよう圧力をかけてくる。演説をやめさせるためなら、殺人も辞さないというのだ。議員は脅迫をきっぱりとはねつけ、警察が大量に動員されて彼の身辺を警備する。そして演説が予定されている当日、水も漏らさぬ鉄壁の護衛陣に守られた議員は議事堂に向かうが、その時、組織が取った行動は...。
 この結末は意表をつかれた。まさにイギリスの貴族ならではの発想である。
 ただ、大半の作品は、正直それほどのインパクトはない。「問題解決」が話のメインなので、そこの部分がよほどよくできていない限り、ドラマ性やスリルに欠ける面を補えないのだ。ファンタジー作品に見られる簡潔で引き締まった文章も見られない。どうも、ダンセイニにはやはりミステリの資質はないような気がする。私にとって(多分多くの人々にとってもそうだろうが)、ダンセイニはやはり『ペガーナの神々』の作者であり、それが一番ふさわしい。
 なお、少数だがミステリ以外の作品も混じっていて、古代の恐怖が甦る「アテーナーの盾」はファンタジー、チェス・ロボットを描いた「新しい名人」と、核兵器開発を巡る謀略劇「消えた科学者」は、ミステリ以上に珍しいSF的作品。どれも純粋ミステリよりは面白い。

二壜の調味料 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

戦国の城を歩く/千田嘉博(ちくま学芸文庫,2009)
 「ちくまプリマーブックス」から2002年に初版が出て、「ちくま学芸文庫」で再刊されたもの。
 「ちくまプリマーブックス」は今は「ちくまプリマー新書」に受け継がれているが、本来は中高生くらいを対象としたシリーズである。ある程度の学術的な内容を含んでいながら、当然ながら内容はきわめてわかりやすい。入門書としては最適である。
同じパターンとしては、網野善彦『日本の歴史をよみなおす』、 若桑みどり『イメージを読む』、黒田日出男『絵画史料で歴史を読む』などがあり、なかなかあなどれないシリーズである。

 それはともかく、この本は戦国時代を中心とした城について、調査研究の立場から初心者にもわかるように解説したものである。なにしろ、「城歩き」のすすめから入るのだからすごい。
 城郭好きにもレベルがあって、天守などの建物にしか興味がないのは超初心者、少しレベルが上がると、石垣とか堀、土塁しか残ってない遺構にも興味を持つようになる。さらに上のレベルになると、外観からはただの山にしか見えないところに、藪をかき分けて入り込み、草木に埋もれた曲輪や土塁、空堀の跡を見つけて往時の「縄張り」を再現することに情熱を燃やすようになる。これが「城歩き」である。「城歩きをすることは知的で活動的な生き方です」と著者は言うが、中学生や高校生に城歩きを勧めてどうするのかという気もする。
 だが、「城歩き」というのは、建物こそが城だと思っている人にとっては、城というものに対する見方ががらっと変わってくる概念であることには間違いなく、最初にこういうカルチャー・ショックを与えておくのは有効かもしれない。
 後半は、観音寺城、安土城、岐阜城などを取り上げて、戦国時代の城の発達史を解説しているが、ここにも研究者ならではの視点が見てとれて興味深い。さらに、巻末の参考文献一覧にも、城跡の発掘調査報告書や学術雑誌の論文などが並んでいる。本格的な城郭研究への手引き書にもなっているのだ。元が「プリマーブックス」だからといってあなどれない。
 「天守閣」イコール「城」だと思っている人にこそ、読んでもらいたい本である。

戦国の城を歩く (ちくま学芸文庫)

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2009年9月 6日 (日)

フランス中世史夜話

フランス中世史夜話/渡邊昌美(白水社,1993)
 フランス中世史の専門家が語る、ヨーロッパ中世の様々なエピソードを中心にした史談集。タイトルには「フランス」とあるが、フランスを中心にした西ヨーロッパ全般を扱っている。読んだのはハードカバーだが、その後、白水Uブックスから再刊された。
 26の章に分かれているが、全体的な構成があるわけでもなく、章に番号がふられているわけでもない。要は、どこから読んでもかまわないということだろう。こういうエピソード集みたいな本には、その方がふさわしいかもしれない。
 内容は、歴史の概説には出てこないような小ネタがほとんどで、歴史ファンにはそこが惹かれるところ。 ただ、時代や地域についての全般的な説明は何もないので、逆に歴史に詳しくない人が読むと、とっつきにくいかもしれない。
 例えば、最初の章「騎士のおそれ」。一見華やかに見える中世騎士の内実と、騎士が合戦の主役から引きずり下ろされる有様を、実際の戦いのエピソードに基づいて語っているのだが、冒頭、いきなり、「ノートルダム聖堂の塔や聖マルタン僧院の鐘楼からは、北西の野がよく見えた」という当時の年代記の引用で始まる。引用に続く本文は、「一三〇二年七月十一日、フランドル諸都市の連合軍はクールトレー公害にフランス国王軍を撃破した」と、淡々と事実を報告していく。
 この時なぜフランス国王軍とフランドル諸都市連合軍が戦うことになったのかは、後の文章をよく読むとわかるようになっているのだが、当時のフランス王国やフランドル地方の地理的、政治的状況全般についての説明(例えばこの当時のフランドルはオランダ独立のはるか以前、ブルゴーニュやスペインの領土になるよりも前で、神聖ローマ帝国の一地方にすぎない、とか)は、特に書いてない。改めて説明するまでもなく、読者がある程度知っていることを想定しているのだろう。

 とはいえ、細かいことを気にせず、知らない地名や人名が頻出するのはファンタジーでも読んでるつもりになれば、それはそれで結構おもしろいかもしれない。
 実際、「建国者コナン」では、ブルターニュの伝説上の建国者コナン王、「海底の都」では、同じくブルターニュの伝説に出てくる海に沈んだ都イス(往年のパソコンゲーム「イース」の名前の元になった)、「ジェヴォーダンの魔獣」では、映画にもなったフランス南部での魔獣騒ぎ、「蛇体の妃」では、名門リュジニャン家の開祖にまつわる蛇体妃メリュジーヌの伝説について語っている。他にも異端、亡霊、異教の伝説といった、歴史の裏側に隠されたエピソードが数多く取り上げられていて、ファンタジーのネタを探したい人には役立ちそうな本でもある。

 ただ、ヨーロッパ中世について、「暗黒の中世」とはいうが、実はそんなに暗黒でもなかったのだよ――と、最近の歴史の本では復権する傾向にあるだが、この本はそんな動きに逆行している。残酷な事件、凄惨な戦い、怪しげな伝説、息苦しいキリスト教の桎梏、そんなものばかりが目について、血なまぐさい暗黒の時代、というイメージが補強されてしまう。それはそれで、「文明的な中世」よりおもしろかったりするから困るのだが。

フランス中世史夜話 (白水Uブックス)
(白水Uブックス版)

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2009年9月 3日 (木)

世界人名ものがたり

世界人名ものがたり 名前でみるヨーロッパ文化/梅田修(講談社現代新書,1999)
 タイトルは「世界人名」となっているが、サブタイトルが示唆しているように、ヨーロッパの人名についての本。それも、英語圏でよく使われる人名が中心。まあ、200ページちょっとの新書で世界中の人名について語るのは無理な話だし、著者が英語の専門家なので、英語に偏るのは仕方がないところか。
 まず「序」でヨーロッパの人名について概略を述べた後、1章から5章までの各論で、代表的な名前(姓ではなく、ファーストネームの方)を取り上げて、その由来、各国ごとのバリエーション、同名の有名人のエピソードなどを語る。このエピソードの部分は、歴史にちょと詳しい人間なら知っているようなものが多いのだが、「名前」という共通項で時代も場所も違う歴史上の出来事をつなぐ語り方はあまり例がなく、つい興味をひかれて読んでしまう。
 何より、1章から5章までの構成がよくできている。
 各章で取り上げられている主な人名(英語形)は、次のようなもの。1章ではジョン、エリザベス、マイケル、メアリーなど。2章ではヘレン、アレクサンダー、フィリップ、ジョージ、マーガレットなど。3章ではジュリアン、エミリア、マーティン、ルーシー、ローレンスなど。4章ではルイス、チャールズ、ヘンリー、ロバートなど。5章ではブリジット、アーサー、ジェニファー、ブライアン、ドナルドなど。
 どれもこれも、英米人によくある名前ばかりだが、どういう原理で分けられているかわかるだろうか。
 実はこれらは、言語的な起源が違う。それぞれ、元は別々の言葉を話す別々の民族の名前だったのだ。
 第1章は、聖書に出てくるヘブライ語起源の名前、つまり古代ユダヤ民族の人名。第2章は、古代ギリシア人の名前が起源で、元をただせばもちろん古代ギリシア語。第3章は古代ローマ人の名前を起源とするもので、元来はラテン語。第4章はゲルマン系の名前で、古ゲルマン語は英語の遠い祖先だから、この章の名前だけは、イギリス人が直系の先祖から受け継いだものと言えるわけだ。第5章は、フランスやイギリス諸島の先住民、ケルト民族の名前が起源で、現在のウェールズ語やゲール語の祖先である古ケルト語に由来する。
 各章ごとに個別の名前の由来だけでなく、その文化的背景も説明してあって、今のヨーロッパ、というより西欧文明そのものが、いかに多様な文化の積み重ねの上に成り立っているかがわかる。それを章立ての構成だけで浮き上がらせる巧みさには感心する。
 最後にロシアや北欧の名前について解説する6章があるが、これはつけ足しのようなもの。
 とにかく、歴史ファンであり言語ファンでもある人間にとっては、興味のつきない内容で、新書だからしかたがないけど、できればもっとボリュームが欲しかった。ついでに、索引も欲しかった。
 だから、この本を読んだ当時、あとがきの最後で著者が「まもなく刊行予定の『ヨーロッパ人名語源辞典』(大修館書店)をご参照ください」と書いてあるのを読んで、大いに期待したものだ。
 予告どおり本書の約半年後に刊行された『ヨーロッパ人名語源辞典』は、400ページ近い大判ハードカバーの本で、満足のいく内容だった。値段もそれなりだったが。何より、詳細な索引がついているのがいい。ちなみに、この本の構成は本書とまったく同じである。内容も重なっている部分が多く、本書の拡大版といっていい。ということは、『ヨーロッパ人名語源辞典』があれば、本書は別にいらないのか...。

ヨーロッパ人名語源事典
(これは『ヨーロッパ人名語源辞典』の方)

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2009年8月17日 (月)

南北戦争

南北戦争 49の作戦図で読む詳細戦記/クレイグ・L・シモンズ;友清理士訳(学研M文庫,2002)
 学研M文庫というのは、一風変わった文庫で、この本みたいな戦史関係、時代小説、架空戦記、架空歴史小説といったものを主として出していて、普通の小説やノンフィクションは、ほとんどラインナップに入ってない。たまに澁澤龍彦や種村季弘のエッセイ集を出したりもするが。変わってはいるが、実はけっこう私の好みの本が多かったりする。

 それはともかく、本書は、南北戦争の最初から最後まで――つまり、1861年4月の南軍によるサウスカロライナの北軍拠点サムター砦の攻撃から、1865年4月、ヴァージニア州の片田舎で南軍最後の主力部隊を率いるリーが北軍のグラントに降伏するまで――を、純軍事的視点から、サブタイトルのとおり作戦図を豊富に使いながら解説した本。
 南北戦争をこういう視点から扱った日本語の本としては初めてではないか。というか、日本で発行された南北戦争に関する本自体、特に一般向けの本は、ごく少ないのだが。
 南北戦争のさまざまな戦場や人物やエピソードは、多分アメリカ人にとっては常識的な知識で、エッセイや小説の中に説明抜きで出てくることも多いだろう。
 戦場の地名で言えば、有名なゲティスバーグはもちろん、フレデリクスバーグ、チャンセラーズヴィル、ヴィックスバーグ、ブルラン、あるいは、アメリカ海軍の軍艦の名前にもなっている、ヨークタウンにアンティータム。人名で言えば、北軍のグラント、シャーマン(戦車の名前になった)、ミード、フッカー、南軍のリー、ボーレガード、ロングストリート、"ストーンウォール"ジャクソン…。アメリカ人にとっては歴史の常識であるそういった名前の数々について、具体的な事実や事績を知ることができる。
 訳者あとがきによれば、訳者はこの本の翻訳を始めるまで、南北戦争について「ほとんど何も知らない」状態だったそうだ。それが、翻訳しているうちに、この本自体から学ぶことができたのだという。それくらい参考になる本だということだろう。
 ただ、軍事面に記述を絞りすぎていて、その背後の政治や社会の動きがほとんど触れられてない。そのへんは普通の歴史の本を読んでくれということか。
 ところでこの本を読むとよくわかるのだが、南北戦争は最初のうちは南軍が勝利を重ねていた。だが、圧倒的な経済力と物量を誇る北軍が次第に優勢になり、最後には兵力も物資も底をついた南軍が降伏するのだ。この展開は太平洋戦争とよく似ている。アメリカが得意とする戦い方は、この時代から確立されていたようだ。

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2009年7月22日 (水)

一日江戸人

一日江戸人/杉浦日向子(新潮文庫,2005)
 2005年7月に46歳の若さで亡くなった杉浦日向子の、イラストつきエッセイ。この文庫本の出版は2005年4月なので、本当に亡くなるちょっと前。もっとも、オリジナル版は1998年に出ている。
 内容は、「江戸人」としての生活入門書、とでも言おうか。江戸の生活について、身なりから生活習慣、料理、娯楽など、各テーマごとに短い文章とイラストで手際よくまとめている。――と書くと、ありきたりの江戸時代解説書みたいだが、実は随所にユニークなテーマが散りばめられている。
 例えば、「大道芸」の項では、思わず脱力するようなしょうもない芸の数々をイラストで紹介し、「義賊列伝」では、江戸を騒がせた「五大小僧」を表にまとめ、「傾く(かぶく)」では、江戸のカブキ者たちの生態を図解する。江戸人が想像した未来社会予想、なんていう日本SF史の資料になりそうなテーマまである。
 元マンガ家だけあって(この本を書いた頃はすでにマンガ家は引退)、イラストと文章がうまく補完しあっていて、どちらの分量が増減してもバランスが崩れるような、絶妙な構成になっている。ただ、文字で書くのが難しそうなことはすぐ絵に描いてしまうのは、マンガ家出身の習性か――と思わせる面もある。それが悪いわけではないが。

 同じ江戸生活ものでも、石川英輔みたいにやたら現代社会批判を繰り広げたりせず、くどさがない分、好感がもてる。ただ、文字どおり「江戸」人のための案内となっていて、同じ江戸時代でも、江戸以外の地方の話は全然出てこない。特に東京の街に江戸の面影をさがす街歩きガイド「江戸見物」など、東京以外に住んでる人間にはいまいちピンと来ない部分もある。逆にいうと、東京以外の住民にとっては、異世界をかいま見るような気もする案内でもある。
 病魔に倒れなければ、著者はまだまだ活躍していたはずである。この才能が失われたのは惜しい。

一日江戸人 (新潮文庫)

 

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2009年7月 5日 (日)

三国志人物外伝

三国志人物外伝 亡国は男の意地の見せ所/坂口和澄(平凡社新書,2006)
 世の中に「三国志」関係の本は―正史も演義も含めて―いやというほどあふれている。
 私も「三国志」はわりと好きなので、一度その関係の本を集めてみようかと思ったこともあったが、あまりの多さにすぐにあきらめてしまった。基本的に、興味を引かれた本は読んでみる、程度である。それだけでもけっこうあるのだが。
 小説を除く三国志関係本というと、歴史系(陳舜臣『三国志と中国』など)、文学系(井波律子『三国志曼荼羅』など)、ビジネス書系(守屋洋の各著作など)といった系統が主なところ。
 このブログでも以前に関連書として、三好徹『三国志外伝』を取り上げたが(2007年5月10日)、あれは歴史系と文学系の中間型か。

 今回の本は、タイトルは『三国志外伝』と似ているが、スタイルはちょっと違う。というか、初めて読んだ時は、まだこの手があったか、と思わせる視点の本だった。
 基本は、正史の注やその他の史書から、あまり知られてないエピソードや、定説とは異なる観点を集めて、おおまかなテーマ別にまとめたもの。サブタイトルには大した意味はないようだ。
 全部で40余りの短い章に分かれているのだが、複数の人物のエピソードを一つにまとめているものが多い。例えば、「凶兆どおりに死は確実に訪れた」(死の前兆が記されている人物、董卓、曹操、劉備、公孫淵など)、「言いがかりで殺されるなんて」(理不尽な理由で殺された人物、何苗、董越、周不疑など)、「さっさと降伏したわけではない」(呉にあっさり降伏したことにされている劉備配下の郝普、士仁、糜芳の知られざる一面)、「きっと呪われた家系に違いない」(呉の孫一族の若死に・不慮の死の数々)等々。
 かと思うと、一章に一人だけ(ただしあまり有名でないエピソード)というのもある。「行年八十、身命ともに滅びるか」(王陵)とか、「人妻に惚れようと英雄は英雄」(関羽)とか、「戦いはみんなで歌えば怖くない」(留賛)とか。この例で見るように、一人一章だからといって、有名な大物ばかりではない。
 テーマも人物の選び方も別に原則があるわけではなく、作者の気の向いたままに書いているようだ。列伝ではなく、各人物のテーマに合ったエピソードを集めているので、曹操や劉備など、史書に登場する回数の多い人物は、何カ所にも顔を出している。一方では、上の例にも見るように、誰も名を知らないようなマイナーな人物もよく出てくる。
 この気まぐれな書き方といい、その反面、各エピソードに必ず出典が書いてある律儀さといい、まさに伝統的な歴史随筆という感じである。
 著者が専門の歴史学者ではなく、本業はフリーのデザイナー、つまりディレッタントであるところも、随筆というにふさわしい。
 三国志をテーマにした随筆というと、花田清輝の『随筆三国志』という有名な本がある。が、花田清輝が三国志に託して思想を語っているのに対し、本書は基本的に、「こういう本にこういうことが書いてある」という以外のことは述べてない。素人学者が気ままに歴史のエピソードを拾い集めて書く随筆―こういうのは、江戸随筆によくあるパターンではないか。
スタイルは江戸時代以来のものなのだが、そこがかえって新しく感じるというのも、おもしろいものである。

三国志人物外伝 亡国は男の意地の見せ所 (平凡社新書)

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2009年6月18日 (木)

信長の親衛隊

信長の親衛隊 戦国覇者の多彩な人材/谷口克広(中公新書,1998)
 当代きっての織田信長研究家、というか信長マニアによる、ややマニアックな歴史読み物。
 羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家といった信長の武将たちは戦国歴史ドラマの常連で、あまりに有名だが、小姓、馬廻、吏僚といった側近たちは、あまり知られてない。例外として、後に武将に出世した一部(前田利家、佐々成政、堀秀政など)、行政官として活躍した人(村井貞勝など)、小姓として例外的に有名な森蘭丸(本当は森"乱"成利というらしい)などがいるが、長谷川宗仁、木村高重、岩室長門守、明院良政など、よほどの歴史マニアしか知らないような名前が多いのだ。まあ、現代風に言えば、秘書、ボディガード、事務官といった役割なので、歴史の表舞台に出てこないのは当然ではあるが。
 そういった裏方は、信長だけでなく、戦国武将の誰にもいただろう。だが、織田信長はそういう実務家たちの登用や使い方が特にうまかったらしい。著者は史料を丁寧に当たりながら、信長の組織術の妙を解き明かしている。
 さすがに信長マニアの著作だけあって、情報量は膨大。華やかな武将たちの影に隠れた多彩な人材たちに光を当て、織田信長政権の知られざる一面を紹介してくれる。
 しかし、確かに多様な人材がいることはよくわかるし、歴史書や小説などを読む時などに参考になるが、正直なところ、読んでいてそんなおもしろいとは思えなかった。題材が地味なせいもあるが、あまりに事実の羅列になりすぎていて、資料としては評価できるが、読み物としてはもうひとつなのだ。
 実は、この本に名を連ねる側近たちは、ほとんどが本能寺の変で殺されてしまう。その悲劇的な最後に向けて盛り上げていくような工夫があれば、もうちょっとおもしろかったかもしれない。専門書じゃなくて新書なのだから、ノンフィクションといえどもある程度の演出は必要なのでは―、なんてことを思った。
 この本が発行されて7年後に、姉妹編とも言える『信長軍の司令官』が出ているが、それはまた別の機会に。

信長の親衛隊―戦国覇者の多彩な人材 (中公新書)

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2009年6月 2日 (火)

林屋辰三郎 『南北朝』

南北朝/林屋辰三郎(朝日文庫,1991)
 日本史で一番おもしろい時代はいつ頃かというのは、人によって見方が違うだろうが、人気投票をすれば、まず戦国時代、それに幕末といったあたりが上位に来るのではないか。しかし、鎌倉末から南北朝時代、いわゆる『太平記』の時代も、戦国や幕末に劣らず、いや、それを上回るほどおもしろい時代ではないか、と私はひそかに思っている。
 日本史学の大家、林屋辰三郎の書いたこの本は、200ページ余りの薄い本だが、中身は濃い。もうかなり前になるが、この本を読んだことが、私が「南北朝はおもしろい」と確信するようになったきっかけの一つになっている。(それより前に、NHK大河ドラマ『太平記』が大きなきっかけになっているが。)
 南北朝を語るには、まず鎌倉時代の末期から話を始めるのが順序であり、この本も当然ながら「序章 内乱の前夜」を最初に置く。以下、六章にわたって鎌倉幕府の崩壊から建武の新政を経て南北朝の統一までを語るのだが、うまいのは、各章の見出しに、それぞれの時期を象徴する人物の名を入れて、さらにわかりやすくサブタイトルを入れているところ。
 例えば、「一章 結城宗広 ―東国武士の挙兵―」。さらに章の中が七つの節に分かれていて、「白河結城」、「天皇御謀反」といった具合。まず人名で興味を引く。結城宗広はあまり有名な人物ではないので、たいがいの人は、「誰だこいつは?」と思うだろう。サブタイトルでポイントを掴ませ、各節のタイトルで記述の流れを伝える。目次を見るだけで、太平記の物語を見ているような気分になる。
 二章以下も同じような具合で、タイトルの人物は、楠木正成、足利尊氏、後村上天皇、佐々木道誉、足利義満と続く。最後は終章ではなく「付章 内乱の余波」。
 本文は複雑な南北朝の政治的・社会的動きを簡潔に語るが、ところどころに史料や古文書の引用をはさみ、さらに自分の考えも述べ、かと思うと時には歴史学者らしからぬ、物語的叙述も見せる。
 楠木正成の章には、「彼が湊川合戦におもむく心中は、金剛山籠城のときとはまったく異なった、きわめて悲壮なものがあった」と、内面にまで踏み込んだ文章がある。これはその直前に引用された楠木正成最後の上奏文の内容を受けての記述だが、「硬い」歴史の本なら、本当はどうだったかわからない歴史上の人物の心情をこんなに断定的に書かないだろう。かと思えば、史料に基づいた、いかにも歴史学者らしい考察の部分もあったりする。歴史を「論じる」、「物語る」、「説明する」―三つの要素をミックスしている、そのバランスが絶妙である。
 南北朝時代のおもしろさを詰めこんだ好著。この時代の入門書として、ベストにあげたい1冊。

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2009年5月20日 (水)

日本の歴代権力者

日本の歴代権力者/小谷野敦(幻冬舎新書,2008)
 「まえがき」によれば、前に中公新書から出た『歴代天皇総覧』(笠原秀彦)という本が「割に売れたようだから」、本書の企画を思い立ったとのこと。他人が他社から出した本に便乗したと、堂々と言ってるのもすごい。
 ただ、本書の意図は、ある意味理にかなっている。日本の歴史では天皇が実際に権力を握ることはほとんどなく、公家や武家が実権を握っていたので、天皇の系譜をいくら並べても、「日本の本当の権力者」はわからないのだ。
 問題は「本当の権力者」は誰なのかということで、鎌倉幕府の将軍が頼朝以外はお飾りだったのはよく知られているし、室町幕府や江戸幕府でも、名ばかりの将軍は何人もいた。明治以後の総理大臣でも、実権のない者は除外されている。こうなると、豊臣秀吉とか徳川家康とか、文句がつけようのない権力者はともかく、微妙な時期については、誰を選ぶかは著者の判断次第ということになる。
 そのへんは主観が入っていると割り切って上で、「著者が選んだ人物」を見ていくだけでも興味深い。

 古くは聖徳太子、蘇我馬子から始まり、平安時代は藤原氏の全盛、平清盛、源頼朝を経て、鎌倉時代は北条氏。もっとも、鎌倉時代も末期になると、北条氏の執権さえ名ばかりになっていて、北条家宗家のさらに執事である「内管領」が実権を握るという、「天皇-将軍-執権-得宗-内管領」の五重構造というとんでもない時期もあった。実権を握っていた内管領というと、NHK大河ドラマ『太平記』でフランキー堺が演じていた長崎円喜が代表格だろうが、彼の名はなぜか権力者一覧には入ってない。
 室町時代の足利氏将軍は15人いるが、この本で権力者に数えられているのは7人だけ。江戸幕府でも、15人の将軍のうち9人しか権力者と認められていない。そのかわり、室町時代であれば高師直、細川晴元、三好長慶ら、江戸時代なら、春日局、保科正之、柳沢吉保、田沼意次、水野忠邦、井伊直弼らが、真の権力者として名があがっている―といった具合。
 戦後の権力者については、一番議論になるところだろう。本書によれば、平成に入ってからの権力者は、宮沢、橋本、小渕、森、小泉の各首相。それに自民党幹事長時代の小沢一郎。著者によれば小沢一郎は一度天下をとっている。「その後も政局の台風の目であり続けたが、首相になる機会を悉く失ってきた。」という評は、この本が出て5ヶ月近く経つ今となっては、予言的にさえ思われる。

 このように、狙いはけっこうおもしろいが、記述はほとんど辞書風に事実を並べることに終始している。小谷野敦といえば辛口の評論で有名だが、そういう側面はほとんどない。ユニークな人名辞典だと思えばいいのかもしれない。

日本の歴代権力者 (幻冬舎新書)

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2009年5月16日 (土)

4月に読んだ本から(その2)

 前回に続いて、4月に読んだ本。今回はノンフィクションから。

日本庭園 空間の美の歴史/小野健吉(岩波新書,2009)
 造園の本ではない。日本庭園の鑑賞についての本でもないし、ガイドブックでもない。サブタイトルに「歴史」の語があるように、日本庭園の歴史の本。もちろん、日本庭園に関する本には歴史についても書いてあるのだろうが、「歴史だけ」を扱った本というのは、珍しいような気がする。まあ、庭そのものにそんなに興味があるわけではないので、そういう本でなければ読まなかっただろうが。
 なにしろ歴史の本である。最初は縄文時代から始まる。縄文時代のストーンサークル、弥生時代の「まつり」の場、古墳時代の水辺祭祀の場、と古代社会の「庭」に相当する事例を、かなり強引に集めている。日本の歴史とともに庭もあった、ということか。もちろん、この時代の「庭」は今の日本庭園とは何のかかわりもない。でも、歴史好きにとっては、古代から始まるところがいいのである。
 続く飛鳥時代、やっと庭らしい庭が誕生する。この時代の庭は新羅の影響を受けていたとか。奈良時代、現在の日本庭園につながる宮殿庭園が、唐の影響下に生まれる。以下、平安時代の貴族庭園、鎌倉時代の寺院庭園、室町時代の武家庭園、戦国時代に生まれた茶室の庭、江戸時代の大名庭園―と、各時代を代表する庭園が図版をまじえて紹介される。
 スペースの関係もあるのか、事実の説明に終始していてやや教科書的になっている感はあるが、庭についてあまりよく知らない人間こそ、知らない事実が多くて読みがいがあるのではないだろうか。庭園は歴史とともにあり、歴史は庭園とともにあった、ということがわかる。

 ところで、私は日本庭園をそんなに見ているわけではないが、どっちかというと枯山水みたいなものより、広々とした庭園の方が好みである。今まで見た中では、岡山の後楽園が一番だろうか。

日本庭園―空間の美の歴史 (岩波新書)

辞書(日本の名随筆 別巻74)/柳瀬尚紀編(作品社,1997)
 <日本の名随筆>は、本巻100冊、別巻100冊に及びエッセイ集の大シリーズ(1999年に完結)。各冊ごとにテーマがあり、本巻は一文字、別巻は二文字で表されている。本巻なら「花」、「鳥」、「猫」、「釣」…、別巻は「囲碁」、「相撲」、「珈琲」、「酒場」…といった具合。
 この『辞書』だが、編者は前に紹介した『辞書はジョイスフル』(2008年7月17日)で、辞書マニアぶりを発揮した柳瀬尚紀。まさに適役と言える。
 収録されたエッセイは38篇。著者はテーマからして当然のことながら、作家、学者、翻訳者がメイン。古いところでは幸田露伴や折口信夫から、現代に至るまで、井上ひさし、白川静、陳舜臣、大野晋、柴田武、堀田義衛、本多勝一、養老孟司、金田一春彦、紀田順一郎、澁澤龍彦など、多彩な顔ぶれが揃っている。
 辞書がテーマと言っても、内容はまったく千差万別。辞書とは何かという考察とか、辞書はどうあるべきかという理論とか、こんな辞書が欲しいという願望とか、有名人の辞書にまつわる逸話とか、辞書にまつわる思い出話とか、辞書の歴史とか、辞書についてのトリビアとか...一つのネタからよくこれだけ多種多様な文章ができるものだと感心する。それを見つけ出してくるのもすごいが。
 特に印象に残ったのは、例えば次のような作品。辞書編纂の事業をほとんど詩的とも言える文章で格調高く描いた唐木順三の「『言海』の大槻文彦」。辞書とほとんど関係ない話ながら、漢字の奇字怪字が続出しておもしろい中野美代子の「漢字の神話学」。『広辞苑』改版に秘められたドラマ―というか裏話を暴露する、武藤康史の「『広辞苑』改版の歴史」。全然使われてない言葉が辞書にまぎれこんだ経緯を推理する、紀田淳一郎の「存在しない語彙」。外国人の立場から日本語の辞書を語る、マーク・ピーターセンの「辞書と格闘する」。タイトル以外は全然辞書と関係ない、最後を飾る詩的エッセイ、石原吉郎の「辞書をひるがえす風」。なお、編者自身のエッセイは収録されてないが、巻末のあとがきは独立したエッセイとして読める。
 著者の顔ぶれも豪華だし、辞書好きの心をくすぐるエッセイ集である。やはり辞書はおもしろい。

辞書 (日本の名随筆)

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2009年5月10日 (日)

物語カタルーニャの歴史

物語カタルーニャの歴史    知られざる地中海帝国の興亡/田澤耕(中公新書,2000)
  これまでに何冊が紹介してきた中公新書の『物語○○の歴史』シリーズの1冊。このシリーズの他の本と違っているのは、「国」の単位ではなく、現在ではスペインの一地方にすぎないカタルーニャの歴史を扱っていること。ちなみに、このシリーズで『物語スペインの歴史』という本は別に出ている(こちらの著者は岩根圀和)。
 よく知られているように、スペインというのは、現在のスペイン国土の西側3分の2にあたるカスティーリャ王国と、地中海に面した東側3分の1のアラゴン王国との合同により成立した国だが、メインはカスティーリャであって、「スペイン語」というのも実は「カスティーリャ語」である。
 だからスペインの歴史というのは、その実「カスティーリャの歴史」になりがちなので、それに対抗するアラゴンの側の歴史に当たるのが、本書ということになるのだろう。日本でも数少ない(少なくともカスティーリャ語やカスティーリャ史の専門家よりはずっと少ないと思う)カタルーニャの専門家が書いた歴史の本である。
 厳密にいうと、カタルーニャというのは、旧アラゴン王国のさらに西側半分ほどの地域である。スペイン王国が実はカスティーリャとアラゴンからなっているように、アラゴン王国も実はアラゴンとカタルーニャからなっているわけなのだが、ややこしいからその説明は省く。とにかく、本書の内容のメインは、狭義のカタルーニャの歴史ではなく、アラゴン王国の歴史になっている。アラゴンの王たちの名前は、当然というか全部カタルーニャ語で表記してある。
 スペインの歴史というと、ペドロとかフアンとかハイメとかフェルナンドとかフェリーペといった名前がたびたび出てくるが、カタルーニャ語では、それぞれ、ペラ、ジュアン、ジャウマ、フェラン、フェリプとなる。歴史にある程度詳しい読者の方がかえって、見慣れない名前の連続にとまどうかもしれない。この名前の表記ひとつとっても、スペイン(=カスティーリャ)の歴史とは違うのだという本書の主張が見てとれる。
 アラゴン王国は決して弱体な国だったわけではない。本書の副題にもあるように、13世紀から15世紀頃にかけては、アラゴン本土の他に、サルデーニャ島、シチリア島、イタリア半島南部、アルバニア周辺のアドリア海東岸、ギリシア中部まで、地中海の西から東までを支配する「地中海帝国」を築いていたこともあるのだ。最盛期の頃のカタルーニャの歴史というのはけっこう波瀾万丈で、本書のハイライトと言っていい。特に、その軍事的主力となった無敵の傭兵集団、「アルモガバルス」のエピソードなどは想像力をかきたてられる。マイナーな国の歴史というのはなぜかおもしろい。
 本書の記述は、実質的にアラゴン王国の終わり―15世紀末のカスティーリャとアラゴン両王国の合同までで終わる。スペイン王国の一部となってからの近現代の歴史は、近代の経済的繁栄も、20世紀のスペイン内戦の悲惨も、最後の20ページほどであっさりと片づけられている。文章も、アラゴン王国の歴史を語る部分では、「物語」の書名にふさわしいドラマチックな表現が多かったのに対し、この近現代の部分はいかにも普通の歴史解説書風になっている。明らかな思い入れの差を感じる。
 だけど、一般的に「カタルーニャの歴史」でイメージするのは、オーウェルの『カタロニア賛歌』の影響もあるだろうが、そっちの近現代史の方ではないかという気がする。そういう意味での「カタルーニャの歴史」は、本書にはほとんどない。
 まあ、タイトルはどうであれ、歴史としてのおもしろさから言えば、内容が「アラゴン王国の歴史」であることに文句はないのだが。

物語カタルーニャの歴史

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2009年4月30日 (木)

亭主稼業の歴史

亭主 酒場と旅館の文化史/ウラ・ハイゼ;石丸昭二訳(白水社,1996)
 サブタイトルからもわかるとおり、この書名の「亭主」とは、「亭主元気で留守がいい」と言われる亭主のことではない。原題はGastwirt、ドイツ語で酒場や旅館の主人のことである。この本にも書いてあることだが、昔のヨーロッパでは酒場と旅館の区別はなかった。これは中世ヨーロッパを舞台とする映画などを見るとすぐわかる。「ロード・オブ・ザ・リング」第1作に、粥村の酒場兼旅館が出てくるが(ヨーロッパじゃないけど)、まああんなものである。もっとも、あの酒場には現実世界の中世にはなかったはずのものがある。カウンターである。これについては後述する。
 それはともかく、本書は、酒場・旅館の亭主の歴史という、今まで誰も目をつかなかった社会の側面にスポットをあてたユニークな歴史書なのだ。
 記述は年代順になっており、最初はなんと紀元前1700年頃の古代バビロニア。ハムラビ法典に出てくる酒場の主人に関する法律があるのだ。ただ、この法律での酒場の主人は女性。亭主じゃなくて女将である。古代バビロニアでは酒場は女性が切り盛りしていたらしい。
 次は古代ギリシア、アリストファネスの喜劇から酒場の主人同士のかけ合いが引用されるが、ここでも出てくるのは女将。古代ローマに至ってやっと男性の亭主の存在が確認されるが、ローマにも女主人はかなりいたとか。宿屋が売春の温床だったという実態もそこにはあるのだが...。
 こんな風に古代から始まって20世紀までの、古今東西の酒場・食堂・宿屋の亭主の商売ぶりが紹介されるが、メインとなっているのは10世紀から19世紀までの中世~近代のヨーロッパ。当時の詩や劇、挿絵などが豊富に引用され、「亭主」商売の表と裏が生き生きと描かれている。特に「裏」の部分がおもしろい。

 ところで、上に書いたカウンターの話だが、一般的なイメージとは違って、カウンターの後ろに亭主や女将が立つようになったのは、そんなに古いことではなく、せいぜい17世紀以後のことらしい。というか、それ以前はカウンターと呼べるような囲まれた空間そのものがなかった。もっとも、古代ローマの酒屋にはカウンターがあったらしいから、中世で一旦忘れられ、17世紀に再発見、というか、再発明されたものなのだ。―と、いうようなことも本書には出てくる。普通の歴史書には出てこない情報が満載である。
 この職業がきわめて古く、そのわりに実態が昔も今もほとんど変わってないことがよくわかる。

亭主―酒場と旅館の文化史

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2009年4月19日 (日)

甲骨文字に歴史をよむ

甲骨文字に歴史をよむ/落合淳思(ちくま新書,2008)
 古代中国、殷王朝の遺物である甲骨文字資料の実例から、今なお謎に包まれた部分が多い殷の歴史、社会、文化を解読してい、新書にしてはかなり専門的な内容の本。もちろん、本当の専門書と比べるとかなり噛み砕いているのだが。
 ところで、甲骨文字は漢字の直接の祖先である。今から三千年以上前、古代殷王朝で生まれたこの文字は、一見したところ今の漢字と似ても似つかない形をしているものが多いのだが、私のような素人にはよくわからない原理により、一画一画に至るまで、現在の漢字の字体に精密に移し替えることが可能なのである。
 例えば、甲骨文字の中には、殷代にしか使われず、後の時代に伝わらなかった文字もある。これがどういうことかというと、亀の甲に刻まれた、なんだかごちゃごちゃした記号とも落書きともつかない形でしか、それが存在してないということである。ところが、甲骨文字に共通のある規則性により、それを明朝体(みたいに見える)漢字に変換できるのである。現にこの本の中にはそうやって変換された、殷時代にしか存在しなかった「漢字」がいくつか出てくる。もちろん、見たこともない字であるが、ちゃんと漢字に見える。これは考えてみたらすごいことである。
 だから―ということなのだろうか、序文で著者が言うには、「三千年以上前に作られた資料を提示されても理解できるのだろうかと思うかもしれないが、その点は心配無用である」、あるいは、「我々は小学校から漢字を習っている。それだけで、古代文明のひとつである殷王朝をダイレクトに理解できるだけの知識をすでに持っているのである」のだそうだ。甲骨文字といっても、所詮は漢字なんだから、難しいことは何もない―そう言いたいのだろう。
 でも、本当にそうだろうか。この本には甲骨文字の実例と、それを現行の漢字の字体に直したものが豊富に掲載されている。著者の言うように、誰でも理解できるものなのだろうか。
まず、甲骨文字の字体は、上にも書いたが、素人にはまず今の漢字との対応関係がわからない。「甲」という字は甲骨文字では「十」みたいな形だし、「乙」は稲妻マークみたいな形、「丁」に至っては、「□」である。また、犠牲を焼くことを意味する「燎」という字は、八芒星(「*」に横棒を追加した形)にしか見えない。「喪」は、枝をはった木のような形に「口」がいくつもぶらさがったような甲骨文字で、解説がなければクリスマスツリーを象形文字にしたものかと思ってしまうような形だ。甲骨文字を見て、漢字として判読するのは、普通の人間には不可能である。
では、今の漢字に直したものなら、読めるのだろうか。以下は、わりと簡単な文章の例。
「戊午王卜貞田盂往来亡災」
 読み下すとこうなる。「戊午(ぼご)、王、卜して貞(と)ふ、盂(う)に田(でん)するに往来に災亡きか。」(ちなみに「田」という文字は今と同じ形をしている。)
 意味は、「つちのえ・うまの日に王が占って問うには、盂で狩りをするのに、往来にわざわいはないか。」というようなこと。
 「盂」という土地については、こんな文章もある。
「惟王来征盂方白炎」
 読み下し:「惟(こ)れ王盂方白炎(うほうはく・えん)を征するより来たる。」
 意味:「王が盂方の首長の炎を征伐して帰った。」
 殷王朝では、王家の権威に従わない異民族の国を「○方」と呼んだ。例えば今のモンゴルのあたりは、まがまがしく「鬼方」と呼ばれていた。「盂方」というのはそんな異民族の国の名前で、わりと殷の都の近く、今の河南省あたりにあったらしい。「白」は「伯」と同じで、首長のこと。「炎」は人名。だから「盂方白炎」で、「盂の族長の炎」というような意味になる―のだそうだ。でも、一字一字解説されると、そうかという気もするが、いきなりこの漢字だけ見て、ちゃんと理解できる人がどれだけいるだろうか。確かに、「盂」を除いては、学校で習う漢字ばかりだけど…。

 というわけで、古代中国について専門的に勉強したい人以外は、甲骨文字の原文を無理に理解しようとせずに、図の一部くらいに思って見ていた方がいい(甲骨文字の写真がまた多数載っているのだ)。著者が甲骨文字資料から殷の歴史や社会を解き明かしていく文章には、謎解きに似た面白さがあり、甲骨文字やその漢字形が読めなくても、歴史好きなら楽しめるだろう。

甲骨文字に歴史をよむ (ちくま新書)

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2009年4月15日 (水)

3月に読んだ本から

 実は、『終わらない悪夢』(2009年3月22日)とか、前回の『地図から消えた地名』(2009年4月13日)とか、3月に読んだ本ですでに取り上げたものもあるので、「3月に読んだ本」はもう終わったことにしてもいいのだが、まあ恒例なので、3月に読んだその他の本から2冊。

白魔/アーサー・マッケン;南條竹則訳(光文社古典新訳文庫,2009)
 アーサー・マッケンの『白魔』と題する邦訳短篇集は、以前にも出ている。最初は今を去ること30年以上前の1973年、牧神社から発行された<アーサー・マッケン作品集成>の第1巻として。その時の収録作は、「パンの大神」、「内奥の光」、「輝く金字塔」、「白魔」、「生活の欠片」。その後、牧神社というユニークな出版社は惜しくもなくなってしまったが(牧神社の本のことはまた改めて書きたい)、この本は1994年に沖積舎という復刻専門みたいな出版社から再刊されている。この最初の『白魔』の訳者は、怪奇小説の名翻訳家、平井呈一。
 今年になって、光文社古典新訳文庫から出た本書は、タイトルは同じだが、内容は「白魔」、「生活のかけら」、それに小品集『翡翠の飾り』から「薔薇園」、「妖術」、「儀式」の3編。「生活のかけら」はもちろん平井呈一訳の「生活の欠片」と同じ作品である。メインとなる中編2編は平井訳『白魔』と共通しているが、全体として内容が約半分になった印象がある。
 それはともかく、入手しにくかった『白魔』が新訳で刊行されたのは、マッケンのファンには朗報だろう。今回の訳者は、当代きっての怪奇小説好きで、『怪奇小説の世紀』も書いた南條竹則。
 実は表題作「白魔」を読むのは、これで3回目。訳も3種類目である。最初は、『幻想と怪奇』創刊号に掲載された饗庭善積訳「白い人」。奇しくも平井訳『白魔』と同じ1973年に出ている。2回目が平井訳。そして今回、実に久しぶりに新訳で読んだことになる。 「白魔」は、妖魔に魅入られた少女が魔道に堕ちる物語である。それを少女自身の手記の形で書いているのだが、その文章が独特で―いかにも少女が書いたものらしく語彙が乏しくたどたどしい文体で書かれているのが、ある種の臨場感を出している。
  この手記の文章をどう訳すかが、この作品の翻訳のポイントだろう。平井呈一訳は、「ですます体」で、改行がほとんどない。少女が虚ろな目で宙を見つめて、憑かれたようにとめどなくしゃべっているような、どことなく無気味な雰囲気が漂っている。マニア向けの訳である。『幻想と怪奇』版は、同じく「ですます体」だが改行を適度に入れ、文章もわりと普通に訳している。こなれていて読みやすいが、インパクトは平井訳にはかなわない。一般の人向けというべきか。なお、饗庭善積というのは紀田順一郎の別名なのだそうだ。 
 一方、新訳の方は、文体は「だ・た」を使い(「である」は使ってない)、書き言葉としての性格を強く打ち出している。誰にも見せないことを想定して書いた文章なのだから、「ですます体」はおかしいと判断したのだろう。改行も増やして読みやすくなっているが、そのかわり、いかにも精神の歪みを感じさせるような、狂気をはらんだ文章を意識して訳しているようだ。
 新訳は確かに現在の読者向きかもしれない。文体も、手記の言葉としては新訳の方がリアルである。しかし、古典的な平井訳の方が、いかにも怪奇小説という感じがして、私の好みには合っている。

 本書のメイン作品のもうひとつ、「生活のかけら」は、その昔平井訳の「生活の欠片」として読んだ時以来、マッケンの作品中でもマイベストに近い名作として記憶に残っていた。最初に「生活の欠片」を読んだ当時、あるところにこんな感想を書いた。
「イングランド市民の平凡な生活の背後に、ちらちらとおぼろげに見えながらついに最後まで明らかにされない、遙かな恐怖と戦慄の影―。マッケンの短篇の中では最高じゃないかと思う。」えらく誉めたものである。よほど感動したらしい。
 ところが、今回読んでみると、上の文章も確かに間違いではないのだけど、ぼんやりと記憶していたのとはかなり違う話だった。何か別の作品と混同していたのだろうか?
 とはいえ、ロンドンに住む平凡な夫婦が家の空き部屋にどんな家具を入れるか話し合う―というきわめて日常的な場面から始まりながら、次第に魔術的かつ神秘的な色合いが濃くなっていく異色の作品、マッケンの傑作のひとつには違いない。怖くはないけど。
 「白魔」も「生活のかけら」も、怪異や神秘を描きながら、その正体をはっきり書かない。例えば「白魔」の少女の手記の中には、肝心なところに来ると、それは秘密なので書かない、という箇所がいくつもある。これがマッケンの持ち味である。「なんだかわからないじゃないか」と言いたくなる人は、マッケンの読者には向かない。

白魔 (光文社古典新訳文庫)

とびきり愉快なイギリス史/ジョン・ファーマン;尾崎寔訳(ちくま文庫,1997)
 同じちくま文庫から『とびきり哀しいスコットランド史』(2008年4月23日のエントリーで紹介)が翌年に出ている。明らかに同じ路線を狙った翻訳が続けて出たということは、本書の評判がよかったのだろう。初版から10年以上たってまだ絶版になってないことからも、それが伺える。

 著者の序文や訳者あとがきによれば、本書は学校の歴史の授業があまりにつまらないので、歴史嫌いのイギリスの子供たちにおもしろいイギリス史を提供する狙いで書かれたものだとか。子供向けと言っても、この翻訳自体が一般向けに出版されているのだから、そんなに小さい子供向けではなく、日本でいえば中学・高校レベルだろう。イギリスの歴史にあまり詳しくない普通の日本人にとっては、ちょうどいいくらいの内容というところだろうか。
 ところで、邦訳題名は「イギリス史」だが、実態はイングランド史である。スコットランドやウェールズは「やられ役」でちょっと出てくるだけ。もっとも、本書ではフランスもオランダもスペインもドイツも、みんな「やられ役」でしかない。イングランドに敵対するすべてのものに、著者は罵倒や冷笑をためらわない。特にフランスに対しては、「フランスの蛙ども」とか、「フランスの糞ったれども」とか、言いたい放題。よほどフランス人が嫌いなのか。
 とにかく、悲哀と自虐がたっぷりつまっていた『とびきり哀しいスコットランド史』とは違って、本書は基本的には「栄光のイングランド史」なのだ。同じ島の上にあってもえらい違いである。
 外敵との戦争には勝っていても、その内情は国王たちの愚行や、血を血で洗う内乱や政争に満ちているのだが、著者はむしろ嬉々として、誇るべきものであるかのように、その有様を描いている。イギリス人―いやイングランド人にとって、自国の血なまぐさい歴史は、邦訳タイトルのように「愉快」なものなのだろうか。単にイングランド史のあらましを知りたければ、もっと正確でバランスのとれた日本語の本がいくらも出ているが、本書からは、イギリス人が自分たちの歴史をどう見ているかがわかる。
 ちなみに、原題は、The Very Bloody History of Britain (1990)。このタイトルはむしろ、『とびきりイタいイギリス史』と訳したい。
 本書は第二次大戦までで終わっているが、本国では現代史版であるパート2も出ている。上にも書いたように本書は評判がよさそうなので、この続編も翻訳が出ないだろうか。(続編ではないが同じ著者の『とびきり不埒なロンドン史』というのは同じ筑摩書房から翻訳が出ているが。)

とびきり愉快なイギリス史 (ちくま文庫)

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2009年4月 6日 (月)

傭兵の二千年史

傭兵の二千年史/菊池良生(講談社現代新書,2002)
 古代ギリシア、ローマから近代に至る、ヨーロッパの「傭兵」の歴史。著者は以前に取り上げた『神聖ローマ帝国』(2007年10月19日のエントリー)を書いた歴史学者。
 「はじめに」によれば、「ナショナリズムが生まれる近代以前、戦争は彼ら傭兵たちが主役であった」が、「それがいつしかナショナリズムにより途方もない数の人々が祖国のために身を捨てる国民戦争に変質したのである」ということである。だから、ナショナリズムと無縁な戦争の主役である傭兵の歴史を通じて、「近代のナショナリズムの仕組みが逆説的にほの見えてくるかもしれない」というのが、本書の目論見なのだそうだ。
 その意図が充分に成功しているかどうかはともかくとして、傭兵の歴史というのはそれ自体でけっこうおもしろい。
 トップを飾るのは、当然といえば当然ながら、古代世界で一番有名な傭兵隊長、部下一万人を率いてペルシアの奥地から大脱出をとべた、『アナバシス』の著者クセノフォン。続く第二章はローマ帝国のゲルマン人傭兵たち。
 第三章からいきなり舞台は数世紀を跳び越え、近代の幕開け、ルネッサンス時代に移り、ここからが本書のメイン部分になる。15世紀末から17世紀にかけてが、傭兵の黄金時代だったのである。本書では特に、「ランツクネヒト」と呼ばれる、この時代に活躍した―というか、ヨーロッパの地獄のような戦場を跳梁跋扈したドイツ起源の傭兵たちに焦点を当てている。前にムアコックのファンタジー『軍犬と世界の痛み』を紹介したが(2008年3月10日)、その主人公フォン・ベックも、この時代のドイツ人傭兵隊長、まさにランツクネヒトだった。
 『軍犬と世界の痛み』の時代背景となっている三十年戦争は、傭兵による戦争の頂点であり、同時に没落の始まりでもあった。本書の最後の数十ページ、第十章から第十二章にかけては、17世紀、三十年戦争後のヨーロッパで絶対王政が成立し、国家直属の軍隊が組織され、それとともに旧来の傭兵たちが、使い捨てのみじめな存在に落ちぶれる経過を語っている。最後は20世紀の外人部隊にまで触れているが、どうもこの最後の三章は、駆け足の感が否めない。最初にテーマに掲げていた「ナショナリズムの仕組み」を説明するには、スペース的に無理があるような気がする。
 新書だからある程度総論的になるのは仕方ないかもしれないが、徹底的に「近代ヨーロッパの傭兵」に的を絞った方が充実したのではないか。
 とはいえ、傭兵の契約、編成、軍人服務規程などの各種規則、閲兵、そして兵士たちの労働組合ともいうべき兵士集会など、これまで知らなかった傭兵たちの組織や運営の面まで書いてくれているのは、歴史好きとしては非常にありがたい。本書の値打ちはやはりこのディテールの部分にある。『神聖ローマ帝国』を読んだ時も思ったが、歴史好きのツボをよく心得ている人なのだ。

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

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2009年3月26日 (木)

春秋戦国激闘史

春秋戦国激闘史/来村多加史(学研M文庫,2002)
 春秋戦国時代は、通常は紀元前770年の東周王朝の開始から、紀元前221年の秦による中国の統一までを指す。春秋時代と戦国時代の境目は、紀元前403年に春秋の大国、晋が韓・魏・趙に分裂した時とされている(晋そのものは、その後も何十年か細々と続く)が、そんなに劇的な変化が起きているわけではない。約550年にわたる、長い分裂時代である。
 もっとも、この時代より以前に後の秦以後のような中央集権的国家が成立していたわけではないので、「分裂」というよりは、「未統一」の状態だったという方がいいかもしれない。
 本書は、「戦闘」に重点を置いた春秋戦国史である。ただし全期間ではなく、春秋についてはごく一部、戦国も秦の始皇帝の登場前までで終わっている。第一幕は「柏挙の戦い」をクライマックスとする呉と楚の戦い(紀元前511~506年)。最後の第二十八幕が、秦の中国統一に先立つこと37年前、秦と趙・魏・楚連合軍との間の「邯鄲の戦い」(紀元前257年)。つまり、紀元前511年から257年までの約250年間。長い春秋戦国時代の半分以下である。
 どうしてこの期間に限定されているのかよくわからないが(ページの都合もあるもしれない)、伍子胥、勾践、夫差など、日本でもよく知られている人物が登場し始めるのが紀元前510年頃からであり、一方「邯鄲の戦い」は、秦が他の諸国に最後に大敗した戦争で、それ以後は秦が強くなりすぎ、一方的な侵略ばかりになっておもしろみがない、というところだろうか。
 文章は、歴史の本にしては小説的。「暗闇遠く、左右から地鳴りのように響いてくる無気味な鼓の音に、思わず夫差は声をあげた。」(p.36)とか、「田単の放った間諜は、一呼吸おいて話を続けた。」(p.198)とか、「見てきたような描写」が多い。まあ、これは文庫の性格もあるだろう。歴史本というより、戦史本なのだ、やはり。臨場感はたっぷりとある。
 また、戦況図や作戦面の詳細な描写など、軍事的な面での情報量は多い。反面、局地的な戦場の記述に特化していて、全体的な動きが見えにくく、多数の国々が織りなすダイナミックな興亡史にはなりきってない。文庫一冊でこの二つを両立させるのは至難の業なので、これは仕方がないところか。

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2009年2月 1日 (日)

暗殺者教国

暗殺者教国/岩村忍(ちくま学芸文庫,2001)
 かつてペルシアの山岳地方に、マルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で語り、「アサッシン」の語源となったことで史上に名高いイスラム異端派の集団があった。「山の老人」と呼ばれる指導者に率いられ、若者を麻薬に溺れさせて暗殺者に仕立て上げたという、暗殺者教団である。
 この宗派の名は、「イスマイリ派」と呼ばれることが多いが、この本によれば、正確には「イスマイリ」ではなく、さらにその一派の「ニザリ」という宗派だという。だからその宗派の作った国は、「ニザリ教国」ということになる。マルコ・ポーロはこの国を「異端者」という意味の「ムラヒダ」と呼んだ。本拠地の名をとって「アラムート」と呼ばれることもある。
 と、ざっと見ただけで、アサッシン、イスマイリ、ニザリ、ムラヒダ、アラムートと、何通りも呼び名がある。この呼び名の多い、謎めいて特異な「国」について書かれた、他に例を見ない著作。著者は著名な東洋史学者で、本来シルクロードやモンゴル帝国の歴史が専門。暗殺者教国について書くことになったのは、モンゴル史の研究上必要になったからだそうだ。
 全体の構成は大まかに3部に分かれていて、最初はニザリ教団の創始から、モンゴルとの戦い、滅亡までを記した歴史編。暗殺者教団と言っても、年がら年中暗殺をやっていたわけではなくて、尾ひれがついて伝説化した部分も多い。が、かなり異様な集団であったことは間違いないらしい。それは次の第2部を読んでもわかる。
 第2部は、言わば思想編。歴史編に続いて、「ニザリ思想の系譜と展開」という長い一章があって、教義の解説が延々と続くのだ。上にも書いたように、ニザリというのは、シーア派の一派イスマイリ派のさらに分派なのだが、その教義では、教団指導者、イマームを唯一絶対の指導者と仰ぎ、ムハンマドすら認めないのだという。本文にも書いてあるが、これはイスラムの根本的な否定であり、イスラムの一派ではなく、新興宗教としか思えない。なんだか、10数年前にサリン事件を起こした某教団が強大化した国のようだ。もっとも、ニザリ教国は約2世紀にわたって存続したわけで、あの教団とは実力があまりに違うが。
 最後の「ニザリ城塞の遺蹟」という章が第3部にあたる。イランの教団関係遺跡を遍歴する紀行文、つまり紀行編。
 全体的に見ると、傾向の違う文章が寄せ集められていて、なんだかまとまりのない本である。日本では類書が他にないという点では、資料的価値はあるだろう。去年紹介した宇月原晴明のファンタジー時代小説『黎明に叛くもの』(2008年9月12日のエントリー)でも、この本を参考文献の筆頭に挙げていた。

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2009年1月26日 (月)

物語ヴェトナムの歴史

物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム/小倉貞男(中公新書,1997)
 久々に取り上げる中公新書の『物語~歴史』シリーズ。「チェコ」、「イタリア」、「バルト三国」に続いて、「ヴェトナム」である。
 この本、新書にしては異様に厚い。400ページ近くある。このヴォリュームで、紀元前の伝説の建国時代から現代までを語るのだが、その大部分は、第二次大戦以前の歴史に当てられ、戦後のことは10ページくらいしか書いてない。
 ある年代以上の人にとっては、「ヴェトナム」と聞いて反射的に連想するのは「ヴェトナム戦争」だろう。だけどこの本には、現代史、ヴェトナム戦争以後についてはほとんど書かれてないのだ。
 それがこの本のヴェトナム史としての価値を高めている。だいたい、ヴェトナム戦争以後のヴェトナム史や東南アジア史に関する本は山のようにあるのだ。だけど、近代以前のヴェトナム史について書かれた著作は、専門書でも数少ないし、ましてやこんな一般向けの本ではほとんど見たことがない。
 本がない、ということは、ヴェトナムの近代以前については、世間一般には知られてないということだ。
 私の見るところ、ヴェトナム史も中国史と同じで、現代に近づくほど、急速におもしろさが失せる。19世紀半ばにフランスの植民地になってからは、国自体がなくなってしまうわけで(ヴェトナム皇帝は名ばかり存続してはいたが)、独自の歴史と言えるものではなくなってしまう。フランスからの独立戦争以後は、現代史である。現代史はもちろん重要ではあるが、歴史としておもしろいものではない。
 やはりおもしろいのは、本が出てない、世に知られてないところ、近代以前の歴史なのだ。
 ヴェトナムの国家としての歴史は、他のアジア諸国に比べるとあまり長くない。紀元前3世紀から10世紀頃までは中国の支配下におかれていた(時々反乱を起こして短命な国を作ったことはあったが)ので、実質千年程度の歴史である。実は独立以前にも、唐代に阿倍仲麻呂が当時交州と呼ばれていたヴェトナム地方に「安南都護」(植民地の総督みたいなもの)として赴任していた、なんてエピソードもあったりするが。
 それはともかく、10世紀初め頃、唐が滅び中国の支配が緩んで、独立への機運が生まれてから、フランスの植民地になるまで800年余りの歴史は、王朝交代あり、内乱・内戦あり、分裂・割拠あり、対外戦争あり、亡国と復活あり―と、けっこう波瀾万丈である。それを人物中心に語っているのは、「物語~」のタイトルにふさわしい。なじみのない人名が頻出することさえ気にしなければ、中国史の縮小版みたいな歴史絵巻を楽しめるだろう。
 知られざるヴェトナムの前近代史を物語ってくれる、貴重な本である。

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

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2008年12月23日 (火)

三国志の後の時代

 前回『三国志』を紹介したが、原典にあたる「三国志演義」は、晋の武帝による三国統一をもって終わる。今回は、その晋の武帝を扱った本。

西晋の武帝 司馬炎/福原啓郎(白帝社・中国歴史人物選,1995)
 一般的には諸葛亮のライバルとして知られている司馬懿は、稀代の戦略家であり、政治家だった。そのやり口があまりに非情なところから人気は今ひとつだが、彼が外敵や反乱勢力や政府内のライバルとの戦いにすべて勝利し、最終的には魏王朝を事実上支配することに成功したところから見ても、その能力は諸葛亮を上回っていたのではないかと思われる。戦争と謀略の天才だったと言ってもいい。
 司馬懿の事業(=魏王朝乗っ取り)は、二人の息子司馬師と司馬昭によって受け継がれる。司馬師は朝廷内の反対勢力を粛正し、地方の反乱を鎮圧するなど手腕を発揮するが若死にする。兄の後を継いだ司馬昭は、諸葛誕の反乱を鎮圧し、蜀漢を滅ぼして魏王朝簒奪の一歩手前まで行く。この二人も父親ほどではないが優秀で、言わば秀才だろう。
 司馬昭の子が武帝司馬炎である。
 司馬炎は「武帝」という勇ましい諡(おくりな)の割には性格温厚な、「いい人」だったようだが、能力的には平凡だった。魏王朝を廃して晋王朝初代の皇帝の座につき、呉を滅ぼして三国を統一したのも、祖父の代から引かれたレールの上を進んだに過ぎない。要するに凡人である。
 もっとも、司馬炎はまだ凡人というだけましで、その息子で晋の二代目皇帝になった恵帝司馬衷は、どこからどう見ても完全なアホだった。そのアホぶりは、人民が食べる米がなくて苦しんでいると聞いた時に、「米がないならなぜ肉を食わないのか」と言ったというマリー・アントワネットみたいな(ただしこっちの方が1500年ほど古い)エピソードで知られている。おまけに皇后が自分勝手で陰険な性格最悪の女だった。この司馬衷が無能愚鈍でなければ、そして皇后がまともな性格だったら、西晋の全国統一はもう少し長続きしていたかもしれない。
 司馬家は代を重ねるごとに質が低下していったのだ。(もっとも、西晋から東晋に変わって帝位が傍系に移ってから、劣化は止まったようだが、あまり優秀な人物もその後出てないようである。)

 で、この本だが、タイトルとは裏腹に、司馬炎の事績が語られるのは中程の60ページ足らずで、全体の5分の1にも満たない。司馬氏の起こりから始め、魏時代の司馬懿の台頭から、長安が陥落して西晋が滅亡するまでを語っており(つまり上に書いた司馬家歴代はみんな出てくる)、西晋の通史という方が正しい。
 要するに司馬炎というのは人物としても皇帝としてもあまり大した人ではなく、1冊の本にするほどの材料がないということだろう。
 むしろこの本のメインになっているのは、司馬炎の死後に起きた「八王の乱」の始終である。後半約100ページが、この皇族貴族異民族まで巻き込んで繰り広げられた複雑怪奇な闘争に費やされている。本のタイトルを「八王の乱」にしてもいいのではないかと思うほどだ。
 とにかく、何かなんだかわけがわからないということで、普通の歴史書では詳細を略されることの多い八王の乱について、これだけ詳しく書いた一般書は他にないのではないか。目まぐるしく転変する敵味方の組み合わせをわかりやすく解説するための図解までついている。この時代に興味のある人間(どれだけいるかわからないが...)にとっては、実にうれしい本なのである。

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2008年12月16日 (火)

11月に読んだ本から

 またまた先月分を書くのが遅くなってしまった。他にもとりあげたい本はあるが、それを書いてるとますます遅れるので、とりあえずこの2冊だけ。まあ、一応、私の読書の2本柱である(最近だいぶ怪しいが)、歴史とSF、ということで。

長州戦争 幕府瓦解への岐路/野口武彦(中公新書,2006)
 幕府と長州との戦争は、今年の大河ドラマ『篤姫』ではごくあっさりと片づけられていたが、実はこの戦いこそが歴史の転回点だった。「長州戦争は、徳川幕府の命取りになった戦争である。」という本書の冒頭の一文が、すべてを語っている。やらなければよかった戦争を始めたばかりに、徳川幕府は崩壊してしまった。
 ところでこの戦いは、辞書や事典では「長州征伐」と呼ばれていることが多い。「第一次長州征伐」は実際の戦いには至らず長州の降伏により終結したが、ここまでは「征伐」と呼べるかもしれない。しかし第二次「征伐」は、惨憺たる敗北に終わった。「命取り」とか「やらなければよかった」と言われているのは、もちろんこの第二次の方なのである。
 幕府側が負けているのに、この戦いを「第二次長州征伐」と呼ぶのは、著者によれば「名前負け」だ。一方、山口県では今でもこの戦いを「四境戦争」と呼んでいるという。大島口、芸州口、石州口、小倉口の四つの戦線で戦いが繰り広げられたからで、戦争の実態をよく表しているし、カッコいい呼び方だが、あまりにも長州中心である。「長州戦争」とか「幕長戦争」と呼ぶ方が確かに客観的だろう。
 一大名にすぎない長州が、薩摩と密かに同盟していたとはいえ、事実上単独で、幕府・諸大名連合軍を相手に四方面での作戦を繰り広げる、というのは、戦史的にはなかなかおもしろそうな題材である。
 しかし本書は戦史ではなく、あくまでも歴史の本。「長州戦争」そのものの戦闘経過は、全体の4分の1くらいで語られるだけである。まあ、その部分だけでも充分おもしろい―特に戦国時代に勇名を馳せた井伊家や榊原家が、長州の近代的ゲリラ戦術に惨敗するあたり―が、戦史だけを求める読者にはもの足りないかもしれない。
 著者が主に語るのは政治である。長州戦争の6年前、京都朝廷と長州との関係から語り始め、禁門の変、長州攘夷戦争と、開戦までに至る長州と幕府の複雑な動きを解きほぐし、「やらなければよかった戦争」がなぜ始まってしまったか、その過程を追っていく。幕府勢力と長州との闘争を中心に見れば、複雑怪奇に見える幕末から戊辰戦争に至る動きが、不思議なほど明快に見えてくる。だから本書は、明治維新前史としても格好の読み物である。
 さらに、こんな読み方もできる。長州の毛利家は、いうまでもなく、関ヶ原の戦いで名目上とはいえ西軍の総大将だった。関ヶ原で敗れ防長二州に押し込められた毛利家が、この長州戦争に勝利することによって反幕府勢力結集の核となる。長州に呼応した薩摩(これも関ヶ原の負け組)、土佐などの有力大名が京都に攻め上って鳥羽伏見でまた勝利し、西国諸藩がなだれをうって反幕府側に寝返り(あの井伊家でさえも)、ついには明治維新が達成される。つまり、長州戦争は、260年余を経て勃発した「関ヶ原リターンマッチ」の第一幕、としても読めるということだ(本当か?)。

長州戦争―幕府瓦解への岐路 (中公新書)


楽園の日々:アーサー・C・クラークの回想/アーサー・C・クラーク;山高昭訳(ハヤカワ文庫SF,2008)
 原題は、Astounding Days : a Science Fictional Autobiography (1989)、翻訳単行本は1990。18年を経ての文庫化ということになる。文庫版発行日は6月25日。3月19日にクラークが亡くなって、追悼記念で急に文庫化の話が出たのだろう。

 同じようなことをブログで書いている人もいるが、読んでから、『楽園の日々』という邦題は、なんか違うのではないかと思ってしまった。この本はクラークの回想が3割、英米SF誌に一時代を築いた「アスタウンディング・ストーリーズ」の歴史が7割くらい。ASの歴史といっても、クラークの目から見たものだから、回想といえば回想なのだが。タイトルをなるべく忠実に訳せば『アスタウンディングとの日々』、むしろ『アーサー・C・クラーク「アスタウンディング」誌を語る』の方が内容に合っている。
 1930年、13歳のアーサー少年は、創刊されたばかりの「アスタウンディング・ストーリーズ」(長いので以下、ASと略す)と出会う。「それは、私の人生を決定的に変えた」とクラークは書いている。
 創刊当時のASは、後に「アナログ」へと変身するハードでハイレベルなSFの牙城とはほど遠い。パルプ雑誌の典型である。掲載作品の半分以上は、今では忘れられた作家の冒険SF。ただ、レイ・カミングスやマレイ・ラインスターといった、日本でも(オールド・ファンには)知られている作家の名前もある。
 初期のAS掲載作品は、どこからどう見てもB級どころかC級、今から見ればSFとしても小説としてもダメダメな作品がほとんどである。だが、ダメ作品に容赦なくツッコミを入れるクラークの文章の楽しそうなこと。夭折した天才作家ワインボウムや彗星のごとく登場した「新人作家」ハインラインの作品を讃えながらも、同時にB級もC級も、バカSFも含めたす 奇しくもクラークと同年に亡くなることになった野田昌宏が、昔のSF雑誌のしょうもない作品を嬉々として紹介していたのと同じ空気が、そこには確かに感じられる。何より、本書52ページにあるクラークの言葉が、すべてを語っている。「SFは、あまり真剣にならないときのほうが楽しいのだ。」
 歴史に埋もれた作品に注ぐ愛情は、前に紹介した野田大元帥の『科學小説神髄』と同じ。これはクラーク版「SF実験室」なのだ。
 明らかに、本書を書いている時のクラークは、正統派SFの巨匠ではなく、一人のSFファンである。というか、立派なオタクである。H・P・ラヴクラフトを評価するあたり、そのオタク感性の鋭さをうかがわせる。

 本書を読むと、クラーク自身の作品が、ハインラインやアシモフの作品のようなドラマチックなストーリー展開に乏しいにもかかわらず、SFファンを惹きつけてやまないのも、テーマの壮大さに加えて、実は作品の奥底から漂う微妙なオタクっぽさの作用だったかもしれないと、ふと思ったりもするのだ。

楽園の日々―アーサー・C・クラークの回想 (ハヤカワ文庫SF)

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2008年12月 2日 (火)

大江戸番付づくし

大江戸番付づくし/石川英輔(実業之日本社,2001)
 とにかく江戸時代の人々は、何でもかんでも「番付表」にしたてあげた。これは、江戸の「見立番付」コレクション。要するにランキング集。
 どんな「番付」があるかというと、まずは現代の日本でもおなじみのものから、第一章の料理茶屋、うなぎ屋、酒など飲食関係。江戸時代から、日本人はグルメランキングが大好きだったのだ。
 職人の種類、名刀、儲かる商売。これもまあ、似たようなものがないとは言えない。儲かる商売の筆頭は、大関(この時代の相撲にはまだ横綱という位はなく、大関がトップだった)の米屋(米問屋)と両替屋。続いて関脇の唐物屋と造酒屋となっている。もっとも、番付外に書かれている「勧進元」(主催者)の呉服店と「差添人」(副主催者)の廻船屋は別格扱いだから、本当に儲かっていたのはこっちかもしれない。
 第三章のの山、橋、名所旧跡、温泉、神社仏閣、祭り、物産、これも今でもよくあるランキング。山の番付では、富士山が「勧進元」になっていて別格扱い。ところで富士山の相棒の「差添人」は、何と天保山である。天保山は大阪市内にある、「日本一低い山」。これを富士山と組ませるというのは、すごいギャグのセンスだ。番付そのものは、東の鳥海山、西の阿蘇山が大関になっている。また、主観的な格付けが多い番付の中で、神社仏閣の番付は、それぞれの寺社領の石高で並べてある。要するに寺社を財産で格付けしているわけで、実に客観的なランキングではあるが、生臭い。今の時代に全国の神社仏閣を年間収入の順に格付けなどしたら、抗議がどっと来そうだ。
 時代を感じさせるのが、第二章に出てくる「よい娘悪い娘」(これは明治時代のものだが)、「よい奉公悪い奉公」、「よい女房悪い女房」あたりか。今では作りたくても作れないランキングである。なお、「娘」や「女房」というのは、別に個人をランキングしているのではなく、性格や行動を挙げているのである。「よい娘」の大関は「針仕事の好きな娘」、「悪い娘」の大関は「親へ悪口する娘」となっている。しかしこの二つは両立することもあると思うのだが、その場合はどうなるのだろう。
 他に、ほとんど言葉遊びの「大小くらべ」、「雲泥の差があるもの」なども江戸独特のランキングか。「大」の大関は「大坂米相場」、「小」の大関は「伊勢暦の字」なのだそうだ。客観的な大小を言ってるのではなく、完全に冗談の世界だとわかる。こういうランキングの方が、この時代の人間のセンスがよくわかる。
 世の中のすべてを相撲番付に見立ててパロディ化してしまう江戸時代人の。現代人と代わらない遊びの精神を確かに感じる、楽しい本である。ただ、ところどころで石川英輔の著作につきものの江戸時代礼賛、現代社会批判が目につく。この本のテーマからいって、そんなことを書く必要はないと思うだけに、どうもその部分が鼻についてしまうのが残念だった。

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2008年11月22日 (土)

名字の日本史

名字の日本史/森岡浩(ビジネス社・B選書,2005)
 著者は『 日本名字家系大事典』(東京堂出版)など、名字に関する本を多数出しているライター。本人のホームページには、「姓氏研究家・野球史研究家」とある。森岡浩之と名前が似てるが全然関係ない。
 「まえがき」によれば、この本は「名字の歴史」ではなく、「名字から見た日本史」であり、単なる「雑学本」ではなく「日本通史」だという。
 実際には、主な名字のルーツや変遷、歴史上で重要な役割を果たした家系にまつわる「名字の歴史」と、名字とは必ずしも直接関係しない、単なる日本史上の人物を扱ったエピソードを混じえて、古代から中世、近世、近代へと、目立つトピックスを基本的に見開き単位で語っていく構成。厳密に言えば古代には「名字」はなく、「姓」のはずなのだが、この本では広い意味で家系につく名前を全部名字と呼んでいるようだ。
 全七章だが、そのうち三~五章、ページ数にすると全体の半分近くを、鎌倉~戦国時代を扱った「武家編」が占めている。「武士の誕生と名字の爆発」の項で説明されているように、武士たちが古代からの姓のかわりに、自分で勝手に「苗字」を作り出して日常の名乗りに使うようになって、日本を世界有数の「名字が多い国」とすることになった原因を作ったのがこの時代だからだ。それにしても「名字の爆発」という表現はすごいね。「カンブリア爆発」みたいだ。
 歴史エピソードの合間には、都道府県ごと地域的特徴を1ページで解説した「お国の名字」のパートがあり、さらになぜかこの部分だけ字が大きい「なるほどコラム」と「珍名さんいらっしゃい」がはさまる。その上、半ページの空きスペースを使って、小さい字のミニコラムもあるというサービスぶり。
 個々のエピソードには興味を引くものもあるし(「現存する豊臣姓と羽柴姓」とか、「支倉使節団とスペインの「日本さん」」とか)、歴史上の誤解を解くエピソードもあったりして(「江戸時代、武士以外には名字がないという大嘘」とか)、おおむねデータ的にも正確だと思うのし、情報量の多さは特筆もの。ただ、著者が宣言したように「通史」になっているかというと、構成がごちゃごちゃしている上に、雑多な情報をあれこれ詰め込みすぎて、結局雑学本になってしまっている。まあ、雑学本だと思って見れば、かなりよくできた本だと言えるだろう。

名字の日本史 (B選書)

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2008年10月22日 (水)

捕虜たちの日露戦争

捕虜たちの日露戦争/吹浦忠正(NHKブックス,2005)
 戦争になれば当然捕虜という存在が生まれる。日露戦争でも、敗れたロシア側に7万人を超える膨大な数の捕虜が出たのはもちろんのことだが、日本からも約2000人の捕虜が出て、ロシアのメドヴェージ村に収容されていた。
 著者は公文書や日記などの資料や現地取材により、捕虜たちの経歴、収容所での生活、帰国とその後の状況などを丹念に調べている。労作である。特に前半部分の、メドヴェージ村の日本人捕虜たちについての記述は、これまでほとんど知らなかった部分で、目新しかった。
 一方、日本が捕虜にした外国将兵については、この後の第一次世界大戦でのドイツ人捕虜を、徳島県の板東収容所で厚遇したことが、映画にもなったくらい有名である。が、この本によれば、ロシア人捕虜も自由散歩や観劇を許されたり、大量の慰問品が送られたりして、結構寛大に扱われていたという。大阪の浜寺(今の浜寺公園のあたり)に、2万人以上を収容する最大の収容所(テント村だったらしい)があったというのも、この本で初めて知った。だいたい、第一次大戦の時のドイツ人捕虜より、日露戦争の時のロシア人捕虜の方がはるかに数が多いのに(というか、日本が歴史上抱えた最大の捕虜集団だろう)、知られてなさ過ぎるのではないか。(私が知らないだけかもしれないが...)
 日本の捕虜生活についても、個人の記録を元にきわめて具体的に書かれているが、労役もなく待遇はよかったようだ。食料は肉も含めて不足なく供給されており、紅茶は飲み放題、時々は酒も支給され(将校はいつでもビールが飲めたそうだ)、時間を決めて市中に買い出しに行くことも認められていた。日本人捕虜の一人は、収容所の周辺をかなり自由に歩き回って大量の写真を撮っており、この本の貴重な資料になっている。ちなみに、ロシアでの捕虜収容所というと、第二次大戦の印象ですぐシベリアを連想するが、メドヴェージはロシア本土、モスクワとサンクトペテルブルクの中間くらい、古都ノヴゴロドの近くにある。もちろんロシアだから冬は厳しいが、シベリアほど過酷な環境ではなかったわけだ。まあ、別に捕虜たちの健康のためにメドヴェージに収容したわけではないのだが。(なぜ遠く離れたロシア本土に捕虜たちを連れてきたかについては、ちゃんと理由が説明してある。)
 両国ともに後の第二次大戦の時とはえらい違いである。
 ただ、日本に帰国した捕虜が冷たい目で見られたり、サハリンでロシア人捕虜の殺害事件があったりという暗い面も、著者は忘れることなく書いている。とはいえ、この時代は全般的に日本もロシアも捕虜に対してかなり人道的な扱いをしていたことは間違いないようだ。日本での、捕虜になったことを恥辱とするという観念も、後の時代ほどはきびしくなかったらしい。
 この頃はまだ余裕があったということなのだろうか。捕虜の扱いについて、第二次大戦やその後の歴史で起きたことを思うと、人類は歴史に学んでないとしか思えない。

捕虜たちの日露戦争 (NHKブックス)

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2008年10月14日 (火)

9月に読んだ本から(2)

昨日の続き。9月に読んだ本からまた2冊。

SFはどこまで可能か?/福江純(扶桑社・空想科学文庫,2004)
 SF好きの天文学者としてその世界では有名な作者が、SFの主要テーマと最先端科学をからめて語る、『やさしいアンドロイドの作り方』(1996)の改題・増補版。
 この「空想科学文庫」というのは、扶桑社とメディアファクトリーが共同で刊行しているという変なシリーズで、柳田理科雄の『空想科学読本』など、SFや特撮・アニメに科学的ツッコミを入れる一連の本を収録している。その中では、この本は明らかに方向性が違っていて、なぜ収録されたのかよくわからない。
 取り上げられているSFのテーマは、宇宙人、宇宙旅行、宇宙移住、時間旅行、異次元、ロボット、遺伝子操作、ミュータント、不老不死とごくごくポピュラーなものばかり。最終章のみ、「他者との相互理解」という抽象的なものだが。それぞれのテーマに対応して取り上げられている作品も、「スタートレック」、「スターウォーズ」、「2001年宇宙の旅」、「機動戦士ガンダム」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」など、誰でも知ってるようなタイトルから入っていくのが常。
 SFにも科学にも素人の読者が入れるように、入り口は広く開けてあるという印象である。もっとも、話が深入りするにつれ、ベンフォード、フォワード、アシモフ、アンダースン、バクスター、ソウヤーなど、それなりのSF作品のタイトルが出てきて、話はどんどんマニアックになっていく。中にはラリー・マドックの「TERRAの秘密工作員」などというかなりマイナーなシリーズも出てきたりする。この落差はなかなかすごい。
 なお、タイトルとは裏腹に、SFの実現可能性をそんなに真剣に論じているわけではない。そういうテーマならロバート・L・フォワードの『SFはどこまで実現するか』(ブルーバックス)が、ずっとマジメである(タイトルはよく似ているが)。この本は、SFと科学を巡る、SF好き科学者のエッセイ集として読むべきだろう。

本能寺の変/樋口晴彦(学研新書,2008)
 著者は元警察官僚で、警察大学校教授。企業経営、組織論の著作の一方で、『信長の家臣団』などの戦国史ものや戦史も書いている。この本は、本能寺の変について世間に氾濫する謀略説その他、憶説俗説に反論するのが執筆の動機らしい。
 著者はまず序章「光秀の人物像」で、明智光秀にまつわる小心者、保守的、神経質といった、「線の細い優等生」みたいなイメージを一つ一つ史料を元にくつがえしていく。さらに、武田攻めから本能寺の変の前夜までを述べる第一章、第二章では、光秀が謀反を起こすに至った動機に関する様々な説(信長のせいで母を殺された、徳川家康の饗応にあたって不手際を責められた、領地を召し上げられた、etc.)に反論。光秀の謀反の原因は怨恨でも謀略でも恐怖でも反感でもなかったと断定する。
 ではなぜ本能寺の変が起きたかというと、偶然がもたらした千載一遇の「天下取り」のチャンスがそこにあったから、というのが著者の主張。その主張を補強するように、本書の後半では当時の織田勢力圏下各地の情勢を分析し、光秀には充分な勝算があった、と結論づける。光秀の唯一の誤算は、羽柴秀吉が自分に敵対し、信じられないような早さで畿内に引き返してきたこと。著者によれば、この二人は織田政権内では似たような立場で、元々仲が悪いわけではなく、光秀は秀吉が自分の側につくことを期待していたのではないかという。秀吉が本能寺の変をいち早く知ったのは、毛利への密書をたまたま入手したのではなくて、光秀から味方になるよう誘いの手紙を出したのではないかというのが著者の推測で、これは今までになかった見方である。
 著者の主張、特に光秀の謀反の動機には無理がない。「そこにチャンスがあり、勝算もあったからだ。」史料から見る限り、それ以外の動機は見いだせないという消去法ではあるが、確かに説得力はある。
 ただ、当たり前といえば当たり前すぎて、何だかおもしろみがないことも確か。好みの問題かもしれないが、もうちょっと深いドラマを期待するのは、歴史小説の読み過ぎだろうか。司馬遼太郎の『国盗り物語』はじめ、多くの小説で、光秀が謀反を決意するまでの心理の動きを克明に追い、読者を納得させよう力を注いでいるのに、「チャンスがあったから謀反しちゃいました」では身も蓋もないではないか。
 本能寺の変前後の各地、各武将の動静は非常にわかりやすく書いてあって、歴史ドキュメントとしての有用性は高い。

本能寺の変―光秀の野望と勝算 (学研新書 32)

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2008年10月13日 (月)

9月に読んだ本から(1)

 9月に読んだ本から、まず2冊。

三蔵法師/中野美代子(中公文庫,1999)
 「三蔵」という称号を持つ僧は、知ってる人も多いと思うが、何人かいる。本書の257ページあたりにもそのことが書いてあって、そもそも「三蔵」というのは「経」「律」「論」という三種類の仏教経典すべてに通じた高僧という意味の称号で、古くは晋代の鳩摩羅什をはじめ、この名で呼ばれる僧はけっこう多いのだそうだ。唐代だけでも義浄、不空など何人かの「三蔵」がいる。
 しかしこの本の「三蔵法師」というのはもちろん、俗名を陳イ[衣+韋]、法名を玄奘という、『西遊記』のモデルになった人物である。中国でも単に三蔵法師といえば玄奘を指すのは昔からもことのようで、唐代にすでに、、上に書いたように他に何人も「三蔵」がいたにもかかわらず「唐三蔵」=玄奘という図式ができていたらしい。何しろ唐の太宗李世民が自ら玄奘の事績を讃えて「大唐三蔵聖教序」という文章を書いたくらいだから、三蔵といえば玄奘、というのはいわば皇帝のお墨付きだったわけだ。
 ちなみに「玄奘」は日本では普通「げんじょう」と読まれているが、これは実は誤りで、本当は「げんぞう」と読むのが正しいそうだ。「げんじょう」があまりに定着してしまって今さらどうしようもないので、著者も最初の方でそのことを指摘した後、慣用に従うと書いている。
 それはともかく、この本は玄奘の生涯、特にインドへの取経の旅を語るのはもちろん、いかにも中国文学の専門家らしく、実在の玄奘がいかに伝説上の人物となっていくか、そのイメージの変遷にもスポットを当てている。もっとも、著者の専門である『西遊記』まで筆が及ぶとページ数が増えすぎるためか、『西遊記』への言及は最小限に留めているようだ。
 『西遊記』の三蔵法師があまりに弱々しく、日本のドラマでは女性が演じているせいもあって、玄奘といえば女みたいな優男というイメージが強いようだが、この本で描かれている玄奘は、当たり前といえば当たり前だが、そんな人間ではない。国禁を侵してまで出国する強固な意志力と行動力、砂漠や猛暑の地での過酷な旅に耐える頑健な身体、異国での活動を可能にする巧妙な交渉力と政治力、それにもちろん並外れた知力を兼ね備えた、男の中の男ともいうべき人物だったのだ。
 そんなたくましい三蔵を、一度映像でも見てみたいものである。

三蔵法師 (中公文庫)

天竺熱風録/田中芳樹(祥伝社・NON NOVEL,2007)
 唐の時代、三度にわたってインドに使いした王玄策を主人公にした歴史冒険小説。
 別に三蔵法師つながりで読んだわけではないのだが、冒頭、主人公よりも先にいきなり玄奘が登場する。この作品の玄奘は「六尺にも届きそうな長身」、「堂々たる偉丈夫ぶり」で、「壮年の英気が全身にみなぎって」いるという逞しい中年男として描写されている。上の『三蔵法師』でのイメージのとおりで、この方が実像に近いだろう。
 ところでこの作品で玄奘が登場するのは数ページだけ、主人公、王玄策の行く手を暗示する不吉な予言をするためだけに出てくる。王玄策があまりに無名なので、有名人をまず登場させて読者の注意を引く趣向である。
 その主人公、王玄策だが、詳しいことはほとんどわかってない。2回目にインドに渡った際、北インドの覇者ハルシャ王が死去して臣下のアルジュナが王位を簒奪しており、王玄策一行は簒奪者に捕らえられるという災難に遭う(冒頭の玄奘の予言というのは、このハルシャ王が死んだという予知夢だったのだ)。だが、王玄策たちはどうやってかわからないが脱出し、どうやってかわからないがチベットとネパールから1万弱の兵を借りて、どうやってかわからないが簒奪者政権の大軍を破り、アルジュナを捕虜にして唐に連れ帰る。そんなことが『旧唐書』にごく簡単に書いてある。原文の文章は、1ページ分あるかどうか。
 その簡単な記述から想像をふくらませ、インドを舞台にした冒険活劇に仕立て上げたのがこの小説。大筋は歴史のとおりだが、ディテールはすべてフィクションである。古い時代の中国を舞台にした歴史小説というのは、だいたいがそんなものだが。後半の戦闘シーンでは、いかにも田中芳樹らしい、読者にはおなじみの戦術や戦法が繰り出される。
 講談調の文章だけが、田中芳樹作品としては異例。あとがきに、ずいぶん悩んだ末にこの文体を選んだようなことが書いてある。史実が元とはいえ、神秘の地インド、超人的な活躍をする中国の外交官、と現実離れした要素の多い物語だけに、こういう語り口も手法としてはありかもしれない。少なくとも、読んでる間にあまり違和感は感じなかった。
ただ、この文体のおかげで、せっかく歴史に埋もれた英雄を掘り起こしてきたというのに、全体的に昔話みたいな現実味のない雰囲気になってしまっているのも事実。普通の文章で書くことも充分にできたのではないか、という気もする。
 なお、この小説で王玄策に同行する王玄廓と、彼岸、智岸の両法師は、史料の上では王玄策とは何の関わりもないらしい。そのあたりも含め、この小説と史実との違いを検証したページが中国史愛好サイト『枕流亭』(http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/)に掲載されていて、なかなかおもしろい。

天竺熱風録 (ノン・ノベル)

(カバーと本文イラストは藤田和日郎)

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2008年10月 9日 (木)

<鬼子>たちの肖像

<鬼子>たちの肖像 中国人が描いた日本/武田雅哉(中公新書,2005
 「鬼子」(グイヅ、と読む)という言葉で多くの人がまず連想するのは、満州事変から太平洋戦争終戦に至るまでの、中国に攻め込んだ日本兵に対する、中国の側からの憎悪のこもった呼び方「日本鬼子」だろう。
 実際、この本でも第1章では20世紀前半から現在までに至る「日本鬼子」のイメージを取り上げている。が、そういうテーマを扱った本なのかと思うと、これは全体から見るとプロローグに過ぎないのだった。
 第2章ではいきなり時代が遡って、中国で言う「鬼」とは何かという根元的な問いかけに始まり、明朝以前の書物に現れた「日本人の図」を扱う。だがこれもやはり前説にすぎない。
 この240ページあまりの本のうち、200ページほどは、清末の「画報」に現れた日本と日本人に関する絵入りの報道を扱っているのだ。本来、これが武田雅哉の専門分野なのである。
 「画報」というのは、まあ日本の瓦版みたいなもので、はっきり言って興味本位のB級メディアである。だからこそ、近代化の曲がり角に立つ時代の中国から日本に向けた、かなり下世話な生のまなざしというものが見てとれる。ちなみにその見方というのは、別に好意的というわけではないが、特に悪意がこもっているわけでもない。「日本人というのは変な連中だよ」みたいな感じである。もっとも、日清戦争の期間中だけ日本人に対する見方が極端に悪意に満ちてきたりしている(それでも日中戦争時ほどではないと思うが)。そして、そんな「画報」の報道ぶり自体が、現代の日本人読者から見ると、かなり「変」なのだ。題材としてはおもしろいし、独創的である。(武田雅哉の本というのはどれも、独創性が命、みたいなところがある。)
 だからそれはそれでいいのだが、このタイトルから、「清末中国が報じた日本」がメインであることがわかるだろうか。まあ、人目を引くタイトルには違いないから、出版社の作戦としてはいいのかもしれないが、日中戦争に関する本だとばかり思って買った人は怒らないだろうか。

「鬼子」(グイヅ)たちの肖像―中国人が描いた日本人 (中公新書)

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2008年9月24日 (水)

大坂の陣 リアル&架空

 大坂冬の陣、夏の陣を題材にした歴史書は多い。無論、歴史小説も。そして、架空歴史小説も、やたらと多いわけではないが、いくつかはある。だけど、同じ著者が、ノンフィクションと架空小説の両方を、しかも同時期に出版している例は少ないだろう。

真説大坂の陣/吉本健二(学研M文庫,2005)
 「人物」と「合戦」に焦点をあてた「大坂の陣戦史」とでもいうべきノンフィクション。一応、大坂の陣の10年前の豊国祭に始まって、東西決裂に至るまでの政治的な動きから、大坂落城後の後日談までをカバーしているのだが、ページの大半は詳細な戦いの描写に費やされている。戦いの説明には必ず戦況図がつき、両軍の人数、指揮官、部隊ごとの動きが、細かく述べられ、大坂と江戸、両陣営のかなり複雑な動きが、きわめてわかりやすくまとめてある。
 ただ、その語り口は、歴史というより物語風で、ほとんど小説と区別がつかないくらい。「幸村は普段の穏やかな表情が消え失せ、激怒した。」とか、そんな感じの描写がやたらと出てくる。スポーツ・ドキュメンタリー風というか。
 固い歴史ファンからは異論も出てきそうな書き方なのだが、そのおかげで、この本がきわめて読みやすいものになっているのは確か。いかにも『学研M文庫』らしい本ではある。
 しかしタイトルの「真説」というのは、何の意味なのだろうか。今までの常識を裏切る意外な真実が述べてあるわけでもないし、誰も知らなかったような新事実を明らかにしているわけでもない。この本だけ読んでも、結局よくわからない。
 単なる憶測だが、この著者が同時期に出した、大坂の陣を舞台とする架空戦記に対して、「真説」と言ってるのだろうか。「架空」に対する「真」ということで。

 なお、吉本健二の著作は、戦国もの架空歴史小説が圧倒的に多い。別ペンネームではアニメ関係のノンフィクションや右派言論誌に書評なども書いていた。

真説大坂の陣 (学研M文庫)

 で、「本領」である架空歴史小説で、大坂の陣を舞台にした作品がこれ。ちなみに、上の『真説大坂の陣』は、こっちの架空版の1巻と2巻の間に出版されている。
 実際に1巻から読み始めたのは、『真説大坂の陣』を読んだ直後なので、非常に話が理解しやすかった。

反大坂の陣 1~4/吉本健二(学研・歴史群像新書,2004-2005)
1 講和成らず
 しょっぱなで淀殿が死んでしまう。大坂冬の陣の最中、史実では当たらなかった徳川方の砲撃が命取りになったのだ。つまりここが、SFでいう「歴史転換点」。
 そのため秀頼をはじめとする大坂城の面々がいきり立ち、冬の陣の講和がならなかった、というところから架空歴史が始まるの。「大坂の陣」という絶体絶命の状況から豊臣家がいかに盛り返していくのか、話の焦点はそこになる。とりあえずこの第1巻、足を引っ張る淀殿がいなくなったせいか、大坂方が優勢に戦いを進めることになる。

2 京洛の攻防
 この手の架空歴史ものは、実際の歴史にまだ引きずられる部分があるのか登場人物がなかなか死なずに増えていくばかりというパターンが多いのだが、この小説の場合、史上の有名人物を遠慮なく次々と殺していくのがある意味痛快。1巻目でいきなり淀殿が死ぬのが代表だが、とにかく登場人物がよく死ぬ。特に幕府側で殺される人物が多く、作者が楽しんでいるのではないかという気もする。それはともかく、2巻目では大坂方が城を包囲する徳川方の大軍を退け、京都に討って出る。

3 忠臣と叛臣と
 大坂城から出撃した豊臣家と京都方面へ退却した徳川家の戦いは、京都東南での攻防、山崎の戦いへと続いていく。反撃に出たとはいえ、徳川方に比べると数では劣る豊臣勢を有利に持っていくため、徳川方に離反、裏切り、仲間割れなど、内紛が相次ぐ展開になっている。忠臣も叛臣も何人もいるので、タイトルが誰を指しているのかよくわからないが、徳川方での忠臣の代表は立花宗茂、叛臣の代表は伊達政宗だろう。伊達政宗というのは、とにかくこの手の小説では裏切るのが当たり前、というお約束キャラクターになっているようだ。(だから、伊達政宗が裏切る、と書いてもネタバレにもならないと思う。)
 豊臣方の忠臣代表は言わずとしれた真田幸村。叛臣は織田有楽みたいな小物くらい。とにかく徳川方は中身がガタガタで大軍の利が生かせず、豊臣方は寡兵を集中運用して戦いを有利に進めるというのが基本パターンになっている。まあ、そうでないとどう考えても豊臣方は勝てないのだから仕方がない。豊臣秀頼が異様なほど人間ができていて有能なのも、この手の小説のお約束。

4 復活への道
 というわけで、この無理矢理な歴史シミュレーションも大詰め。京都から退却した徳川家康を豊臣勢が追撃、徳川方から有力武将が次々離反してこれに加わり、ついに家康は駿府城に追いつめられる、という予想どおりの展開。最後は豊臣方にとってもハッピーエンド、とはいかないのだが...。
 ラストに至っても、豊臣家は西日本を一応抑えているだけで、その基盤は脆弱なまま。結局、大坂の陣の前から何もよくなってはいないのではないか。新たな乱世を迎えて真田幸村が「これからが本当の戦いよ……」と言うところで話は終わるのだが、何となく、少年誌連載マンガの、途中打ち切り「第一部完」を思わせるような終わり方である。本当はこの続きこそおもしろいと思うのだが。
 この話の本質は、大坂の陣の勝敗を逆転させたい、という一点だけなので、徳川幕府が滅びた後などどうでもいいのだろう。

 考えてみれば、著者がノンフィクションと架空戦記で使った資料は、ほとんど重なっているはずだ。同じ資料を使って、リアルと架空で二度の商売。なかなかうまいやり方である。

反 大坂の陣1

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2008年8月12日 (火)

7月に読んだ本から

 7月に読んだ本から2冊。

風の歌、星の口笛/村崎友(角川文庫,2007)
 2004年に横溝正史ミステリ大賞を受賞した作品。だからミステリとして売られているが、どう見ても完全なSF。
一見バラバラな三つのストーリーが平行して進む構成。
 物語Aは、「マム」と呼ばれる全知全能の人工知能(?)がコントロールする世界で、売れない探偵をやっているトッドが主人公。絶対壊れるはずのないロボットのペット「ロペット」の相次ぐ「死」、異常気象、ライフラインの故障と、完璧にコントロールされているはずの世界が、なぜか急速に壊れ始める。世界が終末に向かう中、トッドはこの混乱に乗じて統治組織「マミーズ」のビルを襲撃し、金庫破りをしようという一味に加わることになる。とんでもない探偵もいたものである。
 物語Bは、地球から25光年離れた植民星プシュケの調査に向かう宇宙船クピドの乗組員、地質学者のジョーが主人公。宇宙船の乗組員はジョーと女性科学者クレイン博士の二人だけ。かつて、死に瀕した地球(そのわりには、まだ滅亡しそうな様子はないのだが)から人類の希望を託して開拓されたプシュケは、しかしどういうわけか砂漠化し、文明はおろか生命の痕跡すらない死の世界に変わっている。その荒涼とした世界の中で、二人は出入り口の一切ない謎の建物を発見。壁の亀裂から光ケーブルを差し込んで内部を調査してみたところ、天井に貼りついてミイラ化した人間の死体を発見。この人物は出入り口のまったくない建物にどうやって入ったのか、そしてなぜこんな死に方をしたのか...。密室殺人(?)と、惑星の死んだ理由、二つの謎を解くための二人の捜査が始まる。
 物語Cは、地球での出来事。交通事故で入院していた学生マツザキ・センマが半年ぶりに退院し、恋人スウに会いに行くと、彼女は姿を消していた。そればかりか、周りの誰もが、彼女の存在自体を知らないという。スウは事故の影響で生じたセンマの妄想の産物なのか。恋人の実在を信じるセンマは、身辺に迫る謎の組織の影に脅かされながら、孤独な探索を続ける。

 三つのストーリーとも、謎解きの要素はあって、それなりにミステリの要素はある。同時に、読んでいくうちに見えてくるのは、これが同じ世界を巡る、三つの異なる時代の物語だということだ。時系列順に並べると、物語Cが、プシュケへの移民船を送り出す直前の地球、物語Bの舞台が滅亡寸前のプシュケ、物語Bが滅亡後のプシュケが舞台、どう見てもそうとしか思えない。
 が、「これは作者の罠だ」と、そこで思ってしまうのが、叙述トリックにさんざんだまされてきた読者の悲しさ。一見明白な物語の時系列が、実は全然違っていて、そのこと自体がとんでもないトリックになっている、というのは、近年のミステリではよくあるパターンなのだ。
 で、この作品もミステリを名乗る以上は、三つの物語の時系列が、一見C→A→Bのように見えるが、実はそこにとんでもないどんでん返しが仕組まれているのでは、なんてつい思ってしまうのである。
 結果はあえて言わないが...。やはりこの作品は、ミステリとしては物足りない。SFとして読むのが正解だろう。でもSFとしてよくできているかというと、それも今ひとつという気がするが。

戦国三好一族 天下に号令した戦国大名/今谷明(洋泉社・Modern Classics 新書, 2007)

 戦国時代前半の京都のことは、意外なほどに知られてない。小説にも歴史ドラマにもほとんど出てこない。応仁の乱(1467~1477)から織田信長の上洛(1568)までの間、約百年間が無視も同然の扱いを受けているのだ。考えてみれば、仮にも日本の政治の中心なのに、不思議である。
 この本は、タイトルのとおり戦国大名三好一族について書かれたものだが、同時に、この百年間に京都とその周辺で何が起きていたかを物語っている。
 著者は大学院時代から戦国期畿内政治史をテーマにしていたというが、その頃、「学界は当時戦国大名の研究が盛んであったが、ひとり畿内地方だけは、有力な戦国大名が出ることなく終り、封建領主の激しい抗争にとり残された区域としてあまり問題にもされず、空白のままにおかれていた」のだそうだ。学界でも無視されていたのだから、一般に知られてないのは当然である。1470年頃から1570年頃までの京都は「空白の百年」と言ってもいいくらいである。
 そんな中、この空白を埋めるべく戦国時代の畿内の古文書を調査していた著者は、一群の「あるはずのない年号」を記した文書の存在に気づく、というのが「プロローグ」。謎めいた出だしで読者の注意を引く。これは16世紀初頭、正統の将軍とは別に堺に実質上の「幕府」が存在して畿内を支配していた時期があり、その役人たちが発給した文書なのだという。この説は当時一般からはほとんど注目を集めなかったが、小松左京が高く評価してくれたことから、マスコミにも取り上げられるようになったという。
 思いもよらぬSFの大家の名前まで登場して、これは一風変わった戦国史になるか、というのが「プロローグ」の印象。だけど、本編はごく普通の、政治闘争と武力抗争がひたすら続く、戦国時代絵巻なのだった。まあ、その方が古文書の分析よりも読んでおもしろいのは確かだが。
 で、「空白の百年」の間、京都に何が起きていたかというと、足利将軍家と細川管領家の勢力争い、それぞれの一族内での主導権争い、それに畿内の国人領主たちたちを巻き込んでの武力衝突がひたすら続いていたのである。京都周辺はずっと戦場だったのだ。
 そんな中で、細川家の傭兵部隊として阿波の国からやってきたのが三好家。中小の領主しかいない畿内では、三好家は群を抜いた武力を持っていた。その武力を背景に将軍も管領も押しのけて、畿内最大の実力者にのし上がろうとするが、二度にわたって挫折。三好之長は細川高国に、その孫三好元長は細川晴元に敗れて非業の死をとげる。三度目の正直で畿内を制圧し、一時は将軍も管領も京都から追い払って日本の中心部の支配者になったのが元長の子、三好長慶。この本の半分は長慶の事績で占められている。
 阿波から京に上って畿内五カ国と四国の半分を支配した三好長慶は、戦国時代最初の「天下人」と言ってもいい。しかし一度は追い出した将軍や管領をまた京都に呼び戻して和睦し、名目上とはいえその臣下に甘んじるなど、言動には煮え切らない部分が多い。その上、晩年は兄弟や嫡子を次々と失い、無気力に陥ったあげく、例の松永久秀に実権を握られる。三好長慶は有能で教養もあったらしいが、どう見ても信長ほどの苛烈さはなく、秀吉のような人心収攬術もなく、家康のような老獪さも備えていない。つまりは天下人の器ではなかったのだろう。
 大黒柱の三好長慶が死んだ後の三好家は、内紛で坂道を転げ落ちるように弱体化し、織田信長が上洛してくるとひとたまりもなく京都を追われる。その最後は、織田信長を主人公とするあまたの物語にちょこっと登場する「やられ役」でしかない。一時は天下をとっていたことなど、ほとんどの人に知られてないだろう。不幸な一族である。
 それにしても、「応仁の乱と信長の間」の京都は、けっこう波瀾万丈である。この時代については、もっと本が書かれてもいいのではないか。

戦国三好一族―天下に号令した戦国大名 (Modern Classics新書 14)

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2008年8月 8日 (金)

史記を語る

史記を語る/宮崎市定(岩波文庫,1996)
 元は岩波新書として1979年に刊行。約20年を経て岩波文庫への収録。すでに古典扱いということか?
 もと新書だけあって読みやすい。宮崎市定を「先師」と呼ぶ吉川忠夫(『侯景の乱始末記』2008年5月31日のエントリーの著者)の解説によれば、東洋史の大家、宮崎市定が岩波新書版を書いたのは78歳の時。文章は明快、論旨もわかりやすく、年の影響を感じさせない。まあ、この本を書いた後14年も健在だったのだから、この頃は学者としてまだまだ現役だったのだろう。
 内容も新書だからといってあなどってはいけない。単なる『史記』の解説や司馬遷の伝記ではなく、宮崎独特の解釈に満ちていて、けっこう刺激的。
 司馬遷の歴史家としての資質を容赦なく批判したり、『史記』の内容がフィクションだらけであると指摘したりしている。
 司馬遷批判については、例えば「世家」の最初に「呉」を載せたことについて、それは呉国のでっち上げた歴史にだまされたので、「司馬遷という男は、何か書いたものを見せれば、すぐ騙されやすい性質の学者であった。」とか、あるいは『史記』で権力に無欲な知識人たちを誉めているのを、「司馬遷は何でも断ることが好きな男であった。」と評したりしている。
 が、このような記述が司馬遷の像をひどく人間くさいものにし、かえってその人間像が親しみやすさを増す結果になっているのだ。それが元々の著者の意図だったのかもしれない。
 また、『史記』をフィクションだということは、中国古代史のかなりの部分がフィクションだというのと同じことである。宮崎市定はこの本で、夏、殷はもとより、西周時代まですべてがフィクションではないかと言っている。確実に存在していたのは「東周」以後の王朝であって、それ以前の王朝は周の時代にでっち上げられたものだというのだ。日本書紀、古事記の初期天皇みたいなものか。
 歴史好きとしては、ちょっと興奮させられる説だ。このあたり、歴史の虚構性を熟知している宮崎市定の真骨頂が伺える。
 ただ、学会の大家が主張したからといって、夏、殷、西周の非実在説は定説になっているわけではない。教科書的には、夏はともかく、殷と西周は実在したことになっている。それも歴史というものである。(ところでこれは日本での話で、中国では、夏が実在したことになっているどころか、三皇五帝まで歴史の本に載っている。)
 古代の歴史は決して確定したものではなく、疑おうと思えばいくらでも疑えるものだということを、素人にもわかるように書いてくれている。名著と言うべきだろう。

史記を語る (岩波文庫)

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2008年8月 6日 (水)

英雄たちの秘密

英雄たちの秘密 歴史の中の虚と実/尾崎秀樹(文春文庫,1990)
 大物評論家、尾崎秀樹が1971年に発表した『私設・史誌考 歴史のなかの虚と実』を改題・加筆修正した文庫版。
 尾崎秀樹といえば、本人がまだ生きている内から「尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞」なる賞が設けられたほど、大衆文学論で有名だし、代表作はそのものずばりのタイトルの『大衆文学論』。で、この本も、江戸時代の講談から戦後歴史小説までを主要な題材として取り上げているのだが、それだけではなく、古典、歴史文書、学術研究書から何やら怪しげな本まで、出てくる本は実に幅広い。
 この本だが、タイトルからすると、物語に出てくるイメージとしての人物に対し、歴史上の実像をさぐる、という内容が連想されるが、実際はそんな単純なものではない。「史実と違う、本当はこうなのだ」と切り捨てるのではなく、虚構に託された民衆の願望や、そこに反映する社会情勢まで切り込んでいる。だから、虚構の上にさらに虚構が加わる、などという例も多い。
 例えば、最初に取り上げられる『伊勢物語』の在原業平については、木村鷹太郎なる人の書いたトンデモ歴史を紹介する(「業平秘史」)。木村鷹太郎というのは戦前に数々のトンデモ本を書いた学者らしいのだが、この人の著書によれば、軟弱な色男とされてきた業平が実は英雄で、中国各地を歴訪して最後は台湾で没したというのだ。
 かと思えば徳川家康については、実は松平家とは何の縁もない遊行僧の子供で、松平家を乗っ取ってその一族を詐称したのだという異説を紹介し(「阿弥号の謎」)、宮本武蔵については史料から二人の人物の事績が一つに混同されているのではないかという仮説を述べ(「武蔵くらべ」)、忠臣蔵事件については、赤穂藩と吉良領との塩生産を巡る抗争が背後にあったのではないかと分析する(「塩をめぐる忠臣蔵」)。
 一方では、江戸末期に講談として知られていた美濃金森家のお家騒動「宝暦騒動」や(「歪められた宝暦騒動」)、怪談「真景累ケ淵」の元になった鬼怒川沿いの村での事件など(「羽生村奇聞」)、一般によく知られてない事件については、史実の説明や、それがどのようにして作品化されたかという由来の紹介をしている。
 よく知られた出来事や人物については、そこから派生した虚構、あるいは異説や仮説を展開し、虚構の元ネタになりながら、あまり有名でない事柄については事実を解説する。事実から虚構を引き出し、虚構に事実を発掘するという、史談と文芸評論が混じり合ったような、なかなか手の込んだ評論集なのである。
 「虚を実に変え、実を虚像化できる力は、大衆の中にしか存在しないものなのだ」という結びの文章に代表されるように、人々が史実に見いだしたイメージに独自の価値を認めているあたり、やはり歴史家ではなく評論家の視点だと納得させられる。もっとも、ちらほらとかいま見える民衆抵抗史観が、気になる人は気になるかもしれない。

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2008年7月21日 (月)

バルト三国の歴史

物語 バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア/志摩園子(中公新書,2004)
 中公新書の「物語○○の歴史」のシリーズの中でも、おそらく一番マイナーな国をテーマにした一冊。そして、たぶん日本人の手による初めてのバルト三国史概説。希少価値がある。
 バルト三国のうち、リトアニアは中世からあった国だが、エストニアとラトヴィアは20世紀までは存在しなかった国である。リトアニアも中世の終わり頃にポーランドに吸収されて国としては一旦消滅しており(さらにそのポーランドも一時期は消滅していた)、第一次大戦後に復活した。
 だからこの本が扱っているのは、主に地域の歴史で、国家の歴史ではない。その点で。国家の浮沈を描くようなドラマ性はあまりない。「三国」というイメージから、三つの国の争いの歴史みたいなものを連想する人もいるかもしれないが、上にも書いたように、そもそも20世紀までバルト三国というものは存在しなかったのだから、三国間の闘争が起きるはずがないのである。
 だが、この地で国や民族間の闘争が起きなかったかというとそんなことはないので、ポーランド、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、ロシアなど、周辺諸国の絶え間ない覇権争いが繰り広げられてきた。ドイツ騎士団とかハンザ同盟とか、国家だかなんだかわからない勢力も登場する。その名残は今でもバルト三国の文化に残っていて、エストニアはデンマークの、ラトヴィアはドイツの、リトアニアはポーランドの影響が濃い。
 こうした諸勢力の間で取ったり取られたりする歴史は、転変きわまりなく、「物語」の名にふさわしい。通常の国家史が一人の主人公を描くものだとすれば、こちらはいくつものストーリーの糸が絡み合う複数主人公もののドラマと言えるかもしれない。
 ただ、ソ連からの独立については意外とページ数が少なく、あっさりと流している印象がある。そこを詳しく書こうとすると、それだけで一冊の本になってしまうからだろう。

 ところで田中芳樹の『マヴァール年代記』にクールラントという国が出てくる。クールラントというのは、16世紀から18世紀までラトヴィア南部に実在した国である。正式名称はクールラント公国。もちろん、この本の中にも少しではあるが、この国が出てくる。民衆はラトヴィア人、支配層はドイツ人貴族、名目上はポーランド王に臣従し、最後はロシアに吸収されて消滅したという、この地域の象徴のような運命を辿った、短命の国である。本書では数ページで片づけられているが、実はこの徒花のような小国が、ヨーロッパ列強の植民地獲得競争に参加し、一時はアフリカのガンビアや中米のトバゴ島(トリニダード・トバゴの小さい方の島)を植民地化していた歴史がある。トバゴ島に今でも「Courland bay」という湾があるが、「Courland」はクールラント(Kurland)の英語風綴りだから、この地名は「クールラント湾」という意味で、かつての植民地の名残なのだ。なんとなく歴史マニアの興味をそそる国なのである。
 誰かクールラントの歴史を書いてくれないものだろうか...。無理だろうな。

物語 バルト三国の歴史―エストニア・ラトヴィア・リトアニア (中公新書)

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2008年7月 7日 (月)

王陵の考古学

王陵の考古学/都出比呂志(岩波新書,2000)
 「王陵」、言うまでもないが、王のみささぎ、つまりは権力者の墓である。
 日本の古墳から中国の皇帝陵、エジプトのピラミッド、ヨーロッパの王墓まで、「王陵」を世界的な現象として比較する、ユニークな歴史論。こういう視点から書かれた歴史の本は今まで読んだことがなかっただけに新鮮だった。
 まず最初に取り上げられている「王陵」は、日本の前方後円墳。続いて中国、東アジアと、近いところから遠いところへと視点が移っていく。まずは身近な話題で読者の興味をひいておいて、世界各地の「共通現象」としての「王陵」へと話を広げていくという、うまい構成である。
 ちなみに、中国以下で取り上げられている主な「王陵」は、次のとおり。
 中国の殷墓、中山王陵、始皇帝陵、東アジアでは高句麗の好太王陵(所在地は中国)、百済の武寧王陵(韓国)、中国西北部に移って遼や西夏の王陵。西に移動してエジプトのピラミッド、ヨーロッパではミケーネの王墓やローマのアウグストゥス廟、北ヨーロッパ各地の王墓(ヨーロッパには巨大王陵は少ないのだそうだ)。
 第6章「国家の形成と王陵」での分析によれば、世界各地の巨大王陵には共通性があり、「王陵は古代国家の形成過程のある段階で成立する」のだそうだ。ただ、すべての古代国家に王陵が出現するかというとそうではなく、巨大王陵を築く社会とそうでない社会がある。それは王の神格化の程度による、という。だからキリスト教圏やイスラム教圏みたいな、王が「神」になれない社会では巨大な王陵は築かれないのだ(例外はある)。
 では時代が新しくなると「王陵」はもはや出現しないかというと、そうでもない。
 最終章「王陵のイデオロギー」で著者は、王陵の定義を「権力者や英雄を記念したもの」全般にまで広げて、東照宮やレーニン廟まで王陵として取り上げる。王陵は、人類社会に権力者が存在する限り不滅ということか。テーマがユニークな割に、結論はちょっと平凡な気がするが。新書だから仕方がないのかもしれない。
 それよりも、天皇陵の学術調査を公開してほしいというあたりに、考古学者の本音がのぞいている。結局、巨大な墓というのは人間の興味を引いてやまないところがあるのだ。その興味に応えてくれるというだけで、この本の意義は充分である。

王陵の考古学 (岩波新書 新赤版 (676))

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2008年6月 3日 (火)

名文・マイベスト

 前回は個人的な歴史の名著ベストの話だったが、今回は、個人的な名文のベスト。

長安の春/石田幹之助(講談社学術文庫,1979)
 この本は基本的には、歴史学者、石田幹之助の史論を集めたものだが、タイトルとなっている「長安の春」は、歴史よりはむしろ文学に属するものといえるだろう。唐の都長安が春を迎え、人々が牡丹を愛でる様子を、当時の詩文を豊富に引用しながら描いたエッセイで、冒頭の20ページほどを占める短い文章である。短いが、その存在感は圧倒的で、私にとってはこれが人生でもっとも記憶に刻み込まれた名文なのだ。

 実は、私が最初に「長安の春」を読んだのは、この本ではない。平凡社の『世界名著全集』18巻に収録されていたのを読んだのだった。この巻が発行されたのは1962年で、「長安の春」そのものは、1932年に最初に発表され、1941年に創元社から単行本として発行されている。戦前に発表され、1960年頃にはすでに名著として評価が定着していたことになる。
 ちなみに、この『世界名著全集』18巻に収録されていたのは、この「長安の春」の他、鳥山喜一の『黄河の水』、武田泰淳の『史記の世界』、松岡譲の『敦煌物語』といういずれも中国史関係の名著。世界名著全集なのだから名著ばかりなのは当たり前と言われそうだが、これだけいい作品が揃っているのは珍しいのだ。
 ところでこの巻で、他の3作品がどれも本一冊分のボリュームがあるのに対し、「長安の春」はあまりに短い。そのため、単行本に収録された他の史論も一緒に収録されている。が、これが上に書いた1941年の創元社刊の単行本とは少し違っている。
 1941年版の内容は、「長安の春」/「「胡旋舞」小考」/「当壚の胡姫」/「西域の商胡、重価をもって宝物を求める話」/「再び胡人採宝譚について」/「隋唐時代におけるイラン文化のシナ流入」/「長安盛夏小景」の7編。
 『世界名著全集』18巻では、「西域の商胡…」以下の4編が削除され、代わりに次の5編が収録されている。「長安の歌妓」/「字舞」/「唐代燕飲小景」/「唐史襍鈔」/「唐代の婦人」。
 では、講談社学術文庫はどうかというと、基本的に1941年の創元社版の内容に基づいている。ただ、「再び胡人採宝譚について」の後に、「胡人買宝譚補遺」という長めの文章が追加されていて、全8編になっている。唐代伝奇などによく出てくる、胡人(中央アジアから来たイラン系民族、要するに唐の時代の「西洋人」)が不思議な宝を高値で買う、というパターンの奇譚を考察したもので、著者はよほどこの手の話が好きだったらしい。
 (他に東洋文庫版も出ているが、それについては省略。)

 が、実のところ、そんなことはどうでもいいのである。他に収録された文章がどれだけ入れ替わっても、所詮普通の文章で、「長安の春」だけが特別なのだから。言い換えれば、「長安の春」以外は何が収録されていようと関係ないのだ。

 「長安の春」は、冒頭に唐の詩人韋荘の同名の詩を引用した後、こんな風に始まる。

 陰暦正月の元旦、群卿百寮の朝賀と共に長安の春は暦の上に立つけれども、元宵観燈の節句の頃までは大唐の春色もまだ浅い。立春ののち約十五日、節は雨水に入って菜の花が咲き、杏花が開き、李花が綻ぶ頃となって花信の風も漸く暖かく、啓蟄にいたって一候桃花、二候棣棠[たいとう]、三候薔薇[しょうび]、春分に及んで一候海棠、三候木蘭と、つぎつぎに種々[くさぐさ]の花木が撩乱を競う時にいたって帝城の春は日に酣[たけなわ]に、香ぐわしい花の息吹が東西両街一百十坊の空を籠めて、渭水の流れも霞に沈み、終南の山の裾には陽炎が立つ。溟濛たる春雨の日が続いて清明の節が過ぎ、桐の花が紫に匂い、郊外の隴畝[ろうほ]には麦の穂が青々と秀で、御溝の水には柳絮が繽紛として雪のように舞うころになると、時は穀雨の節に入って春はようやく老い、照る日の影も思いなしか少しずつ輝きを増して空も紺青に澄んでくる。

 以下、全編がこんな調子で続く。漢文の語句を豊富に取り込んだ、それでいて骨格はしっかりと和文調の息の長い文章が独特のリズムを刻み、読むうちに酔うような気分になってくる。
 ちなみにこの文章、ところどころに空白の行をはさんだいくつかの断章からなるのだが、基本的に一つの断章内に改行はない。章の切れ目だけで改行している。だから、文庫版でいうと一つのページに改行が一カ所か二カ所というところ。まったく改行のないページもある。この果てしなく流れていくような字句の連なりがいいのだ。
 ただ、名文ではあるが「声に出して読みたい日本語」とは少し違うような気がする。「ギョコーのミズにはリュージョがヒンプンとして…」みたいな、耳で聞いただけではよくわからない部分が多すぎるからだ。
 目で字を追って、頭の中で朗読を響かせる、そんな読み方が合っているのだろう。

 これもまた前回と同じく、ずいぶん昔に読んだ本なのだが、今でも「名文」と言えば、まっさきに頭に浮かぶのは、この流麗な文章なのである。

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2008年5月31日 (土)

歴史本・マイベスト

 歴史の本は、このブログでもずいぶん取り上げてきた。読書を好む人間は、コアとなる分野をひとつかふたつは持っているものだが(もっと多い人もいるかもしれない)、私にとって歴史、特に外国の歴史に関する本は、間違いなくその一つである。
 しかし私も子供の頃から歴史の本を読んでいたわけではない。大学時代(昔だなあ…)、歴史のおもしろさを教えてくれた本がある。

侯景の乱始末記 南朝貴族制社会の命運/吉川忠夫(中公新書,1974)
 中国の南北朝時代、南朝の最盛期を築いた「梁」の武帝、蕭衍は文武に優れた英雄だったが、その末期、北朝「東魏」の将軍、侯景の亡命を受け入れたばかりに、悲惨な最期をとげることになる。侯景は反乱を起こして武帝を幽閉し、国を乗っ取ろうとするのだ。
 この乱そのものは1年足らずで終わるのだが、梁王朝は事実上瓦解し、二度と立ち直れない。蕭衍の死後、混乱の中で次々と短命な皇帝が立ち(無事に寿命を迎えることのできた者はいない)、結局10年足らずで滅亡。それとともに晋以来の伝統を受け継ぐ南朝貴族社会も壊滅する。梁の後を継いだ南朝最後の王朝、「陳」は軍人政権である(そのわりには弱体なのだが)。
 この滅亡のドラマは、南朝だけを舞台にしているのではない。侯景の出身である中国北部もまた、北魏が分裂した東魏と西魏が並び立っていて、さらに東魏は北斉、西魏は北周へと変わっていく、大きな変化の時代にある。南朝、北朝を巻き込んだ激動の中の人物群像を、著者はドラマチックに描いていく。
 時として演出過剰にも見える文章は、歴史の本、特に学問的な観点から見れば、少々異端と言えるかもしれない。が、正直言って下手な歴史小説よりよほどおもしろいのだ。
 中国の南北朝の歴史なんて、高校レベルくらいまでの教育では、ざっと教わるだけである。南朝は宋・斉・梁・陳。まあその程度の知識で普通は十分だ。
 だが、概説ではわからない歴史の細部に、限りないドラマが隠されていることをこの本は教えてくれる。

 この本の中に、首都建康を占領した侯景が、台城(皇宮)に籠もっていた武帝に面会するエピソードがある。

「長江をわたったさいしょ、いかほどの人数じゃった」
「千人」
「台城包囲のはじめには」
「十万」
「では現在は」
「卒土の内、すべてわが所有でござる」
 帝はがっくりと頭をたれた。

 ちなみに、「卒土の内、すべてわが所有」という侯景の言葉は大嘘である。この時点で侯景が支配しているのは首都周辺だけなのだ。
 それはともかく、この会話、田中芳樹の短編「蕭家の兄弟」(2007年5月17日のエントリーで紹介)にも出てくる、「侯景の乱」のクライマックスとも言える場面なのだが、実のところ、あまりに劇的にすぎて、本当にこのとおりの会話がなされたとは思えない。史書に載っているのは確かだろうが、かなりの脚色が入っているのだと思う。
 だが、それでもかまわないのだ。史料の中に無数に埋もれているであろう、こういう劇的なエピソードが、歴史のおもしろさの核をなしていることは間違いないのだから。学問的な研究も重要だろうが、まずは興味を引かなければ、何も始まらないのだ。『人物を読む 日本中世史』(2008年2月15日のエントリー)で本郷和人も言ってたように。
 歴史の神は細部に宿る。ドラマは限りなく潜んでいる。この本はそれを雄弁に教えてくれる。

 今までに読んだ歴史の本の中で、ベストの本をひとつだけ挙げろと言われたら、間違いなくこの本を選ぶ。

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2008年5月26日 (月)

神さまと神社

神さまと神社 日本人なら知っておきたい八百万の世界/井上宏(祥伝社新書,2006)
 日本の神さまと神社についての本。
 しかし、「神道」の本ではない。
 著者は宗教の研究家ではなくノンフィクションライターであり、理論的な話はむしろ意識して抜いているように見える。この本で扱っているのは宗教ではなく、日本の神さま事情、神社事情なのだ。
 とすれば、テーマとしてはやはり、タイトルどおり、「神さまと神社」としか言いようがない。

 第1章「日本人と神さま」は、個人的体験を含めた神々と神社と日本人についての序論。
 第2章「暮らしのなかの日本の神々」は神社で行われる祭礼や日常的な信仰や儀礼の説明(七福神も含める)。
 第3章「八百万の神々の系譜」は歴史編で、記紀神話とギリシア神話との比較、神道史というかなり性質の違うものが同居している。
 第4章「伊勢神宮と皇室とお伊勢参り」は、本書のハイライトだろう。題名のとおり伊勢神宮について一章を割いている。作者は伊勢の皇學館大学の出身だそうで、伊勢神宮には特別な思い入れがあるようだ。「あとがき」によれば、愛憎入り交じった複雑な思いのようだが。
 第5章「知っておきたい神々と神社」は、神社と神宮の違い、神社の格付け、社殿や鳥居の類型、神官の資格、拝礼の方法などといったミニ知識集。本書の中で一番役に立つ部分だろうが、なんとなく付け足しの感がある。
 最後の第6章「日本を代表する神社とその神々」も、各地の主要神社の紹介で、これまた付録的存在。

 結局、伊勢神宮のところで言いたいことは尽きたということか。
 それならいっそのこと伊勢神宮だけで1冊書いた方がよかったのではないかという気もする。
 というわけで、ガイドブックとしてはよくできているが、なんとなく消化不良な印象も残る本なのだった。

神さまと神社―日本人なら知っておきたい八百万の世界 (祥伝社新書 (035))

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2008年4月27日 (日)

黄金太閤

黄金太閤 夢を演じた天下びと/山室恭子(中公新書,1992)
 去年、『群雄創世紀』を紹介した(2007年3月19日のエントリー)、異色の文章で歴史を語る歴史学者、山室恭子の著書。発行されたのは『群雄創世紀』の前、一般向けとしては最初の著作となる。
 これももちろん、歴史の本。しかし、普通には始まらない。
 プロローグ、「幕が開く。地獄。」。いきなりこれだ。閻魔大王の審判の場から始まるのだ。引き立ててられてくるのは豊臣秀吉。すごい出だしである。
 その後の構成も、第一幕、インテルメッツォ、第二幕、そしてカーテンコールと、あくまで芝居仕立て。歴史書とは思えない。山室節炸裂である。
 しかしメインとなる記述そのものは、古文書や史料を豊富に引用して、秀吉が金ぴかのパフォーマンスにより「黄金王」を演出して民衆の支持を得たこと、人気取りの果てに朝鮮まで出兵したことを解明するという、まともなもの。
 明からの国書を見た秀吉が怒ったのが単なる演出であったとか、朝鮮で一時期横行した「鼻そぎ」が、地震で壊れた大仏に替わる「鼻供養」の演出のためであったとかいう説は新鮮。家康が秀吉の二の舞をおそれ、「上下の別」をきびしくすることによって演出のエスカレート防止と秩序の安定を図ったという論理の展開も、説得力がある。
 歴史の本として、核の部分はしっかりしているのである。
 しかし、やはり、全体的に描写が演出過剰という気がする。これが山室恭子の持ち味と言ってしまえばそれまでだが。
 演出過剰、という秀吉の陥った自縄自縛を著者自らが演じているようにも見える。それもまた意図してのものだとすればすごいが。

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2008年4月23日 (水)

悲しくておもしろいスコットランド史

とびきり哀しいスコットランド史/フランク・レンウィック(ちくま文庫,1998)

 スコットランド貴族(称号はレイヴンストーン男爵)による、自虐たっぷりのスコットランド史。
 例えば、こんな調子。

 誰がスコット族の真の王であり、誰が偽物であるかの判別はなかなか難しく、大混乱が起こったため、ある重要な法則が発達した。アイルランド語を母語とする民にふさわしい真の国王は、むごたらしい最期を遂げたかどうかで基本的には決められることになったのである。敵の手に落ちるもよし、血縁者や味方の手にかかるもよし。だが、できればその三者の協力によって殺されることが好ましいと考えていた。(p.48)

 実際、本書では悲惨な最期を遂げる中世スコットランドの王が次々と紹介される。かのマクベスもその中の一人だが、実は彼などまだましな方なのである。だいたい、シェイクスピアの戯曲から受けるイメージとは裏腹に、マクベスは17年も王の座についている。前王ダンカンの息子マルコムとの戦いに敗れて死ぬのは事実だが、マクベスの王朝はそこで終わったわけではなく、息子のルーラッハが王位についている。が、このルーラッハが出来が悪く、わずか在位7ヶ月でマルコムに殺されてしまうのである。シェイクスピアの描くマクベスの最期は、このルーラッハに近い。
 というようなマクベス親子のエピソードを、この本は4ページで片づけている。
 これでわかるように、この本の記述はかなり駆け足である。それでも、スコットランドの起源から消滅までを230ページ程度の文庫に収めるには、少し無理があるようだ。
 イギリスの読者にはこれで十分わかるのかもしれないが、ちと説明はしょりすぎ。おまけに固有名詞がやたらと多く、しかも似たような名前が多過ぎる。ジェイムズやエドワードやデイヴィッドやウィリアムが何人出てきたことか。
 まあなんとなく、ほとんどイングランドに一方的にやられっぱなしの小王国の歴史、という流れはわかる。著者によれば、それもこれもすべては、スコットランド人自身に問題があるのだという。「スコットランド人にはつまらない言い争い激しい内輪もめを延々と繰り返すという、どうしようもない傾向があり、また我が身の破滅をもたらすほど極端な行動に走りやすい国民なのである。」
 ただ、こう言う自虐的表現の裏に、「自分たちはイングランド人とは違う」というはっきりしたアイデンティティがあることは間違いない。

 訳文は内容にふさわしく、だいたいこなれている。ただ、"Lord of the Isles"を「イール卿」と訳するのはどうかと思う(p.168)。
 これじゃ単にイールという土地の領主としか思えない。
 この称号は、スコットランド西部のヘブリディーズ諸島などの島々を支配する強大な領主のもので、"Isles"は「イール」じゃなくて「アイルズ」のはずだ。直訳すると「島々の領主」。そのままである。
 "Lord of the Isles"というこの称号、ファンタジーに出てきそうで好きなんだけど(というか、実際にそういうタイトルのファンタジー・シリーズがあるらしい)、何かその実態にふさわしい訳を考えてほしかったところだ。

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2008年4月 8日 (火)

ハプスブルク家の女たち

ハプスブルク家の女たち/江村洋(講談社現代新書,1993)
 女性を通じて見たハプスブルク帝国史。
 15世紀のフリードリヒ3世の帝妃、ポルトガル女王エレオノーレに始まり、最後の皇帝カール1世の帝妃、ツィタ・フォン・ブルボン=パルマまで、約500年にわたる、女性たちの作る歴史。
 最後の帝妃ツィタは、名前が示すとおりブルボン家の分家のひとつであるパルマ公家の出身。死んだのが1989年というから、比較的最近まで生きていたわけである。彼女はハプスブルク家の復権を最後まで信じていたという。ツィタの息子であり、ハプスブルク=ロートリンゲン家の当主であるオットー・フォン・ハプスブルクは90歳を超えてまだ生きており、10年ほど前まで欧州議会の議員を務めていた政治家である。ハプスブルクはまだ歴史上の存在というわけではないらしい。
 それはともかく、他にとりあげられている女性たちも実にさまざま。
 カール5世の伯母でネーデルラント総督マルガレーテとか、ブラジル帝妃レオポルディーネ、それに言わずと知れたマリア・テレジアなど、ハプスブルク家出身の女傑たち。
 ハプスブルク家に嫁入りした女性たちとしては、バイエルンのヴィッテルスバハ家のゾフィー(フランツ・ヨーゼフとメキシコ皇帝マクシミリアンの母)とエリーザベト(フランツ・ヨーゼフ帝妃)。それに、庶民の出身でハプスブルク家の一員と結婚したフィリッピーネ・ヴァルザーとアンナ・プロッフル、ボヘミアの下級貴族出身で皇太子フランツ・フェルディナントの妃となり、サラエボで夫婦ともども暗殺されたゾフィー・ホテクなど。
 しかしやはり一番目立つのは、オーストリア帝国を一身で統治しながら、政務のかたわら16人も子供を産んだ「女帝」マリア・テレジアだろう。なお、マリア・テレジアは正確には皇帝ではなく皇后なのだが(ハンガリーやボヘミアの女王にはなっていた)、旦那のフランツ1世はまったく役立たずなので、事実上の女帝と言っていい。
 単一の王家で、これだけ多彩な女性群像を描くことのできる家系というのも珍しいだろう。

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2008年3月26日 (水)

南蛮幻想

南蛮幻想 : ユリシーズ伝説と安土城/井上章一(文芸春秋,1998)
 城のシンボル「天守閣」と、中世説話「百合若大臣」という、一見何の関係もなさそうに見える二つの主題をめぐる学説史。
 この二つをつなぐ共通項が、本書のテーマである「南蛮幻想」すなわち、ヨーロッパ伝播説なのだ。
 天守閣の第一号とされる安土城の「天主」(安土城の場合のみ、「天守」ではなく「天主」と書く)は、ヨーロッパの影響を受けた建物だという説が、江戸時代からあったらしい。安土城の「天主閣」は文字通り天主、キリスト教の神をまつる建物が起源で、ヨーロッパの影響を受けて生まれたものだというのだ。近世城郭の天守は安土城の影響で広まったものだから、安土城以後のすべての天守閣は、キリスト教建築が原型ということになる。
 こんな説を唱える人が、キリスト教厳禁の江戸時代に何人もいたというのは、ちょっと驚きである。その余波は明治時代以降も残り、安土城天主のヨーロッパ起源説は一時期かなりの勢力を持ち、天主の復元図にまで影響を及ぼしていた。
 しかし作者の興味は、天守閣ヨーロッパ起源説が正しいかどうかというところにはない。学説がいかに時代の影響を受けるかということなのだ。
 ヨーロッパ文明を追いかけていた明治時代にはヨーロッパ起源説が主流になり、国粋主義が強くなった昭和前半には日本独自説が主流になる。学者は時代の趨勢に流されるものだ、作者がこの本で主張したいのは、要するにそういうことである。だからこの本が述べているは、「歴史」ではなく、歴史をめぐる「学説史」なのだ。
 後半は、「百合若大臣」の原型が「オデュッセイア」だという説について、同じような考察をしたもの。こちらは、さすがに江戸時代からの説ではないが、明治以来かなり有力な説で、今でも完全には否定されていない。坪内逍遥がこの説の熱心な提唱者だった。
 というか、私も「百合若大臣」のストーリーを初めて知った時は、「オデュッセイア」とのあまりの類似に驚き、これはヨーロッパから伝わったのではないかと思った。おまけに、オデュッセウスの英語名は「ユリシーズ」である。「ゆりわか=ユリシーズ」という連想が働くのは当然とも言える。
 この論争史もまた、「百合若大臣」をヨーロッパ起源にしたい人々と、日本独自のものにしたい人々との争いであり、真実がどうとかいうより、イデオロギー闘争の様相を呈している。
 他にも、「京都の広隆寺=キリスト教寺院起源説」(最近のトンデモ説みたいだが、驚いたことに江戸時代からそういう主張をしていた学者がいた)とか、「毛利元就の三本の矢伝説=イソップ物語起源説」とか、過去の日本とヨーロッパとを結びつけようとする異説が紹介されている。明治はもちろん、江戸時代後期の知識人たちもヨーロッパ文明にかなりの興味を持っていたことが伺えて、時代に対するイメージがちょっと変わってくる。それが主題ではないのだが。

 とにかく引用される資料の量はすごい。それ以上にすごいのは、日本史上に名を残す有名な学者たちを、時流に乗っているだけの輩としてばさばさと切り捨てる独特の語り口。「お前は何様じゃい」とちょっと突っ込みたくなる部分もあるが、力作であり、刺激的な本であることは間違いない。

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2008年3月 5日 (水)

わたしの城下町

わたしの城下町 天守閣からみえる戦後の日本/木下直之(筑摩書房,2007)
 これは城郭研究の本ではない。もちろん歌謡曲に関する本でもない。
 著者は元々美術分野の研究者。この本が扱っているのは「文化現象」としての城、著者自身が東京大学サイトの教員紹介ページで語っているところによれば、「城郭研究の対象としての城ではなく、思わず「お」を付けて呼んでしまう現代人の通念の中に存在している城」なのだ。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR/staff/kinoshita.html

 本書は元々筑摩書房のPR誌『ちくま』に連載されたコラムで、単行本化にあたって大量の「補遺」を追加しているが、メインの部分は連載時のままらしい。
 連載第1回にあたる「序」で、著者は江戸城と、自分の故郷浜松にある浜松城について触れ、最後に「さあ、お城とお城のようなものを巡る旅に出かけることとしよう。」と宣言する。
 ところがその後しばらく、著者は旅に出る気配がなく、皇居(つまり江戸城)から離れない。そのまわりの国立近代美術館、和気清麻呂や楠木正成の銅像などのモニュメント類の話が、第1章から第4章(連載4回分)にわたって続く。これでページ数の4分の1くらいを費やしてしまうのだ。このあたりで、著者が「お城」を、銅像と同じようなモニュメントとして同列に扱っているらしいことがわかってくる。そして、この本のテーマが、普通の意味での「城」ではないことも。
 第5章でやっと東京を離れ、小田原へ行ったかと思うと、そこでの話題の中心は小田原城ではなく、小田原駅前の小便小僧である。第6章でやっと、戦後の小田原城天守閣建築の経緯が語られるが、「補遺」では「熱海城」や「下田城」など周辺の怪しげな城を取り上げている。その上で著者は「ホンモノの城とまがいものとの違いはどこにあるのか」と問いかけるのだ(これはこの本全体が投げかける問いでもある)。
 こんな調子で著者は、各地の「お城」、あるいは「お城もどき」を訪れながら、日本列島を西へと下っていく。話題は中心テーマであるはずの「城」からはずれて、幻の松代大本営とか旧海軍の戦艦とか、絶え間ない脱線を繰り返し、その上「補遺」がまた脱線に輪をかけている。

 本文で取り上げられている主な「お城」は、すでに出てきた江戸城、小田原城のほか、駿府城、掛川城、浜松城、名古屋城、清洲城、墨俣城、彦根城、大阪城、伊賀上野城、伏見城、福岡城、熊本城、首里城など。「補遺」に出てくるのは、上の熱海城や下田城をはじめとして、長岡市郷土資料館(城みたいな建物だが、本当の長岡城とは全然違う場所にある)、洲本城、高松城、中城城(本土風のインチキな「お城」を建てる計画が一時あったそうだ)。
 こうして見ると、古くからの天守を残しているのは彦根城くらいで、他は再建(もしくは再建予定)、または史的根拠のないニセモノの城である。ニセモノたちこそが、この本ではむしろ主役のようにスポットライトを浴びている。

 ところで、城郭用語としては、「天守閣」という言葉は不正確なのだそうだ。正確には「天守」または「天守建築」。しかしこの本ではあえてタイトルから本文まで「天守閣」で通している。歴史上の建築ではなく、日本人のイメージとしての「お城」には、「天守閣」という言葉こそが似合っているからだろう。
 この本を読むと、日本人がいかに天守閣が好きだったかよくわかる。想像と推測に基づく「再建」など当たり前、天守など存在しなかった城に、いや、そもそも城など全然なかったところにさえ、「天守閣」を作ってしまうのだから。城郭に詳しい人が、「天守なんて飾りです! 偉い人たちには(以下略)」と言っても、誰も聞いてくれなかったのだろう。
 城郭ファンには評判の悪いそんなニセの天守閣も、この本を読めばまた違った視点から楽しめるようになる(かもしれない)。
 今まで読んだ城関係の本の中で、もっともユニークな本である。

わたしの城下町―天守閣からみえる戦後の日本

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2008年3月 3日 (月)

関羽伝

関羽伝/今泉恂之介(新潮選書,2000)
 ありそうでなかった、関羽だけを扱った史伝。三国志の登場人物と言えば、諸葛亮関係の本は山のようにあるし、曹操や劉備関係の本もそれなりにあるのだが。
 しかし、この本を読んでその理由がわかった気がする。関羽の人生はそのまま伝記にしても大しておもしろいものではないのだ。
 個人的な武勇で、史実として確認できるのは官渡の戦いで顔良を討ち取ったことだけ。前半生はよくわからないし、劉備軍団に入ってからも、武名のみは高いが、具体的にどんな活躍をしたか確認できないらしい。
 劉備の四川入りには当然ながらついて行ってないし、結局軍人としてはっきりわかっている事績は、死ぬ直前の荊州での一連の戦いだけ。
 関羽のイメージの大部分は、三国演義でのフィクションと民間伝承により形づくられたものなのだ。これでは伝記にするのは難しいだろう。
 著者も史実だけを追うことはせず、関羽ゆかりの地をめぐりながら土地の人にインタビューし、現地での関羽信仰の実態をレポートし、伝承を紹介し、三国演義を引用して、歴史上の人物が「神としての関帝」に変わっていくさまを描いていく。伝記であると同時に、アジアで一番信者が多いという「関帝」信仰のレポートでもある。
 ジャーナリストである著者の文章は、歴史叙述についてはちょっともの足りない気もするが、素直に読みやすい。

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2008年2月15日 (金)

頼朝と信長の間

人物を読む 日本中世史 頼朝から信長へ/本郷和人(講談社選書メチエ,2006)
 サブタイトルにあるとおり、源頼朝から織田信長まで、8人の人物を通じて見る日本の中世。ここでいう中世とは、つまり鎌倉幕府の始まりから室町幕府の終わりまでを指す。
 これだけならごく当たり前の歴史の本、というところなのだが、著者の語り口は相当にユニークである。「はじめに」で、「日本史がうまくない。前近代史が特にうまくない。私はいくつかの学校で中世史を講義しているのだが、最近の学生たちはびっくりするほど日本史を知らないのだ。」と、こんな調子でいきなり始まる。
 著者は日本史の研究者だが、日本史のあまりの不人気ぶりに、学問全体の衰退の危機を感じているのだ。
 ではどうすればいいか。戦後の歴史学アカデミズムは、それまでの人物中心の歴史から、社会の動きを中心にした民衆史が主流だった。これが面白くないので、歴史離れを招いているのだ。ならば、冷遇されている人物中心の歴史を復権する。それをきっかけに歴史に興味を持つ人が増えてくればいい。歴史が「面白い物語」でもいいではないか、と著者は主張する。
 言ってることは正しい。まあ、民衆の歴史だって、網野善彦の本などそれなりにおもしろいのだが、歴史にあまり詳しくない人が、いきなり『無縁・公界・楽』とかから入っていくのは難しいだろう。やはり問題は入り口なのだ。
 そんなわけで、人物中心の、読んで面白い歴史をめざしたというこの本。確かに、ところどころ会話形式になるなど、学者の文章とは思えない破格な語り口も随所に見えて、学術書にしては面白い。ただ、あくまで「学術書にしては」という留保つき。歴史をあまり知らない人を引きずり込むような入門書―には見えない。
 それは、この本に取り上げられた8人を見ても明らか。
 8人全部が、源頼朝や織田信長みたいな有名どころというわけではないのだ。顔ぶれは以下のとおり。各人物につけられたサブタイトルも一緒にあげる。

乾の巻 第一章 源頼朝―新しい王/第二章 法然―平等の創出/第三章 九条道家―朝廷再生/第四章 北条重時―統治の追求
坤の巻 第五章 足利尊氏―「一つの王権」を/第六章 三宝院満済―ザ・黒幕/第七章 細川政元―秩序なき戦乱へ/第八章 織田信長―圧倒的な合理性

 見てのとおり、源頼朝と織田信長にサンドイッチされた間には、歴史好きでも聞いたことのないようなマイナーな名前が出てくる。三宝院満済って誰だ?
 実は、この三宝院満済という、室町幕府の影のフィクサーとなった僧について語る第六章は、本書でも一番おもしろい部分の一つなのだが、やはりどっちかというと歴史マニア向きだろう。
 ついでに言うと、実は単なる人物伝を並べたものではなく、統一したテーマがある。各章のサブタイトルが暗示しているし、最後に著者自身もバラしているが、その隠されたテーマを読み解くのも楽しみの一つだろう。結局この点でも、入門レベルではなく、歴史マニア向けということになるのだが。
 まあ、講談社選書メチエというのは、どれもだいたいこんな風な、入門書と専門書の中間くらいのレベルで、この本も例外ではないということ。ただ、「メチエ」の中では読みやすい方だと思う。
 

人物を読む 日本中世史―頼朝から信長へ (選書メチエ)

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2008年2月12日 (火)

1月に読んだ本から

1月に読んだ本から3冊。

遣唐使/東野治之(岩波新書,2007)
 この本の「はしがき」によると、遣唐使についての一般向けの本は半世紀余りも出てなかったのだそうだ。その間、歴史研究の分野では当時の国際関係についての研究が進み、従来の常識が覆されてきた。そんな最新の成果を踏まえ、遣唐使を通じた日本の外交史を解説する。
 「一般向け」とは言っても、史料の引用や分析が多く、かなり専門的な印象を受ける人が多いだろう。決して読みやすい歴史読み物というわけではない。が、史料を通じて明らかにされる、日本と唐との外交関係の真相解読は、歴史に興味のある人間にはなかなか刺激的。
 遣唐使は唐の側から見れば周辺諸国からの「朝貢使」の一つに過ぎず、日本からの使者もそのようにふるまっていた。その一方で、日本国内向けには、唐に持って行く品を、「唐への賜り品」と称し、日本こそが世界の中心であるかのように取り繕っていたのだ。まあ、当時そういうことをしていた国は日本だけではないかもしれないが。
 遣唐使船が逆風で天候の悪い夏に渡海してたびたび難波していたのも、実は唐の朝廷での正月の儀式に間に合うように出発時期を選んでいたから(日本を出発してから長安に着くまで半年くらいかかる)なのだそうだ。正月には朝貢国の使者が揃って参賀することになっており、日本の使者もその中に混じって「皇帝陛下万歳(ワンセー)」と言っていたのだろう。
 前に紹介した(2007.5.31)司馬遼太郎の『空海の風景』には、遣唐使船が夏に渡海していたことについて「この当時の日本の遠洋航海術は幼稚という以上に、無知であった。」と、さんざんなことを書いていたが、実はこういう事情があったのだ。
 その他にも遣唐使のメンバー構成とか往来した品々の実態解明とか、小さなボリュームにかなりぎっしりと情報が詰め込んである。その分、上にも書いたようにとっつきやすさを犠牲にしているような感もあるのだが。
 終章から「あとがき」にかけて、日本が「本質的に持つ鎖国体質」とか、世界的に見た日本の歴史の特異性とか、けっこう刺激的なことがさりげなく書かれている。

遣唐使 (岩波新書 新赤版 1104)

黒いハンカチ/小沼丹(創元推理文庫,2003)
 小沼丹(おぬま・たん)というのは今では忘れられた作家らしく、私も当然ながら知らなかった。本来は文学畑の人で、余技にミステリを書いていたそうだ。
 これは、その余技のミステリ作品で、オリジナルは1958年に刊行されたもの。とある女学院の女性教師、ニシ・アズマを探偵役とする連作短編集である。
 学校の先生が探偵役、というと加納朋子や北村薫みたいな「日常の謎」的な話を予想する人がけっこういるかもしれない(実は私も、裏表紙の紹介文を読んでそう思った)。が、実は全12編中、窃盗(未遂も含む)が5件、殺人(傷害致死も含む)が6件と、ほとんどがれっきとした犯罪のからむ話なのである。残る一つだけが、犯罪ではない。そういう意味では本格ミステリなのだ。
 なぜか殺人やら窃盗やらの現場に居合わせてしまうニシ・アズマは、鋭い観察力とひらめきで、犯罪の真相を瞬時に言い当ててしまう能力の持ち主。普段は眼鏡をかけてないのだが、その推理能力を発揮する時だけ、なぜか伊達眼鏡をかける。いっそのこと、その眼鏡に秘密があって、それをかけることにより平凡な女性が天才探偵に変身する、という設定の方がおもしろいような気がするが、そこまではじけた話ではない。
 表題作になっている「黒いハンカチ」は、タイトルは印象的だが、字面から連想するような暗くおどろおどろしい雰囲気は全然なくて、実に淡々というか、裏表紙の紹介の言葉を借りれば「飄飄とした」話。実際のところ、この話だけではなくて、どの作品もそんな雰囲気(殺人事件が起きても!)なのだが。
 収録作の中では、道端に落ちていた人間の手首を、どこからともなく走ってきた犬がくわえて消え去る、という事件を扱った「犬」が一番おもしろいかったのだが、書きようによってはいくらでもセンセーショナルに書けるこんな話も、やはり雰囲気はあまり変わらない。血のついた手首をくわえて走り去る犬を見て、「まあ、驚いた」なんてのんきに言ってるニシ・アズマに、「お前本当に驚いてるのか!」とつっこみたくなる。
 なお、この作品の登場人物はなぜか全員カタカナで名前が表記されている(単に作者の方針で、別に未来が舞台とかいうわけではない)。主人公ニシ・アズマ(西東?)の友人がミナミ・タキコにヒガシ・ケイコといった具合で、何だか命名が適当である。このいい加減なカタカナ名前のせいで登場人物たちが記号化されているのに加え、ストーリーは謎解きだけに焦点が当てられ、犯人たちの身の上や動機はほとんど語られない。全体として非常にゲーム性の強い、ある意味時代を先取りした作風になっている。

神を見た犬/ディノ・ブッツァーティ;関口英子訳(光文社古典新訳文庫,2007)
 古いSFファンにとって、ディノ・ブッツァーティは、イタロ・カルヴィーノと並んで、「イタリアのSF」を代表する名前である。昔ハヤカワSFシリーズから『偉大なる幻影』 という中編集も出ていた。
 実のところ、ブッツァーティはカルヴィーノと同様にSF作家というわけではなく、一般文学の作家で、ただファンタジーやSFとしても通用するような幻想的作品が比較的多いというだけなのだが。

 この本のオリジナルは、過去の短編のセレクションである『コロンブレ ほか50編の物語』(1966)。そこからさらに22編をセレクトして訳したもので、いわばセレクションのセレクション。この1冊を読めばブッツァーティの作品世界がだいたいわかる、ということだろう。
 印象に残った作品をピックアップしてみる。
 収録作の22編のうち、完全にSFと呼べるの唯一の作品が「秘密兵器」。東西冷戦を背景に両陣営の「最終兵器」の応酬を嫌みのきいたコメディに仕立て上げている。一昔前のショートショートに、こんな雰囲気の作品がよくあって、なんだか懐かしい味わいがある。
 半分以上の14編はファンタジーと言っていい作品。宗教がらみの話が多い。
 最初の作品「天地創造」は、タイトルどおり神による天地創造をコミカルに語る話だし、「聖人たち」、「風船」、「天国からの脱落」は、天国に住む聖者たちを主人公にした話。「高さ数十億光年に及ぶ高架の回廊」なんて、カルヴィーノ作品に出てきそうなぶっ飛んだ舞台設定もある。
 この本の表題作で、収録作中一番長い「神を見た犬」は、一匹の犬の存在が村の人々の生活を変えていく話で、超自然的と言えるかどうか微妙なところだが、やはり一種の宗教的ファンタジーと見ていいだろう。ただ、こうした宗教をテーマにした作品は、キリスト教徒でない人間には今ひとつ理解しにくいところがある。
 「コロンブレ」は、原典のタイトルにもなっているので、ブッツァーティの代表的作品と目されているのだろう。海の怪物につけ狙われる男の生涯を描いた作品で、他のアンソロジーにも翻訳が掲載されている。寓話、皮肉、幻想、それに宗教風味が混じっていて、確かにブッツァーティの作風が凝縮されている。
 老山賊の最後の意地を描く「護送大隊襲撃」は、日本の時代小説みたいな「サムライの魂」を感じさせる。
 表題作についで二番目に長い作品、「戦艦《死(トート)》」は、かつてSFマガジンに掲載されたこともあったが、どちらかといえばSFというよりファンタジーだろう。ナチス・ドイツが終戦間際に完成させた、謎の秘密兵器を搭載した巨大戦艦、<フリードリヒ2世>のすさまじい運命の物語。最初は第二次大戦秘話、みたいなリアルなムードなのだが、次第に話が幻想的になっていく。
 「一九八〇年の教訓」は、ある手段により神が地球上に平和をもたらす有様を描く。フレドリック・ブラウンの短編「スポンサーから一言」でも、やはり神と思われる存在により地球上に平和が無理矢理もたらされるのだが、ブッツァーティのこの作品では、その方法が遙かに強引。
 最後の作品「この世の終わり」は、神による最後の審判が実際に起きるという、これまた宗教的ファンタジー。最初の作品が「天地創造」で、最後が「この世の終わり」と、ちゃんと照応しているあたりが凝っている。
 そのほかに超自然的な要素のない作品も7編あるが、別に写実的というわけではなくて、まず起こり得ないような話が多い。
 特に病院を舞台にした「七階」。軽症で入院したはずの主人公が、あらかじめ定められた運命、としかいいようのない出来事の連鎖により、重症者の収容される下層病棟に引きずり込まれていく。最初から結末が予想できるとはいえ、これは怖い。
 病院ものがもう一つあって、タイトルはそのまま「病院というところ」。病院がいかに悪意に満ちた場所であるかを語る。それにしても作者は病院や医者に何か恨みでもあったのだろうか。
 私的ベストは、「戦艦《死》」、「七階」、「護送大隊襲撃」。

 それにしてもこの「古典新訳文庫」、クラークの『幼年期の終わり』の新訳も出していたりして、目が離せない。

神を見た犬 (光文社古典新訳文庫 Aフ 2-1)

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2008年1月28日 (月)

中国に「妖怪」はいるのか?

中国妖怪伝/二階堂善弘(平凡社新書,2003)
 中国の古典に登場する妖怪・怪物たちについての解説本。主なネタ元は、『西遊記』、『封神演義』、『山海経』、『白蛇伝』などの古典文学。
 ただ、本文にも書いてあるが、中国では妖怪と神、それに単なる変な動物や人間との区別があいまいで、日本のようにはっきりした「妖怪」という概念があるわけではない。
 例えば、『西遊記』に出てくるのは、どっちかといえば「モンスター」で、『封神演義』に出てくるのは「神」と「仙人」、『山海経』に出てくるのは「未確認動物」。『白蛇伝』がやや日本の妖怪に近いかもしれない。
 この本では伝奇小説や随筆などからも、日本的な意味で「妖怪」に含まれそうなキャラクターを抜き出してきているのだが、それでもネタ不足な感は否めない。少なくとも、日本的な、土俗的な意味での妖怪は、この本にはほとんど出てこないので、その点では拍子抜けする。
 全体の4分の1を「あの世と術者の話」と題して、地獄や幽鬼の話にあてているのも苦しい。それだけ、「妖怪」に該当する存在を探すのが難しいということか。
 そのおかげで、文化の違いというか、日本的な意味での「妖怪」が中国にはほとんど存在しないらしいことはよくわかる。
 「妖怪」はこの際忘れることにして、中国の「幻獣」ガイド、あるいはファンタジー作品のガイドと考えれば参考になる。

中国妖怪伝―怪しきものたちの系譜 (平凡社新書)

 むかし、岩波からも似たような趣旨の本が出ていたので、それもついでに。

中国の妖怪/中野美代子(岩波新書,1983)

 著者は中国文学研究家で、『西遊記』研究の第一人者。
 だが、意外と『西遊記』などの古典文学ばかりではなく、織物や青銅器など考古学資料の図像も資料として、古代中国の「妖怪」のイメージをさぐっている。さらには西洋の神話・伝説との比較も持ち出すなど、視野は幅広い。
 といっても、この本もやはり、日本の「妖怪」みたいなものを期待するとあてがはずれるだろう。
 全体は3章にわかれていて、1がプロローグにあたる「妖怪との出会い」、2が「龍の栄光と堕落」で、この章が全体の約半分を占める。3が「霊獣と魑魅魍魎」、4が「妖怪と漢の文化」という短い章。
 「龍の栄光と堕落」は、タイトルのとおり、龍についての考察。日本の感覚から言えば、龍は妖怪ではない。
 「霊獣と魑魅魍魎」の前半は朱雀、玄武、麒麟などの霊獣を扱っているが、これも日本では「神」の一種で、妖怪とは言えないだろう。後半は人面鳥、人面魚や、「山海経」に出てくるけったいな生き物を博物学的に取り上げているが、ここでやっと「妖怪」らしきものが出てくる。が、それでもやはり、わけもなく出現してわけのわからないことをする日本の妖怪とは、ちょっと違う。単に「変な生き物」じゃないかと思うのだ。
 最後の「妖怪と漢の文化」は、そのタイトルにもかかわらず、出てくるのは「鬼」と「神」で、やはり妖怪とは言えない。
 この本にも、『中国妖怪伝』同様、日本で言ういわゆる「妖怪」はほとんど出てこない。これもやはり、中国文化に現れる幻獣・鬼神たちの伝統を知るには役立つ本である。

 要するに、中国の古典や神話・伝説には、さまざまな「妖しい存在」、「怪しげな生き物」が出てくるが、日本の「妖怪」みたいなわけのわからないものはいない、ということか。

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2008年1月20日 (日)

ラストエンペラーの生涯

溥儀 清朝最後の皇帝/入江曜子(岩波新書,2006)
 姓は愛親覚羅、名は溥儀、英語名ヘンリー、と呼ばれた人物の生涯を描いたノンフィクション。
 サブタイトルにあるとおり、清朝最後の皇帝であり、中国史上最後に「皇帝」を名乗った人物。文字どおり「ラスト・エンペラー」である。
 溥儀は生涯に三度皇帝の座についている。最初は清の皇帝(宣統帝)として、1908年12月から1912年2月まで。西大后の指名によりわずか3歳で即位し、辛亥革命により7歳で退位している。「正統」にこだわる中国の伝統的歴史観から言えば、これだけが正統な皇帝としての在位である。
 2度目は、1917年7月1日から7月12日まで。アナクロニストの政治家、張勲が中華民国政府に対してクーデターを起こして溥儀を皇帝に祭り上げ、清朝復活をもくろんだ、いわゆる「張勲の復辟」。だが、あっという間に政府軍の反撃を受けて、再生清朝はつぶれた。
 3度目は、多分日本では一番有名な、満州国皇帝としての即位。1934年9月から1945年8月まで。(2度目と3度目の間、つまり皇帝の座を追われてから満州国建国まで、どこでどうしていたのかという部分も、この本には詳しく書かれていて、それもなかなか興味深いのだが。)
 本書でもかなりの分量を占めるのがこの満州国時代。満州国皇帝の地位を支えているのは言うまでもなく日本。溥儀は日本の自分に対する扱いに不満を抱きながらも、日本、特に皇室に徹底的に媚びる。ここらへんで、権力欲を持ちながら、強者に媚びへつらって世を渡る、という溥儀のいやらしい性格が見えてくる。
 そして、満州国崩壊の後、中華人民共和国の「人民」として生活を送る後半生。ここでも溥儀はひたすら中国共産党と毛沢東を賞賛し、忠誠と反省と感謝の意を表すことで保身を図る。中国政府にとっても、皇帝だった人物が「改造」を受けて党に忠実な人民に生まれ変わった、という宣伝材料として、溥儀は利用価値があった。
 だが、文化大革命の嵐の中、一応政府の保護は受けながらも有形無形の圧迫にさらされ続け、最後は「元皇帝=人民の敵」であることが災いし、ろくな治療も受けられず病に倒れるのである。
 本来なら地上で最高の権力を持つはずの皇帝、その皇帝でありながら、権力者にもてあそばれ続けた男の生涯が生々しく描かれている。
 ただ、正直言っておもしろいと感じたのは、前半の満州国時代まで、文字通り波瀾万丈の前半生の部分だけ。後半の中華人民共和国時代は、資料的価値はあると思うが、あまりに痛々しい(というか、イタい)ので、読んでいて辛いものがある。

溥儀―清朝最後の皇帝

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2008年1月13日 (日)

12月に読んだ本から

 正月休みなどと称してサボっていたせいで、先月のまとめが13日になってしまった。
 12月に読んだ本は、なぜか江戸時代に関わる本が多かった。この際、江戸時代関連ばかりまとめてしまうことにする。

徳川家臣団 組織を支えたブレーンたち/綱淵謙錠(講談社文庫,1986)
続 徳川家臣団 組織を支えたブレーンたち/綱淵謙錠(講談社文庫,1987)

 徳川家に仕えた家臣や幕府要人を、1冊につき18人ずつ、2冊で合計36人取り上げて事績やその時代を物語る。全体を通して読むと、関ヶ原から明治維新まで、江戸幕府の創業から滅亡までの流れがわかるようになっている。
 というか、中には時代背景の説明がほとんどで、本人に関する記述はわずか、という章もある(「続」の水野忠成とか安藤信正とか)。幕臣列伝というより、列伝の形を借りた江戸幕府興亡史という方がふさわしいかもしれない。
 取り上げられている人物は、『徳川家臣団』では、榊原康政、酒井忠次、本多忠勝など、徳川家康とともに戦乱の時代を生きた家臣から始まって、3代将軍家光、4代将軍家綱に仕えた松平信綱まで。
 『続・徳川家臣団』は、4代将軍家綱の後半に大老を務めた酒井忠清から、柳沢吉保、大岡忠相(大岡越前ですね)、田沼意次、松平定信など江戸中期の有名幕臣たち、さらには幕末に活躍した井伊直弼、松平容保たちを取り上げ、最後は勝海舟で終わる。
 前半は約60年間で18人、後半は約200人で18人だから、作者もあとがきで書いているように密度がずいぶん違う。まあ、激動の時代にはそれだけ目立つ人材も多くなるもので、これはどんな王朝でも同じだろう。
 正直言って幕府の中期から後期、将軍で言えば家重とか家斉の時代になると、あまり波乱もなく、ややテンションが下がってくるのだが、幕末になると俄然また盛り上がってくる。特に松平容保の章には作者の強い思い入れが感じられる。次の一節など、この2冊を通じてのクライマックスと言えるかもしれない。(最後の勝海舟は、「エピローグ」みたいなもの。)

 …<義>に殉じた容保の姿は<悲劇的>という以外に形容すべきことばを探しえない。百十五年後の今日もなお、現代日本人に<義>に生きることの厳しさ・悲しさを問いかけて感動的である。

 本来は時代小説作家の綱淵謙錠だが、私にはどうも歴史ノンフィクションの作者としての印象の方が強い。この2冊も、非常によくできた歴史読み物で、ますますその印象が強くなってしまった。

旗本夫人が見た江戸のたそがれ 井関隆子のエスプリ日記/深沢秋男(文春新書,2007)
 江戸時代後期、12代将軍徳川家慶の時代、今の千代田区九段のあたりに井関家という旗本の屋敷があった。その屋敷の当主、井関親経の義理の母(父親の後妻)、隆子が1840年から1844年までつけていた日記が、この本の題材。
 江戸後期の旗本というと、「貧乏旗本」というイメージがすぐ浮かんでくるが、この井関家は幕府の要職についていたせいもあって、生活に不自由はなかった。日記をつけ始めた1840年当時、井関隆子はこの旗本屋敷の離れで、気ままな隠居生活(夫とは14年も前に死別)を送っていたとのこと。家事などは全部使用人がやってくれるし、家族は義理の息子以下、年下ばかりなので気をつかうこともない。実にうらやましい生活である。
 この隆子おばさんが暇にあかせて(?)つけていた日記には、日常生活のことや社会の出来事は無論、井関家や親戚たちが幕府の中核に近いところに仕えていたこともあって、幕政の裏話みたいなことまで書いてある。
 上で取り上げた『続・徳川家臣団』にも取り上げられている、水野忠邦や鳥居耀蔵の名前も出てくる。特に水野忠邦の「天保の改革」が失敗に終わる有様は、同時代の最大の事件だけに、生々しく経過が書かれ、その失敗の原因について冷静に評論してあったりする。副題にあるような「エスプリ日記」という呼び方はどうかという気がするが、井関隆子が合理的な精神を持つ観察者だったことは間違いないようだ。
 本書の終章には、日記からの引用として、「目の前のことを書き止めていても周囲の人間はあまり意味がないと思うかもしれないが、何百年もたつとこれも貴重な記録になる」というような趣旨の文章が載せられている。
 歴史の分野ではよく言われることだが、過去の世界で日常的なあたり前のことは、誰も書かないので記録に残らず、後世から見るとわからなくなっていることが多い。日常的な記録が時の経過により歴史的資料として価値を持つようになる、というのは近代的な感覚なのである。
 さらに、日記には、この時代信仰心が薄れ、法事などが形式だけになっていて意味のわからないお経を退屈な思いで聞いているだけ、という現在と同じような事情になっていたことも書いてある。
 明治維新の20数年前、この時代はタイトルにあるような「江戸のたそがれ」よりも、「近代のあけぼの」と言う方がふさわしいのではないか。この本は、江戸時代が現在と連続した社会なのだということを実感させてくれる。

 次は小説。

春風ぞ吹く 代書屋五郎太参る/宇江佐真理(新潮文庫,2003)
 作品中には年代ははっきり書いてないが、物語の終わりの方に、大田蜀山人が「翌々年」に死去したと書いてあるから、特定は簡単にできる。蜀山人が死んだのは1823年。だからこの小説の時代は、1820年から21年にかけてだ。上の『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』よりも20年前、将軍でいえば徳川家慶の先代、11代家斉の時代。
 主人公、村椿五郎太は小普請組(無役)の典型的な貧乏旗本。食っていくために代書屋をしている。五郎太は近所の旗本の娘、紀乃と相思相愛なのだが、紀乃の父親が頭が固く、無役の貧乏旗本になど娘はやれないという。役職につかなければ結婚を認めてもらえないのだ。
 小普請組の貧乏旗本が役職につくには、「学問吟味」で合格しなければならない。しかしこの「学問吟味」はいわば最終試験で、それを受験するためには、何段階もの試験に合格しなければならないのである。
 というわけで、結婚と役職獲得のため、五郎太がひたすら学問に励むというのがメインストーリー。これに代書屋のアルバイトを通じて知り合うことになったさまざまな人々との交流がからむ。チャンバラなし、人殺しもなし、主要な登場人物には悪人はいない。時代としては、そろそろ幕藩体制にもかげりが出てきていた頃だが、そんな気配も感じさせない。
 とにかく殺伐としたところが全然ない、人情味あふれる「貧乏旗本受験物語」。こういうほのぼのした時代小説もいいものである。
 終わりの方にちょっとだけ登場する大田蜀山人は、この小説中おそらく唯一の実在の人物で、タイトルはその蜀山人の狂歌からとったもの。
 なお、巻末の山内昌之の解説は、ただストーリーを要約しただけ(しかもネタバレ)で、むしろない方がまし。

春風ぞ吹く―代書屋五郎太参る (新潮文庫)

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2007年12月 8日 (土)

物語イタリアの歴史

 4月に『物語チェコの歴史』を取り上げた時、中公新書の『物語○○の歴史』シリーズでは『物語イタリアの歴史』が出色だと書いた。
 今回は、その『物語イタリアの歴史』。実は続編である『物語イタリアの歴史Ⅱ』を先に読んだので、そちらを先に紹介する。中公新書のこのシリーズで、2冊出たのはこの本と、確か『物語スペインの歴史』だけだ。読者からも好評だったらしい。

物語イタリアの歴史Ⅱ 皇帝ハドリアヌスから画家カラヴァッジョまで/藤沢道郎(中公新書,2004)
 この「物語○○の歴史」シリーズも、アイルランド、カタルーニャ、ウクライナ、ヴェトナム、バルト三国と、いろいろあるが、この『物語イタリアの歴史』のどこか一番おもしろいかというと、ちゃんとタイトルどおり「物語」になっているところ。他の本は「物語」と題しながら実は単なる歴史の本なのだ。それはそれで、歴史としてのおもしろさはあるのだが、「物語」じゃないだろうとつっこみたくなる。
 この本の特徴は徹底した人物中心になっているところ。取り上げられた人物は、サブタイトルのとおり2世紀のローマ皇帝17世紀の画家まで8人。
 その時代と人物は次のとおり。

第1話:2世紀/ハドリアヌス(ローマ皇帝)
第2話:6~7世紀/グレゴリウス1世(ローマ教皇)
第3話:10世紀/マローツィア(ローマの貴族・イタリア王妃)
第4話:12世紀/アルナルド(修道士)
第5話:13~14世紀/ボニファティウス8世(ローマ教皇)
第6話:15世紀/ロレンツォ・デ・メディチ(フィレンツェの支配者)
第7話:15世紀/クリストフォロ・コロンボ(コロンブスのイタリア名・航海者)
第8話:17世紀/カラヴァッジョ(画家)

 主舞台はローマ。8人の主人公のうちロレンツォ・デ・メディチとクリストフォロ・コロンボ以外はローマで活躍した人物である。ロレンツォの物語には、フィレンツェの政敵としてローマ法王庁が出てくる。
 全然ローマと関係ないのは、「航海者コロンボ」くらいか。この人が「イタリアの歴史」に登場するのは、もちろんイタリア生まれ(ジェノヴァ出身)のイタリア人だからである。
 ところで著者の指摘によれば、日本での呼び方「クリストファー・コロンブス」というのはおかしいのだそうだ。「クリストファー」は英語読みだが、姓の方は英語読みだと「コランバス」になるはず。出身地のイタリアだと、上のとおり。臣下として仕えたスペインでの読みは「クリストバル・コロン」、ラテン語だと「クリストフォルス・コルンブス」(姓の読みはこれが一番近いが、名前が全然違う)。結局コロンブスの名前の読み方は日本語独特らしい。
 それはともかく、ハドリアヌスの時代に建設されたカステル・サンタンジェロ(本来は霊廟)のシーンで始まり、最後もまたカラヴァッジョの悲劇を語った後で同じシーンで終わる構成は見事。カステル・サンタンジェロは途中のエピソードでも要所要所に出てきて、全編を貫く隠れた「主人公」となっている。本文は200ページ足らずだが、ほとんど大河小説に近い読後感がある。これこそ、「物語―歴史」のタイトルにふさしい本である。
 というわけで、前編にあたる『物語イタリアの歴史』も読まずにいられなくなった。

物語イタリアの歴史 解体から統一まで/藤沢道郎(中公新書,1991)
 西ローマ帝国が崩壊に向かう4世紀から、イタリアが統一される19世紀までを、10人の人物を通じて描く、中公の「物語・歴史」シリーズの最高傑作。
 上の「物語イタリアの歴史Ⅱ」の解説に、「隠し味」としてそれぞれのエピソードが違う都市と結びついている、と書いてあったのでそのへんにも注目してみた。
 確かに、『Ⅱ』が「ローマの物語」だったのに、こちらは舞台が分散している。言ってみれば、『Ⅱ』が大河小説なら、こちらは連作短編集というところか。

 時代/中心人物/中心都市の順でそれぞれのエピソードを見てみると、こうなる。

第1話:4~5世紀/ガラ・プラキディア(ローマ皇帝テオドシウスの娘)/ラヴェンナ
第2話:11世紀/マティルデ(トスカーナ伯)/カノッサ
第3話:12~13世紀/聖フランチェスコ(宗教家)/アッシージ
第4話:13世紀/フェデリーコ(皇帝・フリードリヒ2世)/パレルモ
第5話:14世紀/ボッカチオ(作家)/フィレンツェ・ナポリ
第6話:15世紀/コジモ・デ・メディチ(銀行家)/フィレンツェ
第7話:15~16世紀/ミケランジェロ(芸術家)/ローマ・フィレンツェ
第8話:17世紀/ヴィットリオ・アメデーオ(サルデーニャ王)/トリノ
第9話:18世紀/カサノーヴァ(色事師)/ヴェネツィア
第10話:19世紀/ヴェルディ(作曲家)/ミラノ

 イタリアの主要都市はほぼ出てきている。ただ、なぜかジェノヴァがないが、ページと構成の都合だろうか(ジェノヴァ出身のコロンブスはⅡで登場する)。
 職業も適度に分散しているし(王侯と芸術関係が多めだが)、何より、第2話以降、各人物をほぼ1世紀の間隔をおいて配した構成のバランスがすばらしい。
 イタリアの歴史は、題材としてそれ自体がおもしろい、ということもあるだろう。昔読んだ塩野七生のイタリア史ものも、歴史物語としてのおもしろさは抜群だった。だが、どんなに材料がよくても、シェフの腕あってこその料理である。
 藤沢道郎は歴史を料理する一流のシェフだった。惜しいことに『物語イタリアの歴史Ⅱ』の原稿を書いてまもなく亡くなったのだが(本が出たのは死後3年経ってから)、もっと違う味付けをほどこした「物語」も読みたかったものである。

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2007年11月 4日 (日)

中国人の機知

中国人の機知 『世説新語』を中心として/井波律子(中公新書,1983)
 著者は半年ほど前に『トリックスター群像』を紹介した中国文学の専門家。
 この本は魏晋時代の貴族たちの逸話集『世説新語』を題材に、巧みなやりとりを「機智」というキーワードでとらえ、その歴史的背景、処世術を解説する。会話のパターンを構造的に分析しているあたり、前に紹介した米原万里の『必笑小咄のテクニック』とちょっと似たところがある。そういえば、『世説新語』も一種の小咄集みたいなものだ。
 相手をやりこめる当意即妙の応酬(というか、イヤミのぶつけ合いみたいな気もするが)も興味をそそられるが、そういう浮き世離れした会話に逃避して、乱世の中に身の安全を図る貴族たちの生き方そのものがおもしろい。
 『世説新語』の時代は3世紀から4世紀にかけてだから、今から1600年から1700年くらい昔、日本では邪馬台国や倭の五王の時代。そんな時代に、何の役にも立たないイヤミのやりとりに精力を傾けていたのだから、ある意味文化の高さを物語っているには違いない。
 だが、その機智の伝統が現代にも生きているという実例として、やたら毛沢東語録を持ち出すのはいかがなものか。この本が出版された1980年代前半には、まだ中国革命への幻想みたいなものが生きていたのだろうか。最後の章、「『世説新語』と魯迅」も余計な気がする。

 どうでもいいトリビア。この時代の中国では相手を呼ぶのに「卿」と呼ぶのがぞんざいな言い方で「君」と呼ぶのが丁寧な呼び方だったとか。今の感覚とは逆である。田中芳樹の小説ではやたらと相手を「卿」と呼んでいるが、魏晋時代の中国なら、それは「お前」呼ばわりしていることになるわけだ…。

 気に入ったエピソード。

 王濛と劉タン(*)はつねづね蔡公(蔡謨)に敬意をはらってなかった。二人はあるとき蔡を訪問して語り合い、しばらくたってから、蔡にたずねていった。 --あなたは自分で夷甫(王衍)とくらべてみてどうだとお思いですか。
 蔡はこたえた。
 --わたしは夷甫にかないません。
 王と劉は目くばせして笑いながらいった。
 --どの点でかなわないのですか。
 蔡はこたえた。
 --夷甫には君たちのような客がいない。(p.32

(原文)
王 、 劉 毎 不 重 蔡 公 。 二 人 嘗 詣 蔡 , 語 良 久 , 乃 問 蔡 曰  「 公 自 言 何 如 夷 甫 ? 」 答 曰  「 身 不 如 夷 甫  」 王 、 劉 相 目 而 笑 曰  「 公 何 處 不 如 ? 」 答 曰  「 夷 甫 無 君 輩 客 」

(蛇足)
王衍、蔡謨はともに東晋の重臣。劉タン、王濛は東晋の名家の出身で、二人は親友だったらしい。『世説新語』の世界では「王・劉」というだけで誰のことかわかるようだ。

*タン=
Tan2

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2007年10月28日 (日)

戦国の雄と末裔たち

戦国の雄と末裔たち/中嶋繁雄(平凡社新書,2005)
 戦国時代の大名の末裔たちがその後どうなったか、今はどうなっているのかを語る12編の歴史読み物。
 著者は歴史学者ではなく、本来はジャーナリスト。福井新聞記者、「歴史読本」編集長などを経て歴史ノンフィクション作家になったとのこと。そういえば、各編に必ず自ら足を運んで取材したルポ風の部分があり、いかにも新聞記事みたいな文章である。
 それにしても、1929年生まれだというから、この本を執筆していた時点で70代なかばのはず。さすがに文章にクラシックな味わいがある。
 取り上げられているのは、相馬、足利、武田、織田、今川、新田、立花、毛利、黒田、浅野・木下、蜂須賀の各家、それに由井正雪の同志だった丸橋忠哉。丸橋忠哉はもちろん、足利、新田も「戦国の雄」ではないと思う。相馬家も戦国大名ではあるが小勢力で、「雄」と言うほどでもない。平将門の子孫ということで取り上げられているようだ。まあ細かいことはいいが、どういう基準で選んだのかよくわからない顔ぶれである。
 織田、黒田、毛利、立花のように江戸時代も大名として存続し、明治には華族となり、その子孫も健在である家もあれば、武田、新田、今川のように、江戸時代は旗本となり、ひっそりと続いてきた家もある。
  最後の丸橋忠弥は、実は長曽我部元親の孫だったのだという。本当かどうかわからないが。著者が訪ねていった丸橋忠弥の子孫は秦という姓だが、長宗我部家は秦氏の末裔を称していたから、辻褄は合っている。長曽我部家の末裔ということならば、まあ本の趣旨にも合っていると言えるだろうが、丸橋忠弥が本当に長曽我部元親の孫だったのかどうか、確かな証拠がないのが苦しいところである。(ちなみに、長曽我部本家は大坂夏の陣で盛親が死んで途絶えたが、傍系の子孫は残っている。末裔というなら、そっちを取材する方が確かだろう。)
 ところで、この秦氏の訪問取材は昭和32年というから、ずいぶん前の話だ。他の章は、なぜかいつ取材に行ったのか、時期を明記してない。ひょっとしたら、何十年にもわたってあちこちに書いてきた文章をまとめたものなのかもしれない。
 「戦国の雄」ということなら、北条、上杉、細川、伊達、島津、尼子など、有名どころは他にいくらでもあるが、要するに著者が歩いて取材した対象だけを取り上げたということだろう。ちょっと資料を調べれば、他の戦国大名の末裔が今どうしているかは、いくらでも書けると思うが、自分が足で取材したものしか書かない、というところにこの老ジャーナリストのこだわりを感じる。

戦国の雄と末裔たち (平凡社新書)

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2007年10月19日 (金)

神聖ローマ帝国

神聖ローマ帝国/菊池良生(講談社現代新書,2003)
 つい最近新装再版されたが、講談社現代新書は昔の表紙の方が好みである。この本の表紙も、神聖ローマ皇帝ジギスムントの肖像がいい味を出している。
 それはともかく、「ドイツ史」でも、「ヨーロッパ史」でもない、「神聖ローマ帝国」オンリーの歴史である。ヨーロッパ史上、というか世界史上でも、これくらい実態がわかりにくい国は珍しい。いや、そもそも「国」なのか。
 神聖ローマ帝国といえば、この本の序章でも引用されているヴォルテールの皮肉に満ちた名言がある。「神聖でもなく、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」。
 もちろんヴォルテールがこう書いたのは、彼の生きた18世紀半ば頃には、帝国がすでに(というか、とうの昔から)名ばかりの存在になっていたからだ。ヴォルテールが死んで30年も経ってない1806年に、神聖ローマ帝国は正式に消滅する。これも序章に書いてあるが、その日の新聞には「ドイツ帝国解散!」と書いてあったという。帝国は滅亡したのでも分裂したのでもなく、「解散」したのだ。暴力団じゃあるまいし、解散してなくなる国なんて聞いたことがない。
 おまけに、この新聞の見出しにあるように、帝国の呼び名すら一定してないのである。「神聖ローマ帝国」なのか、「ドイツ帝国」なのか、「ローマ帝国」なのか、「神聖帝国」なのか(実はそのすべての呼び名が使われていたという)。さらにややこしいことに、帝国の中には「ドイツ王国」というのも、名目上は存在することになっていた。
 かと思えば、神聖ローマ皇帝を世襲していたハプスブルク家の当主はハンガリー王も兼ねていたが、ハンガリーは神聖ローマ帝国の一部ではなかった。
 こういうわけのわからない存在ほどおもしろいものはない。よくぞこんなテーマの新書を出してくれたものだ。
 神聖ローマ帝国は、正式には962年にドイツ王オットー1世が皇帝に即位した時から始まるとされるが、この本では、その前史としてフランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)が800年に「西ローマ皇帝」に即位するところから始めている。まあ、英語版ウィキペディアではシャルルマーニュが初代の神聖ローマ皇帝だと書いているくらいだし、歴史的にもフランク王国からずっとつながっているのだから、当然だろう。
 とはいえ、1806年の帝国滅亡、じゃなかった解散まで、約1000年。これを200ページちょっとで語るのだから、よほど要領よくまとめないといけない。しかも実態は国の体をなしてないような変な「帝国」の姿を伝えないといけないのだ。
 この本は歴代皇帝、ローマ教会、領邦君主たち、周辺諸国の織りなす複雑な政治ドラマを、印象的なセリフや文書の引用などをまじえて描き出し、その難事を見事にこなしている。文化や社会面にはほとんど触れられていないが、このページ数でそこまで書くのは無理だろう。
 というか、人物史、政治史だけで十分におもしろいのだから、新書として他に何を望むのか。
 今の歴史学は社会・経済史を重要視するのが主流だが、歴史好きから見れば、まさに読みたいのはこういうものなのだ。
 それにしても、講談社現代新書の歴史ものは、歴史ファンの嗜好をよく捉えていると思う。特に、この本もそうだが、中世ヨーロッパ史を扱った優れものが多い。『中世シチリア王国』とか、『ブルゴーニュ家』とか、『生き残った帝国ビザンティン』とか。いずれも、当時の表紙が印象的で、やはりこのデザインは変えて欲しくなかった。

(昔の表紙)

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2007年9月 3日 (月)

横書き登場

横書き登場 日本語表記の近代/屋名池誠(岩波新書,2003)
 日本語に関する本はいろいろとあるが、この本の着眼点はすばらしい。
 「日本語の横書きがどのように生まれ、変化し、定着してきたか」を扱ったもので、読み物としておもしろいだけでなく、資料的価値も高く、それになんといってもトリビアの宝庫。
 よく知られていることだが、太平洋戦争終戦までの日本語の横書き看板や本のタイトルなどは、右から左へ書く、アラビア語と同じような右横書きが多かった。下のような書き方である。 

き 書 横 右 が れ こ

 このことから、何となく戦前・戦中の日本では、横書きの時は右から左へ書いていた、というイメージがあるのだが、それが思いこみにすぎないことをこの本は暴露する。

 横書きの前史は古く、平安時代の「横書きに見えるもの」(実際には「1行1字の縦書き」)から、この本は始まる。江戸時代にはオランダ語の影響を受けて生まれた「横書きもどき」が現れ、やがて明治に入って、欧文と日本語を同じページの中で共存させる必要から、本格的な「横書き」が生まれるわけである。
 欧文との共存を図るのが最初の目的だったわけだから、明治期に誕生した日本語の本格的な横書きは、当然ながら「左横書き」(つまり今の普通の横書き)だった。左横書きは右横書きよりも以前から確立していたわけである。
 それなのに、明治に入ってまもなく「右横書き」が出現して、主に看板・広告・紙幣・地図といった分野で勢力を増していく。ついに終戦に至るまで、日本語の横書きは方向が統一されないまま共存(あるいは対立)し続けるわけである。そのへんの事情はこの本の中核をなす部分に詳しく書いてある。
 肝心なのは、イメージとは違って、戦前戦中の日本語の横書きは「右横書き」一辺倒ではなかったということ。それどころか、1冊まるごと「右横書き」の本というのは、事実上存在しなかった。すべて横書きの本というのは、戦前でも今と同じように「左横書き」なのだ。
 確かに、大学図書館に収蔵されている古い本を見てみると、戦前戦中の横書きの本というのは、全部左横書きである。そういえば、手塚治虫記念館で見た手塚の戦前戦中の原稿も、すべて左横書きだった。左横書きというのは、戦前からしっかりと根付いていたのだ。
 こんなことに気づかなかったとは。目からウロコが落ちまくり。

 最後に著者は、日本語の書字方向の基本が今後縦書きから横書きに変わっていくだろうと予測しているのだが、ほとんどの人が電子的に文章を書くようになった以上、それが自然だというのはわかる。だが、その後で、著者がちょこっと触れている、書字方向と「時間認識」の関係は、SF者として興味を引かれるものがあった。
 書字方向というのは、時間を空間に置き換えるものであり、その方向の変化は、時間の流れを空間的に把握する認識方法を変える。
 かつての日本人にとって、時間を空間的に表す場合は、絵巻物のように右から左へ動いて行く方向しかなかった。「一方、現在、左横書きを使い慣れた人にとっては、時間は空間上を左から右方向に動いているに違いない。」(p.200)というのだ。
 このへんには何かおもしろいテーマが隠れているような気がするのだが、それが何を意味するのかは、実のところまだよくわからない。
 「このあたり興味深い問題が多いのだが、別に機会を得て詳しく論じたい」と著者が書いているので、とりあえずはそこに期待したい。

横書き登場―日本語表記の近代 (岩波新書 新赤版 (863))

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2007年8月30日 (木)

名刀 その由来と伝説

名刀 その由来と伝説/牧秀彦(光文社新書,2005)
 歴史小説、時代小説につきものの名刀。だけど「正宗」とか「兼光」とか言われても、何がどうすごいのかわからない。そんな人向けの本。(というか、自分がそうなのだが。)
 約50振りの名刀を6つの分野に分けて紹介している。中には本当に存在したのかどうかもわからない伝説の剣もあるし、江戸時代に鍛えられた刀もある。
 一つ一つの名刀についての記述は5~6ページ程度にまとめられており、刀そのものよりも、歴史的来歴についての説明がほとんどである。まあ、いくら名刀と言っても、刀そのものについて、そんなに書くことは多くないだろうし、読み物としてはその方が当然おもしろい。
 この本でわかったのは、名刀として後世まで伝えられる刀のほとんどが、平安時代から鎌倉時代にかけて鍛えられたものであること。日本人の意識の中で、刀の黄金時代は、平安・鎌倉までだったということか。
 鍛造技術そのものは進歩しているのだから、これ以降の刀が品質的にそれほど劣るということはないだろう(大量生産品は除いて)。「名刀」というのは、刀そのものの武器としての性能の問題ではなく、それにまつわる「物語」あるいは「信仰」によって作られるものらしい。
 つまりは、刀そのものが優れているだけでなく、数百年前の、さまざまないわくのある刀だからこそ、特別だということ。酒呑童子を斬ったという「童子切り安綱」とか、土蜘蛛を斬ったという「蜘蛛切り」とかいった伝説の刀。あるいは源義経、平教経、新田義貞といった悲劇の英雄たちの手を経た刀。武器としての性能よりも、重視されるのは伝説であり来歴である。
 実際に武器としての刀というのはどうだったかというと、戦場ではほとんど役に立たなかったらしい。日本で唯一、刀が武器として活躍したのは、幕末の短い時期だけだという。
 この本に出てくる名刀の大半が、一度は神社に奉納されているということも、日本の刀の持つ精神性というか宗教性を示している。「名刀」とは「神聖な刀」であり、また「物語を持った刀」なのだということが、数々のエピソードを読んでいくうちにわかってくる。

 ただ、細かい点ではところどころ間違いもあるらしいので(私の気づいたところでは、上杉家の内紛「御館の乱(おたてのらん)」を、「おやかたのらん」とルビを振っていたりする)、専門的な情報源としては鵜呑みにしない方がいいかもしれない。だが、「名刀入門書」としては手頃な本である。
 あと、この手の新書を読むといつも思うのだが、人名・件名索引をつけて欲しい。

名刀 その由来と伝説 (光文社新書)

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2007年8月25日 (土)

幻想の古代文明

幻想の古代文明/ロバート・ウォーカップ(中公文庫,1988)
 アメリカ原住民とアメリカ古代文明に関する、珍説奇説を紹介したノンフィクション。いわばアメリカ版「トンデモ本の世界」。
 19世紀以来、エジプト、ユダヤ、ギリシア、中国、朝鮮、日本、インドなど、ほとんど旧世界のあらゆる場所がアメリカ原住民の発祥の地とされてきた。アトランティス起源説や、ムー起源説もある。ないのは宇宙人説くらいか。(ちなみに、朝鮮起源説を唱えたのは19世紀のJ・マッキントッシュという人で、韓国人ではないそうだ)
 こういう説は滅びたわけではなく、「この種の多数のしょもつは安定した売れ行きを示している。」と著者は書いている(その点では日本のトンデモ本と同じか)。
 中には今でも相当数の支持者を持っている説もある。例えば、この本の中でもかなりのページを割いているが、アメリカ原住民が古代ユダヤから来たとする説はモルモン教の教理の一部であり、信者はこの説を信じないといけないことになっている(らしい)。もっとも、アメリカ原住民ユダヤ起源説というのは、モルモン教の専売特許ではなく、同じような主張をする人はいっぱいいたそうだ。

 トンデモ学説が世界共通の、しかも歴史の古い現象であることがわかっておもしろい。
 ただ、著者は本職の学者で、おもしろがって書いているのではなく、この手の説がなぜ生まれ、どうして一般大衆が飛びつくのかを、学術的に分析している。そのせいか、翻訳がいかにも直訳調の固い文章で、かなり興をそいでいるのは残念。

 どうでもいいこと。
 この本によると、1875年、フランスで第一回のアメリカ学国際会議が開催されている。テーマは「コロンブス以前のアメリカと古代世界との関連」で、上に書いたようなトンデモとしか思えない説もいくつか飛び交っていたらしい。さすがにアトランティスやムー説はなかったようだが。
 気になるのは、この中に「イエモン・オギヴィア(Yemon Ogivia)」という日本人が参加していたと書いてあること。1875年といえば、明治8年。明治維新から10年もたってないこの時期に、フランスのアメリカ学国際会議に出席したこの人は、何者なのだろう? 「イエモン」は「伊右衛門」だろうが、「オギヴィア」とは? 荻原? 荻場? 扇原? 謎である。

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2007年6月 3日 (日)

最澄と空海

 前々回のエントリーで、司馬遼太郎の『空海の風景』を取り上げたが、今回の本はそれと関係がある。
 というのも、積ん読になってたこの本を読む気になったのは、『空海の風景』を読んで、当時の仏教についてもうちょっと知りたくなったからなのだ。しかし、正直言って、素人には少々内容がハードだった。

最澄と空海 日本仏教思想の誕生/立川武蔵(講談社選書メチエ,1998)

 この本、タイトルだけ見ると、「最澄と空海・その生涯と時代」みたいな内容かと思ってしまうのだが、実際はこの二人についての伝記的な記述はごく一部、270ページの本の40ページくらいである。残りは何かというと、ほとんどが、最澄の天台宗と空海の真言宗、二つの仏教流派についての、理論的解説なのだった。(前史として、インド仏教史と中国仏教史について書かれた部分が50ページほど。)

 ところで、世界の主な宗教で、仏教ほど膨大な教典を持っているものはないだろう。その数、およそ3000と言われている。しかも仏教には、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランにあたるような根本的教典がなく、各宗派ごとに基本的な教典が違っている。
 それだけならまだいい。問題は、その教典に何が書いてあるかということだ。
 聖書もコーランも、書いてあること自体はごく平易で、誰にでもわかるような内容だ。しかし仏教の経典に書いてあることを、理解してる人がどれだけいるだろうか。というより、理解できるのだろうか。たとえ普通の日本語に翻訳されていたとしても。
 この本のメインの部分、天台宗と真言宗の理論の部分を読んで、そんな感想を抱いた。

 「五時八教」、「三諦」、「四諦」、「十如是」、「十界」、「一念三千」と、やたらと数のつく用語が多く、複雑な理論に満ちた天台宗の教義、インドの哲学・宗教の影響を受け、神秘主義的要素の濃厚な真言宗の教義、どちらも(少なくとも私には)、想像を絶する難解なものに思えて仕方がないのだった。「選書」という、どちらかといえば、一般大衆向きのシリーズの1冊のはずなのに、である。

 例えば、天台宗の根本的概念(であるらしい)「空」・「仮」・「中」の「三諦」。
 「空」とは、「あらゆるものに恒久不変の実態が存在しないこと」、「仮」とは、「それらのものが実在しないのではあるが、仮の存在のすがたを見せていること」、「中」とは、「ものはすべて『空』の側面と『仮』の側面をあわせもっていること」だそうだ。その上で、次のような説明が出てきたりする。

 (…)天台の世界観の核心は、「空」「仮」「中」という三つのあり方(諦)をいかに融合させるかにある。
 三諦それぞれが他の諦を含み、「仮のまま空、空のまま仮、仮のまま中」であるようなあり方とは、一定の方向を有し、一定の時間の幅を有する行為・プロセスではなく、むしろ瞬間としてとらえられる。(p.118)

 宗教か? これって、宗教なのか?
 何か恐ろしく観念的な哲学的議論を聞かされているような気がしてならないのだが。
 神秘主義的修行を中心とする真言宗の方は、まだかなり「宗教」のイメージに近いのだが、それでも、密教の成立の基盤が「インド型唯名論」にあるというような説明のあたり、宗教というより「哲学思想」に近い要素を感じる。

 こういう、凡人の理解がとても及ばないような体系を作り出した最澄と空海は、やはり宗教・思想上の巨人だったのだろう。
 と同時に、普通の人間がこんな難解な理屈についていけるわけがなく、「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」とか唱えてさえいれば救われます、と説いた浄土宗や法華宗の系統の流派が、大衆に広まっていったのも当然だと思うわけである。

 仏教の理論体系なるものがどんなものか、その一端をのぞきたいという人は、読んでみるといいかもしれない。頭が痛くなっても責任は持てないが。

最澄と空海―日本仏教思想の誕生

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2007年5月 2日 (水)

国マニア

国マニア/吉田一郎(交通新聞社,2005)
 昔から世界地図を見るのは好きだった。
 特に興味があったのは、ごく小さい国とか地域とか、ややこしく国境の入り組んだ地域とか、とにかくごちゃごちゃしているところ。
 具体的に言えば、モナコとかアンドラとか、アフリカの西海岸とか、カリブ海とか、ジブラルタルとかセウタとか(今はなくなったけど)香港とかマカオとか。

 この本を書店で見かけた時、世の中には物好きな、というか「おれとよく似た嗜好の人もいるもんだ」と、少々あきれてしまった。もちろん、即買った。
 で、よく見たら、「世界飛び地研究所」の人だった。

 世の中には似たような趣味の人がいるもので、「世界飛び地領土研究会」というサイトがある。
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/
 そのサイトの運営人こそが、「ややこしい地域」にあくなき興味を示す、この本の著者。
 「世界飛び地領土研究会」のトップに書いてあるように、「世界地図を眺めているとナゼか気になる飛び地や、飛び地のような小さな植民地その他各種の怪しい地帯を研究しています」という人である。
 この人が書いたものなら、納得。というか、他にこんな本を書ける人がいるだろうか。
 私と趣味は似ているが、違うのは、その知識と調査力。日本で並ぶ者がないのではないか。

 で、この本だが、 内容は5章に分かれていて、第1章は「小さくても立派にやってる極小国家ベストテン」。バチカンとか、モナコとか、ナウルとか、サンマリノとか、普通に世界地図にも載ってる、まあ、誰でも知ってる国々。ここはほんの序の口。
第2章から少しマニアックな世界に入る。「国の中で独立するもうひとつの国」。ギリシアのアトス山、タンザニアのザンジバル、プエルトリコ、バミューダといった、自治地域。しかしこのへんもまだ有名どころが多い。
 第3章「ワケあって勝手に独立宣言をした国々」。タイトルのとおりである。世界地図に載ってない国々。次の第4章と並んで本書のハイライトだろう。沿ドニエストル共和国、アブハジア共和国、ソマリランド共和国、など。(実は私はこれらの国々、存在自体は全部知っていたが、詳しい説明を読むのがまた楽しい。)
 第4章は、「常識だけでは判断できない珍妙な国・地域」。ピトケアン島、スバールバル諸島、ジブラルタル、ブガンダ王国、マルタ騎士団など。「国」というには怪しすぎる地域が多いが、そこがいいのだ。
 ただ、この第4章に出てくる「クチビハール」という、インドとバングラデシュの国境地帯だけは、独立した地域ではない。単に飛び地だらけというので載っているのだが、いかにも「世界飛び地領土研究会」の運営人らしいとはいえ、この本の趣旨からはちょっとはずれる。
 最後の第5章「かつてはあったこんな奇妙な国・地域」は、ビアフラ共和国とか、ローデシアとか、パナマ運河地帯とか、満鉄付属地とか、今は消滅した「国」もどきの地域。
 歴史をさぐると、変な地域というのは限りなくあって、それだけで本が2、3冊書けるだろう。いずれそういう本も出ることを期待したい。
 あと、「セボルガ公国」(※注)も入れてほしかった。これも次の本に期待か?

(※注)セボルガ公国 イタリア北部にある村「セボルガ」が、1960年代から勝手に独立国「セボルガ公国」を名乗っている。ただし、イタリア政府は無視。Wikipedia に記事がある。

国マニア―世界の珍国、奇妙な地域へ!

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2007年4月27日 (金)

東方の夢

 今回は、だいぶ前に読んだ本。
 最初の単行本が、講談社から1982年。その後講談社文庫になり、さらに朝日新聞社から再び単行本で新版が1992年に出ている。一旦文庫になったものが、もう一度単行本になるのは珍しい。けっこう評価されているということか。
 ここで取り上げるのは(つまり読んだのは)文庫版。

東方の夢 ボナパルト、エジプトへ征く/両角良彦(講談社文庫,1987)
  フランス革命とナポレオン帝政の間にはさまれた、ナポレオンのエジプト遠征。この、日本ではあまり知られてない題材を扱った歴史ノンフィクション。
 というか、「エジプト戦記」と言った方がいいくらい、中身は戦争の話ばかりである。
 1798年、宿敵イギリスとインドの間に楔を打ち込むべくエジプトに渡った海陸約5万のフランス軍は、暑さと渇きに苦しみながらも、現地のマムルーク軍を破り、エジプトを占領する。が、直後にアブキール湾で、海軍部隊がネルソン率いるイギリス海軍に大敗して全滅。制海権を奪われた遠征軍は、本国から孤立する。
 現代なら、遠征先で補給もなく孤立した軍団などすぐ壊滅してしまうのだろうが、この時代の武器弾薬は現地生産もできたようで、結局遠征軍は、総司令官ナポレオンが途中で逃げ出したり、後をついだ司令官クレベールが暗殺されたりしてじり貧になりながらも、1801年まで持ちこたえる。
 途中のシリア遠征、特にアッコン(本書ではアクル)攻略戦の失敗がなければ、もうちょっと長くエジプトを占領していた可能性もあるあるらしい。
 そんなフランス軍の苦闘を、著者は克明に描写していく。例のロゼッタストーンが発掘されたのもこの間の話だが、記述の中心はあくまで戦い。過酷な環境と、現地人と、イギリスという、三つの敵との戦いと敗北のドラマである。

 この本を読むまで、ナポレオンのエジプト遠征については、そういうことがあったらしい、という程度の認識しかなかった。ほとんど知らなかった歴史である。新しい発見があり、ドラマ性があり、歴史ノンフィクションの醍醐味としてはは十分。
 しかし、日本人が書いたとは思えない翻訳調の文章だけは、どうにかならんもんかと思う。地名とかも、日本では通常しない読み方(フランス語の発音そのままのような)をしているところがある。上の「アクル」もそうだし、「ナザレ」が「ナゼラト」になってたりする。
 こういうのはもうちょっと気をつかってほしかった。せっかく題材としては面白いのだから。

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2007年4月26日 (木)

歴史を紀行する

 若い頃は、司馬遼太郎なんてオヤジの読むものだと思っていたが、そんな自分もいつしか立派なオヤジとなって、数えてみたら、いつのまにか司馬遼太郎の本を60冊くらい読んでいるではないか。
 もっとも、全何巻にもなる長い小説を1冊ごとに数えての話なので(『坂の上の雲』8冊、『菜の花の沖』6冊、『国盗り物語』4冊、とか)、作品数はもっと少ない。
 今回は、そんなオヤジの読書のシンボル、司馬遼太郎の本から。
 ただし、歴史長編小説ではなく、軽い歴史エッセイである。

歴史を紀行する/司馬遼太郎(文春文庫,1976)
 タイトルどおりの、日本各地の歴史をめぐる紀行集。
 文章はいつもの司馬節。だいたい、エッセイなのに、ところどころで、「話がそれた。」とか、「話を、もどす。」とかくる。
 エッセイなんて、話があちこちにそれるのが当たり前だろうと普通の人間は思うのだが、それを許せないのが司馬遼太郎の謹直さなのだろう。
 探訪地の選定は、著者によれば「傾斜をもっている」土地だという。

 「気質が歴史と風土に彫琢され、なにがしかの傾斜を帯びた土地を、この稿を書くにあたって筆者は好んでいる。その傾斜も単なる傾斜ではなく、その傾斜あるがゆえに日本歴史の骨髄に突きささってしまったような土地をえらびたい。」(「体制の中の反骨精神」)

 まあ要するに、住民の気質に特徴があって、日本史に重要な役割を果たした土地を選んでいる、ということなのだが、考えてみれば、歴史紀行なのだからそういう土地を選ぶのは当たり前である。司馬遼太郎という人は、どうも当たり前のことをもったいぶって書くくせがある。それを言ってしまうと身もフタもないのだが。
 それはともかく、行き先に選ばれた土地は、高知、会津若松、滋賀、佐賀、金沢、京都、鹿児島、岡山、盛岡、三河地方、萩、大阪。確かに、それぞれの土地に特徴があり、なるほどと思えるようなセレクションである。
 ただ、岡山だけは、これと言った歴史的な出来事や特徴が思い浮かばない。まあ、目立つトピックがないというだけで、別に悪いところではないのだが。作者も岡山気質はユダヤ的だとか、根拠のよくわからないことを言ってごまかしている。
 東京が選ばれてないのは、別格ということか。名古屋(尾張)や茨城は、入ってもよかったように思う。

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2007年4月16日 (月)

史実の『三銃士』

 前回に続いて、歴史関連本。今度はフランス史。

ダルタニャンの生涯 史実の『三銃士』/佐藤賢一(岩波新書)
 「世界で一番有名なフランス人」ダルタニャンは実在の人物だそうだ。正直、知らなかった。
 本名はシャルル・ドゥ・バツ・カステルモール(Charles de Batz-Castelmore d'Artagnan)。ダルタニャンは母方の姓。
 1615年ごろ、ガスコーニュの貧乏貴族の家の次男に生まれる。1630年ごろパリに出て、地縁血縁のコネを利用して、近衛隊近衛隊のエリート集団である銃士隊に入り、マザランやルイ14世の元で彼なりの生き方を通しながらも忠勤に励んで重用され、銃士隊の実質的指揮官である代理隊長に就任(名目上の隊長は国王)、1673年6月25日、オランダのマーストリヒト攻囲戦で戦死、というのがその主な経歴。
 さすがに歴史小説で定評のある人の著書だけあって、ノンフィクションというより歴史小説を読んでいるようでおもしろい。しかも、佐藤賢一は本業が歴史研究者なので、調査はしっかりしている。

 デュマの小説の三銃士、アトス、ポルトス、アラミスも実在のモデルがいて、アトスはアルマン・ドゥ・シレーグ・ダトス・ドートヴィエイユ(1615年から20年ごろ生まれ)、ポルトスはイザック・ドゥ・ポルトー(1617年生まれ)、アラミスはアンリ・ダラミツ(1620年生まれ)。
 なんか微妙に姓が違うが、とにかくこの3人、いずれもガスコーニュ生まれで、全員ダルタニャンと同郷者。そりゃ気が合うわけだ。
 この中で、アトスは1643年に死去というから、30前後で若死にしたことになる。ポルトスは1642年に近衛歩兵隊にいたし、アラミスが銃士隊に入ったのは1641年だというから、この3人が揃って銃士隊で活躍していたというのは怪しい。
 しかも、3人ともダルタニャンと同年か年下、イメージとはだいぶ違うようだ。
 なお、別の情報源(http://www.geocities.com/guildedetreville/chars.htm)によれば、アトスが1643年に死んだのは確実らしいが、ポルトス、アラミスが銃士隊に入ったのはそれぞれ1643年、1640年というから、これだと1643年の一時期は銃士隊で一緒だったことになる。
 だがそうだとしても、アトスはその年にすぐ死んでしまうわけだから、3人一緒に銃士として活躍してた、というのはやはりフィクションらしい。しかし歴史小説なんてそんなもので、この4人に全員モデルがいたというだけで、小説のネタとしては十分だろう。

 以下は蛇足。

 デュマの『三銃士』には、ダルタニャンをはじめとする銃士たちの名前が全然出てこなくて、みんな姓しかわからないのだが、この本で、それぞれのファーストネームも明らかになった。(というか正確には、ダルタニャンとかアトス、ポルトス、アラミスというのが、全部姓で、名前じゃないということがわかった。)
 『三銃士』では古き良き時代の貴族らしく、丁寧に姓で呼び合っている彼らだが、現代風にシャルル、アルマン、イザックにアンリなどと名前を呼び合っていたとしたら、ずいぶんイメージも変わっただろう。と、考えてみたが、パリのヤクザの話としか思えなくなる...。
 やはり時代にふさわしい格調というのはある程度必要なようだ。

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2007年4月14日 (土)

物語チェコの歴史

 タイトルに、「SFと歴史好き」と堂々を書いてあるわりには、よく見たら歴史関係の本と言えるものはまだ1冊しか取り上げてない。しかも歴史というより、城の本だし。

 というわけで、今回は正真正銘の歴史の本。

物語チェコの歴史/薩摩秀登(中公新書,2006)
 ご存じの人も多いと思うが、中公新書には「物語○○の歴史」というタイトルで各国の歴史を扱ったシリーズがある。中には、どこが「物語」だと問いつめたくなるような、普通の歴史の本もあるが、本当にタイトルにふさわしい良質の歴史読み物もある。
 今まで読んだ中では、特に『物語イタリアの歴史』が出色だった。

 今回は、「チェコの歴史」。この本も、日本ではあまりよく知られてないチェコの地の歴史を、中世初期のモラヴィア王国から現在チェコ共和国まで、「全体像が把握できる通史」と「人物を中心にしたエピソード」という両立しにくい要素をバランスよくまとめている。
 著者は歴史学の専門家ではないようで、アカデミック史学にこだわらない態度がうまく作用しているのだろう。そういえば『物語イタリアの歴史』の著者も文学の専門家だった。
 各時代のメインとして取り上げられている人物は、キリル文字の祖キュリロス(9世紀)、チェコ最初の王家プシェミスル家の聖王女アネシュカ(13世紀)、皇帝カレル4世(14世紀)、「異端者」ヤン・フス(15世紀)、大貴族ベルンシュテイン家(14~16世紀)、出版業者メラントリフ(16世紀)、プラハ大学の人々(17世紀)、モーツァルト(18世紀)、チェコ内国博覧会をめぐる人々(19世紀)、最後の章は20世紀以降のチェコ(とスロヴァキア)史。
 こうして見るとチェコ独自の人材としては、フス以降目立った人物はいないようだが、名もない人々の群像がまたおもしろかったりする。
 ちょっと気になるのは、中世からの王国を一貫して「チェコ王国」と呼んでいることで、王国の名前は厳密にいえばあくまで「ボヘミア」なのではないかという気がする。ボヘミア、モラヴィア、シレジアを合わせた「チェコ王冠諸邦」の総称として「チェコ王国」の語を使うというのならわかるが、それなら「ボヘミア王国」と「チェコ王国」の関係をどこかに書いておいてほしいものだ。
 とにかく「モラヴィア」や「スロヴァキア」は出てくるのに、一番なじみの多い「ボヘミア」という名称がほとんど出てこないのはどんなものだろうか。
 たとえ、「ボヘミア」というのがドイツでの呼び名(ドイツ語「ベーメン」)で、チェコ語では、ボヘミアは「チェコ」(チェコ語「チェヒ」)なのだとしても。中世国家を指すのに「ボヘミア王国」ではなく、「チェコ王国」ではやはり感覚的にピンとこない。

 しかしそこが気になる以外は、今まで読んだ「物語○○の歴史」の中でも、自分の中での順位はかなり上位にランクしている。

 ちなみに、「物語○○の歴史」の中で、他に気に入っている本は、上で書いた「イタリア」の他、「ウクライナ」、「バルト三国」など。
 他の本についても、いずれこのブログでも取り上げるつもり。

物語チェコの歴史―森と高原と古城の国

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2007年3月25日 (日)

100の「100名城」

 2006年2月に日本城郭協会が「日本100名城」を発表した。これは新聞などでも報道されたので、一般的にはこれが「公式版・日本100名城」のように受け取られている雰囲気もあるが、実のところ、世の中に何種類もある「日本100名城」の一つに過ぎないのではないいかと、私などは思うのである。だいたい、「各都道府県に1以上、5以内」なんて制限をつけるあたりで、もう何か違うでしょう、と言いたくなる。それじゃ城自体の価値による公平な選定にならない。
 まあ、この点について今更あれこれ言っても仕方がないが、この発表に前後して、「日本100名城」を扱った本がいくつか、新書や文庫で出ている。それぞれ著者が違うので、当然ながら選定された「100名城」の中身も違うわけである。「100名城」というのは選ぶ人の数だけある。100人の城好きが選べば、100種類の「100名城」ができるだろう。元々そういうものなのだ。

日本百名城/中山良昭(朝日文庫,2004)
 「ありそうでなかった日本全国の「お城」のガイドブック」とカバー裏にあるが、確かに、文庫本でこういう本はありそうでなかった。この手の本はえてして城そのものよりも、城にまつわる歴史エピソードの羅列になりがちなのだが、この本は「城そのもの」の紹介、特に縄張りや防御体制の説明をメインとしているのは好感が持てる。すべての城の縄張り図がついているのもいい。
 ただ、日本の城から100を選ぶということで、「どうしてあの城が入ってないんだ」と言いたくなる部分があるのも確か。こればかりはどんな選び方をしても、どうしようもないだろうが。
 全般的に個別の建物よりも、城全体としての構造(縄張り)から見て見るべき点のあるものを選び、それに歴史的重要性や遺構の状態などから判断して選んでいるようだ。全般的に、模擬天守などのある城ははずされているようで、それは一つの見識だろう。縄張り重視型100選というところか。

名城の日本地図/西ヶ谷恭弘(文春新書,2005)
 ブームの「名城本」に、ついに城郭研究の大家、西ヶ谷恭弘登場、というところ。北から南へ、100の名城を取り上げて解説しているのだが、記述は歴史と城自体との説明をバランスよく配し、なおかつ探訪ガイドも兼ねていて無駄がない。逆にいえば無駄がなさすぎて面白みがない面もある。しかし城ひとつについて2~4ページしか(しかも写真も入れて)使えないのだから無理もないか。
 選定の傾向としては、現状重視というか、遺構として見応えのある城が選ばれているようで、富山城や大多喜城みたいな、模擬天守のある城も選定されている。現状・建物重視型100選と言える。

日本の百名城/八幡和郎(KKベストセラーズ・ベスト新書,2006)
 またしても出た「名城百選」。この手の本はそれぞれセレクトの仕方に独特の見地があって、そこがおもしろいのだが、この本もまた、ユニークな点がいくつか。
 一つ目は、近世城郭に限っていること。だから千早城も春日山城も出てこない。
 二つ目は、現状の残存状況だけでなく、「本来そうあるべきだった姿」を基準にしていること。だから跡形もない尼崎城や古河城、長岡城、聚楽第、ほとんど残存してない田中城、伏見城などが入っている。そればかりか、鯖江城みたいに、計画だけで実際には建てられなかった城まで選ばれている。
 三つ目は、これがこの人のセレクションの最大の特徴なのだが、史実に必ずしも忠実でなくても、見栄えがよければ名城として高く評価していること。典型的なのが唐津城。ここの天守は本来なかったはずのもので、要するに模擬天守なのだが、「本邦唯一絵葉書になる城」と絶賛している。「こんなに美しいのだから歴史的な由緒などなくてもいい」と。
 城の本で、ここまで言い切ったものを他には知らない。「ビジュアル第一主義」とでも言おうか。「見栄えよくするためには城の周囲の木を切るべき」というのは、なるほどそうかと思う。史実にない天守を作ることについては賛否両論あるだろうが、こういう見方もあるというのは、素直に受け止めたい。景観重視型100選。

 ところで、100名城が選定する観点によっていくら違ってくると言っても、不動のメンバーみたいなものはやはり存在する。いくら独自の基準で選ぶからと言っても、姫路城や松本城や熊本城が入って来ない、なんてことはあり得ないわけで、日本城郭協会と上の3冊の本の「100名城」、すべてに共通する城が50くらいある。このへんが「日本の基本名城」ということになるのだろう。
 ちなみにすべてに共通していた城というのは、次のとおり(北から順)。

五稜郭、松前城(北海道)、弘前城(青森)、盛岡城(岩手)、仙台城(宮城)、山形城(山形)、会津若松城(福島)、水戸城(茨城)、江戸城(東京)、小田原城(神奈川)、甲府城(山梨)、上田城、松本城(長野)、新発田城(新潟)、金沢城(石川)、一乗谷城(福井)、駿府城、掛川城(静岡)、犬山城、名古屋城、岡崎城(愛知)、伊賀上野城(三重)、彦根城(滋賀)、二条城(京都)、大阪城(大阪)、姫路城、赤穂城(兵庫)、和歌山城(和歌山)、鳥取城(鳥取)、松江城(島根)、津山城、備中松山城、岡山城(岡山)、福山城、広島城(広島)、萩城(山口)、徳島城(徳島)、高松城、丸亀城(香川)、今治城、松山城、大洲城、宇和島城(愛媛)、高知城(高知)、福岡城(福岡)、佐賀城(佐賀)、島原城(長崎)、熊本城(熊本)、大分府内城(大分)、鹿児島城(鹿児島)、首里城(沖縄)

 こうして見ると、日本で一番名城が多いのは、愛媛県か?

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2007年3月23日 (金)

撃沈戦記

 今回は「戦記もの」。
 戦記ものや戦史も、そう数多く読んでいるわけではないが、わりと好きな分野の一つ。しかし私は別に軍事マニアというわけではなく、単に歴史の一種としての戦記が好きなだけなのである。空戦、陸戦、海戦の中では、やはり、海戦(まあ、多くの人がそうだろうが)。
 そういうわけで、今回はこれ。発行はちょっと古いが、読んだのは3、4年前。
 以下は当時書いた感想をそのまま再録したもの。(いや実は、このブログの記事って、今のところ大半がそうなのだが。)

撃沈戦記/永井喜之、木俣滋郎(朝日ソノラマ・文庫版新戦史シリーズ,1988)
 第一次世界大戦から戦後までの海戦のエピソード集。当然ながら、第二次世界大戦が大半を占めている。
 とりあげられた軍艦とその沈没原因を列挙すると...

第一部の第二次大戦前が、ドイツのエムデン(軽巡)-砲戦、ブリュッヒャー(装甲巡洋艦)-砲雷撃戦、ケーニヒスベルク(防護巡洋艦)-河川での砲戦、イギリスのトライアンフ(戦艦)-潜水艦からの魚雷、クイーン・メアリイ(巡洋戦艦)-砲戦、スペインのバレアレス(重巡)-駆逐艦からの魚雷、タイのトンブリ(海防艦)-砲戦。
 第二次世界大戦では、日本の霧島-砲戦、伊一号-掃海艇と接近戦、神通-砲雷撃戦、萩風・嵐・江風-駆逐艦からの雷撃、香取-砲戦、雲鷹-潜水艦からの雷撃、二等輸送艦135・136号-空襲。
 アメリカのラングレイ(航空機運搬艦)-空襲、ピルスバリイ(駆逐艦)-砲戦、ワスプ(空母)-潜水艦からの雷撃、アルキバ(輸送艦)-特殊潜航艇からの雷撃、ノーサンプトン(重巡)-駆逐艦からの雷撃、リスカンベイ(護衛空母)-潜水艦からの雷撃。
 イギリスのサネット(駆逐艦)-砲戦、エグゼター(重巡)-砲雷撃戦、ラワルピンディ(仮想巡洋艦)-砲戦、グロウウォーム(駆逐艦)-ドイツ重巡ヒッパーに体当たり攻撃、ヨーク(重巡)-イタリアの特攻艇、フッド(巡洋戦艦)-砲戦、バリアントとクイーン・エリザベス(戦艦)-イタリアの特攻潜水艇。
 ドイツのブリュッヒャー(2隻目! 重巡)-ノルウェー沿岸要塞からの砲雷撃、アトランティス(仮想巡洋艦)-砲戦、Z26(駆逐艦)-砲雷撃戦。
 フランスのブルターニュ(戦艦)-砲戦、プリモゲ(軽巡)-砲戦・空襲、フィンランドのイルマリネン(海防戦艦)-機雷、イタリアのバルビアーノとギュッサーノ(軽巡)-砲雷撃戦、ローマ(戦艦)-ドイツ爆撃機からの対艦ミサイル「フリッツ」。
 戦後はさすがに少なく、中国の重慶(軽巡)-空襲、シリアのコマール級(ミサイル艇)-イスラエルミサイル艇からの対艦ミサイル、アルゼンチンのベルグラーノ(軽巡)-潜水艦からの雷撃、イギリスのアンテロープ(フリゲート)-空襲。

 選択基準がよくわからないのだが、艦種といい沈没パターンといい、非常にバラエティに富んでいることは確かで、しかも大和や武蔵やプリンス・オブ・ウェールズやビスマルクなどの有名どころをあえて入れず、マイナーな艦をとりあげているのはマニア好みというところだろう。特にタイやフィンランドの軍艦まで拾っているのはすごい。現代海戦のあらゆるパターンを網羅しているといっていいだろう。
 ただ、いただけないのは、固有名詞にいい加減なところがある点で、「リスカンベイ」を「リムカンベイ」と表記しているあたりはその典型。おかげで、読み物としてはおもしろいのだが、資料的に信頼できるかどうかとなると、疑わしくなってくる。

 こんな風に文句を言いながらも、えらく細かい明細まで書いているのは、実はけっこう気に入っていたということだろう。数ヶ月後には続編も読んでいる。

撃沈戦記 PART2/永井喜之、木俣滋郎(朝日ソノラマ・文庫版新戦史シリーズ,1990)
 1冊目と同じく、第一次大戦から戦後までを扱っているが、やはり第二次大戦で沈んだ艦が圧倒的に多い。
 今回第二次大戦以外は4隻だけ。それも、青島攻略戦で沈んだ日本の巡洋艦「高千穂」(駆逐艦による雷撃)、第一次世界大戦のコロネル沖海戦で沈んだイギリス装甲巡洋艦「グッド・ホープ」(砲撃)、戦後、国共内戦時の台湾海峡海戦で沈んだ台湾の護衛駆逐艦「太平」(魚雷艇による雷撃)、第二次中東戦争で拿捕されたエジプトの護衛駆逐艦「イブラヒム・エル・アワル」(空襲後、降伏)など、しょぼいのばかり。しかも最後のは沈んでない。
 残りはすべて第二次大戦の戦没艦で、日本12隻、アメリカ4隻、オランダ1隻、イギリス2隻、フランス2隻、イラン1隻、イタリア1隻、ソ連1隻、ドイツ2隻、カナダ1隻とバラエティに富んでいるのは前作と同じ。特にイラン砲艦「バブール」のエピソードなど、よく掘り出してきたものである。他にもマイナーな艦が多いのは前作と同じだが、今回は日本の「武蔵」、「金剛」など、有名どころも混じっている。それに日本海防艦「粟国」、イギリス空母「イラストリアス」など、結局沈まなかった艦も混じっているのは、看板に偽りありなのではないか。ただ、前作みたいに固有名詞のつまらない間違いが見あたらなくなった点は改善されている。

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2007年3月19日 (月)

群雄創世紀

群雄創世紀/山室恭子(朝日新聞社,1995)

 なんだか戦国もの架空歴史小説みたいなタイトルだが、本職の歴史学者が書いた、れっきとした歴史の本である。
 武田信玄、北条氏綱、毛利元就、徳川家康の4人を素材に、これらの英雄たちにまつわる、現在にまで伝わるさまざまなイメージや伝説がどのように生まれ、成長していったのかを、古文書を駆使して探る異色の戦国史。
 というより、今日一般に考えられている「戦国史」がどのように生まれてきたかを語る、一種のメタヒストリーとも言える。
 川中島が有名になったのは武田と上杉の宣伝合戦のせいだった、とか、北条は「仁政」を売りにしたが、そのおかげで歴代の当主は後世から見ると影の薄いキャラクターになってしまった、とか、ちょっと斜めから見た歴史が、あるいは「歴史と思われているもの」の製造過程が語られていく。
 毛利元就など、「三本の矢」のモデルになった教訓状は何の役にも立たない文書で、実際には息子たちの仲は悪かったとか、元就本人は陶家の大内家簒奪に手を貸した陰謀家で、その後都合により陶家を裏切ったものの「厳島の合戦」は来島水軍の加勢でやっと勝ったのだとか、そもそも元就が毛利本家を継いだのも、家臣に強要して強奪したのだとか、ぼろくそに書かれている。
 最後の徳川家康のパート、伝説がいかに作られていくかという、この本のテーマを象徴するような今川家の「没落」を語ってみせる手並みも見事。今川義元は幼い人質の家康をいじめていたのではなく、むしろ徳川家を助けていたのだが、その後、家康は今川氏真の時代に織田家と組んで恩を仇で返した。その悪行を隠すため、氏真を暗愚に、義元を悪人に見せるような操作が行われたのだと、豊富な史料を元にその「犯行現場」を見せてくれる。
 「そのための伝説の起用であった。これこそ、何が実際におこったか、ではなく、人々が何を信じたか、そのかたちをいちばんきれいに保存している結晶。だから、めいっぱい贔屓し、その煌めきをよすがに闇夜の旅を続けてきた。」(あとがき)。
 ときどき、歴史学書にしては、あまりに「文学的」となる語り口には好き嫌いもあるだろうが、歴史の見方が変わってくる異色の歴史本である。

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