最近読んだ本

2021年3月27日 (土)

ほんほん本の旅あるき

ほんほん本の旅あるき/南陀楼綾繁(産業編集センター,2015)
 この著者については、以前(といってももう10年以上前になるが)、本ブログで『一箱古本市の歩き方』という本を紹介したことがある(2010年1月18日のエントリー)。
 そこでは、著者が始めた一箱古本市というユニークな活動や、日本各地のブックイベントのことが、情熱と遊び心たっぷりに語られていた。
 本書はその続きみたいな本。日本各地で開催されるブックイベント、一箱古本市、さらには地方でユニークな文化活動を続ける人々を訪ね歩いた現地ルポが集められている。北は盛岡から南は鹿児島まで。最後に地元である東京で締めくくる14編。
 鹿児島編の最後に書いているとおり、「箱に先導されて各地を回る」旅の記録である。
 各編とも冒頭に「旅あるきMAP」がついている。ただし基本的に著者が訪ね歩いたところが書いてあるだけなので、一般的には参考にならない。本文を読む時には便利。さらに本文中にも写真とイラストが豊富に入っている。イラストを描いているのは、イラストレーターの佐藤純子。緩いタッチが本の雰囲気によく合っている。
 著者が訪ねるのは、ユニークな本屋に古書店、昭和っぽい市場や商店街、昔ながらの喫茶店に食堂――といったところ。そこにブックイベントや地域おこしに関わる人々が登場する。出会う人々は、みんな活動的で個性的。著者自身も含め、本や文化や地域への熱い思いがすべてのページにあふれている。
 ただ、どこへ行っても同じようなところへ行って同じようなことをして、同じような種類の人々とばかり会っているような気もする…。ブックイベントという「仕事」で行く時は仕方ないとして、私的な旅で行く時くらいは、ちょっと違うことをしてもいいんじゃないだろうか。
 まあ、これはそういう場所や人々からなる「世界」について書いた本なのだから、仕方ないのだろう。ブログ主もそういう「世界」が嫌いではないのだし…。

 本書で著者が旅した場所は以下のとおり。

盛岡(岩手県)―朝市と三人の木村さん
秋田(秋田県)―川反中央ビルにはブク坊がいる
石巻・仙台(宮城県)―“まちの本棚”が生まれた
新潟(新潟県)―旅は不器用
富山・高岡(富山県)―『まんが道』と鱒寿司
津(三重県)―カラスの目で町を見る
鳥取・松崎(鳥取県)―横に長い県をゆく
松江・隠岐(島根県)―水の町から海のある町へ
呉・江田島(広島県)―コミさんに導かれて
高知・阿波池田(高知県・徳島県)―うだつのある町で
北九州(福岡県)―洞海湾を渡って
別府(大分県)―温泉から奇想が湧き出る
鹿児島(鹿児島県)―ぼっけもんのいる国
都電荒川線(東京都)―東京の町を旅あるきして

Honhonhonnotabiaruki

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2021年3月15日 (月)

上杉謙信

上杉謙信/井上鋭夫(講談社学術文庫,2020)
 原著は1966年の出版。今から半世紀以上前に出版された上杉謙信の伝記である。
 解説によると、内容には今の最新の研究成果から見ると古い部分もあるらしい。だが、上杉謙信という人物について、その祖先も含めた出自や事績がよくわかる1冊になっている。実のところ、謙信というのは川中島で武田信玄と戦った以外、何をした人物なのか、今ひとつイメージがわかない気がするのだ。その意味では手頃な「謙信入門」本と言える。
 内容は全10章だが、実はそのうち前半の5章が、上杉謙信登場以前の越後の情勢を語ることに当てられている。
 この時代の越後は関東と深く結びついていた。関東を実質支配するのが(名目上は関東公方がトップ)関東管領上杉家、その下で家宰を務めるのが関東長尾家。そして、越後も守護を上杉家、守護代を長尾家が代々務めていた。関東も越後も、上杉家-長尾家というラインで統治されていたわけである。実際には内輪もめが絶えなかったのだが。
 この越後上杉家を打倒して越後の実質支配者となったのが、上杉謙信の父親である長尾為景。守護上杉房能、関東管領上杉顕定と、主筋に当たる上杉家当主を二人まで敗死させた梟雄。本書はこの下克上の見本みたいな為景の活躍にもかなりのページを割いている。
 上杉謙信本人は、第6章の120ページ、全体の4割くらい過ぎたところで、やっと表舞台に登場する。そこからの本書後半は、謙信の戦いに明け暮れた生涯を語る。
 最初の頃は越後国内の抵抗勢力と戦い、国をまとめてからは、関東方面で北条家と戦い、信濃で武田信玄と戦い、越中・加賀方面で一向一揆や土着勢力と戦う。よくこれだけ戦争ばかりやっていたものである。
 上杉謙信と言えば、戦えば無敵みたいなイメージが一般的にはあるようだが、実のところ武田も北条も、強大すぎる敵だった。「武田信玄といい北条氏康といい、どのひとつをとってみても景虎の手に余る相手であった」と、著者の目はきびしい。
 謙信は確かに戦場では強かったかもしれない。だが戦国大名としての総合力については、著者はあまり高く評価してないようだ。本書から浮かび上がってくる謙信像は、どちらかというとただの戦争マニアに近い。理想化された謙信像を求める人には、本書は不満の残る内容かもしれない。
 ブログ主にとっては、正直言ってむしろ父親の長尾為景の人生の方が、波瀾万丈で面白い気がする。何より、為景には強烈な悪の魅力みたいなものがある。

Uesugikenshin

 

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2021年2月19日 (金)

青春の文語体

青春の文語体/安野光雅編著(筑摩書房,2003)
 昨年12月に亡くなった安野光雅の本。主体は著者の本業である絵ではなく、あくまで文章。文語体への思い入れが過剰なほどに詰まっている。
 文語体=古くさいというイメージがあるが、著者にとって、文語体とは青春の覇気と熱情をこそ表現するための文体なのである。「文学は年齢ではないが、思うに文語文は、その文章の気負うところ、志の高さ、訴える気概などにおいて、青春の文学なのである」と、序文でその思いを語っている。
 内容は、著者のお気に入りの文語体の文章を引用し、それに関する自分の思いを述べるというもの。全体の半分くらいは引用だから、「編著」となっている。
 章題はついてないが、内容は全7章。

「はじめに」は、「わたしは、鴎外訳の「即興詩人」に傾倒している」という文章から始まる。この「即興詩人」は、この後たびたび引用されることになる。
 第1章は島崎藤村の文語詩「初恋」から始まる。そして「藤村詩集」序文、「小諸なる古城のほとり」、「千曲川旅情のうた」と藤村の詩が続く。さらに、「春の小川」、「われは海の子」などの小学唱歌。このへんが、著者の文語体験の原点ということらしい。
 第2章も詩が中心。北原白秋「邪宗門秘曲」、「啄木詩集」、萩原朔太郎「純情小曲集」に収録された詩を取り上げている。「即興詩人」の引用も出てくる。
 第3章は、一転して江戸時代の文章が並ぶ。
 新井白石の「西洋紀聞」、久米邦武の「米欧回覧実記」、鈴木牧之の「北越雪譜」、杉田玄白の「蘭学事始」、橘南谿の「東西遊記」。いずれも歴史に残る名著。
 最後にひとつだけ江戸時代ではなく明治時代の文章として、鴎外訳「即興詩人」より「蜃気楼」のくだり。
 この章は長い。全体の3分の1近く、80ページ以上ある。しかし、江戸時代に「文語体」という概念があったのだろうか。
 第4章は10数ページしかない。藤村操の「巌頭の感」と、高山樗牛の「滝口入道」、「敦盛と忠度(青葉の笛)」という唱歌。
 第5章は明治文学から。中江兆民「一年有半・続一年有半」、樋口一葉「たけくらべ」、樋口一葉「通俗書簡文」。そしてまたも「即興詩人」より「絶交の書」。
 一葉の文章は本書の中で一番文語らしい文語かもしれない。中江兆民は「である」調がまじっていて、純粋な文語体とはちょっと違う気がする。
 第6章は戦争文学と文語。
 最初は司馬遼太郎『坂の上の雲』から、「敵艦見ユ」の電文のくだり。本文も長々と引用されているが、これはもちろん文語体ではない。「水師営の会見」の歌、「広瀬中佐」の歌、永井荷風「断腸亭日乗」、吉田満「戦艦大和ノ最期」と続く。
 この「戦艦大和ノ最期」は、「わたしの知り得た最後の文語文である」とのこと。ただ、山本夏彦は『完本 文語文』の中で、「戦艦大和ノ最期」は、「生活がないから真の文語ではない」と言っている。
 第7章は短い。またまた「即興詩人」から、「わが最初の境界」と、与謝蕪村の「北寿老仙をいたむ」。
「あとがき」は、「さらば、お灯明もいらない、花もいらない、この本を、読んでくださるだけで、「老仙」、思い残すことはない」と締めくくられている。実際には亡くなるまでまた17年もあったのだが、まるで遺書のような趣である。

 とにかく、文語体への著者の思いが、痛いほどに伝わってくる本である。
 しかしその後、著者はあれほど思い入れのあった鴎外訳「即興詩人」を口語訳して出版している(2010年刊)。本書を読んだ後では、言ってはなんだが、「それはありなのか?」と思ってしまう。

Seishunnobungotai

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2021年1月22日 (金)

銀河英雄伝説列伝1

銀河英雄伝説列伝1 晴れあがる銀河/田中芳樹監修;石持浅海ほか(創元SF文庫,2020)
 銀英伝の世界を舞台にした中編6編を収録した「公式トリビュート・アンソロジー」。「1」とついてるから、まだ出るらしい。
 作者はSF作家が半分、それ以外が半分。田中芳樹が「監修」となっているが、作家の選定とかに一切関わってないことは、序文から明らかである。

小川一水「竜神滝[ドラッハ・ヴァッサーフェル]の皇帝陛下」
 新帝国暦3年。フェザーン産地でのハネムーンで釣りに興じるラインハルトの姿を描く魚釣り小説。

石持浅海「士官学校生の恋」
 士官学校の卒業を目前に控えたヤン・ウェンリーが、先輩のキャゼルヌに同期生の恋物語を語る。キャゼルヌからその話を又聞きした恋人のオルタンスが、秘められた真相を暴く。ストーリー的には完全にミステリで、オルタンスが安楽椅子探偵の役をしている。

小前亮「ティエリー・ボナール最後の戦い」
 宇宙歴791年だから、本編が始まる5年前。同盟の補給基地が次々と正体不明の艦隊に襲われて全滅する。その敵艦隊を捜索・撃破する任務を与えられたのが同名第九艦隊。司令官はペテルセン中将、分艦隊を率いるのがウランフとボナール。本書の中で唯一、宇宙艦隊戦の場面が出てくる。さすがに田中芳樹の勧めで作家デビューしただけあって、作風が一番本家に近い。

太田忠司「レナーテは語る」
 オーベルシュタインの死後、元執事のラーベナルトが隠棲する田舎家。そこを訪れたのは、かつてオーベルシュタインの部下だった女性レナーテ・ヴァンダーリッヒ。ラーベナルトから形見の品として香水瓶を渡されたレナーテは、オーベルシュタインが殺人事件を解決した思い出話を語り始める。これもストーリーはミステリ。ミステリ作家が書くとどうしてもミステリになってしまうようだ。

高島雄哉「星たちの舞台 」
 収録作中では異色の、演劇小説。ヤン・ウェンリーが士官学校の最上級生だった時、つまり「士官学校生の恋」と同じ時期の話。この話のヤンは、ヒュパティアという音楽学校生と二人で演劇を演じることになる。とにかく演劇の稽古の場面だけがほとんどを占める作品。本編と雰囲気が違いすぎる。それもトリビュート・アンソロジーの味わいかもしれないが…。

藤井太洋「晴れあがる銀河」
 収録作中で唯一、本編の登場人物が一人も出てこない。それもそのはず、ルドルフによる銀河帝国の建国から2年後の話。つまり本編が始まる500年近く前。政府のすべてが軍組織になり、政府による統制と監視が強まっていく、そんな世界が舞台。皇帝からの勅命により、「正統な銀河の航路図」の作成を命じられた帝国軍航路局のアトウッド少尉たちの奮闘を描く。なお、最後にアトウッドが本編に登場するある人物の先祖に当たるらしいことが示唆される。
 さすがに全体のタイトルに選ばれるだけあって、よくできた話。というわけで、この作品がマイベスト。

Gineidenretsuden

 

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2021年1月 2日 (土)

劉備玄徳の素顔

劉備玄徳の素顔/島崎晋(MdN新書,2020)
 正史『三国志』を主な史料とした、劉備の一代記。
 著者は歴史学者ではなく歴史ライター。独自の史観や新説みたいなものはないが、一般の歴史好き読者に向けて丁寧な解説を心がけているのがわかる。専門性は薄いが、良書ではないだろうか。序章でも言及しているように、明らかに映画『新解釈・三国志』の便乗出版ではあるが。

 内容は、劉備の生涯を、その転機ごとに5章に分けて叙述するオーソドックスな構成。
 序章「演義と正史のギャップ」は、劉備に対する後世の評価と、主な史料について解説していて、本書の中で一番歴史書らしい部分。
 第1章「一族期待の星」は、劉備の出生と教育、義勇軍としての活躍の始まりまでを述べる。劉備の属する涿郡劉氏は地方の名族であり、劉備が貧しい暮らしをしていたというのは、世間向けのポーズではないだろうかとの説は説得力がある。
 第2章「群雄割拠の狭間」。公孫瓚、陶謙、曹操、袁紹と、次々と陣営を変え、曹操に敗れて劉表のもとに逃げ込むまでの劉備の遍歴。負け続けの経歴のようだが、それでも生き残ってきたところに、著者は劉備のしぶとさを評価している。
 第3章「新たな出会い」は、三国志ドラマの一番の見せ場のところ。荊州での諸葛亮との出会い、孫権との同盟と赤壁の戦い。そして荊州(の一部)領有まで。
 しかし、本書での赤壁の戦いについての記述は簡略。だいたい、劉備軍はこの戦いでは脇役でしかなかったのだから仕方ないが。史料によっては、劉備は何もせずに戦いの行方を観望していただけだったとの記述もあるが、著者は、さすがにそれはないだろうと書いている。
 第4章「漢を継ぐ者」は、劉備の益州領有と、皇帝即位まで。劉備が一番上り調子だった時期だが、同時に、だんだんたちが悪くなってくる。益州征服での劉備の策略など、卑怯としか言いようがない。著者も「これでは信義に厚いどころか、腹黒そのものである」と酷評している。
 しかし考えてみれば、劉備は以前から人を裏切り続けてきたのだから、もともと腹黒なのだと言われても仕方ないのである。
 第5章「劉備の聖人君子化」。劉備の夷陵の戦いでの大敗と、その死。夷陵での劉備の拙劣な作戦について、著者は「老化のせい」と推測している。最後に、後世に創られた劉備像(「うさんくさい聖人君子化」)について、簡単に触れている。

 著者が序章で述べているように、曹操についての著作は何冊もあるが、劉備だけにスポットを当てた単独の著作はなかなか見当たらない。思うに、劉備の事績を史料に基づいて掘り下げて行くと、実はかなりあくどい人物だということがいやでもわかってしまうからではないだろうか。本書で明らかになったように。
 だが、本書での劉備像は別に目新しいものではなく、陳舜臣の『秘本三国志』に登場する劉備は、だいたいこんな風な食えない男だった。ブログ主にとって本書は、「劉備というのはやっぱりそういうやつだったか」ということを再確認できた本だった。そしてこういう劉備の人物像がブログ主は嫌いではない。少なくとも、「三国志演義」に出てくるような、偽善めいた建前ばかり口にする優柔不断なキャラクターよりは、好感が持てるのである。

Ryubigentokunosugao

 

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2020年11月27日 (金)

想い出のホテル

想い出のホテル(ドゥマゴからの贈り物)/井上俊子編(Bunkamura,1997)
 ドゥマゴ文学賞事務局が編集するエッセイのアンソロジー、<ドゥマゴからの贈り物>の3冊目。(これ以前に『想い出のカフェ』というアンソロジーが2冊出ている。)
 内容は4ページの短いエッセイが50編。
 執筆者は、中村真一郎、鈴木清順、吉本隆明、日野啓三、筒井康隆、赤瀬川原平、海野弘、池内紀、山下洋輔、辺見庸、山内昌之、宮迫千鶴、鷲田清一、四方田犬彦、沼野充義、森まゆみ、小谷真理、佐藤亜紀、有吉玉青など。
 文学者に限らず、学者、音楽家、映画監督など、各界の有名人たちというか、文化人を集めたという印象。
 ドゥマゴ文学賞というのは、選考委員が一人だけで毎年交代するというユニークな方式をとっているのだが、その選考委員も少しだけ入っている。しかしそれもごく一部に過ぎないので、結局どういう基準で選んだのかよくわからない。
 とにかくこういう面々だから、予想どおりというか、外国のホテルの思い出話が圧倒的に多いのである。
 最初の中村真一郎「三婆の宿」がフランス、次の荒松雄「ローマからジュネーヴへ」はタイトルどおりイタリアとスイス、鈴木清順の「窓」がイタリア――という具合。
特にイタリアとイギリスが多いような気がする。
 日本のホテルについて書いているのは、吉本隆明、日野啓三、鼓直、赤瀬川原平、鷲田清一、三宅晶子、池田裕行の7人だけ。
 そしてまた、ボロいホテルの話がやたらと多い。まあ、豪華ホテルに泊まった話より、みすぼらしいホテル、あるいは隠れ家風ホテルに泊まった話の方が面白いから、当たり前かもしれないが。
 そんな中で、パリの高級ホテルに泊まり、「日本から来た文豪」として振る舞った話を披露している筒井康隆「オテル・リッツ」などは、むしろ異端と言えるだろう。普通に書いたら嫌みたらしい自慢話になりそうなネタを堂々としているところが筒井らしい。
 他に変わったところでは、映画評論家山田宏一の「ホテルと映画」。自分が泊まったところではなく、「グランド・ホテル形式」の原型となった映画『グランド・ホテル』のことを書いている。
 五十人五十様の「ホテル観」のバラエティが興味をそそる。

Omoidenohotel

 

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2020年11月23日 (月)

幻綺行

幻綺行 [完全版]/横田順彌(竹書房文庫,2020)
 明治時代、自転車で世界一周無銭旅行に挑戦した中村春吉を主人公にした秘境冒険SF。『SFアドベンチャー』に連載された連作短篇をまとめたもの。1990年に単行本が出ているが、その時には収録されてなかった2編を追加した「完全版」。
 主人公中村春吉は実在の人物がモデルだが、無謀な冒険に乗り出すだけあって、本書での性格はバンカラで向こう見ずで衝動的な熱血漢。後先考えずに行動する。はっきり言ってバカである。本当にこんな人物だったかどうかはわからない。
 この中村春吉がパレンバンで出会った石峰省吾と雨宮志保とともに、世界各地で怪物たちと戦うという話。だから個々の話は完全なフィクション。
 春吉の一人称(「我輩」)で語られる大時代な文章が、いかにも明治人らしい思考、そして語彙にあふれていて、実に内容によくマッチしている。

「聖樹怪」
 自転車世界一周中の春吉は、パレンバンで娼館から志保を救い、山田長政の秘宝を探す石峰青年と出会う。その秘宝があるという密林の奥で彼らが遭遇したのは、人間を操って受精の道具に使ったあげく食ってしまう怪植物。
「奇窟魔」
 宝探しを続ける石峰と別れた春吉と志保は、ネパールの奥地で若い娘を連れ去る謎の寺を探索。そこでは僧たちが、さらってきた娘たちを頭だけが動物の奇怪な姿に改造していた。春吉と志保は、(都合よく)再登場した石峰と協力して悪僧たちを退治する。
「流砂鬼」
 志保と石峰を道連れにして春吉の世界一周は続く。自転車でペルシャの荒野を横断する三人。当然無事にすむわけがなく、大砂嵐に襲われ、地下の大洞窟に落ちる。その奥には高度なテクノロジーを思わせる遺跡があった。そこへ襲ってくる砂でできた怪魔像。春吉がこの強敵を撃退する手段がすごい。
「麗悲妖」
 しばらく一人で行動していた春吉はロンドンで志保と再会する。ペテルブルグに友人を訪ねて行ったという石峰を追って、二人はロシアへ。石峰の訪問先は松尾という日本人と、その新婚の妻エヴグーニヤだった。このエヴグーニヤの挙動が不審、実は彼女は魔物と化していた…。収録作中唯一、秘境ものではない。
「求魂神」
 南アフリカに向かう途中、マデイラ島に滞在する三人。島の高山ピコ・ルイボ山に登山中、黒い影にのみこまれる。気づくとそこは地上に着陸していた宇宙船の中。今度の敵は、地球人の魂を食料とする宇宙人なのだった。収録作中一番SFらしいSFで、珍しく文明批評的な終わり方をする。それはいいのだが、「流砂鬼」の怪魔とこの宇宙人の弱点が同じというのは、ややワンパターンなのでは。
「古沼秘」
 南アフリカに着いた三人。大蛇に襲われたりダイヤ鉱山を訪れたりいろいろあった後、モザンビクからザンジバルへと向かうことに。ところが途中、現地人が恐れる沼のほとりで露営していた時、やっぱりというか怪物に襲われる。今度の相手は巨大な蟹。ということで、最後のエピソードはごく単純な怪物ものだった。あるいは原点に戻ったと言うべきか。

Genkikou

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2020年11月 7日 (土)

日本まんじゅう紀行

日本まんじゅう紀行/弟子吉治郎(青弓社,2017)
 著者は本業は放送業界の人。Wikiを見ると、ラジオ・テレビ番組ディレクター、作曲家、音楽プロデューサー、著作家、メディアコーディネーター、実業家(放送プロダクションを経営している)と、やたらと肩書きが多い。
 この本は一見そんな本業とは無関係のようだが、実は著者の実家はまんじゅう屋。「まんじゅう屋の空気を吸って育った」という。今でも無類のまんじゅう好きなのである。
 著者のいう「まんじゅう」は非常に範囲が広い。「和菓子」は高級、庶民的な和風のお菓子は「まんじゅう」という、やたらとおおざっぱな区分をしている。ぼた餅も最中もまんじゅうに分類する。
 だいたい、広義のあんこを使っている、高級でないお菓子は全部「まんじゅう」になるようである。だから本書に出てくるお菓子の範囲も非常に広い。餅やようかんはもちろんのこと。表紙にもどら焼きや串団子の写真が出ている。
 さらに、この範疇にすら入らないお菓子も出てくる。例えば「夏蜜柑の丸漬」なんてのも出てくるが、どこが「まんじゅう」なのかわからない。
 とにかく、そんなバラエティに富んだお菓子を、ひとつあたり3~4ページで、写真と文章により紹介。全8章。

 これだけなら、よくあるパターンだが、実は文章が独特。ところどころ、やたらと詩的な表現が出てくる。例えばこんな具合。

 このよもぎ求肥には、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ『月光』の揺らめきがあります。これを食べながら阿弥陀経の極楽国土を見ることができます。歌舞伎『勧進帳』で花道の弁慶を見送る富樫の心中にも似ています。(p.15 「両月堂のよもぎ求肥」)

 東京のなかで私がいちばん好きな町が神楽坂。ここには、言霊や音の女神や命の滴や消されてもなお漂う香りと匂いがあるような気がします。(p.27 「神楽坂のマンヂウカフェ」)

 本書をよくある「おいしいものガイド」と区別しているのは、この個性あふれる表現に満ちた文章なのである。結局どんな味なのかは、よくわからないのだが。
 実はブログ主は著者のいう「まんじゅう」――あんこの入ったお菓子がけっこう好きなので、こういう本にはつい興味を引かれてしまうのだった。

Nihonmanjuukikou

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2020年10月 9日 (金)

文豪宮本武蔵

文豪宮本武蔵/田中啓文(実業之日本社文庫,2020)
 巌流島で佐々木小次郎を倒した宮本武蔵は、その後、病弱な小次郎の妹、夏に同情し、彼女の生活を援助していた。とはいえ、浪人の身で自分の生活も苦しい武蔵。士官を求めて江戸に出て、柳生宗矩に勝負を挑むが、返り討ちにあい、殺されそうになる。
 死んだかと思ってふと気がつくと、なぜか明治時代にタイムスリップしていた武蔵。いきなり通りがかりの女にぶつかる。女は夏にそっくりで、やはり名前も夏子と名乗る。実は女流小説家で、ペンネームは樋口一葉――。
 さらに武蔵は通りがかりにたちの悪い学生たちにからまれている男を助ける。その男の名は正岡子規。子規の家に招かれると、そこには夏目金之助という男が来ていた。よくまあ、文学史に名の残る人たちにうまく巡り会うものである。
 子規と金之助(漱石)に対して、武蔵は過去から来たなどと本当のことを言うわけにもいかず、小説家を目指して東京に出てきたとでまかせを口にする。
 その後、人力車夫として働くことになった武蔵。樋口一葉から借りた『たけくらべ』を読んでめちゃくちゃ感動する。「俺もこういうものを書いてみたい」という衝動が武蔵の中にわきあがる。武蔵は自分が言ったとおり、小説家への道を歩み始めるのだ。
 ――というところで約半分。
 その後いろいろあって、武蔵は『蒸気力車夫』という小説を書く。そして刊行されるや大いに売れるのだった。
 さらに第二作、『時を駆ける武士』を出した直後、かねてから因縁のあった悪徳代議士大山とその用心棒桑本との争いで武蔵は背中を刺されてしまう。もう死ぬのか、と思ったら、なぜか江戸時代に帰っていた。もう理屈も何もない。そういうものなのである。
 江戸時代で武蔵を待っていたのは、若死にした樋口一葉の霊の力で元気になった夏だった。なんともご都合主義だが、もともと設定がぶっ飛んでいるのだから、あまり気にならない。自分の時代に戻った武蔵は、その後ほぼ史実と同じ人生を送る。最後に武蔵が生涯の最後を飾る『五輪書』を書くところで終わり。しかしここに著者お得意のダジャレが仕込まれていたのである。それまで、珍しくダジャレが出てこないと思ったら、最後の最後でかましてくれたのだった。
 まあ、最後のダジャレを別にすれば、(田中啓文にしては)わりと普通のタイムスリップ小説と言える。江戸時代から来た人間がいきなり小説を書けるのかという疑問は、この際考えてはいけないのである。

Bungoumiyamotomusashi

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2020年10月 1日 (木)

クローヴィス物語

クローヴィス物語/サキ;和爾桃子訳(白水Uブックス 海外小説永遠の本棚,2015)
 クローヴィスという名前から、歴史好きが連想するのはフランク王国メロヴィング朝初代王クローヴィス1世だろうが、本書はそれとは全然関係ない。まあ、サキの書いた本だから歴史小説だと思う人もいないだろう。普通の短篇集である。
 ところで、本書の解説によると、サキの短篇集でオリジナルそのままが翻訳されたことは今までなかったのだそうだ。確かに、今まで読んだり見たりしたのは、『サキ短篇集』とか『サキ傑作集』とか『ベスト・オブ・サキ』とかいうのばかりだった。
 本書は日本で初めて、原著"The Chronicles of Clovis" (1911)をそのまま翻訳した短篇集。28編を収録。タイトルのとおり、クローヴィス・サングレールという若者が共通して出てくる。
 クローヴィスはいかにもサキらしいキャラクターである。機知に富んでいるが、皮肉屋で嘘つきでいたずら好きで意地が悪い。
 そんなクローヴィスが主人公として騒動を引き起こす話と、ただの脇役としてちょっと出てくるだけの話がある。また、クローヴィスがまったく出てこないシリーズ外の話も3分の1ほど入っている。
 収録作品の中では、しゃべる猫の話「トバモリー」がやはり抜群の面白さ。これは以前にアンソロジー『猫文学大全』に収録されているのを紹介したことがある(2017年2月28日のエントリー)。しかしこの作品には、クローヴィスは脇役でちょっと出てくるだけ。
 クローヴィスが主役の作品としては、ひとつ選ぶなら「不静養」か。
 列車でクローヴィスの近くに座っていたいたハドルという男が「過度の平穏無事」に悩んでいて、生活に刺激をもたらす「不静養」の療法を勧められる。それをたまたま耳にしたクローヴィス。二日後、ハドルのところに主教秘書を名乗る若い男が訪問する。秘書が言うには、主教の発案で、この家を借りて近隣一帯のユダヤ人を皆殺しにするとのこと。自宅が「二十世紀の汚点」の場になるのを防ごうと右往左往するハドル。もちろんクローヴィスにかつがれているのである。
 しかしこの作品、20世紀初め頃だから書けたので、1930年代以降はシャレにならないのでとても発表できないだろう。まさか後年になって、ユダヤ人皆殺しを本当に実行しようとする人物が出現するとは、サキも予想もしてなかったに違いない。(サキは第一次世界大戦で戦死している。)
 クローヴィスものは、基本的にはウッドハウス風のユーモア小説にたっぷりと毒をきかせたような作風なのだが、シリーズ以外ではまた違った作風を見ることができる。「ハーマン短期王」などはブラックユーモアたっぷりの諷刺作品なのだが、ユーモア要素のまったくない作品もある。ホラー系ファンタジーと言える「丘の上の音楽」や、サスペンスに満ちた「運命の猟犬」などが印象的。

Clovis

 

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