90億の神の御名
90億の神の御名(ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク 2)/アーサー・C・クラーク;浅倉久志ほか訳(ハヤカワ文庫SF,2009)
『太陽系最後の日』(2009年7月17日のエントリー)に続く、クラーク短篇選集の2冊目。1951年から1958年の作品を収録している。SF短篇の黄金時代に書かれた作品たちである。
「前哨」は読むの何度目だろう。こうして短篇集に収録されるたびに、律儀に読み返している。しかし、実際何度読んでも、例のピラミッドを発見する場面はセンス・オブ・ワンダーを感じる。
「月面の休暇」は、解説によれば長らく埋もれていた作品だそうだ。月面基地の司令を務める父親に招待されて、18歳の娘ダフネが家族とともに月旅行をする。ほとんど宇宙開発に関する啓蒙小説みたいなもので、ストーリーもないに等しい。この時期のクラークの長編に、『宇宙島へ行く少年』というのがあるが、この作品は「月へ行く少女」である。
「おお地球よ……」も月が舞台のショートショート。ラストはやや感傷的だが、いかにも50年代のSFらしい。
「時間がいっぱい」は、クラークには珍しい時間を扱った作品で、『太陽系最後の日』に収録されていた「時の矢」よりは出来がいい。「おお地球よ……」と同様に、冷戦時代の雰囲気が影を落としている。
「90億の神の御名」は、これまたクラークには珍しい「宗教に対する科学の無力」を描いた作品。ラストが鮮烈な印象を残し、表題作に選ばれたのもうなずける。実のところ、SFではないが。
「木星第五衛星」。なぜか作品中には名前が出てこない木星第五衛星の秘密を巡る、二組の探検隊の争い。基本アイデアは、発表時はともかく今となってはインパクトがない。おまけに、クラークはどう考えても、こういうだましだまされみたいな話が得意とは思えないので、印象は今ひとつ。
「夜明けの出会い」は、あり得たかもしれない、もうひとつの「2001年宇宙の旅」プロローグ、みたいなもの。
「海底牧場」は、同タイトルの長編の原型。クジラやイルカに比べて、サメが差別されすぎ。いくら哺乳類と魚類だからといっても...。
「密航者」は、王室ネタ大好きのイギリス人ならではの作品。
「星」は、前にも書いた。表題作とは裏返しの、「科学に対する宗教の無力」を描いた作品。これが表題作でもよかった。でも短すぎるのがネックだったのだろう。
「月に賭ける」。また月ネタ。人類最初の月探検隊(アメリカ、ソ連、イギリスの3隊)を巡る連作短篇。最後の税金問題のエピソードが非常にイギリス的。
「究極の旋律」は「白鹿亭奇譚」の一篇。このシリーズの例によって、どこまでホラ話なのかわからない。「究極の旋律」の魔力が、音感のある人間を廃人にしてしまうが、音痴には何の効果も及ぼさないというのがおかしい。
「天の向こう側」は、静止軌道上の有人通信ステーションを舞台にした連作。この頃のクラークは、通信衛星や放送衛星には人間が常駐する必要があると考えていたらしい。今となってはなぜかわからないが。
「遙かなる地球の歌」は、長編にもなった作品。要するに、純朴な植民惑星の娘が、地球から来た男にだまされて捨てられる話なのだが、なぜか好み。
「幽霊宇宙服」は、宇宙ステーションでの小咄的エピソードを語った、どうということのない話。タイトルで期待させすぎ。
最後の「ベツレヘムの星」はエッセイで、「星」の原型になったアイデアを語っている。
ベストはやはり、「遙かなる地球の歌」、「星」、「前哨」だろうか。月並みだが。







