ちょっと前に読んだ本

2021年4月18日 (日)

滴り落ちる時計たちの波紋

滴り落ちる時計たちの波紋/平野啓一郎(文春文庫,2007)
 2004年刊の単行本の文庫化。
 この著者は1999年の芥川賞受賞当時、かなり話題になったので名前だけは知っていたが、2年ほど前にこの本を読むまで、全然読んだことはなかった。
 芥川賞受賞作の評判から、なんだか難解な作品を書く作家という印象があったが、読んで見るとそうでもない。ただ、実験的、とは言えるかもしれない。それにしても、収録作の作風がバラバラすぎて、どれが本来の姿なのかよくわからない。
 収録作は掌編から中編まで長短8編。

「白昼」
 白昼、一人の男が幻影の中に消え去る。途中から詩みたいなものになる実験的作品。本のタイトル「滴り落ちる時計たちの波紋」は、この作品の詩の部分に出てくる言葉。
「初七日」
 一転して、きわめてリアルな小説。一人の老人の葬式に集まった家族の様子や、息子である兄弟の思いを丹念に描いていく。文章も実に、普通の意味で文学的。
「珍事」
 わずか6ページの小品。大阪に出張したサラリーマンが体験した、実にどうでもいいような出来事と、それが心中にもたらした波紋を描く。
「閉じ込められた少年」
 これも6ページの小品。少年のいじめの記憶と、それがもたらした突発的な行動の瞬間を切り取る。
「瀕死の午後と波打つ磯の幼い兄弟」
 二つのパートからなる作品。ひったくり常習犯の男が交通事故で死にかける「瀕死の午後」と、幼い兄弟が潮の満ちてくる岩場に取り残される「磯の幼い兄弟」。一見何の関係もなさそうな二つだが、実は最後の文章で相互に結びついている(ということが解説を読んでわかった)。
「Les pepites passions」
 2ページのスケッチが5編。「彼方」、「数」、「性」、「記憶」、「自己」。どれも少年が主人公で、どれも最後には死ぬか消えるかする。
「くしゃみ」
 わずか2ページ。ひよわな男がくしゃみをして死んでしまうというだけの話。
「最後の変身」
 150ページ近くの長い作品。この作品だけ文章が横組み。それでいてページは普通に右から左に進んでいて、相当な違和感がある。
 内容は、ネットに入れ込んだあまり人生に行き詰まった男の、いつ果てるともしれない愚痴。読んでいていやになるような内容だが、ところどころ、ネットの世界への鋭い指摘がある。
「バベルのコンピューター」
 この作品だけ、これまでの収録作ときわだって作風が違う。クロアチア出身の芸術家イーゴル・オリッチの作った電子芸術「バベルのコンピュータ」に対する長文の批評。その作品は、ボルヘスの「バベルの図書館」をコンピュータにより再現しようという試みなのだった。
 実はこれは批評の形をとったフィクション。それらしい注もついているが、作者も作品もすべて架空である。架空作品の批評というと、レムの『完全な真空』が連想されるが、この作品はボルヘスに言及しているので、ボルヘス&ビオイ=カサーレスの架空評論集『ブストス・ドメックのクロニクル』へのオマージュなのだろう。
 収録作中ベストはこの作品。

Shitatariochirutokeitachi

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2021年4月14日 (水)

豪華客船の文化史

豪華客船の文化史/野間恒(NTT出版,1993)
 かつて世界の海を駆け巡っていた豪華客船の歴史。ここで言う豪華客船は、クルーズ船のことではなく、あくまで輸送のため――娯楽ではなく、旅行手段としての船のことである。
 19世紀中頃から20世紀末まで、「一五〇年にわたる客船の転変を、世界史との関わりで捉えたい」というのが、まえがきに書いてある趣旨。確かにそのとおりの内容だが、これならタイトルは「文化史」ではなく、「世界史」の方がふさわしかったのでは。
 内容は9章構成。

 第1章「旧大陸から新世界へ」は、大西洋航路の誕生と発展を語る。19世紀、蒸気船の発達とともに、大西洋をわたる定期郵船が誕生。初期の船は郵便が主で、客室施設は粗末なものだった。しかし船内施設は次第に豪華なものになっていく。
 第2章「極東に注がれる欧州列強の目」は、舞台をアジアに移す。アジア-ヨーロッパ航路の歴史。そして新興勢力としての日本で、海運会社が誕生する。
 第3章「浮かぶ宮殿―豪華巨船時代へ」。19世紀末から20世紀初頭の大西洋航路について。ドイツ海運会社の台頭と、イギリス・アメリカとの競争。客船史を語る上では避けて通れない、巨船「ルーシタニア」と「タイタニック」の悲劇についても。
 第4章「二十世紀の日本海運」は、日露戦争から第一次世界大戦までの日本海運の歩み。
 第5章「第一次世界大戦と客船」は、戦時輸送に駆り出される客船たちの運命について語る。
 第6章「活気溢れる一九二〇年代[ローリング・トウエンティーズ]」。第一次大戦が終わり、続々と登場する豪華客船。日本も健闘しているが、いかんせん欧米諸国に比べると船が小さい。
 第7章「世界恐慌から客船黄金時代へ」。1930年代に入り、各国を代表する巨大客船がデビューする。日本の「浅間丸」、フランスの「ノルマンディ」、イギリスの「クイーン・メリー」。クルーズ客船が誕生したのもこの頃だが、まだ主流は輸送手段としての客船だった。前章とこの章、つまり大戦間の時期が豪華客船の最盛期。
 第8章「第二次世界大戦と客船」。第二次世界大戦が始まり、客船の黄金時代は悲劇的な終末を迎える。この大戦は各国の客船にとって最大の悲劇の舞台となる。特に日本の客船は壊滅的被害を受けた。
 第9章「平和の再来と客船サービス」。第二次大戦後、大型豪華客船の時代がふたたびやってくる。イギリスの「クイーン・エリザベス」・「クイーン・エリザベス2」、アメリカの「ユナイテッド・ステーツ」、フランスの「フランス」など、国の威信をかけた巨船がデビューする。
 だが、客船の時代は長くは続かない。1960年代からジェット機に客を奪われ、定期客船の繁栄は急速に終わりを迎える。旅客輸送という仕事で生きていけなくなった客船は、クルーズに活路を求めるようになっている――というところで本書は終わり。クルーズそのものについてはごく簡単にしか触れてない。

 2008年に刊行された本書の増補版では、第10章「クルーズの世紀」が追加されている。現代ではクルーズ客船こそが「豪華客船」で、輸送のための船は「フェリー」や「連絡船」でしかなくなっている。その実態を反映した増補である。とはいえ、クルーズ以前の客船本来の姿を伝えてることが本書の本来の役割なのだから、旧版でもその価値は失われてはいない。

Goukakyakusennobunkashi

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2021年4月10日 (土)

もらい泣き

もらい泣き/冲方丁(集英社,2012)
 実話をベースにした33編のエピソードを収める。『小説すばる』の連載をまとめたもの。2015年に文庫になっている。
 内容については、「泣ける話」、「実話」という条件があり、さらに「原稿用紙5枚半」という制限、「書く方が辛さで泣けてくるような縛り」だったという。
 ただ、実話とはいえ、個人が特定できることを防ぐため、複数の話を合体させたり、男女の性別と変えたりと言ったアレンジは施したという。その意味では、半分創作と言えなくもない。しかし、語り口は小説ではなく、やはり実話のタッチなのである。
 泣ける話といっても、そのポイントは人さまざま。すぐに連想するのは、いわゆる人情話。本書でも、「金庫と花丸」や、「心霊写真」といった最初の方の話は、親族の死を巡る感動エピソードが目立つ。
 しかし後半になると、しみじみ泣ける話より、むしろ人間の能力に感嘆するような話が増えてくる。そして、著者が取材したというより、自ら体験した話も多くなる。特に自分がかかわったアニメ制作関係の話で、「音楽と十円ハゲ」や「鬼と穴あきジーンズ」などは、プロの凄みを語っている。
 連載中に東日本大震災が起きて以後は、災害関係のエピソードも含め、バラエティが増えてきたようだ。全体として「泣ける話」というより、「いい話」に傾斜しているような気はするが。
 ベスト・エピソードに挙げたいのは、駅の掲示板を巡る、自殺志願者の書き込みとそれを続いた無名の人々のメッセージの物語「先にいきます」。ただ、実話と言うより小説の面白さに近い。

Morainaki

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2021年4月 5日 (月)

空想軍艦物語

空想軍艦物語 冒険小説に登場した最強を夢見た未来兵器/瀬名堯彦(光人社NF文庫,2017)
 戦前・戦中の冒険小説や未来戦記に登場する架空の軍艦、超兵器を紹介する本。『丸』の連載をまとめたもの。
 この本、コンセプトはなかなか面白そうである。登場する架空の軍艦や兵器の多くは荒唐無稽なスペックで、そこがむしろ面白いというか、楽しみどころなのである。
 だがいかんせん、著者が軍事の専門家で、基本的に空想物語に関心がないため、今一つノリが悪い。
 なにしろ、現代の架空戦記の類はほとんど読んでないと言っている。「今日では未来戦記がまったく書かれていない」なんて書いているのを見ても、著者がこの分野に無関心なことがわかる。未来戦記なんていくらでも出てる。著者が興味がないだけなのだ。
 それはともかく、題材そのものは、上にも書いたように興味深いものではある。
 最初にいきなり出てくるのが、日本海軍の中佐が考え出したという驚異の「50万トン級戦艦」。大きければいいってもんじゃないぞと言いたくなる。しかもこの超巨大戦艦、主砲もサイズに合わせて超巨大になっているかというとそうでもなく、大和の主砲よりも小さい40センチ砲。それをただやたらと大量に搭載しているだけ。ちょっと発想が貧困としか言いようがない。
 この後も、飛行潜水艦とか空中戦艦とか、浮かぶ飛行島とか潜水空母とか、未来兵器というより珍兵器と呼びたいような変なシロモノが次々と登場する。
 オタク心を持ったライターが紹介すれば、さぞ面白い読みものになったと思うのだが、上にも書いたように、この著者の反応は今ひとつなのである。オタク的基礎教養とツッコミ力が足りない。
 しかし、著者は昭和9年生まれ、本書の元となった「『仰天軍艦』夢ものがたり」連載時は70過ぎてたのだから、そんなオタク心を求めるのは無理なのだろう。読者の方が適宜ツッコミを入れながら読むしかないのである。

Kuusougunkanmonogatari

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2021年4月 1日 (木)

新・幻想と怪奇

新・幻想と怪奇/仁賀克雄編訳(ハヤカワ・ミステリ,2009)
 タイトルに「新」とついているのは、同じハヤカワ・ミステリから1956年に『幻想と怪奇』という2冊ものアンソロジーが出ていたため。そちらの方はレ・ファニュ、ブラックウッド、ラヴクラフト、M・R・ジェイムズなど、いかにも正統派の怪奇幻想小説の作家たちが収録されている。
 本書はその続きとなる怪奇幻想小説のアンソロジーということになるのだが、作者名を見ると、ヘンダースン、シェクリイ、ナース、ファーマー、テン、ウェルマン、マシスンなど、半分くらいSF作家。SFファンタジーのアンソロジーと言うべきかもしれない。
 内容は17編を収録。

「マーサの夕食」(ローズマリー・ティンパリー)
 これはサイコホラー。旦那の浮気相手を奥さんが料理してしまう。
「闇が遊びにやってきた」(ゼナ・ヘンダースン)
 五歳の少年スティーヴィは川の土手で「闇」を見つけ、それを封じ込める。だがロバのエディが封印を破ってしまう。「闇」に取り憑かれたロバの描写が鬼気迫る。
「思考の匂い」(ロバート・シェクリイ)
 未知の惑星に不時着した宇宙郵便配達人が、思考感知能力を持つ現住生物に襲われるという、完全なSF。
「不眠の一夜」(チャールズ・ボーモント)
 炉端怪談形式のショートショート。ある館での一夜の怪異を語って、単純だがよくできている。
「銅の器」(ジョージ・フィールディング・エリオット)
 ベトナムでフランス軍人が中国人ギャングに捕らえられる。部隊の配置を聞き出すため、フランス人の目の前で恋人が拷問されるというグラン・ギニョール的残酷物語。
「こまどり」(ゴア・ヴィダール)
 少年時代の残酷さと後悔を描くショートショート。怪談でも幻想小説でもなく、文学に近い。
「ジェリー・マロイの供述」(アンソニイ・バウチャー)
 ジーンとジェリーは芸人コンビだったが、ジーンが殺人を犯す。その犯行の経緯について証言するジェリー。だがジェリーは実は腹話術の人形なのだった。これも一種のサイコホラーか。
「虎の尾」(アラン・E・ナース)
 無限にものを吸い込む謎のハンドバッグ。それを研究する科学者たちは、向こうにいる「何ものか」を無理やり引っ張り出そうとする。ラストの不気味な展開が星新一の「おーい、出てこーい」を思わせるSF。
「切り裂きジャックはわたしの父」(フィリップ・ホセ・ファーマー)
 語り手の貴族の母は凶悪犯罪者である義理の弟に犯され、アフリカに渡航した後で語り手を出産する。この語り手が、実のところあのターザンとしか思えない。本編はFeast Unknownという長編の抜粋ということなので、この作品についての英語版Wiki記事を見てみると、やはりターザンをモデルにしたキャラクター(名前は違うが)らしい。
「ひとけのない道路」(リチャード・ウィルスン)
 アメリカの田舎を車で走っていた男は、いつのまにか他の人間が誰もいなくなっていることに気づく。二日後にすべて何事もなかったかのように元に戻るのだが、その間何が起きていたのか。男の推測はこの作品を完全なSFにしている。
「奇妙なテナント」(ウィリアム・テン)
 存在しないはずの13階を借りる奇妙なテナント。その階に用事のある人間は簡単にそこに行けるが、ビルの管理人だけはどうしても行くことができない。軽妙でシニカル。いかにもテンらしい作品。これもSF。
「悪魔を侮るな」(マンリー・ウェイド・ウェルマン)
 第二次世界大戦中、ナチスドイツの一部隊がトランシルヴァニアらしき地方のとある城に駐屯する。そこはドラキュラの城だった。
「暗闇のかくれんぼ」(A・M・バレイジ)
 スミーというかくれんぼゲームに、知らない人間が混じっていたという、典型的ゴーストストーリー。
「万能人形」(リチャード・マシスン)
 どうしようもない暴れ者の息子をおとなしくさせるため、万能人形を友達として与える両親。しかし息子に影響されて万能人形も暴れ出す。困り果てた両親は、人形を息子の代わりにしてしまう。最後のオチが傑作。
「スクリーンの陰に」(ロバート・ブロック)
 映画ファンタジー。エキストラに生涯を捧げてきた老人が、スクリーンの中の恋人と一緒になるため、映画の中に入ってしまう。よくある話である。
「射手座」(レイ・ラッセル)
 収録作中一番長い中編。ニューヨークを訪問中のイギリス貴族テリー郷が、フランスで知り合った二人の俳優を巡る奇怪な物語を語る。ジキルとハイド、切り裂きジャック、グラン・ギニョール、二十世紀初頭のパリといった道具立ての中で展開するゴシック的怪奇譚。収録作中で一番クラシックな「怪奇幻想」小説。他の作品とテンポが違うのでやや冗長に感じてしまうが。
「レイチェルとサイモン」(ローズマリー・ティンパリー)
 本書2作目のティンパリー。日本では無名のこの作家を編者はよほど気に入ったらしい。死んだ子どもたちが実在するかのようにふるまう女の話で、やはりサイコホラーみたいなもの。

 マイベスト3は、「不眠の一夜」、「奇妙なテナント」、「万能人形」。

Shingensoutokaiki

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2021年3月19日 (金)

廃止駅の不思議と謎

国鉄・私鉄・JR 廃止駅の不思議と謎/伊原薫、栗原景(じっぴコンパクト新書,2019)
 鉄道系雑学本。テーマが「廃止駅」とかなり狭い範囲に絞られているが、それだけでも本が1冊できるのだから、この世界はまだまだネタが尽きないらしい。
 本書に登場する廃止駅は100近くある。地域的には、北海道や関東、関西に多く、四国にはなぜかひとつだけ。それも臨時駅の津島ノ宮なので、正確には廃止駅ではない。以外にも、登場する廃止駅の数では東京が一番多い。

 ところで廃止駅といっても、廃止の理由も現状も実にさまざま。
 理由で一番多いのは、路線自体が廃止されたもの。
 続いて、駅の利用があまりに少なく、廃止されたもの。北海道に多い。信号場に格下げされたケースもある。
 線路のつけ替えにより、旧線の駅が廃止されたもの。この場合、駅自体は移転して存続していることが多い。
 他には、設備更新費用がかかりすぎるため廃止されたとか(阪堺電車上町線)、車両の重要過多で運行休止になったとか(ドリーム交通ドリーム線)、変わったパターンもある。
 また、廃駅後の状況についても、跡形もなくなった駅もあれば、観光名所として再生されたところもある。
 北海道など過疎地の駅では、森に埋もれて形跡もわからないところがある。自然消滅パターンとでも言えるだろうか。また、町中の駅でも、大阪の片町駅、湊町駅などは跡地が再開発されて場所もほとんどわからなくなっている。これは「上書き」されて消滅したパターンである。
 一方では、駅舎などを生かして廃駅を観光地にしたところもある。北海道の増毛駅や幸福駅、広島の三段峡駅、宮崎の高千穂駅など。北海道の北見相生駅、中湧別駅、石川の輪島駅などは、駅は駅でも「道の駅」に生まれ変わっている。青森の大畑駅、福島の熱塩駅なども、地味だが地元の人によって保存、活用されている。
 ――などと、知らない「廃駅の世界」が展開されている。思ったより興味深い内容だった。
 ただ、内容に体系性がなく、全体的に雑駁な印象はある。雑学本だから仕方がないか。せめて駅名の50音順インデックスくらいは欲しかったところ。

Haishieki

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2021年3月 7日 (日)

太陽が消えちゃう

太陽が消えちゃう 気絶悶絶三つ巴リレーSF/川又千秋、横田順彌、岡田英明(いんなあとりっぷ社,1977)
 珍品である。こんな本が出版されていたことを知っている人がどれだけいるだろうか。物好きなオールドSFファンくらいじゃないだろうか。
 若手作家(当時の)3人によるリレー小説。
 第1章だけはかんべむさしが書き、その後を川又、横田、岡田が交代で書き継いでいくという形。岡田英明は、鏡明が当時使っていたペンネームである(鏡明が本名)。
 かんべむさしの書いた第1章は、独特の言葉遊びは頻出するが、ただの零細広告プロダクションを舞台にした業界内幕ものとしか思えない。
 だが、第2章の川又千秋が広告業界のことを知らなかったため、「せめてテーマだけでも、広告の世界からはずして、メチャSFにしてしまえ」と(第1章以外は、各章執筆者による短い前書きがついている)、強引にSFにする。ということで、主人公が実はテレパスで、宇宙人と会見することになる――という展開に。
 第3章の横田順彌は、太陽が実は広告塔で、広告主の白鳥座61番星人がスポンサーを降りることになった――というとんでもない設定を持ち込む。これが「太陽が消えちゃう」というこの作品のメインテーマになるわけだ。
 第4章の岡田英明は、エキセントリックな自衛隊員を登場させるなど、とにかく登場人物を暴走させる。他の作者が造った人物も暴走する。だいたい、3人が交代で書いているのだから、登場人物だって章によって性格や能力が変わったりするのだ。
 この後、タコ型火星人が出てきたり、ケンタウロス型のアルファ・ケンタウリ星人が出てきたり、ミラー・ブライトなる狂人としか思えないアメリカ軍人が出てきたり、話は混乱の度を増す一方。
 最終回を書いたのは岡田英明だが、どういう形であれ、完結したことが不思議なくらい。
 まあ、3人のリレー小説などというものが、まともになるわけがないから、予想されたことではある。そんなわけで、小説として評価されるところは、ほとんどなきに等しい作品。
 昔はこんな遊びをやっていたという思い出話のネタにしかならない。しかしこんな企画が通り、こんな本が出るということは、よき時代だったのかもしれない。
 なお、これが川又千秋と鏡明の初小説出版だったはずである。しかし(本日の時点では)、Wikiの川又千秋の項目には、本書のことは一言も触れられてなくて、なかったことにされている(鏡明と横田順彌の項目には書いてある)。


Taiyougakiechau

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2021年3月 3日 (水)

言葉人形

言葉人形 ジェフリー・フォード短篇傑作選/ジェフリー・フォード;谷垣暁美編訳(東京創元社,2018)
 中・短篇13編をセレクトした日本オリジナル短編集。
 基本的にどの作品もファンタジーなのだが、現実に近い話から、幻想的要素がだんだん多くなるように配列しているのだそうだ。最後の方の数編はほぼ異世界ファンタジーになる。

「創造」
 好奇心から、森で集めた植物や石から「人間」を作った少年。キャヴァノーと名づけられた「人間」は行方をくらます。設定はホラーに見えるが、そこから父と子の物語に展開するところが普通のファンタジーと違うところ。。
「ファンタジー作家の助手」
 異世界「クリーゲンヴェイル」を舞台としたシリーズものファンタジーで売れている作家アシュモリアンのアシスタントになった女性メアリー。アシュモリアンは実際にクリーゲンヴェイルを幻視して見たままを物語にしていたのだが、ある時クリーゲンヴェイルが見えなくなる。メアリーはアシュモリアンに代わってクリーゲンヴェイルに入り込む。ファンタジーのパロディに見えるが、もっと深い。
「〈熱帯〉の一夜」
 バー「熱帯」を久しぶりに訪れた「私」は、少年時代の友人、不良のリーダーだったボビーと再会する。「熱帯」のバーテンダーになっていたボビーは「私」に、呪いのチェスの駒にまつわる昔話を聞かせる。収録作中では幻想性が一番薄い。
「光の巨匠」
 光を操る巨匠ラーチクラフト。その技術は「光の錬金術によっておぞましいものを美しく、使い古されたものを新品同様に、物質的なものを精神的に、偽りを真実に変える技」と描写されている。ラーチクラフトはインタビューに訪れた新聞記者に向かって、かつて見た生々しい夢の話をする。
「湖底の下で」
 湖底の下の洞窟に「薔薇色の硝子玉」が鎮座していて、その中には「一度だけ語られたが誰にも聞かれなかった物語が渦巻いている」。「私」が語るのはその硝子玉の中の、エミリーとヴィンセントという少女と少年の物語。
「私の分身の分身は私の分身ではありません」
 語り手「私」は自分の分身(ドッペルゲンガー)と出会う。この物語の世界は分身がいるのが普通らしい。分身の言うことには、分身の分身「ファンタスマ=グリス」が出現したが、それは凶悪な存在で、殺さなければならないという。気乗りしないまま、「私」は分身の計画に協力することになる。アクションもあり、収録作中一番わかりやすく読みやすい。
「言葉人形」
 作者の分身らしいジェフ・フォードと名乗る主人公は、ある日、道路脇の草に埋もれた看板に気づく。「言葉人形博物館」。その家を訪れると、現れた老婦人が、かつてこの地方にあった、農民の子どもが農作業の間集中力を保つための「野良友だち」という風習について語る。それは言葉だけで構成された架空の人形だった。そしてさらに彼女は、「野良友だち」の儀式が終わるきっかけとなったおぞましい事件について語るのだった。
「理性の夢」
 ここから後の作品は異世界の物語。大学都市ベルダンチの光の研究者アマニタス・ベラルは、光を減速させる実験に打ち込む。最終的に彼が光を静止させるための媒体としたのは、人間の精神だった。
「夢見る風」
 リバラの町には毎年<夢見る風>が通る。<風>は人間の体を含め、あらゆるものを変形させる。「混沌と雑多、現実全体のしっちゃかめっちゃか状態」が生じ、その作用は二、三時間続く。災厄とも言える<風>だが、なぜかある年から到来しなくなる。その時、人々は――という寓話めいた話。
「珊瑚の心臓[コーラル・ハート]
 この話はヒロイック・ファンタジー風。触れるものすべてを珊瑚に変える魔剣「珊瑚の心臓」(持ち主の異名でもある)を持つ剣士イズメット・トーラーが主人公だが、この男、果てしなく殺戮をくり返す殺人鬼。ある城に招かれたトーラーが、復讐の罠にはめられるという、実に殺伐とした話。
「マンティコアの魔法」
 王国を荒らしていた最後のマンティコアが仕留められた時、魔法使いワトキンはその死骸を前に、弟子の「ぼく」にすべてを記録するように命じる。人とマンティコアの奇妙なつながりが物語の核になっている。
「巨人国」
 人間を鳥籠に入れて飼う巨人が住む国。明らかに異世界だが、この世界とじかにつながっているらしい。<犬の背骨>という山地を通ると、アメリカのどこかから巨人国へ行けるらしいのだ。巨人国と宿命的なつながりを持つ女性アンナの不可解な遍歴が主なストーリーだが、話が奇妙な具合にジャンプして、不条理さに頭がよじれそうになる。ひょっとして傑作かもしれないという気もする。
「レパラータ宮殿にて」
 元海賊のインゲスが一代で築き、はぐれ者たちが集まって政府を形作る王国で、すべての人々から愛されていた王妃ジョゼットが死ぬ。壮麗なレパラータ宮殿は悲しみに包まれ、絶望した王は生きる力を失う。魔術師めいた老治療師が呼ばれて王の心を救うが、それには大きな代償が伴っていた。

 複雑な構成と予想のつかない展開、そして眩惑的な語りの技巧を駆使した精巧な文章が特徴。ファンタジーとかSFとかのジャンルを超越した作家の一人だろう。例えば、ルーシャス・シェパードやケリー・リンク、エリック・マコーマックあたりが似た作風と言えるだろうか。
 マイベストは「レパラータ宮殿にて」。次点は「巨人国」。

Kotobaningyou

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2021年2月27日 (土)

古くさいぞ私は

古くさいぞ私は/坪内祐三(晶文社,2000)
 昨年死去した坪内祐三の「ヴァラエティ・ブック」。
 ヴァラエティというだけあって、雑多な内容(ただし、本の話題が多い)。ページによって字の組み方もバラバラ。
 あとがきによると、植草甚一みたいな本を作りたかったのだという。なお、タイトルは荒川洋治の詩集『あたらしいぞ私は』のもじり。
 内容は7章に分かれていて、それぞれの章の扉には「古」「く」「さ」「い」「ぞ」「私」「は」と、章のタイトル(?)が大きく書かれている。
 あちこちの雑誌に掲載したエッセイ、コラムを集めたものだが、同じ雑誌に載ったものが同じ章に固まっているとは限らない。要するにまとまりがない。そこが「ヴァラエティ・ブック」らしいところなのだろう。

1「古」は、神保町についてのエッセイ3編。
2「く」は、読書についてのエッセイと対談14編。
3「さ」。前半は、明治の文学についてのエッセイ6編。後半は「スタンレー鈴木のニッポン文学知ったかぶり」と題する一連のエッセイ6編。スタンレー鈴木は日本文学を研究する日系2世という設定だが、もちろん坪内祐三が書いたもの。私小説を「ニッポン・ミニマリズム文学」と見なしている。
4「い」は、大正から昭和にかけての文学・作家とその周辺についての10編。
5「ぞ」。またも本についての5編のエッセイ。2と違うところは、こちらの方がより私的な色合いが強いことだろうか。
 この章の後に「金子一平のTVウオッチング」というテレビ・芸能を語るエッセイが掲載されているが、これは明らかに5章とは独立したコーナーだと思われる。金子一平というのも著者のペンネームなのだろうが、こんなに芸能関係に詳しかったとは。ただの浮世離れした文学愛好者ではなかったらしい。
6「私」。タイトル(?)にふさわしく、身辺雑記みたいなものを集めている。若い頃に人力車を引いた思いでとか、講義を担当している女子短大での学生の生態とか、「アルジャーノン」論とか。
7「は」は、ローカルネタ。著者の暮らす世田谷区、中央線沿線の古本屋のことなど。
そして最後のエッセイ「植草甚一の日記を読むと、古本屋に出かけることになる」は、もろに植草甚一風。つまり、とりとめがなく、かつ知的。本書そのものを象徴しているようなエッセイである。

Furukusaizowatashiwa

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2021年2月23日 (火)

ビッグデータ・コネクト

ビッグデータ・コネクト/藤井太洋(文春文庫,2015)
 ハイテクサスペンス小説。官民共同の巨大システム開発の裏にひそむ陰謀を、刑事と犯罪者のコンビが追う。
 本作は、『SFが読みたい2016』の日本部門11位に入っているが、SF感はほとんどない。おおむね現在のテクノロジーで可能なことしか出てこない。それだけに、誰か本当にこんなことをやろうとしている人たちがいそうで怖いのだが。
「こんなこと」とはどんなことかというと――。

 舞台は関西地方。自治体首長(元検察)と警察幹部が、滋賀県の山中に建設された巨大複合施設「コンポジタ」の住民サービスシステムを悪用して、全国規模の個人監視システムを作ろうとする。彼らの頭だけでそんなことが考えられるわけはなくて、裏にいるのはコンサルタントと称する守矢という男。実は情報犯罪の大物で、そのバックにはさらに大きな力が…。
 ――というような裏事情は、話が進むに連れて徐々にわかってくる。
 最初は、「コンポジタ」のシステム開発の中心人物だった月岡という男が誘拐される事件がきっかけ。「コンポジタ」計画を中止しろという脅迫状と、切り取られた月岡の指が送られてくる。
 さらに事件の関係者として(実は無理矢理関係者にしたてられた)、武岱という男がからんでくる。数年前にコンピュータウイルス事件の容疑者として逮捕されながら、その後不起訴になった男。
 京都府警サイバー犯罪対策課の警部万田は、捜査協力者となった武岱とコンビを組んで、事件を追うことになる――というのがメインのストーリー。
 クライマックスは、「コンポジタ」の情報システムが、武岱の仕掛けによってその恐るべき本性をさらけ出すところ。この場面の劇的効果はなかなかのもの。
 しかし、そこまでの話――特に前半は、錯綜した状況の中でもつれた糸を少しずつ解きほぐすような展開で、少々じれったくなる面もある。登場人物が多い上に、背景の組織が込み入り過ぎていてなかなか頭に入ってこない。バラバラに見えていた要素がつながってくる中盤からは、どんどん話が加速していくのだが。
 そして、複雑にからみあった物語の中から浮き上がってくるのは、情報産業現場の恐ろしい労働実態。そんな現場で「壊れて」しまった二人の男、月岡と武岱が、「コンポジタ」を阻止し、日本にディストピア社会が出現する危機をぎりぎりのところで防いだのだった。
 監視社会のディストピアと情報産業現場の地獄――ITの二つの負の側面を見せつける。面白いんだけど、読んだ後でなんとも暗澹とさせる小説だった。

Bigdataconnect

 

 

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