ノンフィクション

2008年9月29日 (月)

好きになってはいけない国

好きになってはいけない国/菅野朋子(文芸文庫,2005)
 日本の歌や芸能人たちのファンになった韓国の若者たちを取材したドキュメンタリー。
 タイトルは、韓国の女の子の「日本の歌は好きですけど、日本は、好きになってはいけない国っていうか―」といセリフからきている。つまり、韓国人は日本を「好きになってはいけない」という意味。
 実際、著者がレポートする韓国の若者たち(ほとんどが女の子)は、ジャニーズ・ジュニアの熱狂的なファンでありながら、「日本のスターが好きなら、日本のことも好きでしょ」と著者が質問すると(こんな露骨な質問をぶつけるのもどうかという気もするが)、首をかしげ、「好きか嫌いかわからない」などと曖昧な返事をする。
 日本人のライターを前にして「嫌い」とは言いにくいだろうし、かといって、韓国人がそう簡単に日本を「好き」とは言えないし、彼女らとしてはそう言うしかないのだろう。著者の方も、もっと空気を読んで質問すればどうかと思う。まあ、ルポライターがあまり空気を読んでばかりいても、対象に迫ったものは書けなくなるだろうが。
 韓国の若者たちの複雑な反応を目にした著者は、「彼らのもつれた思いはほどけるのだろうか。――私は、その糸口を探し始めていた。」と書く。本書の前半部分である。
 そして最終章では、「最後までほどけなかった日韓のすれ違う思いのなかに、ただ一つ鮮明に残ったのは、韓国の人たちの日本に向けた、まっすぐで真剣なまなざしだった。」と、ちょっときれいすぎるまとめ方をする。あまりにジャーナリズム的な文章という気もするが。まあ、そう簡単にはほどけないわけである。
 この本が最初に出版されたのが2000年。この文庫版はその後の日韓ワールドカップや韓流ブームを経て加筆修正されて、2005年3月に出ている。
 文庫版のあとがきを書いている時点で、著者は日韓関係の前途にまだ希望を持っているように見えるが、この年の7月には『マンガ 嫌韓流』が出ている。その後の日本と韓国とを見て著者はどう思っているのだろう。

好きになってはいけない国。―韓国発!日本へのまなざし (文春文庫)

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2008年6月28日 (土)

定刻発車

定刻発車/三戸祐子(新潮文庫,2005)
 この本の単行本は2001年発行だが、文庫本は2005年。例の尼崎でのJR福知山線脱線事故とタイミングを合わせるように発行された。そのために当時は話題になり、けっこう売れた。
 あの事故が起きたのが200 5年4月25日、文庫版の発行日は5月1日になっている。5月1日発行なら、4月25日にはもう印刷・製本は終わっている。だから、事故とほとんど同時に発行されたのは、まったくの偶然である。そのおかげで、売れたことそのものはいいにしても、一種のキワものみたいになってしまったのは、この本にとって、また読者にとっても、不幸だったかもしれない。
 世界的に見れば異常なレベルにまで達している日本の鉄道の「正確さ」と、その正確さへの「信頼」。著者はその由来を資料と取材を元に丹念に調べ、時に大胆な推測を交えて考察する。ユニークな着眼点と丁寧な取材に基づいた本である。
 が、作者自身はその「正確さ」を必ずしもベストのものだとは思っていない。むしろ日本の社会的条件がやむを得ず生み出した「必要悪」のように考えているらしい気配がある。
 最後に書かれた「定時運転」の将来についての考察でも、現在の異常なまでの定時運転は消滅の運命にある、というか、消滅しなければならない、と作者が考えていることが見てとれる。
 文庫版の発売と時を合わせて起きた例の事故は、この本を読んだ時点では(その年の9月)、無理を重ねた定時運転の未来を暗示するかのようにも思えたものだった。おそらく、当時多くの人がこの本を読んで同じようなことを思ったのではないか。この本は、定時運転へのレクイエムになるのかもしれないと。
 だけど、あまりに事故とタイミングが合いすぎたのが不運だった。あの事故をめぐる諸現象の一つとして埋もれてしまったのだ。

 結局その後、あまりに過密なダイヤはやめましょうということになっただけで、相変わらず、日本の鉄道は時刻表どおりに動くのが当たり前だと、みんな思っているのだった。

定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか? (新潮文庫)

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2008年4月 5日 (土)

シーラカンスの物語

「四億年の目撃者」シーラカンスを追って/サマンサ・ワインバーグ(文春文庫,2001)
  子供の頃から、なぜかシーラカンスに興味があった。シーラカンスそのものより、この奇妙な魚をめぐる人々のドラマに惹かれるものがあった、と言ってもいい。
 今思えば、小学校だか中学校だかの教科書に、シーラカンス発見のエピソードが載っていたのが、そもそもの始まりだった。
 市場で見たことのない魚を発見した若い女性科学者(いや、実はマージョリー・コートネイ=ラティマーは、科学者じゃなくて「学芸員」なんだけど、子供にはそう思えたのだ)、その連絡を受けた大科学者(スミス博士という人はラティマーの知り合いだっただけで、この時点ではまだ40歳を過ぎたばかりで、そんなに高名な学者というほどでもなかったのだが...以下同文)の驚き。
 とにかくドラマチックだった。そのシーンを想像するだけで何度でも感動するほどドラマチックだった。

 これは、その有名なシーラカンスの発見から、インドネシアでの新しい生息地の発見まで、シーラカンス探索史約70年を追った本。シーラカンス(というか、その周辺のドラマ)好きにはこたえられない。
 古生物的学的な説明よりも、シーラカンスにかかわった人々の描写に力を入れているのが特徴で、いわばシーラカンス・ハンター列伝といったところか。ラティマーやスミスのその後も書かれているし、2匹目のシーラカンスを発見した冒険野郎エリック・ハント、スミスと対立するフランスの科学者ジャック・ミロー、生きたシーラカンスの撮影に挑むドイツ人ハンス・フリッケ、新婚旅行でやってきたインドネシアで偶然シーラカンスを発見するマーク・アードマン、等々。シーラカンスの周辺はやはりドラマチックである。
 シーラカンスの進化史上の意味や生物学的特徴も書かれてはいるのだが、ほんの刺身のつま程度。本質的にサイエンス本ではなくドキュメンタリーとして読むべきで、その面ではかなりおもしろい内容である。
 ただ、翻訳の文章については、正直いまひとつの感があった。

 シーラカンスをめぐるドキュメンタリーとしては、ゴンベッサよ永遠に 幻の化石魚シーラカンス物語/末広陽子(小学館,1988)という本もある。「ゴンベッサ」というのは、棲息地、コモロ諸島の言葉でシーラカンスのことだとか。こちらは生きものとしてのシーラカンスがメインテーマ。

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2007年12月28日 (金)

死んだ魚を見ないわけ

死んだ魚を見ないわけ/河井智康(角川ソフィア文庫,1999)
 『カラスの死骸はなぜ見あたらないのか』(矢追 純一)という、その筋では有名なトンデモ本があるが、この本もタイトルだけ見ると、なんだかそのたぐいと思ってしまいそうである。実は中身は海洋学者による、ごくまっとうな科学ノンフィクション。
 「自然死する魚はほとんどいない」というのが著者の説で、それを確かめるため、自ら深海潜水船に乗り込んで実験と観察をする。その潜水船でのエピソードがメイン。いわゆる科学書の硬さはなく、ドキュメントタッチになっていて、きわめて読みやすい。
 自然死しないとすれば、魚はどうやって死ぬのかといえば、「自然状態では、魚はほとんどが他の魚に食われて一生を終わる」というのが結論。
 これが今どれだけ主流の説なのかは、私にはよくわからない。が、著者が自分の目で確かめた「海底に魚の死骸はない」という事実に加え、海でとれる魚に死にかけのやつがいない、というのはかなりの説得力がある。良質の科学本である。

 ところで、この本の著者の河井智康自身、意外な形で死んでいる。2006年5月、夫婦ともども息子に殺されるという、悲劇的な最期をとげたのだ。私はこの件は知らなくて、このエントリーを書くためにネットを調べていてわかったのだが、著者が平和運動に熱心だったこともあり、その時は科学だけでなく政治がらみでもいろいろ話題になったようだ。
 人間の死に方だけはいくら研究しても予測がつかない。

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2007年4月17日 (火)

ぐっとくる題名、こない題名

ぐっとくる題名/ブルボン小林(中公新書ラクレ,2006)
 著者であるコラムニスト、ブルボン小林は、本名の長嶋有では芥川賞作家として知られる。どっちの名前でも今まで読んだことはなく、これが初めて読む本だった。
 内容は、「タイトルのつけ方実践講座」そのもの。
 タイトルのとおり、著者が「ぐっときた」題名について、22項目に分けてパターン別に(その内二つはパターン分類ではないので、正確には20パターン)、その題名のどこがどのように「ぐっとくる」のか、解説している。
 20パターンが体系化されているわけではないのだが、こういう分類をした本は初めてだろう。
 第1章「ロジック篇」「ロジック篇」では、「助詞の使い方」、「韻とリズム」、「言葉と言葉の距離(二物衝撃)」、「題名自体が物語である」、「濁音と意味不明な単語」など、どちらかというと言葉の選び方を、第2章「マインド篇」では「先入観から逸脱する」、「日本語+カタカナの題名」、「いいかけでやめてみる」、「いいきってしまう」、「漢字二字の題名」、「長い題名」など、題名を作る原理そのものを主に扱っている。
 ただ、この2章の区分は実のところあいまいで、大別する理由が特にあると思えない。第3章「現場篇」という、20ページあまりの短い章があるので、それまでがすべて1章ではバランスがとれないだけではないだろうか。
 まあそれはともかく、うまい題名をつけたい人にとって、実用的な知識を与える(実際に「ぐっとくる題名」をつけられるようになるかどうかは別として)と同時に、「自分の好きな題名」について語る軽めのエッセイとしても楽しく読める。

 ただ、ここで大きな問題がある。
 著者と私とでは題名というものに関する感性があまりに違っていて、「ぐっとくる」題名として取り上げられている例のほとんどが、私には全然「こない」ということだろう。
 「ゲゲゲの鬼太郎」?「ヤング島耕作」?「天才えりちゃん金魚をたべた」?「脳手術の失敗」?「ディグダグ」?「ザ・先生ション!」?「日本ゴロン」?
 なぜそんな題名にぐっとくるのか、さっぱり理解できない。いや、別に「ゲゲゲの鬼太郎」が嫌いではないのだが、別に題名がいいとかそんな風に思ったことはない。
 ブルボン小林が挙げているのは、大半が「変な題名」としか思えないのだ。
 中には意見が一致するのもあって、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」とか、「光ってみえるもの、あれは」とか、「隠し砦の三悪人」とか、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」はいい題名だと思うのだが、それはこの本に出てくる「ぐっとくる題名」の1割にも満たない。
 参考にはなるが(特に「二物衝撃」の話など)、すべての人が「ぐっとくる」題名をつけるのは至難、とういか不可能だろう、ということもよくわかる本であった。

 ちなみに私は「題名自体が物語である」と「長い題名」というパターンに弱いようだ。
 例えば、「星の海に魂の帆をかけた女」(コードウェイナー・スミス)とか、「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」(ティプトリー)とか、「流れよわが涙、と警官は言った」(ディック)とか、「時は準宝石の螺旋のように」(ディレーニイ)とか、「その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯」(ゼラズニイ)とか。
 でももちろんこれだけではなくて、「二物衝撃」のパターンでは「真空ダイアグラム」(バクスター)、「アインシュタイン交点」(ディレーニイ)、「知性化戦争」(ブリン)があるし、「ただ単に響きがいいだけ」の、「ノーストリリア」(コードウェイナー・スミス)や、「スタータイド・ライジング」(ブリン)みたいな「ぐっとくる題名」もある。
 しかし、こういう、どちらかといえばあざとい題名が嫌いな人も多いだろう。「ぐっとくる」題名は、理論ではわかっても、実践はかくも難しい。

ぐっとくる題名

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2007年4月13日 (金)

日本の漢字

 言語や文字というのはなかなかおもしろい世界で、その関係の本も時々読んでいる。その中から、「漢字」に関する本を1冊。

日本の漢字/笹原宏之(岩波新書,2006)
 国字、異体字、地方漢字に特定業界漢字に個人漢字。これだけ「非正統的」な漢字に焦点をあてた本は今までなかったのではないか。
 いわゆる「正字」のみしか認めない規範主義が一方にあるとすれば、この作者の立場はそれとは正反対。国字、異字体、書き間違いから発生した字体、個人が勝手に作ってしまった字体、日本で使われている漢字の字体すべてを認めるというか、あるがままの状態を研究対象とする。漢字の博物学とでも言えばいいだろうか。
 研究者の態度としては、こちらの方が正しいと思う。
 しかしこの作者は、研究者としての立場がどうのこうのという前に、変わった字体の漢字を見つけ、その由来を追求するのが楽しくてたまらないという感じである。
 新種の昆虫の発見に執念を燃やす昆虫ハンターみたいなものだ。漢字ハンターとでもい それにしても、日本のごく一部でしか使われない漢字を探索する著者の執念はすさまじいものがある。日本でただ一箇所の小さな地名だけに使われている漢字を探すため、『角川日本地名大辞典』に収録されている300万の小字名を読み進んでいく、という作業など、気が遠くなりそうだが、一方で、これだけ自分の好きなことに打ち込むことができて、なおかつそれを職業にできるという立場はうらやましくもある。
 この本にだけしか出てこないような漢字が山のようにあって、印刷屋はさぞ苦労しただろう。

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2007年3月25日 (日)

100の「100名城」

 2006年2月に日本城郭協会が「日本100名城」を発表した。これは新聞などでも報道されたので、一般的にはこれが「公式版・日本100名城」のように受け取られている雰囲気もあるが、実のところ、世の中に何種類もある「日本100名城」の一つに過ぎないのではないいかと、私などは思うのである。だいたい、「各都道府県に1以上、5以内」なんて制限をつけるあたりで、もう何か違うでしょう、と言いたくなる。それじゃ城自体の価値による公平な選定にならない。
 まあ、この点について今更あれこれ言っても仕方がないが、この発表に前後して、「日本100名城」を扱った本がいくつか、新書や文庫で出ている。それぞれ著者が違うので、当然ながら選定された「100名城」の中身も違うわけである。「100名城」というのは選ぶ人の数だけある。100人の城好きが選べば、100種類の「100名城」ができるだろう。元々そういうものなのだ。

日本百名城/中山良昭(朝日文庫,2004)
 「ありそうでなかった日本全国の「お城」のガイドブック」とカバー裏にあるが、確かに、文庫本でこういう本はありそうでなかった。この手の本はえてして城そのものよりも、城にまつわる歴史エピソードの羅列になりがちなのだが、この本は「城そのもの」の紹介、特に縄張りや防御体制の説明をメインとしているのは好感が持てる。すべての城の縄張り図がついているのもいい。
 ただ、日本の城から100を選ぶということで、「どうしてあの城が入ってないんだ」と言いたくなる部分があるのも確か。こればかりはどんな選び方をしても、どうしようもないだろうが。
 全般的に個別の建物よりも、城全体としての構造(縄張り)から見て見るべき点のあるものを選び、それに歴史的重要性や遺構の状態などから判断して選んでいるようだ。全般的に、模擬天守などのある城ははずされているようで、それは一つの見識だろう。縄張り重視型100選というところか。

名城の日本地図/西ヶ谷恭弘(文春新書,2005)
 ブームの「名城本」に、ついに城郭研究の大家、西ヶ谷恭弘登場、というところ。北から南へ、100の名城を取り上げて解説しているのだが、記述は歴史と城自体との説明をバランスよく配し、なおかつ探訪ガイドも兼ねていて無駄がない。逆にいえば無駄がなさすぎて面白みがない面もある。しかし城ひとつについて2~4ページしか(しかも写真も入れて)使えないのだから無理もないか。
 選定の傾向としては、現状重視というか、遺構として見応えのある城が選ばれているようで、富山城や大多喜城みたいな、模擬天守のある城も選定されている。現状・建物重視型100選と言える。

日本の百名城/八幡和郎(KKベストセラーズ・ベスト新書,2006)
 またしても出た「名城百選」。この手の本はそれぞれセレクトの仕方に独特の見地があって、そこがおもしろいのだが、この本もまた、ユニークな点がいくつか。
 一つ目は、近世城郭に限っていること。だから千早城も春日山城も出てこない。
 二つ目は、現状の残存状況だけでなく、「本来そうあるべきだった姿」を基準にしていること。だから跡形もない尼崎城や古河城、長岡城、聚楽第、ほとんど残存してない田中城、伏見城などが入っている。そればかりか、鯖江城みたいに、計画だけで実際には建てられなかった城まで選ばれている。
 三つ目は、これがこの人のセレクションの最大の特徴なのだが、史実に必ずしも忠実でなくても、見栄えがよければ名城として高く評価していること。典型的なのが唐津城。ここの天守は本来なかったはずのもので、要するに模擬天守なのだが、「本邦唯一絵葉書になる城」と絶賛している。「こんなに美しいのだから歴史的な由緒などなくてもいい」と。
 城の本で、ここまで言い切ったものを他には知らない。「ビジュアル第一主義」とでも言おうか。「見栄えよくするためには城の周囲の木を切るべき」というのは、なるほどそうかと思う。史実にない天守を作ることについては賛否両論あるだろうが、こういう見方もあるというのは、素直に受け止めたい。景観重視型100選。

 ところで、100名城が選定する観点によっていくら違ってくると言っても、不動のメンバーみたいなものはやはり存在する。いくら独自の基準で選ぶからと言っても、姫路城や松本城や熊本城が入って来ない、なんてことはあり得ないわけで、日本城郭協会と上の3冊の本の「100名城」、すべてに共通する城が50くらいある。このへんが「日本の基本名城」ということになるのだろう。
 ちなみにすべてに共通していた城というのは、次のとおり(北から順)。

五稜郭、松前城(北海道)、弘前城(青森)、盛岡城(岩手)、仙台城(宮城)、山形城(山形)、会津若松城(福島)、水戸城(茨城)、江戸城(東京)、小田原城(神奈川)、甲府城(山梨)、上田城、松本城(長野)、新発田城(新潟)、金沢城(石川)、一乗谷城(福井)、駿府城、掛川城(静岡)、犬山城、名古屋城、岡崎城(愛知)、伊賀上野城(三重)、彦根城(滋賀)、二条城(京都)、大阪城(大阪)、姫路城、赤穂城(兵庫)、和歌山城(和歌山)、鳥取城(鳥取)、松江城(島根)、津山城、備中松山城、岡山城(岡山)、福山城、広島城(広島)、萩城(山口)、徳島城(徳島)、高松城、丸亀城(香川)、今治城、松山城、大洲城、宇和島城(愛媛)、高知城(高知)、福岡城(福岡)、佐賀城(佐賀)、島原城(長崎)、熊本城(熊本)、大分府内城(大分)、鹿児島城(鹿児島)、首里城(沖縄)

 こうして見ると、日本で一番名城が多いのは、愛媛県か?

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2007年3月23日 (金)

撃沈戦記

 今回は「戦記もの」。
 戦記ものや戦史も、そう数多く読んでいるわけではないが、わりと好きな分野の一つ。しかし私は別に軍事マニアというわけではなく、単に歴史の一種としての戦記が好きなだけなのである。空戦、陸戦、海戦の中では、やはり、海戦(まあ、多くの人がそうだろうが)。
 そういうわけで、今回はこれ。発行はちょっと古いが、読んだのは3、4年前。
 以下は当時書いた感想をそのまま再録したもの。(いや実は、このブログの記事って、今のところ大半がそうなのだが。)

撃沈戦記/永井喜之、木俣滋郎(朝日ソノラマ・文庫版新戦史シリーズ,1988)
 第一次世界大戦から戦後までの海戦のエピソード集。当然ながら、第二次世界大戦が大半を占めている。
 とりあげられた軍艦とその沈没原因を列挙すると...

第一部の第二次大戦前が、ドイツのエムデン(軽巡)-砲戦、ブリュッヒャー(装甲巡洋艦)-砲雷撃戦、ケーニヒスベルク(防護巡洋艦)-河川での砲戦、イギリスのトライアンフ(戦艦)-潜水艦からの魚雷、クイーン・メアリイ(巡洋戦艦)-砲戦、スペインのバレアレス(重巡)-駆逐艦からの魚雷、タイのトンブリ(海防艦)-砲戦。
 第二次世界大戦では、日本の霧島-砲戦、伊一号-掃海艇と接近戦、神通-砲雷撃戦、萩風・嵐・江風-駆逐艦からの雷撃、香取-砲戦、雲鷹-潜水艦からの雷撃、二等輸送艦135・136号-空襲。
 アメリカのラングレイ(航空機運搬艦)-空襲、ピルスバリイ(駆逐艦)-砲戦、ワスプ(空母)-潜水艦からの雷撃、アルキバ(輸送艦)-特殊潜航艇からの雷撃、ノーサンプトン(重巡)-駆逐艦からの雷撃、リスカンベイ(護衛空母)-潜水艦からの雷撃。
 イギリスのサネット(駆逐艦)-砲戦、エグゼター(重巡)-砲雷撃戦、ラワルピンディ(仮想巡洋艦)-砲戦、グロウウォーム(駆逐艦)-ドイツ重巡ヒッパーに体当たり攻撃、ヨーク(重巡)-イタリアの特攻艇、フッド(巡洋戦艦)-砲戦、バリアントとクイーン・エリザベス(戦艦)-イタリアの特攻潜水艇。
 ドイツのブリュッヒャー(2隻目! 重巡)-ノルウェー沿岸要塞からの砲雷撃、アトランティス(仮想巡洋艦)-砲戦、Z26(駆逐艦)-砲雷撃戦。
 フランスのブルターニュ(戦艦)-砲戦、プリモゲ(軽巡)-砲戦・空襲、フィンランドのイルマリネン(海防戦艦)-機雷、イタリアのバルビアーノとギュッサーノ(軽巡)-砲雷撃戦、ローマ(戦艦)-ドイツ爆撃機からの対艦ミサイル「フリッツ」。
 戦後はさすがに少なく、中国の重慶(軽巡)-空襲、シリアのコマール級(ミサイル艇)-イスラエルミサイル艇からの対艦ミサイル、アルゼンチンのベルグラーノ(軽巡)-潜水艦からの雷撃、イギリスのアンテロープ(フリゲート)-空襲。

 選択基準がよくわからないのだが、艦種といい沈没パターンといい、非常にバラエティに富んでいることは確かで、しかも大和や武蔵やプリンス・オブ・ウェールズやビスマルクなどの有名どころをあえて入れず、マイナーな艦をとりあげているのはマニア好みというところだろう。特にタイやフィンランドの軍艦まで拾っているのはすごい。現代海戦のあらゆるパターンを網羅しているといっていいだろう。
 ただ、いただけないのは、固有名詞にいい加減なところがある点で、「リスカンベイ」を「リムカンベイ」と表記しているあたりはその典型。おかげで、読み物としてはおもしろいのだが、資料的に信頼できるかどうかとなると、疑わしくなってくる。

 こんな風に文句を言いながらも、えらく細かい明細まで書いているのは、実はけっこう気に入っていたということだろう。数ヶ月後には続編も読んでいる。

撃沈戦記 PART2/永井喜之、木俣滋郎(朝日ソノラマ・文庫版新戦史シリーズ,1990)
 1冊目と同じく、第一次大戦から戦後までを扱っているが、やはり第二次大戦で沈んだ艦が圧倒的に多い。
 今回第二次大戦以外は4隻だけ。それも、青島攻略戦で沈んだ日本の巡洋艦「高千穂」(駆逐艦による雷撃)、第一次世界大戦のコロネル沖海戦で沈んだイギリス装甲巡洋艦「グッド・ホープ」(砲撃)、戦後、国共内戦時の台湾海峡海戦で沈んだ台湾の護衛駆逐艦「太平」(魚雷艇による雷撃)、第二次中東戦争で拿捕されたエジプトの護衛駆逐艦「イブラヒム・エル・アワル」(空襲後、降伏)など、しょぼいのばかり。しかも最後のは沈んでない。
 残りはすべて第二次大戦の戦没艦で、日本12隻、アメリカ4隻、オランダ1隻、イギリス2隻、フランス2隻、イラン1隻、イタリア1隻、ソ連1隻、ドイツ2隻、カナダ1隻とバラエティに富んでいるのは前作と同じ。特にイラン砲艦「バブール」のエピソードなど、よく掘り出してきたものである。他にもマイナーな艦が多いのは前作と同じだが、今回は日本の「武蔵」、「金剛」など、有名どころも混じっている。それに日本海防艦「粟国」、イギリス空母「イラストリアス」など、結局沈まなかった艦も混じっているのは、看板に偽りありなのではないか。ただ、前作みたいに固有名詞のつまらない間違いが見あたらなくなった点は改善されている。

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2007年3月22日 (木)

奇天烈!古本漂流記

 紙魚を名乗る者として、「本についての本」は、当然気になる。しかしこれまで読んだ中で、単なる書評だけの本でおもしろいと思えるものは少なかった。おもしろいのは、本を通じて何かを語るエッセイ、あるいはこの本みたいに、見るからに変な本の紹介を集めた本である。

奇天烈!古本漂流記/北原尚彦(ちくま文庫,2005)
 よくもこれだけ変な本ばかり集めたものである。
 インディアンの伝説を無理矢理ターザン物語に仕立てたインチキなターザン本に始まって、幻の宝塚SF歌劇、海外で出版された日本のマンガの下手なパクリ、話がメチャクチャな貸本マンガ...。しかしこのへんはまだかわいい方で、さらに、戦前に出た外国人向け日本食ガイド、金日成が書いたと称する北朝鮮版「十五少年漂流記」、素人主婦の書いたUFO小説、ポルノ版「星の王子さま」、ゲームブック形式の医学書、など、後になるほどエスカレートしてくる。
 中でも一番すごいと思ったのは、表紙はおかしなデザインの上になぜかタイトルが上下逆、内容はメチャクチャ、作者自らの手によるイラストも意味不明という、想像を絶する小説『73の秘密』とその続編だろう。ここまでくるともはや「トンデモ本」という呼び方さえ生ぬるく思えてくる。「超絶本」とでも言うべきではないだろうか。
 ところで中身も怪しいが、横田順彌の解説もあやしすぎ。

 私も紙魚であるからには、ここに出てくるような変な本もたまには紹介してみたいものである。持っていれば、だが...。

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2007年3月19日 (月)

群雄創世紀

群雄創世紀/山室恭子(朝日新聞社,1995)

 なんだか戦国もの架空歴史小説みたいなタイトルだが、本職の歴史学者が書いた、れっきとした歴史の本である。
 武田信玄、北条氏綱、毛利元就、徳川家康の4人を素材に、これらの英雄たちにまつわる、現在にまで伝わるさまざまなイメージや伝説がどのように生まれ、成長していったのかを、古文書を駆使して探る異色の戦国史。
 というより、今日一般に考えられている「戦国史」がどのように生まれてきたかを語る、一種のメタヒストリーとも言える。
 川中島が有名になったのは武田と上杉の宣伝合戦のせいだった、とか、北条は「仁政」を売りにしたが、そのおかげで歴代の当主は後世から見ると影の薄いキャラクターになってしまった、とか、ちょっと斜めから見た歴史が、あるいは「歴史と思われているもの」の製造過程が語られていく。
 毛利元就など、「三本の矢」のモデルになった教訓状は何の役にも立たない文書で、実際には息子たちの仲は悪かったとか、元就本人は陶家の大内家簒奪に手を貸した陰謀家で、その後都合により陶家を裏切ったものの「厳島の合戦」は来島水軍の加勢でやっと勝ったのだとか、そもそも元就が毛利本家を継いだのも、家臣に強要して強奪したのだとか、ぼろくそに書かれている。
 最後の徳川家康のパート、伝説がいかに作られていくかという、この本のテーマを象徴するような今川家の「没落」を語ってみせる手並みも見事。今川義元は幼い人質の家康をいじめていたのではなく、むしろ徳川家を助けていたのだが、その後、家康は今川氏真の時代に織田家と組んで恩を仇で返した。その悪行を隠すため、氏真を暗愚に、義元を悪人に見せるような操作が行われたのだと、豊富な史料を元にその「犯行現場」を見せてくれる。
 「そのための伝説の起用であった。これこそ、何が実際におこったか、ではなく、人々が何を信じたか、そのかたちをいちばんきれいに保存している結晶。だから、めいっぱい贔屓し、その煌めきをよすがに闇夜の旅を続けてきた。」(あとがき)。
 ときどき、歴史学書にしては、あまりに「文学的」となる語り口には好き嫌いもあるだろうが、歴史の見方が変わってくる異色の歴史本である。

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2007年3月14日 (水)

へんないきもの

 2,3年前に読んで、わりと面白かった「生物学」関係本。
 今でも大きな本屋には並んでいるので、この種の本としては結構売れているのだろう。
 以下は、読んだ当時の感想。

へんないきもの/早川いくを(バジリコ,2004)
 見開き2ページに1種類ずつ、「変な生き物(動物)」を絵と文章で紹介している。体系も何もない、ただ思いつくまま並べたという感じだが、そのとりとめのなさがこの本にはふさわしい。
 なんとなく、酒の席で物好きなやつが、「こんなへんな生き物いるんだよ、お前ら知ってるか?」と酔った勢いでしゃべるちらすのを聞いているような雰囲気があって、それがうけているのかもしれない。分類すれば生物学の本、ということになるのだろうが、脱力系というか癒し系というか、ここまで力が抜けた本も珍しい。
 紹介されている変な生き物は大別すると、「よく知られているけど実は変なやつ」と「一般には知られてない異様なやつ」の2種類に別れて、前者にはハリモグラとかオポッサムとかプラナリアとかコウイカとかラッコとかアロワナとかボラとかプレーリードッグとかシュモクザメとかがいるのだが、やはり圧倒的におもしろいのは後者。
 ムカデメリベ、サカサクラゲ、センジュナマコ、装甲巻き貝、ハダカゾウクラゲ、オオグチボヤ、オオイカリナマコ、コウモリダコ、ザトウムシ...、怪しい、怪しすぎるその形、そして奇態な行動様式。
 生物の世界に興味を持たせる、という点では、中学・高校生にも読ませたい格好の入門書とも言えそうだが、それよりも、物好きが作った物好きのための本、という方が当たっているような気がする。

またまた へんないきもの/早川いくを(バジリコ,2005)
 前作がよほど好評だったらしく、第2弾が1年ちょっとの間をおいて登場。
 今回登場するのははツチボタル(美しく見えて実はおぞましい幼虫)、ヘビクイワシ(書記官鳥)、ツノトカゲ(目から血のビーム)、メタンアイスワーム(深海を泳ぐピンクのゲジゲジ)、キロネックス(刺されたら5分で死亡する猛毒クラゲ)、クダクラゲ(全長40メートルの群体クラゲ)、アンボイナ(猛毒の針を発射する肉食貝)、ダイオウグソクウシ(全長50センチのフナムシ)、など。
 相変わらず文章は軽妙で、イラストはリアルなわりに遊び心に満ちていて、読んでて退屈しないのだが、いかんせん、本当におもしろいネタは前作で出尽くして、今回出ているのは二線級という感じが否めない。
 確かに変なことは変なやつらが揃ってはいるが、オオグチボヤとかムカデメリベとかオオイカリナマコとかセンジュナマコとか、インパクトの強烈なスター級がいないのだ。おまけにネタが足りないのか、イヌとかスズメバチとかどこにでもいるような動物を出したり、そもそも生き物かどうかもあやしいファージを登場させたりしている。
 前作がJ1リーグのオールスターなら、今回の作品はJ2というところだろうか。持ち直しを期待したいが、さすがに3作目が出るかどうかは疑問。

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